「そういうわけだから、ラルゴ。明日からさっそく、アルフィアと一緒にダンジョン探索をしてもらうわ」
円卓の上で書類を綺麗に揃えながら、女帝レグナ様がこれ以上なくおっとりとした、しかし有無を言わせぬ絶対的な声音で結論を下した。
隣に座るメディアルナ副団長も、仮面の奥の瞳をギラリと輝かせ、すでに明日の探索を前提として言葉を重ねる。
「アルフィアの魔法と、貴方の逃走時に一時発現するレアアビリティ『隠密』『回避』。これらを組み合わせ、貴方の神速の足をさらに引き上げるには、実際に中層の過酷な実戦で行動させるのが最も合理的かつ最適だと判断しました」
「ええ、メディアルナの言う通りよ」とレグナ様が満足げに頷く。
ハッピーエンドへの第二歩目にして、早くも目の前に立ち塞がった最悪のシスコン幼女(才能の怪物)との強制デスマッチ。
俺が冷や汗を流して固まる横で、我がゼウス・ファミリアの副団長サイラスさんは、少しの間だけあごに手を当てて考え込んでいたが、すぐに冷徹な瞳を上げて了承した。
「……いいでしょう。ラルゴの常時耐久デバフ付きの肉体の低さには、前線管理の面でも十分な注意が必要ですが、アルフィアが同行して実力差の限界まで安全に追い込むというのであれば、実施する価値は極めて高いと判断します。必要な物資の準備や、三大クエストを見据えた安全面でのすり合わせについては、我がゼウス・ファミリアとヘラ・ファミリアの間で、これより調整を行う方針としましょう」
こうして、翌日からのアルフィアとの中層ダンジョン探索が、組織間の公式な決定事項として音速で確定してしまった。
周囲の化物先輩たちが、当然のように、かつ信じられないほどの神速の手際で俺の明日の地獄をまとめていく。その理不尽な光景に、俺は慌てて立ち上がり、円卓をバンッ!と叩いて口を挟んだ。
「――っちょっと待ってください!! そもそも、本人である俺の意見を初手から一文字も聞いてないじゃないですか!! なんで入団早々に、あの俺のことを『雑音、不愉快だ』って連呼する凶悪な幼女と二人きりで中層の岩場にデリバリーされなきゃならないんですか!!」
必死の抗議。だが、レグナ様もメディアルナさんも、俺の魂の叫びを「あら、元気ね」程度のノリで受け流して全く取り合わず、サイラスさんにいたっては「知性派の部下なら、決定事項には速やかに従うものです」と、涼しい顔で俺の逃走経路を完璧に封鎖してきた。
(……あ、ダメだこれ。またしても、俺の逃げ道が、身内の知性派の手によって完全封鎖されちまったわチクショウ……!!)
自分のあまりの無力さと、世界の不条理に、ラルゴは談話室の隅で涙目で絶望するしかなかった。
ひとまず、明日からのレベリングの方針や、両ファミリア間での協力体制の準備について、一通りのすり合わせが終了した。
会合もようやく終わり、各自が椅子を引いて席を立ち、解散しようとする流れになる。
ラルゴも「あー、やっとあの圧から解放されて寝られるわ……」と、魂の底から安堵の胸を撫で下ろした。
――ところが。
その場に残っていた女帝レグナ様と、マキシム団長。
下界の頂点に座る二人の雰囲気が、これまでとは明らかに、それこそ大気の揺らぎのレベルで完全に激変したのだ。
「…………」
先ほどまでの男の胃袋を掴む特化型オムレツといった、軽妙で冗談めいたおふざけの空気は一瞬にして完全に消失した。
室内の酸素が吸い込まれ、極限まで張り詰めた、重苦しい静寂が満ちていく。
二人は、世界の興亡を見つめてきた神に勝るとも劣らない、真剣かつ冷徹な眼光をその身に宿し、まっすぐに中央に立つラルゴへと向き直った。
レグナ様が漆黒の瞳を限界まで鋭く細め、マキシム団長が地の底から響くようなドスの利いた、しかしこれ以上ないほど重い声音で、改めて俺に問いかけてきた。
「……ラルゴ。先ほどまでの、メーテリアたちの治療計画や、アルフィアとのレベリングの話とは違ってな。……ここから先は、ファミリアが千年の歴史の中で、ただひたすらに追い続けてきた、絶対の目標そのものに関する問いだ」
マキシムは肘を突き、指を組んだ姿勢のまま、ラルゴの魂の形を鋭く射すくめる。
「テメェの宿した【不屈の福音】が、強力な魔法であることは分かった。……だがな、下界の誰もが絶望する神話の怪物――陸の王者ベヒーモス、海の覇王リヴァイアサン、そして人類の天敵たる『隻眼の黒竜』。
あのレベルの怪物の最大火力が直撃すれば、一発掠れば即死するそのペラペラな肉体で、テメェは本当に……俺たちを神速で治療して回る、最悪の泥仕合に挑む『覚悟』があるのか?」
レグナ様もまた、全世界の光を吸い込むかのような漆黒の覇気を静かに爆発させながら、冷酷に言葉を重ねた。
「ラルゴ。……世界の命運を賭けた、一歩間違えれば即全滅という薄氷の戦場の最前線へ、その神速の逃げ足だけを信じて飛び込む覚悟があるのか、ここで改めて聞かせてもらいましょうか」
世界最高峰のレベル8とレベル7のトップ二人から突きつけられた、ファミリアの長年の宿願そのものに関わる重厚な問い。
周囲のザルドさんやパールさん、メディアルナ副団長も、一切の口を挟むことなく、固唾を呑んで中央の少年の返答をじっと待っていた。
普通のLv.1のなりたて、ましてや前世がただの高校生オタクであった俺なら、この絶対的な格の重圧を受けただけで、恐怖のあまりに膝を突き、泡を吹いて気絶していてもおかしくない極限のシリアス局面。
――だけど。
俺は、臆病なビビり態度を完全に捨て去った。
そして、下界の頂点に座る化物幹部全員の圧を正面から真っ向から受け止めながら、その唇を、最高に不敵で傲慢な笑みへと釣り上げてみせたのだ。
「――ハッ。三大クエストに挑む覚悟、ですか。マキシム団長、レグナ様」
ラルゴは拳を強く握り締め、熱い、狂気すら孕んだ不敵な瞳で最高神たちの眷属を睨み据えた。
「俺がこの世界で求めている目的はね、最初から一つだけなんですよ。悲劇のまま終わる奴らを救い、最後は全員が笑って大団円を迎える、そんな『全員幸福(ハッピーエンド)』の物語を、俺自身のこの手でこじ開けることだ」
ラルゴの言葉から、軽薄さが完全に消え失せる。
「だからさ、俺にとってはね、ベヒーモスだろうが、リヴァイアサンだろうが、隻眼の黒竜だろうが関係ないんですよ。三大クエストそのものを軽視しているわけじゃない。……だけど、俺が求める最高のハッピーエンドという結末を達成する過程で、どうしても越えなきゃならないただの前座の一つに過ぎないんです。
安心してください。アンタたちが何度理不尽な一撃で瀕死にされようとも、俺のこの世界一の逃げ足で、戦場を駆け抜けて片っ端から神速で治療して回ってやりますから。――俺の目的を果たすついでに、その三大クエストとやら、完璧にクリアしてやりますよ!!」
攻撃力ゼロ、耐久ペラペラの少年ヒーラーが放った、あまりにも不遜で、あまりにも傲慢な『英雄譚』の宣言。
しかし、その言葉が響き渡った瞬間。
談話室に集った幹部たちは――誰も、笑わなかった。
マキシムも、サイラスさんも、レグナ様も、メディアルナさんも。
誰一人として、その子供の大言壮語を笑う者は存在しなかった。彼らの瞳の奥に灯ったのは、孤独に世界の絶望を背負い続けてきた彼らの胸の奥に、今、かつてないほどの激しい熱を帯びた、確かな喜びの光だった。
笑わなかったのは、彼らが目の前の少年を、ただの下っ端や子供としてではなく……自分たちと共に神話の先へと突き進む、新たなる対等な【戦友(なかま)】が現れたことを、魂の底から、激しく嬉しく思っていたからに他ならなかった。
――ピピッ、ピピッ。
ラルゴは翌朝、いつもより早く目を覚ました。昨日、談話室の最高に熱いシリアス局面で、三大クエストを目指す戦友(なかま)として化物先輩たちに認められた記憶が脳裏をよぎる。熱い、確かに展開としては大好物だ。
「だが、それはそれとして……今日から始まるアルフィアさんとのレベリングを考えると、最高に憂鬱なんですけどォォォォッッ!!!!」
ベッドの中で枕を抱えて絶叫する。あの常時殺意1000%のシスコン幼女(才能の怪物)とマンツーマン。一発掠れば即死するペラペラな肉体(常時耐久デバフ付き)を持つラルゴにとっては、一歩間違えればその場で打ち切りになるデッドラインだ。低耐久を補うため、ラルゴはハイポーションやマインドポーション、さらには支給された軽装の防具を念入りに、これでもかと限界まで準備した。
「ラルゴ。準備はできましたか」
部屋を出ると、廊下には我がゼウス・ファミリアの副団長、サイラスさんが書類を片手に待っていた。
「いいですか、昨日の言ったとおり、貴方の本質は戦闘にはありません。戦闘は絶対に避け、自身の耐久力の低さを決して過信しないことを、脳の髄まで叩き込んでおきなさい」
「分かってますって。僕の生存本能を舐めないでください」
「よろしい。……なお、今回はヘラ・ファミリアの第二級冒険者、シジョウ・クシナが、全体の『引率担当』として正式に同行することになりました」
「え? そのシジョウ・クシナって人、どういう人なんですか? 俺、まだ一度も会ったことないんですけど」
ラルゴが尋ねると、サイラスさんは白銀の髪を軽く揺らし、流麗な動作で解説を始めた。
「ええ。彼女は極東の出身のウェアウルフで、我がファミリアの脳筋どもや向こうの暴君たちと違い、礼節を重んじる非常に落ち着いた品格のある人物です。実力もLv.4の上位であり、前線の安全管理に関しては、これ以上ないほどに適任だと判断しました。あの化け物どもに比べれば、遥かに論理的な思考が通じる相手ですからね」
(お、おおお……! 侍のウルフお姉様、安全管理が期待できる聖人なのか! よかったぁぁ、これで明日のギルドの掲示板に僕の死亡記事が載る未来だけは回避できたわ!)
ラルゴは魂の底から安堵の胸を撫で下ろし、軽い足取りでホームの正面玄関へと向かった。
* * *
「――お待ちしておりました、ラルゴ殿」
ダンジョンへと続く中央広場の前。
日の光を浴びて待っていたのは、黒髪を揺らす狼人(ウェアウルフ)の少女、シジョウ・クシナだった。彼女はラルゴの姿を視認したコンマ数秒後、一糸乱れぬ完璧な極東の所作で、深々と頭を下げて一礼をキメた。
「本日の引率を務めさせていただきます、シジョウ・クシナにございます。ラルゴ殿のその宿した高位治癒の御業、そして我が家族であるアルフィア殿、メーテリア殿の治療の件、実に深く感じ入っております。本日はどうぞよろしくお願いいたします」
「あ、こちらこそ! ゼウス・ファミリアのラルゴです! クシナさん、よろしくお願いします!」
その徹底された礼儀正しさと「ラルゴ殿」という敬意に満ちた呼び方に、ラルゴの心は急速に凪のように落ち着いていった。やっぱりこの人は、この世界でも数少ない「言葉の通じる癒やし系聖人」に違いない。
「……五月蠅い、雑音」
だが、その日溜まりのような空気のすぐ真横から、この世のすべての光を吸い込むかのような絶対零度の冷徹な声が響いた。
見れば、小さな腕を組んで不快げにオッドアイをギラつかせているアルフィアが、これ以上ないほど愛想のない、冷淡な態度でラルゴをガン睨みしていた。昨日、精神浄化(聖人化バフ)が切れた瞬間に光速でツンツンシスコンモードへ初期化リセットされたらしい。
クシナは二人の間のただならぬ緊迫した関係性を察したものの、特に余計な口出しをすることはせず、フッと品格のある微笑みを浮かべた。
「では、時間も惜しい故、これより発ちましょう。今回の探索においては、このクシナが責任を持って、お二人の安全を完全に引率(保証)いたしますので、どうぞご安心ください」
「へいへい。じゃあ、お姉様、頼みますよ!」
こうして、三人によるレベリングの幕が上がった。
ダンジョン上層へと足を踏み入れると、クシナは歩調を合わせながら、今回の探索における明確な役割と行動方針について、美しい敬語のまま淡々と説明を始めた。
「本日の役割についてですが、基本方針として、私からは一切の指示も手出しもいたしません。お二人には、完全に『自由』に動いてもらう方針をとります」
「え? 何もしないんですか?」
「ええ。ただし、私の目から見て危険だと判断した極限状態に陥った場合に限り、即座に私の刀をもって介入いたします。基本的には、ラルゴ殿にはその神速の逃げ足による『索敵・逃走・回避』を、アルフィア殿には魔法による攻撃を主体に行動していただきます。私は、お二人の能力と、その連携の可能性を客観的に観察させてもらう立場にございます」
なるほど、実戦形式の能力テストというわけか。ラルゴが納得した、まさにその次の瞬間だった。
「――ギャァッ!」
通路の先の壁の割れ目から、ポロッと生まれたての一体のゴブリンが這い出てきた。
クシナは即座に腰の刀へと手をかけ、その身に静かな覇気をまとわせたが、自身の宣言どおり動くことはせず、まずは二人の初動を沈着冷静な瞳で観察した。
「……雑音は、今すぐ消え失せろ」
アルフィアが冷淡に言い放ち、その小さな掌をゴブリンへと向けた。
【福音(ゴスペル)】
ゴォォォォォォン……!!!
刹那、美しい『鐘』の音が迷宮に鳴り響いた。超短文詠唱でありながら、放たれた【サタナス・ヴェーリオン】の音の塊は、不可視かつ無色の衝撃波となってゴブリンを一撃で圧し潰し、木っ端微塵に爆散させた。目に映ることのない圧倒的な破壊力と長射程。余波だけで周囲の空気すら悲鳴を上げている。
「ひえぇぇぇぇッッ!!! 威力が初手の雑魚相手にフルスロットルすぎるだろォォォォッッ!!!!」
ラルゴはその狂った火力を目の当たりにし、出会い頭にこの幼女が自分に向けて掌を突き出してきたあの初対面の光景を脳内フラッシュバックさせ、全身の毛穴から冷や汗を流して戦慄した。あの時、レグナ様がバチィンと叩き落としてくれなかったら、俺の13年の短い人生は一瞬にして塵にされていた。
「――ギャァァオオッ!」
さらに悪いことに、今の爆音に引き寄せられたのか、通路の奥からさらに数体のゴブリンの群れが勢いよく飛び出してきた。ゴブリンたちは目を血走らせ、一斉にこちらのラルゴをターゲットに指定して襲いかかってくる。
(あ、ダメだ! こちらから攻撃した瞬間、【不戦不縛】の呪いデバフで能力が地の底まで急降下する! やっぱり戦っちゃダメだ!)
ラルゴは戦闘経験皆無の脳内算盤を光速で弾き、能動的な攻撃を放棄。ただ「生き残る(生存)」ことだけに意識し、世界一の逃げ足のタガを外した。
スキル【不戦不縛】および【神代逃走】が同時発動。
シュッ、とラルゴの細身の身体が通路の影から影へと光速の残像となって滑り込み、ゴブリンたちの凶刃をミリ単位の最小限の挙動で紙一重で完全に回避してみせた。逃走を前提としたその瞬間、身体のすべての細胞が活性化され、物理法則を無視した超速度が火を噴く。