英雄を救う最弱の英雄   作:イッチニッチ

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第4話

世界最古、かつ世界最強のクランの主神が、十三歳の少年に全力で縋りつくという前代未聞の情けない光景。

それを見届け、勝利の拳を天高く突き上げたラルゴだったが――次の瞬間、ゼウスとラルゴの二人は、まるで事前に何度もリハーサルを重ねていたかのように、ぴたりと同時に動きを止めた。

 

一秒、二秒。不自然な静寂が食堂を包む。

 

直後、ラルゴは突き上げていた拳をスッと滑らかに下ろすと、何事もなかったかのように衣服の乱れを直し、実に見事な模範的姿勢で居住まいを正した。

一方のゼウスも、つい先ほどまで地べたを這いつくばってガタガタと震えていた神とは思えないスムーズな動作で、膝についた埃をパパパ、と厳かに払いながら立ち上がった。

 

「――コホン。いやはや、実に有意義な意見交換であったな、ラルゴ少年」

 

「ええ、ゼウス様。オラリオの頂点に立つ主神の深遠なるお言葉、この胸に深く刻まれました」

 

つい数秒前まで「ヘラ様にチクるぞ」「頼むからそれだけは勘弁してくれ」とドブ川の底のような泥仕合を展開していた二人である。それが、まるで最初から高度な哲学対話でもしていたかのような、涼しい顔で世間話を始めやがった。

ラルゴは完璧なビジネススマイルを浮かべ、改めてゼウスに向かって一礼する。

 

「改めまして、自己紹介を。私の名前はラルゴ。本日オラリオに着いたばかりの若輩者ですが、こちらの『ゼウス・ファミリア』へ入団いたしたく、馳せ参じました。至らぬ点も多いかと存じますが、どうぞよろしくお願いいたします」

 

「うむうむ。お主のような志の高い若者が我がファミリアの門を叩いてくれるとは、神としてこれ以上の喜びはないて。よし、具体的な内容や背中の『恩恵(ファルナ)』の儀式については、ここでは何じゃ。別室へ移動して、さらに詳しく話そうではないか」

 

「御意に。ご案内、感謝いたします」

 

背筋をピンと伸ばし、聖歌隊の少年のような清らかなオーラを放つラルゴ。

白髭を蓄え、世界の行く末を見据える絶対神の威厳をこれでもかと発散しながら歩き出すゼウス。

二人は息の合った神速のチームワークで、そのまま食堂の出口へと向かって優雅に歩みを進めていく。

その見事すぎる手のひら返し、そしてあまりにも白々しいカメレオン並みの変貌ぶりに、ずっと問答を見守っていた食堂の第一級冒険者(怪物たち)のツッコミが一斉に炸裂した。

 

「待て待て待て!! お前ら、どの面下げて『有意義な意見交換』とか言ってんだよ!?」

 

「ただのドスケベな内緒話と、それを利用したえげつない脅迫現場だったろーが!!」

 

「切り替えの早さが恐怖レベルなんだが!? なんだあのガキ、本当に十三歳か!?」

 

「主神も主神だ! 膝の埃を払えばノーカウントになると思うなよ! あんなに見事に屈服しやがって!!」

 

世界最高峰の怪物たちが一斉にガヤガヤと吠える中、ラルゴとゼウスは完全に耳をシャットアウトし、涼しげな顔のまま仲良く別室へと消えていくのだった。

 

食堂の喧騒から切り離された、主神の私室。

 

 そこは、先ほどまでのふざけた空気は微塵も存在しない、重苦しい静寂が満ちていた。

 ゼウスは豪奢な椅子に腰掛け、白髭を撫でながら、机を挟んで立つラルゴをじっと見据えている。その目は、先ほど泣きついていたエロジジイのそれではない。幾星霜の時を生き、世界の興亡を見つめてきた『天界の絶対王』としての冷徹な眼光だった。

 

「さて、ラルゴ少年。改めて……真面目な面接(はなし)をしようではないか」

 

ゼウスの低い声が室内に響く。彼は肘を突き、指を組んでラルゴを真っ直ぐに見つめた。

 

「お主、何をしに我がファミリアへ来た? ――いや、何をしにこの迷宮都市オラリオへ来たのじゃ?」

 

 その問いに、ラルゴは一瞬、前世の漫画のセリフでも使って適当にはぐらかそうとした。

 

 ――だが、できなかった。

 

(なんだ、これ……っ!?)

 

 背筋に、冷たい刃を突きつけられたかのような凄まじい悪寒が走る。

 今まで生きてきて、感じたこともないような圧倒的な『圧』。ファルナを持たない一人の人間に過ぎないラルゴの肉体が、恐怖で本能的に強張る。神威を解放しているわけではない。ただ、神としての格、その身に刻まれた千年の重みが、部屋の酸素すら希薄にしているかのようだった。

 はぐらかす言葉は喉の奥に消え去り、ラルゴは冷や汗を流しながら、ごくりと喉を鳴らした。この神を相手に、小細工は通じない。

 ラルゴは深く息を吸い、ただ、自身の胸の奥にある本心を言葉にした。

 

「……物語の、最前列が見たかったんです」

 

「物語の、最前列?」

 

「ああ。この世界の中心(オラリオ)なら、いつか必ず『英雄』が生まれる。世界の命運を賭けて戦う、壮大な神話が始まるはずだ。俺は、それを誰よりも近い、特等席で見届けたい。そのために、世界最強のアンタのところに来たんだ」

 

 チート能力もない、知識もない転生者が抱いた、ただの傲慢なオタクのファン心理。

 ラルゴがそう告げると、ゼウスは静かに目を細めた。しかし、その厳格な雰囲気を一切崩さないまま、低く、重い声でそれを否定した。

「……否、じゃな」

 

「――っ、俺が嘘をついているとでも?」

 

「いいや、お主の言葉に嘘偽りはない。儂を前にして、よくぞそこまでの本心を語った」

 

 ゼウスは椅子の背もたれに体を預け、鋭い眼光のまま続けた。

 

「だがな、少年。お主は『すべて』を語ってはいない。核心を、一番奥にあるドロドロとしたエゴを、まだ隠しておる」

 

「なぜ、そう言い切れる?」

 

「目じゃよ。ただ物語を特等席で『見る』だけで満足するような奴は、そんな不敵な、世界を睨みつけるような目をせん。お主の瞳の奥にあるものは、単なる観客のそれではない」

 

「…………」

 

 ラルゴは、全身の毛穴が総毛立つような衝撃を覚えた。

 

 (ああ、なるほど……。この爺さん、普段はただの最低最悪な変態クソジジイだけど……やっぱり、この世界の『神』なんだな)

 

 この時、ラルゴは生まれて初めて、目の前にいる存在が文字通りの絶対神であることを魂の底から認識させられていた。

 隠し事は、もう通用しない。

 ラルゴはフゥ、と大きく息を吐き出すと、これまでの不敵な笑みを完全に捨て去った。そして、改めて背筋をピンと伸ばし、姿勢を正して、自身の魂の底にある「本当の願い」を語り始めた。

 

「……そうだよ。ただ見るだけじゃ、満足できない」

 

 ラルゴの声から、軽薄さが消える。

 

「俺はさ、むかし(前世)からずっと思ってたんだ。ご都合主義のハッピーエンドが見たいってな」

 

「ご都合主義の、ハッピーエンド?」

 

「ああ。自分の命を捨てて、引き換えに目的を果たして死んでいく奴なんて見たくない。命懸けの復讐を終えた後に、虚しく息絶える奴なんて見たくない。宿敵と相打ちになって、後に残された仲間たちが泣く姿なんて見たくない。……そんな、悲劇のまま終わる奴らを、俺は見たくないんだ。そんな悲しい物語は、もうたくさんなんだよ」

 

 ラルゴの言葉に、ゼウスは微動だにせず耳を傾けている。ラルゴは拳を強く握り締め、熱い、狂気すら孕んだ目で神を射抜いた。

 

「だったら、変えてやる。その結末を、他でもない俺自身のこの手でな。物語の展開としてつまらない? 刺激が足りない? 大いに結構。ご都合主義、万歳だ。俺は、この世界という物語に登場する奴ら全員が、最後は笑って大団円を迎える、そんな『全員幸福(ハッピーエンド)』の物語にしてみせる」

 

 それが、チート能力も持たずにこの修羅の国へ飛び込んできた、一人のオタク転生者の、あまりにも不遜で、あまりにも傲慢な『英雄譚(アバンチュール)』の全貌だった。

 

「……全員が幸せになる、物語、か」

 ゼウスは、しばらくの間沈黙していた。

 やがて、その白髭の隙間から、ククク、と低い笑い声が漏れ出す。それは次第に大きくなり、最終的には先ほどの食堂の時と同じような、豪快な爆笑へと変わっていった。

 

「ガハハハハ! ハッピーエンド、全員幸福じゃと!? 面白い、実に見事な大馬鹿野郎じゃ! 神の作った神話の殻を破り、悲劇の運命すらへし折ると宣うか!」

 

 ゼウスは立ち上がると、その圧倒的な覇気を一瞬で霧散させ、いつもの能天気な好々爺の笑顔に戻った。

 

「気に入った! 実に儂の子供にふさわしい、傲岸不遜な器じゃ! よし、お主のその大言壮語、特等席で儂が見届けてやろう! ――おい、ラルゴ。さっそく服を脱いで背中を向けい! お主の背中に、そのハッピーエンドをこじ開けるための『神の恩恵(ファルナ)』を刻んでやるわい!」

 

「……へいへい。最初からそう言ってくださいよ、ゼウスの爺さん」

 

 ラルゴは呆れたように息を吐きながら、自身のジャケットに手をかけるのだった。

 

 ゼウスの私室。ラルゴは上半身裸になり、ベッドにうつ伏せになっていた。

 その背中に、主神ゼウスが自身の指先を這わせる。神の血が少年の肌に触れた瞬間、まばゆい光とともに、複雑な神聖文字(ヒエログリフ)がその背中に刻み込まれていった。ラルゴの魂の歴史、前世からの積み重ね、そして先ほど語った「不遜なる願い」が、神の恩恵(ファルナ)という形で数値化されていく。

 

「ふむ……。よし、完成じゃ。羊皮紙に写してやるから、自分で見てみるがよい」

 

 ゼウスはサラサラと羊皮紙にステイタスを書き写すと、それをラルゴへと手渡した。

 

 ラルゴが受け取った紙に記載されていた初期ステイタスは、以下の通りだった。

 

ラルゴ(13歳)

Lv.1

• 筋力:I 0

• 耐久:I 0

• 敏捷:I 0

• 魔力:I 0

【魔法】

•【】

•【】

 

【スキル】

【 神代逃走(レグルス・フライト)】

• 『敏捷』ステータスの限界解除。

• 常時『敏捷』ステータスに超高補正。

• 『敏捷』ステータスの成長補正。

• 常時『耐久』ステータスの低下。

 

【不戦不縛(トリカブト・ルーツ)】

• 逃走時、全能力に超高補正。

• 逃走時、発展アビリティ『逃走』『隠密』『回避』を一時的に発現、および効果を補正。

• 攻撃行動時、全能力に超低下。

 

 ラルゴがじっと紙を見つめていると、ゼウスはそっとその肩に手を置き、聖母のような慈悲に満ち満ちた眼差しでこう囁いた。

 

「……ドンマイじゃ、ラルゴ。強く生きるんじゃぞ」

 

 その声は心底哀れみに満ちていた。無理もない。初期ステイタスの数値がオール0なのはLv.1のなりたてなので当然だが、問題はスキルの内容だ。

 二つもあるスキルが、どちらも「全力で戦線から逃げること」にしか特化していない。しかも、ただでさえペラペラなLv.1の『耐久』が常時デバフで削られ、いざ敵に攻撃しようとすると全能力が超低下する。要するに、「一発でも掠ったら即死する、攻撃力ゼロの超俊足ペラペラ男」という、前世のクソゲーでも類を見ない極端すぎる死に覚え構成(ビルド)だったのだ。

 ゼウスは、ラルゴがショックのあまり硬直しているのだと思い、「さすがに最初のファルナでここまで尖った呪いのようなスキルが出たら、十三歳のガキには刺激が強すぎたか……?」と少し弄りすぎたことを反省し始めた。

 しかし、ラルゴの反応はゼウスの予想とは完全に違っていた。ラルゴは至って淡々とした表情のまま、首を傾げて羊皮紙を指差した。

 

「あの、ゼウスの爺さん。質問なんだけど」

 

「ん? あ、ああ、何じゃ? 辛いなら泣いてもいいんじゃぞ?」

 

「いや、泣かないけど。この『発展アビリティ』って何? あと、全体的にこのステイタスの見方がよく分かんないんだけど」

 

「…………え?」

 

 ゼウスは拍子抜けしたように目を見開いた。

 そう、ラルゴには原作知識が一切ない。そのため、このスキルがどれほど異常で、どれほど世界の常識を置き去りにしたイカれたものなのかが、文字通り「全くピンときていない」のである。ただ、「逃げるのが得意なスキルなんだな」くらいの、小学生並みの感想しか抱いていなかった。

 神としての哀れみの情を完全に無駄にされたゼウスは、ガクッと肩を落とし、心底呆れ果てたような、いつもの能天気なクソジジイの顔に戻ってため息をついた。

 

「はぁー……お主、本当に肝が据わっておるというか、ただの無知というか……。いいじゃろう。ステイタスの見方やオラリオの基礎知識については、我がファミリアが誇る書庫で一から勉強してくるがよい」

 

「書庫? どこにあるの?」

 

「一階の奥じゃ。不壊の属性(デュランダル)が付与された、オリハルコン製の『不壊の金庫室』の隣にある。ヘラ・ファミリアの襲撃で本拠地が更地になっても、あの区画だけは絶対に無傷で焼け残る仕組みになっておるからな。安心して引きこもるがよいわい」

 

「なるほど、災害シェルターの隣ね。最高の立地じゃん」

 

 ラルゴは服を着直すと、羊皮紙をポケットに押し込み、「じゃ、ちょっと勉強してきます」と軽い足取りで部屋を出て行った。

 残されたゼウスは、少年の去った扉を見つめながら、ニヤリと不敵に口元を歪める。

 

「神代逃走、に、不戦不縛、じゃと……? ククク、悲劇の物語をへし折る男の足が、世界で一番早いというのは……神の悪戯にしては、些か出来すぎとるのぅ、ラルゴよ」

 

 こうして、攻撃力ゼロ・逃走力無限の、オラリオ最速のモブ(予定)が誕生した。ラルゴは、数日後に自分がこのスキルを引っ提げて「ヘラ・ファミリアからの逃走劇」という地獄の初陣に強制参加させられることなど、まだ知る由もなかった。

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