世界最高峰の魔導剣士であるサイラスさんからの、まさかの共同研究のスカウト。
生存確率を上げるための魔法を探しにきたはずが、気がつけば世界最強のファミリアのナンバーツーと極秘プロジェクトを立ち上げる形になっていた。
私は驚きつつも、自頭の良いオタク脳を高速回転させ、この状況における唯一の「現実的な懸念」を口にした。
「……まぁ、俺としても魔法を覚える最高のチャンスですし、協力すること自体は別に構わないんですけど。一ついいですか?」
「何ですか?」
「副団長であるサイラスさんが、ついさっき入ってきたばかりの、ファルナを刻んだばかりの最下層の下っ端と、部屋に引きこもって親密に研究なんてしてて……周囲の団員から不満が出たり、組織の規律的に問題になったりしません?」
我ながら、極めて常識的で組織の秩序を重んじた、完璧な部下としての配慮だった。現代日本の上下関係を舐めてもらっては困る。
だが、私の言葉を聞いた瞬間、サイラスさんはスッと顔から全ての感情を消し去った。
そして、深淵の底を覗き込むような、完全に光の消えた死んだ目で私をじっと見つめ、低く、乾いた声音でこう言い放った。
「……ラルゴ。逆に聞きますが、我がゼウス・ファミリアに、そんな細かい規律や派閥のバランスを気にするような、まともな脳みそを持った人間が一人でもいると思いますか?」
「…………あ」
「我がホーム(ここ)に所属しているのは、揃いも揃って実力だけが世界の頂点に達してしまった問題児の怪物どもです。身内への情だけは異常に深いですが、それ以外は基本的に『楽しければいい』『肉が美味ければいい』『強ければいい』の精神で生きています。規律? 派閥? そんな高尚な概念、あの脳筋どもが知っているはずがありません」
溜まりに溜まった中間管理職の愚痴、第二弾である。白銀のハイエルフの美しい顔に、隠しきれない疲労の影がドロリと差していた。
「一応、理性的な人間も、我がファミリアには極僅かに存在はします。ですが……悲しいかな、そんな彼らも結局のところは感覚で全てをこなしてしまう『脳筋の天才肌』なのです。つまり、私が苦労して論理化を進めずとも、あやつらは最初から貴方が見ていたあの『直感でドカンとやれ』という不親切極まりない入門書だけで、何の問題もなく魔法を習得できてしまうのですよ」
サイラスさんは力なく天を仰ぎ、はぁ……と本日一番の深い、そして重いため息をついた。
「私のこの論理的な魔導の研究は、あの化け物どもには一ミリの価値もない、完全な孤独な戦いだったのです。そこへ、文字の壁にぶつかりながらも、理論の欠落を正確に見抜いた貴方が現れた。……組織の目など、どうでもいいのです。私には、私の言葉(ロジック)を理解できる『知性派の同志』が、今すぐに必要なのですよ!」
「あ、はい……。なんか、すみません。そこまで孤独な戦いを強いていたとは思いませんでした……」
世界最強のファミリアの華々しい内情の裏にある、あまりにも孤独で不条理な「頭脳派の限界」。
私はその圧倒的な哀愁に心底同情し、ガシッとサイラスさんの手を握り返した。
「分かりました、サイラスさん。このラルゴ、アンタの孤独な戦いに最後まで付き合いますよ。」
「ふふ、頼もしいですね。では、さっそく始めましょうか。――まずは、『暗号』の解読とエルフ語を徹底的に叩き込んで差し上げます」
こうして、世界最強のホームの片隅、オリハルコンに囲まれた絶対に壊れない部屋の中で、オラリオ史上最も知性的(?)で、最も過酷な、エルフ語の暗号解読レッスンが幕を開けるのだった。
――。
――いや、待てよ?
サイラスさんが笑顔で並べ始めた、エルフ語の流麗な文字の羅列を前に、私はふと我に返った。
そして、自分の持つ極めて合理的な『地頭の良さ』が、この状況における最大級の矛盾と突っ込みどころを瞬時に弾き出した。
「……あの、サイラスさん。ちょっと疑問というか、もの凄く根本的なことを聞いていいですか?」
「何ですか、ラルゴ。すでに集中力が切れましたか?」
ペンを片手に、早くも授業をサボるのかとばかりに美しい眉を寄せるサイラスさん。私はそんな白銀の副団長に向けて、すっと人差し指を突きつけ、最も純粋な疑問を投げかけた。
「俺、これからサイラスさんの講義を受けながら、その本の『エルフ語を元にした暗号』を解こうとしてるわけじゃないですか」
「ええ、それが共同研究の第一歩ですからね」
「だったら、なんで俺、サイラスさんから直接内容を聞かないで、わざわざ暗号を解く遠回りをしてるんですか?」
「…………」
「本の著者が目の前にいて、しかもマンツーマンで教えてくれるなら、暗号の解読なんてすっ飛ばして『ここに書いてあるのはこういう理論だよ』って口頭で直接教えてもらった方が一億倍早くないですか?」
そう。私は暗号を解きにきた解読班ではない。生存確率を上げるために、今すぐ魔法の知識が欲しいだけの入団初日の下っ端だ。著者が目の前にいるのに、なぜわざわざ自分で解読するような回りくどい真似をさせられているのか。
私のあまりにも正論すぎる指摘に、サイラスさんは完璧にフリーズした。
白銀のハイエルフは、手に持っていたペンを握ったままピキピキと固まり、その綺麗な顔をみるみるうちに真っ赤に染めていく。
「それは……その、あれです」
「どれですか」
「魔導とは、自ら謎を紐解くプロセスにこそ価値があり、一から十まで答えを与えられては貴方の成長の糧に……!」
「嘘ですね。ただ単に、自分が趣味で構築した渾身の暗号を、誰かに解かせたくてウズウズしてただけですよね?」
私がジト目で核心を突くと、サイラスさんはついに視線を斜め上へと激しく逸らした。
普段は完璧な品格で怪物どもを統べる絶対の副団長様だったが、その本質は、自分の作った最高難度のクイズを誰かに自慢したくてたまらない、ちょっと面倒くさいタイプの『お茶目な魔導オタク』だったのだ。
「……うるさいですね。いいから黙って文字を覚えなさい。解読できたら魔法のコツを教えてあげますから!」
「へいへい。やっぱりそういうお約束(ポんコツ)ですか、サイラスの旦那」
ツンとなってペンで机をコンコンと叩くサイラスさんに、私は苦笑しながら羊皮紙に向き直った。
ご都合主義のハッピーエンドへの道は、どうやら世界最強クランのナンバーツーの「寂しがりなオタク趣味」に付き合うところから始まるらしい。私は前世の記憶と達者な口を一旦休め、今度こそ本気で、白銀の暗号へと挑み始めるのだった。
白銀の副団長の「寂しがりなオタク趣味(暗号解読)」に付き合う形で始まったエルフ語講義だったが、地頭だけは無駄に良い私の集中力と、サイラスさんの(教え魔的な意味での)熱心な指導が噛み合い、授業が始まってから数時間が一瞬で過ぎ去っていた。
「――よし、ここまで。一旦休憩にしましょう。慣れない文字を詰め込みすぎては脳の精神が摩耗しますからね」
「あー……助かった。さすがに目がチカチカしてきたわ」
私はオリハルコンの机に背中を預け、大きく伸びをした。
数時間、ぶっ続けで異世界の高等言語と暗号の基礎を叩き込まれたのだ。前世の高校受験でもここまで集中したことはない。しかし、サイラスさんはお茶を淹れるために立ち上がると、思い出したように懐から一冊の「妙に豪奢な装丁の薄い本」を取り出し、私の目の前にコトリと置いた。
「休憩がてら、貴方にこれを差し上げます。解読作業のモチベーション維持にもなるでしょう」
「ん? 何ですかこれ……って、うわぁ」
差し出された本の表紙に書かれたタイトルを一瞥した瞬間、私は盛大に顔をしかめた。
そこには、人間の共通語でこうデカデカと刻まれていたからだ。
『終焉のクロニクル:果てなき世界への反逆者が行きつく魔法の極意』
「サイラスさん……これ、タイトルが中二病全開っていうか、直視するとこっちの精神力が削られるレベルの地雷臭がプンプンするんですけど」
「ちゅ、ちゅうにびょう……? よく分かりませんが、それは『魔導書(グリモア)』ですよ」
サイラスさんは怪訝そうに首を傾げた後、品格溢れる動作で紅茶を注ぎながら説明を続けた。
「読むだけで、その者の器に応じた魔法を一定確率で強制発現させるという、下界の魔導の至宝です。もっとも、作る工程が非常に面倒なだけで、世間で騒がれているほどそこまで高価なものではありませんがね。貴方にあげますよ」
魔力を感じないと、これから進める私の魔導論の講義を真に理解することは難しい。そう語るサイラスさんに、私はある一つの疑問を投げかけた。
「……ねぇ、サイラスさん。もしかしてこれ、サイラスさんが作ったものですか?」
「ええ、そうですが、何か?」
「やっぱり」
肯定の返事を聞いた瞬間、私は目の前の完璧で気品溢れるハイエルフの副団長を、「重度の中二病発病者(黒歴史ノート量産型)」だと心の中で完全に断定した。
エルフの気高さという仮面を被っているが、この美しい男の本質は、前世の十四歳あたりの男子がノートの裏に書き殴るような邪王真眼を開眼させる方法を魔導書として大真面目に具現化してしまうタイプの極烈なイタい奴だ。
そんな私の戦慄を他所に、サイラスさんはお茶のカップを差し出しながら、涼しい顔で爆弾を重ねる。
「気にする必要はありません。私の手元にはあと十冊ほどありますから」
「多っ! 黒歴史ノートのストックを量産すんな!」
「それに」と、サイラスさんは死んだ目で紅茶を一口すすると、実に淡々と、端的に付け加えた。
「ダンジョンに三日間ほど籠れば普通に買える(作れる)金額ですからね」
「あ、なんだ。三日籠れば手に入る程度なら、そこまで大した額でもないか。じゃあ遠慮なく貰っときますわ」
「…………」
私の極めて気楽な返答を聞いた瞬間、サイラスさんは表情を一切変えることなく、優雅に紅茶のカップを口元へと運んだ。その美しい唇の端が、計画通りだと言わんばかりに、かすかに満足げに釣り上がっているのを私は見逃さなかった。
そう、この白銀の切れ者は、私がオラリオの金銭感覚を未だに一ミリも分かっていないことを見抜き、わざと値段を過小評価して勘違いするように仕向けたのだ。
「世界最強のファミリアがダンジョンに三日間籠った際の総稼ぎ」が、一般の冒険者の一生を余裕で買い占められるほどの狂った巨万の富であることをあえて伏せ、入団初日の下っ端に余計な気枷(負い目)を感じさせずに受け取らせるための、彼なりの極めてクレバーで、かつ少々意地の悪い優しさだった。
まんまとソシャゲの「三日間イベント走れば手に入る配布報酬」くらいの感覚で捉えてホッとしている私を見て、サイラスさんは小さくため息をついた。
「……分かったならお茶を飲み終えたらさっそく開きなさい。貴方のその歪なステイタスから、一体どんな『逃げるためだけの魔法』が飛び出すのか……私としても、非常に興味がありますからね」
「へいへい。じゃあ、ありがたく魔法ガチャ、引かせてもらいますよ!」
魔導書の表紙に手をかけ――。
ハタ、とそこで手を止めた。
地頭だけは妙に冴える私の脳内センサーが、サイラスさんが今しがた口にした、あまりにも自然な「一言」に対して猛烈なアラートを発信したのだ。
「……ちょっと待って。サイラスさん」
「何ですか、早く開きなさい」
「今、さらっと『貴方のその歪なステイタスから、一体どんな逃げるためだけの魔法が飛び出すのか』って言いましたよね?」
私は魔導書を押さえたまま、鋭い目つきで白銀の副団長を睨みつけた。
「俺、自分のスキルが『逃走特化の歪な構成』だってこと、サイラスさんには一言も話してないんですけど。アンタ、いつ俺のステイタス見たんですか?」
初対面の時、彼は私を泥棒と断定して剣を向け、その後に新入りだと納得したはずだ。あの短時間で私の背中(ヒエログリフ)を盗み見る余裕などなかったはずだし、この男が他人のファルナを無断で覗き見るような真似をするとは思えない。
私の至極まっとうな指摘に対し、サイラスさんはお茶のカップをソーサーに戻すと、相変わらず非の打ち所がない完璧なポーカーフェイスのまま、淡々と答えた。
「ゼウス様から聞きました」
「ジジイかよ!!」
「ええ。先ほどマキシムに柱へ括り付けられ、髭を毟られている最中の主神が、『サイラス助けてくれぇ! ちなみに今日入った奴は耐久デバフ付きの超俊足ペラペラ男でスキルが二つとも逃走特化の超面白い呪いビルドじゃから早くグリモアをあげてどんな魔法が出るか見せてくれぇぇ!』と、涙目で一気に白状していきました」
「あのクソジジイが!!新入りの個人情報をエンタメ感覚で流出させてんじゃねぇよ!!」
全能神のあまりの安っぽさと機密保持能力の低さに、私は部屋のオリハルコンの壁を殴りつけたい衝動に駆られた。あの爺さん、シリアスな面接の時はあんなに格好良かったのに、やっぱり中身はただの最低な変態クソジジイだ。
「……まぁ、そういうわけですから。貴方の背中の事情は我がファミリアの幹部陣には筒抜けです。安心(諦め)して、その魔導書を開きなさい」
「安心できる要素がどこにもねぇよ……!」
私は副団長の中二病センスと主神の軽薄さに盛大な頭痛を覚えつつも、ついに覚悟を決めて、地雷臭のする魔導書の表紙をゆっくりと押し開くのだった。