ナマエの父がそう告げたことで、蘭は初めて、暴力も名前も使えない場所に立つことになる。
相手は、ナマエを守る父親。
そして蘭は、報告書の中ではただの“危険な男”だった。
逃げずに向き合った先で、蘭が口にしたのは、まだナマエ本人には伝えていない気持ち。
やっと繋ぎ直した二人の時間は、次の知らせによって再び揺らぎ始める。
I.報告書の外で
「彼に会う」
と父が言ったのは、数日が過ぎた夕食後のことだった。
予想していなかった言葉だった。
ナマエは一瞬、意味を取れなかった。
「……彼って」
分かっているのに、聞き返してしまう。
父はナマエをまっすぐ見た。
「灰谷蘭くんだ」
母も手を止め、驚いたように父を見る。
「会って、どうするの」
声が少し震えた。
父は落ち着いた声で答えた。
「話をする」
「認めてくれるってこと?」
「違う」
即答だった。
あまりに早い否定に、胸が少し沈む。
「会ったからといって、君たちの関係を認めるわけではない。アメリカ行きの判断を撤回するわけでもない」
「じゃあ、どうして」
「君が言ったからだ」
父はナマエの目を見た。
「報告書だけで彼を見ないでほしい。君はそう言った。だから、一度だけ会う。こちらの目で見る」
望んでいたことだった。
報告書の中の灰谷蘭ではなく、自分が知っている蘭を見てほしい。
怖くて、不器用で、逃げるくせに、今は逃げないようにしている蘭を。
自分の立場をこれ以上悪くしないために、学校にも家にも来ないでいてくれる蘭を。
けれど、実際にその機会が来ると、嬉しさより先に恐怖が来た。
父は何を聞くのか。
蘭は何を言うのか。
あの二人が向かい合った時、何が起こるのか。
ナマエには、うまく想像できなかった。
「場所はこちらで指定する。公共の場所だ。時間は一時間以内。君は同席しない」
「私、いないの?」
「いない方がいい」
父の声は揺れなかった。
「君がいれば、彼も君も、互いを庇う。こちらが聞きたいことを聞けない」
「でも……」
「これは君たちの会話ではない。親として、彼に聞くべきことがある」
父は一方的に排除しようとしているわけではない。
ただ、自分の目で見て、聞いて、判断しようとしている。
それは父らしいと思った。
同時に、だからこそ怖かった。
「彼に伝えなさい。これは許可ではない。面談だと」
ーー面談。
その言葉は冷たく響いた。
けれど、その冷たさの中に、父なりの譲歩があることも、ナマエには分かった。
「……分かった」
そう答えるだけで、精一杯だった。
部屋に戻ると、手が震えていた。
ナマエは何度も文章を打っては消した。
どう書けば蘭を追い詰めずに済むのか分からなかった。
それでも、黙っているわけにはいかない。
『父が、蘭さんに会うと言っています』
返事は来なかった。
一分、二分。
画面を見つめる時間が、異様に長く感じられた。
父に会うなんて、蘭が一番苦手なことではないか。
暴力も、灰谷の名前も、六本木の空気も使えない。
言葉だけで向き合わなければならない場所だ。
やがて、返事が来た。
『父親が?』
『はい。一度だけ会って話したいって』
ナマエは続けて、許可ではないこと、アメリカ行きが撤回されるわけではないこと、自分は同席しないことを伝えた、
少し間が空いたあと、蘭から短く返ってきた。
『まともだね』
『......蘭さんは、会いますか』
返事はすぐには来なかった。
ナマエは待った。
やがて、画面に文字が出た。
『会う』
続けて、もう一通。
『逃げないって言ったでしょ』
その瞬間、目の奥が熱くなった。
蘭が会う。
父に。
『ありがとう』
『礼言うなって』
『でも、ありがとう』
少しして、蘭から返る。
『怖い?』
ナマエは迷わず、正直に返した。
『怖いです。蘭さんが傷つくのも怖いし、父が何を言うのかも怖いです。でも、会ってくれることは嬉しいです』
蘭からの返事は少し遅かった。
『俺も怖い』
ナマエは画面を見たまま固まった。
蘭が、自分から怖いと言った。
『でも行く』
その文字を見た瞬間、涙を止められなくなった。
II. 言わなきゃ伝わらない
その夜、蘭は竜胆に話した。
「ナマエの父親に会うことになった」
竜胆の表情が止まる。
「……マジ?」
「マジ」
「兄貴、一人で行くの?」
「当たり前でしょ」
「大丈夫?」
「大丈夫じゃねえよ」
蘭はいつものように笑おうとした。
軽く流して、何でもない顔をしようとしたけれど、うまくいかなかった。
「何言えばいいのか分かんねえ」
それが本音だった。
ナマエには、少しずつ言葉を出せるようになってきた。
怖い。
行ってほしくない。
待ってる。
見てて。
どれも不格好で、短くて、情けない言葉だったけれど、それでもナマエには届いた。
でも、父親には違う。
「あなたの娘を大事にしています」と言えば軽すぎる。
「危ない場所にはもう連れていきません」と言えば、嘘になるかもしれない。
「アメリカに行かせないでください」と言うには、何の権利があるのか分からない。
自分は、何を言える立場なのか。
蘭はソファの背にもたれ、天井を見た。
「報告書に書いてある俺って、たぶん間違ってないんだよな。六本木、灰谷兄弟、天竺、不良、暴力、学校行ってない。親から見たらそんなのと娘つきあわせないでしょ」
竜胆は否定しなかった。
「でも、ナマエが俺との時間まで悪いものにしたくないって言った。俺が逃げたら、たぶんそこまで全部駄目になる」
報告書の中の灰谷蘭だけが残る。
危険な男。
未成年の娘を引き込んだ不良。
親と会うことから逃げた男。
それでは、ナマエが守ろうとしたものが全部崩れる。
「だから行く。でも、どうすればいいか分かんねえ」
竜胆は少し考えたあと、静かに言った。
「嘘つかなきゃいいんじゃない」
「嘘?」
「うん。いい人ぶらない。安全ですって言い切らない。軽く反省してますって言わない。今の兄貴が言えることを、逃げずに言えばいいよ」
蘭は黙った。
「それに、言わなきゃ伝わらないよ」
言わなきゃ伝わらない。
当たり前のことだった。
でも、蘭にとっては難しいことだった。
今まで、言葉で伝える必要なんてなかった。
力で分からせる。
態度で支配する。
笑って誤魔化す。
離れる時は何も言わない。
それで済ませてきた。
でも、今は済まない。
ナマエの父親には、何も通じない。
通じるとすれば、言葉だけだ。
竜胆は、さらに言った。
「ナマエちゃんを好きですって、言うの?」
蘭は動きを止めた。
「……は?」
「親父さんからしたら、兄貴がナマエちゃんをどう思ってるのか、一番聞きたいんじゃないの」
蘭は言葉に詰まった。
大事だ。
離れたくない。
行ってほしくない。
守りたい。
壊したくない。
でも、欲しい。
その全部を、好きという言葉にまとめるのだろうか。
その言葉を口にした瞬間、本当に失えなくなる気がする。
「無理」
「じゃあ、今は無理って言えば。変に薄っぺらく“好きです”って言うよりはマシじゃない?」
ナマエにもまだ、はっきり好きだとは言っていない。
けれど、その言葉だけは、もう喉の奥まで来ている。
「全部、完璧に言わなくていいんじゃない。今の兄貴が言えることを、逃げずに言えばいいよ」
蘭はしばらく黙ったあと、小さく息を吐いた。
「むず」
「恋ってむずいね」
「うるせえ」
翌朝、ナマエが携帯を取り戻すと、蘭からメッセージが来ていた。
『親父さんに会うの、いつでもいいって伝えて』
ナマエは画面を見つめた。
蘭が、本当に逃げない。
『無理していませんか』
少しして、返事が来た。
『してる』
蘭が、また正直に言った。
『でも逃げるよりマシ』
ナマエは泣きそうになった。
その日、ナマエが父へ伝えると、父は短く「そうか」と言い、手帳を開いた。
「土曜日の午後一時。駅前のホテルラウンジにする」
「ホテル?」
「人目があり、静かに話せる。学校や自宅の近くは避ける。君は来ない。その時間、君は家にいなさい」
蘭にとっては大きな覚悟でも、父にとっては、まず予定を調整する一件なのだ。
二人のいる場所が、あまりにも違うのだと思った。
「彼に伝えなさい。服装は常識的なものにすること。時間厳守。一人で来ること」
部屋に戻ってそれを送ると、蘭からすぐに返事が来た。
『了解』
それから、もう一通。
『常識的な服って何』
ナマエは思わず笑ってしまった。
『派手すぎない服です』
『スーツ?』
『そこまでしなくてもいいと思います』
少し間が空く。
『竜胆に聞く』
その一文に、笑いながら泣きそうになった。
蘭が、ちゃんと考えようとしている。
父にどう見えるかを。
一人で行くことを。
『ありがとう』
『礼じゃなくて応援して』
ナマエは胸が熱くなった。
『蘭さん、頑張って』
『うん』
その一文字に、蘭の緊張が滲んでいる気がした。
III.大事に思うことと、大事にできることとは違う
土曜日、蘭からは昼前にメッセージが来た。
『行ってくる』
まだ早い時間だった。
『早くないですか』
『遅れるよりマシ』
ナマエは画面を見て、涙が出そうになった。
蘭が、時間を守ろうとしている。
父に会うために。
『気をつけて』
『うん』
『蘭さん』
『何』
『私は、ここで待っています』
少し遅れて、返事が来た。
『知ってる』
そして、もう一通。
『だから行ける』
ナマエは携帯を握りしめた。
服は竜胆に選ばせた。
煙草は吸わない。
匂いが残るから。
そんなことを気にしている自分が信じられなかった。
けれど、今はそれでいい。
「……行くか」
ラウンジに入ると、落ち着いた照明と静かな音楽があった。
六本木の夜とは違う。
酒の匂いも、煙草の煙も、騒ぐ声もない。
案内された席で待っていると、ナマエの父がきた。
写真で見たことはない。
でも、すぐに分かった。
姿勢。
目の冷静さ。
スーツの着方。
周囲に流されない空気。
この人が、ナマエを守っている人間なのだと思った。
蘭は立ち上がった。
いつもの笑い方をしそうになったが、やめた。
今日はそれをする場所ではない。
「灰谷蘭です」
父は静かに言った。
「ナマエの父です。座ってください」
父は向かいに座ると、しばらく蘭を見ていた。
「今日は来てくれてありがとう。ただ、最初に言っておきます。私は、あなたと娘の関係を認めるために来たわけではありません。娘をアメリカへ行かせる方針も、現時点では変えていません」
「はい」
蘭は反論しなかった。
「それを分かった上で、来たということでいいですか」
「はい」
父は少しだけ頷いた。
「では、聞きます。あなたは、娘をどうするつもりですか」
最初から、それだった。
蘭はすぐには答えられなかった。
「.....分かりません」
父の眉がわずかに動いた。
蘭は続けた。
「いい答えじゃないのは分かってます。でも、今は分かりません。俺は、ナマエに行ってほしくないです。でも、俺が連れ出すとか、親に逆らえとか、そういうことは言えない。ナマエの立場が悪くなるからです」
蘭は、学校にも家にも行っていないこと、会いたいけれど行っていないこと、ナマエが返せる時間に合わせて連絡していることを話した。
父は静かに聞いていた。
「それは、娘から聞いています。あなたが学校や家に来ていないことも、確認しています」
蘭は小さく頷いた。
「ありがとうございます」
その言葉が自然に出たことに、自分でも驚いた。
父は、少しだけ目を細めた。
「感謝されることではありません」
「でも、事実として見てもらえているなら、ありがたいです」
父はしばらく黙り、それから次の質問をした。
「あなたは、自分が娘にとって危険な存在だという自覚はありますか」
逃げたい質問だった。
でも、逃げられない。
「あります」
「どの点で?」
「俺の周りにいる人間。俺の生活。天竺。六本木。暴力沙汰。学校に行ってないこと。普通の親から見たら、全部アウトだと思います」
父は否定しなかった。
蘭は続けた。
「実際、ナマエを危ない場所に連れていったこともあります。天竺の集会も、幹部の集まりも」
父の目が少し鋭くなる。
「それがどういうことか、分かっていますか」
「今は、分かってるつもりです」
「今は?」
蘭は唇を結んだ。
「その時は、自分の隣にいるなら、自分の世界から隠しておけないと思ってました。守るつもりでした。でも、俺が見せることで、ナマエは余計に危ないものに見られた。実際、危ない目にも近づいた。俺はナマエを雑に扱うつもりはなかった。でも、俺のいる場所に連れていった時点で、あなたたちから見れば十分雑だったと思います」
父は黙っていた。
長い沈黙だった。
これは、逃げ道のない緊張だった。
やがて父が口を開く。
「娘のことを、どう思っていますか」
蘭はすぐには答えなかった。
ここで軽い言葉を使えば、全部終わる気がした。
「大事です」
「好きだ、ということですか」
ーー好き。
その言葉が重い。
でも、逃げないと決めた。
「たぶん、そうです」
父の眉が少し動いた。
「たぶん?」
「すみません。こういうことを、ちゃんと考えてきた人間じゃないので。でも、行ってほしくないと思っています。会えないのがきつい。連絡が返ってくるのを待ってる。ナマエが俺との時間まで悪いものにしたくないって言ってくれたことが、ずっと残ってる」
蘭は言葉を探しながら続けた。
「今までなら、面倒になったら離れてた。失くす前に自分から捨てればいいと思ってた。でも、ナマエにはそれができなかった。だから、好きっていう言葉が正しいなら、そうなんだと思います」
言った。
言ってしまった。
でも、不思議と後悔はなかった。
父はしばらく蘭を見ていた。
その目は厳しい。
けれど、軽蔑ではなかった。
「あなたが娘を大事だと思っていることは分かりました。ですが、それだけでは足りません。大事だと思うことと、大事にできることは違う」
その言葉は、鋭く胸に刺さった。
父は続けた。
「あなたは、自分の感情を持て余しているように見える。娘を大事に思う一方で、その感情に耐えられず距離を置くのでは」
蘭は少しだけ目を伏せた。
「....まえにありました」
「今後、同じことをしないと言えますか」
蘭は黙った。
絶対にしない、と言いたい。
けれど、それは嘘になる。
「絶対にしないとは、今は言えません」
父の目が細くなる。
蘭は続けた。
「でも、逃げそうになったら言ってほしいとナマエに言いました。自分でも止まらない時があるから」
「娘に負担をかけるということですか」
鋭い指摘だった。
蘭は息を呑む。
父は容赦しなかった。
「娘はあなたの保護者ではありません。あなたの感情を管理する役目もありません」
「分かっています」
「分かっているなら、どうするつもりですか」
蘭は答えを探した。
ナマエに見ていてほしい。
逃げそうな自分を止めてほしい。
それは本音だ。
でも、父の言う通り、それを全部ナマエに背負わせるのは違う。
「考えます」
父の表情が厳しくなる。
「今ここで答えられないということですね」
「はい。答えられません。でも、考えます。ナマエに全部背負わせるのは違うって、今分かりました」
沈黙が落ちる。
父は水を一口飲み、それから言った。
「正直ですね。不十分ですが、嘘をつかない点は分かりました」
蘭は小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
「ただし、私は娘をあなたに任せる気はありません。現時点で、あなたと娘が自由に会うことも認めません。アメリカ行きの準備も継続します」
胸の奥が痛む。
でも、蘭は頷いた。
「それでも、あなたは娘との連絡を続けるつもりですか」
蘭はすぐに答えた。
「ナマエが望むなら」
父の目が変わる。
「あなたが、ではなく?」
「俺は続けたいです。でも、ナマエがもう無理だと言うなら、無理には繋ぎ止めません。ただ、俺から勝手に終わらせることはしません」
父は長く蘭を見た。
それから、少しだけ息を吐いた。
「分かりました」
許可ではない。
認められたわけでもない。
けれど、話は終わりに近づいているのが分かった。
父は席を立った。
蘭も立つ。
「今日は来てくれてありがとう」
最初と同じ言葉。
でも、少しだけ響きが違っていた。
蘭は頭を下げた。
「こちらこそ、時間を取っていただいてありがとうございました」
敬語は少しぎこちなかった。
でも、父は何も言わなかった。
IV. 待っています
父が去ったあと、蘭はしばらくその場に立っていた。
終わった。
いや、何も終わっていない。
許されたわけでもない。
アメリカ行きが消えたわけでもない。
会えるようになったわけでもない。
でも、父親の前で、嘘をつかずに話した。
大事だと。
好きなのだと思うと。
蘭は椅子に座り、携帯を取り出した。
『終わった』
すぐに返事が来た。
『大丈夫ですか』
蘭は少しだけ笑った。
『大丈夫じゃないけど終わった』
『お疲れさまでした』
『ありがと』
今回は、礼を受け取れた。
少しして、ナマエから来る。
『父は、何かひどいことを言いましたか』
蘭は父の言葉を思い出した。
ーー娘はあなたの保護者ではありません。
ーーあなたの感情を管理する役目もありません。
鋭かった。
『ひどくはない』
『正しかった』
少し迷ってから、続けた。
『ナマエに背負わせすぎてたって言われた』
長い沈黙。
『蘭さんは、そう思いましたか』
蘭は逃げずに返した。
『思った』
『だから考える』
『一緒に考えます』
蘭は胸が痛くなった。
『全部一緒じゃなくていい』
『ナマエが背負うことじゃないのもある』
突き放しているように見えたかもしれない。
でも、ナマエから返ってきたのは、
『分かりました』
そして、
『でも、蘭さんが一人で決めて離れるのは嫌です』
蘭は目を閉じた。
本当に、ちゃんと見てくる。
『それはしない』
『信じます』
その瞬間、蘭は息を吐いた。
ーー信じます。
その言葉は重い。
でも、今度は逃げたくなかった。
『うん』
『今日、ちゃんと言った』
『何をですか』
蘭は迷った。
でも、逃げなかった。
『ナマエが大事だって』
蘭は少し迷い、もう一文送った。
『好きって言葉が正しいなら、そうなんだと思うって言った』
『それを、父に言ったんですか』
『うん』
『私にはまだちゃんと言ってないのに』
その文字を見て、蘭は思わず笑いそうになった。
『言う相手間違えたかもね』
『間違えています』
蘭は少し笑った。
『じゃあ今度、会ったときに、ナマエに言う』
少しして、ナマエから返ってきた。
『待っています』
蘭は画面を見つめた。
今度はナマエが待つと言った。
蘭はゆっくり息を吐いた。
『うん』
それだけ返した。
細い糸は、まだ切れていない。
むしろ、少しだけ強くなっている気がした。
蘭はホテルのラウンジを出た。
六本木へ戻る足取りは、いつもより少しだけ遅かった。
でも、軽かった。
逃げなかった。
蘭は初めて、ほんの少しだけ自分を許せる気がした。
けれど、許されることと、時間が残されていることは違う。
ナマエの父のもとに届いた一通の連絡が、ようやく息をつきかけた二人の日々を、もう一度大きく揺らすことになる。