「……知ってる天井だ」
目を開けて最初に飛び込んできたのは、ありえないはずの光景だった。そのまま視線をめぐらせて、学習机や参考書の並ぶ本棚が目に入ってきたところで確信する。これは……東京に住んでいた頃の、俺の部屋!?
慌てて起きあがり、今の家にはないはずのベッドに寝ていたことに気づく。
「そんな……俺は、雛見沢にいたはずなのに……!?」
「……あぅ? 圭一」
隣で眠そうな声がして振り向くと、羽入が目をこすりながら起きあがってきていた。
「おふぁようございますのです……ふわぁあ」
「お、おはよう……じゃなくて、羽入。これ、どうなってんだ!?」
肩をつかんで揺さぶると、眠そうだった羽入は一瞬で目が醒めたようだった。
「け、圭一!? 僕はどうしてこんな場所にいるのですかっ!」
「だからそれを聞きたいのは俺だっ!?」
梨花ちゃんに協力を約束したあの夜から、いろいろなことがあった。魅音に誘われて部活に入ったり、ゾンビ鬼で大騒ぎしたり、綿流しのお祭りも大盛り上がりだったり……でもその翌日から、異常事態が動き出した。学校に大石という刑事が現れ、俺は羽入の予言どおり富竹さんが死亡したこと、鷹野さんが失踪したことを告げられた。予期していたことではあったし、これまでの事件の背景もおおむね知っていたから冷静に対処できたが、もし知らずにいれば、俺も疑心暗鬼に陥っていたかもしれないとゾッとしたものだ。
さらに翌日の夜、羽入が梨花ちゃんの身に危険が迫っていると言い出して、自転車を飛ばし古手神社へ向かっていたところまでは覚えている。石段を駆け上がるときの乱れた呼吸をおぼろげながらに思い出せるけど、その先は霞がかかったようになっていた。
「……あぅあぅ、圭一は、たぶん……そこで、死んでしまったのです」
俺の回想を聞いた羽入は、合点がいったという顔でそう告げた。
「俺が、死んだ……?」
「はい。圭一も、おそらく梨花も殺されて、僕たちは再び時を渡ったのだと思います」
なんてこった。じゃあ俺はゾンビか。いやいや、違うって。ドラゴンボール並みに軽い命に戸惑いつつ、だったら界王様のとこで修行しないとなぁなんてことは思っても口に出さない俺は思慮深いとご近所で評判のヒトデ使い、前原圭一。
「……そういえば、死の直前の記憶はぼやけるから犯人がわからないって言ってたな」
羽入と梨花ちゃんに聞かされたコンティニューでリスタートな話をようやく思い出す。やり直すときは、いくらか時間が巻き戻されて……ええと、全く同じ世界ではないけどよく似た世界の自分の意識に上書きされるんだったっけ。東京の頃の部屋にいるってことは、俺は……雛見沢に引っ越す前に戻ったってことか。
「……5月8日。連休の最後の日、か」
よりにもよって最悪だ。どうしてこの日なんだよ……!
「羽入……、この世界でも、梨花ちゃんは殺されるのか……?」
「はい。……僕と梨花は、百年以上の長きに渡ってこうして時渡りを繰り返してきたのです。その中で梨花が昭和58年7月まで生きていた世界はたった一度きりでした」
「一度あったのか……それじゃ、」
「そのときは仲間たちも雛見沢も全てを投げ出して山中に隠れていましたが、7月に入って数日で……その、あぅあぅあぅ」
……追っ手に殺されたか、あるいは餓死、衰弱死か。10歳かそこらの子供が、たったひとりでそう何日も生き延びられるわけがない。それじゃ結局、意味がないんだ。
「梨花は、そのときもあまり気乗りしていなかったのです。どうせ越えるなら、大事な友達を、仲間を、ひとりも失わずにその先の未来に至れなければ意味がないと言って……」
……なんて贅沢な、それでいてささやかな願いだろう。
気の合う友人たちと一緒に夏を迎えたい、そんな誰もが当たり前のように享受している幸せを得るために、気の遠くなるような時間を旅している梨花ちゃんと羽入の胸中を思うとこちらの胸が締め付けられる。同時に、羽入は下着つけてないから締め付けられていないかもしれないなとか、どうでもいいことが俺の頭をよぎってしまうのだった。
「ほんとにどうでもいいこと考えちまった!?」
頭を抱えて天を仰ぐ俺を、羽入が不審そうに見つめる。……いやいやクールになれクールクール。いつものクールさを取り戻した俺が真っ先に思いついた疑問は、ひとつ。
「……なんで羽入、ここにいるんだ?」
「……あぅ。そういえば、なのです」
羽入がぴったりくっついてるのはそろそろ日常となりつつある(慣れって怖い)俺だが、梨花ちゃんと俺が死んでからも羽入がこっちについてきているのはなにかおかしくないだろうか。確か、羽入は雛見沢の守り神で梨花ちゃんとずっと一緒にいたはずで……。
「あぅ!? け、圭一の固有結界が消えていないのです!」
俺から離れようとして空間に顔面をぶつけて鼻を押さえる羽入だった。
「僕も、あの世界限りのことだと思っていたのですが……圭一に前の世界の記憶が残っているということは、どうも事態は深刻だったようなのです」
記憶が残っている以上、俺のパーソナリティは同一。だから無意識に展開しているという固有結界がそのまま引き継がれ、それに囚われていた羽入もまた、梨花ちゃんではなくて俺のほうにくっついてきてしまったということか……。
「とすると、梨花ちゃんいまごろ途方に暮れてるんじゃないか!?」
俺は慌てて羽入を引きずり部屋を出ると、電話をかけに向かう。そして受話器をあげたところで愕然とした。梨花ちゃんの電話番号、覚えてない……だってかけたのは学校の名簿を見ながらの1回きりだし、それだって1週間以上前のことだ。
「羽入、梨花ちゃんの家の電話番号覚えてるか!?」
「圭一……僕が電話をかけるように見えますか?」
ごめん、見えない。というか梨花ちゃん以外とは会話できず、ものを触れないはずだった羽入が電話をかける必然性はなく、だから電話番号なんか覚えているわけがない。
「ってことは……いかん、誰の電話番号も覚えてないぞ!?」
だいたい雛見沢では向こうから電話がかかってくることはあっても、俺が電話をかけるということそのものがほとんどなかったのだと思い出す。
「連絡をつけられないなら、すぐにでも引っ越すのです圭一!」
「そうは言うがな羽入。俺がいち扶養家族に過ぎないことを忘れてもらっちゃ困るぜ!」
「あぅあぅ、威張って言うことではないのです!」
……参ったな。この時期なら、多分雛見沢の家は完成間近だろうけど、もともとあそこは親父のアトリエとして使う予定で、俺は東京に残って寮つきの高校に進学するはずだったんだ。それがあんな中途半端な時期に俺まで一緒に引っ越したのは、結局のところあの事件を起こしたから、というのが理由だった。
「……そして、それを決定的にしたのは、最後の子の目にエアガンの弾を当ててしまったから。それが今日、5月8日のことだったんだ……!」
「あぅ!? それでは、圭一は……!」
そう。いまの俺には、雛見沢に行く理由がない。今日の夜、いつものようにエアガンを持ってあのときと同じ場所に立ち、同じ女の子を撃って、怪我をさせない限りは……!
「イヤだ……、イヤだイヤだイヤだ、あんなこと、もう絶対にするもんか!」
「圭一、でも、それでは……あぅあぅ」
……わかってる。羽入が俺から離れられない以上、俺が雛見沢に行かないということは梨花ちゃんにとって羽入抜きのおそろしく不利な世界を強要するということ。そして、羽入がそばにいない状態で梨花ちゃんが死んだとき、ループなんて出来るはずがない。
つまり、俺があの子を傷つけない限り、梨花ちゃんが死ぬ……!
「これが運命なのです、圭一……。圭一がどちらを選んでも、僕は恨まないのです……」
羽入は、そう言って俺に全てを委ねた。それは、残酷な選択肢。
「……違う」
「あぅ……?」
「違うぞ、羽入。……運命なんかじゃない。選択肢なんて自分で作り出すモノだ!」
これはそう、……逆境だ!
「諦める方向には進めない、ここは、抗う場面だ……ッ!」
『あの子は傷つけない』『梨花ちゃんも助ける』……「両方」やらなくっちゃあならないってのが「主人公」のつらいところだな。……覚悟はいいか、俺はできてる!
「あぅあぅ、圭一、どうするつもりなのですか!?」
「羽入、いまの数行で俺がどれだけのネタを仕込んだかわかるか。それくらい、いま俺、前原圭一の頭脳は必死で回転してるってことだ……、いくぜ!!」
俺はそのままリビングへと向かい、扉を勢いよく開け放った。
「あら、圭一。ずいぶん早いじゃない」
リビングにはこれから朝食の支度を始めようという様子のお袋と、……親父がいた。おそらくさっきまで仕事をしていて、朝食をすませたら寝るつもりだったのだろう。
「圭一、朝っぱらから騒々しい。静かにしなさ……っ!?」
徹夜明けで不機嫌がデフォルト装備になっている親父が俺を怒鳴ろうとして目を見開く。
そう、その視線は、俺にくっついている羽入に向けられていた。
「け、圭一、その子は……!?」
指を震わせて羽入を見つめる親父に、俺は用意していた台詞を言い放った。
「羽入は俺の嫁だッ!」