戦×恋:レボリューション・ボルト ~雷神の転校生が九人の戦乙女を救ったら、前線直結のラブコメバトルが始まった~ 作:夜幻
朝の光が、屋敷の縁側いっぱいに、降り注いでいた。
夜通しの戦いを終えた十人が、ふらふらと、玄関に辿り着いたのは、すっかり日が昇ってからだった。
「ただいま……」
「おかえりなさい、って、私が言うのもおかしいけど」
二葉が、玄関の戸を開けて、くすりと笑った。
「おかえりなさい、みんな。お風呂、沸いてるよ」
「お、さすがだな、二葉」
「ふふ、ちゃんと、帰ってくるって、信じてたから」
二葉は、昨夜、橋の上で戦っていたはずなのに、いつの間にか先回りして、朝食の支度まで済ませていたらしい。割烹着姿で、にこにこと、全員を出迎えていた。
「みんな、ぼろぼろだね。でも、全員、無事で、よかった」
「二葉は、いつから、起きてたの?」
「昨日の夜から、ずっとだよ。お料理しながら、待ってたの」
「無茶ばっかりして」
一千花が、呆れたように言った。けれど、その声は、ひどく優しかった。
「姉さんこそ。無事に帰ってきてくれて、本当に、よかった」
「……ええ。ありがとう、二葉」
一千花は、そっと二葉の手を取って、ぎゅっと握った。
それから、ひとりずつ、風呂場へ向かい、泥と汗と煤を洗い流して、居間へ集まった。
座卓の上には、ほかほかの湯気を立てる、朝ごはんが並んでいた。炊きたての白いご飯、湯気の立つ味噌汁、卵焼き、焼き鮭、ほうれん草のおひたし、そして、山盛りの唐揚げ。
「うおおお! 最高だ!」
「雷牙くんの分は、山盛りにしておいたよ」
「二葉、お前、神か!?」
「ふふ、大げさだよ」
全員が、座卓を囲んで、手を合わせた。
「いただきます!」
十の声が、揃った。
雷牙は、最初の一口を、口に入れた途端、動きを止めた。
「…………うめえ」
「また、それ?」
「だって、うめえんだもん!」
「ふふっ」
二葉は、嬉しそうに笑った。
「雷牙、そっちの唐揚げ、取って」
「ほらよ」
「サンキュー。……って、アンタ、取りすぎでしょ! アタシの分が!」
「お前、さっきも、食ってただろ!」
「アタシは、まだ、二個しか食べてないのよ!」
「俺は、まだ、十個だ!」
「アンタの基準は、おかしいのよ!」
「七樹、ケンカしないの」
「だって、お姉ちゃん!」
七樹と雷牙の、どうでもいい言い合いに、一千花が、苦笑しながら、割って入る。
その光景が、あまりにも日常的で、あまりにも平和で、姉妹たちは、思わず、顔を見合わせて、笑った。
しばらくは、箸の音と、咀嚼の音だけが、居間に響いていた。誰もが、空腹と疲労で、ほとんど口を利かない。けれど、その沈黙は、不思議と、心地よかった。
「……ふぁ」
最初に、あくびを漏らしたのは、九瑠璃だった。
「九瑠璃、眠いなら、食べ終わってから、寝なさい」
「うん……」
九瑠璃は、うとうとしながら、味噌汁を口に運ぶ。その頭が、こっくり、こっくりと、舟を漕ぎ始めた。
「あっ、九瑠璃ちゃん、お椀に顔が!」
「……ん、ふぁ」
雷牙が、ひょいと手を伸ばして、九瑠璃の額を、掌で受け止めた。
「おっと、危ねえ」
「……雷牙」
「ほら、無理すんな」
雷牙は、九瑠璃を、ひょいと抱き上げた。小さな体が、くたりと、雷牙の肩に寄りかかる。
「……あったかい」
「寝てろ」
「……すぅ」
九瑠璃は、あっという間に、寝息を立て始めた。
「また、一瞬で寝たわね」
「それだけ、疲れてたんだよ。頑張ったもんね」
六海が、そっと、九瑠璃の頭を撫でた。
「じゃあ、そのまま、お布団に運んでおくわね」
「いや、いい。俺が、運ぶ」
雷牙は、九瑠璃を抱えたまま、廊下へと向かった。その背中を、姉妹たちが、温かい眼差しで見送る。
「雷牙、すっかり、お父さんみたいだね」
「お兄ちゃんでしょ」
「ううん、どっちかっていうと、お母さんかも」
「それ、本人に言ったら、怒るよ」
くすくすと、笑い声が漏れた。
食事が終わるころ、五夜が、ふと、立ち上がった。
「……皆さん、少し、よろしいでしょうか」
「どうしたの、五夜」
「先ほど、屋敷の門の前に、これが、届いておりました」
五夜が、懐から、一通の封書を取り出した。
真っ白な和紙に、金色の文字で、「早乙女家九姉妹ならびに獅堂雷牙殿へ」と書かれている。
「差出人は……お父様、です」
「えっ!」
全員が、息を呑んだ。
「主神様から、直々に……!?」
「開けてみましょう」
五夜は、震える指で、封を切った。
中から、一枚の書状が、ふわりと、光を放って広がった。
そこには、力強い筆致で、こう記されていた。
『我が娘たちよ。そして、獅堂雷牙よ。
昨夜の戦い、天上より、見届けた。
邪界の王、ザルヴァドールは討たれ、ゲヘナの門は閉じられた。
それは、お前たち全員が、互いを信じ、互いを想い、互いを護り抜いた結果である。
我は、心より、誇りに思う。
獅堂雷牙よ。お前を、正式に、我が代行者として、任命する。
この先も、我が娘たちと共に、世界を守り、そして、彼女たちを、幸せにしてやってほしい。
我が娘たちよ。お前たちは、もう、孤独ではない。
共に歩む者がいる限り、いかなる闇も、恐るるに足らず。
これからも、仲良く、健やかに。
主神 オーディン』
「…………」
居間に、しん、と静寂が落ちた。
「……お父様」
五夜の目から、ぽろり、と、大粒の涙が零れた。
「お父様が……私たちのことを、誇りに、思ってくださって……」
「五夜姉さん、泣いてる」
「な、泣いてません! 目に、ゴミが!」
「はいはい」
七樹が、苦笑して、五夜の背中を、ぽんぽんと叩いた。
「でも、よかったじゃない。お父様に、認めてもらえたんだから」
「……はい。夢のようです」
五夜は、書状を、胸に、ぎゅっと抱きしめた。
「五夜、お父様に、お返事を書きましょう」
「はい! 今夜、さっそく、したためます!」
「正式に、任命された、ということは……」
三沙が、にやりと笑って、一千花を見た。
「一千花、アンタも、認めるしか、なさそうだね?」
「…………」
一千花は、書状から、そっと視線を上げた。
その視線が、廊下から戻ってきた雷牙と、ばちりと合った。
「ん? 何の話だ?」
「……獅堂」
「ん?」
「あなたを、主神の代行者として、認めるわ」
「え」
雷牙の動きが、ぴたりと止まった。
「最初は、認めないと、言ったけれど」
一千花は、すっと立ち上がった。
そして、雷牙の前まで、歩み寄る。
「あなたは、私たちを、救ってくれた。あなたは、私たちを、信じてくれた。そして、あなたは、私たちの、仲間になってくれた」
「…………」
「だから、もう、疑わない。……ううん、疑う必要なんて、なかったのかもしれない」
一千花は、小さく息を吸い込んだ。
「獅堂雷牙。あなたを、私たち早乙女家の、主神の代行者として、心から、歓迎するわ」
「……一千花」
「改めて、よろしくね。雷牙」
一千花は、右手を、すっと差し出した。
雷牙は、一瞬、目を丸くして、それから、ぱあっと、満面の笑みを浮かべた。
「おう! よろしくな、一千花!」
二人の手が、固く、握り合わされた。
わあっと、歓声が上がった。
「やったー!」
「お姉ちゃん、よく言ったね!」
「ようやく、認めたな!」
「長かったねえ」
姉妹たちが、手を叩いて、はしゃぎ出す。
「う、うるさいわね! 別に、今までが、不当だったわけじゃ……!」
「お姉ちゃん、顔、真っ赤」
「赤くない!」
一千花の叫びが、居間に響き渡る。
雷牙は、にかっと笑いながら、その様子を、見守っていた。
午後。
居間は、のんびりとした空気に包まれていた。
誰もが、昨夜の疲れで、うとうとしている。座布団の上で、丸くなっている者。壁にもたれて、本を読んでいる者。縁側で、お茶をすすっている者。
「……ふう」
雷牙は、居間の真ん中で、大の字になって寝転がっていた。
「雷牙くん、お疲れさま」
二葉が、湯呑みを持って、そっと、隣に座った。
「今日は、ゆっくり休んでね。お夕飯は、雷牙くんの好きな、唐揚げ、また、作るから」
「おう、ありがとな、二葉」
「ふふ。……ねえ、雷牙くん」
「ん?」
「昨日の夜のこと、改めて、お礼が言いたくて」
二葉は、膝を揃えて、雷牙の方を向いた。
「お姉ちゃんを、助けてくれて、ありがとう」
「いや、俺ひとりの力じゃねえ。みんなのおかげだ」
「うん。でもね、雷牙くんがいなかったら、みんなの力は、きっと、うまく、まとまらなかった」
二葉は、にっこりと笑った。
「だから、ありがとう」
「…………おう」
雷牙は、照れくさそうに、頬を掻いた。
「雷牙くんの、お陰で、私、ちょっとだけ、素直に、甘えられるように、なったよ」
「そうか」
「うん。だから……もう一回、ぎゅって、していい?」
「え?」
「ダメ?」
「い、いや、ダメじゃねえけど」
「ふふ、じゃあ」
二葉は、そっと、雷牙の胸に、顔を埋めた。
柔らかな、お日様の匂いが、ふわりと広がる。
「…………」
雷牙の動きが、ぴたりと止まった。
「……あ、いや、すまん。やっぱこれ照れるな!」
「ふふっ、何度やっても、そうだね」
「慣れる気が、しねえんだよ!」
「慣れなくて、いいよ。そのままで」
二葉は、くすくすと笑いながら、雷牙の胸に、頬をすり寄せた。
その時、居間の隅から、ひょい、と、声が飛んできた。
「あー、二葉ばっかり、ずるいじゃないか」
三沙だった。畳の上で、あぐらをかいて、にやにやとこちらを眺めている。
「アタシにも、ご褒美、ちょうだいよ」
「ご褒美?」
「ほら、前に、約束しただろ。アンタが、アタシの特訓に、ついてこられたら、ご褒美に、ハグ、してあげるって」
「あれは、もう、もらったぞ」
「あれは、あれ。今回は、昨夜の、お礼」
三沙は、立ち上がって、ずんずんと歩み寄ってきた。
「へぇ、アンタ結構いい体してんじゃん? アタシの特訓に、ついてこられた奴は初めてだよ。……ご褒美に……ハグ、してあげよっか?」
「それ、二回目だぞ!」
「いいじゃないか、何回でも」
三沙は、二葉の隣から、ぐい、と雷牙の腕を引き寄せて、ぎゅっと抱きしめた。
「…………」
「…………」
「……あ、いや、すまん。やっぱこれ照れるな!」
「あははは! 何度見ても、笑えるねえ!」
三沙は、腹を抱えて笑いながら、雷牙の背中を、ばしばしと叩いた。
「姉さんたち、ずるい……」
廊下から、ひょっこりと顔を出したのは、六海だった。
「私も、混ぜてください!」
「六海は、アイドルでしょ。スキャンダルになるわよ」
「ここは、スキャンダルが起きない場所だもん!」
六海は、ぷくっと頬を膨らませて、雷牙の隣に座り込んだ。
「らいがさん、あのね」
「ん?」
「来週、私の、ミニライブがあるんです」
「おお、そうなのか」
「はい。新曲を、披露するの。……来て、くれますか?」
六海は、上目遣いに、雷牙を見上げた。
「もちろんだ。最前列で、応援してやる」
「えへへ、嬉しい! 実は、チケット、もう、取ってあるんです!」
六海は、ポケットから、可愛らしいチケットを、二枚、取り出した。
「一枚は、らいがさんの分。もう一枚は……お姉ちゃんの分」
「え、私の?」
一千花が、ぱっと顔を上げた。
「うん。二人で、見に来てね」
「……もう、六海ったら」
一千花は、顔を赤くして、チケットを受け取った。
その様子を、窓際から眺めていた五夜が、そっと、眼鏡を押し上げた。
「獅堂くん」
「ん?」
「お時間が、ありましたら、勉強を、お教えしましょうか」
「おっ、いいのか?」
「ええ。お父様から、直々に、任命された代行者ですから。学業も、しっかり、押さえていただかないと」
「ははっ、そうだな。頼むぜ、五夜先生」
「せ、先生は、やめてください」
五夜は、真っ赤になって、そっぽを向いた。
「そうだ、獅堂くん」
「ん?」
「その、昨夜の、お礼に……私の、手を、握る権利を、改めて、差し上げます」
「え、また?」
「ま、また、です! 何か、問題でも!」
「いや、ない、ない」
雷牙は、笑いながら、五夜の手を、そっと握った。
「…………あ」
「……あ、いや、すまん。やっぱこれ照れるな!」
「ふふ、いい加減、慣れてください」
五夜が、くすくすと笑った。
「……雷牙」
もうひとり、小さな影が、そっと近づいてきた。四乃だった。鎧の指先が、雷牙のシャツの裾を、きゅっと摘まむ。
「おう、四乃。どうした?」
「……これ、返す」
差し出されたのは、昨夜、雷牙に預けた、予備のお守りだった。
「いいのか? お前の、大事なもんだろ」
「……ううん。もう、役目、終わったから」
「そっか。……でも、これは、俺が、持っててもいいか?」
「……え?」
「お前が、一晩かけて、作ってくれたもんだ。大事にしたい」
「…………」
四乃の兜が、ぴくり、と揺れた。
「……いい、よ」
「ありがとな」
雷牙は、お守りを、胸ポケットに、そっとしまった。
「……雷牙」
「ん?」
「……私、ね。雷牙が来る前は、あんまり、喋れなかった」
「そうなのか?」
「……うん。みんなに、迷惑かけるのが、怖くて。……でも、雷牙は、いつも、待っててくれた」
小さな声が、少しずつ、震えながらも、紡がれていく。
「……だから、今は、少しだけ、喋れる。……ありがとう」
「どういたしまして」
雷牙は、ぽん、と四乃の兜に、手を置いた。四乃は、嬉しそうに、ぷるぷると鎧を震わせた。
「……雷牙」
縁側の方から、小さな声が聞こえた。
「ん? 八雲か」
「……お昼寝、しよ」
「おう、いいぞ」
「……ん」
八雲が、ちょこんと、雷牙の隣に、体を横たえた。
「……雷牙のまわり、いつも、あったかい」
「そうか?」
「……ん。トゲトゲしてない」
八雲は、雷牙の袖を、きゅっと摘んで、目を閉じた。
「……おやすみ、雷牙」
「おう、おやすみ」
あっという間に、八雲の寝息が、聞こえ始めた。
「八雲ちゃん、寝ちゃった」
「雷牙の隣が、一番、安心するんだろうね」
「アタシも、ちょっと、羨ましいわ」
七樹が、ぼそりと呟いた。
「七樹」
「な、何よ」
「お前も、こっち来い。隣、空いてるぞ」
「な、なんで、アタシが!」
「いいから、いいから」
雷牙が、ぽん、と、自分の隣の畳を叩いた。
「…………」
七樹は、しばらく、ぷるぷると震えていた。それから、ぷいと顔をそむけながら、のそのそと、雷牙の隣に、座り込んだ。
「べ、別に、座りたかったわけじゃないんだからね! ただ、足が疲れただけよ!」
「おう」
「な、なによその顔!『可愛い』って言うな! アンタなんか、ただの脳筋のくせに……っ!」
「まだ何も言ってねえぞ」
「言いそうな顔してた!」
「してねえよ!」
「してた!」
七樹は、真っ赤な顔で、雷牙の袖を、ぎゅっと掴んだ。
「……でも」
「ん?」
「……今回は、その……頑張ったじゃない。ありがと」
「おう。お前も、よく頑張った」
「……ふ、ふん」
七樹は、ぷいと顔をそむけたまま、小さく、けれど確かに、微笑んだ。
その頃、客間の布団で眠っていた九瑠璃が、むくりと起き上がった。
「……雷牙?」
目をごしごしと擦りながら、廊下を、とことこと歩いてくる。
「あ、九瑠璃ちゃん、起きたの?」
「ん……雷牙、いない」
「居間にいるよ。ほら、あっち」
「……うん」
九瑠璃は、居間の入り口で、立ち止まった。そこでは、雷牙が、姉妹たちに囲まれて、笑っている。
「…………」
九瑠璃は、ぽつんと、その場に立ち尽くした。
「九瑠璃、おいで」
雷牙が、気づいて、手を差し伸べた。
「……さみしかった」
「ははっ、そうか」
「……約束、したでしょ。さみしい時は、すぐ、抱っこしにくること」
「ああ、来たな」
雷牙は、九瑠璃を、ひょいと膝に乗せた。
「ふん、雷牙のメカニックデータ、ボクが完璧に管理してあげるよ。感謝しなさい!」
「おう、ありがとな」
「……その代わり、ボクが寂しい時は、すぐに抱っこしにくること。いい?」
「それ、前にも聞いたぞ」
「何回でも、言うの!」
九瑠璃は、雷牙の胸に、ぎゅうっとしがみついた。
居間は、穏やかな陽射しに、包まれていた。
二葉と三沙に抱きしめられ、六海が笑い、五夜が頬を染め、八雲と七樹が両脇に寄り添っている。
そんな賑やかな光景を、一歩離れた場所から、一千花が、じっと見つめていた。
(……本当に、みんな、雷牙のことが、大好きなのね)
胸の奥が、きゅっと、小さく痛む。
けれど、その痛みは、もう、以前のような、棘のあるものではなかった。
(私も、素直に、なれたらいいのに)
一千花は、そっと、自分の手を、見つめた。
夕食は、唐揚げの山だった。
「いただきます!」
「うおお、うまい! 二葉、お前、最高だ!」
「ふふ、褒めすぎだよ」
「ボクも食べる! ……あ、にんじん、残しちゃダメ?」
「だめだ。ちゃんと食え」
「ちぇっ」
九瑠璃が、しぶしぶ、にんじんを口に運ぶ。その様子に、全員が、くすくすと笑った。
「あ、雷牙くん、ご飯粒、ついてるよ」
「ん? どこだ?」
「ここ」
二葉が、ひょいと手を伸ばして、雷牙の頬の米粒を、指で取った。
「ありがと」
「ふふ」
「ちょっと、二葉! 私が、取るつもりだったのに!」
一千花が、むっとした顔で、割り込んだ。
「え、お姉ちゃん?」
「あ、いえ、その、別に!」
「ふふ、お姉ちゃん、分かりやすい」
姉妹たちの笑い声が、食卓に弾けた。
夕暮れ。
縁側に、柔らかな茜色の光が、差し込んでいた。
庭の木々が、ゆるやかに揺れている。風鈴が、ちりん、と鳴る。
「……ここにいたのか」
背後から、のんびりとした声がした。
「あなた、いつも、突然、現れるわね」
「縁側の方が、居心地いいからな」
雷牙が、一千花の隣に、どかっと腰を下ろした。昨日までと同じ、十センチほどの距離。
けれど、今日は、その距離が、少しだけ、縮まっているような気がした。
「……お疲れさま」
「おう、お疲れ」
「みんなは?」
「全員、寝ちまった。居間で、団子みたいに、ごろごろ転がってるぞ」
「ふふ。そう」
一千花は、小さく笑った。
「……ねえ、雷牙」
「ん?」
「昨夜の、ことなんだけど」
「ああ」
「邪界で、あなたが、私に、手を、差し伸べてくれた時」
「ああ」
「……すごく、安心したの。ああ、もう、大丈夫だって」
一千花は、膝を抱えて、夕焼けを見つめた。
「今まで、私は、ずっと、ひとりで、頑張らなきゃって、思ってた。でも、違ったのね」
「そうだな」
「私は、ひとりじゃ、なかった。……あなたが、教えてくれた」
「俺は、何も、してねえよ。お前が、自分で、気づいたんだ」
「……ふふ。そういうことに、しておいてあげる」
一千花は、そっと、雷牙の方を向いた。
「ねえ、雷牙」
「ん?」
「あの時、私が、王に言ったこと、覚えてる?」
「あの時って?」
「……私が、囚われてる時。……あなたに、聞こえてた?」
「いや、聞こえてなかったが。何か、言ってたのか?」
「…………!」
一千花の顔が、ぼっと赤くなった。
「な、何でもないわ! 聞こえてなかったなら、いいの!」
「え、気になるぞ」
「気にしなくて、いいの!」
「そんなに、言われると、余計に、気になるじゃねえか」
「……もう」
一千花は、顔を両手で覆った。
「……『心に決めた人が、いる』って、言ったのよ」
「…………え」
「そ、そしたら、あの王様、『神の使いのことか』って聞いてきて」
「…………」
「だから、私、必死に、否定したの! 『あんなバカで、がさつで、脳筋で、無神経な男は、そういうのじゃない』って!」
「ひでえ言われようだな!」
「でも、その、後に……」
「後に?」
「……『気がついたら、目が、離せなくなってた』って、言っちゃって」
一千花は、顔を覆ったまま、消え入るような声で言った。
「…………」
「…………」
縁側に、静寂が落ちた。
風鈴が、ちりん、と、鳴る。
「……一千花」
「な、何よ」
「それ、俺のこと、か?」
「…………」
「あの、だな。念のため、確認なんだが」
「…………」
「その、『バカで、がさつで、脳筋で、無神経な男』ってのは」
「……あなた、よ」
一千花は、小さな声で、答えた。
「……っ」
「ほ、他に、誰が、いるのよ! こんなに、距離感のない男が!」
「そ、そうか……」
雷牙は、顔を真っ赤にして、うつむいた。
「その、俺は、その、なんというか」
「何よ」
「嬉しい、んだが、どう、反応したら、いいのか、分からねえ」
「…………!」
一千花は、指の隙間から、そっと雷牙を見た。
雷牙の顔は、耳まで真っ赤になっている。いつもの、豪快な笑顔は、どこにもなく、ただ、不器用に、困ったように、目を逸らしていた。
「……ふふ」
思わず、笑みが零れた。
「な、何を笑ってるんだ!」
「だって、あなた、本当に、慣れてないのね」
「だ、だから、言ってるだろ! こういうの、慣れてなくて……すみません!」
「また、敬語」
「す、すみません!」
「ふふっ、あはは!」
一千花は、声を上げて、笑った。
夕日が、二人の顔を、真っ赤に染めていた。
「……雷牙」
「は、はい!」
「そんなに、固くならないで」
「いや、でも」
「私も、緊張してるんだから」
一千花は、そっと、雷牙の手を、握った。
「……今度は、ちゃんと、言うわよ」
「え?」
「あなたの、ことが」
一千花は、顔を上げて、まっすぐに、雷牙の目を見つめた。
「…………」
「…………」
茜色の光の中で、二つの視線が、絡み合う。
その時。
「あっ!」
障子の陰から、小さな声が漏れた。
「……え?」
「……今の、誰?」
一千花と雷牙が、同時に、振り向く。
障子が、がらり、と開いた。
そこには、八人の妹たちが、ぎゅうぎゅうに、折り重なるようにして、詰まっていた。
「あ……あはは……」
「ば、バレた!」
「七樹ちゃん、押さないで!」
「アタシじゃないわよ、三沙姉さんが!」
「アタシは悪くないよ、六海が前に出るから」
「ち、違うよ、五夜ちゃんが!」
「私は、客観的な状況把握のために、ですね!」
「全員、出歯亀でしょ!」
一千花の絶叫が、夕焼けの庭に、響き渡った。
「いつから、そこにいたの!」
「えっと……最初から、かな?」
「……全部、聞いてた」
「ボク、録音してるよ!」
「九瑠璃!? 今すぐ、消しなさい!」
「やだー!」
九瑠璃は、ぴょんぴょん跳ねながら、庭へ逃げ出した。
「待ちなさい、九瑠璃!」
「あははは!」
一千花が、真っ赤な顔で、追いかけ始める。その後ろから、姉妹たちが、笑いながら、ぞろぞろとついていく。
「ははっ」
取り残された雷牙は、思わず、笑ってしまった。
「……いいな、これ」
縁側に、ひとり座ったまま、雷牙は、夕焼けの空を見上げた。
九人の戦乙女たち。陽気で、騒がしくて、不器用で、けれど、誰よりも、優しい少女たち。
この数日間で、雷牙の世界は、すっかり、変わってしまった。
(神様に、頼まれたから、来ただけだったのにな)
いつの間にか、守る理由が、使命から、約束に、そして、想いに、変わっていた。
(……悪くねえな、こういうの)
雷牙は、金色の組紐を、そっと撫でた。
「やっぱり、ここが、俺の居場所だ」
小さく呟いた、その背中に、ひらり、と、一千花が戻ってきた。
「雷牙!」
「お、一千花。九瑠璃は?」
「逃げられたわ。……それより」
一千花は、雷牙の前に、ぴたりと立った。
「さっきの、続き」
「え」
「……聞かせて、あげる」
一千花は、すうっと、深呼吸をした。
「私は、あなたのことが……」
その時。
ごごごご、と、地面が揺れた。
「な、なんだ!?」
「地震……!?」
庭の隅の、古い井戸から、黒い霧が、ぶわっと噴き出した。
霧の中から、数体の小さな悪魔たちが、うじゃうじゃと、這い出してくる。
「ギ、ギギ……」
「ギャ、ギャ!」
「…………」
「…………」
雷牙と一千花は、ぽかんと、その光景を見つめた。
「……これ、昨日の、残党か?」
「ええ。門が閉じる時に、取り残された、小物たちね」
「ははっ、まだ、いたのか」
雷牙は、にやりと笑って、立ち上がった。
「じゃあ、ちょっと、片付けるか」
その時、一匹の悪魔が、一千花に向かって、飛びかかってきた。
「ギャアアッ!」
雷牙は、振り向きもしなかった。
一千花の手を、ぎゅっと握ったまま、もう片方の手を、ひょいと伸ばす。
「おいおい、邪魔すんなよ。今いいところなんだからよ!」
ぱしん、と、乾いた音が、夕焼けの庭に、響き渡った。
雷牙の掌が、悪魔の頭を、虫を叩くように、片手で叩き潰す。悪魔は、断末魔を上げる間もなく、霧となって、消し飛んだ。
「…………」
「…………」
残りの悪魔たちが、ぴたりと、動きを止めた。
「ギ、ギギ……?」
「ほら、お前らも、さっさと、帰れ」
雷牙は、片手で、ひらひらと、悪魔たちを追い払う仕草をした。
「ギャアアアッ!」
悪魔たちは、蜘蛛の子を散らすように、井戸の中へと、逃げ帰っていった。
黒い霧が、すうっと、消えていく。
庭に、静寂が戻った。
「…………」
「…………」
「……片手」
「……しかも、手、繋いだまま」
庭の隅から、姉妹たちの、ぽつりとした声が、聞こえた。
「あなたって人は……」
一千花が、呆れたように、雷牙を見上げた。
「どうして、そんなに、余裕なのよ」
「いや、だって、いいところだったし」
「いいところって、言わないで!」
「ははっ、そうか」
雷牙は、にかっと笑って、握ったままの、一千花の手を、持ち上げた。
「……で、さっきの、続きは?」
「…………っ!」
「聞かせて、くれるんだろ?」
「そ、それは、その……!」
一千花は、顔を、真っ赤にした。
それから、ぎゅっと、目を閉じて、勢いよく、叫んだ。
「……す、好きよ! あなたのことが! 悪いかしら!」
「…………」
夕焼けの庭が、しん、と静まり返った。
やがて、雷牙が、ぽつりと言った。
「……悪く、ねえ」
「……え」
「俺も、お前のこと、好き、だと思う」
雷牙は、真っ赤な顔で、でも、まっすぐに、一千花を見つめていた。
「……あ、いや、すまん。やっぱこれ照れるな!」
「ふふっ」
一千花が、笑った。
「もう、最後まで、格好つかないわね」
「うるせえ!」
「でも、それが、あなたらしくて、いいわ」
一千花は、雷牙の胸に、そっと、額を預けた。
雷牙は、一瞬だけ、戸惑って、それから、ゆっくりと、一千花を、抱きしめた。
「……ありがとな、一千花」
「こちらこそ、ありがとう。雷牙」
夕焼けが、二人を、金色に染めていた。
「いいなぁ……」
「お姉ちゃん、おめでとう」
「今夜は、お赤飯だね」
「二葉、気が早い!」
「ふふ、よかったね」
「……雷牙、お兄ちゃんみたい」
「ボク、動画、撮ったよ!」
「九瑠璃、後で、消しなさいよ!」
「それは、無理!」
庭の陰から、姉妹たちの、にぎやかな声が聞こえてくる。
「結婚式の余興に使えそうだね、その動画」
「ま、まだ、結婚なんて、してないわよ!」
「まだ、ってことは、そのうち、するんだね?」
「そ、そういう意味じゃなくて!」
一千花の顔が、またしても、ぼっと赤くなった。
「あなたたち、いい加減にしなさい!」
一千花の怒鳴り声が、再び、響き渡った。
雷牙は、その様子を、にこにこと見つめながら、そっと、一千花の手を、握り直した。
「なあ、一千花」
「何よ」
「これから、また、忙しくなるぞ」
「ええ。そうね」
「でも、俺たちなら、大丈夫だ」
「ええ。……みんなで、一緒なら」
「おう!」
雷牙は、空に向かって、拳を突き上げた。
「よし! 明日からも、全力で、いくぜ!」
「ええ!」
一千花も、微笑んで、拳を握った。
(これから先、どんな敵が現れても、きっと、乗り越えていける)
繋いだ手の温もりが、そう教えてくれていた。
夕焼けの空に、一番星が、きらりと瞬いた。
その夜、屋敷の灯りが、ひとつ、またひとつと、消えていく頃。
縁側の風鈴が、ちりん、と鳴った。
月は、もう、満ちていない。けれど、欠けた月の光は、穏やかに、静かに、眠る屋敷を、照らしていた。
庭の隅の井戸の底では、誰にも気づかれぬまま、小さな黒い影が、じっと、息をひそめていた。
「……見ていろ。まだ、終わりでは、ない」
囁き声は、夜風に溶けて、誰の耳にも、届かなかった。
世界を救うための、戦いは、これからも続く。
けれど、もう、彼女たちは、ひとりではない。
陽気で、豪快で、ちょっぴり不器用な、最強の代行者と、九人の戦乙女たち。
前線直結型の、ラブコメバトルは、まだ、始まったばかりだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
もし原作で、九姉妹を支える最強の陽キャの代行者が最初からそばにいたら、という「もしも」を、思い切り楽しく書いてみました。豪快なのにスキンシップには弱い雷牙と、素直になれない一千花たちのやり取りが、少しでも皆さんの笑顔になっていれば嬉しいです。
最後に、井戸の底で小さな影が動いていたのは、お気づきでしょうか。
最後になりましたが、お気に入り、評価、感想をくださった皆さん、本当にありがとうございました。またどこかでお会いしましょう!