戦×恋:レボリューション・ボルト ~雷神の転校生が九人の戦乙女を救ったら、前線直結のラブコメバトルが始まった~ 作:夜幻
月が昇っていた。
戦場跡を後にした一行の影が、静かな夜道に長く伸びている。誰もが泥だらけで、足取りは重い。それでも、昼間のような絶望の色は、どこにもなかった。
「ふぁ……お腹、すいた……」
六海が、ふらふらと歩きながらお腹を押さえる。
「私もです。戦術的に言って、糖分の補給が急務です」
五夜が眼鏡をずらしながら、真顔で頷いた。
「五夜、それ、ただのお腹すいたって意味よね」
「七樹、言葉を飾ることも必要です」
「飾れてないわよ」
前を歩く雷牙が、くるりと振り返る。その肩には、いつの間にか九瑠璃がちょこんと座っていた。
「おう、腹減ったな! 二葉、今日の晩飯、何だ?」
「えっとね、シチューにしようと思ってたの。あったかくて、栄養もあるし」
「シチュー! 最高じゃねえか!」
「雷牙、揺らさないで。ボクの計測器が狂う」
「悪い悪い。で、何を測ってんだ?」
「キミの身長と歩幅と、体の重心移動。ミョルニルの質量の手がかりになるかもしれないから」
「お前、本気で解き明かす気なんだな」
「当然。ボクは天才発明家だからね」
九瑠璃が胸を張る。肩の上でふんぞり返るので、雷牙が慌てて手で支えた。
その様子を、少し後ろから一千花が睨んでいた。
(……何よ、あの子、あんなに懐いて)
出会ってまだ一時間も経たない男の肩に、あの人見知りの九瑠璃が乗っている。それが、どうにも胸に引っかかった。
「一千花姉さん、眉間のシワ、すごいよ」
三沙が、ひょいと横に並んでにやついた。
「うるさいわね。生まれつきよ」
「嘘ばっかり。さっきから、雷牙の背中ばっかり見てるくせに」
「見てない! 警戒してるだけ!」
「はいはい。警戒ね、警戒」
「その言い方をやめなさい!」
一千花は顔を赤くして、足を速めた。夜風が、火照った頬を撫でていく。
道の途中、壊れた石垣の前で、雷牙がふと足を止めた。
「ここ、さっきの戦いで崩れたとこか」
「ええ。結界が破れかけた時に、衝撃で……」
「ちょっと待ってろ」
雷牙は石垣に手をかざし、小さく息を吐いた。指先から細い雷光が走り、崩れた石がひとつ、またひとつと、元の位置へ吸い寄せられるように積み上がっていく。
「えっ、直ってる……!?」
「雷で磁力を作って、引っ張っただけだ。壊れたまんまじゃ、明日、通る人が危ねえだろ」
「そんな使い方もできるのですか。戦術の幅が、一気に広がりますね」
五夜が、感心したように眼鏡を光らせる。
「ほら、お前らも帰って休め。夜道は冷えるぞ」
雷牙はジャケットを脱ぐと、ひょいと、六海の肩にかけてやった。
「わ……あったかい……」
「風邪ひいたら、アイドルの仕事に響くだろ」
「は、はい……ありがとうございます、らいがさん……」
六海が、ジャケットの襟をぎゅっと握りしめる。その頬が、夜道でもはっきり分かるほど赤かった。
「六海、ずるい」
七樹が、むすっと唇を尖らせた。
「ずるくないよ。七樹ちゃんも、寒かったら、入れてもらえばいいのに」
「入らないわよ! 誰が、あんな脳筋のジャケットなんか!」
「七樹は、強がりだねぇ」
三沙が、くっくっと笑った。
やがて、木々の向こうに、古く大きな屋敷が見えてきた。
門の前に、小さな影が立っている。ヘッドホンを首にかけた八雲が、本を片手に待っていた。
「あれ、八雲、いつの間に?」
「……音の力で、先に来た。お風呂、沸かしておいた」
「えっ、気が利くじゃない」
「……雷牙が汚れてたから」
八雲は、ぷいと視線を逸らす。
「おっ、ありがとな、八雲! 助かるぜ!」
「……別に。ついで」
ついで、と言いながら、八雲の耳が、ほんの少しだけ赤い。姉妹たちが、こっそり顔を見合わせた。
(八雲が、自分から誰かのためにお風呂を……)
一千花は目を丸くしたまま、玄関の戸を開けた。
「ところで雷牙」
三沙が、玄関の敷居をまたぎながら、振り返る。
「明日の朝、時間あるかい?」
「おう、あるぞ。どうした?」
「アタシの特訓、付き合ってもらおうかと思ってね。さっきの動き、近くで見たら血が騒いじゃってさ」
「いいぜ! 望むところだ!」
「ははっ、いい返事だ。逃げるんじゃないよ?」
「誰が逃げるか!」
二人の視線がぶつかり、火花が散る。
「……この二人、似た者同士ですね」
五夜が、ぼそりと呟いた。
屋敷の中は、あたたかな灯りに満ちていた。
居間の座卓には、いつもより一人分多く、座布団が並べられている。その一番端の席に、四乃が黙って座布団を直していた。兜の奥の表情は見えない。けれど、いつもより丁寧な手つきだった。
「四乃、これ、雷牙の席?」
「…………」
こくり、と兜が揺れる。
「ありがとな、四乃。いい座布団だ」
雷牙が笑いかけると、四乃の肩が小さく跳ねた。それ以上は何も言わず、台所の方へぱたぱたと逃げていく。
「あっ、逃げた」
「四乃は恥ずかしがり屋だからね」
二葉が、くすくす笑いながら腕まくりをした。
「みんなは先にお風呂に入ってきて。ご飯、すぐ作っちゃうから」
「手伝うぜ、二葉!」
「ダメだよ、雷牙くんはお客さんなんだから。座ってて」
「客じゃねえよ、今日から家族みたいなもんだろ?」
「か、家族……」
二葉が、包丁を持ったまま固まった。
「それなら、お願いしちゃおうかな。じゃあ、野菜の皮、剥いてくれる?」
「任せとけ!」
雷牙が袖をまくり、大きな手でじゃがいもを掴む。ごりごり、と、豪快すぎる音が台所に響いた。
「雷牙くん、皮じゃなくて実が減ってるよ!」
「あれ? 難しいな、これ」
「ふふっ、貸して。こうやって、薄く」
二葉が、雷牙の手に自分の手をそっと重ねた。
その瞬間、雷牙の動きがぴたりと止まる。
「……あ、悪い。近いな」
「え?」
「いや、なんでもねえ。ありがとな、二葉」
雷牙は、不自然なほど真剣にじゃがいもを見つめていた。耳の先が、ほんのり赤い。
二葉は首を傾げたものの、嬉しそうに微笑んだ。
鍋の中で、野菜がことことと柔らかく煮えていく。台所には、湯気とバターの甘い香りが満ちていた。
「雷牙くんって、料理は、あんまりしないの?」
「ああ、いつもコンビニか、丼ものだな。こんな、あったかい飯は久しぶりだ」
「そっか。じゃあ、これから毎日、あったかいご飯を作ってあげるね」
「毎日!? それ、最高すぎるだろ!」
「えへへ。みんなの分を作るのが、私の楽しみだから」
二葉が、鍋をかき混ぜながら、柔らかく笑った。雷牙は、その横顔を、しばらく黙って見つめていた。
台所の窓の外では、夜風に揺れる庭木が、さらさらと優しい音を立てている。こんなにも穏やかな夜が来るなんて、数時間前の誰が想像しただろうか。
一方、居間では。
「ねえ、お姉ちゃん。雷牙くんって、なんだか不思議な人だね」
六海が、湯上がりの髪をタオルで拭きながら言った。
「そうね。ただの脳筋かと思ったら、案外……」
「案外?」
「な、なんでもないわ!」
一千花は慌てて首を振る。
「六海は、この人のこと、どう思うの?」
「えっと、かっこいいし、優しそうだし、頼りになりそうです。……お仕事の合間に、会えたら嬉しいなって」
「ちょっと六海、あんた、ちょろすぎない?」
七樹が、じとっとした目を向ける。
「だ、だって、助けてもらったんだもん」
「アタシは信用しないからね。あんな調子のいい男、絶対裏があるに決まってる」
「七樹ちゃん、さっきから、ずっと雷牙さんの話ばっかりしてるよ」
「してない!」
七樹の叫びが、屋敷に響き渡った。
やがて、湯気の立つシチューが運ばれてくる。
食卓を囲んだ十人は、手を合わせた。
「いただきます!」
雷牙は、最初の一口を口に入れた途端、動きを止めた。
「…………うめえ」
「え?」
「うめえ! これ、めちゃくちゃうめえぞ、二葉!」
「ほんと? よかった……!」
「おかわり!」
「早っ!」
七樹が、思わず声を上げた。雷牙は、あっという間に一杯を平らげ、空になった器を二葉に差し出している。
「まだたくさんあるから、いっぱい食べてね」
「おう! 遠慮なく!」
二杯目、三杯目と、雷牙の食欲は止まらない。姉妹たちが呆気に取られて見守る中、鍋は、見る間に底をつき始めた。
「獅堂くん、その摂取カロリーは、さすがに過剰では」
「五夜、俺は戦うと腹が減るんだ!」
「理屈は分かりますが……」
「いいじゃない、五夜姉さん。気持ちいい食べっぷりだよ」
三沙が、笑いながら雷牙の背中をばしっと叩く。
「ははっ、三沙もどうだ、食え食え!」
「アタシはもう十分。……ほら、お代わり、ついであげるよ」
「おっ、ありがとな!」
「ちょっと、そこのバカ。そのコロッケ、アタシのよ」
七樹が、雷牙の箸の先を指差した。皿の上に、コロッケがひとつだけ残っている。
「ん? これ、お前のだったのか?」
「名前が書いてあるでしょ! 見えないの!?」
「いや、どこにも書いてねえぞ」
「心の目で見なさいよ!」
「それは、さすがに無理があるだろ」
「うるさい! さっさと返しなさい!」
「分かった分かった。ほらよ」
雷牙は、ひょいと箸でコロッケをつまみ、七樹の皿に移す。
「……え、いいの?」
「当たり前だろ。お前のもんなんだから」
「…………ふん。最初から、そうしなさいよ」
七樹は、ぷいと顔をそむけて、コロッケにかぶりついた。もぐもぐと噛みながら、ぼそりと呟く。
「……ちょっとだけ、いいとこあるじゃない」
「ん? 何か言ったか?」
「何も言ってない!」
その横で、四乃が、小さなお皿を雷牙の前に、そっと滑らせた。ほかほかの、焼きたてのパンだった。
「お、くれるのか?」
「…………」
こくり、と兜が揺れる。
「ありがとな、四乃! うまそうだ!」
雷牙が笑うと、四乃は、慌てて両手で兜の端を押さえ、ぷるぷると震えた。
一千花は、その様子を見て、こっそり息をついた。
(四乃が、あんなに自分から動くなんて)
その時、六海の携帯が、ぶるる、と震えた。
「あっ、マネージャーさんだ。ちょっとごめんね」
六海は、席を立って廊下に出ていく。数分後、戻ってきた彼女の顔は、アイドルの笑顔に切り替わっていた。
「明日の撮影、朝が早いんだって。でも、頑張るよ!」
「六海、無理するなよ。戦いも仕事も、全部抱え込むのはキツいだろ」
「ありがとうございます、らいがさん。でも、どっちも、私の大事なお仕事ですから」
六海は、小さく拳を握って笑った。その横顔は、頼もしくて、少しだけ眩しかった。
「いい顔だな、六海。応援してるぜ」
「はいっ!」
雷牙は、最後の一杯を美味しそうに飲み干して、満足げに息をついた。
「ごちそうさま! 二葉の料理が世界一だな!」
「……え?」
二葉が、きょとんと目を瞬かせる。
「『二葉の料理が世界一』? もー、そんなこと急に言われると恥ずかしいよぅ……!」
両手で頬を押さえて、二葉は耳まで真っ赤になった。その様子に、姉妹たちが一斉に笑い出す。
笑い声が、居間いっぱいに広がった。
一千花は、その光景を黙って見つめていた。
(……こんなに、みんなが笑ってるの、いつ以来かしら)
大侵攻が続いたこの数週間、屋敷は、いつも張り詰めた空気に包まれていた。食卓も、ただ栄養を摂るためだけの場所になっていた。
それが今夜は、まるで昔に戻ったみたいだった。
(悔しいけど、これは、あの男のおかげなのよね)
胸の奥が、じんわりと温かくなる。けれど、それを素直に認めるのは、まだ少しだけ癪だった。
食後。
一千花は、そっと居間を抜け出して、屋敷の縁側に出た。
夜空には、数えきれないほどの星が瞬いている。ひんやりした風が頬を撫で、庭の草木が、さらさらと揺れていた。
縁側に腰を下ろし、膝を抱える。小さな体が、夜の闇にさらに小さく見えた。
背後で、ふすまが静かに開く気配がした。
「一千花姉さん」
「……五夜。どうしたの」
「お茶を、お持ちしました。夜は冷えますので」
五夜が、湯呑みをそっと一千花の隣に置く。そのまま、少し離れた場所に正座した。
「ありがとう。あなたも、休んでいいのよ」
「いえ。姉さんが、一人で背負い込んでいる気がして」
「……そんなことないわ」
「あります。生徒会長として、人の顔色を見るのは得意なんです」
五夜は、眼鏡の奥で、まっすぐに一千花を見つめた。
「お父様が遣わしてくださった方なのです。きっと、姉さんの重荷を、分かち合ってくださいます」
「あなたは、本当に、お父様を信じてるのね」
「はい。それと、姉さんのことも、信じています」
その言葉に、一千花は、思わず目を見開く。
「……生意気ね」
「事実を述べただけです」
五夜は、ほんの少しだけ微笑んで、静かに立ち上がった。
「どうか、ご無理なさらず。私たちは、いつでも、姉さんの味方ですから」
去っていく妹の背中を見送って、一千花は、湯呑みを両手で包んだ。
(私、いつから、妹たちに心配される側になったのかしら)
湯気が、ゆらゆらと夜気に溶けていく。
(お父様、どうして、あんな人を……)
戦乙女たちは、主神の代行者との恋人契約があって初めて、本当の力を発揮できる。それが分かっていても、一千花には、受け入れられない気持ちがあった。
長女として、ずっと妹たちを守ってきた。誰にも頼らず、自分の力で、全てをやり遂げてきた。
それなのに、あんな風に、あっさりと全てを救われてしまった。
(私は、今まで、何をしてきたのかしら)
視界が、じわりと滲む。
「おっ、こんなとこにいたのか」
背後から、のんきな声が聞こえた。
「……っ!」
一千花は慌てて目元を拭い、振り返る。縁側の柱に、雷牙が寄りかかって立っていた。
「な、何しに来たのよ」
「ん? 風呂上がりに涼みに来たら、お前がいたんだよ」
「……盗み見?」
「違えよ。たまたまだ」
雷牙は、一千花の隣に、どかっと腰を下ろす。
「ちょっと、近いわよ。もう少し離れなさい」
「そうか? じゃあ、これくらいか」
十センチほど離れた。けれど、それでも、体温がふわりと伝わってくる距離だった。
「……あなた、さっきの話、本気なの?」
「さっきの話?」
「イチャイチャとか、恋人行動とかいう……」
「ああ、あれか。本気だぞ」
「どうして、そんなに堂々と言えるのよ」
「だって、世界を救うのに必要なんだろ? なら、やるしかねえじゃねえか」
「それは、そうだけど……」
一千花は、膝に顔を埋める。
「私は、そんなに簡単には割り切れない」
「そうか」
「あなたは、平気なの? 初対面の女の子たちと、いきなり、そういう関係になるのよ?」
「平気じゃねえよ」
雷牙が、ぼそりと言った。
「え?」
「正直、めちゃくちゃ緊張してる。さっきから、心臓がうるせえんだ」
「……嘘でしょう。あれだけ堂々と、肩を抱いたくせに」
「あれは、勢いだ」
「勢い!?」
「だって、お前、さっきまで泣きそうな顔してたじゃねえか。放っとけなくてよ」
一千花の呼吸が、止まった。
「……泣いてなんか、いなかったわ」
「そうか? ずっと我慢してる顔してたぞ」
「うるさい」
「ははっ、否定しねえんだな」
「だ、黙りなさい!」
一千花は、顔を真っ赤にして、雷牙の肩を軽く叩いた。ぺし、と小さな音がする。
「痛くねえな」
「手加減してるのよ!」
「それ、手加減してるって言うやつは、だいたい手加減してねえぞ」
「バカ……」
小さな声が、夜に溶けた。
雷牙は、しばらく空を見上げていた。それから、静かな声で言った。
「一千花。お前、ずっと一人で頑張ってきたんだな」
「…………」
「俺が来たからって、お前の頑張りが無駄になったわけじゃねえ。お前が守ってきたから、俺は間に合ったんだ」
「え……」
「お前らが結界を保ってたから、街は無事だった。俺は、それを引き継いだだけだ」
夜風が、二人の間を吹き抜ける。
一千花は、唇を噛みしめた。目の奥が、じんと熱くなる。
(この人は……どうして、こんなに、まっすぐなの)
認めたくなかった。けれど、その言葉は、確かに、心の一番深いところに届いていた。
「……ふん。調子のいいことを言うのね」
「本当のことだ」
「そ、そう。なら、少しだけ、信じてあげるわ」
「おう、ありがとな」
雷牙は、にっと笑う。
「ねえ、獅堂」
「ん?」
「あなたは、どうして、引き受けたの? この役目を」
「どうしてって?」
「危険だって、分かっていたでしょう。邪界の大侵攻の真っ只中に飛び込むなんて」
「ああ、まあ、な」
雷牙は、頭の後ろで手を組んで、夜空を見上げた。
「正直に言うと、最初は、面白そうだなって思っただけだ」
「面白そう……?」
「強いやつと戦えるかもしれねえし、世界を救うなんて、かっこいいだろ? それだけだった」
「呆れた……」
「けど、お前らを見て、変わった」
雷牙は、一千花に向き直る。
「あんなにボロボロになっても、誰一人、逃げなかった。互いを庇って、笑って、立ち上がってた。あれを見て、思ったんだ。こいつらの隣で戦いたいって」
「…………」
「だから、今は、面白そうじゃなくて、守りたいから、ここにいる」
真剣な声だった。夜風が、二人の髪を揺らす。
一千花は、返す言葉を探して、唇を開いて、閉じた。
(この人は、ふざけているようで、ちゃんと、見ていてくれたのね)
「……そう」
やっとのことで、それだけを絞り出す。
「ふん。口だけなら、何とでも言えるわ」
「口だけじゃねえって、これから、証明してやるよ」
「期待しないで待っててあげる」
精一杯の強がりだった。けれど、その声は、さっきよりずっと、柔らかかった。
その時、一千花は気づいた。縁側の端に、こっそり、いくつかの影が並んでいることに。
「…………」
障子の隙間から、七樹の目がぎらりと光っている。その後ろには、六海と二葉、五夜、三沙。さらに、八雲と九瑠璃までが、ぎゅうぎゅうと詰まって覗いていた。
「な……なにやってるの、あなたたち!?」
「ば、バレた!」
「七樹、あんたが押すから!」
「押してないわよ! 六海が前に出たからでしょ!」
「ち、違うよ、五夜ちゃんが……!」
「私は客観的な状況把握のために、ですね!」
「全員、出歯亀でしょ!」
一千花の絶叫が、夜空に響く。雷牙は、腹を抱えて笑っていた。
「ははははっ! いいじゃねえか、みんなで来いよ!」
「来なくていいわよ!」
「……面白そうだから、見てた」
八雲が、ぽつりと白状する。
「ボクは、データ収集」
「九瑠璃、あんたまで!」
けれど、その賑やかさが、不思議と、一千花を少しだけ楽にした。
姉妹たちは、わいわいと縁側に座り込んだ。空には、満天の星。誰かが、お茶を持ってきて、誰かが、毛布を羽織らせてくれる。
「あのね、雷牙くん」
二葉が、湯呑みを差し出しながら言った。
「戦乙女の力を引き出すための、恋人行動のことなんだけど」
「おう」
「簡単に言うとね、心が通じ合うほど、私たちの武装は強くなるの。だから、お互いに気持ちを預けられる関係になることが、大事なんだよ」
「なるほどな。……気持ちを、預ける、か」
「でも、無理はしなくていいの。ゆっくりでいいから」
「いや」
雷牙は、湯呑みを置いて、立ち上がった。
「善は急げだ。まず一千花で、試してみよう」
「は?」
「え?」
「は、はああ!?」
一千花は、飛び上がらんばかりに驚いた。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! なぜ私から!?」
「だって、お前が長女で、いちばん疲れてるだろ。力が戻れば、みんなも楽になる」
「それは、そうだけど! 心の準備というものが!」
「準備か。じゃあ、十秒やる」
「短い!」
「九、八、七……」
「数え始めないで!」
一千花は、慌てて立ち上がり、後ずさった。背中が柱にぶつかる。
「待って、待ちなさい、獅堂!」
「六、五、四……」
「このバカ! 話を聞きなさいって言ってるでしょ!」
「三、二、一……」
雷牙が、ゆっくりと、両腕を広げた。
「よし、行くぞ。いいか、一千花」
「だ、だめ、だめよ、まだ……」
「ゼロ」
大きな腕が、一千花の体を包み込んだ。
ふわり、と、体が浮くような感覚だった。
雷牙の胸板が、すぐ目の前にある。厚い胸の奥で、どくん、どくんと、強い鼓動が響いていた。レザーとせっけんの匂いが混ざって、鼻先をくすぐる。
(あ……あったかい……)
一千花は、呼吸を忘れた。
体の芯から、じんわりと熱が広がっていく。それは、戦いの疲れを溶かすような、不思議な温もりだった。
けれど、その時だった。
雷牙の腕が、ぴたりと止まった。
「…………」
「……獅堂?」
一千花が、恐る恐る顔を上げる。
雷牙の顔は、これ以上ないほど真っ赤だった。目は泳ぎ、視線は夜空のあちこちをさまよっている。
「……あ、いや、すまん。やっぱこれ照れるな!」
「え?」
「す、すみません、こういうの、慣れてなくて……!」
「なんで敬語になってるのよ!」
「いえ、その、女の人に、こんな近くで触れたのは、初めてなもので……!」
「さっき肩を抱いたでしょ!」
「あれは、勢いです!」
「さっきも聞いたわよ、それ!」
一千花は、思わず吹き出しそうになって、慌てて口を押さえた。
(なによ、これ。さっきまで、あんなに堂々としてたくせに)
真っ赤になって目を逸らす雷牙の姿は、不思議なほど、年相応の少年に見えた。
胸の奥が、きゅううっと、音を立てて縮む。
(……か、かわいい)
思った瞬間、頭が爆発しそうになった。
(ち、違う! 今のは違う! 私は何を考えてるの!?)
「ほ、ほら、離しなさい。もう、十分でしょ」
「あ、はい。いえ、その、離したほうがいいですか?」
「聞かないでよ!」
「すみません!」
それでも、雷牙の腕は、離れなかった。むしろ、ぎこちなく、少しだけ強く、一千花を支えていた。
その瞬間、変化が起きた。
一千花の手の中の槍が、ふわりと光を帯びたのだ。
「え……?」
青白い光が、槍の穂先から立ち上る。体の奥から、今までにない力が湧き上がってくる。傷だらけの腕から痛みが引き、疲労が、嘘のように消えていった。
「これは……」
「おっ、効いたみたいだな!」
「だから、敬語、戻ってるわよ」
「あ、すまねえ。つい」
雷牙が、照れくさそうに頭を掻いた。
縁側の姉妹たちは、息を呑んで、その光景を見つめている。
「すごい……」
「槍が、光ってる……」
「戦術的に、これは、画期的な発見です」
「五夜姉さん、メモ取りすぎ」
「雷牙、かっこいい……」
「八雲、今、なんか言った?」
「……なんでもない」
一千花は、自分の手を見つめた。確かに、力が漲っている。
(私たちは、本当に、こうやって強くなれるのね)
認めるしかなかった。
目の前の少年は、本物の、主神の代行者なのだ。
「……獅堂」
「ん?」
「その、今のは、その……悪くなかったわ」
「そ、そうか?」
「べ、別に、あなたのことを認めたわけじゃないから! 力が戻ったから、その、礼を言っただけよ!」
「おう、分かってるって」
雷牙は、にっと笑った。
「バカ……」
一千花は、そっぽを向く。けれど、さっきより、ほんの少しだけ、口元が緩んでいた。
「ねえ、お姉ちゃん」
二葉が、そわそわと身を乗り出した。
「その槍、どんな感じ? 痛くない? 苦しくない?」
「平気よ。むしろ、体が軽いくらい」
「すごい……私も、早く試してみたいな」
「二葉、顔が緩んでるよ」
「えっ!? ち、違うよ、三沙ちゃん!」
「いいじゃないか、アタシも楽しみだし。なあ、雷牙、次はアタシの番かい?」
「お、おう、順番にな! けど、ちょっと待ってくれ、さっきの一千花ので、心臓が持たねえ」
「あっははは! 情けないねぇ、アンタ」
「うるせえ! お前らが見てるから、余計に緊張すんだよ!」
「ふん、見られて困るなら、最初からやらなきゃいいのよ」
七樹が、腕を組んで鼻を鳴らす。
「でも、七樹ちゃん、さっきから、ずっと瞬きしないで見てたよね」
「してた! 監視よ、監視!」
「ふふ、七樹らしいね」
六海が、くすくす笑った。
「雷牙、さっきの心拍数、測っておいたよ」
九瑠璃が、ぴょこんと手を挙げて、小さな機械を掲げた。
「百七十。普通の人間なら、ちょっと危ない数字」
「おい、いつの間に測ってたんだ!」
「雷牙が一千花に近づいた時から。ついでに、一千花も百五十だった」
「な、なんで私の分まで!?」
「ボクは、公平な科学者だから」
「公平じゃなくて、盗撮でしょう、それは!」
「盗撮じゃない。観測」
「言い方を変えればいいってものじゃないわよ!」
一千花は、そんな賑やかなやり取りを聞きながら、まだ雷牙の腕の中にいた。
「……獅堂」
「ん?」
「その、そろそろ、離しなさい。みんなが見てるわ」
「あ、すまねえ。つい」
「つい、じゃないわよ!」
雷牙が慌てて腕を解く。一千花は、数歩よろけて、自分の頬を両手で押さえた。熱い。耳まで、ぜんぶ熱い。
(なによ、これ。心臓が、全然おさまらない)
どくん、どくん、と、うるさいくらいの鼓動が、全身を揺らしていた。
雷牙の体温が、まだ、肌に残っている気がした。
その時だった。
闇の中から、ずるり、と黒い影が這い出てきた。
「ギ、ギギ……」
小さな悪魔が、庭の植え込みの陰から、牙を剥いて飛びかかってきたのだ。
「危ない!」
誰かが叫ぶ。
雷牙は、振り向きもしなかった。
一千花を片腕に抱いたまま、もう片方の手を、ひょいと伸ばす。
「おいおい、邪魔すんなよ。今いいところなんだからよ!」
ぱしん、と、乾いた音がした。
雷牙の掌が、悪魔の頭を、虫を叩くように押し潰す。黒い影は、断末魔を上げる間もなく、霧になって消えていった。
「…………」
縁側が、しん、と静まり返る。
「……片手」
「しかも、振り向かずに……」
「どうして、そんなに余裕なのよ、あなたは!」
一千花が、真っ赤な顔で叫んだ。
「いや、だって、いいところだったし」
「いいところって言わないで!」
縁側は、笑い声と悲鳴と、ツッコミの声でいっぱいになった。
笑い声が落ち着いた頃、一千花は、そっと自分の槍を見つめた。穂先の光は、まだ、淡く残っている。
(私は、こうやって、誰かに預けることを、ずっと怖がっていたのかもしれない)
けれど今夜、預けてみた。たった一度、ほんの数十秒。それだけで、世界の色が、少し変わった気がした。
「一千花」
雷牙が、少し離れた場所から、声をかける。
「なによ」
「ありがとな。信じてくれて」
「……信じたわけじゃないわ。試しただけよ」
「それでもいいさ」
「だから、勘違いしないで。明日からも、遠慮なく文句は言うわよ」
「おう、望むところだ!」
「……バカ」
小さく呟いた声は、誰にも聞こえないくらい、柔らかかった。
「さあ、そろそろ寝ようか。明日も、いっぱい忙しくなるからね」
二葉が、ぱんぱんと手を叩いて、みんなを促した。
「雷牙くんの部屋、客間に布団敷いておいたよ」
「おう、ありがとな、二葉。おやすみ、みんな」
「おやすみなさい、らいがさん!」
「……おやすみ」
「ボクも寝る。解析は、明日の朝から」
それぞれの寝室へ、足音が散っていく。静かになった縁側で、一千花は、最後にもう一度だけ、夜空を見上げた。
客間の障子の向こうで、雷牙が大きなあくびをする気配がした。
「ふあぁ……明日も、早いな」
「寝坊したら、叩き起こすわよ」
「おう、頼むぜ、一千花!」
「……名前で呼ばないで。いえ、呼んでもいいけど、急に呼ばれると、心臓に悪いのよ」
「どっちだ?」
「どっちでもいい! おやすみ!」
一千花は、ぴしゃりと言い捨てて、足早に廊下を歩き出した。
背中に、「おう、おやすみ!」という元気な声が追いかけてくる。
(まったく、あの男は……!)
そう思いながら、彼女の足取りは、不思議なほど軽かった。
夜空の星々が、そんな賑やかな屋敷を、静かに見守っている。
遠くで、梟が一声だけ鳴いた。屋敷じゅうの灯りが、ひとつ、またひとつと、静かに消えていく。まるで、長かった、一日の終わりを、そっと告げるように。
世界を救うための、前線直結のラブコメバトルは、まだ、最初の夜を迎えたばかりだった。