戦×恋:レボリューション・ボルト ~雷神の転校生が九人の戦乙女を救ったら、前線直結のラブコメバトルが始まった~ 作:夜幻
河川敷の戦いから、一夜が明けた。
朝の玄関先は、いつにも増して騒がしかった。
「ちょっと、アタシのリボンがないんだけど!」
「七樹、洗面所の棚の上よ。昨日自分で置いたでしょう」
「あ、あった! ありがとう、二葉姉さん!」
制服姿の七樹が、ばたばたと廊下を駆け回っている。その後ろから、同じく制服をきっちり着こなした五夜が、鞄を抱えて現れた。
「七樹、廊下は走らないでください。生徒会長の妹として、示しがつきません」
「うるさいわね、五夜姉さん。遅刻しそうなんだから、仕方ないでしょ」
「まだ三十分も余裕があります」
「余裕があるうちに行きたいの!」
七樹は、ぷんぷんしながら靴を履いた。そこへ、さらにもうひとり、新しい制服に袖を通した少年が、のっそりと現れる。
「おーい、どうだ。ちゃんと着られてるか?」
雷牙だった。
紺色のブレザーに、きちんと結ばれたネクタイ。普段のレザージャケット姿とは打って変わって、どこから見ても、爽やかな男子高校生だった。
「…………」
「…………」
玄関にいた全員が、一瞬、言葉を失った。
「あれ? どっか変か?」
「い、いえ、その……」
一千花が、顔をそらしながら、咳払いをした。
「ネクタイが、曲がってるわよ」
「え、本当か?」
「貸しなさい。直してあげるから」
「おう、悪いな」
一千花は、背伸びをして、雷牙のネクタイに手を伸ばした。けれど、身長百三十八センチの彼女では、どうしても届かない。
「ちょっと、しゃがみなさい」
「こうか?」
「もっと」
「こうか?」
「そう。……動かないで」
雷牙が、膝を折って、一千花の前に顔を寄せた。至近距離で、二人の視線が絡む。
「…………っ」
一千花の指先が、ぴくりと震えた。
(近い……! 顔が、近い……!)
ネクタイを直す手が、うまく動かない。雷牙の顔が、あまりにも真っ直ぐに、こちらを見ているからだ。
「一千花、どうした? 手、震えてるぞ」
「ふ、震えてない! あなたが動くからでしょう!」
「動いてねえぞ」
「うるさい!」
一千花は、顔を真っ赤にして、ぎゅっと結び目を締め上げた。
「ぐえっ! 苦しい!」
「我慢しなさい!」
「いや、これ、締めすぎだろ!」
「ちょうどいいのよ!」
玄関の隅で、二葉と三沙が、にやにやと顔を見合わせていた。
「お姉ちゃん、素直じゃないなぁ」
「ふふ、まあ、微笑ましいじゃないか」
「そこ! 聞こえてるわよ!」
一千花の怒鳴り声が、朝の玄関に響き渡った。
「雷牙、ちょっと待って」
九瑠璃が、とことこと玄関に走ってきた。小さな手には、手のひらサイズの、丸い金属製のバッジが握られている。
「これ、あげる。ボクが作った、通信機」
「おっ、なんだこりゃ。かっこいいな!」
「雷牙のミョルニルの反応と、ボクたちの武装の反応を、同時に拾えるの。何かあったら、ブザーが鳴るよ」
「すげえな! 九瑠璃、お前、本当に天才なんだな!」
「ふふん、当然」
九瑠璃は、胸を張って、ぴょんぴょん跳ねた。
「でも、壊したら、怒るからね」
「分かった。大事にする!」
雷牙は、バッジをブレザーの襟にぱちりと留めた。九瑠璃は、満足そうに頷いて、にこにこと見上げている。
「……雷牙、行ってらっしゃい」
「おう、行ってくる!」
「あっ、雷牙くん、お弁当!」
二葉が、ぱたぱたと走ってきて、風呂敷包みを差し出した。
「はい、これ。雷牙くんの分は、三段重ねにしておいたよ」
「三段!? 最高だな、二葉!」
「ふふ、お昼にみんなで分けてもいいからね」
「おう、ありがとな!」
二葉の優しい笑顔に見送られて、三人は、朝の光の中へと歩き出した。
登校の道すがら。
桜並木の坂道を、三人は並んで歩いていた。真ん中に雷牙、左に五夜、右に七樹。すれ違う生徒たちが、ちらちらと、こちらを振り返っていく。
「ねえ、見て、生徒会長の五夜先輩と、七樹ちゃんだ」
「隣の人、誰? かっこいい……」
「転校生かな?」
囁き声が、風に乗って聞こえてくる。
「なんか、見られてるな」
「当然です。獅堂くんは、今日から転入する、新入生ですから」
「それだけか?」
「それだけ、ではありませんが……」
五夜は、眼鏡を押し上げて、言葉を濁した。
「ふん。顔だけはいいから、目立つのよ」
七樹が、ぷいとそっぽを向いて呟いた。
「え、俺、顔いいのか?」
「い、今のは、その、一般論よ!」
「そうか、ありがとな」
「お礼を言わないで!」
七樹の頬が、ほんのり赤く染まる。
その時、坂の上から、女子生徒たちの甲高い声が聞こえてきた。
「あっ、七樹ちゃーん! おはよう!」
「七樹ちゃん、今日も可愛いね!」
見ると、数人の女子生徒が、手を振りながら駆け寄ってきていた。
「おはよう、みんな」
七樹が、ぱっと表情を変えた。
ふわり、と柔らかな微笑みを浮かべ、声のトーンが、一段階、高くなる。
「今日も、いい天気ですね。みなさん、お元気そうで、よかったです」
「きゃあっ、七樹ちゃん、天使みたい!」
「今日の髪型、素敵ですね!」
「ふふ、ありがとうございます。みなさんも、とても可愛いですよ」
「…………」
雷牙は、ぽかんと口を開けて、その光景を眺めていた。
「……なあ、五夜」
「はい」
「あれ、誰だ?」
「七樹です」
「いや、さっきまでの七樹と、全然違うんだが」
「学校での七樹は、『可憐な天使』と呼ばれているのです。本人も、その呼び名を、わりと気に入っていまして」
「へえ、すげえな……。役者みてえだ」
「聞こえてるわよ!」
七樹の笑顔の裏から、低い声が漏れた。
女子生徒たちが、きょとんと首を傾げる。
「七樹ちゃん、今、何か言った?」
「い、いいえ! なんでもありません!」
七樹は、慌てて天使の笑顔に戻った。けれど、その額には、うっすらと汗が滲んでいる。
「それより、みなさん、この方は、本日から編入してこられる、獅堂雷牙くんです」
「えっ、転校生!?」
「はじめまして! 俺は獅堂雷牙! よろしくな!」
雷牙が、元気いっぱいに手を挙げた。
「きゃあああっ!」
女子生徒たちの黄色い声が、桜並木に響き渡った。
「かっこいい!」
「声が大きい! 元気!」
「七樹ちゃんと、どういう関係なの!?」
「え? 仲間だぞ!」
「仲間!?」
「ち、違います! その、同じ家に、お世話になっているだけで……!」
「同じ家!?」
「ち、違うの、そういう意味じゃなくて!」
七樹の天使の仮面が、見る間に崩れていく。
五夜が、額に手を当てて、深くため息をついた。
「……始まりましたね」
二年B組の教室は、ざわざわとした期待感に包まれていた。
窓際の席で、七樹は、教科書を開くふりをしながら、そわそわと周囲を見渡している。
「ねえ、七樹ちゃん、転校生って、七樹ちゃんの知り合いなんでしょ?」
「ええと、まあ、遠い親戚みたいなもので……」
「どんな人? 優しい?」
「優しいというか、なんというか、バカというか……」
「え?」
「な、なんでもないです!」
七樹は、慌てて首を振った。
その時、教室の前の扉が、がらりと開いた。
「はーい、みんな、席についてー」
担任の女性教師が、入ってくる。その後ろから、紺色のブレザー姿の雷牙が、ひょいと顔を出した。
「今日は、転校生を紹介します。さあ、獅堂くん、自己紹介をどうぞ」
「おう!」
雷牙は、教壇に立つと、教室中をぐるりと見渡した。
そして、満面の笑みで、大きな声を張り上げた。
「獅堂雷牙だ! 今日からお前たちの仲間になる! よろしくな!」
教室が、しん、と静まり返った。
そして、次の瞬間、わっと歓声が湧き上がった。
「すげえ、元気いいな!」
「かっこいい!」
「なんか、アニキって感じ!」
「よし、じゃあ、みんな! これから、一年間、全力で楽しもうぜ!」
「おーっ!」
教室中が、一体となって拳を突き上げた。
七樹は、机に突っ伏して、頭を抱えていた。
(なんなのよ、あの男は……! 初日から、クラスの心を掌握してるじゃない!)
「じゃあ、獅堂くんの席は……そうね、窓際の、天野さんの隣が空いているわね」
「いえ、先生」
雷牙が、ひょいと手を挙げた。
「俺、七樹の隣がいいです!」
「え」
「えええっ!?」
教室が、どよめいた。
「ちょ、ちょっと! 何を言ってるの、獅堂くん!」
七樹が、天使モードのまま、慌てて立ち上がった。
「だって、知ってる奴の隣のほうが、安心だろ?」
「それは、そうかもしれませんが……!」
「それに、七樹の隣の席、ちょうど空いてるじゃねえか」
確かに、七樹の隣の席は、空いていた。
「あら、本当ね。じゃあ、そこに座りなさい」
「先生!?」
「よっしゃ!」
雷牙は、ずんずんと歩いて、七樹の隣の席に、どかっと腰を下ろした。
「よろしくな、七樹」
「…………よろしく、お願いします」
七樹は、引きつった笑顔で答えた。その手の下で、スカートの裾が、ぎゅうっと握りしめられている。
(覚えてなさいよ、バカ雷牙……!)
一時間目の授業は、数学だった。
「じゃあ、この問題を……そうね、獅堂くん、前に出て、解いてみて」
「お、俺ですか!?」
「ええ。転校初日だから、実力を見せてもらおうと思って」
「おう、任せてください!」
雷牙は、勢いよく立ち上がり、黒板の前に歩いていった。
黒板には、複雑な二次関数のグラフと、長い問題文が書かれている。
「……………」
雷牙は、チョークを持ったまま、じっと問題を睨んだ。
一分。
二分。
三分。
「あの、獅堂くん?」
「先生」
「はい」
「これ、気合いで解けますか?」
「解けません」
「ですよね」
教室が、どっと笑いに包まれた。
「ぷっ……」
窓際の席で、七樹が、必死に笑いをこらえていた。口元を押さえた肩が、ぷるぷると震えている。
(脳筋、ここに極まれり……!)
「じゃあ、仕方ないわね。席に戻って、教科書を読み直してなさい」
「はい、すみません」
雷牙は、頭を掻きながら、席に戻ってきた。
「七樹、笑いすぎだぞ」
「わ、笑ってません……ふふっ」
「笑ってるじゃねえか」
「うるさい。……ほら、ここの公式、こうやって使うのよ」
七樹が、こっそりと、ノートの端に公式を書いて、雷牙の方へ滑らせた。
「おお、助かる! 七樹、お前、頭いいんだな!」
「当然よ。アタシは天才なんだから」
「じゃあ、これから、勉強も教えてくれ!」
「は、はあ!? なんでアタシが!」
「だって、隣の席だし」
「理由になってないわよ!」
小声の言い合いが、教室の片隅で、ひそひそと続いた。
昼休み。
屋上のフェンス際に、七樹は、雷牙を呼び出していた。
「ちょっと、あなた!」
「おう、七樹。どうした?」
「どうしたじゃないわよ! なんで、アタシの隣に座るのよ!」
「だって、知ってる奴の隣のほうが……」
「それは、さっき聞いた!」
七樹の天使の仮面は、すっかり剥がれ落ちていた。腕を組み、肩をいからせ、本来の勝気な顔つきで、雷牙を睨みつけている。
「アタシは、学校では、清楚で可憐な天使として、通してるの! アンタみたいなのが隣にいたら、化けの皮が剥がれるでしょう!」
「化けの皮? さっきまでの七樹も、今の七樹も、七樹だろ?」
「それは……そうだけど!」
「俺は、どっちも好きだぞ」
「…………っ!?」
七樹の顔が、爆発したように真っ赤になった。
「な、なななな、何を言ってるの、アンタは!」
「いや、さっきの笑顔も可愛かったし、今の怒った顔も、元気があっていいなって」
「か、か、可愛いとか、言うな!」
七樹は、ぶんぶんと両手を振り回した。
「な、なによその顔!『可愛い』って言うな! アンタなんか、ただの脳筋のくせに……っ!」
「顔? 俺、普通の顔してるつもりだけど」
「そのニヤニヤした顔よ!」
「ニヤニヤしてねえぞ」
「してる! 絶対、してる!」
七樹は、ぷんすかと怒りながら、フェンスにがしゃんと背中を預けた。胸が、どきどきと、うるさいくらいに脈打っている。
(なんなの、コイツ……! なんで、そんなに、まっすぐ言えるの……!)
「七樹」
「な、なによ」
「お前、本当は、天使やってるの、疲れてるんじゃねえか?」
「…………え?」
七樹は、思わず顔を上げた。
雷牙が、いつになく、穏やかな顔で、こちらを見ていた。
「さっきも、友達と話してる時、ちょっと、無理してる感じがしたからな」
「そ、そんなこと、ない」
「そうか?」
「……ない、わよ」
七樹の声が、小さくなる。
長い沈黙が流れた。屋上の風が、七樹の髪を揺らして、さらさらと音を立てる。
「……みんな、期待してるのよ」
七樹が、ぽつりと言った。
「学校のみんなは、アタシに、可憐な天使でいてほしいの。だから、そうしてるだけ。……別に、嫌じゃ、ないんだけど」
「そっか」
「でも、たまに、疲れる時もある」
「それが普通だろ」
「普通?」
「ああ。誰だって、いつも同じ顔でいるのは、しんどいもんだ」
雷牙は、フェンスにもたれて、空を見上げた。
「だから、俺の前では、無理しなくていいぞ」
「……え?」
「俺は、どんな七樹でも、仲間だと思ってるからな」
「…………」
七樹は、言葉を失った。
胸の奥が、きゅうっと、温かくなる。それは、昨日、河川敷で、六海が感じたものと、同じだったかもしれない。
「……バカ」
「ん?」
「アンタなんて、ただの脳筋のくせに……なんで、そんな、いいこと言うのよ」
「ははっ、そりゃ、誉め言葉か?」
「違う! 悔しいのよ!」
七樹は、目に涙を浮かべて、雷牙の胸を、ぽかぽかと叩いた。
「アタシが、一番、天才なのに! 一番、強いのに! なんで、アンタに、そんな風に言われなきゃいけないのよ!」
「そりゃ、悪かったな」
「悪くない! ……悪くないけど!」
「どっちだ」
「どっちでもいいの!」
七樹は、ぐすっと鼻をすすって、雷牙の胸に、額をぐりぐりと押し付けた。
雷牙は、その頭を、ぽんぽんと撫でた。
「……ほら、世界を救うためなんだから、さっさとキスしなさいよバカッ!」
「は?」
雷牙の動きが、ぴたりと止まった。
「……え、今、なんて?」
「あ……」
七樹も、固まった。
自分の口から出た言葉の意味を、じわじわと理解して、顔が、耳まで真っ赤に染まっていく。
「ち、ちがっ……今の、違うから! 言い間違いよ! その、つい、勢いで!」
「キ、キスは、さすがに、まだ早えだろ!」
「だから、違うって言ってるでしょ!」
「いや、でも、お前、今、確かに……」
「聞き間違いよ! アンタの耳が悪いのよ!」
「そんな、ひでえ!」
二人は、真っ赤な顔で、屋上の端と端に、ぱっと離れた。
「……あ、あのな、七樹」
「な、なによ」
「そういうのは、本当に、好きな奴にとっておけ。世界を救うためとか、そういう理由で、軽々しく、使うもんじゃねえ」
「…………」
「俺は、お前のこと、ちゃんと大事に思ってる。だから、そういう形じゃなくて、別のやり方で、力を貸し合えばいい」
雷牙は、真剣な顔で、そう言った。
七樹は、ぽかんと口を開けたまま、その顔を見つめていた。
(……この人、ふざけてるようで、ちゃんと、考えてるんだ)
さっきまでの恥ずかしさが、少しずつ、別の感情に変わっていく。
「……わかったわよ」
「おう」
「アタシも、ちょっと、焦りすぎたわ」
「気にすんな」
「……じゃあ、別のやり方って、何?」
「そうだな……」
雷牙は、少し考えてから、すっと右手を差し出した。
「握手、だな」
「握手?」
「ああ。信頼の証、ってやつだ」
「……そんなので、いいの?」
「いいんだよ。大事なのは、気持ちだ」
七樹は、しばらく迷っていたが、やがて、そっと、自分の手を、雷牙の手に重ねた。
ぎゅっ、と、握り返される。
大きくて、温かい手だった。
「…………あ」
雷牙の頬が、またしても、ぽっと赤くなった。
「……あ、いや、すまん。やっぱこれ照れるな!」
「ぷっ」
七樹が、吹き出した。
「あははははっ! また、それ!」
「わ、笑うなよ!」
「だって、さっきまで、あんなに堂々と、可愛いとか言ってたくせに!」
「それは、勢いだ!」
「勢いばっかりね、アンタ!」
七樹は、腹を抱えて笑い続けた。目尻に、涙が滲んでいる。
その瞬間、七樹の剣が、胸元でぼうっと光を放った。
「え?」
「おっ、来たな」
七樹の体から、澄んだ銀色の光が溢れ出し、制服の袖口から、剣の輝きが、きらきらと漏れ出していた。
「すごい……体が、軽い」
「やっぱり、効いたな」
「アンタ、握手だけで、こんなに……」
「気持ちが通じたからだ。な?」
「……ふん。調子に乗らないでよね」
七樹は、そっぽを向いた。けれど、その口元は、確かに緩んでいた。
「でも」
「ん?」
「……ありがと」
小さな声が、風に溶けた。
雷牙は、にっと笑って、七樹の頭を、わしゃわしゃと撫でた。
「ちょっと、髪が乱れるでしょ!」
「悪い悪い!」
屋上に、二人の笑い声が、明るく響き渡った。
その後、二人は、屋上のベンチに並んで座り、二葉の弁当を広げた。
「うわあ、すげえ! 唐揚げに、卵焼きに、おにぎり! 全部、うまそうだ!」
「二葉姉さんのお弁当は、世界一なんだから」
「だよな! あ、七樹、卵焼き、食うか?」
「いいの?」
「おう。ほら、あーん」
「ちょ、ちょっと! 何してるのよ!」
「え? 食わせてやろうと思って」
「自分で食べられるわよ!」
七樹は、真っ赤になって、卵焼きをひょいと自分の箸でつまんで口に入れた。
「……おいしい」
「だろ?」
「でも、あーんは、禁止!」
「分かった分かった」
雷牙は、くつくつ笑って、おにぎりにかぶりついた。七樹は、ぷいと顔を背けながらも、卵焼きをもぐもぐ味わっている。
青い空に、白い雲が、ゆっくりと流れていく。穏やかな昼下がりだった。
放課後。
生徒会室の扉を、雷牙は、こんこん、とノックした。
「どうぞ」
中から、凛とした声が返ってくる。
扉を開けると、書類の山に囲まれた机で、五夜が、せっせとペンを走らせていた。
「失礼します……って、うお、すげえ量だな」
「獅堂くん。ちょうどよかった。手伝っていただけますか」
「おう、いいぞ! 何をすればいい?」
「この書類を、種類別に分類して、棚に並べてください」
「分類ね。任せとけ」
雷牙は、袖をまくって、書類の山に取り掛かった。
しばらくは、紙をめくる音と、ペンを走らせる音だけが、静かな生徒会室に響いていた。
「……獅堂くん」
「ん?」
「今日は、七樹のことを、ありがとうございました」
「え? ああ、屋上のことか。聞いてたのか?」
「いえ、七樹本人から、聞きました。……いつもは、あまり人に弱みを見せない子なので」
「そうなのか」
「ええ。あの子は、強がりですから」
五夜は、ペンを止めて、窓の外を見つめた。夕日が、生徒会室を、オレンジ色に染めている。
「私たち姉妹は、お父様の期待に応えようと、いつも必死でした。特に、私は、長女の一千花姉さんを支えなければという思いが強くて」
「お前も、背負ってるんだな」
「……そうかもしれません」
五夜は、静かに目を伏せた。
「お父様は、私に、期待してくださっています。生徒会長として、戦乙女として、立派に務めを果たすようにと」
「それは、プレッシャーだな」
「ええ。でも、同時に、誇りでもあります。お父様のお役に立てるのなら、どんな苦労も、厭いません」
五夜の声は、凛としていた。けれど、その瞳の奥に、ほんの少しだけ、寂しさが滲んでいるのを、雷牙は見逃さなかった。
「なあ、五夜」
「はい」
「お前の親父さん、いい親父さんなんだろうな」
「え?」
「お前が、そんなに慕ってるんだ。きっと、すげえ立派な人なんだろ」
「……はい。とても」
五夜の頬が、ふわりと緩んだ。
「お父様は、威厳があって、優しくて、私の憧れなんです。……あ、すみません、つい」
「いいって。好きなもんは、好きなんだろ?」
「はい……」
五夜は、顔を赤くして、そっとペンを握り直した。
「でも、獅堂くん」
「ん?」
「あなたのような人が、お父様の代行者として来てくださって、私は、嬉しいんです」
「え?」
「あなたは、お父様のお言葉を、ただ伝えるだけの人ではありません。私たちの心に、寄り添ってくれる人です」
「…………」
雷牙は、書類を握ったまま、固まった。
「……五夜、お前、急に、そういうこと言うなよ」
「事実を、述べているだけです」
「それが、照れるんだって」
「ふふ」
五夜は、口元を押さえて、くすくす笑った。普段は凛としている生徒会長が、こんな風に笑う姿を、雷牙は初めて見た気がした。
「少し、休憩にしましょうか。お茶を淹れますね」
「おっ、いいな。俺が淹れるぜ」
「いえ、獅堂くんは、座っていてください」
「遠慮すんなって。お茶くらい、淹れられる」
雷牙は、ずんずんと給湯スペースに向かい、やかんを火にかけた。
数分後。
「できたぞ! 雷牙特製、気合いのお茶だ!」
「……ずいぶんと、濃い色ですね」
「茶葉、多めに入れたからな!」
「…………」
五夜は、恐る恐る、湯呑みに口をつけた。
「ぶっ」
「ど、どうした!?」
「に、苦い……! これは、お茶ではなく、薬です……!」
「え、そうか? 俺は、結構いけるけどな」
雷牙は、自分の湯呑みを、ごくごくと飲み干した。
「うん、うまい!」
「獅堂くんの舌は、どうなっているのですか……」
五夜は、涙目で、水をごくごくと飲んだ。それから、くすりと笑った。
「ふふ、本当に、あなたといると、退屈しません」
その時だった。
窓の外から、ぞくり、と冷たい気配が忍び込んできた。
「……!」
「……この気配は」
五夜の表情が、一瞬で、戦士のそれに変わった。
「校庭の方から、邪気を感じます」
「行くぞ!」
二人は、同時に立ち上がり、生徒会室を飛び出した。
校庭は、夕暮れの赤い光に染まっていた。
部活動に励んでいた生徒たちが、ざわざわと、校舎の方へ逃げている。その中心で、黒い影が、ぐにゃりと渦を巻いていた。
「悪魔……! 学校に、出現するなんて……!」
「五夜、生徒たちの避難を頼む!」
「はい! お任せください!」
五夜が、鎖を操りながら、逃げ遅れた生徒たちを、校舎の中へと誘導していく。
雷牙は、ミョルニルのキーホルダーを握りしめた。
「唸れ、ミョルニル!」
轟、と雷光が走る。
黒い大槌が、校庭の中央に顕現した。
「な、なんだ、あの武器!?」
「あれ、転校生の……!?」
逃げ惑う生徒たちが、驚愕の声を上げる。
「悪い、見なかったことにしてくれ!」
雷牙は、豪快に笑って、悪魔の群れへと突っ込んでいった。
大槌が、横一文字に薙ぎ払われる。
轟音と共に、十数体の悪魔が、一撃で吹き飛んだ。
「すげえ……!」
「あの人、何者だよ……!」
その時、校舎の屋上から、凛とした声が響いた。
「獅堂! アタシも、手伝うわ!」
見上げると、そこには、銀色の剣を構えた七樹が、夕日を背に立っていた。
「七樹!」
「さっきの借りを、返してあげる!」
七樹は、屋上のフェンスを蹴って、ひらりと飛び降りた。そのまま、悪魔の群れの真ん中に着地し、閃光のような剣技で、次々と敵を斬り伏せていく。
「七樹、いい動きだ!」
「当たり前でしょ! アタシは、天才なんだから!」
「おう、そうだな!」
雷牙と七樹は、背中合わせに立った。
「いくぞ、七樹!」
「ええ! アンタの背中、預けてあげるわ!」
「おう、任せろ!」
二人の武器が、夕暮れの校庭で、重なり合って輝いた。
雷光と銀光が、渦を巻き、悪魔たちを包み込んでいく。
「これで、終わりよ!」
「いくぜ!」
轟音。閃光。
光が収まったあと、校庭には、悪魔の影ひとつ残っていなかった。
静寂が、夕暮れの校庭に降りた。
「……終わった、わね」
七樹が、剣を下ろして、肩で息をつく。
「ああ。お疲れさん、七樹」
「アンタもね。……ちょっとは、役に立ったじゃない」
「ちょっとかよ」
「ちょっとよ!」
七樹は、ぷいと顔をそむけた。その横顔は、夕日のせいか、赤く染まっている。
そこへ、五夜が、息を切らして駆け寄ってきた。
「獅堂くん、七樹! 生徒たちは、全員、無事に避難しました!」
「五夜、ありがとな!」
「いえ。……それより、お二人とも、お怪我は?」
「ないわよ。余裕だったんだから」
「それは何よりです」
五夜は、ほっと胸を撫で下ろした。
その時、校舎の窓から、生徒たちの視線が、こちらに集まっていることに、三人は気づいた。
「あ……」
「やべえ、見られてたな」
「どうするのよ、これ!」
「どうするも何も、事情を説明するしかありません」
五夜が、眼鏡を押し上げた。
「……って、事情って、どう説明するのよ!?」
「そうですね……」
三人が頭を悩ませていると、背後から、のんびりとした声が聞こえてきた。
「あ、それなら、心配いらないよ」
振り返ると、そこには、保健室の先生らしき白衣の女性が、にこにこと立っていた。
「戦乙女の皆さんは、お父様の指示で、学園の守護をしてくださっているって、先生方には、話が通っているからね」
「え?」
「そ、そうなの!?」
「ええ。だから、安心してちょうだい。生徒たちには、特別な部活動の一環だって、説明しておくから」
「部活動って……」
「便利すぎるだろ、その設定」
雷牙が、思わず突っ込んだ。
夕日が、校舎の窓に、きらきらと反射していた。
帰り道。
三人は、並んで、桜並木の坂道を下っていた。
「それにしても、獅堂のせいで、アタシの天使イメージが、台無しよ」
「そうか? かっこよかったぞ、校庭で戦う七樹」
「かっこいいって……」
七樹は、ぷいと顔を背けたが、その耳は、真っ赤だった。
「明日から、アタシ、どんな顔して学校に行けばいいのよ」
「そのまま、行けばいいだろ。天使も、戦乙女も、七樹は七樹だ」
「……ふん。調子のいいこと言って」
「七樹、獅堂くんの言う通りですよ」
五夜が、穏やかに微笑んだ。
「あなたは、どちらの顔も、素敵です」
「五夜姉さんまで……」
七樹は、ため息をついて、それから、ふっと笑った。
「……分かったわよ。明日から、ちょっとだけ、素のアタシも、出してみるわ」
「おう、その調子だ!」
「ただし、アンタは、隣の席で、余計なこと言わないでよね!」
「それは、約束できねえな」
「約束しなさいよ!」
三人の笑い声が、夕暮れの坂道に、明るく響いた。
その時、雷牙の襟元のバッジが、ぴぴぴ、と小さく鳴った。
「ん?」
「あっ、それ、九瑠璃の通信機」
七樹が、バッジを覗き込む。
『雷牙、聞こえる? ボクだよ』
バッジから、九瑠璃の声が響いた。
「おう、聞こえるぞ! どうした?」
『屋敷の屋根の上に、微弱な邪気の反応があったんだ。でも、すぐに消えちゃった。一応、気をつけて』
「屋根の上? ……分かった。ありがとな、九瑠璃」
『うん。早く帰ってきてね。みんな、待ってるから』
「おう、すぐ帰る!」
通信が切れる。雷牙は、屋敷の方角を、鋭く見つめた。
「……何か、いるな」
「え?」
「いや、まだ分からねえ。だが、用心しとくに越したことはなさそうだ」
三人は、足を速めた。
屋敷に帰り着くと、玄関先で、一千花が腕を組んで待っていた。
「遅いわよ、三人とも」
「ただいま、一千花!」
「ただいま戻りました、姉さん」
「……ただいま」
「おかえりなさい。……学校で、悪魔が出たって、連絡が来たわよ」
「あ、聞いてたのか」
「当たり前でしょう。心配したのよ」
「悪い悪い。でも、ちゃんと、片付けてきたぜ」
「……そう。なら、いいわ」
一千花は、ふん、と鼻を鳴らして、そっぽを向いた。けれど、その肩が、ほっとしたように、わずかに落ちたのを、雷牙は見逃さなかった。
「一千花」
「な、何よ」
「心配してくれて、ありがとな」
「べ、別に! 私は、長女として、当然のことをしただけよ!」
「そうか」
「そうよ!」
一千花は、ぷいと顔を背けて、屋敷の中へと入っていった。
その後ろ姿を見送りながら、七樹が、ぼそりと呟いた。
「……お姉ちゃん、顔、緩んでたよ」
「だな」
「ええ。私も、見えました」
三人は、顔を見合わせて、くすりと笑った。
夕食の席は、今日も賑やかだった。
「それでね、獅堂ったら、数学の授業で『気合いで解けますか』って聞いたのよ!」
「あははは! 雷牙、それは、最高だね!」
三沙が、腹を抱えて笑う。
「七樹、笑いすぎです。獅堂くんは、これから勉強すればいいのですから」
「そうそう。五夜が、教えてくれるんだろ?」
「ええ。生徒会長として、責任を持って」
「……雷牙、勉強、苦手なの?」
八雲が、本から顔を上げて、ぼそりと言った。
「ああ、苦手だ。でも、頑張るぞ」
「……なら、今度、教えてあげる」
「おっ、八雲もか! 頼もしいな!」
「……別に。ついで」
「八雲は、それが口癖だね」
二葉が、ふふっと微笑んだ。
一千花は、味噌汁をすすりながら、その様子を眺めていた。
(……学校でも、もう、みんなと仲良くなってるのね)
胸の奥が、じわりと温かくなる。それと同時に、ほんの少しだけ、寂しさも混ざった。
(私は、学校には、行けないから)
二十五歳の彼女は、学園の外で、陰から見守ることしかできない。
「一千花」
雷牙が、不意に声をかけた。
「な、何?」
「明日は、学校終わったら、お前に、土産話してやるよ」
「……土産話?」
「ああ。お前だけ、学校の様子、見られねえだろ? だから、全部、話してやる」
「…………」
一千花は、目を瞬かせた。
「……別に、頼んでないわよ」
「そうか?」
「でも」
「ん?」
「……聞いて、あげなくも、ないわ」
「おう、決まりだな!」
雷牙が、にっと笑った。一千花は、赤くなった顔を、味噌汁の椀に隠した。
夜の屋敷には、あたたかな灯りがともり、笑い声が、廊下いっぱいに広がっている。
けれど、その屋敷の屋根の上から、じっと見下ろす、赤い瞳があった。
「……見つけたぞ。主神の、新しい使いを」
黒い影が、夜の闇に、静かに溶けていく。
次なる戦いの足音が、ひたひたと、近づいてきていた。