戦×恋:レボリューション・ボルト ~雷神の転校生が九人の戦乙女を救ったら、前線直結のラブコメバトルが始まった~ 作:夜幻
夜の屋敷は、しんと静まり返っていた。
縁側の風鈴が、ちりん、と小さく鳴る。月明かりが、廊下の板張りを、青白く照らしていた。
その静けさを、ぱちり、と破るように、八雲が目を開けた。
「…………」
布団の中で、ヘッドホンを押さえる。耳の奥に、かすかな、けれど確かな違和感が流れ込んできた。
(……屋根の上。何か、いる)
八雲は、静かに身を起こすと、足音を立てないように、廊下へ出た。向かった先は、客間の襖の前だった。
「……雷牙」
小さく声をかける。
「…………」
返事はない。代わりに、豪快ないびきが、襖の向こうから聞こえてきた。
「……ぐー……もう食えねえ……」
「……寝言まで、食べ物」
八雲は、呆れたように息をついてから、襖をそっと開けた。布団を蹴飛ばして大の字になっている雷牙の枕元に、ちょこんと座る。
「雷牙。起きて」
「んがっ……」
「起きて。……敵」
「……ん? 敵?」
雷牙の目が、ぱちりと開いた。次の瞬間、がばりと上体を起こす。
「どこだ!」
「……屋根の上。一体。動いてる」
「よし、行くぞ」
雷牙は、枕元のキーホルダーを掴んで、勢いよく立ち上がった。さっきまでの寝ぼけ顔は、跡形もなく消えている。
「八雲、よく気づいてくれたな。ありがとう」
「……別に。ついで」
「ついでで、助かった」
「…………ん」
八雲は、ヘッドホンをぎゅっと押さえて、ふい、と目を逸らした。その耳が、闇の中でも分かるほど、赤い。
二人は、足音を殺して、縁側から庭へ降りた。
夜空には、まん丸に近い月が浮かんでいる。屋敷の瓦屋根が、銀色に光っていた。その棟の上に、黒い影が、じっと座っている。
「……いたな」
「……見てる。こっちを」
「へえ、気づかれてるのか。大した奴だ」
雷牙は、にやりと笑って、ミョルニルのキーホルダーを握りしめた。
「唸れ、ミョルニル!」
轟、と雷が走り、漆黒の大槌が顕現する。
その瞬間、屋根の上の影が、ゆらりと立ち上がった。
「ほう……噂通りの、力だな」
低く、ざらついた声だった。
影は、屋根から、ふわりと飛び降りる。音もなく、庭の砂利の上に着地した。
月明かりが、その姿を照らし出す。
細身の体に、黒い外套。顔の半分を覆う白い仮面。そして、仮面の奥から覗く、血のように赤い瞳。
「我は、ゲヘナ第二軍、影渡りのヴェルゼ。貴様が、ガルザードを討った、神の使いか」
「おう。獅堂雷牙だ。夜中に、人んちの屋根に座るなんて、行儀が悪いぜ」
「ふふ……生憎、我らに、行儀という概念はない」
ヴェルゼは、くつくつと笑った。
「今夜は、挨拶に来ただけだ。戦うつもりはない」
「挨拶?」
「そうだ。我が王は、近く、目を覚ます。そのとき、貴様ら戦乙女たちの首は、残らず、王の足元に並ぶことになる」
「へえ。それは、楽しみだな」
「……強がりを」
「強がりじゃねえよ。本気で、楽しみなんだ。お前らが全員揃って来てくれりゃ、まとめて片付けられるからな」
雷牙は、大槌を肩に担いで、にっと笑った。
ヴェルゼの赤い瞳が、すっと細まる。
「……面白い男だ」
「よく言われる」
「だが、その余裕が、いつまで続くか。……三日後の、満月の夜を、楽しみにしておけ」
「三日後?」
「そうだ。その夜、邪界の門が、完全に開く。貴様らに、止められるかな?」
ヴェルゼは、外套を翻した。黒い影が、霧のように、ふわりと散っていく。
「待て!」
雷牙が踏み込もうとした、その時。
「…………逃げた」
八雲が、ぽつりと言った。
「音が、消えた。……もう、近くにいない」
「くそ、逃げ足の速い奴だ」
雷牙は、大槌を下ろして、頭を掻いた。
「でも、収穫はあったな。三日後の満月、か」
「……お姉ちゃんに、伝える?」
「ああ、明日の朝、みんなに話そう」
「……ん」
八雲は、こくりと頷いた。それから、少し迷うように、雷牙の袖を、ちょんと摘まんだ。
「……雷牙」
「ん?」
「……怖く、なかった?」
「何がだ?」
「……あんな、気味の悪い奴」
「怖かねえよ。お前が隣にいてくれたしな」
「……え」
八雲の目が、まん丸になった。
「八雲の耳があったから、不意打ちされずに済んだ。やっぱり、頼りになるな、お前」
「……そんな、こと」
「あるさ」
雷牙は、にかっと笑って、八雲の頭を、ぽんぽんと撫でた。
「……っ」
八雲は、ヘッドホンを両手でぎゅっと押さえた。口元が、ふにゃりと緩んでいる。
「……雷牙の手、あったかい」
「そうか?」
「……ん。トゲトゲしてない」
小さな呟きが、夜風に混じって、消えていった。
翌朝。
屋敷の居間に、姉妹たちが、顔を揃えていた。
「……というわけで、昨夜、屋根の上に、悪魔が現れたんだ」
雷牙が、一通りの経緯を説明し終えると、居間は、しんと静まり返った。
「影渡りの、ヴェルゼ……」
一千花が、腕を組んで、険しい顔をした。
「第二軍ということは、先日倒した、第三軍の将軍よりも、格上ということになるわね」
「ええ。戦術的には、非常に厄介です」
五夜が、眼鏡を押し上げて頷く。
「しかも、三日後の満月に、邪界の門が完全に開く、と」
「ちょっと待ってよ。三日後って、あまりにも急じゃない?」
七樹が、不安そうに声を上げた。
「そうだな。だから、今日から三日間で、できる限りの準備をしておきたい」
雷牙が、全員を見渡した。
「俺たちには、まだ、伸ばせる力がある。そうだろ?」
「……ええ」
「みんなで、一緒に、強くなろう」
「うん!」
姉妹たちが、力強く頷いた。
「じゃあ、特訓のメニューは、どうする?」
三沙が、腕を組んで尋ねた。
「基本は、各自の強化を進めつつ、連携の精度を上げることです」
五夜が、さっそくノートを開く。
「二葉の城と、四乃の結界を、重ねて展開する練習が必要ですね。それと、七樹の剣と、三沙の糸の連携も」
「うんうん。私も、もっと、頑張るよ」
二葉が、ぐっと拳を握る。
「……私も、やる」
四乃が、兜の奥から、小さな声で言った。
「四乃、えらい!」
「……雷牙の、お守りに、恥ずかしくないように」
「おう、頼もしいぜ、四乃!」
雷牙が、ぐっと親指を立てた。四乃の兜が、こくりと揺れる。
「ボクも、新しい武器、考えるよ! 満月までに、完成させるからね!」
九瑠璃が、元気に手を挙げた。
「私は、新曲の練習をしておきます。みんなの力になれる、特別な歌を」
六海が、翼を広げて微笑む。
「……私も、音を、整える」
八雲が、小さく頷いた。
「よし! 全員、やる気十分だな!」
雷牙が、拳を突き上げた。
「俺は、みんなの特訓、全部、付き合うぞ!」
「全部は、無理でしょう」
一千花が、冷静に突っ込んだ。
「やってみなきゃ、分からねえだろ」
「体が持たないわよ!」
そんなやり取りの中で、ひとりだけ、ふらふらと頭を揺らしている者がいた。
「……ふぁ……」
「六海? どうしたの、眠そうね」
「え、あ、ごめんなさい、お姉ちゃん……昨日、撮影が長引いちゃって、帰ってきたの、夜中だったから……」
六海が、目をごしごしと擦った。大きなサングラスと帽子を、まだ頭に乗せたままだ。
「また、そんな無理をして。体を壊したら、どうするの」
「大丈夫です……私、お仕事、好きですから……」
そう言いながらも、六海の瞼は、半分、閉じかけていた。
「六海」
雷牙が、六海の前に、すっとしゃがみこんだ。
「お前、ちょっと、こっち向いてみろ」
「え? は、はい」
六海が、とろんとした目で、雷牙を見上げる。目の下に、うっすらと、疲れの色が滲んでいた。
「……らいがさん! 今日のお仕事、すっごく大変で……あ、頭撫でてくれたら、元気出るかもです!」
「へ?」
雷牙が、きょとんとした。
「あ、あの、その、変なこと言ってごめんなさい! でも、昨日の河川敷で、らいがさんの手が、すっごくあったかかったから……!」
六海は、真っ赤な顔で、慌てて両手を振った。
「……お、おう。いいぞ」
雷牙は、照れくさそうに頭を掻いてから、そっと、六海の頭に手を乗せた。
「よしよし。お疲れさん」
「…………えへへ」
六海の顔が、ふにゃあ、と蕩けるように緩んだ。
「……らいがさんの手、あったかくて大好き……!」
「そ、そうか?」
「はいっ!」
六海は、目を閉じて、気持ちよさそうに、雷牙の掌に頭を預けた。さらさらの髪が、雷牙の指の間を、柔らかく滑っていく。
「…………あ」
雷牙の動きが、ぴたりと止まった。
「……あ、いや、すまん。やっぱこれ照れるな!」
「え?」
「す、すみません、頭を、触ってしまって……!」
「なんで謝るんですか? 私が、お願いしたのに」
「いえ、その、女の子の髪に触れるのは、緊張するもので……!」
「ふふっ、敬語になってます!」
六海が、ぱっと目を開けて、くすくすと笑った。
その瞬間、六海の背中から、純白の翼が、ふわりと広がった。
「わっ!」
「おっ、出たな」
翼は、昨日よりも、ひとまわり大きく、羽の一枚一枚が、真珠のように輝いている。
「すごい……体が、すごく軽い。眠気も、全部、飛んじゃいました!」
「そりゃよかった」
「らいがさん、ありがとうございます!」
六海は、ぱあっと満面の笑みを浮かべて、雷牙に抱きつこうとして、慌てて手を引っ込めた。
「あっ、ご、ごめんなさい。つい、嬉しくて」
「いや、いいぞ。遠慮すんな」
「でも、らいがさんが、また敬語になっちゃうから」
「ははっ、そうだな」
二人は、顔を見合わせて、声を揃えて笑った。
その様子を、居間の隅から、一千花が、じとっと見つめていた。
(……六海にまで、あんなに、優しい顔して)
胸の奥が、もやもやと、重くなる。
(別に、羨ましくなんかないわよ。……ないんだから)
そう思いながらも、一千花の視線は、雷牙の大きな手から、離れなかった。
昼下がり。
縁側には、のんびりとした陽射しが、降り注いでいた。
庭の木々が、さわさわと揺れている。蝉の声が、遠くで、ゆるやかに響いていた。
「ふぁ……いい天気だな」
雷牙が、縁側にどかっと腰を下ろして、大きく伸びをした。
その隣に、いつの間にか、八雲が、ちょこんと座っている。膝の上には、分厚い本。ヘッドホンは首にかけたまま、静かにページをめくっていた。
「八雲、何読んでるんだ?」
「……詩集」
「詩? へえ、八雲、そういうの読むんだな」
「……ん。音が、きれいだから」
「音?」
「……言葉の、音。声に出すと、もっと、きれい」
八雲は、ページをめくる手を止めて、雷牙を見上げた。
「……雷牙、聞く?」
「おっ、いいのか?」
「……ん」
八雲は、すっと背筋を伸ばして、本を持ち直した。小さく息を吸い込んで、静かな声で、朗読を始める。
その声は、まるで、水面に落ちる雫のように、澄んでいた。言葉が、ひとつひとつ、空気の中に溶けて、柔らかな音の波となって広がっていく。
「…………」
雷牙は、目を閉じて、聞き入っていた。
縁側の風が、八雲の声に合わせて、ゆっくりと流れていく。風鈴が、ちりん、ちりん、と小さな伴奏を添えた。
やがて、八雲が、朗読を終えた。
「……おしまい」
「…………」
「……雷牙?」
「……すげえな、八雲」
雷牙が、目を開けて、ぽつりと言った。
「声が、すげえきれいだ。聞いてて、なんか、胸の奥が、あったかくなった」
「……そう?」
「ああ。本物の、音の使い手だな」
「…………」
八雲は、顔を、ぷいと本に埋めた。ヘッドホンを押さえる指が、ぷるぷると震えている。
「……雷牙、ずるい」
「え? なんでだ?」
「……そういうこと、さらっと言う、から」
「本当のことを言っただけだぞ?」
「……だから、ずるい」
八雲は、本の陰から、ちらりと雷牙を見上げた。それから、そっと、本を膝の上に置いた。
「……雷牙」
「ん?」
「……ん……雷牙のまわり、いつもあったかい」
八雲が、ぽつりと言った。
「……トゲトゲしてない。お昼寝、いっしょにする。……だめ?」
上目遣いの、小さな声だった。
「お、おう。いいぞ」
「……ほんと?」
「ああ。ほら、こっち来い」
雷牙は、縁側の板の間に、ごろりと寝転がった。八雲は、一瞬だけ迷ってから、その隣に、ちょこんと体を横たえる。
柔らかな陽射しが、二人を包み込んだ。
八雲の頭は、雷牙の腕の、すぐ近くにあった。少しだけ、距離を置いて。けれど、その小さな指先が、雷牙のシャツの袖を、ちょん、と摘まんでいる。
「……おやすみ、雷牙」
「おう、おやすみ」
「……ん」
八雲は、目を閉じた。すぐに、静かな寝息が、聞こえ始める。
雷牙は、天井の梁を見上げながら、小さく息をついた。
(……こいつら、みんな、いろんなもん、背負ってんだよな)
戦乙女としての責任。家族への思い。それぞれの事情。
(俺に、何ができるんだろうな)
そんなことを考えているうちに、雷牙の瞼も、とろとろと重くなっていった。
庭の木漏れ日が、二人の寝顔を、やさしく撫でていく。
その時、八雲の体が、淡い緑の光を放ち始めた。ヘッドホンから、澄んだ音が、静かに溢れ出す。
それは、まるで、子守歌のような、穏やかな旋律だった。
廊下の角から、その光景を見つけた二葉が、思わず息を呑んだ。
「……八雲の、音の力が」
「へえ、いい音じゃないか」
隣に立った三沙が、にやりと笑った。
「雷牙と一緒だと、あの子、あんなに安らいだ音を出せるんだね」
「……うん。昨日までは、あんな音、聞いたことなかった」
「あんまり、起こさないでやろうか」
「そうだね」
二人は、そっと、足音を忍ばせて、その場を後にした。
しばらくして、二葉が、薄手のブランケットを抱えて、再び縁側に戻ってきた。
「風邪、ひいちゃうといけないから」
そっと、二人の体に、ブランケットをかける。八雲の肩に、柔らかな布が触れると、彼女は、むにゃ、と小さく身じろぎして、さらに雷牙の袖を、きゅっと握りしめた。
「ふふ……可愛い」
二葉は、そっと微笑んだ。それから、眠っている雷牙の寝顔を、じっと見つめる。
(……雷牙くん、昨日も今日も、ずっと、みんなのために走り回ってたもんね)
長いまつ毛が、頬に影を落としている。普段の豪快な笑顔とは違う、あどけない寝顔だった。
「……ありがとう」
二葉は、小さな声で呟いて、そっと、雷牙の前髪を指先で払った。
「おやすみなさい。ゆっくり、休んでね」
夕暮れが近づく縁側に、穏やかな時間が、静かに流れていった。
その後、道場では、午後の特訓が行われていた。
「四乃、結界を展開してみな」
「……うん」
三沙の声に応えて、四乃が、鎧の腕を掲げた。藍色の光が、道場の床から壁へ、半球状の壁となって広がっていく。
「二葉は、その上から、城壁を重ねるんだ」
「うん、いくよ!」
二葉が、両手を広げる。石の城壁が、結界の外側に、ずしりと積み重なっていった。
「いいね。じゃあ、アタシが、その隙間に糸を通す」
三沙の糸が、結界と城壁の間を、縫うように走る。三つの力が、ひとつの巨大な盾となって、道場の中央にそびえ立った。
「うおお……すげえ。これ、鉄壁だな」
見守っていた雷牙が、感嘆の声を上げる。
「……雷牙、試して、みて」
「おう、遠慮なくいくぜ」
雷牙が、ミョルニルを呼び出して、盾に向かって、軽く一撃を放った。
轟音。道場全体が、びりびりと震える。
けれど、盾は、ひび一つ入らず、雷撃を受け止めきった。
「……耐えた」
「すごいじゃないか、三人とも!」
「えへへ、やったね、四乃ちゃん、三沙ちゃん!」
「……うん」
四乃の兜が、嬉しそうに、こくこくと揺れた。
「これなら、満月の夜も、街を守りきれるかもしれない」
「ああ、自信を持っていいぜ」
雷牙は、にっと笑って、三人に親指を立てた。
夕方になって、雷牙は、地下の工房へと呼び出された。
「雷牙、こっち、こっち!」
古い屋敷の地下には、石造りの広い空間が広がっていた。壁には、無数の歯車や、配線や、見たこともない機械が、所狭しと並べられている。その中心で、白衣を着た九瑠璃が、ぴょんぴょんと手招きしていた。
「おお、ここが、九瑠璃の研究室か。すげえな……!」
「えへへ、でしょ! ボクの自慢の、ラボなんだから!」
九瑠璃は、得意げに胸を張った。白衣の袖が、手の先まで余って、ぶらぶらと揺れている。
「今日はね、雷牙に、協力してほしいことがあるの」
「おう、何でも言え」
「ボク、雷牙のミョルニルの、詳細な解析をしたいんだ。三日後の満月に向けて、砲の出力を、最大限に引き上げたいから」
「なるほどな。で、俺は、何をすればいい?」
「そこの台に、座って。ミョルニルを、ここに置いてね」
九瑠璃が、巨大な機械の前の椅子を指さした。
雷牙は、言われた通りに座り、キーホルダーを、台の上にそっと置いた。
「いくよー。スキャン、開始!」
九瑠璃が、ぽちっとスイッチを押す。
機械が、ぶうん、と唸りを上げて、青白い光が、キーホルダーを包み込んだ。
「うわ、すげえ光だ」
「静かにしてて。……データ、取ってるから」
九瑠璃は、真剣な顔で、モニターを見つめていた。ちいさな指が、キーボードの上を、驚くほどの速さで滑っていく。
「……すごい。構造が、全然、解析できない」
「だろ? 俺にも、分かんねえんだ」
「でも、分かってきたこともあるよ。このエネルギー、普通の雷じゃない。もっと、根源的な、何か……」
九瑠璃は、ぶつぶつと呟きながら、画面の数字を追いかける。
やがて、解析が終わると、彼女は、ふう、と大きく息をついて、椅子の背にもたれた。
「……終わった。完璧な、データが取れたよ」
「そうか! お疲れさん、九瑠璃」
「ふん、雷牙のメカニックデータ、ボクが完璧に管理してあげるよ。感謝しなさい!」
「おう、ありがとな!」
雷牙が、ぽんぽんと九瑠璃の頭を撫でた。
「……その代わり」
九瑠璃が、急に、小さな声になった。
「ん?」
「……ボクが寂しい時は、すぐに抱っこしにくること。いい?」
九瑠璃は、白衣の裾をぎゅっと握りしめて、うつむいたまま、そう言った。
「…………」
「あ、あの、これは、その、データ管理の、対価というか……! 別に、深い意味は、ないんだけど!」
「ははっ、分かった分かった」
雷牙は、屈託なく笑った。
「寂しくなったら、いつでも呼べ。すぐ行ってやるから」
「……ほんと?」
「ああ、約束だ」
「…………うん」
九瑠璃は、小さく頷いた。その頬が、ほんのり赤い。
その時だった。
研究室の奥から、ごごご、という低い音が、響き始めた。
「……あれ? この音、なに?」
「九瑠璃、あそこ、何かあるのか?」
「えっと……あれは、ボクが作った、試作型の、防衛用ロボットなんだけど……起動してないはずなのに」
九瑠璃が、顔色を変えた。
暗がりの奥から、巨大な影が、ゆらりと立ち上がる。
全長四メートルはあろうかという、鋼鉄の巨人だった。丸い頭部に、赤い一つ目のレンズ。太い両腕には、鋭い刃が装備されている。
「……暴走してる!?」
「おいおい、嘘だろ」
ロボットの一つ目が、ぎらりと赤く光った。
「ガ……ガガ……排除……侵入者……排除……」
「ま、待って! ボクだよ、九瑠璃だよ!」
九瑠璃が、慌てて叫ぶ。けれど、ロボットは、止まらなかった。巨大な腕が、振り上げられる。
「九瑠璃、下がれ!」
雷牙は、咄嗟に九瑠璃を抱き上げて、横に跳んだ。
ごおん、と轟音。さっきまで立っていた床が、粉々に砕け散る。
「うわっ! あ、危なかった!」
「ごめん! ごめんなさい、雷牙!」
雷牙の腕の中で、九瑠璃が、顔を真っ青にして叫んだ。
「ボクが、ちゃんと、安全装置をかけてなかったから……!」
「気にすんな。今は、あいつを止めるのが先だ」
雷牙は、九瑠璃を、そっと安全な物陰に降ろした。
「ここに隠れてろ。すぐ、片付ける」
「で、でも、あれ、ボクの、一番頑丈なロボットで……!」
「大丈夫だ。壊さずに、止めてみせる」
「え……?」
雷牙は、ミョルニルのキーホルダーを掴んだ。
「唸れ、ミョルニル!」
轟、と雷光が走り、黒い大槌が、その手に現れる。
「ガ……ガガ……排除……」
ロボットが、巨大な腕を振り回して、突進してきた。
雷牙は、それを、ひらりと跳んでかわす。そのまま、ロボットの背後に回り込んだ。
「確か、お前の電源は、背中のどこかにあるんだよな……」
背中の装甲の隙間に、小さな赤いランプが見える。
「そこか!」
雷牙は、大槌を、ぎりぎりまで軽く握り直して、ランプのすぐ脇を、とん、と叩いた。
ばちん、と青い火花が散る。
「ガ……ガ……ガ……」
ロボットの動きが、がくん、と止まった。赤い一つ目が、ゆっくりと暗くなっていく。
鋼鉄の巨体が、ずしん、と膝をついて、静かに沈黙した。
「……止まった」
九瑠璃が、呆然と呟く。
「おう。これで、大丈夫だ」
雷牙は、大槌をキーホルダーに戻して、にかっと笑った。
「ほら、傷ひとつ、つけてねえぞ」
「…………」
九瑠璃は、物陰から、とことこと出てきた。そして、ロボットの足元に、そっと手を触れる。
「……ごめんね。怖かったよね」
小さな声が、震えていた。
「ボクが、ちゃんと、見ててあげなかったから……」
「九瑠璃」
「ごめん、雷牙。ボク、役に立つどころか、迷惑かけちゃった」
九瑠璃の目から、ぽろり、と涙が零れた。
「ボク、天才だって、言ってるのに、こんな失敗……」
「九瑠璃」
雷牙は、九瑠璃の前に、しゃがみこんだ。
「天才だって、失敗するもんだ」
「え……」
「失敗しない天才なんて、いねえよ。大事なのは、そこから、どうするかだ」
「…………」
「お前は、ちゃんと、ロボットに謝れた。それは、立派なことだぜ」
雷牙は、にっと笑って、九瑠璃の目尻の涙を、そっと指で拭った。
「それに、おかげで、この子が、本当は優しい奴だって、分かったしな」
「……え?」
「俺が背中を叩いた時、こいつ、最後に、ちゃんと、自分で止まってくれた気がするんだ」
「……ほんと?」
「ああ。お前が、ちゃんと育てたロボットだからな」
「…………」
九瑠璃は、しばらく、ぽかんとしていた。
それから、堰を切ったように、ぼろぼろと泣き出した。
「うっ……うわあああん……!」
「お、おい」
「ご、ごめんなさい……ボク、こわかったよう……」
九瑠璃は、雷牙の胸に、ぎゅうっとしがみついた。
「……よしよし。頑張ったな」
雷牙は、小さな背中を、優しく撫でた。
「さっき、約束しただろ。寂しい時は、抱っこしに来いって」
「……うん」
「今が、その時か?」
「…………うん」
九瑠璃は、こくりと頷いて、さらに強く、雷牙にしがみついた。
雷牙は、ひょいと九瑠璃を抱き上げた。小さな体が、すっぽりと、腕の中に収まる。
「ほら、これでいいか?」
「……ん」
「あったかいか?」
「……あったかい」
九瑠璃は、雷牙の肩に顔を埋めて、ぐすぐすと鼻をすすった。
その瞬間、九瑠璃の砲が、足元の台の上で、ぱあっと金色の光を放った。
「あ……」
「おっ、光ってるぞ」
「ボクの、砲が……」
九瑠璃は、涙の滲んだ目で、自分の砲を見つめた。
砲身が、以前よりも、ひとまわり大きく、滑らかな曲線を描いている。金色の光が、脈打つように、きらきらと輝いていた。
「……ボク、強くなった」
「ああ。お前が、頑張ったからな」
「うん……」
九瑠璃は、涙を拭いて、えへへ、と笑った。
「雷牙、ありがとう」
「どういたしまして」
「……あのね」
「ん?」
「ボク、雷牙のこと、ちょっと、好きかもしれない」
「ははっ、そうか! 俺も、九瑠璃のこと、好きだぞ」
「え!?」
「頼りになる、天才発明家の、仲間だからな!」
「……仲間」
九瑠璃は、ちょっとだけ、残念そうな顔をして、それから、ふふっと笑った。
「うん。仲間!」
夕食の席では、九瑠璃が、雷牙の膝の上に、ちょこんと陣取っていた。
「九瑠璃、そこは、食べにくいでしょう」
五夜が、呆れたように注意する。
「いいの。ここが、ボクの定位置になったんだから」
「いつの間に、定位置が決まったのよ」
「今日から!」
九瑠璃は、えへんと胸を張った。雷牙は、苦笑しながら、器用に箸を動かして、ご飯を口に運んでいる。
「ずるい! アタシも、座りたい!」
「七樹は、重いから、無理」
「な、なによそれ! 失礼ね!」
「冗談だよ。……七樹は、隣で我慢して」
「我慢って何よ!」
食卓が、笑い声に包まれた。
その様子を、一千花は、味噌汁の椀の陰から、そっと見ていた。
(……みんな、本当に、楽しそう)
胸の奥で、ちくり、と小さな痛みが走る。けれど、それ以上に、温かな気持ちが、じんわりと広がっていた。
夜。
縁側に、一千花が、ぽつんと座っていた。
夜空には、満月の一歩手前の、いびつな月が浮かんでいる。庭の虫の声が、静かに響いていた。
「……一千花」
背後から、のんびりとした声がした。
「あなた、また、勝手に出てきて」
「いや、縁側が、気持ちよさそうだったからな」
雷牙が、一千花の隣に、どかっと腰を下ろした。昨日と同じ、十センチほどの距離だった。
「今日は、お疲れだったな」
「あなたこそ。六海に頭を撫でて、八雲と昼寝して、九瑠璃を抱っこして……忙しい一日ね」
「え、見てたのか?」
「見てたんじゃなくて、聞いたのよ。みんなが、嬉しそうに話してたから」
一千花の声は、ぶっきらぼうだった。けれど、その横顔は、どこか、拗ねたような色をしている。
「……なんだ、一千花、怒ってるのか?」
「怒ってないわ」
「怒ってるだろ」
「怒ってないって言ってるでしょう!」
一千花は、ぷいと顔を背けた。
「……ただ」
「ただ?」
「……みんな、あなたのこと、すごく、慕ってるのよね」
「そうか?」
「そうよ。だから、その……私も、長女として、安心してるわ」
「それは、いいことじゃねえか」
「ええ。……いいこと、なんだけど」
一千花の声が、だんだん、小さくなっていく。
「……ちょっとだけ、寂しい、気がするの」
「寂しい?」
「あ、いえ、その、今のは、聞かなかったことにして!」
「いや、聞いたぞ」
「聞かないで!」
一千花は、両手で顔を覆った。耳まで、真っ赤だ。
「ははっ」
雷牙が、笑った。
「な、何がおかしいのよ!」
「いや、悪い悪い。でも、嬉しいなと思ってな」
「……嬉しい?」
「ああ。お前が、そうやって、素直に気持ちを言ってくれるのが」
「…………っ」
一千花は、顔を覆った指の隙間から、そっと雷牙を見た。
雷牙は、いつもの、屈託のない笑顔で、夜空を見上げていた。
「それより」
一千花が、急に、じろりと雷牙を睨んだ。
「昨夜、屋根の上の悪魔と、八雲と二人だけで対峙したそうね」
「お、おう。そうだけど」
「なぜ、私を起こさなかったの」
「いや、緊急だったし、八雲が起こしてくれたから、つい……」
「つい、じゃないわ! 八雲に何かあったら、どうするつもりだったの!」
「それは……悪かった」
「次からは、必ず、私にも声をかけなさい。長女として、妹を危険に晒すのは、見過ごせないわ」
「……分かった。次から、そうする」
「……約束よ」
「ああ、約束だ」
雷牙は、真剣な顔で頷いた。一千花は、ふん、と鼻を鳴らして、再び夜空に視線を戻した。
「一千花」
「な、何よ」
「お前は、俺にとって、特別な相棒だ。それは、変わらねえぞ」
「……特別?」
「ああ。一番最初に、俺を、仲間にしてくれたのは、お前だからな」
「私は、あなたを、認めたわけじゃ……」
「でも、手、握ってくれただろ?」
「そ、それは……!」
一千花は、言葉に詰まった。
河川敷で、重ねた手のぬくもりが、不意に蘇る。
「……バカ」
「ん?」
「あなたは、本当に、バカよ」
「ははっ、よく言われる」
雷牙は、笑った。
一千花は、しばらく黙っていたが、やがて、ぽつりと言った。
「……明日も、手、握ってあげるわよ」
「え?」
「訓練のためよ! 三日後に備えて、力を上げておかなきゃいけないでしょう!」
「おう、そうだな!」
「だから、その……明日の朝、また、縁側で」
「分かった。待ってるぜ」
雷牙が、にかっと笑った。
一千花は、そっぽを向いて、ぎゅっと唇を結んだ。けれど、その口元は、確かに、笑みの形をしていた。
夜風が、二人の間を、静かに吹き抜けていく。
月は、まだ満ちていない。
けれど、その光は、少しずつ、確実に、丸さを増していた。
三日後の満月まで、あと、二夜。
運命の時が、静かに、近づいていた。