戦×恋:レボリューション・ボルト ~雷神の転校生が九人の戦乙女を救ったら、前線直結のラブコメバトルが始まった~ 作:夜幻
満月の前日。
朝の縁側には、約束通り、二つの影が並んでいた。
「……来たわね」
「おう。約束だからな」
一千花は、いつもより少しだけ背筋を伸ばして、縁側に正座していた。その隣に、雷牙が、どかっとあぐらをかく。
「今日は、ちゃんと、先に言うわよ」
「何をだ?」
「手を、握る」
「お、おう……」
「だから、手を出しなさい」
「こうか?」
「違う。もう少し、こっち。……そう」
一千花は、そっと、雷牙の大きな掌に、自分の小さな手を重ねた。
ぎゅ、と握る。
朝の光が、重なった二つの手を、柔らかく照らしていた。庭の木々の葉が、きらきらと光っている。
「…………」
「…………」
沈黙が、流れた。
一千花の心臓が、ばくばくと暴れている。雷牙の手は、昨日よりも、少しだけ熱かった。
(落ち着きなさい、私……! 訓練、これは訓練……!)
「なあ、一千花」
「な、何よ」
「お前の手、小さいな」
「悪かったわね!」
「いや、悪くねえよ。握りやすい」
「握りやすいって何よ!」
「いや、ほら、すっぽり収まるっていうか」
「言い方!」
一千花は、顔を真っ赤にして、ぶんぶんと手を振った。けれど、雷牙の手は、離れない。
その瞬間、一千花の槍が、縁側の柱に立てかけられたまま、ぼうっと青白く光り始めた。
「……光ってる」
「おう。いい調子だな」
「まだ、握ってるだけなのに……」
「心が、通じてるからだ」
「…………っ」
一千花は、顔を背けた。耳が、真っ赤になっている。
「あ、あのね、雷牙」
「ん?」
「その……私、今日、あなたに、お願いがあるの」
「お願い?」
「ええ。明日の戦いに備えて、街で、買い出しをしたいのよ。護符の材料とか、薬草とか、結界用の鉱石とか」
「なるほどな」
「それで、その……あなたに、荷物持ちとして、付き合ってもらいたいの」
「荷物持ち? いいぜ、任せとけ!」
「ちょ、ちょっと待って。本当に、それでいいの?」
「何がだ?」
「その、二人きりで、街を歩くことになるのよ?」
「それが、どうかしたか?」
「…………」
一千花は、言葉を失った。
(この男、本当に、何も気にしてない……!)
「……いえ、いいわ。行きましょう」
「おう!」
雷牙は、にかっと笑って、立ち上がった。一千花は、赤い顔のまま、その後に続いた。
屋敷の玄関では、姉妹たちが、にやにやしながら、二人を見送っていた。
「お姉ちゃん、いってらっしゃーい。デート、楽しんでね」
「デ、デートじゃない! 買い出しよ!」
「ふーん。お化粧、ちゃんとしてるのに?」
「し、してないわよ!」
「リップ、塗ってるよね」
「それは、その、身だしなみよ!」
一千花が、真っ赤になって叫ぶ。
「お姉ちゃん、かわいい!」
「六海まで!」
「……ついで、に、お土産、買ってきて」
八雲が、ぼそりと言った。
「ボクには、機械部品を! 歯車の、小さいやつ!」
「アタシは、甘いもの! あんみつがいいわ!」
「分かった、分かった。ちゃんと、買ってくるから」
雷牙は、笑いながら、手を振った。
「七樹、あなたは、天使のイメージはどうしたの」
「家の中なら、いいのよ!」
「ふふ、七樹ちゃんは、素直で、いいね」
二葉が、にこにこと笑う。
「それでは、獅堂くん、姉さんを、よろしくお願いします」
五夜が、丁寧にお辞儀をした。
「おう、任せとけ!」
「五夜まで、何を言ってるの!」
一千花の抗議の声が、朝の空に、むなしく響いた。
街の商店街は、朝から賑わっていた。
石畳の通りの両側に、色とりどりの店が並んでいる。八百屋の威勢のいい声、パン屋の甘い匂い、金物屋の鉄を叩く音。夏の陽射しが、店先の軒を、まぶしく照らしていた。
「うおお、にぎやかだな!」
「あまり、はしゃがないで。目立つわよ」
「おう、悪い悪い」
雷牙は、きょろきょろとあたりを見回しながら、一千花の隣を歩いた。
二人の身長差は、ほぼ三十センチ。長身の雷牙の隣で、一千花は、小さな体を精一杯伸ばして歩いている。
「まずは、薬草屋ね。こっちよ」
「おう」
細い路地を曲がった先に、古びた木造の店があった。軒先には、乾燥した草の束が、ずらりとぶら下がっている。
「いらっしゃい。おや、可愛い子連れだね」
店の奥から、白髪の老婆が顔を出した。
「お嬢ちゃん、お兄さんと一緒にお買い物かい? えらいねえ」
「…………」
一千花の動きが、ぴたりと止まった。
「あの、私は、お嬢ちゃんでは……」
「飴ちゃん、食べるかい?」
「結構です!」
「ははっ、ばあちゃん、いい人だな」
「笑わないで!」
一千花は、顔を真っ赤にして、雷牙の脇腹を、ぐいっと肘でつついた。
「いてっ」
「私は、二十五歳よ! 立派な、成人なの!」
「え? お嬢ちゃん、二十五歳? まあまあ、若く見えるねえ」
「若くじゃなくて、普通に!」
「ごめんよ、ごめんよ。で、何がいるんだい?」
老婆は、ほほほと笑いながら、棚の薬草を取り出した。一千花は、ぷんすかと怒りながら、必要な材料を指さしていく。
その横顔を、雷牙は、にこにこと見つめていた。
「……何よ」
「いや、元気だなと思って」
「馬鹿にしてるでしょう」
「してねえよ。可愛いなって」
「…………っ!?」
一千花の手から、薬草の束が、ぽろりと落ちた。
「か、かわ……!?」
「おっと、危ねえ」
雷牙が、落ちる薬草を、片手でひょいとキャッチした。
「ほら、気をつけろよ」
「……あ、ありがとう」
「どういたしまして」
雷牙は、にかっと笑った。
一千花は、薬草を抱えたまま、ぷるぷると震えていた。
(可愛いって……! 可愛いって言ったわ、この男……!)
「ひっひっひ、いいねえ、若いもんは」
老婆の笑い声が、店内に響いた。
薬草屋を出ると、通りは、さらに人通りが増えていた。
「次は、鉱石屋ね。この先の、角を曲がったところ」
「おう。……って、一千花、ちょっと待て」
「何?」
「人が多いな。はぐれたら、まずいだろ」
雷牙は、すっと、一千花に手を差し出した。
「ほら、手」
「…………え?」
「はぐれないように、握っとこうぜ」
「そ、それは、その……!」
一千花は、固まった。
通りを行き交う人々が、ちらちらと、こちらを振り返っている。その視線が、全部、自分たちに向いているような気がして、顔が、燃えるように熱くなった。
「へ、変に思われるでしょう!」
「何がだ?」
「その、手を、繋いで歩いていたら……!」
「兄妹だと思われるだけだろ」
「それが嫌なのよ!」
「あ、そうか。悪い、悪い」
雷牙は、頭を掻いた。
「じゃあ、何だと思われたいんだ?」
「そ、それは……!」
一千花は、口をぱくぱくさせた。
(何だと思われたいか、なんて……そんなの、答えられるわけないでしょう!)
その時、雑踏の向こうから、どん、と人の波が押し寄せてきた。
「きゃっ!」
一千花の小さな体が、人混みに飲み込まれそうになる。
「一千花!」
雷牙が、咄嗟に、一千花の手を掴んだ。そのまま、ぐいっと引き寄せる。
「わっ……」
一千花は、雷牙の胸に、ぽすん、と収まった。
雷牙の腕が、人混みから庇うように、一千花の背中に回される。広い胸板から、規則正しい鼓動が、どくん、どくんと伝わってきた。
「大丈夫か?」
「……え、ええ」
「危なかったな。やっぱり、手、繋いでおこう」
「…………」
一千花は、顔を上げられなかった。
(近い……近い……近いわよ……!)
「……あ」
雷牙の動きが、ぴたりと止まった。
「……あ、いや、すまん。やっぱこれ照れるな!」
「もう、遅いわよ!」
「す、すみません! つい、咄嗟に!」
「敬語になってるじゃない!」
「ですよね!」
二人は、真っ赤な顔で、ぱっと離れた。
けれど、一千花の手は、まだ、雷牙の手に、しっかりと握られていた。
「……手」
「え?」
「繋いだままよ」
「あ、悪い!」
「いえ、その……はぐれないように、繋いでおく、のよね」
「お、おう」
「……だったら、このままで、いいわ」
一千花は、そっぽを向いたまま、小さな声で言った。
「ただし、離すタイミングは、私が決めるから!」
「おう、分かった」
雷牙は、ほっとしたように、にかっと笑った。
二人は、手を繋いだまま、商店街の人混みの中を、歩き出した。
鉱石屋で、結界用の青い石を買い、護符用の和紙を買い、お守り用の組紐を買う。そのたびに、雷牙は、重い荷物を軽々と持ち、一千花の歩幅に合わせて、ゆっくりと歩いてくれた。
途中、露店で、小さな髪飾りが並んでいるのが、一千花の目に留まった。
「…………」
「ん? どうした?」
「あ、いえ、なんでもないわ」
一千花は、慌てて視線を逸らした。けれど、雷牙は、すでに、露店の前に立っていた。
「へえ、きれいだな。このあたり、いろいろあるぞ」
「か、勝手に見ないで」
「いいじゃねえか。どれが気になった?」
「べ、別に……」
「この、青いやつか?」
雷牙が手に取ったのは、小さな雷の形をした、銀の髪飾りだった。ぽつりと、青い石が埋め込まれている。
「…………」
「お、これ、いいな。おじさん、これください!」
「あいよ!」
「ちょ、ちょっと! 何を勝手に!」
「ほら、一千花」
雷牙は、買ったばかりの髪飾りを、一千花の髪に、そっと挿した。
「うん。似合うぞ」
「…………っ!」
「あれ、もしかして、嫌だったか?」
「い、嫌とは、言ってないわ!」
「じゃあ、気に入ったか?」
「…………」
一千花は、うつむいて、そっと髪飾りに触れた。
「……バカ」
「え?」
「バカって、言ったの! ……ありがとう」
最後の一言は、消え入るような小さな声だった。
「どういたしまして!」
雷牙は、にかっと笑った。
一千花は、髪飾りの青い石を、指先で、そっと撫でた。
胸の奥が、あたたかくて、くすぐったくて、どうしようもなかった。
「ちょっと、休憩しましょう」
一千花が、小さな甘味処を見つけて、足を止めた。
「お、いいな。腹減ってきたところだ」
「あなたは、いつもお腹が空いてるでしょう」
「まあな!」
店内は、涼しく、静かだった。窓際の席に、二人は向かい合って座る。
「何にする?」
「俺は、あんみつ! あと、白玉ぜんざいと、かき氷も!」
「全部食べる気?」
「おう!」
「……じゃあ、私は、抹茶パフェを」
注文を終えると、店員が、にこにこと去っていく。
「いい店だな」
「ええ。昔から、ここの抹茶パフェが、好きなの」
「へえ、一千花、抹茶好きなのか」
「別に、好きってほどでは……まあ、悪くはないわね」
「素直じゃねえな」
「うるさい」
間もなく、色とりどりのスイーツが、テーブルに並べられた。
「おお、うまそうだ!」
「いただきます」
二人は、手を合わせて、スプーンを手に取った。
雷牙は、勢いよくあんみつを頬張る。
「うめえ!」
「静かに食べなさい」
「だって、うめえんだよ」
「分かったから、口についてるわよ」
「え?」
「ほら、ここ」
一千花は、ナプキンを手に取って、身を乗り出し、雷牙の口元を拭いた。
「…………」
「…………」
至近距離で、視線が絡む。
「……あ」
一千花の手が、ぴたりと止まった。
「……ご、ごめんなさい。つい」
「いや、助かった。ありがとな」
「……っ」
一千花は、慌てて席に戻り、パフェを口に運んだ。けれど、味が、全く分からない。
(何をやってるの、私は……! ついって何よ、ついって!)
「一千花」
「な、何よ」
「お前、さっきから、顔、真っ赤だぞ」
「暑いのよ!」
「そっか。じゃあ、かき氷、食うか? 冷たくて、うまいぞ」
「……いらないわ」
「そうか? じゃあ、一口だけ」
雷牙は、かき氷のスプーンを、ひょいと一千花の前に差し出した。
「ほら、あーん」
「!?」
「ほら、冷たいぞ」
「ち、ちょっと、何を……!」
「いいから、いいから」
「いい加減に、しなさい!」
一千花は、顔を真っ赤にして、スプーンを、ぱくっと口に入れた。
冷たい氷が、口の中で、しゃりしゃりと溶けていく。
「……おいしい」
「だろ?」
「でも、あーんは、禁止!」
「七樹にも、同じこと言われたぞ」
「当たり前でしょう!」
一千花は、ふん、と鼻を鳴らして、パフェのスプーンを握り直した。
けれど、その口元は、ほんのりと、緩んでいた。
「……ねえ、一千花」
「何?」
「お前は、どうして、槍を選んだんだ?」
「選んだ、というより、授かったのよ。お父様から」
一千花は、パフェのスプーンを、くるくると回した。
「私は、長女だから。先頭に立って、みんなの道を切り開く力が、欲しかったの」
「なるほどな。お前らしいな」
「……私らしい?」
「ああ。まっすぐで、迷いがなくて、でも、ちょっと不器用で」
「不器用は、余計よ」
「ははっ、悪い悪い」
雷牙は、笑いながら、ぜんざいをすすった。
最後に立ち寄った小さな雑貨屋で、一千花は、組紐のお守りを、ひとつひとつ、真剣な顔で選んでいた。
「二葉は、落ち着いた橙色。三沙は、赤。四乃は、藍色。五夜は、紫」
「何をぶつぶつ言ってるんだ?」
「み、見ないで! 選んでるの、みんなの分を」
「へえ、お前、優しいな」
「別に、優しくなんかないわ。明日の、戦いのために」
「六海は、ピンクか?」
「そう。七樹は、黄色。八雲は、緑。九瑠璃は、水色」
一千花は、八つの組紐を、てきぱきとカゴに入れていく。
「……で、俺のは?」
「え?」
「俺の分は、ないのか?」
「ない、わけじゃ、ないけど」
一千花は、そっぽを向いた。
「あなたは、もう、四乃から、お守りをもらってるでしょう」
「それは、そうだけど」
「だから、その、別にいいかなって」
「そうか……」
雷牙は、少しだけ、しゅんとした顔をした。
「…………」
一千花は、その顔を、横目でちらりと見た。
胸が、ちくり、と痛んだ。
「……ちょっと、待ってなさい」
「え?」
一千花は、棚の奥から、金色の組紐を、一本、そっと取り出した。
「……これ」
「ん?」
「あなたの分よ。金色は、雷の色だから」
「…………!」
「勘違いしないで! 全員分、揃えたかっただけよ!」
「ありがとな、一千花! 大事にする!」
雷牙は、満面の笑みで、金色の組紐を受け取った。
一千花は、顔を真っ赤にして、そっぽを向いた。
「……もう、いいから、会計に行くわよ」
買い物を終えて、二人は、街外れの小高い丘へと向かった。
夕焼けが、空を茜色に染め始めていた。
丘の上には、古い樫の木が一本、ぽつんと立っている。その根元に、並んで腰を下ろすと、眼下に、街の景色が広がった。
「……きれいな景色ね」
「ああ、すげえな。ここから、街が全部見える」
屋根の連なる向こうに、川が銀色に光り、遠くの山々が、紫色のシルエットになっていた。
「……この街を、守らなきゃいけないのね」
「ああ」
「明日の夜、全部、決まる」
「そうだな」
一千花は、膝を抱えて、遠くを見つめた。
「……怖いわ」
「え?」
「正直に、言うわね。怖いの、明日が」
「…………」
「今までの戦いは、みんなと一緒だったから、なんとか乗り越えられた。でも、今度は、本当に、全てが懸かってる」
一千花の声は、小さく、震えていた。
「もし、私が、判断を誤ったら。もし、誰かが、傷ついたら」
「一千花」
「私は、長女なのに。みんなを、守らなきゃいけないのに」
「一千花」
雷牙が、静かに、一千花の名前を呼んだ。
一千花は、はっと顔を上げた。
雷牙は、いつもの豪快な笑顔ではなく、穏やかな、優しい眼差しで、こちらを見ていた。
「お前が怖いのは、みんなのことを、大事に思ってるからだろ」
「…………」
「それは、弱さじゃねえ。強さだ」
「強さ……?」
「ああ。誰も失いたくないって気持ちが、お前を強くしてる」
雷牙は、一千花の手を、ぎゅっと握った。
「それにな、明日は、お前一人で背負うんじゃねえ。俺が、いるだろ」
「……ええ」
「それに、二葉も、三沙も、四乃も、五夜も、六海も、七樹も、八雲も、九瑠璃も、いる」
「……ええ」
「全員で、守るんだ。一人も、欠けさせねえ」
「…………」
「俺が、約束する」
雷牙の声は、力強く、揺るぎなかった。
一千花の目に、じわり、と涙が滲んだ。
「……バカ」
「ん?」
「あなたは、本当に、バカよ」
「ははっ、そうだな」
「……でも」
一千花は、涙を拭って、小さく微笑んだ。
「あなたの、そのバカなところに、救われてるのも、事実だわ」
「そうか?」
「ええ。……ありがとう、雷牙」
初めて、名前を、まっすぐに呼ばれた気がした。
雷牙は、一瞬、目を見開いた。それから、ふわりと、心から嬉しそうに笑った。
「どういたしまして、一千花」
夕焼けの光が、二人を、赤く染めていた。
繋いだ手を、一千花は、離さなかった。
「……ねえ、雷牙」
「ん?」
「その……ハグ、してもいいかしら」
「え!?」
「だ、だから、訓練のためよ! 明日に備えて、力を高めておきたいの!」
「お、おう。いいぞ」
「じゃあ、先に言うわよ。……今から、抱きつくから」
「お、おう」
一千花は、すっと立ち上がって、雷牙の前に回った。
雷牙も、あぐらを解いて、背筋を伸ばす。
小さな体が、おずおずと、雷牙の胸に、そっと、飛び込んだ。
小さな腕が、ぎゅっと、雷牙の背中に回される。
「…………」
「…………」
雷牙の心臓が、どくん、どくん、と、大きく響いている。
それは、一千花の耳元で、まるで、世界で一番、優しい子守歌のように聞こえた。
「……あ」
雷牙の腕が、ぎこちなく、一千花の背中に回った。
「……あ、いや、すまん。やっぱこれ照れるな!」
「ふふっ」
一千花が、小さく笑った。
「いいのよ。そのままで」
「え?」
「あなたが、照れてくれるのが、嬉しいの」
「……っ」
「だって、私だけが、ドキドキしてるんじゃないって、分かるから」
一千花は、雷牙の胸に、そっと頬を寄せた。
「……あったかい」
「そ、そうか」
「ええ。……とても」
その瞬間、一千花の槍が、まばゆい光を放った。
「……!」
青白い光が、丘全体を包み込む。槍の穂先が、見る間に、長く、鋭く、変化していった。柄には、金色の紋様が浮かび上がり、穂先には、雷光のような白い輝きが宿る。
「これは……!」
「新しい、力か……!」
一千花の槍が、神々しい光を放ちながら、その姿を変えていく。
「……名前が、頭に流れ込んでくる」
「名前?」
「ええ。……『グングニル』」
一千花は、槍を手に取って、小さく呟いた。
「神槍、グングニル。……これが、私の、本当の力」
「おお、すげえな!」
「ええ。あなたのおかげよ、雷牙」
「いや、お前が、頑張ったからだ」
「……ふふ。そういうことに、しておいてあげる」
一千花は、槍を胸に抱いて、満足そうに微笑んだ。
空には、一番星が、きらりと瞬いていた。
夜。
屋敷の台所に、まだ、灯りがともっていた。
「あれ、二葉、まだ起きてたのか」
雷牙が、水を飲みに降りてくると、割烹着姿の二葉が、大鍋の前で、忙しそうに立ち働いていた。
「あっ、雷牙くん。うん、明日の、お弁当の仕込みをしてたの」
「こんな夜中に?」
「だって、明日は、大事な日でしょう? みんなが、しっかり力を出せるように、美味しいご飯を、用意したくて」
二葉は、にっこりと笑った。けれど、その目の下には、うっすらと、疲れの色が滲んでいる。
「……二葉」
「ん?」
「お前、昨日も、ほとんど寝てねえだろ」
「えっ、そ、そんなことないよ」
「嘘つけ。顔に出てるぞ」
「あはは……バレちゃったか」
二葉は、困ったように笑った。
「でもね、私、お料理してる時が、一番落ち着くんだ。みんなの笑顔を思い浮かべながら、作ってると、元気が出るの」
「そっか」
「うん。だから、大丈夫だよ」
「……手伝うぜ」
「え?」
「寝ねえなら、せめて、俺も付き合う。野菜の皮でも、むいてやるよ」
「でも、雷牙くんは、明日、戦うんだから、ちゃんと休まないと」
「俺は、一晩くらい寝なくても平気だ。それより、お前を放っておく方が、寝つきが悪い」
雷牙は、袖をまくって、まな板の前に立った。
「ほら、教えてくれ。どうやるんだ?」
「……もう」
二葉は、ふふっと笑った。
「じゃあ、お言葉に甘えて。このにんじん、こうやって、薄く切ってくれる?」
「おう。こうか?」
「そうそう。上手だよ」
「前よりは、マシになっただろ?」
「うん。ちゃんと、実が残ってる」
「当たり前だ!」
二人は、並んで、黙々と作業を続けた。包丁の音と、鍋の煮える音だけが、静かな台所に響いている。
「雷牙くん、卵焼き、やってみる?」
「お、いいのか?」
「うん。卵を割って、お砂糖と、だし汁を入れて、混ぜてね」
「任せろ! ……って、あっ」
ぐしゃり、と殻ごと卵が割れた。
「あはは! 殻、入っちゃったね」
「うおお、悪い! 力、入れすぎた!」
「大丈夫、大丈夫。ほら、取ってあげる」
二葉は、箸で、殻のかけらを、ひとつひとつ、丁寧につまみ出す。
「ごめんな」
「ふふ、いいんだよ。失敗しながら、覚えていくものだから」
「……優しいな、二葉」
「ううん。雷牙くんが、一生懸命だから、応援したくなるの」
二葉は、にこにこと微笑んだ。
やがて、不格好ながら、黄金色の卵焼きが、フライパンの上で、ふっくらと焼き上がった。
「できた!」
「わあ、上手!」
「うまそうだろ!」
「うん。味見、してみよう」
二人は、同じ箸で、一切れずつ、卵焼きを口に運んだ。
「……うん、おいしい」
「だろ?」
「でも、ちょっと、焦げてる」
「それは、愛嬌だ!」
「ふふっ」
「……ねえ、雷牙くん」
二葉が、ぽつりと言った。
「ん?」
「私ね、お母さんになりたい、って、ずっと思ってたの」
「お母さん?」
「うん。姉妹の中で、一番、お母さんみたいな役割だったでしょ? だから、みんなのことを、ずっと守りたいって、思ってた」
「ああ。お前は、立派なお母さんだと思うぞ」
「ふふ、ありがとう。でもね」
二葉は、包丁を置いて、雷牙の方を見た。
「たまに、自分が、誰かに甘えたくなる時が、あるんだ」
「…………」
「変だよね。みんなのお母さん役なのに」
「変じゃねえよ」
雷牙は、真剣な顔で、首を振った。
「誰だって、甘えたい時は、あるさ」
「……そう、かな」
「ああ。お前だって、人間だからな」
「…………」
二葉は、しばらく黙っていた。
それから、そっと、雷牙の袖を、きゅっと摘まんだ。
「……ねえ、雷牙くん」
「ん?」
「ちょっとだけ、ぎゅって、してもいい?」
二葉は、頬を赤く染めて、小さな声で、そう言った。
「…………」
「あ、あの、嫌だったら、いいの! 変なこと言って、ごめんね!」
「いや、嫌じゃねえぞ」
「え?」
「お前が、そうしたいなら、いつでも」
雷牙は、にっと笑って、両腕を、そっと広げた。
「……ほんと?」
「ああ。ほら、来い」
「……うん」
二葉は、おずおずと、雷牙の胸に、そっと飛び込んだ。
長身の二葉の頭が、雷牙の肩のあたりに触れる。柔らかな、お日様のような匂いが、雷牙の鼻をくすぐった。
「…………」
「…………」
二葉は、目を閉じて、雷牙の胸に、そっと頬を寄せた。
「……あったかい」
「そ、そうか」
「うん。……安心する」
二葉の声が、微かに、震えている。
「……雷牙くん」
「ん?」
「ありがとう。……来てくれて」
「……おう」
雷牙の手が、ぎこちなく、二葉の背中を、ぽん、ぽん、と叩いた。
「……あ」
その動きが、止まった。
「……あ、いや、すまん。やっぱこれ照れるな!」
「ふふっ」
二葉は、くすくすと笑った。
「雷牙くん、可愛い」
「か、可愛いって言うなよ!」
「だって、本当に、可愛いんだもん」
二葉は、雷牙の胸に顔を埋めたまま、幸せそうに微笑んだ。
その瞬間、台所の壁が、ぱあっと柔らかな金色の光に包まれた。
「おっ」
「あれ……?」
二葉の周囲に、石造りの小さな城のミニチュアが、いくつも、ふわふわと浮かび上がった。それらが、ゆっくりと回転しながら、光の粒となって、二葉の体に降り注いでいく。
「すごい……私の、城が……」
「進化したんじゃねえか?」
「うん。……なんだか、前よりも、もっと、広くて、あったかい感じがする」
二葉は、自分の手を、じっと見つめた。
「これなら、みんなを、もっと、守れる」
「ああ。頼もしいぜ、二葉」
「ふふ。……任せて」
二葉は、にっこりと笑って、ようやく、雷牙から身を離した。
「さて! お料理の続き、しないとね!」
「おう、手伝うぜ!」
二人は、再び並んで、包丁を握った。
窓の外では、満月の前夜の、ほぼ円い月が、静かに輝いていた。
台所の入り口の陰で、ひとり、その様子を見ていた者がいた。
「……いいなぁ、二葉」
一千花だった。パジャマ姿で、毛布を羽織り、そっと壁に身を隠している。
(私は、昼間、あんなに、ぎゅってしたのに……なんで、こんなに、胸が、ざわざわするのかしら)
二葉に嫉妬しているわけではない。けれど、雷牙が、誰かに優しくするたびに、胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
「……私、変ね」
一千花は、小さく呟いた。
そのとき、背後から、ひょい、と声がかかった。
「何が、変なんだい?」
「ひゃあっ!?」
「あっははは! すごい声だね」
振り返ると、三沙が、にやにやと立っていた。
「さ、三沙!? なんで、ここに!」
「喉が渇いて、水飲みに来ただけさ。……で、アンタは、何を覗き見してるんだい?」
「の、覗いてない!」
「覗いてるだろ。ほら、あの二人を」
「違う、これは、その……!」
「ふふん。分かりやすいねえ、一千花は」
三沙は、一千花の頭を、ぽんぽんと撫でた。
「素直になりなって。アンタ、あいつのこと、気になってるんだろ?」
「き、気になんか……」
「あたしは、いいと思うよ。アンタの、そういう顔」
「え?」
「昔の一千花は、いつも、険しい顔ばっかりしてたからね。最近の、アンタは、すごく、いい顔してる」
三沙は、にっと笑った。
「あたしの妹が、そんな顔できるようになったんだ。雷牙には、感謝しなきゃね」
「……三沙」
「ほら、風邪ひくよ。寝な、寝な」
「……うん」
一千花は、素直に頷いた。三沙に背中を押されて、そっと、自室へと戻っていく。
台所からは、二人の楽しそうな笑い声が、いつまでも、聞こえていた。
廊下の途中で、小さな影が、ひょこりと現れた。
「……お姉ちゃん」
「四乃? こんな時間に、どうしたの」
「……これ」
四乃が、鎧の手で、小さなお守りを差し出した。藍色の布に、一千花の名前が、ぎこちない刺繍で縫い付けられている。
「私に?」
「……みんなの分、作った。雷牙と、同じ」
「…………」
「……お姉ちゃんの分は、最後に、作った」
「どうして、最後?」
「……一番、頑張って、縫いたかったから」
兜の奥から、恥ずかしそうな声が漏れた。
一千花は、お守りを、そっと両手で包んだ。
「……ありがとう、四乃。大事にするわ」
「……うん」
「あなたも、早く寝なさい。明日は、大変なんだから」
「……お姉ちゃんも」
「ええ。おやすみ」
「……おやすみ」
四乃は、ぺこりとお辞儀をして、ぱたぱたと廊下を駆けていった。
その夜遅く、姉妹たちは、ひとり、またひとりと、縁側に集まってきた。
「眠れなくてさ」
「私も」
「……なんとなく」
月明かりの下、十人が、ぽつぽつと車座に座る。
「じゃあ、みんなで、ちょっとだけ、話そうぜ」
雷牙が、湯呑みを配りながら、にっと笑った。
「明日は、きっと、大変な戦いになる。でも、俺は、全然、不安じゃねえ」
「どうして?」
六海が、首を傾げた。
「だって、お前らがいるからな」
「…………」
「一千花が、みんなを導いてくれる。二葉が、守ってくれる。三沙が、道を切り開いてくれる」
「雷牙……」
「四乃が、街を包んでくれる。五夜が、的確な指示をくれる。六海が、力を引き上げてくれる」
「らいがさん……」
「七樹が、先陣を切ってくれる。八雲が、危険を知らせてくれる。九瑠璃が、最強の一撃を撃ってくれる」
雷牙は、一人一人の目を、まっすぐに見つめた。
「こんな最高の仲間たちが、いるんだ。負けるわけがねえだろ」
縁側に、しん、と静けさが降りた。
やがて、七樹が、ぷいと顔をそむけて、呟いた。
「……バカ。そんなこと言われたら、頑張るしかなくなるじゃない」
「ははっ、それが狙いだ」
「ずるいわよ、アンタ」
「みんなで、やりましょう」
一千花が、静かに、湯呑みを掲げた。
「明日、必ず、勝つ。そして、全員で、ここに帰ってくる」
「おう!」
「……うん」
「はい!」
十の湯呑みが、月明かりの下で、かちん、と鳴った。
その夜。
屋敷の屋根の上で、八雲が、静かに、耳を澄ましていた。
「……来る」
彼女は、ヘッドホンを押さえて、夜空を見上げた。
遠い遠い彼方から、重く、低い唸りが、聞こえてくる。それは、地の底から、這い上がってくる、何か巨大なものの、息づかいのようだった。
「……満月の夜に、全部、始まる」
八雲は、ぽつりと呟いた。
その声は、夜風に溶けて、静かに消えていった。
満月まで、あと、一夜。
戦乙女たちは、それぞれの想いを胸に、決戦の朝を、待っていた。