戦×恋:レボリューション・ボルト ~雷神の転校生が九人の戦乙女を救ったら、前線直結のラブコメバトルが始まった~ 作:夜幻
満月の夜が、来た。
日没の少し前、屋敷の庭に、十人が、円になって集まっていた。
西の空が、燃えるような茜色に染まっている。反対側の東の空には、すでに、白く大きな月が、うっすらと姿を現していた。
「みんな、お弁当は持った?」
二葉が、風呂敷包みを、ひとりひとりに手渡していく。
「はい、三沙ちゃんの分。四乃ちゃんは、こっち。五夜ちゃん、六海ちゃん、七樹ちゃん、八雲ちゃん、九瑠璃ちゃん」
「うおお、重いな!」
「雷牙くんのは、特別に、五段重ねだよ」
「五段!? 最高だ、二葉!」
「ふふ、いっぱい食べて、いっぱい戦ってね」
二葉は、にっこりと笑った。けれど、風呂敷を握る指先が、わずかに震えているのを、一千花は見逃さなかった。
「二葉」
「あ、お姉ちゃん」
「ありがとう。あなたの料理が、みんなの力になるわ」
「……うん。そう言ってもらえると、嬉しい」
二葉の目が、うるりと潤んだ。
「それじゃあ、最後に」
一千花は、懐から、色とりどりの組紐を取り出した。
「買い出しの時に、選んだの。みんなの分よ」
「わあ、きれい!」
「これ、アタシの色ね。黄色」
「……緑」
「ボクは、水色だ! かっこいい!」
姉妹たちが、それぞれの組紐を、手首に巻いていく。夕日を受けて、色とりどりの紐が、きらきらと輝いた。
「雷牙、あなたは、これ」
「おう、ありがとな」
雷牙は、金色の組紐を、左手首に、きゅっと結んだ。
「……よし。これで、全員、お揃いだな」
「ええ」
「じゃあ、行くか」
雷牙は、キーホルダーを、ぎゅっと握りしめた。
「みんな、準備はいいか!」
「おう!」
「ええ!」
「……うん」
十の声が、夕暮れの空に、凛と響いた。
街の中心を流れる大きな川に、古い石造りの橋が架かっている。その橋の上空に、今夜、邪界の門が開く、と五夜が予測していた。
「ここが、最も、空間の歪みが大きい場所です」
五夜が、懐中時計のような機械を片手に、橋の中央に立った。
「予測では、日没から一時間後、午後七時十三分に、門が開きます」
「あと、二十分くらいね」
「ええ。それまでに、陣形を完成させましょう」
夕闇が、少しずつ、街を包んでいく。
「避難は、完了しています」
五夜が、通信機を耳に当てて報告した。
「学園の先生方と、六海の事務所の皆さんが、協力してくださって、半径三キロの住民を、地下シェルターへ誘導しました」
「マネージャーさんも、頑張ってくれたんですよ!」
六海が、嬉しそうに微笑んだ。
「そうか。ありがてえな」
「戦乙女の活動は、街の人たちにも、少しずつ、理解してもらえているんです」
「いい街じゃねえか」
雷牙は、人気のない夜の街を見渡して、にっと笑った。
「だったら、なおさら、守り抜かなきゃな」
「二葉、城を、橋の両端に。四乃は、結界を、街全体に」
「うん!」
「……了解」
二葉が、両手を広げた。橋の南北の岸に、巨大な石の城塞が、どん、どん、とせり上がる。昨夜の進化のおかげか、その城は、以前の倍近い大きさに膨れ上がっていた。
「すごい……」
「えへへ、頑張った」
「……結界、展開」
四乃が、鎧の腕を高く掲げた。藍色の光が、橋を中心に、波紋のように広がっていく。やがて、街全体を覆う、巨大な半透明の天蓋となった。
「ありがとう、四乃。……これなら、街の人たちを、守れる」
「……うん。雷牙の、お守りが、あるから」
四乃は、小さく頷いて、胸元に手を当てた。
「三沙は、糸で、橋の周囲に、罠を」
「あいよ!」
三沙が、指先を、ひらりと舞わせる。銀色の糸が、夜気の中を縫うように走り、橋の欄干や、街灯や、岸辺の木々に、蜘蛛の巣のように張り巡らされていった。
「雷牙」
三沙が、橋の欄干に腰かけて、にやりと笑った。
「今日は、アタシの背中、預けてやるよ。しっかり守りな」
「おう。三沙の背中は、俺が守る」
「ははっ、頼もしいじゃないか」
二人は、拳を、こつん、と合わせた。
「七樹と八雲は、飛行型の迎撃を」
「任せなさい!」
「……分かった」
「九瑠璃は、橋の中央で、砲の準備を」
「うん! 新兵器も、持ってきたよ!」
九瑠璃が、背負っていた大きなケースを、どさりと下ろした。
「新兵器?」
「じゃーん! 『ライガ・キャノン』だよ!」
ケースの中から、金色に輝く、巨大な砲身が現れた。砲口の周りには、雷のような紋様が刻まれ、側面には、小さく「RAIGA」の文字が書かれている。
「雷牙の、ミョルニルのデータを基に、作ったんだ。雷のエネルギーを、増幅して、砲弾にできるの!」
「おお、俺の名前入りか! かっこいいな!」
「えへへ、でしょ?」
九瑠璃は、頬を赤くして、得意げに胸を張った。
「でもね、これ、雷牙がいないと、撃てないんだ」
「え?」
「雷牙のエネルギーを、受け取って、初めて、発射できるから。だから、タイミングが来たら、ボクに、力を貸してね」
「おう、任せとけ!」
雷牙は、ぐっと親指を立てた。
「六海は、後方から、歌の支援を。五夜は、全体の指揮を」
「はい! とっておきの新曲、用意してあります!」
「承知しました。状況に応じて、陣形を再編します」
それぞれが、持ち場に就いていく。
一千花は、橋の中央に立って、神槍グングニルを、ぎゅっと握りしめた。
「……いよいよね」
「ああ」
隣に、雷牙が並んだ。
「緊張してるか?」
「少しだけ。でも、昨日ほどじゃないわ」
「そっか」
「あなたが、そばにいてくれるから」
「…………」
「あ、いえ、その、深い意味は、ないわよ!」
「ははっ、分かってるって」
雷牙は、笑った。それから、そっと、一千花の手を、握った。
「一千花」
「な、何よ」
「勝とうな」
「……ええ。必ず」
二人の手が、強く、握り合わされた。
その時だった。
九瑠璃の手元の機械が、けたたましく鳴り響いた。
「来たよ! 空間の歪み、急上昇! 予測より、五分、早い!」
「全員、配置に!」
一千花の号令が、橋に響き渡った。
夜空が、ぐにゃり、と歪んだ。
橋の真上の、何もないはずの空間に、黒い亀裂が、ぴしり、と走る。その亀裂は、見る間に、縦に、横に、広がっていった。
やがて、巨大な、円形の裂け目が、夜空に、ぽっかりと口を開けた。
その向こうには、渦巻く、暗い赤色の世界が、広がっていた。
「……邪界の門」
五夜が、息を呑んだ。
裂け目から、冷たい風が吹き下ろしてくる。腐った鉄と、焦げた肉と、湿った土の臭いが、混ざり合って、鼻をついた。
「グオオオオオオッ!」
咆哮が、大地を揺らした。
門の奥から、悪魔の群れが、雪崩のように溢れ出してきた。
数百、いや、数千。空を覆い尽くす、翼を持った悪魔たち。地を這い、橋に向かって殺到する、獣型の悪魔たち。それらが、津波のように、街に襲いかかろうとしていた。
「全員、迎撃開始!」
一千花の声が、戦場に轟いた。
「唸れ、ミョルニル!」
雷牙が、大槌を呼び出した。轟、と雷光が走り、黒い槌が、夜空に高く掲げられる。
「いくぜ、お前ら! 一匹も、街に入れるな!」
「おう!」
戦いが、始まった。
最初に動いたのは、二葉だった。
「城よ、守って!」
橋の南北の城塞から、無数の石弓が、せり出してきた。矢の雨が、空を飛ぶ悪魔たちに、降り注ぐ。
「ギャアアアッ!」
悪魔たちが、次々と撃ち落とされていく。
「いいね、二葉! アタシも、続くよ!」
三沙の指が、すっと動いた。橋の周囲に張り巡らされた糸が、一斉に、びんっ、と張りつめる。
「かかったね!」
獣型の悪魔たちが、糸の罠に、次々と絡め取られていく。身動きの取れなくなった悪魔たちに、三沙の糸が、鋭く食い込んだ。
「そこだ!」
糸が、ぎゅんと収縮する。悪魔たちが、まとめて、バラバラに斬り裂かれた。
「やるじゃない、三沙! アタシも、負けてられないわ!」
七樹の剣が、閃光となって夜空を駆けた。翼を持った悪魔たちの群れに、真正面から突っ込んでいく。
「はあああっ!」
銀色の斬撃が、三体、四体と、まとめて悪魔を薙ぎ払った。雷牙から教わった、体重移動の技が、七樹の動きを、さらに鋭く、さらに速くしている。
「七樹、右です!」
五夜の声が、鋭く飛んだ。
「分かってる!」
七樹が、体をひねって、右から迫る悪魔を、斬り伏せた。
「……音で、止める」
八雲が、ヘッドホンを押さえて、指先を空に向けた。
高く澄んだ音が、空気を震わせる。その音波を浴びた悪魔たちが、動きを止めて、がくがくと痙攣し始めた。
「今です、七樹!」
「任せなさい!」
七樹の剣が、動きを止められた悪魔たちを、まとめて斬り裂いていく。
「ボクの砲も、いくよー!」
九瑠璃の砲が、金色の光を放った。光線が、悪魔の群れを貫き、一直線に焼き払う。
「すごい、九瑠璃!」
「えへへ、まだまだ!」
「みなさん、聞いてください! 新曲、『ライトニング・ハート』です!」
橋の後方で、六海が、翼を広げて、マイクのように両手を胸の前で組んだ。
澄んだ歌声が、戦場に響き渡る。それは、昨日までの歌よりも、さらに力強く、希望に満ちた旋律だった。
音の粒が、光の羽根となって、姉妹たちの武装に降り注ぐ。
「うわ、力が、湧いてくる……!」
「六海、ありがとう!」
「えへへ、らいがさんの、ために作ったんですよ!」
六海は、歌いながら、ちらりと雷牙に笑いかけた。
「おう、最高だぜ、六海!」
「はいっ!」
その時、橋の欄干の上から、一体の飛行型悪魔が、六海を狙って急降下してきた。
「六海、危ない!」
「……させない」
小さな影が、ひらりと割って入った。四乃だった。鎧の腕を掲げて、藍色の光の盾を、六海の前に展開する。
がきん、と悪魔の爪が、盾に弾かれた。
「四乃ちゃん!」
「……歌、止めないで」
「うん! ありがとう!」
「……みんなを、守る。それが、私の役目」
四乃の兜の奥から、静かな、けれど、揺るぎない声が響いた。
「五夜! 左翼が、手薄になってる!」
「承知しています。……二葉、城を、一段、左に移動できますか!」
「うん、やってみる!」
二葉が、両手を左に滑らせると、橋の左岸の城塞が、ごごご、と音を立てて、位置をずらした。
「ありがとうございます。三沙、糸を、城の隙間に!」
「あいよ!」
五夜の指示が、的確に飛んでいく。金色の鎖が、悪魔の群れを縛り上げ、その動きを封じる。
「獅堂くん、今です!」
「おう!」
雷牙の大槌が、縛られた悪魔たちを、一網打尽にした。
「ナイスだ、五夜!」
「当然です。生徒会長ですから」
五夜は、眼鏡を押し上げて、ほんの少し、誇らしげに笑った。
戦場は、光と音と炎に、包まれていた。
一千花は、橋の中央で、グングニルを振るっていた。青白い光をまとった槍が、悪魔たちを、次々と貫いていく。
「はあっ!」
体が、軽い。槍が、手足の延長のように、自在に動く。
(これが、新しい、私の力……)
一千花の周囲を、白い雷光が、渦を巻いて駆け巡っていた。
「一千花、いい動きだぞ!」
隣で、雷牙が、大槌を振るっていた。一撃ごとに、十数体の悪魔が、吹き飛ばされていく。
「あなたこそ、全然、疲れてないじゃない!」
「当たり前だ! お前たちが、力をくれてるからな!」
雷牙が、にかっと笑った。
「そろそろ、本命が来るぞ」
「え?」
「気をつけろ。空気が、変わった」
雷牙の言葉通り、戦場の空気が、ぴりり、と張りつめた。
門の奥から、ひときわ濃い、黒い霧が、渦巻いて溢れ出してくる。
霧の中から、細身の影が、ゆっくりと、姿を現した。
「……久しいな、神の使い」
白い仮面。黒い外套。血のように赤い瞳。
影渡りのヴェルゼだった。
「よう、屋根の上の兄ちゃん。ずいぶん、大勢連れてきたじゃねえか」
「ふふ、三日前の言葉を、覚えていたか」
「当たり前だ。約束は、守る男だからな」
雷牙は、大槌を肩に担いで、にやりと笑った。
「ところで、お前の『王』は、来ないのか?」
「王は、すでに、こちらに、向かっておられる」
ヴェルゼは、くつくつと笑った。
「だが、その前に、貴様らの力を、削いでおかねばならぬ」
「へえ。つまり、前座ってわけか」
「前座、か。ふふ……その言葉、後悔させてやろう」
ヴェルゼが、すっと手を上げた。
その瞬間、橋の上の、あらゆる影が、ざわり、と蠢いた。
「な……!?」
「何……!?」
姉妹たちの足元の影が、ぐにゃりと盛り上がる。影の中から、黒い手が、何本も、にゅっと伸びてきた。
「きゃああっ!」
「足元の影が……!」
「これは、影渡りの術か!」
五夜が、鎖を振るって、足元の影を叩き斬ろうとした。けれど、鎖は、影の中に、ぬるりと吸い込まれてしまう。
「効かない……!」
「ふふ、無駄だ。影は、我が領域」
ヴェルゼの笑い声が、夜の橋に響いた。
影から伸びた手が、二葉の足を掴む。三沙の腕に絡みつく。六海の翼を引っ張る。
「くっ……!」
「離せ……!」
姉妹たちの動きが、次々と、封じられていく。
「くそっ、この、離せ!」
三沙が、糸で影の手を斬り裂こうとする。けれど、影は、ぬるりと再生して、三沙の腕を、さらに強く締め上げた。
「三沙ちゃん!」
「二葉、アンタも、足が……!」
「大丈夫……城が、守ってくれるから……!」
二葉は、歯を食いしばって、足元から這い上がってくる影に抗った。
「……結界、押し返す」
四乃の藍色の光が、影をじりじりと押し返していく。けれど、影の勢いは、それを上回っていた。
「ダメ……押し負ける……!」
「みんな、頑張って!」
六海の歌が、必死に、全員を鼓舞する。
「みんな!」
一千花が叫んだ。けれど、彼女自身の足元にも、黒い影が、じわり、と広がり始めていた。
「……え」
足が、動かない。
「一千花!」
雷牙が、駆け寄ろうとした。
その瞬間、ヴェルゼの赤い瞳が、ぎらりと光った。
「ふふ、お前の相手は、私だ」
黒い刃が、雷牙の目の前に、突き出された。
「くっ……!」
雷牙は、大槌で、咄嗟に受け止めた。火花が散る。
「邪魔だ、どけ!」
「そうはいかん。お前には、ここで、足止めになってもらう」
「足止め?」
「ああ。その間に、我が影は、貴様の仲間を、ひとり、連れ去る」
「何だと!?」
「さあ、誰が、いいかな……」
ヴェルゼは、橋の上の姉妹たちを、ゆっくりと見回した。
「長女は、実に、いい力を持っている。あの槍は、王への、最高の捧げ物になるだろう」
「一千花に、手を出すな!」
「ならば、止めてみせろ」
ヴェルゼが、刃を振り抜いた。
雷牙の大槌が、それを受け止める。ごおん、と衝撃が走った。
「一千花! 今、行く!」
「雷牙! 私は、大丈夫……!」
一千花は、足元の影を、槍で突き刺した。青白い光が、影を貫く。
「くっ……」
けれど、影は、すぐに再生して、一千花の足に、ぎゅっと絡みついた。
「無駄だ。影は、斬れぬ」
ヴェルゼの声が、嘲笑う。
「みんな、聞いて!」
一千花は、必死に叫んだ。
「影に引き込まれないように、光を! 九瑠璃、橋全体を、照らして!」
「分かった!」
九瑠璃が、砲を、天に向けた。まばゆい光の球が、橋の上空に打ち上げられる。
橋全体が、白昼のように、明るく照らされた。
「ぐ……!」
影が、一瞬、薄くなった。
「今よ、みんな!」
姉妹たちが、一斉に、足元の影を振り払う。
「やった!」
「抜け出せた!」
けれど、ヴェルゼは、動じなかった。
「ほう、考えたな。だが」
赤い瞳が、すっと細まった。
「光が、強ければ強いほど、影は、濃くなる」
その言葉と同時に、橋の上の影が、一斉に、ぐんと濃く、深くなった。
「きゃああっ!」
「あああっ!」
黒い影が、触手のように伸びて、姉妹たちを、一斉に襲った。
「みんな!」
雷牙の叫びが、夜空に響く。
その瞬間、橋の中央に、ひときわ巨大な影が、ぼこりと盛り上がった。
影の中から、無数の黒い手が、一千花に向かって、一斉に伸びる。
「え……!?」
一千花の体が、黒い手に、がっしりと掴まれた。
「離しなさい! 離せ!」
「一千花!」
雷牙が、手を伸ばした。
その指先が、一千花の指先に、触れる。
「雷牙!」
「一千花ッ!」
けれど、次の瞬間、影の底が、ぱっくりと口を開けた。
一千花の体が、影の中へと、ずぶずぶと、引きずり込まれていく。
「雷牙……!」
「待て! 今、助ける!」
雷牙は、必死に一千花の手を掴もうとした。しかし、ヴェルゼの刃が、横から割り込んでくる。
「邪魔をするな!」
「させぬ」
雷牙は、大槌で刃を弾いた。その隙に、一千花の姿は、黒い影の中に、完全に沈んでしまった。
「……あ」
雷牙の指が、空を掴んだ。
「一千花……」
影が、すうっと、元の薄さに戻っていく。
橋の上には、一千花の槍だけが、ぽつんと、取り残されていた。
「……お姉ちゃん」
「お姉ちゃんが、いない」
姉妹たちが、呆然と立ち尽くす。
二葉が、その場に、へなへなと膝をついた。
「お姉ちゃん……どうして、私たち、守れなかったの……」
「二葉ちゃん……」
三沙が、そっと、二葉の肩を抱いた。
「ふふふ……あははははは!」
ヴェルゼの高笑いが、夜空に響き渡った。
「長女は、いただいた。これで、王への、手土産ができた」
「てめえ……!」
雷牙の全身から、バチバチと、凄まじい雷光が、噴き出した。
「ほう、いい殺気だ」
「一千花を、返せ」
「返してほしくば、邪界まで、来るがいい。もっとも、辿り着ければ、の話だが」
ヴェルゼの姿が、黒い霧に包まれていく。
「待て!」
雷牙は、大槌を振り抜いた。雷光が、霧を貫く。
けれど、霧は、ふわりと散って、ヴェルゼの姿は、消えていた。
「……くそっ」
雷牙は、拳を握りしめた。ぎりり、と、歯が軋む。
掌に、爪が食い込む。血が、一筋、指の間を伝って落ちた。
(守るって、言ったのに)
丘の上で、一千花に誓った言葉が、胸の奥で、鋭く刺さる。
(俺は、約束を、破っちまった)
悔しさが、全身を貫いた。けれど、その痛みが、かえって、雷牙の瞳を、冷たく、鋭く、研ぎ澄ませていく。
(……いや、まだだ。まだ、終わってねえ)
雷牙は、ゆっくりと、顔を上げた。
「雷牙……」
七樹が、震える声で呼んだ。
「お姉ちゃんが……お姉ちゃんが、連れて行かれちゃった」
「…………」
「どうしよう……どうすれば……」
六海が、顔を覆って、すすり泣いた。
「アタシが……アタシが、もっと、強かったら……!」
七樹が、剣を握りしめたまま、唇を噛んでいた。肩が、小刻みに震えている。
「七樹」
「アタシ、先陣を切るって、言ったのに……お姉ちゃんを、守れなかった……!」
「七樹」
雷牙は、七樹の肩を、ぽん、と叩いた。
「お前のせいじゃねえ」
「でも!」
「誰のせいでもねえ。強いて言うなら、あの陰険野郎のせいだ」
「…………」
「それに、お前の剣は、ちゃんと、仲間を守ってた。俺は、見てたぞ」
「……雷牙」
「だから、顔を上げろ。悔やむのは、後でいい」
「…………」
七樹は、ぐい、と涙を拭った。
「……分かったわよ。泣いてる暇なんて、ないものね」
「おう、その調子だ!」
「ただし、お姉ちゃんを助けたら、アンタ、一生、アタシに頭上がらないからね!」
「ははっ、望むところだ!」
「らいがさん……」
六海が、涙の滲んだ目で、雷牙を見上げた。
「泣くな、六海。笑ってる顔の方が、お前は、似合う」
「……はい」
雷牙に頭を撫でられて、六海は、ぐす、と鼻をすすって、無理やり、笑ってみせた。
「落ち着け、みんな」
雷牙は、深く息を吸い込んだ。
それから、ゆっくりと、姉妹たちを振り返った。
「俺が、必ず、取り戻す」
「雷牙……」
「約束しただろ。一人も、欠けさせねえって」
雷牙の瞳には、燃えるような、強い光が宿っていた。
「だが、その前に、目の前の敵を、片付けなきゃならねえ」
橋の向こうから、悪魔の群れが、再び、押し寄せてきていた。
「五夜」
「は、はい」
「一千花がいなくても、陣形は、保てるか」
「……はい。再編成します。私が、指揮を」
「頼む」
「二葉、三沙、四乃。三人で、盾を」
「分かった」
「任せな」
「……やる」
「七樹、八雲、六海、九瑠璃は、遊撃と支援。無理は、するな」
「……分かったわ」
「……了解」
「は、はい」
「うん!」
姉妹たちの目に、再び、闘志が灯った。
「雷牙」
二葉が、静かに、雷牙の隣に並んだ。
「お姉ちゃんを、助けに行くには、あの門を、通らなきゃいけないんだよね」
「ああ。おそらく、そうだ」
「だったら、私が、道を作る」
「道?」
「城の力で、門の下に、足場を作るよ。そこから、雷牙くんが、飛び込めるように」
「……できるのか?」
「やってみせる」
二葉の瞳には、強い決意が宿っていた。
「アタシも、手伝うよ。糸で、足場を補強する」
「……結界で、周りを、守る」
「私が、全体を、統制します」
「アタシが、先に、露払いするわ!」
「……音で、道を、開く」
「ボクの、新兵器で、援護する!」
「私の歌で、みんなを、支えます!」
姉妹たちが、次々と、声を上げた。
「……お前ら」
雷牙は、目を細めた。
「ほんと、最高の仲間だな」
「当たり前よ」
「ふふ、お姉ちゃんには、負けられないからね」
姉妹たちの笑顔が、夜の橋に、咲いた。
「よし。作戦は、決まりだな」
雷牙は、大槌を、どん、と地面に突き立てた。
「全員、聞け」
雷牙は、拳を高く掲げた。
「この戦いが終わったら、すぐに、一千花を、助けに行く」
「おう!」
「だから、今は、ここを、守りきるぞ!」
「おう!」
雷牙の号令に、姉妹たちの声が、重なった。
夜空に、再び、雷鳴が轟く。
戦いは、第二幕に、突入しようとしていた。
その頃。
影の底では、一千花が、暗闇の中を、落ち続けていた。
(……ここは、どこ?)
上も、下も、分からない。ただ、冷たい闇が、体を包み込んでいる。
(雷牙……みんな……)
手を伸ばす。けれど、何も、掴めない。
やがて、ふわり、と、足が、何かに触れた。
「……っ」
一千花は、地面に、膝をついた。
そこは、赤黒い空の下の、荒涼とした大地だった。見渡す限り、枯れた木々と、ひび割れた岩場が、広がっている。
「ここが、邪界……」
空気が、重い。息を吸うだけで、肺が焼けるようだ。
一千花は、周囲を見回した。
その時、遠くの岩場の陰に、ひとつの人影が、ゆらりと立っているのが見えた。
「誰……!?」
槍を構えようとして、手に何もないことに気づく。グングニルは、橋の上に、置いてきてしまったのだ。
(しまった……!)
人影が、ゆっくりと、こちらに近づいてくる。
やがて、その姿が、はっきりと見えた。
長身の、黒い鎧に身を包んだ男。頭には、王冠のような、禍々しい角。その瞳は、深い紫色に、冷たく光っていた。
「……ようこそ、我が領域へ。主神の娘よ」
低く、威厳のある声だった。
一千花は、全身に、冷たい汗が滲むのを感じた。
「あなたが……ゲヘナの、王……」
「そう呼ばれることも、ある」
男は、ゆっくりと、一千花の前に立った。
「安心しろ。お前を、すぐに殺しはしない」
「…………」
「お前は、我が王妃になるのだからな」
「……は?」
一千花の思考が、一瞬、止まった。
「な、何を言って……」
「お前の力、お前の魂、お前の全てを、我のものとする。それが、お前に与えられる、栄誉だ」
「ふざけないで!」
一千花は、顔を真っ赤にして叫んだ。
「私は、あなたのものなんかに、ならないわ!」
「ほう。威勢がいい」
王は、くつくつと笑った。
「だが、その威勢が、いつまで続くかな」
「…………」
「時間は、たっぷりある。ゆっくりと、教えてやろう。邪界の、素晴らしさを」
王が、手を上げた。
一千花の足元から、黒い鎖が、じゃらり、と伸びてきた。
「くっ……!」
鎖が、一千花の手足に、絡みつく。
(雷牙……!)
一千花は、きつく目を閉じた。
(お願い……来て……!)
その時、一千花の胸元で、小さな布のお守りが、ふわり、と、藍色の光を放った。
「……え?」
四乃が、縫ってくれたお守りだった。
藍色の光が、一千花の体を、優しく包み込む。黒い鎖が、じゅっと音を立てて、焼き切れた。
「……ほう?」
王の目が、すっと細まった。
「面白い。小さな護りか」
「…………」
一千花は、お守りを、ぎゅっと握りしめた。
(ありがとう、四乃……)
涙が、一筋、頬を伝った。
(私は、諦めない。必ず、みんなのところに、帰る)
一千花は、王を、まっすぐに睨みつけた。
「あなたが、何をしようと、無駄よ」
「ほう?」
「私には、仲間がいる。必ず、助けに来てくれる」
「……ふふ。そうか」
王は、ゆっくりと、笑った。
「ならば、その仲間たちが、この邪界に、辿り着けるかどうか。見物するとしよう」
赤黒い空に、不気味な月が、ぼんやりと浮かんでいた。
一千花は、拳を握りしめて、その月を見上げた。
一人になって、初めて、一千花は、気づいた。
この数日間、自分が、どれほど、あの騒がしい少年に、支えられていたのかを。
(朝の縁側で、手を握ってくれたこと)
(丘の上で、私の怖さを、受け止めてくれたこと)
(バカみたいに、まっすぐな笑顔で、私の名前を、呼んでくれたこと)
どれもが、胸の奥に、あたたかな灯りをともしていた。
(……私、あなたのこと、いつの間にか、こんなに)
その続きを、一千花は、言葉にできなかった。
ただ、胸元のお守りを、ぎゅっと握りしめる。
(雷牙……待ってるわ)
遥か遠くの空の下で、雷牙が、同じ月を見上げていることを、彼女は、まだ、知らなかった。
橋の上では、激しい戦いが、続いていた。
雷牙は、大槌を、夜空に叩きつけた。
「うおおおおっ!」
雷が、天から降り注ぎ、悪魔の大群を、一掃していく。
けれど、倒しても、倒しても、門の向こうから、新たな悪魔が、溢れ出してくる。
「きりがありません……!」
五夜が、苦しげに叫んだ。
「ならば、門を、閉じるしかねえ!」
雷牙は、空を見上げた。夜空にぽっかりと開いた、巨大な裂け目。
「九瑠璃!」
「うん!」
「ライガ・キャノンの、出番だ!」
「いくよ、雷牙!」
九瑠璃が、金色の砲身を、天に向けた。
雷牙は、大槌を、砲身に、がつん、と叩きつけた。
「いけええええっ!」
雷光が、砲身に流れ込む。砲口が、まばゆく、白く、輝き始めた。
「エネルギー、充填! 九十……百……百二十パーセント!」
「撃てえええっ!」
「発射!」
轟音と共に、白い光の柱が、夜空へと、一直線に撃ち上がった。
光は、邪界の門の、中心を貫く。
空が、ぐにゃり、と歪んだ。
「やった……!」
けれど、次の瞬間。
裂け目が、ぐわり、と、さらに大きく、広がった。
「……え?」
「嘘……!」
門の向こうから、何か、とてつもなく巨大なものの気配が、迫ってくる。
空気が、びりびりと震えた。
「……あれは」
八雲が、ヘッドホンを押さえて、青ざめた。
「……来る。大きな、何かが」
裂け目の奥から、ゆっくりと、巨大な、赤い瞳が、現れた。
夜空いっぱいに、広がる、巨大な眼。
それが、街を、ぎろりと睨みつけた。
「…………」
誰も、声を出せなかった。
「雷牙……こわいよ」
九瑠璃が、雷牙の足に、ぎゅっとしがみついた。小さな肩が、ぶるぶると震えている。
「大丈夫だ、九瑠璃」
雷牙は、しゃがみこんで、九瑠璃の頭を撫でた。
「俺が、ついてる。それに、お前の砲は、世界一だろ?」
「……うん」
「だったら、胸張れ。お前は、天才発明家だ」
「……うん!」
九瑠璃は、涙を拭いて、こくりと頷いた。ライガ・キャノンを、ぎゅっと握り直す。
「……雷牙」
八雲が、ヘッドホンを押さえて、小さく言った。
「……あの眼、音がない。……全部、飲み込む、音だけ」
「そうか。やべえ相手ってことだな」
「……でも、雷牙の音は、まだ、鳴ってる。大きな音で」
「ははっ、そりゃ、いい」
「……だから、大丈夫」
八雲は、こくりと頷いた。
雷牙は、大槌を握りしめたまま、その眼を、見上げた。
「……なるほどな」
彼は、にやりと笑った。
「ここからが、本番ってわけか」
額に、冷たい汗が、一筋、流れる。
けれど、その瞳は、少しも、揺らいでいなかった。
「みんな、聞け」
雷牙は、振り返って、姉妹たちを見渡した。
「あいつを、止める。そして、一千花を、取り戻す」
「……うん」
「絶対に、諦めない」
「うん……!」
「俺たち全員で、行くぞ」
雷牙は、ミョルニルを、夜空へと掲げた。
「ここが、最後の、決戦だ!」
満月が、血のように、赤く染まっていく。
運命の夜は、まだ、終わらない。