戦×恋:レボリューション・ボルト ~雷神の転校生が九人の戦乙女を救ったら、前線直結のラブコメバトルが始まった~ 作:夜幻
夜空いっぱいに広がる巨大な眼が、ぎょろり、と動いた。
その視線が、橋の上の十人に、ゆっくりと向けられる。見られただけで、肌の表面が、ぴりぴりと痺れた。
「……動けない」
六海が、翼を震わせて呟く。
「眼の力か。睨まれただけで、体が、重くなる」
「みんな、気を強く持て!」
雷牙が、大槌を地面に突き立てて叫んだ。バチバチと走る雷光が、周囲の重圧を、じりじりと押し返していく。
「大丈夫だ。俺たちには、お守りがある」
雷牙は、左手首の金色の組紐と、胸ポケットの藍色のお守りに、そっと触れた。
「……そうだね」
二葉が、組紐を巻いた手首を、ぎゅっと握る。
「お姉ちゃんが、私たちのために、選んでくれた紐だもん」
「負けるわけには、いかないわ」
七樹が、剣を構え直した。
「よし。作戦通り、行くぞ」
雷牙が、拳を突き上げる。
「二葉、足場を!」
「うん! いくよ、城よ、天へ!」
二葉が、両手を空に掲げた。
橋の中央から、石の階段が、ごごご、と音を立てて伸び上がっていく。一段、また一段。石段は、螺旋を描きながら、夜空の裂け目へと、一直線に伸びていった。
「すげえ……城の階段だ」
「まだまだ! 四乃ちゃん、三沙ちゃん、お願い!」
「……結界で、包む」
四乃が、藍色の光で、階段全体を覆う。
「糸で、補強するよ!」
三沙の糸が、石段に縫いつけるように走り、階段は、さらに強固になった。
橋から裂け目まで、天空へ続く、光の階段が完成した。
「これで、道は、できた」
「ありがとな、みんな」
雷牙は、階段の一段目に、足をかけた。
「待って、雷牙」
背後から、声がかかった。
「ん?」
「ひとつ、渡したい物があるの」
九瑠璃が、とことこと走ってきた。小さな両手で、一千花のグングニルを、抱えている。
「それは、一千花の……」
「うん。さっき、橋に落ちてたのを、拾ったの」
九瑠璃は、槍を雷牙に差し出した。
「お姉ちゃん、これがないと、戦えないでしょ? だから、雷牙が、届けてあげて」
「…………」
雷牙は、グングニルを、そっと受け取った。ずしり、と重い。けれど、その柄には、一千花の温もりが、まだ残っているような気がした。
「ありがとう、九瑠璃。必ず、届ける」
「うん! それと、これも」
九瑠璃は、ポケットから、小さな水色の組紐を取り出した。自分の手首に巻いていた、一千花からもらった紐だ。
「ボクの分も、雷牙に、貸してあげる」
「いいのか?」
「うん。ボクの気持ち、持ってって」
「……ああ。大事にする」
雷牙は、水色の組紐を、金色の組紐の隣に、結んだ。
「雷牙」
次に、三沙が、拳を突き出した。
「アタシの糸を、ひと筋、預けるよ」
三沙の指先から、細い銀糸が伸びて、雷牙の右手首に、くるりと巻きついた。
「何かあったら、その糸が、アタシに、知らせてくれる」
「ありがてえ」
「必ず、帰ってきな。一千花と一緒にね」
「おう」
二人は、こつん、と拳を合わせた。
「……雷牙」
四乃が、静かに近づいてきた。
「……これ」
差し出されたのは、小さな布のお守りだった。藍色の、新しいもの。
「……もう一個、作った。予備」
「四乃、お前、いつの間に」
「……昨日の夜。雷牙が、無事に帰ってこれるように」
兜の奥から、震える声が漏れた。
「……お姉ちゃんを、助けて」
「ああ。約束する」
雷牙は、お守りを、そっと受け取った。四乃の兜が、こくりと揺れる。
「獅堂くん」
五夜が、一歩前に出た。眼鏡の奥の瞳が、まっすぐに、雷牙を見つめている。
「私の鎖を、あなたの腰に、繋いでおきます」
「鎖?」
「万が一、邪界で道に迷った時、この鎖を辿れば、必ず、戻ってこられます」
金色の鎖が、雷牙の腰に、するりと巻きついた。
「長さは、いくらでも伸ばせます。ですから、遠慮なく、行ってください」
「五夜……ありがとな」
「いえ。……お姉様を、お願いします」
五夜は、深く、頭を下げた。
「らいがさん」
六海が、翼を広げて、近づいてきた。
「私の歌を、お守りに、あげます」
六海は、雷牙の胸に、そっと手を当てた。柔らかな光が、掌から流れ込んでくる。
「これで、らいがさんの体力と、気力が、少しずつ、回復します」
「ありがとな、六海」
「えへへ……気をつけて、くださいね」
六海は、涙を堪えて、にっこりと笑った。
「雷牙」
七樹が、ぶっきらぼうに言った。
「アタシの剣も、持っていきなさい」
「え?」
「剣を、貸すわけじゃないわよ。……これ」
七樹は、自分の剣の柄から、黄色い組紐を、ひとつ、ほどいた。
「アタシの気持ちを、込めたから。無駄にしたら、承知しないからね」
「お、おう。ありがとう、七樹」
「べ、別に、アンタのためじゃないんだから! お姉ちゃんのためなんだから!」
七樹は、ぷいと顔をそむけた。けれど、その耳は、真っ赤だった。
「……雷牙」
八雲が、ヘッドホンを、そっと外した。
「……これ、貸す」
「え、それは、お前の大事な」
「……音を、遮断してくれる。邪界の、気持ち悪い音から、雷牙を、守ってくれる」
八雲は、背伸びをして、雷牙の耳に、ヘッドホンをかけた。
「……ちゃんと、返して」
「ああ。必ず」
「……約束」
八雲は、小さく、小指を差し出した。雷牙は、にっと笑って、その小指に、自分の小指を絡めた。
最後に、二葉が、雷牙の前に立った。
「雷牙くん」
「二葉」
「私の気持ちは、このお弁当に、詰めておいたよ」
二葉は、小さな包みを、雷牙の手に握らせた。
「お姉ちゃんと、二人で、食べてね。きっと、お腹、空いてるから」
「ははっ、二葉らしいな」
「うん。……ふふ」
二葉の目から、ぽろり、と涙が零れた。
「雷牙くん。お姉ちゃんを、お願いします。……そして、二人とも、無事で、帰ってきてね」
「ああ。約束だ」
雷牙は、二葉の頭を、ぽんぽんと撫でた。
「みんな」
雷牙は、全員を、ゆっくりと見渡した。
「俺は、お前たちの想いを、全部、背負って、行く」
「うん!」
「必ず、一千花を、連れて、帰る」
「うん!」
「だから、俺が戻るまで、この街を、守っててくれ!」
「うん!」
九つの声が、夜空に重なった。
「よし! 行ってくるぜ!」
雷牙は、大槌を肩に担いで、光の階段を、駆け上がり始めた。
その背中に、姉妹たちの声が、降り注ぐ。
「いってらっしゃーい!」
「頑張ってーっ!」
「……待ってる」
雷牙は、振り返らなかった。ただ、片手を、高く掲げて、答えた。
階段を駆け上がる。
一段、また一段。夜風が、頬を叩き、足元の石段が、きらきらと光る。
巨大な眼が、近づいてくる。
その眼の前で、黒い影が、ゆらりと立ちはだかった。
「やはり、来たか」
ヴェルゼだった。
「よう、陰険野郎。迎えに来てくれたのか?」
「ふふ、貴様を、ここで、足止めさせてもらう」
ヴェルゼが、黒い刃を、ゆっくりと構えた。
「長女は、すでに、王のもとにいる。今から追いかけても、間に合うまい」
「間に合わせるんだよ」
「ほう。強がりを」
「強がりじゃねえ。……お前こそ、さっきから、影の中に、隠れてばっかりじゃねえか」
「何?」
「俺と、真正面から戦う度胸が、ねえんだろ?」
雷牙は、にやりと笑って、挑発した。
「貴様……!」
ヴェルゼの赤い瞳が、ぎらりと光る。
影が、階段の周囲から、無数に伸びてきた。黒い手が、雷牙の足首を、掴む。
「くっ……!」
「どうだ、影の力は。どれだけ、強がっても、貴様は、ここで終わりだ」
「…………」
雷牙は、足元を見た。
影が、ぐるぐると、全身を締め上げていく。
「ははは! 観念しろ、神の使い!」
「……なあ、ヴェルゼ」
雷牙が、静かに口を開いた。
「お前、影の弱点、知ってるか」
「何?」
「光が強ければ強いほど、影は濃くなる。さっき、お前が言ったよな」
「それが、どうした」
「じゃあ、光が、強すぎて、影すら、焼き尽くしちまうくらいなら、どうなる?」
「…………!」
ヴェルゼの目が、見開かれた。
「まさか……!」
「唸れ、ミョルニル!」
雷牙が、大槌を、天に掲げた。
轟、と雷光が、爆発した。
白い光が、階段の周囲を、昼間よりも明るく、塗りつぶしていく。雷牙の全身から、極限まで膨れ上がった雷が、全方位に放たれた。
「ぐ、あああああっ!?」
影が、じゅわっ、と音を立てて、蒸発していく。ヴェルゼの外套が、焼け焦げて、白い仮面が、ひび割れた。
「ば、馬鹿な……影が、消える……!」
「言っただろ。俺の雷は、お前らの影を、全部、焼き尽くすって」
雷牙は、一歩、ヴェルゼに近づいた。
「くっ……!」
ヴェルゼは、後ずさった。仮面の亀裂が、広がっていく。
「待て……我は、王の側近……ここで、倒れるわけには……!」
「悪いが、通させてもらう」
雷牙は、大槌を、横に振りかぶった。
「待て、やめ……!」
「どけえええええっ!」
大槌が、ヴェルゼの胴を、打ち抜いた。
轟音と共に、ヴェルゼの体が、吹き飛ばされる。白い仮面が、粉々に砕け散った。
「ぐ、おおおっ……我が、王よ……」
影の悪魔は、霧となって、夜空に消えていった。
階段の上に、静寂が戻る。
「……ふう」
雷牙は、大きく息をついた。
「道は、開いたな」
彼は、再び、階段を駆け上がり始めた。
巨大な眼の、真下に辿り着く。
裂け目の奥には、赤黒い、渦巻く世界が、広がっていた。
「……この向こうに、一千花がいる」
雷牙は、ぎゅっと、グングニルを握りしめた。
「待ってろ、一千花。今、行く」
大きく息を吸い込んで、雷牙は、裂け目の中へと、飛び込んだ。
裂け目の向こうは、赤黒い荒野だった。
足が地面についた瞬間、全身を、ねっとりとした瘴気が包み込んだ。耳の奥で、無数の囁き声が、ざわざわと蠢く。
「……うるせえな」
雷牙は、耳元のヘッドホンを、ぎゅっと押さえた。八雲の優しい静寂が、囁きを、すうっと遠ざけていく。
「ありがとな、八雲」
小さく呟いて、駆け出す。腰の鎖が、後ろへと、しゅるしゅる伸びていく。帰り道の、命綱だった。
荒野の岩場の陰から、悪魔たちが、うじゃうじゃと湧き出してきた。
「侵入者……排除……」
「おいおい、邪魔すんなよ。急いでるんだからよ!」
雷牙は、片手で大槌を振るった。数十体の悪魔が、まとめて宙を舞う。
「悪いな、お前らに構ってる暇は、ねえんだ」
進むたびに、手首の組紐が、ぽう、ぽう、と淡く光る。その光が、一千花のいる方向を、確かに、指し示していた。
橋の上では、姉妹たちが、固唾を呑んで、空を見上げていた。
「雷牙くん、入ったね」
「……ええ。鎖の反応、邪界内部に到達しました」
五夜が、手にした鎖の端を、じっと握りしめている。鎖は、細く、遠く、裂け目の向こうへ、伸びていた。
「ちゃんと、辿り着けるかな……」
「大丈夫。雷牙なら、きっと」
三沙が、組紐を巻いた手首を、ぎゅっと握った。
「……信じよう」
「うん。……お姉ちゃん、待っててね」
二葉が、祈るように、手を合わせた。
その時、七樹の手首の黄色い紐が、ふわり、と光った。
「あ、光った」
「……私のも」
「ボクのも!」
九人の組紐が、次々と、ほのかに輝き始める。
「みんなの紐が、繋がってる……!」
「雷牙に、私たちの想いが、届いてるんだね」
六海が、嬉しそうに微笑んだ。
「だったら、もっと、応援しなきゃ!」
六海が、翼を広げて、澄んだ声で、歌い始めた。
優しい旋律が、夜空へと、立ち昇っていく。
歌声に導かれるように、組紐の光が、いっそう強く、まばゆく輝いた。
その頃、邪界の荒野では。
「……いつまで、そうして、睨んでいるつもりだ」
ゲヘナの王が、玉座に腰を下ろして、薄く笑っていた。
岩を削り出した、黒い玉座。その前で、一千花は、鎖に繋がれながら、必死に、王を睨み返していた。
「あなたが、私を解放するまでよ」
「ふふ、強情だな。……だが、嫌いではない」
「気持ち悪いこと、言わないでちょうだい!」
一千花の頬が、真っ赤に染まる。
「いいか、私は、あなたの王妃になんか、絶対に、ならないわ! 私には、もう、心に決めた人が、いるんだから!」
「……ほう?」
「……あ」
一千花は、はっと口を押さえた。
(わ、私、今、何を言った……!?)
「心に決めた、人、か。ほほう」
王は、にやりと笑った。
「それは、神の使いのことかな」
「ち、違うわよ! あんな、バカで、がさつで、脳筋で、無神経な男は、全然、そういうのじゃ……!」
「ずいぶんと、詳しい悪口だな」
「う、うるさい!」
一千花は、耳まで真っ赤になって、そっぽを向いた。
(なんで、私、こんなことを、バラしてるの……!)
「ほほう、顔が、赤いな」
「赤くない! あなたの、部屋の、照明が、赤いのよ!」
「ここに、照明は、ないが」
「うるさいわね! 細かいことは、いいのよ!」
一千花は、地団駄を踏んだ。鎖が、じゃらじゃらと鳴る。
「それで、その『心に決めた人』は、どんな男だ」
「な、なんで、あなたに、教えなきゃいけないのよ!」
「興味が、ある」
「……っ」
一千花は、唇をぎゅっと結んで、そっぽを向いた。けれど、数秒もしないうちに、ぽつりと、口を開いた。
「……バカで、がさつで、うるさくて、距離感がなくて」
「ふむ」
「でも、……優しくて、まっすぐで、誰かのためなら、自分のことなんて、後回しにして」
「…………」
「……気がついたら、目が、離せなくなってた」
最後の言葉は、消え入るような小声だった。
「……ほう。惚気話に、聞こえるが」
「の、惚気じゃないわよ!」
一千花は、顔から火が出そうな勢いで叫んだ。
「安心するがいい。そのバカな男は、もうすぐ、ここに来る」
「え……?」
「我が眼が、見ている。あの男が、光の階段を駆け上がり、ヴェルゼを討ち、門に飛び込んだのを」
「雷牙が……来てくれた……」
一千花の胸が、ぐっと熱くなった。
「だが、無駄だ。あの男が、ここに辿り着く頃には、お前は、すでに、我が妃となっている」
「どういう意味……」
「儀式を、行う」
王が、手を上げた。
一千花の足元に、黒い魔法陣が、広がっていく。
「きゃっ……!」
「この陣の中で、お前の魂を、我が魂と、結びつける。そうすれば、お前の力は、永遠に、我のものとなる」
「やめなさい! 離して!」
鎖が、きりきりと、一千花の体を締め上げる。魔法陣の光が、一千花の足元から、じわじわと這い上がってきた。
(お願い……雷牙……間に合って……!)
一千花は、必死に目を閉じて、祈った。
その瞬間。
荒野の空が、まっぷたつに裂けた。
雷鳴と共に、白い光の柱が、天から降り注ぐ。
「……来たか」
王が、玉座から、ゆっくりと立ち上がった。
「遅いぞ、神の使い」
光の柱の中から、黒いレザージャケットの少年が、ゆっくりと、歩み出てきた。
片手に、漆黒の大槌。もう片方の手に、青白く輝く槍。
「……待たせたな、一千花」
雷牙が、にっと笑った。
「雷牙……!」
一千花の目から、大粒の涙が、ぽろぽろと零れ落ちた。
「バカ……遅いわよ……!」
「悪い悪い。道に迷っちまってな」
「それ、初めて会った時も、言ってたわよ!」
「ははっ、そうだったな」
雷牙は、笑いながら、一千花の方へ、歩み寄ろうとした。
「待て」
王が、片手を、すっと上げた。
雷牙の前に、黒い壁が、ごごご、とせり上がる。
「我が儀式を、邪魔させるわけには、いかぬ」
「儀式?」
「この娘を、我が妃とするための、神聖な儀式だ」
「へえ。そりゃ、悪いが、お断りだ」
「ほう? 神の使いごときに、我が決定を、覆せるとでも?」
「覆すさ。……俺は、約束したからな」
雷牙は、ミョルニルを、肩に担ぎ直した。
「一人も、欠けさせねえって」
「……ふ。面白い」
王の全身から、禍々しい黒い気が、噴き出した。
身の丈が、見る間に、倍に、そして三倍に、膨れ上がっていく。黒い鎧が、岩のように分厚く、頭の角が、天を突くように伸びた。
「我は、ゲヘナの王、ザルヴァドール。貴様の首を、我が玉座の飾りとしてくれよう」
「悪いな、俺の首は、売り物じゃねえんだ」
雷牙が、地面を蹴った。
大槌が、雷光をまとって、王に向けて、振り下ろされる。
ごおん、と、凄まじい衝撃が、荒野を揺るがした。
王の巨大な腕が、大槌を、片手で受け止めていた。
「ほう、悪くない力だ」
「そりゃ、どうも!」
雷牙は、一歩も退かずに、押し込んでいく。足元の岩が、粉々に砕けた。
「だが、まだ足りぬ」
王が、もう片方の腕を、振り抜いた。
黒い衝撃波が、雷牙の体を、吹き飛ばす。
「ぐっ……!」
雷牙は、空中で体勢を立て直して、岩壁に着地した。
「雷牙!」
一千花が、鎖の中から、叫んだ。
「大丈夫だ、一千花! こんなの、かすり傷だ!」
雷牙は、口元の血を、手の甲で拭った。
「さすがは、王様。強いな」
「当たり前だ。我は、ゲヘナの全てを、統べる者」
「でも、俺は、一人じゃねえ」
雷牙は、胸元のお守りと、左右の手首の組紐に、そっと触れた。
「みんなの想いが、俺を、強くしてくれる」
「ふん。くだらぬ、感傷だ」
「くだらなくなんかねえよ。……見せてやる」
雷牙は、グングニルを、地面に突き立てた。
それから、大槌を、天に掲げる。
「唸れ、ミョルニル!」
金色の組紐が、きらきらと輝いた。水色の組紐、銀の糸、藍色のお守り、黄色の紐、金色の鎖、ヘッドホンから流れる澄んだ音。
それら全てが、ひとつの光となって、雷牙の全身を包んでいく。
「これが、俺たちの、力だ!」
黒い大槌が、眩い白金色に、変わっていった。
ミョルニルの表面に、九つの紋様が、浮かび上がる。それは、九人の戦乙女たちの、それぞれの武装を表す、輝く印だった。
「な……!?」
王の目が、驚愕に見開かれた。
「その光は……まさか、戦乙女の、力を……!」
「そうだ。俺は、あいつら全員の力を、借りてる」
雷牙は、にやりと笑った。
「行くぜ、王様。これが、絆の力だ!」
雷牙の姿が、白い雷光となって、消えた。
次の瞬間、王の目の前に、大槌が、振り下ろされていた。
「ぐおおおっ!」
王の巨体が、轟音と共に、地面にめり込んだ。
「す、すごい……」
一千花が、呆然と呟く。
雷牙の動きが、まるで別人のようだった。九人の力が、全身に、満ち溢れている。
「小癪な……!」
王が、立ち上がって、黒い剣を、召喚した。
「ならば、我が全力を、見せてやろう!」
黒い剣が、天を貫くほどの、巨大な黒い光を放つ。
「死ねい、神の使い!」
漆黒の斬撃が、雷牙めがけて、振り下ろされた。
「雷牙ッ!」
一千花の悲鳴が、響いた。
けれど、雷牙は、退かなかった。
両手で、大槌を握りしめて、斬撃を、正面から受け止める。
「おおおおおっ!」
ごごごご、と、地面が揺れる。白金色の光と、漆黒の光が、激しくせめぎ合った。
「くっ……!」
雷牙の足が、地面に、深くめり込む。腕が、びりびりと痺れた。
(重い……でも、負けられねえ)
「雷牙……!」
一千花は、必死に鎖を引きちぎろうと、もがいていた。
(私も、戦いたい……! 雷牙を、助けたい……!)
その時、胸元のお守りが、再び、藍色の光を放った。
四乃が、縫ってくれたお守りだった。
藍色の光が、一千花の鎖に、じゅっと染み込んでいく。鎖が、ぱきん、と音を立てて、砕け散った。
「……え」
一千花は、自由になった手を、じっと見つめた。
「四乃……」
涙が、また、溢れる。
「ありがとう。……私、行くわ」
一千花は、立ち上がった。
けれど、手に、武器がない。
「槍……! 槍は……!」
見回すと、雷牙が突き立てた、グングニルが、すぐ近くの地面に、刺さっていた。
一千花は、駆け出した。
「させぬ」
王が、片手を伸ばして、一千花を捕えようとした。
「くっ……!」
「お前の相手は、俺だって、言ってるだろうが!」
雷牙が、全身の力を込めて、斬撃を押し返した。黒い光が、一瞬、怯んだ。
その隙に、一千花は、グングニルの柄を、がっしりと掴んだ。
「……おかえり」
槍が、青白い光を放って、一千花の手に、吸いついた。
「雷牙!」
一千花が、叫んだ。
「手を、貸して!」
「おう!」
雷牙が、片手を、一千花の方へ、伸ばした。
一千花は、走って、その手を、がしっと、握った。
「……バカ、手を握るなら、先にそう言いなさい……!」
「さっきから、言ってたじゃねえか!」
「言い方の、問題よ!」
「ははっ! お前らしいな!」
二人は、顔を見合わせて、笑った。
繋いだ手から、眩い光が、溢れ出す。
白金色の雷と、青白い槍の光が、ひとつに溶け合い、巨大な光の柱となって、天に突き上がった。
「な……何だ、この光は……!?」
王が、たじろいだ。
「いくわよ、雷牙!」
「おう、一千花!」
二人は、槍を、一緒に握りしめた。
「合体技――」
一千花が、声を張り上げた。
「神雷槍・黎明裂き!」
「いっけえええええっ!」
雷牙の叫びと共に、光の槍が、王に向けて、放たれた。
白金色の雷光が、黒い剣を粉砕し、黒い鎧を貫き、王の胸の中心に、突き刺さった。
「ぐ、おおおおおおっ!?」
王の巨体が、光に呑み込まれていく。
「馬鹿な……我が、負ける、など……!」
「お前は、負けたんだよ、ザルヴァドール」
雷牙が、静かに言った。
「俺たちの絆に、な」
「き、ずな……そんな、ものが……」
王の体が、光の粒となって、ぼろぼろと崩れていく。
「……ふ。皮肉な、ものだ」
最後に、王は、かすかに、笑った。
「我は、ただ……孤独に、飽きて、いたの、かもしれぬ……」
その声は、風に溶けて、消えていった。
光が、収まる。
荒野に、静寂が戻った。
「…………」
「…………」
一千花と雷牙は、手を握ったまま、しばらく、言葉もなく立ち尽くしていた。
「……終わった、のね」
「ああ。終わった」
「雷牙」
「ん?」
「……ありがとう」
一千花は、雷牙の手を、ぎゅっと握りしめた。
「来てくれて。信じて、くれて」
「当たり前だろ。約束したからな」
「……うん」
一千花の目から、また、涙が零れた。
けれど、その顔は、満面の笑みだった。
「……ねえ、雷牙」
「ん?」
「その……」
「どうした?」
「…………」
一千花は、もじもじと、足元の石を見つめた。
「……ハグ、しても、いい?」
「え!?」
「だ、だから、訓練のためよ! ……じゃなくて」
一千花は、顔を上げた。
「……今のは、訓練じゃなくて、私が、したいから」
「…………」
雷牙の顔が、ぽっと赤くなった。
「お、おう。いいぞ」
「じゃあ……今から、抱きつくわね」
「お、おう」
一千花は、そっと、雷牙の胸に、飛び込んだ。
小さな腕が、ぎゅっと、背中に回される。
雷牙の心臓が、どくん、どくん、と、大きく鳴っていた。
「……あ」
雷牙の腕が、ぎこちなく、一千花を抱きしめ返した。
「……あ、いや、すまん。やっぱこれ照れるな!」
「ふふっ」
一千花は、雷牙の胸の中で、くすくすと笑った。
「いいわよ。そのままで」
「そ、そうか」
「ええ。……ずっと、このままでも、いいくらい」
「……っ!」
雷牙は、顔を真っ赤にして、空を仰いだ。
その時、荒野全体が、ごごご、と大きく揺れ始めた。
「な、何だ!?」
「邪界が、崩れ始めてるわ!」
赤黒い空に、無数の亀裂が走る。大地が、ひび割れ、崩れ落ちていく。
「王を倒したから、世界の均衡が、崩れてるんだ!」
「急いで、脱出しないと!」
「ああ、行くぞ!」
雷牙は、一千花の手を、しっかりと握った。
「五夜の鎖が、道を、示してくれるはずだ!」
腰に巻かれた金色の鎖が、ぴん、と張りつめている。その先が、荒野の彼方へ、遠く、細く、伸びていた。
「この鎖を、辿るぞ!」
「ええ!」
二人は、手を繋いで、駆け出した。
崩れていく大地を、飛び越える。落ちてくる岩を、雷で砕く。足元の亀裂を、大きくジャンプして、渡っていく。
「雷牙、後ろ!」
「分かってる!」
雷牙は、振り向きざまに、大槌で、巨大な岩塊を砕いた。
「一千花、疲れてねえか!」
「平気よ! あなたこそ!」
「俺は、全然平気だ!」
「ちょっと、前! 岩が!」
「おっと!」
雷牙は、一千花の手を引いて、ぐいっと左に跳んだ。巨大な岩が、さっきまでいた場所に、ずしん、と落ちる。
「危ねえな。……一千花、怪我は?」
「ない。あなたが、守ってくれたもの」
「そ、そうか」
「……ありがとう」
「お、おう」
崩落の轟音の中、二人の間だけ、不思議なほど、穏やかな空気が流れていた。
鎖の先に、光る裂け目が、見えてきた。
「あれが、出口だ!」
「急いで!」
「飛ぶぞ!」
雷牙は、一千花を、ひょいと抱き上げた。
「きゃっ!?」
「しっかり、掴まってろ!」
「ち、ちょっと、何をするの!」
「いいから!」
雷牙は、地面を蹴って、裂け目に向かって、大きく跳躍した。
背後で、邪界の大地が、轟音と共に、崩れ落ちていく。
「いっけえええええっ!」
二人の体が、白い光の中へと、吸い込まれていった。
夜明け前の、静かな橋の上。
空の裂け目が、ゆっくりと、閉じていく。
巨大な眼は、すでに消えていた。悪魔の群れも、ひとつ残らず、姿を消している。
「……雷牙」
「……雷牙くん」
橋の上で、姉妹たちが、息を殺して、空を見つめていた。
裂け目が、完全に閉じようとした、その時。
最後の一筋の光の中から、二つの影が、ふわり、と降ってきた。
「うわあああっ!」
「きゃああっ!」
どすん、と、橋の上に、二人が、転がり落ちた。
「いてて……」
「ちょ、ちょっと、重いわよ!」
「悪い悪い!」
雷牙は、一千花の上に、覆いかぶさるように、倒れていた。
「…………」
「…………」
顔が、至近距離にある。
お互いの息が、触れ合う。
「……あ」
雷牙の顔が、見る間に、真っ赤になった。
「……あ、いや、すまん。やっぱこれ照れるな!」
「もう、いいから、早く、どいて!」
「す、すみません!」
雷牙は、慌てて飛び退いた。一千花は、顔を真っ赤にして、起き上がった。
その様子を、遠くから見ていた姉妹たちが、揃って、ぽかんと口を開けていた。
「……今の、見た?」
「見た」
「雷牙、また、敬語になってた」
「お姉ちゃん、顔、真っ赤……」
「ふふ、いい雰囲気じゃないか」
三沙が、にやにやと腕を組む。
「べ、別に、変な目で、見ないでよ!」
一千花が、真っ赤な顔で、振り返った。
「だって、お姉ちゃん」
「だって、じゃない!」
「…………」
「…………」
二人は、橋の上で、向き合って、座り込んでいた。
やがて、背後から、わあっと、歓声が上がった。
「お姉ちゃん!」
「お姉ちゃーん!」
八つの影が、一斉に駆け寄ってくる。
「み、みんな……!」
一千花は、立ち上がろうとして、そのまま、妹たちに、ぎゅうっと、抱きつかれた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん……!」
「よかった……よかったよぉ……!」
「無事で、よかった……!」
二葉が、泣きじゃくっている。三沙が、一千花の頭を、くしゃくしゃと撫でる。四乃の鎧が、がしゃがしゃと震えている。
「みんな、ごめんなさい。心配、かけて」
「謝ることじゃ、ないよ……!」
「……お姉ちゃん」
八雲が、ぼそりと言った。
「……おかえり」
「……ただいま」
一千花は、八人の妹たちを、ぎゅうっと抱きしめ返した。その目から、また、涙が、止めどなく溢れた。
その様子を、少し離れた場所から、雷牙が、にこにこと見つめていた。
「いい光景だな」
「……雷牙」
八雲が、雷牙の前に、ちょこんと立った。
「ヘッドホン、返す」
「ああ。ありがとな、助かった」
雷牙は、ヘッドホンを、八雲の首に、そっとかけ直した。
「……ちゃんと、約束、守った」
「当たり前だ」
「……えらい」
八雲は、ほんの少しだけ、微笑んだ。
「雷牙、ボクの組紐も、返してー!」
「おう、ほら」
「ありがと! ……えへへ、ちゃんと、持っててくれた」
九瑠璃が、組紐を手首に巻いて、ぴょんぴょん跳ねた。
そうして、橋の上に、夜明けの光が、差し込み始めた。
東の空が、ゆっくりと、金色に染まっていく。
朝日が、橋の欄干を、きらきらと照らした。十本の組紐が、それぞれの手首で、小さく、静かに、輝いている。
一千花は、ふと、隣に立つ雷牙を、見上げた。
「……雷牙」
「ん?」
「帰ったら、二葉の朝ごはん、食べたいわ」
「おう! 俺も、腹ぺこだ!」
「ふふ。あなたは、いつも、でしょう」
二人は、顔を見合わせて、笑った。
長かった満月の夜が、終わろうとしていた。