「エレナ・フォン・アルブラ !お前との婚約は解消する!お前は王都から追放処分だ!」
私、エレナ・フォン・アルブラは、その言葉をどこか他人事のような思いで聞いた。
まったく現実に起きていることに思えなかった。
私の婚約者……たった今、元がついたらしい……は、相も変わらない美しい白銀の髪を輝かせながら大音声で叫んでいた。
王城の広間で行われているパーティ、その中心で叫ぶ彼はまるで劇場でスポットライトを浴びている名優だった。
彼が皆に聞かせるように叫んでいたその内容は、私が国家機密をつい先日に敵国となったアリーイタ皇国に流していたこと、そして今回皇国との戦争の切っ掛けになった皇族暗殺事件を画策した、という物だった。
私からしたら根も葉もない話だ。
確かに私の家、アルブラ公爵家は皇国と距離が近い家だったけど、私自身は皇国に足を踏み入れたのは幼いころの一度だけだ。
私は目の前の彼……第一王子、レオポルド・プーケと結ばれることだけを夢見ていただけなのだから。
彼の演説が終わる。
今夜、王家主催のパーティに参加するつもりで集まっていた歴々は呆然としていた。
なにせ、これから社交と言う名の貴族、特に夫人や令嬢にとっての戦場が開園するかと思っていた矢先にだからだ。
第一王子からの強烈な奇襲攻撃と言っていいかもしれない。
勿論、私も呆然自失としている内の1人だった。
私は助けを求めて、両親がいるはずの貴賓席を見た。
母は私と目線を合わせようとしなかった。
父は、私を睨みつけた。
まるでお前のせいで自分も売国奴と思われるようじゃないか、と言うように。
レオポルド……愛しきレオが目配せをすると、衛兵たちは丁重な、有無を言わせない姿勢で私に近づいてきた。
ようやく気を取り戻した私はレオに向かって声を上げた。
「殿下!お待ちください!何かの間違いです!」
私が何とか絞り出した声に、レオは振り向いた。
やっぱり何かの間違いだ。
彼は私が無実だとわかってくれている。
レオポルド・プーケは、16年来の関係でも見たことがない冷たい目で私を一瞥した。
私はその眼差しに射すくめられたように、へたり込んでしまった。
「衛兵」
彼の静かな声がホールに広がると、衛兵が私を支えるようにして拘束した。
私は馬車に乗せられ王都から離れることになった。
拘束されたあのパーティの夜、やせぎすの法務大臣が直々に説明してくださったところ、私は辺境……王都から見ると南西に随分行ったところにある山岳地帯のその頂上付近にある教会に幽閉されるそうだ。
そこで犯した罪を悔いながら静かに過ごされると良いとのありがたいお言葉も賜った。
私の罪をでっちあげたのあの爺さんじゃないでしょうね。
王国ではかなり珍しく下級貴族から成り上がった彼には、後ろ暗いうわさ話が付きまとっている。
その割には王族、特に今の王様からはかなり信頼されているという話だった。
馬車に揺られながら、はしたなくも肘をつきながら私は小さな窓から外を眺めていた。
数日経ってさすがに立ち直った……というわけではなくまだ夢を見ているような気分だった。
目が覚めると、あのパーティの日で、私はレオと踊って、愛を囁き合うのだ。
もちろん、それは妄想にすぎない。
現実の私は、騎兵に囲まれた馬車の中に独りでいる。
レオポルドとはあの一瞥のあとは顔を見ることもできなかった。
思い出すとなんだか怒りが込み上げてきた。
ちょっとぐらい私の言い分を聞いてくれてもいいじゃない。
16年付き合ってきた婚約者でしょ。
それをこんな……一方的に……。
私との絆ってそんなものだったの……!
決めた。
このまま従ってなんかやらない。
レオに事の次第を問い詰めてやる。
そうと決まったら脱走だ。
脱走したあとどうするかって?
まぁそういうのはあとで考えよう。
ただ今脱走しても騎兵たちから逃げ切ることは絶対にできない。
アルブラ家は、女子にも魔法……肉体強化を教え込むおかしな家だけど、いくら強化しても平地では馬からは逃げ切れない。
一昔前の全身甲冑を着込んだ重装騎兵ならともかく、銃が一般化した今の騎兵は軽装だから猶更だった。
山に入り込んでからが勝負だ。
平原の生き物である馬は、山のような地形では真価を発揮できない。
騎兵自身が同じように身体強化を使って追いかけてきたとしても、私以上の強化ができなければ追いつけないはずだった。
基本的に魔法は遺伝で決まるので家の格が高いほど強いのだ。
そうと決まれば待つだけだった。
その時が来るまでに、脱走したあとどうするかはたっぷり考えられるはずだった。
日が落ちかけてきた。
窓からそっと外を見るともう、周りは鬱蒼とした木々で囲まれているみたいだった。
もういいかな。
常識的に考えたら夜の森に飛び出すなんて自殺行為だけど、それぐらいしないと逃げ切ることはできない。
私はヒールのかかとを折った。
この音に衛兵が反応するかもしれない。
この瞬間から時間との勝負だった。
間髪いれずに、後先考えずに身体強化を全力で使い、馬車の天井を掴んで全身を使った蹴りを思い切りドアに叩き込んだ。
ドアはひしゃげながら坂道を転げ落ちていく。
夕日を反射して妙にきれいに見えた。
私はその後を追うように飛び出した。
兵士たちが呆然とした顔をしているのが見えた。
その光景に満足感を覚えながら、私は転げ落ちていくのだった。
落下の衝撃を身体強化で乗り切った私は頭を振りながら、スカートのすそを破り捨てて走りやすくする。
一度大きく息を吸うと、全力で駆け出した。
とにかく今はこの場を離れて追手を振り切らないといけない。
すべてはその後なのだから。
1時間程度は走ったところで漸く休憩をとることにした。
王子を守るためだとかなんとかで実家で受けさせられていた訓練に初めて感謝した。
いや令嬢に教えるものじゃないでしょそんなもの……。
護衛をする側じゃなくてされる側でしょ……?
日もほぼ落ちたから、足跡なんかの痕跡を探すこともほとんど無理だろう。
まさか犬まで連れてきているわけじゃないでしょうし。
木にもたれかかるように座る。
さて、これからどうしよう。
結局逃げ出すまで全くいい考えは思いつかなかったのだ。
逃げ出すまでは思いつけたんだけど。
とりあえず山を降りて、山沿いを行けばいずれは実家……アルブラ公爵領に辿り着く。
あとは実家に忍び込んで、路銀や装備を整えて王都に向かう……?
さすがに無理があるよね……。
それなら直に王都に向かう?
でもそれはそれで途中で私を探している連中に見つかる可能性が高い。
脱走したのだから今度は処刑になるかもしれない。
うーん……。
後先考えなさすぎたかも。
空を見上げた。
翼竜が飛んでいる。
このあたり……正確にはこの山も含む山脈地帯は竜族の土地だ。
私たちの宗教、聖名教では、彼らは神の使いとも悪魔とも呼ばれる。
真逆の扱いだけど宗派によって解釈が違うのだからしょうがない。
その竜族の中で、翼竜は知能はあまり高くない。
知性と文化を持つ
人間にとってのイヌのようなものらしい。
その翼竜が、一匹だけ飛んでいる。
なんとなく眺めていると、気付いた。
人が乗っている。
昔から貴族が個人で翼竜を飼いならす例はあった。
プーケ王国にもそういった人はいて、先々代のアルブラ公爵……つまりひいおじいちゃんもそうだったらしい。
維持費が馬の何倍もかかったらしくおじいちゃんが家が傾いたとよく愚痴っていた。
そこまで連想したところでさらに二匹の翼竜が別方向から現れた。
新手の二匹は、元からいた竜に気付くと加速した。
元からいた方もそれに気付いたようで三匹は絡み合うような軌跡を描いて飛び始めた。
なになになに。
なにが起こっているの?
翼竜が口から吐き出す火炎が夜空を焦がす。
互いに後ろに回って火炎を吐き出すということをなんどか繰り返す。
私はその光景に見入ってしまっていた。
そして遂に……といっても時間としては10分も立っていないとは思うけど……決着がついた。
元から飛んでいたほうが火炎を避けるために急降下したあと引き起こせずに墜落したのだ。
後から来た二匹(こっちにも人が乗っていた)は、上空を旋回して落ちた竜がどうなっていたのか確かめようとしていたようだけど、しばらくすると諦めたのか、来た方、東北の方向に取って返していった。
私は翼竜が落ちて行った方を見る。
……行けなくもない距離のように思えた。
白状すると、この時の私は、突然起こった空中戦に興奮して、興味本位の野次馬根性で落下地点を見物に行こうと思ったのであって、落ちた竜騎士を助けようなどとは欠片も思っていなかった。