フォルゴーレが高度を落とし始めた。
ようやく苦しい空中散歩が終わるみたい。
感覚としては10時間ぐらいに思えるくらい長かったけど、日の傾きぐらいを見ると二時間ぐらいみたいだ。
山からかなり外れた村に、天幕がたくさん建てられているのが見えてきた。
人があちこち歩き回っている。
女性がいない。すべてが男性だった。
そして揃いの服を、制服を着ている。
皇国軍の宿営地だった。
ヴァレリオはフォルゴーレをかなり静かに着地させた。
そうする決まりと言うよりは、フォルゴーレを気遣ったのだと思う。
ひらりと竜から降りたヴァレリオは私に手を伸ばした。
私は手を取って、ほとんど抱えられるように降りた。
なんというか、高い所に登って降りられなくなった子供のような扱いだった。
急に降り立ってきた翼竜に騒然としていた兵たちをかき分けるようにして、立派な服を着た中年の男性たちが駆け寄ってきた。
最もすばやく近づいた男性が息絶え絶えといった感じでヴァレリオに話しかける。
「皇子、御無事で」
ん?
「迷惑をかけた、ガレス。まさか敵も空中哨戒をしているとは思っていなかった」
ヴァレリオは顎でフォルゴーレを示した。
「負傷している。治療を」
「はい」
ガレスと呼ばれたおじさんはついて来ていた1人に目配せをすると、その人は元来た方向に駆けだした。
「ああ、それと。皇子はやめろ。今の私はそのような立場ではない」
「はい、いえ、気が動転しておりました、少将閣下」
うむ、とヴァレリオは頷いた。
ちょっと待って。皇子?
「それで、そちらのお嬢様は?」
「ああ、命の恩人だ。エレナと言う」
ガレスさんは、30は年下であろう見ず知らずの私に片膝をついた慇懃な礼をした。
「ガレス・ヴェルヴェットと申します、エレナ様。この度はヴァレリオ様をお救い戴き誠に感謝しております」
「ど、どうも」
「そういった畏まったことはよい」
ヴァレリオが横から口を挟む。
「それより、服と食事だ。風呂も可能であれば用意してやれ」
「直ちに」
ガレスさんは、近くにいた若い下級士官に頷いた。
下級士官は、私に敬礼をささげると、どうぞ、こちらにと案内してくれた。
私はついていけていない頭の片隅で、皇子よりどこの馬の骨ともわからない女が先でいいのかな、と思った。
女性の従者がいなかったため、ほとんどのことは自分でやらないといけなかったけどお風呂に入れた。
服も将校向けの予備を借りた。
もちろん男性用だけど、サイズは大きめの物だったから着る分には問題なかった。
身だしなみを整えた私に、若い下級士官が、おう……少将閣下が共に食事はどうだと仰られていますが如何でしょうか、と頭を下げた。
「ああ、よく似合っている」
私を見たヴァレリオ皇子はそういった。
彼はラフな軍服姿だった。勲章をじゃらじゃらぶら下げていたりはしなかった。
レオや御父様はつけていることが多かったから意外に思う。
「それは公的な場かどうかだな」
ワインを飲みながらヴァレリオは言った。
軍務中?に酒を飲むなんて、と思うところもあったが、実のところ軍隊はワインより安全な真水を手に入れるほうが難しいとのことだった。
水は沸騰させなければ安全ではないけど、ワインは運んでこればいいから、らしい。
数千人ともなると燃料となる薪を手に入れるのも一苦労と言われれば確かにそうだけど。
そこを考えるとお風呂なんて相当な贅沢だ。
そのことを私が言うとヴァレリオは
「そなたにはそれだけの貸しがある。それに兵たちも自分たちが入れるとなると喜んで用意する」
と答えた。
要は気にするな、と言いたいらしい。
そのためにこれだけの言葉を使うなんて。
その不器用な気遣いが少しうれしくなった。
「それで、そなたはどうする」
食事が終わり、食後の黒茶を飲みながらヴァレリオは言った。
「どうするって……?」
ヴァレリオは呆れた、というような顔をした。
「そなたの事情に踏み込むつもりはないが、軍で連れまわすのもよくはない」
確かに、これからどうしよう。
王都に戻ってレオを問い詰めるつもりではあるけど……。
王都に戻りたいというとヴァレリオは流石に難しそうな顔をした。
「我々がそこに送ることは難しい。国境までだろう」
それに、と言ってヴァレリオは黒茶で唇を湿らせた。
「命の恩人が戦場となる場所に戻ることを見逃すことも、な」
私はその言葉の意味を反芻するために黒茶を飲んだ。
やはり、この軍はプーケを、私の故国を侵略するためのものだったわけだ。
さて、どうしよう。
実際のところ、一人で国に戻っても碌なことにはならないだろう。
皇国側から戻ってきた内通疑惑の公爵の娘をどう扱うかなんて想像するまでもない。
しかも脱走した奴なわけで。
つまり王都に、レオに会いに戻ることはできない。
でも戦争が終わるまで待っていてもしょうがない、というかどっちが勝ったとしてレオに会えるだろうか。
つまり王都に戻ってレオに会うには一人でもダメだし、戦争が終わるまで待っていてもダメなわけだ。
なら。
思いついた方法があった。
だけど、我ながらどうかなぁと冷静な自分が告げていた。
でも他に案がない。
その声を無視することにした。
「ヴァレリオ様」
「様はいらない。そなたは私の、皇国の民ではない」
私は頷いた。
「ヴァレリオ」
「なんだ」
「私を皇国軍に同道させてほしいの」
ヴァレリオはのんびりとした仕草で黒茶が入ったカップを持った。
炒った豆の香ばしいにおいがあたりに漂う。
ヴァレリオはしばらく黙って黒々としている液体を眺めていた。
「条件がある」
ヴァレリオは突然そう言った。
「そなたは私の個人副官として雇ったとする。そのため最低限それらしく働いてもらう」
私は頷いた。
「そして」
ヴァレリオはまっすぐ私を見た。
「そなたの事情を話してもらわねばならない。なぜあの森に1人でいたのか。間者でないことを示さねばならない」
間者として入り込むには回りくどすぎるが、と言った彼に私は躊躇った。
なにせ敵国になったばかりとはいえその国の高位貴族の娘だ。
充分、間者と思われてもおかしくはない……かもしれない。
その時、私の脳裏に過ったのは、あの追放劇での父の目とレオの衛兵を呼ぶ冷たい声だった。
彼らに会って問い詰めるにせよ、これから生き延びるためにはヴァレリオの力を借りるしかない。
いくらリスクがあってもここは賭けるしかない、そう覚悟を決めた。
そう、馬車から脱走するときのように。
私はヴァレリオに出会うまでの経緯を伝えた。
彼はただ、そうかといった後にやりと笑うと
「プーケの王子はもったいないことをした」
と言った。
私が首をかしげているとヴァレリオは付け足した。
「そなたのような面白い女を手放したことだ」
そういうと大きな声で笑った。
おもしろいは誉め言葉だろうか。
憮然としている私を見て彼はさらに笑った。