男の貞操が国宝の世界で、俺のスキルは"繋がらないと"発動しない ~18年我慢した転生貴族、全部いただきます~   作:朝凪小夜

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第11話 副長、お前が行け

 

「第二の契約者を、騎士団から出せとのことだ」

 

団長室の机の上で、ベアトリクスが書状を指で叩いた。

軍務院の封蝋が、半分に割れて机の端に転がっていた。

クラウディア・ヴァイスは、机の前で直立していた。

二十八歳。蒼薔薇騎士団副長。 まっすぐな黒髪を、任務中の決まり通りにきっちりと束ねている。灰色の目は、団長の指先から一瞬も逸れなかった。

 

「出せ、とは」

 

「正確には、打診、だ」

ベアトリクスは書状を広げて、要点だけを読み上げた。

 

「神殿の祝福が倍になった件について、軍務院は大いに関心を持っている。ついては、騎士団においても同様の協力関係を検討されたい。……要するに」

 

彼女は書状を机に戻した。

 

「神殿だけ強くなるのは困る、ということだ」

 

「横並び、ですか」

 

「役所というのは、そういうものだ」

 

クラウディアは、わずかに眉を動かした。

軍務院の打診が何を意味するのか、分からないはずがなかった。

【ステータス貸与】。発動条件、交合および精の授受。 神殿の神官が、一晩で魔力を七十も伸ばした。雨の夜に、フェンネル家の子息が神殿に泊まった。

 

「……先日の合同訓練の報告書は、ご覧になりましたか」

 

「読んだ。お前の所見もな」

 

ベアトリクスは、報告書の束の一番上を手に取った。 クラウディアの几帳面な字で、こう書いてあった。

 

『対象、抑え込み十件のうち悲鳴ゼロ。三件目より歴代国王の名を暗唱。十代目で詰まる。恐怖反応とは異なる何かを抑制している様子。詳細不明』

 

「詳細不明、か」

 

「はい。見たことのない反応でしたので、所見を断定できませんでした」

 

「お前らしい」

 

ベアトリクスは報告書を置いた。

それから、しばらく黙った。

窓の外で、訓練の掛け声が響いていた。

 

 

本当は、この話は団長に来たものだった。

軍務院の書状の宛名は、蒼薔薇騎士団団長ベアトリクス・ローエン殿、となっている。 騎士団を代表して協力関係を、というのなら、筋としては団長本人が出るべき話だった。

ベアトリクスは、既婚だった。

夫は、この国の典型的な男性だった。 穏やかで、物静かで、家の中にいるのが好きな人。そして、目の下の隈が取れたことがない人。

ベアトリクスは、毎朝その隈を見るたびに、少しだけ胸が痛んだ。

自分は、あの人に何をさせているのか。

その問いに、答えを出したことはない。 出したところで、どうにもならない問いだった。

その自分が、今度は別の若い男に、同じことを。

 

「……副長」

 

ベアトリクスは、顔を上げた。

 

「お前が行け」

 

クラウディアの体が、一瞬だけ止まった。

ほんの一瞬だった。 瞬きひとつ分にも満たない。けれど、長年彼女を見てきた団長には分かった。

 

「……理由を、伺ってもよろしいですか」

 

「お前は独身だ。私には夫がいる」

 

「それだけですか」

 

「それと、お前は訓練計画を立てるのが騎士団で一番うまい」

 

ベアトリクスは、机の上で指を組んだ。

 

「この件の本質は、相手の素の力をどう伸ばすかだ。貸与の量は、本人の力に比例すると神殿の記録にある。男の体を、壊さずに鍛える。……そんな計画を立てられるのは、お前しかいない」

 

クラウディアは、黙っていた。

ベアトリクスは、もう一言だけ付け加えた。

 

「それに、お前ならあの青年に無理をさせない。真面目すぎるくらいに真面目だからな」

 

無理をさせない。 それが、自分にはできなかったことだ。

団長が胸の内で呟いたその言葉は、副長には聞こえなかった。

クラウディアは、靴の踵を揃えた。

右の拳を、左胸に当てる。 騎士団の正式な敬礼だった。

 

「国益のための任務として、拝命します」

 

声は、一分の揺れもなかった。

 

 

副長室は、詰所の二階の端にあった。

寝台と、机と、剣の手入れ道具を並べた棚。 それ以外には、何もない部屋だった。

クラウディアは扉を閉めると、まず机の引き出しを開けた。

手紙が、溜まっていた。

母からのものだった。 差出人の欄に、ヘレーネ・ヴァイスと流麗な字で書いてある。

一通も、封を切っていなかった。

中身は、読まなくても分かった。 縁談の話。親戚の誰それが結婚した話。あなたもそろそろ、という話。

二十八。

騎士団の中で、同期はほとんど結婚していた。 廊下ですれ違う若い騎士たちが、自分のことを何と囁いているかも知っていた。

副長は、そろそろ行き遅れでは。

クラウディアは引き出しを閉めた。

机に向かい、羊皮紙を広げる。 ペンにインクを含ませる。

 

「任務だ」

 

誰もいない部屋で、彼女は小さく呟いた。

 

 

 

夜が更けても、副長室の灯りは消えなかった。

羊皮紙が、一枚、また一枚と積み上がっていった。

 

『訓練計画書 対象:アルト・フェンネル殿』

 

『一、現状把握』 神殿の定期鑑定記録より。体力十六、筋力十四。ただし現在、一部を貸出中のため実効値はさらに低い。一般成人男性の平均を下回る。

 

『二、目標』 素の力の底上げ。特に体力。貸与の量は素の力に比例するため、対象の鍛錬は国家の資産の増強に等しい。

 

『三、訓練内容』 準備運動。走り込み(段階的に延長)。剣の基礎。組み手(寝技を除く。前回の反応を考慮)。

 

そこで、クラウディアのペンが止まった。

寝技を除く。

前回の合同訓練。砂の上に仰向けになったまま、歴代国王の名を呟いていた青年。

恐怖ではなかった。 騎士として、何百人もの男の恐怖を見てきた。あれは、恐怖とは違うものだった。

では、何だったのか。

クラウディアは、ペンの先を羊皮紙から離した。

しばらく考えて、『寝技を除く』の横に、小さく書き足した。

 

『理由:所見未確定のため』

 

『四、日程』 週五日。午前のみ。神殿の定期鑑定および、その……他の日程と衝突しないよう配慮する。

 

『他の日程』の四文字を書くのに、ずいぶん時間がかかった。

 

『五、連携』 将来の契約成立を見据え、対象と指揮系統の連携を確立する。

 

『六、終了時の作法』 騎士団の慣例に従い、訓練の終わりには指導役が対象に跪き、本日の終了を報告する。

最後の一項を書き終えたとき、窓の外が白み始めていた。

 

 

クラウディアは、ペンを置いた。

羊皮紙を揃えて、紐で綴じる。 三十枚を超えていた。

立ち上がり、伸びをする。 肩が、ぱきりと鳴った。

壁際の小さな鏡の前に立った。

鏡に映るのは、いつもの顔だった。 背筋の伸びた、隙のない女騎士。灰色の目。きっちりと束ねた黒髪。

クラウディアは、髪紐に手をかけた。

解く。

長い黒髪が、肩から背中へ、さらりと流れ落ちた。 腰のあたりまで届く。

任務中は、決して解かない髪だった。 この部屋で、一人でいるときだけ。

鏡の中の女が、少しだけ別人に見えた。

クラウディアは、棚の一番奥から小さな瓶を取り出した。

親指ほどの大きさの、硝子の瓶。 中に、琥珀色の香油が少しだけ残っていた。

花の香油だった。

何年も前に、王都の市場で、一目で気に入って買ったものだ。 任務のある日は、つけない。騎士が香りを纏うのは、規律に反する。

任務のない日だけ。それも、ほんの一滴だけ。

誰も、気づいたことはなかった。

同僚も、部下も、団長も。 何年も、誰一人として。

それでよかった。誰かに気づいてほしくてつけているのではない。

……そう、思っていた。

クラウディアは瓶の栓を抜いた。

指先に、一滴。 それを、左の手首の内側に、そっと落とした。

甘い、淡い、花の匂いが立った。

彼女は鏡の中の自分を、しばらく見ていた。

それから、香油の瓶を棚の奥に戻した。 いつもより、少しだけ丁寧に。

 

 

その日の昼。

フェンネル家の玄関に、蒼薔薇騎士団の使いが現れた。

 

「副長より、アルト・フェンネル殿へ。訓練計画書をお届けにあがりました」

 

使いの騎士が差し出したのは、紐で綴じた羊皮紙の束だった。

アルトは、それを両手で受け取った。

重かった。

 

「……これは」

 

「全三十四枚、とのことです」

 

「三十四枚」

 

表紙をめくる。

 

『訓練計画書 対象:アルト・フェンネル殿』

 

几帳面な字が、一行の乱れもなく並んでいた。

現状把握。目標。訓練内容。日程。連携。 そして、最後の頁。

 

『六、終了時の作法』

 

アルトは、その一行を読んだ。

 

『訓練の終わりには指導役が対象に跪き、本日の終了を報告する』

 

(跪き)

 

アルトは、表紙を閉じた。

それから、もう一度開いて、最後の頁を読み直した。

 

 

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