男の貞操が国宝の世界で、俺のスキルは"繋がらないと"発動しない ~18年我慢した転生貴族、全部いただきます~   作:朝凪小夜

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第15話 連携訓練、一本目

 

「……あんた、何しに行くの」

 

蒼薔薇騎士団詰所の、一階の応接室。

ヘルガが長椅子に座ったまま、じっとアルトを見上げていた。

外はもう、すっかり暗くなっていた。詰所の廊下には、当番の騎士が二人いるだけだった。

 

「連携の、打ち合わせです」

 

「夜に?」

 

「副長殿は、お忙しい方なので」

 

「二階の、副長室で?」

 

「資料が、そちらにあるそうなので」

 

ヘルガは、しばらく黙っていた。

訓練場の端の日陰で、全部を見ていた人だった。跪いた騎士。捧げられた剣。耳まで赤くなった副長。

それから、自分の弟の顔。

 

「……ふうん」

 

ヘルガは長椅子に深くもたれ直して、揚げ菓子の袋を開けた。

 

「あたし、ここで待ってるから」

 

「はい」

 

「お母様には、打ち合わせって言っとく」

 

「……ありがとうございます、姉上」

 

「あと」

 

ヘルガは揚げ菓子を一つ口に放り込んで、天井を見上げた。

 

「…もし弟じゃなかったら、今ここで」

 

当番の騎士が、廊下から顔を覗かせた。

 

「何か、ご用でしょうか」

 

「なんでもない!」

 

ヘルガは揚げ菓子の袋で顔を隠した。

 

(エルゼ姉上がいないと、誰も口を塞がないんだな)

 

 

 

副長室の扉は、少しだけ開いていた。

アルトは、軽く叩いた。

 

「……どうぞ」

 

中から、声がした。

報告のときの声よりも、ずっと小さかった。

扉を開ける。

部屋は、狭かった。寝台と、机と、剣の手入れ道具を並べた棚。それ以外には、何もない。

机の上に、燭台が一つ灯っていた。

その灯りの中に、クラウディアが立っていた。

髪を、解いていた。

 

 

アルトは、扉の前で動けなくなった。

三週間、毎日見てきた人だった。

きっちりと束ねた黒髪。一分の隙もない姿勢。訓練場の砂の上で、報告書のように淡々と話す人。

その人が、髪を下ろしていた。

長かった。

肩から背中へ、さらりと流れ落ちて、腰のあたりまで届いていた。燭台の灯りを受けて、黒い髪が濡れたように光っていた。

騎士服でも、訓練用の上衣でもなかった。薄い、生成りの部屋着。

それだけで、別の人のように見えた。

 

「……扉を、お閉めください」

 

クラウディアが言った。

アルトは、扉を閉めた。

閉めた瞬間、部屋に満ちている匂いに気づいた。

花の匂いだった。

訓練場で嗅いだ、あの一滴。手首の内側に落とされた、かすかな香り。

それが、今夜は、部屋中に満ちていた。

 

(……一滴じゃ、ない)

 

 

クラウディアは、その場で片膝をついた。

部屋の真ん中で。燭台の灯りの中で。

右の膝を床に。左の拳を左膝の上に。

訓練場と、同じ作法だった。

 

「……失礼いたしました」

 

彼女は跪いたまま、少しだけ俯いた。

 

「このような場での作法を、存じませんので」

 

「作法」

 

「騎士団の教本には、書いておりませんでした」

 

彼女は真顔だった。

真顔で、耳の先まで赤くなっていた。

 

「ですので、知っている作法で、お迎えすることにいたしました」

 

(知っている作法が、跪くこと)

 

(この人の中には、跪く以外の選択肢がないんだ)

 

アルトは、彼女の前に立った。

見下ろす。

解いた黒髪が、床の上に広がっていた。灰色の目が、下から見上げていた。訓練場の夕暮れよりも、ずっと近くから。

花の匂いが、した。

 

(……っ)

 

「フェンネル殿」

 

彼女が、言った。

 

「ご命令を」

 

アルトは、口を開いた。

何を言えばいいのか、分からなかった。十八年間、誰かに命令したことなど一度もなかった。この国の男は、命令される側だ。守られて、付き添われて、許されて生きる側だ。

 

(命令)

 

(何を)

 

アルトは、片膝をついた彼女の前に、自分もしゃがみ込んだ。

目の高さが、揃った。

それから、静かに言った。

 

「……顔を、上げて」

 

クラウディアの表情が、崩れた。

 

ほんの一瞬だった。

張り詰めていた何かが、ふっと緩んだ。騎士の顔が、ほどけた。

灰色の目が潤んで、唇がかすかに開いて、息が震えた。

ただ「顔を上げて」と言っただけだった。

それだけで、彼女は。

 

(……命令)

 

(効いてる)

 

(この人、命令に、弱い)

 

アルトは、自分の声が彼女の中で何を起こしたのかを、目の前で見ていた。

それを見ていたら、もう一言、言いたくなった。

 

「……こちらへ」

 

クラウディアが、膝で一歩、近づいた。

命令の通りに。

従順に。真面目に。

一分の乱れもなく。

 

(命令……効いてる……)

 

(SO……Erotic……)

 

(騎士道……ありがとう……)

 

「……もう一つだけ」

 

アルトの声は、穏やかだった。

 

「その髪に、触れても」

 

「……ご命令とあらば」

 

クラウディアが、目を閉じた。

燭台の灯りが、揺れた。

 

 

翌朝。

アルトは、寝台から起き上がれなかった。

腕に力が入らない。脚に力が入らない。指先を動かすだけで、全身が鉛のように重かった。

窓から、朝の光が差し込んでいた。

部屋の真ん中に、クラウディアが立っていた。

騎士服を着ていた。黒髪は、もう束ねられていた。いつも通りに、きっちりと。

背筋は、一本の線のようにまっすぐだった。

 

「おはようございます」

 

彼女は、直立したまま言った。

 

「次のご命令を」

 

アルトは、寝台に沈んだまま、天井を見ていた。

 

(この人、もう起きて、着替えて、髪を結って、直立して、待ってる)

 

(いつから)

 

「……いつから、そこに」

 

「夜明けから、です」

 

「夜明け」

 

「ご命令がなかったので、待機しておりました」

 

(真面目すぎる)

 

アルトは首だけを動かして、彼女を見た。

喉が、からからだった。水が欲しい、と思った。

口を開く前だった。

クラウディアが、机の上の水差しを取った。杯に水を注いで、寝台の横まで来て、差し出した。

アルトは、目を瞬いた。

 

「……今、水と、言いましたか」

 

「……いえ」

 

クラウディアも、自分の手の中の杯を見つめていた。

 

「なぜか、そう思いましたので」

 

二人は、しばらく黙っていた。

 

 

その日の午後。

蒼薔薇騎士団の訓練日誌は、いつも通り団長室に届けられた。

副長の几帳面な字で、こう書いてあった。

 

 

蒼薔薇騎士団訓練日誌

 

日付:初夏第三週休息日(私的記録)

記入:副長クラウディア・ヴァイス

 

一、訓練内容

連携訓練(対象:アルト・フェンネル殿)

 

二、所要時間

二刻

 

三、所見

・指示伝達の精度に改善あり

・対象の指示に対し、受令側の動作が先行する事例を一件確認。原因不明。継続観察を要す

・翌朝の起床に支障あり

次回より計画を修正する

 

四、備考

・契約成立。騎士団の協力関係、確立

 

 

 

日誌の最後の行には、もう一つ、表示の写しが添えられていた。

詰所に備えつけの簡易水晶板に、朝方、誰も手を置いていないのに浮かび上がったという文字だった。

 

【ステータス貸与】

契約成立:クラウディア・ヴァイス

契約2/3

 

 

団長室で、ベアトリクスはその日誌を読んでいた。

一度。それから、もう一度。

連携訓練。所要時間、二刻。指示伝達の精度に改善あり。

対象、翌朝の起床に支障あり。

ベアトリクスは、日誌を机に置いた。

窓の外を見る。訓練場では、いつも通り騎士たちが剣を振っていた。

その中に、副長の姿があった。

黒髪をきっちりと束ねて、一分の隙もない姿勢で、新任の騎士たちに指導をしている。

いつも通りだった。

いつも通りなのに、何かが違った。

背筋が、いつもよりまっすぐだった。声が、いつもより澄んでいた。指導の合間に、ふと空を見上げて、ほんの一瞬だけ、口元が緩んでいた。

ベアトリクスは、自宅の夫の顔を思い浮かべた。

目の下の、取れない隈。穏やかで、物静かで、いつも少しだけ疲れている人。

それから、日誌の一行をもう一度見た。

翌朝の起床に支障あり。

それから、窓の外の副長を見た。

晴れやかに、輝いていた。

ベアトリクスは、首をかしげた。

 

「……逆では?」

 

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