男の貞操が国宝の世界で、俺のスキルは"繋がらないと"発動しない ~18年我慢した転生貴族、全部いただきます~   作:朝凪小夜

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第23話 検体として、ご協力を

 

アルトの首に、札が下がっていた。

木の板に紐を通したものだった。板の表面に、几帳面な字で書いてある。

 

『検体一号』

 

「……これは」

 

「識別のためです」

 

リゼットが、記録板を構えたまま言った。

 

「実験記録の照合に用います。取り違えがあってはなりませんので」

 

「検体は、私一人ですよね」

 

「現在は、そうです」

 

「取り違える相手が、いないのでは」

 

「将来、検体が増えた場合に備えています」

 

(増える予定があるんだ)

 

王立魔導院、研究棟の実験棟。

観察室より、ずっと広い部屋だった。壁際に、大小の計測器がずらりと並んでいる。中央に実験台。その周りを、白衣の研究員たちが行き来していた。

実験台の上に、アルトは座らされていた。

首から、『検体一号』の札を下げて。

 

 

「本日より、比較実験を開始します」

 

リゼットが、部屋の中央で告げた。

その声は、観察室で話すときよりも、ほんの少しだけ大きかった。周りの研究員たちに聞かせるための声だった。

 

「協力者のお二人を、ご紹介します」

 

部屋の入口に、二人の女性が立っていた。

 

一人は、金色の髪に、白い法衣。銀の鎖を、五本。

 

一人は、黒髪を束ねた、騎士服の長身。腰に剣を佩いて、直立している。

 

セラフィナと、クラウディアだった。

 

(……あ)

 

(三人が、同じ部屋に)

 

救護室で、二人は同じ枕元に座っていた。今日はそこに、もう一人が加わっていた。

セラフィナが、リゼットを見た。

鼻先が、かすかに動いた。

何かを確かめるように。陽だまりのような匂い、と言っていた、あの匂いを。

リゼットは、その視線に気づかなかった。記録板を見ていた。

 

「リース神官。ヴァイス副長。ご協力に感謝します」

 

「……こちらこそ」

 

セラフィナが、柔らかく微笑んだ。

微笑みながら、胸の前の鎖を、そっと握っていた。

 

「任務として、全力を尽くします」

 

クラウディアが、直立のまま答えた。

 

「実験の手順を、説明します」

 

リゼットが、黒板の前に立った。

チョークを取る。一本の線を引く。定規を当てたように、まっすぐに。

 

「現在、検体の貸出は、自動的に行われています。筋力、体力、敏捷、器用の四項目から引き出され、受領側の一項目に加算されています」

 

黒板に、図が描かれていく。

検体の四項目から、矢印が伸びて、神官の魔力へ。同じく四項目から、副長の敏捷と体力へ。

 

「これを、検体の意思で、意図的に変えられるかどうか。まず、それを確かめます」

 

「意図的に」

 

アルトが、実験台の上から聞いた。

 

「はい。検体が、自分で、どの項目から、どの項目へ貸すかを選べるのかどうか」

 

リゼットは、チョークを置いた。

 

「これまで、誰もそれを試していません。天賦の儀の記録にも、方法は書いてありません」

 

(……確かに)

 

(考えたことも、なかった)

 

実験の初日は、魔力だった。

 

「検体は、目を閉じて、自分の魔力を意識してください」

 

リゼットが言った。

 

「それから、その魔力を、リース神官の魔力へ向けて送るように、意図してください」

 

アルトは目を閉じた。

 

(魔力)

 

(自分の、魔力)

 

体の中に、何かがあるのが分かった。ぼんやりとした、温かいもの。今まで意識したことのなかったもの。

 

(これを、セラフィナ殿の、魔力へ)

 

意図した。

体の中で、何かが動いた。

温かいものが、ふっと抜けていく感覚。細い糸を通って、どこかへ流れていく。

部屋の向こうで、セラフィナが小さく声を上げた。

 

「……あ」

 

「鑑定を」

 

研究員の一人が、セラフィナの前の水晶板を読み上げた。

 

「リース神官、魔力。加算、八十八。……先ほどまで七十でした」

 

部屋の中が、ざわついた。

 

「検体の鑑定を」

 

アルトの前の水晶板が、光った。

 

魔力素19/貸出−6現在13

 

リゼットが、記録板の上でペンを走らせた。

 

「検体の魔力から、六を貸出。リース神官の加算、十八増」

 

彼女は、手を止めた。

 

「……六に対して、十八」

 

ペンが、記録板の上で、静かに計算をしていた。

 

「倍率二で、十二のはずです。それが、十八」

 

眼鏡を押し上げる。

 

「同じ項目から同じ項目へ貸した場合、効率が、一・五倍に上がる」

 

研究員たちが、一斉にリゼットを見た。

 

「……同種の、貸与」

 

リゼットは、黒板に向かった。

チョークで、新しい行を書き足す。

 

『意図による配分:可能』

『同種貸与:効率一・五倍(暫定)』

 

それから、振り返った。

 

「検体は、自分の意思で、貸す項目を選べます。そして、同じ項目同士なら、より効率よく貸せます」

 

アルトは、実験台の上で、自分の手のひらを見ていた。

 

(選べるんだ)

 

(今まで、勝手に持っていかれてたのが)

 

(自分で、選べる)

 

二日目は、体力だった。

クラウディアに、体力を貸す。

 

「……っ」

 

クラウディアが、小さく息を呑んだ。

それから、手のひらを握ったり開いたりした。

 

「体が、軽い。……いえ、軽いのではなく、底が深くなった、と言うべきか」

 

彼女は、実験棟の床を、その場で何度か踏みしめた。

 

「これなら、半日は走れます」

 

「記録します」

 

三日目は、知力だった。

セラフィナに、知力を貸す。

セラフィナは、目を瞬いた。

それから、手元の経典を開いて、頁をめくり始めた。

一頁。二頁。三頁。めくる速さが、どんどん上がっていく。

 

「……まあ」

 

彼女は、経典から顔を上げた。

 

「何度読んでも分からなかった注釈が、全部、分かります」

「記録します」

 

アルトは、実験台の上で、その様子を見ていた。

首から、『検体一号』の札が下がっていた。

 

(検体……)

 

(俺、完全に、実験材料扱いされてる)

 

(……悪くない)

 

(なんか、悪くない)

 

研究員たちが、自分を取り囲んで、数字を読み上げる。三人の女性が、自分の貸したもので、目を輝かせている。

この世界の男が、こんなふうに扱われることはない。

守られて、付き添われて、遠ざけられる。それが、男だった。

ここでは、違った。

自分の体が、数字で語られていた。

 

(……悪くない)

 

四日目。

 

「本日は、精神を試します」

 

リゼットが、記録板を構えて言った。

 

「検体の精神値は、八十六。一般男性の五倍を超えています。貸出に、どのような影響があるのか」

 

「精神、ですか」

 

アルトは、少しだけ身構えた。

精神八十六。十八年間の、我慢の数字。

 

「少量で構いません。リース神官へ、精神を、十だけ」

 

アルトは目を閉じた。

 

(精神)

 

体の中の、もっと奥の方に、それはあった。

魔力のような温かいものではなかった。重くて、硬くて、冷たいもの。

ずっと、何かを押さえつけてきたもの。

 

(十だけ)

 

意図した。

その硬いものが、ほんの少しだけ、ほどけた。

ほどけて、細い糸を通って、流れていった。

アルトは、目を開けた。

 

最初に、目に入ったのは、リゼットだった。

記録板を構えて、こちらを見ていた。

灰銀の長髪。今日は、なぜか、後ろで一つに束ねてあった。

束ね方は、ひどく下手だった。紐で無理やりまとめたせいで、あちこちから髪がはみ出して、うなじのあたりで跳ねていた。

いつもは隠れている、細いうなじが、見えていた。

アルトの口が、勝手に動いた。

 

「その髪型……」

 

部屋が、静まり返った。

アルトは、口を閉じた。

 

(あっ)

 

(今、何を言いかけた)

 

(その髪型、の続きを、何て言うつもりだった)

 

(いいですね?かわいいですね?うなじが見えて最高ですね?)

 

(どれも駄目だ)

 

リゼットが、記録板を構えたまま、固まっていた。

 

「……その髪型、が、何でしょうか」

 

「いえ」

 

アルトは、穏やかに微笑んだ。

 

「なんでも、ありません」

 

(あぶねえ)

 

(精神十貸しただけで、これ)

 

(我慢が、漏れる)

 

セラフィナが、部屋の向こうから、じっとアルトを見ていた。五本の鎖を、ぎゅっと握りしめて。

クラウディアは、直立したまま、灰色の目だけをアルトとリゼットの間で往復させていた。

リゼットは、しばらく記録板を見下ろしていた。

それから、ペンを走らせた。

 

「十一時十四分。精神の貸与時、検体の発言に変化。通常の発言制御が、一時的に緩むと推定」

 

淡々とした声だった。

ただ、ペンの動きが、いつもより少しだけ遅かった。

 

「……髪型についての言及は、途中で中断」

 

その夜。

統計課の片隅で、リゼットは実験の報告書をまとめていた。

意図による配分、可能。同種貸与、効率一・五倍。体力の貸与、魔力の貸与、知力の貸与。それぞれの効果。

精神の貸与。検体の発言に変化。

一行ずつ、清書していく。

報告書の最後の頁には、計測値の一覧表があった。

検体の心拍。協力者二人の心拍。四日間、毎時間ごとの、全員の数値。

それから、計測者自身の心拍の欄。

実験の公正を期すため、計測者も計測される。それが、魔導院の規程だった。彼女は四日間、自分の手首にも計測器を貼っていた。

リゼットは、一覧表の数字を、上から順に確かめていった。

検体。正常に記録されている。リース神官。正常。ヴァイス副長。正常。

計測者。

一日目。正常。二日目。正常。三日目。正常。

四日目。十一時十四分。

その欄だけが、空白だった。

前後の時刻は、ちゃんと埋まっていた。十一時十三分も、十一時十五分も。

十一時十四分の欄だけが、空いていた。

リゼットは、ペンを持ったまま、その空白を見つめていた。

記録の漏れだった。彼女が魔導院に入って五年で、初めての漏れだった。

彼女は、思い出そうとした。

十一時十四分に、何をしていたか。

その髪型……

検体の声が、耳の奥で鳴った。

リゼットは、ペンを置いた。

それから、自分の手を、後ろへ伸ばした。

うなじに、触れた。

今朝、慣れない手つきで、一つに束ねた髪。紐から、髪がはみ出して、跳ねていた。

彼女は、そのはみ出した髪を、指先でそっとつまんだ。

統計課の片隅の、窓のない部屋で。

しばらく、そのまま動かなかった。

 

 

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