男の貞操が国宝の世界で、俺のスキルは"繋がらないと"発動しない ~18年我慢した転生貴族、全部いただきます~ 作:朝凪小夜
「レベルが……先週と、同じです」
神殿の小鑑定室で、セラフィナが首を傾げた。
水晶板の表示を、もう一度読み直している。指先で、一文字ずつなぞりながら。
アルト・フェンネル十八歳男
筋力23/体力27/敏捷22/器用24
魔力19/知力44/精神87
スキル:【ステータス貸与】Lv19契約3/3
「十九」
「先週も、十九でしたか」
「はい。その前の週も」
セラフィナは、記録簿をめくった。
先々週、Lv19。先週、Lv19。今週、Lv19。
「その前は、毎週上がっておりましたのに」
アルトは、水晶板の表示を見つめていた。
レベル。
天賦の儀の日は、Lv1だった。最初の契約で、少しずつ上がり始めた。騎士団と契約して、上がる速さが増した。魔導院と契約して、さらに増した。
Lv12。Lv14。Lv17。Lv19。
そこで、止まっていた。
「……契約が、三つとも埋まったから、でしょうか」
「それは、関係ないように思います」
セラフィナは、記録簿を指でとんとんと叩いた。
「契約が埋まっても、供給は続いております。神殿も、騎士団も、それから」
彼女は、そこで少しだけ言葉を切った。
「……魔導院の方も」
五本の鎖が、しゃら、と鳴った。
その答えを持ってきたのは、リゼットだった。
三日後の、月曜の夕刻。
神殿の小鑑定室に、三人の女性が揃っていた。
セラフィナ。クラウディア。リゼット。
アルトが、セラフィナに相談したのだった。レベルが上がらない理由を、一度みんなで確かめたい、と。
セラフィナは、少し考えてから頷いた。
「では、お二人にも、お声がけいたします」
そうして、三人が揃った。
小鑑定室は、狭かった。
机が一つ。椅子が二脚。その椅子に、アルトとセラフィナが座っていた。
クラウディアは、扉の横に直立していた。騎士服のまま。束ねた黒髪。いつも通りの、一分の隙もない姿勢。
リゼットは、窓際の壁にもたれていた。三つ編み。白衣。記録板を胸に抱えて。
救護室で、セラフィナとクラウディアは同じ枕元に座った。比較実験では、三人とも同じ実験棟にいた。
けれど、こうして同じ部屋で、同じ問題について、正面から向き合うのは。
初めてだった。
(……空気が、重い)
アルトは、椅子の上で背筋を伸ばしていた。
(三人とも、いい匂いがする)
(ミルクと、花と、石鹸……と、ちょっとだけ日向)
(いや、今それどころじゃない)
「経験値の推移を、計算しました」
リゼットが、記録板を開いた。
「天賦の儀の日から今日までの、全部の鑑定記録と、供給の記録をもとにしています」
彼女は、記録板の頁を、机の上に広げた。
細かい数字が、びっしりと並んでいた。
「経験値は、三つの経路で溜まります。供給のたびに入るもの。貸与を続けている間、毎日入るもの。それから、契約者が貸与分を使った日に、上乗せされるもの」
「……そんなに、細かく」
クラウディアが、扉の横から言った。
「騎士団の訓練日誌と、神殿の記録簿の時刻を突き合わせました」
リゼットは、淡々と答えた。
「副長殿の日誌は、所要時間が正確で、たいへん助かりました」
クラウディアの耳の先が、わずかに赤くなった。
セラフィナが、膝の上で鎖を握った。
「……神殿の記録簿も、正確に書いておりますが」
「はい。リース神官の記録も、一画の誤りもありませんでした」
リゼットは、セラフィナを見ずに答えた。
記録板を見ていた。
「ただ、夕刻のご来訪の記録が、月曜と金曜で、記載の形式が少し異なっておりましたので、照合に時間が」
セラフィナの指が、鎖の上で止まった。
(今、なんか)
(今、なんか、ぴりっとした)
「結論から申し上げます」
リゼットは、記録板の一番下の数字を指さした。
「経験値は、溜まり続けています」
「溜まって、いる」
「はい。レベル十九になった日から今日まで、三週間で、経験値は二万八千ほど増えました。供給の頻度を考えれば、想定通りの増え方です」
彼女は、別の数字を指さした。
「過去の記録から推定すると、レベル二十に必要な累積経験値は、およそ十万。フェンネル殿は、すでにそれを超えています」
「……超えているのに」
「上がっていません」
リゼットは、眼鏡を押し上げた。
「つまり、経験値以外の何かが、足りていないのです」
小鑑定室が、静かになった。
「何か、とは」
セラフィナが聞いた。
「現時点では、仮説です」
リゼットは、記録板の新しい頁をめくった。
「当院には、スキルを持つ女性たちの成長記録が残っています。職業のスキルを、何年もかけて伸ばしてきた方々の記録です」
「女性の」
「はい。スキルは、男女ともにレベルで伸びます。そして、記録を見ると、ところどころで、成長が止まる地点があるのです」
彼女は、一枚の表を指さした。
女性の名前と、レベルの推移。その推移の、いくつかの地点で、線が平らになっていた。
「止まっている期間、経験値は溜まり続けています。そして、ある日、急に、まとめて上がる」
「まとめて」
「はい。そして、上がった日の前後を調べると」
リゼットは、表の別の欄を指さした。
「必ず、素の力の合計が、ある値を超えています」
「……壁」
クラウディアが、扉の横で呟いた。
全員が、彼女を見た。
「騎士の訓練でも、似たことがあります。いくら剣を振っても、ある段階から先へ進めない。進めるようになるのは、ある日突然、体の方が追いついたとき」
「はい。まさに、それです」
リゼットが、わずかに頷いた。
「壁があります。フェンネル殿のスキルは、レベル二十の手前に、壁を持っている。そして、その壁を越える条件は、経験値ではなく、素の力の合計」
アルトは、水晶板の数字を見た。
筋力二十三。体力二十七。敏捷二十二。器用二十四。魔力十九。知力四十四。精神八十七。
合計、二百四十六。
(体力さえ、あれば)
救護室で、そう思った。
体力が足りなければ、供給が続かない。だから、第七号を飲んだ。騎士団で鍛えた。体力は、少しずつ戻ってきた。
それで、全部解決したと思っていた。
(違った)
(体力の次に、もう一個、壁があった)
「その、素の力の合計とやらは」
セラフィナが、身を乗り出した。
「どれほど、必要なのですか」
「まだ、分かりません」
リゼットが答えた。
「前例のないスキルですので、女性の記録をそのまま当てはめることはできません。推定するには、もう少しデータが」
「どうすれば、分かるのです」
クラウディアが、扉の横から一歩踏み出した。
「訓練で素の力を伸ばせばよいなら、騎士団は計画を立て直します。今日中にでも」
「それには、どの項目をどれだけ伸ばすべきかの見積もりが」
「体力です。何より、体力」
「……体力だけ伸ばしても、合計が条件に届くとは限りません」
「では、何を」
「それを、今」
「神殿では」
セラフィナが、二人の間に割って入った。
「祈りで、魔力を伸ばすことができます。魔力も、合計に入るのでしょう?」
「入ります。ですが、効率で言えば」
「効率の話では、ございません」
「では、何の話でしょうか」
「ですから」
三人が、同時に口を開いた。
「体力を」「魔力も」「データを」
三つの声が、小鑑定室の中でぶつかった。
ミルクと、花と、石鹸と日向の匂いが、一度に押し寄せた。
三人が三人とも、アルトの方を向いていた。
(——三人とも、俺の体の話をしてる)
(俺の体を、取り合ってる)
(神様、ありがとうございます。ハーレムって、こういうことだったんですね)
「……皆さん、ありがとうございます」
アルトは、穏やかに言った。
「どの方の案も、ありがたく」
三人が、口をつぐんだ。
それから、三人とも、少しだけ気まずそうに目を逸らした。
結局、その日は結論が出なかった。
リゼットが、データを集め直すと言った。クラウディアが、訓練計画を見直すと言った。セラフィナが、祈りを増やすと言った。
三人とも、少しずつ違う方向を向いていた。
ただ、帰り際に、小さなことが一つあった。
扉の前で、クラウディアがリゼットに声をかけた。
「ハーシェル殿。日誌の写しが要るなら、いつでも」
「……感謝します」
リゼットが、窓際で振り返った。
「神殿の記録簿も、お持ちしますね」
セラフィナが、静かに言った。
「月曜と金曜の、形式を揃えて」
リゼットは、少し間を置いた。
「……ご配慮、感謝します」
三人は、それ以上何も言わなかった。
ただ、それぞれが、少しだけ、相手を見た。
牽制と、連帯の、ちょうど真ん中くらいの目で。
その夜。
アルトは、自室の寝台で天井を見上げていた。
素の力の合計。
二百四十六。
それが、いくつになれば、壁を越えられるのか。越えたら、何が起きるのか。
レベルが上がる。たぶん、まとめて。契約の枠は、どうなるのか。今は三つ。全部埋まっている。
(体力さえあれば、と思ってた)
(でも、体力の次は、合計で)
(合計の次は、たぶん、また別の何かで)
アルトは、目を閉じた。
慢心していたわけではなかった。ただ、少しだけ、思っていた。
第七号があって、訓練があって、三人がいて。これで、もう大丈夫だと。
(……壁、か)
窓の外で、夏の虫が鳴いていた。
七都商盟、議長室。
夜更けだった。
机の上に、帳簿が広げてあった。インクの染みのついた指先が、ある頁の余白をなぞっている。
『香封じ手に取る、十二呼吸』
その下に、この二か月で書き足された数行。
『神殿契約』
『騎士団契約』
『魔導院契約第七号独占納入』
『契約枠三すべて埋まる』
『レベル十九にて停止理由壁と推定(魔導院内部より)』
マルグリット・オーベールは、最後の一行を指でなぞった。
それから、帳簿を閉じた。
ぱたん、と乾いた音がした。
「……ようやく」
彼女は、誰もいない議長室で、小さく呟いた。
「こちらの、出番ですね」