男の貞操が国宝の世界で、俺のスキルは"繋がらないと"発動しない ~18年我慢した転生貴族、全部いただきます~   作:朝凪小夜

3 / 4
第3話 定期鑑定、一回目

 

鎖が、増えていた。

神殿の奥、廊下の突き当たりにある小鑑定室。 扉を開けた先で待っていたセラフィナを見て、アルトはまずそれに気づいた。

一週間前、奥の間で見たときは、肩から斜めに走る鎖が二本だった。 今日は三本ある。

新しい一本は、まだ銀の色が明るかった。 胸の下を通って、背中へ回り、反対の肩から降りてくる。

結果として、胸の上に一本、下に二本。

 

(……増えてる)

 

「お待ちしておりました、フェンネル様」

 

セラフィナは、一週間前と同じ柔らかい声で言った。 目だけが、一週間前より少しだけ落ち着かなかった。

 

「本日より定期鑑定を担当いたします。どうぞ、お掛けください」

 

「よろしくお願いいたします」

 

アルトは静かに一礼した。

 

(なんで増えてるんだ)

 

 

 

小鑑定室は、奥の間よりずっと狭かった。

窓が一つ。机が一つ。椅子が二脚。 机の上には、奥の間のものより一回り小さな水晶板が据えられている。

壁際には小さな棚があって、乳香の香炉が細い煙を上げていた。

扉の外には、付き添いの長姉エルゼが控えている。 男性保護法では、外出時の付き添いは原則として同じ部屋にいなければならない。ただし純潔の鎖をつけた神官との面会に限っては、扉の外でよいことになっていた。

神官は縛られているから、安全だというのが理屈だった。

 

(その理屈、今日で崩れそうなんですけど)

 

「では、水晶板に両手を」

 

言われた通りに手を置く。

セラフィナが机を回り込んできた。 彼女の手首の枷から伸びた鎖は、今日は壁の金具に繋がっている。その長さいっぱいに、彼女はアルトの真横に立った。

 

「定期鑑定は、儀式のものより精度が低いのです。ですので、どうしても近くで見なければなりませんで」

 

「……そうなのですね」

 

「失礼いたします」

 

彼女が、身を屈めた。

水晶板を覗き込むために。 アルトの肩越しに。

金色の髪が、アルトの耳のすぐ横で揺れた。

 

(近い)

 

乳香の煙の奥から、あの匂いがした。 一週間、ずっと思い出していた匂い。陽だまりに置いたミルクのような、柔らかくて甘い匂い。

 

(いい匂い)

 

アルトは目を閉じた。

 

(2)

 

(3)

 

(5)

 

「鑑定を、始めます」

 

耳元で声がした。

 

(7)

 

(声)

 

(11)

 

水晶板が淡く光った。

 

「筋力十四、体力十六、敏捷十五」

 

彼女が数値を読み上げる。 一つ読むたびに、吐息がアルトの頬をかすめた。

 

(13……17……)

 

「器用二十二、魔力十八、知力四十一」

 

鎖が、しゃら、と鳴った。 新しい鎖だった。古い鎖より、音が少しだけ高い。

 

(19……鎖が増えてる……23……)

 

「精神、八十五」

 

彼女の声が、そこでほんの少しだけ止まった。

 

アルトは目を閉じたまま、横顔に視線を感じていた。

 

読み上げのたびに、彼女はこちらを見ている。 数値を読み、顔を見る。また数値を読み、また顔を見る。

 

(29……31……)

 

「スキル、【ステータス貸与】。レベル一。……前回と、変化はございません」

 

「そうですか」

 

声は、落ち着いていた。

 

(37……41……43……)

 

セラフィナが体を起こそうとして、鎖が机の角に引っかかった。 彼女は小さく声を上げて、もう一度身を屈め直した。

さっきより、近かった。

新しい鎖が、彼女の胸の下を締めつけて、そこが法衣の上からはっきりと形を持っていた。 アルトの目の前、手を伸ばせば届く距離で。

 

(47……49……あ、49は素数じゃない……)

 

(むり)

 

「……異常は、ないようですね」

 

アルトは目を開けて、穏やかに言った。

 

「ありがとうございます、セラフィナ殿」

 

 

 

鎖を机の角から外すのに、少し時間がかかった。

セラフィナは顔を赤くしながら、手首の枷ごと鎖を引っ張っている。 縛られた腕では、うまく角度がつけられないらしい。

 

「お手伝いしましょうか」

 

「い、いえ! 殿方に触れていただくわけには」

 

彼女は慌てて首を振った。

 

「神官の側から男性に触れてはならない、という誓いがございまして。触れていただくのも、その、紛らわしいので」

 

「失礼しました」

 

アルトは手を引っ込めた。

 

(神官の側から、ね)

 

鎖がようやく外れた。 セラフィナは小さく息をついて、机の向こうの椅子に戻った。

記録簿を開く。 ペンを取る。 数値を一つずつ、丁寧に書き込んでいく。

アルトはその手元を見ていた。

縛られた腕で書くのは不便そうだったが、字は驚くほど整っていた。 一つ書くたびに水晶板の表示を確かめて、一画も間違えないように。

 

「丁寧に、書かれるのですね」

 

「神の前で記すものですから」

 

彼女は顔を上げずに答えた。

 

「一つでも偽れば、それは神に嘘をつくことになります。……私には、できません」

 

書き終えて、ペンを置く。

それから、彼女は顔を上げた。

 

「フェンネル様」

 

「はい」

 

「一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」

 

空色の目が、まっすぐにこちらを見ていた。

 

「儀式の日、なぜ……」

 

彼女はそこで言葉を探した。 探して、探して、結局一番素直なものを選んだ。

 

「……なぜ、あのようなお顔を」

 

来た、とアルトは思った。

一週間、考えていた答えがあった。 何度も頭の中で繰り返して、声の調子まで決めてあった。

アルトは少しだけ目を伏せて、静かに言った。

 

「男として生まれた以上、覚悟はしておりました」

 

間を置く。

 

「どのようなスキルを授かろうと、それが神の御心なら、受け入れる。そう決めて、あの日を迎えましたので」

 

完璧な模範解答だった。 天賦の儀の手引書に、そのまま載せられるような。

 

「……そう、ですか」

 

セラフィナは頷いた。

頷いて、それ以上は何も聞かなかった。

ただ、目は納得していなかった。 一週間前と同じ目だった。

 

(信じてないな、まだ)

 

彼女の視線が、ふっと下がった。 アルトの顔から、胸元へ。それから机の上の、自分の手首の枷へ。

彼女は枷を見つめたまま、小さな声で言った。

 

「鎖を、一本増やしました」

 

「……気づいておりました」

 

「神官長様に申し出て、新しく支給していただいたのです」

 

彼女は新しい鎖の上に、指先をそっと置いた。

 

「儀式の日、少し……落ち着かなかったものですから。もう一本あれば、心が静まるかと思いまして」

 

(逆効果です)

 

(完全に逆効果です)

 

「……静まりましたか」

 

聞いてから、しまったと思った。 聞くべきことではなかった。

セラフィナは、ほんの少しだけ首を傾げた。

 

「……分かりません」

 

彼女は鎖から指を離した。

 

「この鎖を巻いて、今日を待っておりましたら、なぜか余計に」

 

そこで彼女は、自分が何を言いかけたのかに気づいたらしかった。

白い頬が、みるみる赤くなった。

 

「し、失礼いたしました。本日の鑑定は以上です」

 

「……はい」

 

アルトは立ち上がった。

 

(余計に、なに)

 

(余計に、なんなんですか)

 

聞けなかった。 聞いたら、たぶん何かが終わる気がした。あるいは、始まる気がした。

 

 

 

扉に手をかけたとき、背中で声がした。

 

「フェンネル様」

 

振り返る。

セラフィナは椅子に座ったまま、膝の上で縛られた手を組んでいた。 窓からの光が、金色の髪の縁を白く光らせていた。

 

「この部屋には、たくさんの殿方が鑑定にいらっしゃいます」

 

「ええ」

 

「皆さま、床ばかり見ておられます」

 

彼女の声は、静かだった。

 

「鎖をつけた神官の前で、殿方は顔を上げられません。怖いのだと思います。目を合わせたら、何かされるのではないかと」

 

彼女は少しだけ笑った。 困ったような、寂しいような笑みだった。

 

「私は、そういうものだと思っておりました。神官とは、殿方にとってそういうものなのだと」

 

アルトは何も言えなかった。

 

「……フェンネル様は」

 

彼女は、そこで言葉を切った。

続きは言わなかった。 ただ、空色の目でアルトを見ていた。

床ではなく、自分を見ていた男を。

 

「……また、来週。お待ちしております」

 

「……はい。また、来週」

 

アルトは一礼して、扉を開けた。

 

 

 

廊下では、エルゼが壁にもたれて待っていた。

 

「終わった?」

 

「はい。異常なしとのことです」

 

「そう。よかった」

 

姉はアルトの顔を覗き込んだ。

 

「顔が赤いわよ。暑かった?」

 

「香炉の煙が、少し」

 

「あそこ狭いものね」

 

二人で並んで、神殿の長い廊下を歩く。

石の床に、二人分の足音が響いた。 アルトは一定の歩幅を保ちながら、頭の中でずっと同じことを考えていた。

 

(来週)

 

(あと、七日)

 

(……七日って、長くないか?)

 

一週間前までは、十八年待てた。 それが今は、七日が長い。

 

(いや、待てよ)

 

アルトは歩きながら、通達の文面を思い出していた。

週に一度の定期鑑定。スキルの安定を確かめるため。

 

(安定しなかったら、どうなるんだろう)

 

神殿の大扉の手前で、エルゼが足を止めた。

 

「あ、手袋」

 

「手袋?」

 

「さっきの部屋の前の長椅子に置いてきちゃった。取ってくるから、ここで待ってて」

 

姉は小走りで廊下を戻っていった。

アルトは大扉の脇で、春の陽射しが差し込む中庭を眺めていた。

 

 

 

 

帰りの馬車の中で、エルゼが言った。

 

「ねえ、アルト」

 

「はい」

 

「あの神官様、何かあったの?」

 

アルトは窓の外から姉に目を移した。

 

「何か、とは」

 

「手袋を取りに戻ったらね」

 

エルゼは膝の上の手袋を指先でいじりながら、首を傾げた。

 

「扉が少し開いてたのよ。それで、中が見えたんだけど」

 

アルトは黙って続きを待った。

 

「あの神官様、あなたが部屋を出たあと」

姉は不思議そうに言った。

 

「真っ赤な顔で、壁に額をつけていたわよ。鎖をじゃらじゃら鳴らしながら」

 

「…………」

 

「具合でも悪かったのかしら。来週、何か差し入れでも持っていく?」

 

「……そう、ですね」

 

アルトは窓の外に視線を戻した。

馬車が揺れる。 王都の街並みが、ゆっくりと後ろへ流れていく。

 

(壁に、額を)

 

(鎖を、鳴らしながら)

 

アルトは膝の上で、静かに拳を握った。

 

(来週まで、もたない)

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。