男の貞操が国宝の世界で、俺のスキルは"繋がらないと"発動しない ~18年我慢した転生貴族、全部いただきます~   作:朝凪小夜

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第30話 壁の条件

 

研究棟の、リゼットの新しい研究室。

統計課の窓のない片隅から移ってきて、まだ二週間しか経っていなかった。窓が一つ。机が一つ。書架が二つ。

机は、もう書類の山に埋もれ始めていた。

その机の前に、二人の女が並んで座っていた。

三つ編みの研究員と、赤褐色のまとめ髪の議長。

同じ書類を、同じ角度で、覗き込んでいた。

 

(……なんで、この二人が並んでるんだ)

 

アルトは、部屋の隅の椅子に座っていた。

付き添いのエルゼは、扉の外。今日は、付き添いが二人いる日だった。もう一人は、扉の内側の壁際に直立していた。

クラウディアだった。

 

「騎士団の訓練計画に関わる話と伺いましたので」

 

彼女は、そう言って同席を申し出たのだった。

 

一週間前のことだった。

魔導院に、七都商盟から書状が届いた。

 

『研究協力の件で、改めてお話を。当盟は、フェンネル卿の壁について、魔導院の知見を必要としています。代わりに、当盟の持つ情報を提供いたします』

 

院長は、書状を読んで眉をひそめた。

先日、流通の件で決裂したばかりの相手だった。

 

「断りなさい」

 

院長は言った。

その書状に、リゼットが目を通した。

一行だけ、引っかかった。

 

『当盟の持つ情報』

 

「院長」

 

「何かしら」

 

「七都商盟は、王国全土の商会の記録を持っています。……スキルを持つ女性商人たちの、成長の記録も」

 

院長は、黙った。

 

「当院の記録だけでは、壁の条件を推定するには、データが足りません」

 

リゼットは、淡々と言った。

 

「利害が、一致します」

 

 

 

「こちらが、当院の記録です」

 

リゼットが、紐で綴じた束を机の上に置いた。

魔導院に残る、スキルを持つ女性たちの成長記録。レベルの推移。素の力の推移。壁で止まった期間と、越えた日。

 

「こちらが、当盟の記録です」

 

マルグリットが、革装の帳簿を一冊開いた。

七つの都市の、商人ギルドの記録だった。算術や交渉や鑑定のスキルを持つ女性商人たちが、何年もかけてレベルを上げてきた跡。

 

「商人は、自分の成長を記録するのが好きなのです」

 

マルグリットは、微笑んだ。

 

「どれだけ伸びたかは、どれだけ稼げるかに直結しますので」

 

リゼットは、帳簿の頁をめくった。

速かった。

一頁ごとに、彼女の目が、数字の列を上から下までなぞっていく。

 

「……データの質が、高いですね」

 

「ありがとうございます」

 

「記録の形式が、都市ごとに統一されていません」

 

「……それは、これから統一するつもりです」

 

リゼットは、記録板に何かを書き留めた。

マルグリットは、それを横から覗き込んだ。

 

「その表の作り方、効率がいいですね」

 

「当院の、標準形式です」

 

「当盟でも、使わせていただいても」

 

「……構いません」

 

(仲良くなってる?)

 

(いや、違う)

 

(お互いの手口を、盗み合ってる)

 

 

二人は、二つの記録を並べて、照らし合わせ始めた。

魔導院の記録。商盟の記録。レベルの推移と、素の力の合計の推移。

壁で止まった地点。越えた日。

 

「第一の壁は、レベル二十の手前」

 

リゼットが、表の一点を指さした。

 

「当院の記録では、例外がありません」

 

「当盟の記録でも、同じです」

 

マルグリットが、帳簿の一点を指さした。

 

「どのスキルでも、二十で一度止まる」

 

「止まったときの、素の力の合計は」

 

「人によって違います。ただ」

 

マルグリットは、帳簿の別の欄を指でなぞった。

 

「授与の日の合計と、越えた日の合計の比を取ると」

 

リゼットのペンが、走った。

 

一行。二行。三行。

 

「……一・四倍前後」

 

「当盟の記録でも、一・三八から一・四五の間に収まっています」

 

二人は、顔を見合わせた。

 

「授与の日の合計の、およそ一・四二倍」

 

リゼットが、記録板に書いた。

 

「フェンネル殿の、授与の日の合計は」

 

彼女は、天賦の儀の記録を開いた。

 

筋力十四。体力十六。敏捷十五。器用二十二。魔力十八。知力四十一。精神八十五。

 

「二百十一」

 

ペンが、静かに計算をした。

二百十一に、一・四二を掛ける。

 

「……二百九十九・六二」

 

リゼットは、ペンを止めた。

 

「端数を切り上げて」

 

彼女は、顔を上げた。

 

「三百」

 

部屋が、静かになった。

アルトは、部屋の隅の椅子で、その数字を聞いていた。

 

(三百)

 

「現在の、合計は」

 

マルグリットが聞いた。

リゼットが、最新の鑑定記録を読み上げた。

 

「筋力二十三。体力二十七。敏捷二十二。器用二十四。魔力十九。知力四十四。精神八十七」

 

「合計、二百四十六」

 

「あと、五十四」

 

マルグリットが、帳簿にその数字を書き込んだ。

 

「五十四、伸ばせば、壁を越える」

 

「それから、もう一つ」

 

リゼットが、魔導院の記録の束をめくった。

 

「壁を越えたときに、何が起きるか」

 

彼女は、ある女性の記録を指さした。

王都の鍛冶ギルドの、熟練の職人だった。鍛冶のスキルを持ち、第一の壁を十年前に越えている。

 

「この方の記録によれば、壁を越えた日から、自分の技能を弟子に分け与えられるようになったと」

 

「分け与える」

 

「スキルの効果が、一段階広がったのです。それまでは、自分の鍛冶の腕を上げるだけだったのが、自分の持っている技能そのものを、他者に伝えられるようになった」

 

マルグリットの手が、止まった。

 

「技能、そのもの」

 

「はい。似た記録が、当院に三件。いずれも、第一の壁を越えた日から」

 

リゼットは、記録の束を閉じた。

 

「フェンネル殿のスキルは、貸与型です。もし、同じように一段階広がるなら」

 

「……ステータスだけでなく、技能も、貸せるようになる」

 

マルグリットが、引き取った。

声が、わずかに上ずっていた。

 

「計算の技術も。法の知恵も」

 

リゼットが、頷いた。

 

「推定、です」

 

マルグリットは、帳簿を胸に抱えた。

深緑の目が、輝いていた。

 

「それに、契約の枠も」

 

「当院の記録では、壁を越えると、スキルの対象範囲が広がる例が多い。枠が増える可能性は、高いと推定します」

 

「何枠に」

 

「……推定に足る記録が、ありません」

 

マルグリットは、部屋の隅のアルトを見た。

まっすぐに。

商人の目だった。

まだ誰も見ていない先に、賭ける目。

 

「では」

 

マルグリットは、立ち上がった。

 

「七都商盟が、出資いたします」

 

「出資」

 

アルトが、椅子の上で聞き返した。

 

「フェンネル卿の、素の力を伸ばすための費用を。当盟が持ちます」

 

彼女は、帳簿を開いた。

 

「家庭教師を、つけましょう。知力を伸ばすために、王都で一番の学者を。算術、法学、地理、歴史。それから、訓練の費用も。騎士団の訓練に必要な装備、食事、医師」

 

ペンが、頁の上を走った。

 

「合計で、五十四。それを、最短で」

 

「……最短で」

 

「商人は、時間を買うものですので」

 

マルグリットは、にっこりと笑った。

 

その瞬間、扉の内側の壁際から、声がした。

 

「異議があります」

 

クラウディアだった。

直立のまま。灰色の目が、マルグリットを見ていた。

 

「家庭教師、と仰いましたね。知力を伸ばすための」

 

「ええ」

 

「素の力の合計を伸ばすなら、体力です」

 

クラウディアは、一歩前に出た。

 

「フェンネル殿の体力は、現在二十七。一般の成人女性の平均の、九割ほどです。まだ伸びる余地が、大きい」

 

「知力も、伸びる余地は大きいですよ」

 

マルグリットが、穏やかに返した。

 

「現在、四十四。家庭教師がつけば、短期間で大きく伸びます。それに、知力が伸びれば、技能の貸与にも直結する」

 

「体力が伸びれば、供給の頻度が維持できます。倒れずに済む」

 

「第七号がありますので」

 

「薬に頼りすぎるのは」

 

「……当院の製品に、何か」

 

リゼットが、机の前から口を挟んだ。

三人の視線が、交差した。

 

「効率の観点から申し上げれば」

 

リゼットが、記録板を開いた。

 

「伸ばしやすいのは、低い項目です。体力、筋力、敏捷。ただし、知力は、もともとの素地がある分、教育による伸びが急です。どちらも、合計への寄与は」

 

「体力です」

 

「知力です」

 

「……両方です、と申し上げようとしました」

 

アルトは、部屋の隅の椅子で、三人のやりとりを聞いていた。

体力。知力。効率。寄与。合計。

どの言葉も、自分の体のことだった。

 

(……俺の体の話、ですよね?)

 

(俺の体の、どこを伸ばすかを)

 

(俺抜きで、決めてる)

 

三人とも、こちらを見ていなかった。

互いの顔と、互いの書類だけを見ていた。

 

(まあ、いいか)

 

(……いや、よくない)

 

(いや、でも、三人とも真剣に、俺のこと考えてくれてるし)

 

(……いや、俺の体のことを考えてるだけだな、これ)

 

結局、その日の結論は、こうなった。

午前は、騎士団の訓練。昼は、家庭教師。夕刻は、供給。

体力と知力を、両方伸ばす。費用は、七都商盟が持つ。

マルグリットが、帳簿に最後の一行を書き込んだ。

 

「では、日程表を作成して、明日お届けします」

 

 

翌朝。

フェンネル家の玄関に、七都商盟の使いが現れた。

封筒を一通、差し出した。

母のマルタが受け取って、封を切った。

一枚の表が、出てきた。

羊皮紙に、細い線で升目が引いてある。横に曜日。縦に時刻。

月曜から日曜まで、全部の升目が、文字で埋まっていた。

 

六時、起床。

七時、騎士団訓練場。

十一時、第七号服用。

十二時、家庭教師(算術)。

十四時、家庭教師(法学)。

十六時、家庭教師(地理・歴史)。

十八時、供給(曜日ごとに、神殿・騎士団・魔導院)。

二十一時、復習。

 

母は、表を上から下まで読んだ。

それから、もう一度、上から下まで読んだ。

 

「……アルト」

 

「はい、母上」

 

「この表、どこにも、睡眠と書いていないのだけど」

 

アルトは、母の手元の表を覗き込んだ。

六時、起床。

その前の欄は、なかった。二十一時、復習。その後の欄も、なかった。

表の一番下に、マルグリットの几帳面な字で、小さく添え書きがあった。

 

『※休息の時間は、各自でご調整ください』

 

(各自で)

 

アルトは、静かに表を母の手から受け取った。

 

(……壁まで、あと五十四)

 

 

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