男の貞操が国宝の世界で、俺のスキルは"繋がらないと"発動しない ~18年我慢した転生貴族、全部いただきます~   作:朝凪小夜

31 / 34
第31話 新商品

 

 

「新商品の試着を、お願いしたく」

 

七都商盟の、仕立て部の応接間だった。

扉が開いて、マルグリットが入ってきた。

アルトは、椅子から立ち上がりかけて、そのまま止まった。

 

(……え)

 

彼女は、見覚えのある形の服を着ていた。

見覚えがあるといっても、この世界で見たことはなかった。

上下揃いの、濃紺の仕立てだった。

腰で絞った上着。肩の線がまっすぐで、襟が細く折り返してある。前は、釦が二つだけ。

その下に、白いシャツ。襟の立った、糊のきいた白。首元の一番上の釦だけが、開いていた。

そして、裾。

上着と同じ濃紺の生地が、腰から膝まで、体の線に沿ってまっすぐに落ちていた。細い。歩幅が狭くなるくらいに。

膝の少し上で、裾が終わっていた。

その下に、薄い、黒い靴下。足首から膝の上まで、肌が透けて見えるほど薄い。

踵の高い、黒い革の靴。

赤褐色の髪は、いつもよりきっちりとまとめてあった。手には、革装の帳簿が一冊。

 

(スーツ)

 

(タイトスカート)

 

(ストッキング……っぽいもの)

 

(ヒール)

 

(——前世の、OLさんだ)

 

 

「先日、フェンネル卿から伺ったお話をもとに、仕立てさせました」

 

マルグリットは、応接間の真ん中に立った。

背筋を伸ばす。帳簿を胸の前に抱える。

 

「異国の商人の装い、ということでしたので。上下揃いの細身の仕立て。白い襟の下着。腰で絞った上着。女性は、膝丈の、細い裾」

 

彼女は、自分の服を見下ろした。

 

「……合っていますか」

 

アルトは、口を開いた。

閉じた。

もう一度、開いた。

 

「……おおむね」

 

声が、少しだけ掠れた。

 

「おおむね、合っています」

 

「よかった」

 

マルグリットは、微笑んだ。

商談用の、隙のない微笑みだった。

付き添いのエルゼが、アルトの隣で目を丸くしていた。

 

「……変わった服ねえ」

 

エルゼは、正直に言った。

 

「足が、ずいぶん出ているわね。それに、あの裾じゃ歩きにくそう」

 

「ええ」

 

マルグリットは、あっさりと頷いた。

 

「この国の女性には、まず売れないと思います」

 

「では、なぜ」

 

「試しに、です」

 

マルグリットは、帳簿を開いた。

 

 

「この服の形は、当盟の誰も見たことがありませんでした」

 

彼女は、淡々と説明した。

 

「仕立て部の職人たちも、最初は首を傾げていました。こんな細い裾では歩けない、こんな薄い靴下では寒い、こんな襟では首が詰まる、と」

 

彼女は、裾の端をつまんだ。

 

「それでも、作らせてみました。新しい形というのは、作ってみなければ、売れるかどうか分かりませんので」

 

それから、アルトを見た。

 

「ですので、ご意見を伺いたいのです」

 

「意見」

 

「売れるかどうか。殿方の目から見て、どう思われるか」

 

マルグリットは、帳簿のペンを構えた。

真顔だった。

商談の、真剣な顔だった。

 

「率直に、お願いします」

 

(率直に)

 

(率直に言ったら、終わる)

 

(でも、何か言わないと)

 

アルトは、穏やかな顔を作った。

十八年分の演技を、総動員した。

 

「……そうですね」

 

彼は、顎に手を当てた。考え込むふりをした。

 

「まず、上着の肩の線が、とても良いと思います。まっすぐで、体が引き締まって見える」

 

マルグリットのペンが、走った。

 

「白いシャツとの対比も、清潔な印象で」

 

ペンが、走った。

 

「それから……」

 

アルトの視線が、下がった。

上着の裾。腰の線。そこから、膝の上まで、まっすぐに落ちる濃紺の生地。

その下の、黒く透ける脚。

 

「……裾の、長さが」

 

声が、ほんの少しだけ止まった。

 

「とても、絶妙かと」

 

マルグリットのペンが、走った。

 

「絶妙、と」

 

「ええ。膝の、少し上というのが」

 

「少し上、が絶妙」

 

(なんで復唱するの)

 

(記録されてる)

 

(全部、記録されてる)

 

「歩いてみましょうか」

 

マルグリットが言った。

 

「実際に動いたときの印象も、伺いたいので」

 

彼女は、応接間の端まで歩いていった。

細い裾のせいで、歩幅が狭かった。

一歩。一歩。踵の高い靴が、床の上で小さな音を立てる。

かつ。かつ。かつ。

腰が、歩くたびにわずかに揺れた。細い裾が、その揺れに合わせて、膝の上で布を張った。

応接間の端で、彼女はくるりと振り返った。

それから、戻ってきた。

かつ。かつ。かつ。

 

(……っ)

 

(音……)

 

(ヒールの、音……)

 

彼女はアルトの目の前で止まって、帳簿を胸に抱え直した。

 

「いかがでしたか」

 

「……歩き姿が」

 

アルトは、言葉を探した。

 

「凛として、見えます」

 

「凛として」

 

ペンが、走った。

 

「では、座った姿も」

 

マルグリットは、アルトの向かいの椅子に腰を下ろした。

細い裾で座るのは、少し窮屈そうだった。彼女は、脚を揃えて、斜めに流した。

裾が、膝の上で、少しだけずり上がった。

黒く透ける脚が、膝の上まで見えた。

彼女は、それに気づいていなかった。いや、気づいていて、気にしていなかった。この国の女は、男の前で脚を出すことを、何とも思わないのだ。男が、それを見ないから。

 

(わぁ……)

 

(脚……組んでる……斜めに……)

 

(SO……Erotic……)

 

(オフィス……ここ、オフィス……異世界の、オフィス……)

 

「……座った姿も、知的な印象です」

 

アルトの声は、穏やかだった。

 

「商談の席に、よく合うかと」

 

マルグリットは、ペンを走らせた。

 

試着は、一刻ほどで終わった。

マルグリットは、帳簿を閉じた。

 

「ご意見、たいへん参考になりました」

 

「お役に立てたなら」

 

「ええ。とても」

 

彼女は立ち上がって、一礼した。

それから、ふと首を傾げた。

 

「フェンネル卿」

 

「はい」

 

「一つだけ、伺っても」

 

「どうぞ」

 

「先ほど、私が歩いたとき」

 

彼女は、帳簿の頁をめくった。

さっき書き留めた頁を。

 

「肩の線について、十二語。シャツについて、七語。裾について、四語。歩き姿について、三語。座った姿について、九語」

 

(数えてる)

 

「そして、裾について話されているときだけ、声の調子が、少し低くなっていました」

 

マルグリットは、帳簿から目を上げた。

深緑の目が、まっすぐにアルトを見ていた。

 

「それから、私が座ったとき。膝の上に視線が向いて、戻るまでに、五呼吸」

 

アルトは、黙っていた。

穏やかな顔を、保っていた。

 

「……試用会の首飾りが、十二呼吸でしたね」

 

マルグリットは、微笑んだ。

商談用の微笑みではなかった。

もっと、ずっと、楽しそうな顔だった。

 

「つまり、この服は、売れる見込みがあります」

 

「……売れる」

 

「この国の女性には、まず売れません。でも」

 

彼女は、帳簿を胸に抱いた。

 

「売る相手が、一人いれば十分ですので」

 

マルグリットは、応接間を出ていった。

扉が閉まる。

エルゼが、アルトの袖を引いた。

 

「……ねえ、アルト」

 

「はい」

 

「あの方、何の話をしてたの」

 

「新商品の、評判の話かと」

 

「売る相手が一人って」

 

「……さあ」

 

アルトは、閉じた扉を見ていた。

 

(最初から、全部、計算ずくだった)

 

(俺に、この服の話をさせたのも)

 

(この服を着て、見せたのも)

 

(俺が、何語話して、何呼吸見てたかも)

 

(全部)

 

(……この人、怖い)

 

(怖いけど)

 

(すっごく、いい)

 

 

応接間を出て、マルグリットは仕立て部の廊下を歩いていた。

かつ。かつ。かつ。

細い裾。踵の高い靴。慣れない歩き方だった。

廊下の角を、曲がった。

誰もいないことを、確かめた。

それから、壁に額をつけた。

ごつん、と小さな音がした。

帳簿を、胸に抱えたまま。濃紺の上着の肩が、小刻みに震えていた。

計算ずくの、はずだった。

あの方がどういう方かは、二か月前から分かっていた。十二呼吸。どんな服なら刺さるかも、先日の雑談で分かった。分かったから、仕立てさせた。

着て見せれば、反応が出る。反応が出れば、記録できる。記録できれば、次の手が打てる。

全部、計算通りに進んだ。

あの方の目は、ちゃんと膝の上で五呼吸止まった。

ただ、一つだけ、計算に入っていなかったことがあった。

自分の心臓の方だった。

あの方が、「裾の長さが、とても、絶妙かと」と言ったとき。あの低い声を聞いたとき。

帳簿のペンが、一瞬だけ、紙の上で止まった。

五呼吸のあいだ、見られていると分かっていたとき。脚を斜めに流したまま、動けなかった。

計算外だった。

マルグリットは、壁に額をつけたまま、しばらく動かなかった。

濃紺の上着の下で、香水の匂いの奥から、焼き菓子のような匂いが、ふわりと立ち上っていた。

体温が、上がっていたからだ。

彼女は、それにも気づいていなかった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。