男の貞操が国宝の世界で、俺のスキルは"繋がらないと"発動しない ~18年我慢した転生貴族、全部いただきます~ 作:朝凪小夜
「女ばかり、もう十一人消えてる」
冒険者ギルド王都本部の、二階の会議室。
ギルド長のハンナ・クロイツが、机の上の依頼書を指で叩いた。
赤い縁取りの羊皮紙。指名依頼の印。
「辺境のネーベルフルト。霧の多い町だ。この二か月で、若い女が十一人、夜のうちに森へ消えた」
会議室の長い卓の周りに、人が並んでいた。
ギルド長の隣に、ロッサ。大剣を椅子の背に立てかけて、腕を組んでいる。
その向かいに、蒼薔薇騎士団の副長クラウディア。王都大神殿のセラフィナ。王立魔導院のリゼット。
それから、卓の端に、七都商盟のマルグリット。
そして、その全員に囲まれるように、アルトが座っていた。
(……なんで、俺がここに)
「消えた女たちは、皆、同じことを言い残している」
ハンナは、依頼書の下に添えられた報告書をめくった。
「『森で、素敵な殿方に呼ばれた』と」
会議室が、静かになった。
「殿方」
クラウディアが、眉をひそめた。
「森の中に、男が」
「いるわけがない。ネーベルフルトの男は、全員町の中で、家に閉じこもってる。数えたら、一人も欠けていない」
ハンナは、報告書を卓の上に置いた。
「つまり、男じゃない何かが、女を呼んでいる」
「魔物、ですね」
リゼットが、記録板に書き留めた。
「人を誘う類の。魅了の性質を持つものと推定します」
「推定でいい。とにかく、討伐が要る」
ハンナは、ロッサを顎で示した。
「指名は、ロッサだ。王都で一番強い。ただ、相手が魅了を使うなら、腕っぷしだけじゃ足りないかもしれない」
「それで、合同派遣を」
クラウディアが、引き取った。
「騎士団から、私が。軍務院の承認は、すでに得ています」
「神殿からは、私が参ります」
セラフィナが、静かに言った。
「人を誘う魔物なら、浄化の祈りが要るかと。神官長様のお許しも、いただきました」
「魔導院からは、私が」
リゼットが、記録板を閉じた。
「現地の調査と、魔物の性質の分析を担当します」
ハンナは、卓の周りを見回した。
ロッサ。クラウディア。セラフィナ。リゼット。
「……四人か。悪くない」
それから、卓の真ん中に座っているアルトを見た。
「で、問題は、そっちだ」
全員の視線が、アルトに集まった。
「遠征は、三週間を見込んでいる」
ハンナは、指を三本立てた。
「ネーベルフルトまで、馬車で四日。現地の調査に一週間。討伐に、うまくいって数日。帰りに四日。余裕を見て、三週間」
「三週間」
アルトは、繰り返した。
「その間、神官と、副長と、研究員が、王都を離れる」
ハンナは、リゼットを見た。
リゼットが、記録板を開いた。
「【ステータス貸与】は、最後の供給から七日間は満額で維持されます。七日を過ぎると、半減。十四日を過ぎると、さらに半減」
彼女は、淡々と続けた。
「三週間、供給がなければ、三人の受領値は、四分の一まで落ちます。……魅了の魔物を相手に、それは」
「致命的です」
クラウディアが、言った。
会議室が、静まり返った。
アルトは、自分を囲む視線を、一つずつ見返した。
ハンナ。ロッサ。クラウディア。セラフィナ。リゼット。マルグリット。
全員が、同じ結論に辿り着いていた。
「……つまり」
アルトは、ゆっくりと言った。
「私も、同行する、と」
「そういうことだ」
ハンナが、頷いた。
「駄目です」
フェンネル家の居間で、母のマルタが言った。
声が、震えていた。
「辺境の、魔物の出る森に、アルトを?三週間も?」
「母上」
「駄目です。絶対に、駄目」
母は、アルトの手を両手で握りしめた。
「この子は、男の子なのよ。外出には付き添いが要るの。辺境の森に、付き添いもなしに、三週間なんて」
「付き添いの件でしたら」
居間の入口から、声がした。
神殿の法務官だった。
天賦の儀の日、婚姻法を説明して、審議会の正式名を二度噛んだ人。今日は、分厚い書類の束を抱えていた。
「男性保護法第十二条。外出時の付き添いは、家族、もしくは家族が認めた者、もしくは」
法務官は、書類をめくった。
「当該男性と、公的に登録された協力関係にある者が、これを務めることができる」
「……協力関係」
「契約者の皆さまは、全員、審議会に契約報告が出ています。公的に登録された協力関係です」
法務官は、書類を母の前に差し出した。
「ですので、遠征中の付き添いは、契約者の皆さまが務めることで、法の要件を満たします」
母は、書類を見下ろした。
一頁目。二頁目。三頁目。
条文が、びっしりと並んでいた。
母は、四頁目で、書類を置いた。
「……法律が、そう言うなら」
声が、小さかった。
それから、アルトの手をもう一度握った。
「無事に、帰ってくるのよ」
「はい、母上」
母の後ろで、父のハインツが、黙って懐から小瓶を出していた。
出発は、四日後と決まった。
その四日間で、準備が進んだ。
騎士団から、馬車と馬と、野営の道具。神殿から、浄化の聖具と、治癒の薬草。魔導院から、計測器の携帯版と、それから第七号。
七都商盟が、補給の手配をした。
「第七号は、遠征中も週に一度、補給の馬車を出します」
マルグリットが、日程表を広げて説明した。
「製造は魔導院、流通は当盟。王都からネーベルフルトまで、当盟の支店が街道沿いに三つあります。そこを中継して、四日で届けます」
「……先日の契約が、さっそく」
リゼットが、記録板から顔を上げた。
「ええ。製造と流通の、初めての実地です」
マルグリットは、微笑んだ。
それから、少しだけ表情を曇らせた。
「私は、王都に残ります」
「残る」
アルトが、聞き返した。
「補給線を回す者が要りますので。それに、港湾都市の保険の立ち上げが、ちょうど始まったところです。期限もあります」
ベルナデットとの約束だった。この夏が終わるまでに、成果を見せること。
「ですので、遠征の三週間、私には供給がありません」
マルグリットは、日程表の端に、小さな数字を書いた。
「七日目まで、満額。十四日目まで、半分。二十一日目で、四分の一」
彼女は、その数字を見下ろした。
「……技能の貸与が、四分の一」
ペンの先が、紙の上で止まっていた。
「三週目には、手形の書式を考えるのに、今の四倍の時間がかかる計算です」
「それは」
「契約上の、損失です」
マルグリットは、きっぱりと言った。
それから、帳簿を閉じた。
「戻られたら、改めて、協議させていただきます。……それから、五枠目の件も」
「五枠目」
「壁を越えて、枠が五つになりました。四つは埋まっています。残りの一つについて、当盟から、ご提案したいことがありますので」
マルグリットは、穏やかに微笑んだ。
商談用の、隙のない微笑みだった。
(……五枠目も、取る気だ、この人)
出発の前夜。
フェンネル家の居間に、四人が集まっていた。
セラフィナ。クラウディア。リゼット。ロッサ。
居間の机の上に、一枚の羊皮紙が広げてあった。
リゼットが作った、遠征中の日程表だった。
横に日付。縦に、朝、昼、夜。二十一日分の升目が、細い線で引いてある。
「遠征中の、供給の日程です」
リゼットが、記録板を見ながら説明した。
「三人の受領値を満額で維持するには、それぞれ七日に一度の供給が必要です。野営の都合を考慮して、日程を組みました」
升目の中に、名前が書き込まれていた。
一日目、夜、空欄。二日目、夜、空欄。三日目、夜、「リース」。
「……三日目が、私なのですね」
セラフィナが、静かに言った。
「出発前日に、王都で供給を済ませる方が多いので、遠征中の最初の供給は、最も早く減衰が始まる方からとしました」
「最も早く」
「リース神官の前回の供給は、四日前です」
セラフィナの鎖が、しゃら、と鳴った。
「……四日前の、ことまで」
「記録しておりますので」
(なんか、ぴりっとした)
「五日目、夜、ヴァイス」
クラウディアが、升目を指でなぞった。
「七日目、夜、ハーシェル」
「はい」
「……ご自分の分も、ちゃんと入れているのですね」
「当然です。私の受領値も、調査の精度に関わりますので」
リゼットは、眼鏡を押し上げた。
「それから、天幕の割り振りです」
リゼットが、日程表の下に、もう一つの表を描いた。
「野営では、天幕を三つ使います。騎士団の大天幕を一つ。小天幕を二つ」
「小天幕の一つは、フェンネル殿の専用に」
クラウディアが、言った。
「護衛の観点から、天幕の入口は、私の大天幕から見える位置に」
「浄化の結界も、張らせていただきます」
セラフィナが、言った。
「森の近くでは、魔物が寄ってくるかもしれませんので。フェンネル様の天幕の周りに、毎晩」
「計測器を、天幕の中に設置したいのですが」
リゼットが、言った。
「夜間の心拍の推移を、記録したく」
「それは、必要なのでしょうか」
セラフィナが、柔らかく聞いた。
「調査の一環です」
「夜間の心拍が、魔物の調査に、どう関わるのでしょう」
「……魅了の魔物が近づいた場合、対象の心拍に変化が出る可能性が」
「その場合は、私の結界が反応いたしますので」
「結界の反応と、心拍の記録は、別のデータです」
「護衛の観点から申し上げれば」
クラウディアが、割って入った。
「天幕の中に計測器があると、夜間の見回りの際、紐に足を取られる危険が」
「紐は、壁際に這わせます」
「それでも」
三人の声が、居間の中でぶつかり始めた。
日程表と、天幕の表の上で、指がいくつも行き来した。
アルトは、居間の隅の椅子に座っていた。
三人が、アルトの天幕の位置と、アルトの夜間の心拍と、アルトへの供給の順番について、議論していた。
誰も、アルトの方を見ていなかった。
(……俺、物資扱い?)
(遠征に持っていく、物資)
(第七号と、聖具と、計測器と、俺)
その間、ロッサは何も言わなかった。
居間の窓際の床に、あぐらをかいて座っていた。
大剣を膝の上に置いて、その刃を布で拭いていた。ゆっくりと、何度も。
三人の議論を、聞いているのか聞いていないのか分からない顔で。
ときどき、ちらりとアルトを見た。
金茶色の目が、にやにやと笑っていた。
アルトは、その目から視線を外した。
ロッサは、また大剣を拭き始めた。
日程表の升目には、三人の名前だけが書いてあった。
ロッサの名前は、どこにもなかった。
翌朝。
フェンネル家の玄関の前に、騎士団の馬車が停まっていた。
二頭立ての、幌のついた大きな馬車。荷台には、野営の道具と、聖具と、計測器と、第七号の木箱が積まれている。
その横に、騎馬が二頭。クラウディアと、もう一人の若い騎士が手綱を握っていた。
セラフィナとリゼットは、馬車の中にいた。
家族が、玄関の前に並んでいた。
母は、ハンカチを握りしめていた。エルゼは、アルトの襟を三回直した。ヘルガは、揚げ菓子の袋を押しつけてきた。父は、黙って肩に手を置いた。
「いってまいります」
アルトは、家族に一礼した。
それから、馬車の方へ歩き出した。
その時だった。
背後から、足音がした。
いや、足音はしなかった。
気配だけがした。
振り返る前に、体が浮いた。
視界が、ぐるりと回った。
気がつくと、アルトは誰かの肩の上に、荷物のように担がれていた。
日焼けした肌。赤い短髪。土と、焚き火と、汗の匂い。
ロッサだった。
「遅い」
ロッサは、アルトを肩に担いだまま、馬車の方へ歩き出した。
「担いでく」
母が、悲鳴を上げた。
エルゼが、口を開けて固まった。
ヘルガが、揚げ菓子を落とした。
父は、黙って懐から小瓶を出した。
(担がれてる)
(出発の朝に)
(家族の目の前で)
アルトは、ロッサの肩の上で、穏やかな顔をしていた。
「……いってまいります」