男の貞操が国宝の世界で、俺のスキルは"繋がらないと"発動しない ~18年我慢した転生貴族、全部いただきます~   作:朝凪小夜

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第45話 凱旋と、早退

 

精神が、戻ってきた。

ネーベルフルトの町長の屋敷の客間で、アルトは目を覚ました。

森から戻った翌朝だった。

戦いのあと、リゼットが言った。

「魅了の脅威は、去りました。配分を、元に戻してください」

アルトは、四本の糸から、精神を引き戻した。

胸の奥に、重くて、硬くて、冷たいものが、戻ってきた。

十八年間、全部を押さえつけてきたもの。

それが、元の場所に収まった。

そして、その瞬間に、全部を思い出した。

 

(……俺、何言ったっけ)

 

寝台の上で、アルトは天井を見つめていた。

 

(セラフィナの鎖、毎回最高)

 

(クラウディアの跪く角度が完璧)

 

(リゼット、今日も脇がいい)

 

(ロッサ、担がれてるとき一番幸せ)

 

(みんないい匂い。全部好き)

 

(みんな、綺麗だね)

 

(踏み込み最高。大剣の振り方に見とれる。叫び声がかわいい)

 

(歩けるのに歩けないふりしたの、二回)

 

アルトは、両手で顔を覆った。

 

(全部言ったな)

 

(一個残らず、全部、言ったな)

 

(十八年かけて積み上げた建前、一晩で、全部)

 

(しかも、頭に直接、流し込んだやつまである)

 

寝台の上で、アルトは毛布を頭からかぶった。

声にならない声が、毛布の中で漏れていた。

 

朝食の席は、静かだった。

町長の屋敷の食堂。長い卓に、一行が並んで座っていた。

セラフィナは、粥の椀を見つめていた。一度も、顔を上げなかった。

クラウディアは、直立に近い姿勢で座っていた。匙を口に運ぶ動作が、訓練のように正確だった。正確すぎて、ぎこちなかった。

リゼットは、記録板を膝の上に置いていた。食事の手を止めては、何かを書き込んでいた。書き込んでは、消していた。

ロッサだけが、いつも通りだった。

羊の煮込みを、三杯目まで平らげていた。

 

「なあ」

 

ロッサが、匙をくわえたまま言った。

 

「昨日のお前、面白かったな」

 

三人の手が、同時に止まった。

アルトは、穏やかに微笑んだ。

 

「……何の、ことでしょう」

 

「全部」

 

「全部」

 

「脇がいいとか」

 

リゼットのペンが、記録板の上で、がっと鳴った。

 

「跪く角度とか」

 

クラウディアの匙が、椀の縁に当たって、かちんと鳴った。

 

「鎖が最高とか」

 

セラフィナの肩が、びくりと跳ねた。

アルトは、穏やかな顔のまま、羊の煮込みに匙を入れた。

 

(殺してくれ)

 

「……精神を、貸していましたので」

 

「おう。だから、全部本当のことだろ」

 

ロッサは、四杯目の煮込みをよそいながら、にかっと笑った。

 

「あたしは、知ってたけどな。最初から」

 

 

ネーベルフルトを発ったのは、その三日後だった。

目を覚ました十一人の娘たちは、全員、無事だった。

二か月眠っていたせいで、少し痩せて、少し足元がおぼつかない。それでも、家族のもとに帰っていった。

町長が、一行に深々と頭を下げた。

 

「このご恩は、決して」

 

それから、町長は、アルトを見た。

正確には、町の娘たち全員が、アルトを見ていた。

目を覚まして、最初に見た男。声を枯らして、女冒険者の肩に担がれていた男。

娘たちの目が、熱を帯びていた。

ただ、その熱は、夢魔の魅了とは違うものだった。

 

「……あの、殿方」

 

羊飼いの娘が、おずおずと声をかけた。

 

「森で、何か、たくさん叫んでいらっしゃいましたよね」

 

「……っ」

 

「最高、とか、かわいい、とか」

 

アルトの背後で、セラフィナとクラウディアとリゼットが、同時に固まった。

 

「眠っていたけれど、なんとなく、聞こえていたんです」

 

娘は、頬を染めた。

 

「殿方が、あんなふうに女の人のことを話すなんて、初めて聞きました」

 

アルトは、穏やかに微笑んだ。

 

(殺してくれ)

 

 

 

帰りの街道で、リゼットが報告書を書いていた。

幌馬車の中で、揺られながら。

アルトは、荷台の上で、毛布にくるまっていた。今回は、担がれていなかった。精神を引き戻した分、他の項目の貸与も元に戻して、少しだけ体が動いた。

幌の隙間から、リゼットの手元が見えた。

 

『件名:ネーベルフルト遠征に関する調査報告提出先:王立魔導院院長、軍務院、冒険者ギルド、王宮』

 

「……王宮にも」

 

アルトが聞くと、リゼットは記録板から顔を上げずに答えた。

 

「王家の領地で起きた事件ですので。慣例として、写しを」

 

彼女は、報告書の頁をめくった。

 

『五、対象の精神の貸与について魅了への対策として、対象の精神のうち七十を、四名の協力者に配分した。配分の結果、四名は魅了に抗うことができた。一方、対象は、精神を貸与した結果、人格が顕著に変化した。』

 

アルトは、その一行を読んだ。

人格が、顕著に変化した。

 

「……その、変化の内容は」

 

「記載しておりません」

 

リゼットは、淡々と言った。

 

「研究上の、機密ですので」

 

彼女の耳が、少しだけ赤かった。

 

帰路の途中で、一つだけ、記録が加わった。

街道沿いの宿場町で、神殿の出張所の水晶板を借りて、鑑定をした。

 

素の力の合計、三百六十。

精神、百四。

 

「出発前は、九十でした」

 

リゼットが、記録板に書き込みながら言った。

 

「十四、伸びています」

 

「……精神が、ですか」

 

「はい」

 

リゼットは、眼鏡を押し上げた。

 

「推定ですが」

 

彼女は、少しだけ言葉を選んだ。

 

「精神は、忍耐の力です。対象は、精神を手放して、我慢を失った状態で、三日間を過ごしました。それから、我慢を、取り戻した」

 

「……はい」

 

「失ったものを、取り戻す。それ自体が、鍛錬になったのではないかと」

 

リゼットは、記録板を閉じた。

 

「つまり、対象は、今、出発前よりも、さらに我慢強くなっています」

 

アルトは、黙っていた。

 

(あれだけ全部吐き出して)

 

(それで、我慢強くなった)

 

(……どういう理屈だ)

 

 

王都に戻ったのは、出発から二十二日目だった。

王都の北門をくぐった瞬間、歓声が上がった。

大通りが、人で埋まっていた。

ネーベルフルトの夢魔討伐の報せは、早馬で先に王都に届いていた。

十一人の娘たちの救出。魅了の魔物の討伐。蒼薔薇騎士団と、神殿と、魔導院と、冒険者ギルドの、合同の遠征。

民衆が、大通りの両側から、花を投げていた。

 

「騎士団、万歳!」「蒼薔薇、万歳!」「アズール王家に、栄光を!」

 

騎士団の旗が、掲げられていた。王家の紋章が、掲げられていた。

民衆の歓声は、騎士団に。王家に。

蒼薔薇騎士団は、王家の騎士団だった。騎士団の手柄は、王家の手柄だった。

アルトは、幌馬車の荷台の上で、それを見ていた。

花が、荷台の上にも降ってきた。

 

(……すごいな)

 

民衆の顔が、輝いていた。

自分たちの王家が、自分たちの騎士団が、辺境の娘たちを救った。その誇らしさが、大通りじゅうに満ちていた。

 

大通りの終わりで、マルグリットが待っていた。

七都商盟の紋章のついた馬車の横に、帳簿を抱えて立っていた。

アルトの姿を見つけると、彼女は微笑んだ。

商談用の微笑みでは、なかった。

 

「お帰りなさいませ」

 

「……ただいま、戻りました」

 

マルグリットは、帳簿を開いた。

 

「ご報告がございます。港湾都市で、相互保険の第一号の積立が始まりました。それから、王都と第二都市のあいだで、手形の試行も」

 

「もう」

 

「三週目は、技能の貸与が四分の一でしたので」

 

マルグリットは、帳簿の頁を指でとんとんと叩いた。

 

「手形の書式を考えるのに、四倍の時間がかかりました。……お約束の通り、契約上の損失として、条項を一つ追加させていただきたく」

 

「……第十五条、ですか」

 

「第十五条です」

 

マルグリットは、穏やかに微笑んだ。

それから、少しだけ声を落とした。

 

「デュマ会頭が、昨日、保険の積立に、港湾都市の商会として、最初に名前を書いてくださいました」

 

ベルナデットとの約束の、期限は、この夏の終わりだった。

夏は、まだ数日残っていた。

 

冒険者ギルドの、二階の会議室。

ギルド長のハンナ・クロイツが、ロッサの報告書を読んでいた。

報告書と言っても、羊皮紙一枚だった。炭で書いた、太い字。ところどころ、字の向きが逆になっている。

 

『いらいかんりょう。むまのおう、たおした。むすめ十一人、ぶじ。ふくちょう、つよかった。しんかん、すごかった。けんきゅういん、あたまよかった。それと、あいつ、ほんとうは女好きだぞ。』

 

ハンナは、最後の一行を、指で叩いた。

 

「ロッサ」

 

「おう」

 

「この最後の行は」

 

「本当のことだ」

 

ハンナは、片眼鏡の奥で目を閉じた。

 

「依頼の報告書に、関係ないことを書くな」

 

「関係ある。あいつが女好きだから、勝てたんだ」

 

「……一割で聞いておく」

 

「九割だって」

 

ハンナは、報告書を書類の山の上に置いた。

最後の一行は、どこにも転記されなかった。

 

王宮の大広間で、凱旋の式典が開かれた。

蒼薔薇騎士団の団長ベアトリクスが、遠征の報告を読み上げた。女王イゾルデが、玉座の上で満足げに頷いた。

参列者の中に、アルトもいた。

来賓の列の端に。

玉座の右に、王女が立っていた。

叙任式のときと、同じ場所に。

アルトは、王女を見て、息を呑んだ。

服が、また厚くなっていた。

晩夏だった。大広間の窓は、全部開け放たれていた。参列者たちは、薄い絹を着て、扇で顔を仰いでいた。

王女だけが、冬の中にいた。

詰まった襟の上に、毛織の肩掛け。その上に、さらにもう一枚、外套のようなものを羽織っていた。

両手に、白い手袋。

その指先が、震えていた。

叙任式のときより、ずっと大きく。

 

式典の途中だった。

女王が、民衆の歓声のことを口にしていた。

 

「この度の遠征で、民の心は、王家とともにある。そのことを、改めて」

 

王女の体が、ぐらりと揺れた。

ほんの一瞬だった。

すぐに、姿勢を立て直した。

けれど、その顔が、白かった。

白いのに、頬の奥だけが、熱を帯びたように赤かった。

王女は、女王の方を向いて、小さく何かを囁いた。

女王が、ちらりと娘を見た。

それから、小さく頷いた。

王女は、一礼して、玉座の奥の扉へ下がっていった。

侍女たちが、慌ててその後を追った。

式典の、途中だった。

参列者たちが、ざわついた。

 

「姫様、ご気分が」「この暑さで、あの格好では」「お体が弱いと、聞いていたけれど」

 

侍女長のグレタが、扉の前に立っていた。

王女を見送って、扉を閉めた。

その顔は、何も知らない顔をしていた。

何も知らない顔を、完璧に作っていた。

アルトは、閉じた扉を見ていた。

 

(……また、だ)

 

(叙任式の、ときも)

 

(あの人、何を、我慢してるんだ)

 

 

縁談審議会の事務室。

ペトラ・ノイマンの机の端に、書類の山があった。

一段目。二段目。三段目。

その上に、新しい束が、どさりと置かれた。

 

「フェンネル家の案件。本日分です」

 

若い事務官が、息を切らしていた。

 

「夢魔討伐の英雄、ということで。申込みが、先週の倍に」

 

ペトラは、眼鏡を押し上げた。

書類の山が、四段目の高さに届いていた。

 

「……倍」

 

「それから、各勢力から、新規の契約の申し出が。第二の壁を越えて、枠が七つになったと聞いて」

 

事務官は、別の束を差し出した。

 

「王都の大商会が三つ。地方の神殿が二つ。それから、魔導院の院長から、個人的に」

 

ペトラは、その束をしばらく見つめていた。

それから、机の引き出しを開けた。

一枚の羊皮紙を、取り出した。

審議会の、通達の書式だった。

ペトラは、ペンを取った。

 

『稀少技能保有男性アルト・フェンネルに関する、新規契約の一時凍結について申込みの急増に鑑み、審議会が事前審査を行うまで、同男性の新規契約を一時凍結する』

 

彼女は、署名をした。

 

「……これで、少しは減るでしょう」

 

事務官が、首を傾げた。

 

「審査は、いつ」

 

「前例を、調べてから」

 

前例は、なかった。

 

王宮の東の棟。

その一番奥の部屋は、厚い帳で閉ざされていた。

晩夏の陽射しも、ここには届かない。

花は、一輪も飾られていなかった。

王女は、長椅子に座っていた。

外套を、脱いでいた。肩掛けも、脱いでいた。

それでも、詰まった襟と、長い袖と、手袋は、そのままだった。

膝の上に、羊皮紙の束があった。

王立魔導院から、慣例として王宮に届けられた、遠征の調査報告書の写し。

王女は、手袋をはめた指で、頁をめくっていった。

一頁目。二頁目。

五頁目で、指が止まった。

 

『対象は、精神を貸与した結果、人格が顕著に変化した。』

 

王女は、その一行を、しばらく見つめていた。

手袋の指先で、そっとなぞった。

一文字ずつ。

精神を、貸すと。

人格が、変わる。

手放したら、別の人のように、なった。

それなら、手放す前は。

王女は、羊皮紙から顔を上げた。

厚い帳の向こうの、見えない窓の方を見ていた。

それから、小さく呟いた。

誰もいない部屋で。

 

「……それだけのものを」

 

手袋の指先が、膝の上で、きゅっと握られた。

 

「抑えて、いるのね」

 

 

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