男の貞操が国宝の世界で、俺のスキルは"繋がらないと"発動しない ~18年我慢した転生貴族、全部いただきます~   作:朝凪小夜

47 / 48
第47話 花のない部屋で

 

王宮の小広間は、秋の光に満ちていた。

高い窓から、午後の陽射しが斜めに差し込んでいる。窓の外には、色づき始めた王宮の庭。楓の葉が、ところどころ赤く染まっていた。

小広間の中央に、白い円卓が一つ。

銀の茶器。焼き菓子の皿。磨き上げられた燭台。

円卓の周りに、侍女たちが並んでいた。

十二人。

全員が、若く、美しく、着飾っていた。

アルトは、小広間の入口に立っていた。

付き添いの母のマルタが、すぐ後ろにいた。今日の母は、朝から一言も喋っていなかった。緊張で、声が出ないのだった。

 

「ようこそ、お越しくださいました」

 

侍女長のグレタが、恭しく一礼した。

 

「どうぞ、お掛けくださいませ」

 

グレタが示したのは、円卓の、上座から少し離れた席だった。

その向かいの席は、空いていた。

上座の席も、空いていた。

アルトが席に着いた瞬間、両側の椅子に、侍女が座った。

給仕ではなく、座った。

初夏の、小庭園の茶会と同じだった。

 

「お茶を、お注ぎいたしますわ」

 

右の侍女が、ポットを手に身を寄せた。

肩が、触れそうなほど近い。花の香油の匂いがした。

 

(……っ)

 

「焼き菓子は、いかがですか」

 

左の侍女が、皿を差し出しながら身を寄せた。

髪が、アルトの頬をかすめた。

 

(……っ、っ)

 

背後の侍女が、アルトの肩に、そっと手を置いた。

 

「お疲れでしょう。遠征から、お戻りになったばかりで」

 

その手が、ゆっくりと、肩を揉んだ。

 

(……あ、これ、だめなやつ)

 

母が、隣の席で、目を白黒させていた。

アルトは、穏やかな微笑みを、顔に貼りつけた。

 

(2、3、5、7……)

 

(今日は、素数、どこまで持つかな)

 

扉が、開いた。

小広間の空気が、変わった。

侍女たちが、一斉に立ち上がった。アルトの両側の侍女も、背後の侍女も。

アルトも、母も、立ち上がった。

女王が、入ってきた。

蒼い髪を高く結い上げ、肩も鎖骨も惜しげなく晒したドレス。堂々と、上座の席へ歩いていく。

その後ろに、もう一人。

アルトは、息を止めた。

王女だった。

 

叙任式のときより、近かった。

凱旋の式典のときより、ずっと近かった。

蒼い髪。

首筋を隠すように、肩のあたりで下ろしている。結い上げてはいなかった。

銀灰色の目。

まっすぐ前を見ていた。女王の背中を。上座の席を。

ドレスは、深い蒼の絹だった。

首元から、手首まで。手首から、足首まで。

一分の隙もなく、体を覆っていた。

詰まった襟が、喉元の一番上まで閉じられている。その上に、薄い、けれど確かに一枚分厚い、何かが重ねてあった。

二重の、襟だった。

袖は、手首を越えて、手の甲の半ばまで。その先に、白い手袋。肘の上まである、長い手袋。

秋の初めの、陽射しの暖かい午後だった。

王女だけが、冬の中にいた。

 

王女は、女王の右の席に、静かに腰を下ろした。

アルトの、正面だった。

円卓を挟んで。手を伸ばせば、届きそうな距離。

アルトは、王女を見ていた。

王女は、アルトを見なかった。

茶器を、見ていた。

侍女が、王女の茶碗に茶を注いだ。

王女は、手袋のまま、茶碗を手に取った。一口、飲んだ。

それから、茶碗を、受け皿に戻した。

かちん、と小さな音がした。

 

「本日は」

 

王女が、言った。

静かな声だった。

叙任式で聞いたのと、同じ声。よく通るのに、少しも響かない。

 

「遠路の遠征、まことにお疲れさまでございました」

 

銀灰色の目が、初めて、アルトを見た。

ほんの一瞬だった。

 

「ネーベルフルトの娘たちを救ってくださったこと、王家の一員として、心より感謝申し上げます」

 

「……恐れ入ります」

 

アルトは、一礼した。

王女は、もう、アルトを見ていなかった。

茶碗を、見ていた。

 

茶会は、続いた。

女王が、遠征の話を聞きたがった。

アルトは、穏やかに答えた。霧の町のこと。夢魔の幻影のこと。騎士団と神殿と魔導院と冒険者ギルドの、合同の戦い。

本音を叫んだことは、言わなかった。

侍女たちは、作戦通りに動いていた。

アルトの両側で、身を寄せる。耳元で、相槌を囁く。茶を注ぐたびに、手に触れる。

全部、誘いの作法だった。

アルトには、全部、効いていた。

ただ、正面に、王女がいた。

王女は、何もしなかった。

身を寄せなかった。囁かなかった。手に触れなかった。

香りも、纏っていなかった。

侍女たちの花の香油の匂いが、円卓じゅうに漂っていた。その中で、王女の座っている場所だけが、何の匂いもしなかった。

洗いたての布の匂いだけが、かすかに。

 

(……この人、何もしてこない)

 

侍女たちの作法が、四方から押し寄せてくる中で。

正面の王女だけが、静かだった。

穏やかで、礼儀正しくて、一定の距離を保っていた。

女王の問いかけに、短く答える。侍女の勧めに、小さく首を振る。

アルトの方を見るのは、話しかけられたときだけ。

それも、ほんの一瞬だけ。

 

女王が、侍女長と何か話し始めた。

侍女たちが、焼き菓子の皿を下げに動いた。

円卓の周りが、少しだけ、静かになった。

アルトは、茶碗を口に運んだ。

その時だった。

風が、吹いた。

窓が、少しだけ開いていた。秋の、乾いた風が、小広間の中を通り抜けていった。

円卓の上を。

正面の、王女の側から、こちらへ。

匂いが、した。

かすかだった。

ほんの、かすかだった。

侍女たちの花の香油の匂いに紛れて、ほとんど分からないほど。

けれど、違った。

侍女たちの香油とは、違う匂いだった。

熱を帯びていた。

甘かった。

花の匂いだった。

ただ、花の香油の匂いではなかった。

もっと、深い。もっと、濃い。

一輪の花ではなかった。

たくさんの花が、閉じ込められた場所で、一斉に咲いているような。

その匂いが、ほんの一筋だけ、風に乗って届いた。

それから、すぐに消えた。

 

(……)

 

アルトは、茶碗を口元に止めたまま、動かなかった。

王女は、茶碗を見ていた。

何も、変わらない顔で。

 

アルトは、小広間を見回した。

壁際の飾り棚。窓辺。円卓の上。

王宮の茶会だった。

初夏の小庭園の茶会では、花が咲き乱れていた。王宮のどの部屋にも、季節の花が飾られていた。

この小広間には、花が、一輪もなかった。

飾り棚の上の花瓶は、空だった。窓辺の鉢も、空だった。円卓の上の、小さな一輪挿しも。

空だった。

 

(……花が、ない)

 

(でも、花の匂いが、した)

 

アルトは、正面の王女を見た。

王女は、茶碗を手に取っていた。

一口だけ、飲んだ。

受け皿に、戻した。

かちん、と小さな音がした。

 

(……)

 

内心が、言葉にならなかった。

侍女たちの作法に、ずっと微震していた。素数を数えていた。崩れそうになるのを、何度も堪えていた。

それが、王女の前では、何も起きなかった。

微震すら、言葉にならなかった。

ただ、空白だった。

 

王女が、立ち上がった。

侍女たちが、一斉に動きを止めた。

 

「失礼いたします」

 

王女は、女王に一礼した。

それから、アルトの方を向いた。

銀灰色の目が、アルトを見た。

ほんの一瞬だけ。

 

「本日は、ありがとうございました」

 

静かな声だった。

 

「どうぞ、ごゆっくり」

 

王女は、踵を返した。

扉の方へ、歩いていった。

一度も、振り返らなかった。

茶碗の中には、まだ、茶が半分以上残っていた。

扉が、閉まった。

 

小広間が、静まり返った。

侍女たちが、顔を見合わせていた。

グレタが、閉じた扉を見つめていた。

その顔に、表情はなかった。

ただ、手に持っていた扇が、ほんのわずかに、止まっていた。

女王が、くすりと笑った。

 

「……一杯だけ、ね」

 

それから、何事もなかったように、アルトに向き直った。

 

「さあ、フェンネル卿。焼き菓子が、まだ残っているわ。遠征の話の、続きを」

 

アルトは、女王に一礼した。

穏やかに、微笑んだ。

遠征の話の、続きをした。

ただ、話しながら、ずっと考えていた。

あの匂い。

花のない部屋で、一筋だけ届いた、花の匂い。

閉じ込められた場所で、たくさんの花が、一斉に咲いているような。

 

(……あの人、何なんだ)

 

その夜。

侍女長の執務室。

グレタは、机の前に座っていた。

『茶会作戦記録』の綴りを開いていた。

新しい頁に、ペンを走らせる。

 

『第十七次。初秋、小広間。フェンネル卿と準男爵夫人をお迎え。女王陛下ご臨席。姫様、ご出席。』

 

ペンが、一度止まった。

ご出席。

十六回の失敗のあとで、初めて書く言葉だった。

グレタは、続けた。

 

『姫様、茶を一杯のみ召し上がり、ご退席。フェンネル卿との会話、二言。誘いの作法、なし。』

 

ペンが、また止まった。

グレタは、窓の外を見た。

王宮の東の棟。その一番奥の窓だけが、今夜も、厚い帳で閉ざされていた。

グレタは、ペンを取り直した。

綴りの一番下に、一行を書いた。

 

『第十七次茶会作戦、……失敗です』

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。