男の貞操が国宝の世界で、俺のスキルは"繋がらないと"発動しない ~18年我慢した転生貴族、全部いただきます~ 作:朝凪小夜
「アルト殿。大丈夫か」
ヴァルデック伯爵家の庭に面した客間で、ユリウスが真剣な顔で言った。
「無理をしていないか」
「眠れているかい」
フェリクスが、茶碗を差し出しながら続けた。
「食事は、ちゃんと」
トビアスが、膝を抱えたまま聞いた。
三人が三人とも、アルトの顔を覗き込んでいた。
天賦の儀から、ちょうど一か月が経っていた。ユリウスが「男だけで話したい」と言って、三人を屋敷に招いたのだった。
男だけの茶会は、この国では珍しい。男はたいてい家の中にいて、外に出るには付き添いがいる。それぞれの姉や母が、別室で待っている。
「眠れていますし、食べています」
アルトは穏やかに答えた。
「ご心配なく」
「そうか……」
ユリウスは、深く息をついた。
一か月前より、明らかに痩せていた。金の巻き毛は艶を失い、頬骨が浮いている。
「ユリウス殿こそ」
「ああ」
ユリウスは力なく笑った。
「申込みが、毎日届く。母上が一通ずつ読み上げてくださるのだが、読み上げが終わる前に次が届く」
「それは」
「先週は、屋敷の門の前で申込みの使者同士が喧嘩を始めた。私の縁談で、だ。窓から見ていて、胃が痛くなった」
彼は胃のあたりを押さえた。
「下限が七名。一人目すら、まだ決まらない。決まったら決まったで、それが七回……」
「七回」
フェリクスが、気の毒そうに繰り返した。
(七回で、この痩せ方)
アルトは茶を飲みながら、少しだけ申し訳ない気持ちになった。
フェリクスの近況は、正反対だった。
「婚約が決まったんだ」
彼はいつもの眠そうな目を、少しだけ細めた。
「子爵家の三女で、アンネという人。園芸が好きでね。初めて会ったとき、庭の薔薇の話を一刻もしてくれた」
「おめでとう」
「ありがとう。……優しい人なんだ。僕が少し怯えていたら、手を伸ばすのをやめて、一歩下がってくれた」
フェリクスは、照れたように茶碗を見つめた。
「この人となら、大丈夫だと思った」
ユリウスが、羨ましそうに目を細めた。トビアスは、膝を抱える腕に力を込めた。
「僕は……」
トビアスが、消え入りそうな声で言った。
「まだ、一通も」
「一通も」
「【帳簿整理】ですから。下から二番目」
膝に顔を埋める。
「母上が、こっちから申込みを出そうかって言い出して……男の方から申込むなんて、前代未聞だって、親戚中に止められて……」
「それは」
アルトは言葉を探した。
「……きっと、トビアス殿に合う方が、どこかに」
「どこかって、どこですか……」
トビアスは膝の間から、恨めしそうな目でこちらを見た。
話題は、自然とアルトのことに戻ってきた。
「それで、アルト殿」
ユリウスが、声を落とした。
「神殿に、通っていると聞いた」
「定期鑑定です。スキルの安定を確かめる」
「週に三回も、と聞いたが」
「……少し、不安定でして」
三人が、顔を見合わせた。
「その、担当の神官だが」
ユリウスが、言いにくそうに切り出した。
「鎖の、神官なのだろう」
「ええ」
「怖くは、ないのか」
フェリクスとトビアスも、身を乗り出していた。
「僕は儀式の日、鎖の神官の前で膝が震えて止まらなかった」
フェリクスが言った。
「縛られていると分かっていても、あの鎖の音が、こう」
彼は自分の腕をさすった。
「じゃらじゃらと鳴るたびに、いつ外れるかと思って」
「僕もです」
トビアスが頷いた。
「鎖が胸の前で交差していて、ああ、あれが外れたら、と思ったら、もう」
(胸の前で、交差)
「目も開けられなかった」
ユリウスが言った。
「アルト殿は、あれと二人きりで、週に三回も。……本当に、怖くないのか」
三人の目が、アルトに集まっていた。
心配と、尊敬と、少しの畏怖。
アルトは茶碗を置いた。
穏やかな顔を作った。いつもの答えを用意した。
用意したはずだった。
「いや」
口が、先に動いた。
「あの鎖、むしろ」
客間の空気が、止まった。
ユリウスの手から、茶碗の受け皿が滑った。フェリクスの眠そうな目が、初めて完全に開いた。トビアスが、膝を抱えたまま後ろへずり下がった。
「……むしろ?」
ユリウスが、かすれた声で聞いた。
「むしろ、何だ」
アルトは、自分が何を言いかけたのかに気づいた。
(むしろ、いい)
(むしろ、最高)
(むしろ、毎回ありがとうございます)
どれを続けても、終わりだった。
「……冗談です」
アルトは、穏やかに微笑んだ。
「場を和ませようと思いまして」
三人は、しばらく黙っていた。
それから、ユリウスがゆっくりと受け皿を拾い上げた。
「……そうか」
「冗談か」
フェリクスが、まだ少し青い顔で頷いた。
「アルト殿でも、冗談を言うんだね」
「言うんですね……」
トビアスは、ずり下がった位置から戻ってこなかった。
(あぶねえ)
(今日一番あぶねえ)
その日の夕方。
神殿の小鑑定室に、灯りがともっていた。
月曜の定期鑑定は、近頃は夕方の最後の枠になっていた。付き添いのヘルガは、客間で揚げ菓子を食べながら待っている。
鑑定は、すぐに終わった。
水晶板の表示を、セラフィナが記録簿に書き写す。一画も、ずらさずに。
そうして記録簿を閉じると、彼女は立ち上がった。
壁際の棚に、小さな木箱が置いてあった。彼女は縛られた手でその蓋を開けた。
中に、銀の鎖が何本も、きれいに巻かれて収まっていた。
「神官長様が、新しく支給してくださいました」
セラフィナは、箱の中を見つめたまま言った。
「信仰が深まった神官には、鎖も多く要るだろう、と」
(神官長様)
(解釈が、毎回、斜め上)
セラフィナが、振り返った。
燭台の灯りが、彼女の金色の髪を柔らかく照らしていた。頬が、ほんのりと赤かった。
彼女は木箱を胸に抱えて、少しだけ首を傾げた。
「……今日は」
声が、小さかった。
「何本に、いたしましょうか」
アルトは、その場に立ったまま動けなかった。
木箱の中の鎖。彼女の腕に巻かれた三本の鎖。その鎖が通っている場所。
それを、選べと。
(——ありがとうございます)
(ありがとうございます。ありがとうございます)
(この世界に生まれて、本当に、ありがとうございます)
「……セラフィナ殿に、お任せします」
アルトの声は、落ち着いていた。
セラフィナは、こくりと頷いた。
木箱から、一本。少し迷って、もう一本。
それから、燭台の灯りを、そっと吹き消した。
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夜更け。
セラフィナは、眠れずにいた。
隣で、彼が眠っている。
疲れ切った寝顔だった。この一か月で、彼はずいぶん痩せた。階段では相変わらず息を切らすし、ときどき鑑定の途中で欠伸をかみ殺している。
それでも、目を覚ませば、彼はこちらを見る。
床ではなく、自分を。
窓から、月の光が差し込んでいた。
机の上の水晶板が、その光を受けて、淡く表示を浮かべていた。
【ステータス貸与】Lv6
契約1/3
一枠目。
彼の最初の一人。
セラフィナは、その数字を長いこと見つめていた。
枠は、三つある。いつか、残りの二つも埋まるのだろう。彼のスキルは、国が動くほどのものだと記録係は言っていた。この先、もっとたくさんの人が彼を求めてくる。
それは、分かっていた。
分かっていて、それでも今夜は、この数字を見ていたかった。
一枠目。
誰が来ても、それだけは変わらない。
彼女は月明かりの中で、そっと彼の寝顔を見た。それから、自分の手首を見た。
鎖の痕が、うっすらと赤く残っていた。
彼女はその痕を、反対の手の指先で、大切そうになぞった。
翌朝。
フェンネル家の玄関に、使いの者が次々と現れた。
一人目は、蒼薔薇騎士団の紋章をつけた女騎士だった。
「蒼薔薇騎士団より、フェンネル殿へ。合同訓練へのご招待にございます」
二人目は、白衣の上に外套を羽織った若い女だった。
「王立魔導院より。稀少技能保有者の健康診断のご案内です」
三人目は、仕立てのいい服を着た商人風の女。
「七都商盟より。新商品試用会への、特別なご招待を」
四人目は、日焼けした腕に傷のある女。
「冒険者ギルド王都本部より。ギルド見学のお誘いだ。……です」
そして、五人目。
蒼い封蝋の書状を携えた、王宮の侍女だった。
「アズール王家より。小庭園での茶会へのご招待を、謹んでお届けいたします」
玄関に、五通の書状が並んだ。
母のマルタが、それを一通ずつ手に取って、青ざめていった。父のハインツは、黙って懐から小瓶を出した。
アルトは、五通の書状を見下ろしていた。
騎士団。魔導院。商盟。ギルド。王家。
(……全部、来た)
どの書状にも、丁寧な文面で、もっともらしい名目が書いてあった。
訓練。診断。試用。見学。茶会。
そして、どの書状の行間にも、同じ問いが透けて見えた。
この男は、本当に女を怖がらないのか。