聖剣遣いの男の後始末、勇者だった少女の思い出作り 作:驀進竜インターネッツドラゴン
見渡す限りの銀世界で、雪と見まごう少女が剣舞を舞っていた。
彼女は銀色の長剣をシッと息を吐き一閃。風切り音すらない美しい軌跡。
「……どうしたの、クレス」
雪――と見まごう程の美しい銀髪をまとめた少女・イオンは茶髪をした青年・クレスを暖かい眼差しで見つめる。
歳の頃は十六。断定できるのはクレスもイオンも同じ村の出身、幼馴染だからだ。
治めている王国にすら名前をろくに覚えられていないような田舎の村。
そんななにもない場所に生まれた、血筋も気骨もなにもかもないイオンが、ある時勇者と認定されたのだ。
なんてことはない。
昔話に出てくる天使という存在がある日突然現れ、聖剣を渡して『君が今代の勇者となった』と告げられただけ。
それから黒い翼の天使の指示に従い、旅をすることになった。
イオンの旅についていくと言った、十三の小僧の言葉に天使は嫌そうな顔をせず、『そうか』と言い、以後なにも言わなかった。
天使と別れ、王に謁見し、仲間と出会い、数々の旅を重ねていく日々。
何度死にそうになっても決して折れず、魔獣に襲われた人には『わたしが来た!』と名乗りを上げて利益なんて考えずに助けていく。
死闘が、人助けが、軋轢が、助けられなかったことに対する恨みが、イオンを強くした。
それこそ、勇者と言っても誰にも笑われないほどに。
しかし、クレスは知っていた。
幾度と訪れる試練と怨嗟に、彼女が独り泣いていたことを。
もう嫌だと、誰も気づかない場所で折れかけていたことを。
明日、魔王と呼ばれる災厄の居城へと向かう。
今、目の前にいるイオンもまた、逃げたい自分と戦っていることをクレスは知っていた。
だから――
「なあ、イオン。ここで逃げよう。どこか山奥で畑を耕してさ、二人で暮らそう。
告死天使も『最終的な判断は全て君に任せる』って言ってたじゃないか。
そもそも人類全ての命運をたった一人に背負わせるのが間違いなんだ。
……世界のために、死ぬなよ。逃げよう、どこか、遠くに」
村の子供に怯えるイオンの手を引っ張って、野山を冒険した日々。
勇気はある。立ち直れる強さもある。けれど本当はとても怖がりで、戦うことなんて全く好きじゃない。石をぶつけられたら泣きはらすような少女だ。
そんな彼女を死なせたくなかった。戦わせたくなかった。
クレスは勇者パーティの中で一番弱い。
もう、イオンを守ることはできない。
そんな青年に残った最後の弱い弱い意地。
銀髪の少女は銀色の聖剣・カルディアを鞘に納める。
勇者が生きている限り銀の光を放ち続ける神器。イオンはそれを手足のように使いこなせるまでになっていた。
そして彼女はクレスの手を握る。
この三年の旅で、イオンの手にはタコができている。
とっくに剣士の手になっていた。
そのことがどうしても許せなくて、憎くて、怒りをぶちまけたくなるのだ。
彼女にはもっと別の未来があって、クレスたちはそれを奪ったのだから。
暖かなイオンの手。彼女は困ったように笑う。
金色の瞳がこちらの両眼をしっかりと見つめて離さない。
「わたしは、世界のために戦えない。わたしが戦う理由はひとつだけ。クレス――あなたと笑って過ごせる明日が欲しいだけなんだ」
だから、怖くてもつらくても立ち向かっていけるんだ、とイオンははにかむ。
泣き落としなんて始めから通用するはずがなかった。
勝負はとっくについていたのだ。
惚れた女に勝てる男が、どこにいるというのか。
イオンの金瞳をじっと見つめて、クレスは凍りそうな肺に喝を入れ、紡ぐ。
「魔王を倒したら……言いたいことがある」
しばし間を置いて、わずかに震えた吐息がイオンから発せられる。
両眼をすっと細めて少女は微笑む。
「……分かった。期待してていい?」
わずかに赤く染まるイオンの耳。頬も同じく。
つないだ手は、冬の世界など関係なく暖かった。
◆
『オルランドゥじゃあ多数の敵に対応できない』
『ソフィアの魔法と神聖術抜きに魔王とは戦えない』
『リュコス、お前の案内がないと城は攻略できない』
『魔王殺しの名はやるけどさ、千の魔獣を狩ったってのも中々伝説に残りそうじゃないか?』
必要な者、必要でない者。
イオン・メモリアは前者で、クレス・ヴェインは後者だった。
仲間から向けられた視線は信頼と憐憫。
千を超える敵が『勇者たち』に向かうことのないようにたった独り、
どれだけの信頼があっても死ぬことは変えられない。
けれど、はなむけの言葉はまた会うことを前提としたものだった。
とくん、と心臓が動く。
死んでいるのか生きているのか、それすら判然としない意識の泥濘のなか、クレスの心臓は弱弱しく動き始める。
息を吸い込もうとして、魔獣の血が入り込む。
もがいてもがいて上を目指し――抜けた。
意識は再構築されていく。
それはクレスという人間の再定義と同じ意味であるということを、本人ではなく、ただ一人だけが知っていた。
「……生きてる」
凍った空気が肺に染みる。鼻は潰れていて魔獣のコールタールと下水道を煮詰めたようなキツイ臭いがこびりついている。
ガラスのように鋭角な太陽の光が夜明けを告げていた。
クレスは先ほどまでを思い出す。
人類の敵、魔獣。地上の獣をないまぜにしてグロテスクに仕上げた風体が特徴の、人を狩ることに特化したモノ。
イオンたち勇者パーティは魔王の居城を目前にして、千を超える魔獣の群れに囲まれた。
魔法と神聖術、そして学問に精通している賢者・ソフィアは、それを一目で魔王の構築した防衛機構だと看破した。
この魔獣たちは魔王の魔力が残っている限り湧き続ける。そういう防御なのだと。
魔王との戦いに数で優位を取られては、こちら側にはアドバンテージはなにもない。
だからクレスは殿を申し出た。
勇者パーティ最弱の自分は、魔王と戦っても足手まといになる可能性の方が高い。
ならば魔獣を止め、残る仲間を全力で戦えるように支援しようと。
イオンは「昨日の約束、破らないでよ?」とだけ言って、皆を率いて行った。
戦いなのか、クレスには分からない。
斬った。斬った。目に映るもの全てを斬って、代わりに斬られて焼かれて貫かれて。
五百を超えたときには視覚に色彩などなく、白黒と赤のみが存在する世界に置き換わって。
七百を超えたときには死にたくないという意思すらあやふやになって、ただ獣を斬るだけのモノへと変わっていって。
それから先は、覚えていない。
自分が埋もれていたところを見ると、うずたかく積みあがっている魔獣の死体。
屍山血河というほどではないが魔獣の死体がこうも広がっており、かつそれを成し遂げたのが自分だということは、感情の置き所に困るところがある。
――俺はただ王国の兵士になって、イオンをあそこから連れて行くことができればよかっただけなのにな。
そうしてはたと気づく。
魔王との決戦はどうなったのかと。
手足はついている。呼吸も正常。視界良好。
長剣は――失った。探す時間が惜しい。
鎧の音を立てて、走る。
雪原が、視線の先にある城が、あまりにも静かすぎて、それが恐ろしい。
肺が凍る。歯が震える。確かめろと叫ぶ自分と、確かめるなと引き留める自分。
物事は、知った後に知らないことにすることはできない。
知ることに権利があるとするならば、知ったことに対する責任は自分だけのもの。
「オルランドゥ、ソフィア、リュコス。……イオン、イオン、イオン!」
クレスは走り、叫ぶ。
魔王の濃密な気配がない。天を濁す魔力の残滓がない。
それだけで魔王は倒されたと言ってもいいはずなのに。
――置いていかれた?
それならいい。死んで当然の役割だ。
あの死骸の中からクレスを探り当てるなんて、かなりの労力だろう。
城の扉は開け放たれている。
真っ先に玉座の間へと向かう。
伝えたいことがあるんだ。
聖剣に選ばれてから言えなかったこと、ようやく言えそうなんだ。
迷路のような通路を抜け、辿り着いた先。
「あ、ああ……」
死体はない。
魔王のものも。
勇者パーティのものも。
だが、だが、だが――広間の中央に突き刺さったそれは、クレスを絶望させるだけの十分な材料だった。
輝きを失った、鈍色の聖剣・カルディア。
激闘の跡が色濃く残る広間にあって、傷ひとつない人智を越えた美しさ。
――勇者が生きている限り、聖剣は輝きを失わない。
鈍色の聖剣が示す答えはひとつ。
――期待してていい?
声が、震える。
「頑張ったな、イオン。
本当は戦いたくないのに、誰よりも体を張って。
つらいことばっかりだったよな。誰かを助けても取りこぼして、恨まれて。
もう誰もお前のことを自称勇者なんて言わないよ。
みんな、お前の真摯な行動を見てるよ。
誰にもお前のことを笑わせない。
誇っていいんだ。
誰も非難なんてしない。
……でも、でもさ。
期待してたんならさ、最後まで言わせてくれよ……!」
誰もいない広間。
鈍色の聖剣を抱く。
吹きすさぶ風はどこまでも冷たくて。
持ち主を失った聖剣は鏡のようにクレスを映す。
ガラスで乱反射する太陽だけが、暖かかった。
◆
半月後、魔王は討伐されたと大陸に知れ渡ることとなった。
冬越しを怯えていた民草たちに、為政者は食料を与え、薪を与え。
死の季節を越えた先は失ったものを思い起こさせる絶望の春ではなく、前へと進める希望のもの。
魔獣を食い止めるための哨戒基地に居た年若い兵士が、魔王の地からやってきた茶髪の青年に「どこへゆかれるのですか」と訊ねた。
茶髪の青年は一言、「帰る」と。
底冷えするような圧力、声の冷たさ。
兵士はなにも言えずに青年を通した。
その背中は、無言で泣いていたという。