思った以上に順調な交渉でしたが、その途中で主人公はあることを思いつきます。
楽しんでもらえたら嬉しいです!
「初めまして、桐藤ナギサ」
「……はい。本日はよろしくお願いいたします」
俺は、改めて頭を下げた。
目の前にいるのは、ゲヘナ学園の風紀委員長、空崎ヒナ。
小柄な身体に、淡い色の長い髪。
そして、頭から伸びる特徴的な角。
(……本物のヒナだ)
原作でも、何度も見てきた人物だ。
しかし、実際に目の前にすると、その小柄な姿からは想像できないほどの存在感があった。
これでキヴォトスでも屈指の実力者なのだから、恐ろしい話である。
「……正義実現委員会の委員長もいるのね」
ヒナが、俺の隣へ視線を向けた。
「……ああ」
ツルギが、短く答える。
「……剣先ツルギだ」
「知っているわ。直接話すのは初めてだけれど」
「……そうか」
二人の視線が交わる。
その瞬間、室内の空気が少しだけ張り詰めた気がした。
(……おお)
トリニティとゲヘナ。
それぞれの学園を代表する実力者同士だ。
別に敵対しているわけではないのだが、妙な迫力がある。
「……本日は、私の護衛をお願いしています」
俺がそう説明すると、ヒナは納得したように頷いた。
「そう。セイアの件もあるものね」
「……はい」
「警戒するのは当然だと思うわ」
それ以上、ヒナが気にする様子はなかった。
「ヒナ、立ったままじゃ疲れるでしょう? 座って」
先生が、穏やかに声をかけた。
「……ありがとう、先生」
ヒナは先生へ向き直ると、少しだけ表情を和らげた。
「急な連絡だったけれど、先生からのお願いなら問題ないわ」
「ありがとう。助かるよ」
そのやり取りを見ながら、俺も席に腰を下ろす。
(……それにしても、ヒナか)
ゲヘナの風紀委員長。
そして、エデン条約を推進する中心人物の一人。
当然、ゲヘナ側の政治的な調整も必要になる。
(……ん?)
その時、何かが頭に引っかかった。
(……あれ? 何か忘れてるような……)
ヒナ。
ゲヘナ。
エデン条約。
この三つが揃うと、何か重要なことを思い出せそうなのだ。
しかし、肝心な部分が出てこない。
(……何だったっけ?)
「……ナギサ?」
「……あっ、はい?」
先生の声で、我に返った。
「大丈夫? 少しぼーっとしてたみたいだけど」
「……申し訳ありません。少し考え事をしてしまいました」
「そっか。疲れてるなら、無理しないでね」
「ふふっ。ありがとうございます」
俺は、軽く微笑んだ。
(……まあ、後で思い出すだろう)
今は、目の前の会談に集中しよう。
◇
――午後四時五分。
「……それで、桐藤ナギサ」
「はい」
「今日はエデン条約についての相談だと聞いているけれど」
「……ええ」
ヒナが、こちらへ視線を向けた。
「具体的には、どんな話なのかしら?」
(……さて、ここからだな)
俺は、鞄から資料を取り出した。
「実は、本日午前のティーパーティーの会議で、ある提案をいたしました」
「……提案?」
「はい。エデン条約の調印式について、十五日間の延期をお願いしたいと考えています」
「…………」
ヒナは、静かにこちらを見つめた。
その表情からは、何を考えているのか分からない。
(……やっぱり、驚いたか)
無理もない。
日程を変更するとなれば、ゲヘナ側の準備にも影響する。
当然、反対意見もあるだろう。
俺は、説明のために資料を広げた。
「延期をお願いする理由ですが、現在トリニティでは――」
「……セイアの襲撃事件ね」
「……はい?」
思わず、顔を上げた。
「まだ犯人が見つかっていないのでしょう?」
「……ええ」
「だったら、調印式の警備体制にも不安が残るわね」
「……おっしゃる通りです」
ヒナは、少し考え込んだ。
そして。
「……分かったわ。私は賛成よ」
「……そうですか。やはり、簡単には……」
そこまで言って、俺は口を閉じた。
「…………」
(……ん?)
今、何て言った?
「……あの、ヒナさん?」
「何かしら?」
「……賛成、ですか?」
「ええ」
ヒナは、当然のように頷いた。
「十五日間の延期でしょう? 私は構わないわ」
「…………」
(……いや、早くない!?)
まだ理由すら最後まで説明していない。
こちらは、ある程度の反対を覚悟していたというのに。
「……理由は、詳しくお聞きにならなくてもよろしいのでしょうか?」
「もちろん聞くわ。でも、今の時点で反対する理由もないでしょう?」
「……そう、ですね」
「警備上の問題があるのなら、無理に調印式を進める方が危険だもの」
ヒナは、静かに続けた。
「ただし、具体的な事情と延期後の日程は確認したいわ」
「……承知いたしました」
(……話が早いなぁ)
俺は、思わず感心してしまった。
こちらが説明しようとしていた理由を、すでに理解している。
これが有能な人との交渉というものなのだろうか。
◇
「……なるほど」
一通りの説明を聞き終えたヒナは、静かに頷いた。
「調印式の警備体制を見直すための十五日間、ということね」
「はい」
「それなら、風紀委員会としても協力できるわ」
「……ありがとうございます」
俺は、丁寧に頭を下げた。
正直、ここまで順調に進むとは思っていなかった。
「それに、セイアの件はトリニティだけの問題とは限らないわ」
「……そうですね」
「犯人の目的が分からない以上、ゲヘナ側も警戒する必要があるでしょう?」
「……おっしゃる通りです」
ヒナは、淡々と続けた。
「調印式で何か問題が起きれば、両学園の関係がさらに悪化する可能性もある。私としても、それは避けたいもの」
「……はい」
(……本当に優秀だな、この子)
状況を把握するのが早い。
しかも、こちらの事情を理解したうえで、必要だと判断すればすぐに賛成してくれる。
(……もしかして、ゲヘナの校風も関係しているのかな?)
ゲヘナは自由な気風の強い学園だ。
形式や面子にあまりこだわらず、実情を重視する風潮もあるのかもしれない。
もちろん、今回の話がここまで順調に進んだのは、ヒナ自身が状況を的確に判断してくれたからだろう。
(……こういう人と仕事できたら楽だろうなぁ)
しかし。
(……ん?)
また、何かが頭に引っかかった。
ヒナの説明を聞いているうちに、先ほどの違和感が少しずつ強くなってきたのだ。
(……何だろう)
エデン条約。
ゲヘナ側の調整。
これから行う手続き。
(……あと少しで思い出せそうなんだけどな)
「……桐藤ナギサ?」
「……あっ、失礼しました」
俺は、慌てて姿勢を正した。
「少し考え事をしてしまいまして」
「……そう」
ヒナは、小さく頷いた。
「それで、トリニティ側では正式に延期が決まっているのよね?」
「はい。条件付きではありますが、了承を得ています」
「条件付き?」
「変更後の日程と警備計画を提出すること。そして、さらなる延期については、再度協議することになっています」
「……なるほど。妥当な条件ね」
ヒナは、資料へ視線を落とした。
「それなら、こちらも同じ方針で進められると思うわ」
「……ありがとうございます」
「ただし、私が賛成しただけでは正式決定にはならないわ」
「……ええ。承知しております」
「万魔殿にも話を通す必要があるもの」
ヒナは、淡々と続けた。
「私からも、延期に賛成していることは伝えておくわ」
「……ありがとうございます。こちらからも正式な文書を――」
(……万魔殿?)
その言葉を頭の中で繰り返した瞬間、先ほどから感じていた違和感の正体が、ようやく分かった。
(……あれ? そういえば万魔殿って……)
そして、原作でのある出来事を思い出した。
「……あっ!」
思わず声が出た。
「……っ!?」
ヒナが、驚いたように肩を揺らした。
「ナ、ナギサ?」
先生も目を丸くしている。
「どうしたの?」
「……何だ!?」
ツルギまで反応し、周囲を警戒するように姿勢を正した。
「……あっ、いえ! 申し訳ありません!」
俺は、慌てて頭を下げた。
「少し、思いついたことがありまして……」
「……思いついたこと?」
「……ええ」
そう答えながら、頭の中では別のことを考えていた。
(……そうか! その手があったじゃないか!)
どうして今まで思いつかなかったんだ。
原作で起きた、ある出来事。
そして、今の状況。
その二つが、ようやく頭の中で繋がった。
(……もし、あの出来事が今も同じように進んでいるなら……)
使えるかもしれない。
上手くいけば、今までとは違う方法で問題を解決できる可能性がある。
(……いや、待てよ)
俺は、ちらりとヒナを見た。
(……そういえば、ヒナって元々情報部にいたんだよな)
彼女の能力を考えれば、協力してもらう価値は十分にある。
しかし。
(……そもそも、情報の出どころをどう説明する?)
俺が知っているのは、原作の知識だ。
普通なら知り得ない情報まで含まれている。
適当な嘘をついても、ヒナなら不審に思うだろう。
(……それに、ヒナに迷惑がかかるよなぁ)
ただでさえ、ゲヘナの治安維持で忙しい子だ。
そこへ余計な仕事を押しつけることになる。
しかも、今回思いついた方法には不確定な部分が多い。
(……うーん)
どうしたものか。
「……ナギサ?」
「……あっ、はい!」
先生の声で、我に返った。
「大丈夫? さっきから何か考え込んでるみたいだけど」
「……申し訳ありません」
俺は、少しだけ苦笑した。
「突然、別件について思いついてしまいまして」
「……別件?」
「はい。ですが、まだ考えがまとまっていませんので……」
俺は、少し迷ってから続けた。
「申し訳ありませんが、少しだけお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
ヒナが、小さく首を傾げた。
「……構わないけれど」
「ありがとうございます」
そう答えたものの、俺は再び考え込んでしまった。
すると。
「……そうだ、ヒナ」
先生が、明るい声で話しかけた。
「今日は急に来てもらったし、疲れてるんじゃない?」
「……え?」
「せっかくだから、少し休憩していこうよ。お茶もまだあるし」
「……別に、そこまで疲れているわけじゃ……」
ヒナはそう言いかけたが、先生が微笑むと、少しだけ視線を逸らした。
「……まあ、先生がそう言うなら」
「うん。ありがとう」
先生は、お茶を淹れ直し始めた。
(……あっ)
俺は、その様子を見て気づいた。
(……もしかして、時間を作ってくれてるのか?)
こちらが考え込んでいるのを見て、さりげなく会話を引き受けてくれたのだろう。
(……ありがたいな)
俺は、心の中で先生に感謝した。
◇
(……さて、どうするか)
俺は、お茶を飲みながら考えを整理した。
先ほど思いついた方法。
上手くいけば、今後の問題をかなり減らせるかもしれない。
(……でも、成功率は低そうなんだよなぁ)
そもそも、原作で起きた出来事が、今も同じように進んでいる保証はない。
それに、少しでも行動を間違えれば、相手を警戒させてしまう可能性がある。
(……やっぱり、これを本命にするのは危険だよな)
現在進めている計画には、それなりの勝算がある。
わざわざ成功率の低い方法に切り替える必要はない。
(……まあ、やるとしてもプランBだな)
本来の計画は、そのまま進める。
今回思いついた方法は、あくまで予備の手段。
実行できる条件が揃った場合にのみ、試してみればいい。
(……それに、プランBを用意しておくのは大事なことだしな)
どれだけ綿密に計画を立てても、必ず成功するとは限らない。
予想外の出来事が起きることもあれば、前提そのものが崩れることだってある。
そんな時、代わりの手段がなければ、取り返しのつかない事態になりかねない。
(……だからこそ、失敗した時のことも考えておかないとな)
大人として。
そして、今はティーパーティーのホストという立場を預かっている者として。
守るべき人たちがいる以上、一つの計画が失敗しただけで終わるような状況にはしたくない。
(……プランAが駄目でも、プランBがある)
もちろん、予備の計画を増やした結果、かえって危険が大きくなるなら本末転倒だ。
実行するかどうかは、慎重に判断する必要がある。
(……問題は、誰に相談するかだけど)
俺は、改めてヒナを見た。
先生とお茶を飲みながら、何やら話している。
その横では、ツルギが静かに警戒を続けていた。
(……やっぱり、この二人の力は大きいよな)
ヒナには、情報を集め、状況を判断する能力がある。
ツルギには、実際に危険な事態へ対処できる力がある。
そして、先生には、俺一人では思いつかない選択肢を見つけてくれるかもしれないという期待があった。
(……でも、何も説明せずに協力だけ求めるのは違うよな)
事情を隠したまま、危険な役割を押しつける。
それでは、先ほど先生と話したことにも反してしまう。
(……まあ、元々俺も、先生と考え方は似てるんだけどな)
一人で答えを決めつけず、ほかの人の意見も聞く。
できるだけ多くの人を助けるために、最後まで方法を探す。
先生との会話で、その考え方が間違っていないと思えたのは大きかった。
(……だったら、ちゃんと相談しよう)
問題は、プランBを実行するかどうかではない。
相談するために、どこまで自分の事情を話すかだ。
先生には、いずれ自分の正体を明かすつもりだった。
だが、ヒナとは今日初めて会ったばかりだ。
ツルギだって、護衛として同行してくれているとはいえ、こんな話を聞かされるとは思っていないだろう。
(……いきなり、俺は本物の桐藤ナギサじゃありません、なんて言われてもなぁ)
簡単に信じてもらえるとは思えない。
むしろ、疑われる方が自然だ。
ナギサの身体を使っている正体不明の誰か。
そう考えれば、何か悪いことを企んでいるのではないかと警戒されてもおかしくない。
(……先生やツルギに、今までと同じように接してもらえる保証もないよな)
先生はきっと、最後まで話を聞こうとしてくれるだろう。
ツルギも、すぐに敵だと決めつけるような人ではないと思う。
けれど、それと俺を信じてくれるかどうかは別の話だ。
何よりツルギには、トリニティの生徒を守るという立場がある。
正体の分からない人間がティーパーティーのホストとして振る舞っていると知れば、警戒するのは当然だろう。
ヒナにしても同じだ。
ゲヘナの風紀委員長として、エデン条約に関わる重大な話を聞いてしまえば、知らなかったことにはできないかもしれない。
ただでさえ忙しい彼女に、余計な調査や判断を背負わせることになる。
(……俺のせいで、この三人に迷惑をかけることになるんだよな)
秘密を聞いたことで、三人まで面倒な立場に置いてしまうかもしれない。
しかも、協力を断られたとしても、一度知られた秘密はなかったことにはできない。
そのうえ、もっと気になることがある。
俺は、そっと自分の手を見た。
(……ナギサのことだ)
これは、俺の身体ではない。
本来の持ち主は、桐藤ナギサだ。
もし彼女が戻ってきたとき、周囲が以前と同じように接してくれるとは限らない。
俺が正体を明かしたせいで、ナギサまで疑われるようになったら?
彼女が何も知らないところで、取り返しのつかないことをしてしまったら?
(……それだけは、嫌だな)
(……ならいっそのこと、プランBは無かったことにするか?)
ふと、そんな考えが頭をよぎった。
幸い、今進めている計画にも勝算はある。
わざわざ危険を冒してまで、成功するかも分からない方法を試す必要はない。
それに、プランBを諦めれば、自分の正体を打ち明けずに済むかもしれない。
先生たちに疑われることも、ヒナやツルギに余計な迷惑をかけることも避けられる。
(……うん。それも一つの選択肢ではあるよな)
俺は、少しだけ考え込んだ。
しかし。
(……いや、待て)
それは本当に、正しい判断なのだろうか。
成功する見込みがないから諦める。
危険が大きすぎるから諦める。
それなら分かる。
だが、今の俺はどうだ?
(……結局、自分が疑われるのが怖いだけじゃないか)
もちろん、秘密を明かすことでナギサ本人や周囲に迷惑をかける可能性もある。
そこは慎重に考える必要があるだろう。
けれど、それと自分が疑われたくないという気持ちは、分けて考えなければならない。
俺は、ナギサを救うためにここにいる。
そして、できることなら、他のみんなも救いたい。
そのために使えるかもしれない手段を、自分の保身のためだけに捨てるのか?
(……それは、違うよな)
俺は、小さく息を吐いた。
そもそも、疑われたからといって、それで終わりというわけでもない。
自分が本来のナギサではないと知れば、先生たちだって警戒するだろう。
場合によっては、信用できないと言われるかもしれない。
でも。
(……だったら、信頼してもらえるように頑張ればいいだけじゃないか)
最初からすべてを信じてもらおうなんて、都合が良すぎる。
疑問を持たれたなら、できる限り説明する。
それでも信用してもらえないのなら、これからの行動で示していけばいい。
もちろん、簡単なことではないだろう。
それでも、最初から諦める理由にはならない。
(……うん。少なくとも、俺が怖いってだけで諦めるのは無しだな)
ただし、だからといって、三人に危険を押しつけていいわけではない。
協力を求めるなら、事情を説明し、本人たちの意思を確かめる必要がある。
何より、本来のナギサに不利益が及ぶ可能性については、最後まで慎重に考えなければならない。
(……まあ、話してみないことには始まらないか)
俺は、改めて三人を見た。
先生。
ヒナ。
ツルギ。
この三人なら、少なくとも真剣に話を聞いてくれると思う。
その先でどんな判断をされるのかは、分からない。
それでも。
(……よし、覚悟を決めるか)
プランBを実行するかどうかは、まだ決めなくていい。
まずは事情を話して、みんなの意見を聞こう。
そのうえで、どうするべきかを一緒に考えればいい。
ナギサを取り戻したいと思っているのに、俺自身が彼女の居場所をなくしてしまうなんて、笑えない話だ。
ただし、その前に。
一つだけ、絶対に確認しなければならないことがある。
(……こんな話、外に漏れたら大変だからな)
俺は、先生へ視線を向けた。
◇
――午後四時二十五分。
「……先生」
「ん? どうしたの、ナギサ?」
「少し、お願いしたいことがあるのですが」
「うん。何かな?」
俺は、軽く息を整えた。
「まず、エデン条約の延期については、ヒナさんのご協力をいただけるということでよろしいでしょうか?」
「ええ。風紀委員会としては賛成よ」
ヒナが頷いた。
「正式な変更については、万魔殿にも確認を取る必要があるけれど」
「……ありがとうございます」
俺は、丁寧に頭を下げた。
「日程案と必要な資料については、トリニティ側で用意いたします」
「分かったわ」
これで、今日の会談の目的は達成できた。
もちろん、万魔殿の承認はまだ残っている。
それでも、ヒナの理解を得られたことは非常に大きい。
「……それで、ナギサ」
「はい?」
先生が、少し不思議そうにこちらを見つめた。
「さっき、何かお願いがあるって言ってたよね?」
「……ええ」
俺は、小さく頷いた。
「実は、もう一つだけ、皆さんにお話ししたいことがあります」
「……話?」
ヒナが、こちらへ視線を向けた。
「はい。ですが、その前に一つ確認したいことがありまして」
「……何かしら?」
「この部屋の防諜対策についてです」
「…………」
ヒナの表情が、少しだけ真剣になった。
「……盗聴を警戒しているの?」
「ええ。念のためですが」
「……そう」
ヒナは、静かに頷いた。
「必要なら、私も確認するけれど」
「ありがとうございます。ただ、今回は先生にお願いしたいことがありまして」
「……私に?」
先生が、自分を指差した。
「はい」
俺は頷いた。
「先生。アロナさんにお願いして、この部屋の盗聴対策をしていただけませんか?」
「…………」
先生の動きが止まった。
「…………」
数秒の沈黙。
「……え?」
先生が、目を瞬かせた。
「……ナギサ、今何て?」
「アロナさんに、防諜対策をお願いしたいのですが……」
「……いや、そこじゃなくて」
先生は、少しだけ身を乗り出した。
「どうして、アロナのことを知ってるの?」
「…………」
(……あっ)
そうだった。
普通の生徒なら、アロナの存在を知っているはずがない。
(……まあ、どうせ後で全部話すんだし)
俺は、曖昧に微笑んだ。
「……それについても、後ほどご説明します」
「……そ、そうなんだ」
先生は、戸惑いながらも頷いた。
すると、ヒナが口を開いた。
「……先生、アロナというのは?」
「……えっと」
先生は、少し困ったように笑った。
「私の仕事を手伝ってくれている、大切な子だよ」
「……そう」
ヒナは、不思議そうにしていたが、それ以上は追及しなかった。
ツルギも、静かに話を聞いている。
「……分かった。ちょっと待ってね」
先生は、手元に置いていたタブレットを取り出した。
シッテムの箱。
(……おお)
俺は、思わず目を輝かせた。
(……本物だ)
先生が画面に触れる。
そして。
『先生! お呼びですか?』
突然、聞き覚えのある元気な声が聞こえた。
(……あっ!)
俺は、思わず頬を緩めた。
(……アロナだ!)
ゲームで何度も聞いた、あの声。
まさか実際に聞ける日が来るとは。
『今日は何のお手伝いでしょうか? アロナにお任せください!』
「うん。ちょっとお願いがあってね」
先生が答える。
すると。
「……あの、アロナさん」
『……はい?』
俺は、思わず声をかけていた。
「初めまして。桐藤ナギサと申します」
『……え?』
「いつも先生のお手伝い、お疲れさまです」
『…………』
少しの沈黙。
そして。
『ええええっ!?』
アロナの驚いた声が響いた。
『せ、先生!? 今、誰かアロナに話しかけませんでしたか!?』
「……うん」
先生も、目を丸くしていた。
「……ナギサ?」
「……はい?」
「今、アロナの声が聞こえたの?」
「……ええ」
俺は頷いた。
「とても元気な声が聞こえましたよ」
「…………」
先生が、固まった。
『えっ!? ええっ!?』
アロナも驚いている。
『ど、どういうことですか!? アロナの声は先生にしか聞こえないはずなのに!』
「……ああ、そうでしたね」
俺は、思わず苦笑した。
(……そういえば、そんな設定だったな)
原作でも、アロナの声は基本的に先生にしか聞こえなかったはずだ。
どうやら、今の俺は例外らしい。
「……ナギサ」
先生が、真剣な表情でこちらを見つめた。
「本当に、アロナの声が聞こえてる?」
「はい」
俺は、静かに頷いた。
「少なくとも、今の驚いた声ははっきりと」
『えええっ!? 何でですかぁ!?』
「……今も、とても驚いていらっしゃいますね」
「…………」
先生は、少しだけ額に手を当てた。
「……ちょっと待って。情報が多い……」
(……あっ、また先生が困ってる)
少し申し訳なくなった。
すると、ヒナが不思議そうに尋ねた。
「……先生、さっきから何の話をしているの?」
「……そうだね。ちょっと説明が難しいんだけど……」
「……声?」
ツルギも、首を傾げた。
「……何も、聞こえないぞ」
「……そうでしょうね」
俺は、静かに答えた。
少なくとも、ヒナとツルギには聞こえていないらしい。
(……となると、やっぱり今の俺が特殊なのか)
これも、後で考える必要がありそうだ。
「……先生」
「……うん?」
「驚かせてしまって申し訳ありません。ですが、先に防諜対策をお願いできませんか?」
「……ああ、そうだったね」
先生は、気を取り直した。
「アロナ、ちょっとお願いしてもいい?」
『……はっ! はい、先生!』
アロナも、ようやく落ち着いたらしい。
「この部屋で、これから大事な話をするんだ。盗聴器や不審な通信がないか、確認してもらえるかな?」
『分かりました! 調べてみますね!』
先生の言葉に、アロナが元気よく答えた。
しばらくの間。
『……むむむ』
何やら考え込んでいるような声が聞こえる。
『……はい! 確認できる範囲では、不審な通信や盗聴器は見つかりませんでした!』
「ありがとう、アロナ」
『えへへ! どういたしまして!』
「念のため、端末からの録音や外部への送信についても、できる範囲で対策をお願いできる?」
『はい! 周囲の機器を確認して、必要な対策をしておきます!』
アロナが答える。
少しして、再び声が聞こえた。
『できました、先生! ただし、私の確認できない方法まで全部防げるわけではありませんので、そこは気をつけてくださいね!』
「うん。ありがとう」
先生は、満足そうに頷いた。
(……さすがアロナだな)
もちろん、これで絶対に安全だと断言できるわけではない。
しかし、電子的な盗聴を警戒するうえでは、大きな安心材料になるだろう。
「……ツルギさん」
「……何だ?」
「申し訳ありませんが、念のため廊下の警備も確認していただけますか?」
「……ああ」
ツルギは、すぐに頷いた。
「……任せろ」
扉の外にいる護衛の生徒たちと、短く言葉を交わす。
そして、すぐに戻ってきた。
「……問題ない。周囲は、警戒させている」
「ありがとうございます」
俺は、丁寧に頭を下げた。
これで、できる限りの準備は整った。
◇
「……それで、ナギサ」
先生が、静かに口を開いた。
「そろそろ、説明してもらえるかな?」
「……はい」
俺は、小さく頷いた。
ヒナも、ツルギも、真剣な表情でこちらを見つめている。
「……まず、確認させて」
ヒナが、静かに口を開いた。
「今から話すことは、エデン条約に関係しているの?」
「……はい」
俺は、少し考えてから答えた。
「それもあります。ですが、まずは私自身についてのお話になります」
「……あなた自身?」
「ええ」
ヒナは、少しだけ眉をひそめた。
「……分かったわ。聞かせて」
ツルギも、小さく頷いた。
「……ああ」
そして、先生の持つシッテムの箱からも。
『……あの、私も聞いていいんでしょうか?』
アロナの声が聞こえた。
「……もちろんです」
俺は、微笑んだ。
「むしろ、アロナさんにも聞いていただきたいと思っています」
『……は、はい!』
元気な返事が聞こえる。
(……さて)
ここまで来たら、もう引き返すつもりはない。
先生。
ヒナ。
ツルギ。
そして、アロナ。
この四人なら、少なくとも真剣に話を聞いてくれるはずだ。
それでも、打ち明けた後にどう思われるかまでは分からない。
何より、これからのことを考えれば、協力してもらいたい。
(……ナギサ、ごめんな)
君に相談もなく、勝手に秘密を話してしまうことになる。
けれど、これは君を取り戻すためでもあるんだ。
(……だから、少しだけ許してくれよ)
俺は、静かに息を整えた。
「……先生、ヒナさん、ツルギさん」
三人の顔を、順番に見つめる。
「これからお話しすることは、非常に信じがたい内容かもしれません」
「…………」
「ですが、できれば最後まで聞いていただきたいのです」
先生が、小さく頷いた。
「……うん。分かった」
ヒナも、静かにこちらを見つめている。
「……聞かせてもらうわ」
「……ああ」
ツルギも、短く答えた。
俺は、もう一度息を吸った。
(……よし)
ずっと隠してきた、俺自身の秘密。
それを、初めて誰かに打ち明ける時が来た。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
今回はヒナとの交渉が予想以上に早くまとまりました。
そして、思わぬひらめきから、ついに自分の秘密を打ち明ける決意をした主人公。
次回は、いよいよ正体の告白です!
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