果たして先生たちは、この信じがたい話をどう受け止めるのでしょうか。
楽しんでいただければ嬉しいです!
「……私は、本来の桐藤ナギサではありません」
その言葉を口にした瞬間、室内の空気が変わった。
「…………」
先生は驚いたように目を見開き、ヒナはわずかに眉をひそめている。
そして、ツルギは。
「……何?」
低い声を上げた。
「……ナギサ様では、ない?」
「……はい」
「…………」
ツルギの表情が険しくなる。
先ほどまでとは明らかに違う、警戒するような眼差しだった。
(……予想はしてたけど、ツルギにここまで警戒されると辛いなぁ)
当然の反応だとは分かっている。
正義実現委員会の委員長として、トリニティの生徒たちを守る立場にあるのだ。
そのホスト本人が、自分は別人だと言い始めた。
警戒しない方がおかしい。
(……でも、やっぱりちょっと傷つくよな)
ここまでの短い付き合いとはいえ、少しは仲良くなれたと思っていたのだ。
「……ナギサ」
先生が、静かに口を開いた。
「もう少し詳しく聞かせてもらえるかな?」
「……もちろんです」
俺は、小さく頷いた。
「信じられないお話だとは思いますが、私は元々、このキヴォトスとは別の世界で暮らしていた人間です」
「……別の世界?」
ヒナが、不思議そうに首を傾げた。
「はい。ですが、ある日目を覚ますと、なぜかナギサさんの身体になっていました」
「…………」
「どうしてこうなったのかは、私自身にも分かりません」
そこまで説明したところで、ツルギが口を開いた。
「……待て」
「……はい?」
「……なら、本物のナギサ様はどこにいる?」
(……やっぱり、そこが一番気になるよな)
俺は、少しだけ息を整えた。
「……おそらくですが、見当はついています」
「……何?」
ツルギが、こちらを見つめた。
「……どこだ?」
「この身体の中……私の意識の、さらに奥深くではないかと考えています」
「……意識の、奥?」
「はい」
俺は、小さく頷いた。
「恐らく、今はそこで眠っているような状態なのではないかと思うのです」
「……眠っている?」
「ええ。もっとも、実際に確認できたわけではありませんが」
「…………」
「ですが、少なくとも私は、ナギサさんが今も生きていると考えています」
ツルギの表情が、わずかに変わった。
「……理由は?」
「……ヘイローです」
「……ヘイロー?」
「はい」
俺は、自分の頭上を見上げた。
「この身体には、今もナギサさんのヘイローが存在しています」
「……それが、何か関係しているの?」
ヒナが尋ねた。
「……はい。実は、私は元々ナギサさんのヘイローがどのような形をしているのか、知っていました」
「……知っていた?」
「はい。そして、この身体で目覚めた後、自分でもヘイローの形を確認しました」
あの日、鏡に映っていた光の輪。
それは、俺が以前から知っていたものと同じ形をしていた。
「……さらに、先ほど先生にも確認していただきましたよね?」
「……うん」
先生が頷いた。
「茨の冠みたいな形をしている、って話したね」
「……はい」
俺は、小さく微笑んだ。
「先生が説明してくださった特徴も、私が知っていたものと一致しています」
「…………」
「つまり、私が以前から知っていたナギサさんのヘイロー、この身体で確認したヘイロー、そして先生が確認してくださったヘイロー」
俺は、静かに続けた。
「その三つが、すべて同じなのです」
「……なるほど」
ヒナが、小さく頷いた。
「……でも、一つ気になることがあるわ」
「……何でしょうか?」
「どうして、別の世界にいたあなたが、ナギサのヘイローを知っていたの?」
(……まあ、当然の疑問だよな)
俺は、少しだけ苦笑した。
「……それについても、後ほど必ずご説明します。ですが、まずはヘイローについてのお話を続けさせていただけませんか?」
「……そう」
ヒナは、少し考え込んだ。
「分かったわ。続きを聞かせて」
「ありがとうございます」
俺は、先生へ視線を向けた。
「先生、一つ確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
「うん。何かな?」
「先生が今まで見てこられたヘイローは、人によってそれぞれ違った形をしていましたか?」
「……そうだね」
先生は、少し考えてから頷いた。
「少なくとも、私が今まで見てきた生徒たちのヘイローは、それぞれ違う形をしていたよ」
「……ありがとうございます」
俺は、小さく頷いた。
「もし、今のヘイローがナギサさんのものではなく、私自身のものだったとしたら……」
俺は、静かに続けた。
「偶然、まったく同じ形になる可能性は、かなり低いと思うのです」
「…………」
「そもそも、元の私はヘイローを持っていませんでした」
俺は、再び自分の頭上を見上げた。
「それなのに、今ここにあるのは、ナギサさんと同じヘイローです」
「……つまり」
ヒナが、ゆっくりと言葉を選んだ。
「あなた自身が新しくヘイローを持ったというより、ナギサのヘイローがそのまま残っていると考えているのね?」
「……はい」
俺は頷いた。
「少なくとも、私にはその方が自然に思えます」
「…………」
「そして、もし彼女のヘイローが今も残っているのであれば……」
俺は、少しだけ目を伏せた。
「ナギサさん自身も、まだどこかにいるのではないかと思うのです」
もちろん、ヘイローの一致だけで意識の無事まで証明できるわけではない。
俺の知らない仕組みが働いている可能性だってある。
それでも、俺は最初から彼女が死んだとは思っていなかった。
今回の一致は、その考えを支える大きな根拠だった。
「……なるほどね」
ヒナは、静かに頷いた。
「確かに、まったく無関係な人間のヘイローが偶然同じ形になると考えるよりは、筋が通っているわ」
「……ありがとうございます」
「もちろん、それだけで本人が生きていると証明できるわけではないけれど」
「……ええ。承知しています」
すると、先生が少し考え込むように口を開いた。
「……でも、ナギサ。一つ気になることがあるんだ」
「……何でしょうか?」
「本来のナギサが眠っているのなら、どうしてヘイローが消えていないんだろう?」
「……ああ、それですか」
俺は、小さく頷いた。
「実は、私もそこが気になっているのです」
キヴォトスの生徒たちは、眠っている間、ヘイローの光が消える。
それなのに、今の俺の頭上には、ナギサのヘイローが存在している。
「……私が目覚めているからなのか、それともナギサさん自身が眠っているわけではないのか……」
俺は、少しだけ首を傾げた。
「残念ながら、そこまでは分からないのです」
「……そっか」
先生も、難しそうな顔で頷いた。
「そうなると、本来のナギサが今どういう状態なのかも、まだ分からないんだね」
「……ええ。ただ、一つ考えていることがあります」
「……何かな?」
俺は、少しだけ目を伏せた。
「……もしかすると、ナギサさんは、もう起き上がる気力さえ失ってしまっているのかもしれません」
「……起き上がる、気力?」
ツルギが、小さく聞き返した。
「……はい」
俺は、静かに頷いた。
「何もかも嫌になって、生きる希望さえ失ってしまった。だから、意識の奥深くに沈んだまま、戻ってこられないのではないかと……」
「…………」
「そして、その結果として、私の意識が代わりに表へ出てきてしまったのかもしれません」
もちろん、確かな証拠があるわけではない。
そもそも、どうして俺の意識がこの身体に入り込んだのかも分かっていないのだ。
ただ、目覚めた時の状況を考えると、その可能性を捨てきれなかった。
「……ですが、それが本当なら」
俺は、小さく息を吐いた。
「今は無理に起こそうとするよりも、ナギサさんがもう一度生きたいと思えるようにすることが大切なのかもしれませんね」
「…………」
ツルギは、しばらく黙っていた。
そして。
「……待ってくれ」
「……はい?」
「……なぜ、ナギサ様がそこまで追い詰められていると分かる?」
その声には、先ほどまでの警戒だけでなく、不安も滲んでいた。
「……それについては、目覚めた時の状況から、ある程度の心当たりがあります」
「……何だ?」
俺は、一度息を整えた。
「……本来のナギサさんは、自ら命を絶とうとしていた可能性があるのです」
「…………」
「……は?」
ツルギが、呆然とした声を漏らした。
「……自殺……?」
「……はい」
「……ナギサ様が……?」
先ほどまでの警戒とは違う。
今度は、純粋な驚きと動揺がその顔に浮かんでいた。
「……どうして、そんなことが分かる?」
「……それについては、ある程度の根拠があります」
俺は、あの日のことを思い出した。
「目覚めた時、部屋には二種類の薬の空き瓶がありました。それに、私自身も強い吐き気や頭痛に襲われていたのです」
「…………」
「ただ、それだけでは事故の可能性もありますので、ナギサさんの日記を確認しました」
「……日記?」
ヒナが尋ねた。
「はい。本来なら勝手に読むべきものではありませんが、自分の置かれた状況を把握するため、仕方なく読ませていただきました」
俺は、少しだけ目を伏せた。
「そこには、セイアさんを失った悲しみや、自分を責め続ける言葉が書かれていました」
「…………」
「さらに、周囲への疑心暗鬼や、ティーパーティーのホストとしての重圧……。誰にも弱音を吐けず、眠ることさえできなくなっていたようです」
ツルギが、悲しそうに目を伏せた。
「……ナギサ様……」
「そして、日記の最後には、こんな言葉が残されていました」
俺は、一度息を整えた。
「……『もし、明日の朝が来なければ』」
「…………」
「その先は、何も書かれていませんでした」
重い沈黙が流れた。
「もちろん、ご本人に確認できたわけではありません。ですが、日記の内容と薬のことを考えると……」
俺は、静かに続けた。
「自ら命を絶とうとした可能性が高いと、私は考えています」
しばらく、誰も口を開かなかった。
「……そうか」
やがて、ツルギが小さく呟いた。
「……そこまで、追い詰められていたのか……」
その表情には、先ほどまでの警戒よりも、深い悲しみが浮かんでいた。
先生も、辛そうに目を伏せている。
ヒナは、静かに頷いた。
「……確かに、それなら自殺を疑うのも無理はないわね」
「……はい」
俺は、小さく頷いた。
「……それで、身体の方は大丈夫なの?」
先生が、心配そうに尋ねてきた。
「……今はかなり回復しています」
「……ナギサ。薬を大量に飲んだ可能性があるなら、今は症状が落ち着いていても、ちゃんと診てもらった方がいいよ」
「……ええ。私もそう思っています」
「……それなら、もう診てもらったの?」
「……いえ、まだなのです」
先生が、少しだけ眉をひそめた。
「……ナギサ?」
「……あっ、いえ! 決して身体のことを軽く考えていたわけではありませんよ?」
俺は、慌てて説明を始めた。
「実は、元々ナギサさんが一人で引き受けていた仕事が非常に多くありまして……」
思い返しても、なかなか恐ろしい量だった。
「それらを少しずつ整理して、他の方々にお願いできるものは振り分けていたのです」
「……なるほど」
「おかげで、ようやく時間に余裕ができるようになりました」
俺は、小さく微笑んだ。
「ただ、先生やヒナさんには、どうしても今日お会いしておきたかったものですから」
「……私たちに?」
ヒナが、少し不思議そうに首を傾げた。
「はい。エデン条約の件もありますし、先生には補習授業部についてもご相談したかったので」
俺は頷いた。
「ですので、この会談が終われば、ようやくまとまった時間が取れる予定なのです」
「……そうだったんだね」
先生は、小さく頷いた。
「でも、それなら診察を先に受けてもよかったんじゃないかな?」
「……それは、ごもっともです」
俺は、苦笑した。
「ただ、今回の件については、できるだけ早くお二人とお話ししたかったのです」
(……もちろん、言い訳にならないのは分かってるけどな)
身体のことは、俺自身もずっと気にしていた。
何しろ、いつか本来のナギサに返さなければならない身体なのだ。
これ以上、無理をさせるつもりはない。
「……ですが、ご安心ください」
俺は、改めて先生を見つめた。
「このお話が終わり次第、救護騎士団へ向かうつもりです。すでに仕事も振り分けていますので、今度はきちんと休む時間も取れますよ」
「……うん」
先生は、ようやく少し安心したように微笑んだ。
「それならよかった。でも、絶対に後回しにしないでね?」
「ふふっ。はい、お約束します」
俺は、静かに頷いた。
(……まあ、確かに先生の言う通りだな)
せっかく仕事を減らしたのだから、今度こそちゃんと休まないと。
ナギサのためにも、俺自身のためにも。
すると、ヒナも小さく頷いた。
「……仕事を人に任せられるようになったのは、良いことだと思うわ」
「……ありがとうございます」
「でも、自分の身体も大切にしなさいね」
「……はい」
(……ヒナにまで言われてしまった)
俺は、少しだけ苦笑した。
◇
「……それで」
しばらくして、ヒナが口を開いた。
「あなた自身についても、もう少し聞かせてもらえるかしら?」
「……もちろんです」
「別の世界から来たと言っていたけれど、元々はどんな人だったの?」
「……そうですね」
俺は、少し考えた。
「特別な力を持っていたわけでもない、ごく普通の大人ですよ」
先生が、興味深そうに尋ねた。
「……どんな生活をしていたの?」
「……元々の私、ですか?」
「うん」
(……ああ、そうだな)
せっかく正体を明かしているのだ。
少しくらい、元の自分として話してみてもいいだろう。
俺は、意識して普段の話し方を崩してみた。
「まあ、普通に働いてましたよ。特別すごい人間だったわけでもないですし、こういう政治的な仕事なんて専門外です」
「…………」
「それに、正直言うと、最初は本当に焦ったんですよ。目が覚めたら知らない部屋で、身体も女の子になってるし」
俺は、肩をすくめた。
「いやぁ、あの時は本当に何が起きたのか分からなかったなぁ」
「…………」
「でもまあ、なっちゃったものは仕方ないですし。とりあえず何とかしようと思って――」
「……待て」
「……ん?」
ツルギが、困惑したようにこちらを見つめていた。
「……喋り方が、違うぞ」
「ああ、これですか?」
俺は、小さく笑った。
「これが元々の俺の喋り方ですよ。今までのはナギサに合わせてただけで……」
「…………」
ツルギは、少しだけ顔をしかめた。
「……違和感が、すごいな」
「……あはは、やっぱり?」
俺は、思わず苦笑した。
「まあ、この姿で男の口調ですからね。俺も結構違和感があるんですよ」
「…………」
先生は、少しおかしそうに笑っていた。
「確かに、全然印象が違うね」
「……そうでしょうね」
俺は、軽く咳払いした。
「では、いつもの話し方に戻しますね」
そして。
「ふふっ。こうしてお話しする方が、皆さんも落ち着くでしょう?」
「…………」
ツルギが、目を丸くした。
「……戻った!?」
「……ええ」
「……そんな簡単に?」
「はい」
俺は微笑んだ。
「実は、この身体にはナギサさんの記憶や感情が残っているようなのです」
「……記憶と、感情?」
「ええ。言葉遣いや振る舞いも、自然と身についているようでして」
俺は、少しだけ苦笑した。
「むしろ、今では意識して崩さないと、元の口調が出てこないくらいです」
他にも、初めて見るはずの書類の内容が理解できたり、知らないはずの場所へ迷わず行けたりすることがある。
それだけではない。
時折、ナギサのものと思われる記憶とともに、不安や悲しみが流れ込んでくることもあった。
「……ですので、完全に別人になったというわけでもないのかもしれません」
俺は、静かに続けた。
「ただ、今こうして皆さんとお話ししている意識が、本来のナギサさんではないことは確かです」
「……そうなのか」
ツルギが、少しだけ考え込んだ。
そして。
「……器用だな」
(……そこを褒めるのか)
思わず笑いそうになる。
先ほどまであれほど警戒していたツルギも、今は少し困惑しながら話を聞いてくれている。
先生も、小さく笑っていた。
(……少しは、緊張もほぐれてきたかな)
そう思っていると、ヒナが改めて口を開いた。
「……ところで、一つ気になることがあるのだけれど」
「……何でしょうか?」
「あなた、今の身体は本来のナギサのものだと言ったわね?」
「……ええ」
「……それについて、どう考えているの?」
「……そうですね」
俺は、少し考えた。
「今はお借りしている立場ですので、できるだけナギサさんの意思を尊重したいと思っています」
「……そう」
ヒナは、小さく頷いた。
「……それなら、もう一つ聞くけれど」
「……はい?」
「あなた、元々は男性だったのよね?」
「……ええ。そうですよ」
「…………」
ヒナの目が、すっと細められた。
「……あなた」
「……はい?」
「まさか、ナギサの身体で変なことをしていないでしょうね?」
「…………」
(……えっ)
予想外の質問だった。
しかも、ヒナの視線が妙に鋭い。
「……も、もちろん何もしていませんよ!」
「……本当に?」
「本当です!」
俺は、慌てて首を振った。
「そもそも、勝手に身体を借りている立場なのですから、彼女が嫌がるようなことは……」
そこまで言って、口が止まった。
「…………」
(……あっ)
ヒナの目が、さらに細められた。
「……何か、あるのね?」
「……い、いえ、その……」
(……どうしよう)
嘘をつくつもりはない。
しかし、正直に話すのも少々恥ずかしい。
「……その、お風呂に入る時だけは、少々……」
「……お風呂?」
「……はい」
俺は、少しだけ顔を赤くした。
「さすがに目を閉じたまま入浴するのは危険ですので……」
「…………」
「……必要な範囲で、少しだけ見てしまいました」
沈黙。
そして。
「……それだけ?」
「……はい。それだけです!」
俺は、慌てて頷いた。
「本当に、それ以上のことは何もしていません!」
ヒナは、しばらくじっとこちらを見つめていた。
そして。
「……そう」
小さくため息をついた。
「それなら、仕方ないわね」
「……ありがとうございます」
(……助かったぁ……)
俺は、内心で胸を撫で下ろした。
すると。
「……ククッ」
隣から、小さな笑い声が聞こえた。
「……ツルギさん?」
「……いや」
ツルギは、少しだけ視線を逸らした。
「……何でもない」
(……絶対笑ってたよな)
俺は、少しだけ頬を膨らませそうになった。
そんな俺を見て、先生まで笑いを堪えている。
「……先生まで」
「……ごめん、ごめん」
先生は、口元を押さえた。
「でも、少し安心したよ」
「……安心、ですか?」
「うん」
先生は、穏やかに微笑んだ。
「ちゃんと、ナギサのことを大切に考えているんだなって」
「…………」
俺は、少しだけ目を見開いた。
そして。
「……ありがとうございます」
小さく微笑んだ。
◇
「……ところで、一つ確認してもいいかしら?」
ヒナが、改めて口を開いた。
「はい。何でしょうか?」
「あなた自身にも、どうしてナギサの身体に入ったのか分からないのよね?」
「……ええ」
俺は、小さく頷いた。
「目覚めた時には、すでにこの身体でしたので」
「……そう」
「恐らく、神秘のようなものが関係しているのではないかと考えています」
「……神秘?」
「はい。もっとも、証拠は何もありません。あくまで私の推測です」
ヒナは、少し考え込んだ。
「……確かに、神秘が関係しているなら、そういう現象が起きる可能性も否定できないわね」
「……そうですね」
「でも、それだけでは説明がつかない部分も多いわ」
「……ええ。私自身、原因は知りたいと思っています」
少なくとも、自分の意思でこの身体を奪ったわけではない。
そのことだけは、はっきりしている。
「……それで、一つ聞いてもいいかしら?」
「はい」
「どうして、私たちに正体を明かそうと思ったの?」
「……そうですね」
俺は、少し考えた。
「最初は、先生にだけ相談するつもりでした」
「……私に?」
「はい」
俺は頷いた。
「先生なら、今の私に起きていることについて、一緒に考えてくださると思いましたので」
先生は、小さく微笑んだ。
「……そっか」
「ですが、先ほど思いついたことについて考えているうちに、少し考えが変わりまして」
「……考えが?」
「ええ」
俺は、静かに続けた。
「これから皆さんに協力をお願いするのであれば、事情を説明するべきだと思ったのです」
「…………」
「何も知らされないまま、危険な仕事を任されても困るでしょう?」
ヒナは、小さく頷いた。
「……そうね」
「それに、私は元々大人ですから」
俺は、少しだけ胸を張った。
「報告・連絡・相談。いわゆる報連相は、社会人として基本中の基本です」
「……報連相?」
先生が、少し不思議そうに聞き返した。
「はい」
俺は頷いた。
「仕事で問題が起きた時、必要な情報を共有することは非常に大切なのです」
俺は、少しだけ苦笑した。
「実は、私自身も昔、それを怠って失敗したことがありまして」
「……失敗?」
「ええ」
俺は、少し苦い気持ちになった。
「仕事で問題が見つかった時、自分で何とかできるだろうと思って、上司への報告を後回しにしたことがありました」
「…………」
「ですが、結局一人では解決できず、報告した時にはすでに別の人の作業にも影響が出てしまっていたのです」
あの時のことは、今でも覚えている。
問題を隠そうとしたわけではなかった。
自分で解決した方が早いと思っただけだ。
だが、その判断が間違っていた。
「……その時に、気づいたのです」
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
「報連相は、単に仕事を円滑に進めるためだけのものではありません」
「……?」
「問題を早く共有することで、周囲の人が別の選択肢を考えることもできるのです」
俺は、少しだけ言葉に力を込めた。
「自分一人では無理だと思ったことでも、他の人なら解決できるかもしれない」
「…………」
「それなのに、情報を抱え込んでしまったら、その可能性すらなくなってしまうでしょう?」
先生は、静かに頷いた。
「……うん。その通りだね」
「……それに」
俺は、思わず拳を握った。
「そもそも、相談するのは恥ずかしいことじゃないんです」
あの日記を思い出す。
誰にも弱音を吐けず、たった一人で仕事を抱え込み続けていた少女。
頼れる友人がいたはずなのに。
心配してくれる人がいたはずなのに。
最後には、自ら命を絶とうとするほど追い詰められてしまった。
「……一人で全部できる人間なんて、そうそういないんです」
自然と、声が強くなった。
「分からないことがあったら聞けばいい。困ったことがあったら相談すればいい」
「…………」
「それなのに、変な責任感で全部自分一人で抱え込んで……」
俺は、思わず言葉を詰まらせた。
「……俺は、そういうのが一番嫌なんだ」
「…………」
「だって、誰かに一言相談していれば、防げたかもしれないんですよ?」
知らず知らずのうちに、元の口調が出ていた。
「たった一言、助けてくれって言えていれば、違う結果になったかもしれない」
あの日のナギサに、誰かがそう伝えてくれていたら。
あるいは、俺がもっと早くこの世界に来ていたら。
そんな、今さらどうしようもない考えが頭をよぎる。
「……だから、俺は同じ失敗を繰り返したくないんです」
俺は、まっすぐ三人を見つめた。
「自分一人で抱え込んで、誰にも相談できずに、取り返しがつかなくなるなんて……」
そこで、ようやく我に返った。
「…………」
(……あっ)
また、口調が戻っていた。
しかも、今度は意識したわけではない。
感情が高ぶって、自然と出てしまったのだ。
「……失礼しました」
俺は、軽く咳払いした。
「少々、熱くなってしまいましたね」
いつものように、穏やかに微笑む。
「ですが、今お話ししたことは、私の本心です」
俺は、改めて三人を見つめた。
「皆さんに協力をお願いするのであれば、必要な情報をお伝えするのは当然のことです」
「…………」
「それに、自分が何者なのかも分からない相手から、危険な仕事を頼まれても困るでしょう?」
ヒナは、小さく頷いた。
「……そうね」
「これは、皆さんに対する誠意でもあります」
そして、少しだけ微笑んだ。
「何より、私は皆さんを信頼したいと思っていますから」
しばらくの間、誰も言葉を発しなかった。
最初に口を開いたのは、ヒナだった。
「……なるほど」
ヒナは、静かに頷いた。
「正直、最初は何を言い出すのかと思ったわ」
「……そうでしょうね」
俺は、苦笑した。
「いきなり別人だと言われても、簡単には信じられませんから」
「……ええ」
ヒナは、こちらをまっすぐ見つめた。
「でも、今の話を聞いて、少し考えが変わったわ」
「……え?」
「あなたは、都合のいいことだけを話しているわけじゃないもの」
ヒナは、静かに続けた。
「自分の失敗も、分からないことも、隠さず話している」
「…………」
「それに、何より責任感がある」
「……責任感、ですか?」
「ええ」
ヒナは頷いた。
「少なくとも、あなたが本来のナギサを大切に思っていることは伝わったわ」
そして、少しだけ表情を和らげた。
「……それに」
ヒナは、ちらりと先生を見た。
「あなた、少し先生に似ているわね」
「……え?」
俺は、思わず目を瞬かせた。
「……私が、先生に?」
「ええ」
ヒナは、小さく微笑んだ。
「生徒のことを考えて、何とかしようとするところとか」
「…………」
「それに、全部を自分の責任だと思ってしまいそうなところも」
「……あはは」
先生が、少し困ったように笑った。
「それ、褒められてるのかな?」
「……もちろんよ」
ヒナは、当然のように答えた。
「ただし、先生も少しは自分のことを大切にしてほしいけれど」
「……うっ」
先生が、言葉に詰まった。
(……ああ、これは心当たりがある反応だな)
思わず頬が緩む。
「……だから」
ヒナは、改めてこちらを見つめた。
「今の話がすべて事実かどうかは、まだ分からない」
「……はい」
「でも、あなたが信用に値する人なのかどうかは、少し分かった気がするわ」
「…………」
「少なくとも、私はあなたの話を最後まで聞くつもりよ」
俺は、思わず頬を緩めた。
「……ありがとうございます」
そして。
「……私も」
ツルギが、静かに口を開いた。
「……少し、分かった気がする」
「……ツルギさん?」
「……最初は、正直に言えば……警戒した」
「……はい」
「……ナギサ様の身体に、別人がいると言われたからな」
ツルギは、少しだけ目を伏せた。
「……だが」
そして、こちらを見つめる。
「……お前は、ナギサ様を戻そうとしている」
「……はい」
「……それに、さっきの話」
ツルギは、少しだけ考え込んだ。
「……皆に頼ることが大切だと、そう言ったな」
「……ええ」
「……それは、先生がさっき言っていたことにも似ている」
俺は、少しだけ目を見開いた。
一人で抱え込まず、皆と一緒に別の選択肢を探す。
あの時の言葉を、ツルギも覚えていてくれたらしい。
「……だから」
ツルギは、静かに続けた。
「……少なくとも、今すぐお前を敵だと決めつけるつもりはない」
「…………」
「……話を、聞く」
俺は、思わず頬を緩めた。
「……ありがとうございます」
そして、少しだけ頭を下げた。
(……よかった)
つい先ほどまで、正体を明かした後にどう思われるか、散々悩んでいた。
今だって、すべてを信用してもらえたわけではない。
それでも。
(……ちゃんと、話してよかったな)
俺は、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
◇
「……ただし」
ツルギが、改めて口を開いた。
「……一つだけ、聞いてくれ」
「……何でしょうか?」
ツルギは、少しだけ目を伏せた。
「……ナギサ様は、今も生きていると……そう言ったな」
「……はい」
「……なら」
ツルギは、ゆっくりと顔を上げた。
「……頼む」
その声は、先ほどまでの威圧感が嘘のように静かだった。
「……ナギサ様を、戻してやってくれ」
「…………」
俺は、少しだけ目を見開いた。
そこにあったのは命令でも、疑いでもない。
ただ、ナギサの無事を願う、一人の少女の切実な思いだった。
「……はい」
俺は、まっすぐツルギを見つめた。
「必ず、ナギサさんを取り戻す方法を探します」
「……ああ」
ツルギは、小さく頷いた。
「……頼んだ」
俺は、静かに微笑んだ。
(……本当に、いい子だな)
今度こそ、ナギサが戻ってきた時には、こんなふうに心配してくれる人がいることを知ってほしい。
そう思いながら、俺は改めて彼女を取り戻すことを心に誓った。
◇
「……あれ?」
その時、先生が何かに気づいたように口を開いた。
「……どうかなさいましたか?」
「いや、そういえば……」
先生は、少し困ったように笑った。
「ナギサ……って呼んでいいのかな?」
「……ああ」
俺は、思わず小さく笑った。
「そういえば、まだ名前をお伝えしていませんでしたね」
「……うん」
「……そうですね」
少しだけ考えてから、答える。
「まあ、僕のことは『ナギ』と呼んでいただければ」
「……ナギ?」
「はい」
俺は微笑んだ。
「元々の名前も、ナギでしたので」
「……そうなんだ」
先生が、少し驚いたように頷いた。
「ナギサと似ているね」
「ふふっ。そうですね」
俺も、不思議な偶然だと思っていた。
まさか、名前まで少し似ている少女の身体に入り込むことになるとは。
「……じゃあ、ナギ」
「……はい」
先生が、改めてこちらを見つめた。
「一つ、聞いてもいいかな?」
「もちろんです」
「さっきの話で気になったんだけど、ナギは私と同じようにヘイローの形を見分けられるんだね?」
「……ああ、それですか」
俺は、小さく頷いた。
「はい。少なくとも、皆さんのヘイローは、それぞれ違った形に見えています」
「……そうなんだ」
先生は、少し考え込んだ。
「でも、普通はそこまで細かく見分けられないはずなんだよね。どうしてナギには見えるんだろう?」
「……そうですね」
俺は、少しだけ考えた。
(……そういえば、アロナの声も聞こえたんだよな)
少し前、先生がアロナを呼び出した時のことを思い出す。
普通の生徒には聞こえないはずの声。
それなのに、今の俺にははっきりと聞こえていた。
(……もしかして)
一つの可能性が浮かんだ。
「……恐らくですが」
「……うん?」
「私が、元々先生としてプレイしていたからかもしれません」
「…………」
「先生の視点で物事を見ていたからこそ、今もヘイローの形を認識できるのではないかと」
俺は、静かに続けた。
「それに、アロナさんの声が聞こえたことも、その影響なのかもしれませんね」
「…………」
『……えっ!?』
シッテムの箱から、アロナの声が聞こえた。
『そうなんですか!?』
「……いえ、あくまで推測ですよ」
『……な、なるほど……』
アロナも、少し考え込んでいるようだった。
もちろん、実際のところは分からない。
ヘイローの形を見分けられることと、アロナの声が聞こえること。
その二つに、本当に関係があるのかも不明だ。
「……ちょっと待って、ナギ」
先生が、戸惑ったように口を開いた。
「……はい?」
「今、プレイしていたって言ったよね?」
「……ええ」
「それって、どういう意味なの?」
「…………」
(……あっ)
そうだった。
まだ、そのことを説明していなかった。
「……確かに、そこからお話しするべきでしたね」
「……そこから?」
ヒナが、不思議そうに首を傾げた。
「はい」
俺は、小さく頷いた。
「実は、私が元々いた世界には、このキヴォトスについて描かれた、ある作品が存在していたのです」
「……作品?」
「……ええ」
俺は、静かに微笑んだ。
「そして、そこで私は、先生として皆さんの物語を見ていました」
「…………」
「…………」
三人が、揃って首を傾げた。
そして。
「……ナギ」
先生が、少し困惑したように尋ねた。
「もう少し詳しく、聞かせてもらえるかな?」
「……もちろんです」
俺は、小さく頷いた。
(……さて)
ここからが、本当の意味での説明になるだろう。
俺がどうして、これから起きる出来事を知っているのか。
そして、なぜエデン条約の調印式を延期しようとしているのか。
それらを理解してもらうためには、まず一つの作品について話さなければならない。
俺が元の世界で、何度もプレイしていたゲーム。
――『ブルーアーカイブ』について。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
今回は主人公の正体告白と、本来のナギサが今も生きていると考える理由についてのお話でした。
まだ分からないことは多いものの、先生たちにはひとまず話を聞いてもらえたようです。
次回は『ブルーアーカイブ』というゲームの存在と、主人公が知っている未来についてのお話になります。
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