ようやく診察を受けることになった主人公ですが、そこで出会ったのは、個性豊かな救護騎士団の生徒たちでした。
楽しんでいただければ嬉しいです!
「私は、救護騎士団の鷲見セリナと申します」
目の前の少女が、丁寧に頭を下げた。
「桐藤ナギサです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
俺も微笑みを返す。
(……いやぁ、まさかセリナに会えるとはなぁ)
鷲見セリナ。
原作でも、先生の健康を気にかけ、困っている人を放っておけない心優しい少女だった。
それにしても。
(……この子、いつの間に近づいてきたんだ?)
さっきまで、周囲に誰もいなかった気がする。
足音も聞こえなかった。
(……これが噂のセリナワープ……?)
いやいや。
別に瞬間移動したと決まったわけではない。
単に俺が気づかなかっただけだろう。
……たぶん。
「……あの、ナギサ様?」
「はい?」
セリナが心配そうにこちらを見ていた。
「少し、お顔の色が良くないように見えるのですが……」
「……えっ?」
思わず、自分の頬へ手を当てる。
「そうでしょうか?」
「はい。目元もお疲れのようですし、最近あまり眠れていないのではありませんか?」
(……鋭いなぁ)
思わず苦笑する。
「実は、以前少し体調を崩してしまいまして」
「……そうだったんですか?」
セリナの表情が、さらに心配そうなものへ変わった。
「今は大丈夫ですか? 気分が悪かったり、どこか痛むところはありませんか?」
「ええ。今のところは大丈夫ですよ」
「……よかったです」
セリナは胸を撫で下ろした。
「ですが、念のため診察を受けていただいた方がいいと思います」
「ふふっ。実は、そのために参りました」
「……そうだったんですね!」
ぱっと表情が明るくなる。
「それでしたら、私がご案内します!」
「ありがとうございます」
俺は丁寧に頭を下げた。
(……いやぁ、本当にいい子だなぁ)
原作でも優しい子だとは思っていた。
だが、実際に心配してもらうと、何だかくすぐったい気持ちになる。
◇
「こちらへどうぞ」
セリナに案内され、診察室へ向かう。
その途中も、彼女は何度かこちらを振り返っていた。
「ナギサ様、歩いていて気分が悪くなったりはしませんか?」
「大丈夫ですよ」
「本当ですか?」
「ふふっ。本当です」
「それならよかったです」
セリナは柔らかく微笑んだ。
「でも、もし少しでも気分が悪くなったら、すぐに教えてくださいね」
「はい。ありがとうございます」
(……何というか)
俺は、内心で感心していた。
(……本当にお母さんみたいだなぁ)
相手を心配する気持ちが、これでもかというほど伝わってくる。
だが、診察室の前へ到着した時だった。
「セリナせんぱーい!」
突然、元気な声が響いた。
「……ハナエちゃん?」
セリナが振り返る。
廊下の向こうから、一人の少女が駆け寄ってきた。
淡い紫色の髪を長く伸ばした、元気いっぱいの少女。
(……おお、ハナエまでいるのか)
朝顔ハナエ。
救護騎士団に所属する一年生。
明るく前向きで、患者を元気づけようとする心優しい少女だ。
ただし。
(……この子、治療方法がちょっと独特なんだよなぁ)
「セリナ先輩! 新しい患者さんですか!?」
「ええ。ハナエちゃん、こちらは……」
「……あっ!」
ハナエがこちらを見た。
「もしかして、桐藤ナギサ様ですか!?」
「はい。初めまして」
俺は微笑んだ。
「桐藤ナギサです」
「わぁ! 本物のナギサ様です!」
ハナエは嬉しそうに目を輝かせた。
「私、朝顔ハナエです! よろしくお願いします!」
「ふふっ。よろしくお願いいたします、ハナエさん」
「はいっ!」
ハナエは元気よく頷いた。
そして、突然真剣な表情になる。
「それで、ナギサ様はどこがお悪いんですか!?」
「……えっ?」
「怪我ですか!? お熱ですか!? それとも疲労でしょうか!?」
「その、以前少し体調を崩してしまいまして……」
「なるほど!」
ハナエは大きく頷いた。
「つまり、元気が足りないんですね!」
(……いや、まあ、間違ってはいないけど)
「それでしたら、私にお任せください!」
「……えっ?」
「元気が出るように、全力で応援します!」
そう言うなり、ハナエは両手を握り締めた。
「フレー! フレー! ナ・ギ・サ・さ・まー!」
「……ハ、ハナエちゃん!?」
セリナが慌てて止めに入った。
「ここは診察室の前だよ! ほかの患者さんもいるんだから!」
「……あっ!」
ハナエが目を丸くした。
「そうでした!」
そして、声を落とす。
「……フレー、フレー、ナギサ様……!」
(……小声になっただけじゃん!)
思わず笑いそうになる。
「ふふっ。ありがとうございます、ハナエさん」
「えへへ!」
ハナエは嬉しそうに微笑んだ。
「どうですか? 少し元気になりましたか?」
「ええ。おかげさまで」
嘘ではない。
先ほどまで、診察に少し緊張していたのだ。
だが、ハナエの勢いに圧倒されているうちに、何となく気が楽になっていた。
「よかったです!」
ハナエは満足そうに頷いた。
「それでは、次の患者さんのところへ!」
「……ハナエちゃん」
「はい?」
「まずは、ナギサ様の診察を手伝ってもらえるかな?」
「……あっ、そうでした!」
(……いやぁ、賑やかだなぁ)
俺は笑みを浮かべた。
◇
診察室へ入ると、セリナが椅子を勧めてくれた。
「それでは、まず今のお身体の状態について確認させてくださいね」
「はい。お願いします」
「最近、頭痛や吐き気などはありませんか?」
「今は落ち着いています」
「……今は、ですか?」
「ええ。以前は、かなりひどい状態だったのですが」
俺は、目覚めた時のことを思い出した。
二種類の薬の空き瓶。
強烈な吐き気と頭痛。
そして、身体を起こすことすら辛かった、あの時のこと。
「少し、薬のことで気になることがありまして」
「……お薬、ですか?」
「はい」
俺は、分かる範囲で説明を始めた。
目覚めた時、部屋に二種類の薬の空き瓶があったこと。
一つは睡眠を助けるためのもの。
もう一つは、眠気を抑えるためのものだったこと。
その時、強い吐き気と頭痛があったこと。
そして、どのくらい服用したのか、正確には分からないこと。
「…………」
話を聞き終えたセリナは、すぐには何も言わなかった。
ただ、心配そうにこちらを見つめていた。
「……ナギサ様」
「はい?」
「……大変でしたね」
「…………」
思わず目を瞬かせた。
「……えっ?」
「そんなにお辛い状態だったなんて……」
セリナは悲しそうに微笑んだ。
「今、こうして診察に来てくださって、本当によかったです」
「…………」
(……あれ?)
俺は戸惑った。
(……怒られないのか?)
もっと早く来るべきだった。
何で今まで放置していたのか。
そう注意されるものだと思っていたのだ。
だが、セリナは責めるようなことを何も言わなかった。
「……あの、セリナさん」
「はい?」
「もっと早く来るべきだったとは、自分でも思っているのですが……」
「……そうですね」
セリナは頷いた。
「本当は、もっと早く相談していただきたかったです」
「……はい」
「ですが、今こうして相談してくださったことも、とても大切だと思います」
そして、こちらをまっすぐ見つめる。
「ただ、これからは、お身体のことを後回しにしないでくださいね?」
「…………」
「ナギサ様が無理をして倒れてしまったら、悲しむ方がたくさんいらっしゃると思いますから」
(……うっ)
思わず言葉に詰まった。
怒られるより、何だか胸に刺さる。
(……これ、優しく言われる方がきついやつだ……)
確かに、今のナギサの身体は俺だけのものではない。
本来の彼女の身体なのだ。
俺が無理をして体調を悪化させれば、ナギサ自身に迷惑をかけることになる。
(……本当に、気をつけないとな)
「はい。今後は気をつけます」
「ふふっ。お願いしますね」
セリナは、ようやく安心したように微笑んだ。
(……いやぁ、やっぱりお母さんだなぁ)
その時だった。
「……あっ!」
ハナエが突然声を上げた。
「どうしたの、ハナエちゃん?」
「ナギサ様、睡眠不足だったんですよね!?」
「……えっ?」
「ええ。以前は、あまり眠れていませんでしたが……」
「それなら!」
ハナエは自信満々に胸を張った。
「私、とっておきの方法を知っています!」
(……ん?)
嫌な予感がした。
「……とっておきの方法、ですか?」
「はい!」
ハナエは満面の笑みを浮かべた。
「何と、一瞬で眠れる方法なんです!」
(……待て)
思わず身構える。
(……それ、まさか……)
「眠れない時にはですね、ここをこう、えいっ! って……」
ハナエが、自分の手を刀のような形にした。
(……やっぱりそれかぁぁぁ!!)
心の中で叫んだ。
原作で、先生を気絶させて眠らせようとした、あの方法だ。
いやいやいや。
それ、睡眠じゃなくて気絶だから!
「……ハナエちゃん?」
セリナがにっこりと微笑んだ。
「はい?」
「それは、何の方法なのかな?」
「一瞬で眠れる方法です!」
「……気絶させる方法じゃないよね?」
「…………」
ハナエが考え込んだ。
「……眠っているのと、あまり変わらないような……?」
「……ハナエちゃん?」
「……あっ、違いました!」
(……違うに決まってるだろ!)
俺は必死に笑いを堪えた。
(……これが、原作のハナエかぁ……)
ゲームで見ている分には面白かったが、実際に治療を受ける側になると、なかなか恐ろしいものがある。
「では、別の方法にしましょう!」
ハナエは、すぐに立ち直った。
「温かいハーブティーを飲んで、ゆっくり休むのはどうでしょうか!」
「うん。それならいいと思うよ」
セリナが安心したように頷いた。
「ただし、お薬との兼ね合いもあるから、飲み物については担当の方に確認してからにしようね」
「はいっ!」
ハナエは元気よく返事をした。
(……よかったぁ)
内心で胸を撫で下ろす。
どうやら、無事に気絶させられる未来は回避できたらしい。
「……ナギサ様」
「はい?」
セリナが申し訳なさそうに微笑んだ。
「ハナエちゃんも、ナギサ様に元気になってほしいだけなんです」
「ふふっ。分かっていますよ」
俺は笑った。
「お気持ちは、とても嬉しいです」
「えへへ!」
ハナエが嬉しそうに頬を緩めた。
(……本当に、悪い子じゃないんだよなぁ)
ただ、発想が少々……いや、かなり独特なだけで。
◇
その後、詳しい診察を担当する医療スタッフへ引き継がれ、必要な検査を受けることになった。
血圧や脈拍の測定。
採血。
そのほかにも、薬の影響が残っていないか調べるため、いくつかの検査を受けた。
薬の種類や服用量についても、改めて詳しく確認された。
だが、正確なことは分からない。
俺が目覚めた時には、すでに薬の瓶は空になっていたのだ。
何をどのくらい飲んだのか。
いつ飲んだのか。
それらを正確に答えることはできなかった。
担当者は、無理に思い出そうとしなくていいと伝えてくれた。
そのうえで、身体の状態だけでなく、睡眠や気持ちの面についても確認してくれた。
もしまた辛くなったり、不安が強くなったりした時には、我慢せず相談してほしいとも言われた。
(……ありがたいなぁ)
俺は静かに頷いた。
今は仕事も少しずつ整理している。
先生たちにも協力してもらえるようになった。
これからは、もう少し自分の身体を大切にできるはずだ。
(……というか、大切にしないとな)
俺は、自分の手を見つめた。
白く、細い指。
本来のナギサの身体だ。
(……君に返す時、ちゃんと元気な身体で返したいしな)
そのためにも、今後は無理をしないよう気をつけよう。
◇
診察が終わった頃には、外もすっかり暗くなっていた。
幸い、現時点で緊急の処置が必要な異常は見つからなかったらしい。
ただし、詳しい検査結果については、後日改めて確認することになった。
今後も体調の変化には注意するようにと言われ、必要なら追加の診察も受ける予定だ。
(……まあ、とりあえず一安心かな)
もちろん、これで完全に問題がないと決まったわけではない。
だが、今すぐ危険な状態というわけではなさそうだ。
それだけでも、気が楽になった。
診察室を出ると、セリナとハナエが待っていた。
「ナギサ様!」
セリナがこちらを見た。
「お身体の具合は、いかがでしたか?」
「ふふっ。おかげさまで、今のところ緊急の問題はないそうです」
「……本当ですか!?」
「はい」
セリナは、ほっと胸を撫で下ろした。
「……よかったです……」
「やったー!」
ハナエも嬉しそうに両手を上げた。
「ナギサ様、よかったですね!」
「ええ。ありがとうございます」
「でも、ナギサ様」
セリナが、改めてこちらを見つめた。
「今日は、ゆっくり休んでくださいね?」
「はい。お約束します」
「ふふっ。ありがとうございます」
その笑顔を見て、俺は胸が温かくなった。
(……本当に、いい子だなぁ)
だが、そこでハナエが口を開いた。
「……あっ! そうです、ナギサ様!」
「はい?」
「今夜、もし眠れなかったら、いつでも呼んでくださいね!」
「……えっ?」
「私、すぐに駆けつけますから!」
(……いや、待て)
先ほどの手刀を思い出した。
(……それは、できれば遠慮したいなぁ!?)
「ふふっ。ありがとうございます」
俺は何とか微笑んだ。
「ですが、今夜はきっと、ぐっすり眠れると思いますので」
「そうですか!」
ハナエは嬉しそうに頷いた。
「それならよかったです!」
(……よし。回避成功)
内心でほっと息を吐いた。
◇
「ああ、そうでした」
俺は、鞄から封筒を取り出した。
「セリナさん。実は、もう一つお願いがあるのですが……」
「はい! 何でしょうか?」
「こちらを、蒼森ミネさんにお渡しいただけないでしょうか?」
「……団長に、ですか?」
「はい」
セリナの表情が曇った。
「……申し訳ありません、ナギサ様」
「……はい?」
「実は、今は団長と直接連絡を取ることが難しくて……」
(……やっぱりか)
俺は、内心で納得した。
原作の展開を考えれば、予想していたことだ。
「ええ。承知しています」
俺は穏やかに微笑んだ。
「ですので、今すぐお渡しいただく必要はありません」
「……そう、なのですか?」
「はい。もし今後、団長さんと連絡が取れる機会がございましたら、その時にお渡しいただければ十分です」
「……分かりました」
セリナは頷いた。
「ちなみに、どのようなご用件でしょうか?」
「ふふっ。面会のお願いです」
「……面会、ですか?」
「はい。今後のトリニティの安全について、救護騎士団長であるミネさんのお考えを、一度お伺いできればと思いまして」
「……なるほど」
「もちろん、お忙しいことは承知していますので、ご無理をお願いするつもりはありません」
俺は微笑んだ。
「お時間ができた時に、ご検討いただければ十分です」
「分かりました!」
セリナは、丁寧に封筒を受け取った。
「では、団長へお渡しできる機会がありましたら、お届けしますね!」
「ありがとうございます」
「ただ、いつお渡しできるかは分からないので……」
「ええ。お気になさらないでください」
俺は穏やかに微笑んだ。
「お預かりいただけるだけでも、ありがたいですから」
「はい!」
セリナは、嬉しそうに頷いた。
(……まあ、駄目元だったしな)
今すぐ返事が来るとは思っていない。
そもそも、手紙が届くかどうかも分からない。
だが、何もしないよりはいいだろう。
(……無事にセイアを守ってくれているなら、それだけでもありがたいしな)
ミネには、できれば今のお務めを最優先してほしい。
俺が無理に動かしたことで、セイアを危険に晒してしまっては本末転倒だ。
後は、彼女の判断に任せよう。
「それでは、セリナさん、ハナエさん」
「はい!」
「はーい!」
「本日は、本当にありがとうございました」
俺は丁寧に頭を下げた。
「皆さんのおかげで、安心することができました」
「いえ! こちらこそ、お役に立ててよかったです!」
セリナが柔らかく微笑んだ。
「ナギサ様、またいつでも来てくださいね!」
ハナエも元気よく手を振る。
「ふふっ。ありがとうございます」
俺は笑顔を返した。
そして、救護騎士団の施設を後にしようとした。
その時だった。
「あっ、ナギサ様!」
「はい?」
セリナに呼び止められ、振り返る。
「今夜は、ちゃんと休んでくださいね?」
「ふふっ。はい。もちろんです」
「それと、もし体調が悪くなったら……」
「すぐに相談いたします」
「……はい!」
セリナは、ようやく安心したように微笑んだ。
「お気をつけてお帰りください!」
「ありがとうございます」
俺はもう一度頭を下げ、施設の外へ歩き始めた。
(……いやぁ、本当に心配性だなぁ)
思わず笑ってしまう。
それにしても。
(……セリナとハナエかぁ)
どちらも、原作で知っていた通りの優しい子たちだった。
まあ、ハナエについては少々怖いところもあったが。
(……でも、こういう子たちがいるんだよな)
誰かが困っていたら、助けようとしてくれる。
身体が辛ければ、心配してくれる。
そんな生徒たちが、このキヴォトスにはたくさんいる。
(……ナギサ)
俺は、心の中で呼びかけた。
(……君も、こういう人たちをもっと頼ってよかったんだぞ)
もちろん、そんな簡単な話ではないのだろう。
立場も、責任も、抱えている事情も違う。
それでも。
(……これからは、少しずつ頼れるようになってほしいな)
そう思いながら、俺は施設の出口へ向かった。
◇
施設の外では、ツルギが待っていた。
「……ナギサ様」
「ツルギさん。お待たせいたしました」
「……ああ」
ツルギは、こちらを見つめた。
「身体は、大丈夫なのか?」
「ええ。今のところ、緊急の問題はないそうです」
「……そうか」
その表情から、わずかに緊張が解けたように見えた。
「……なら、よかった」
「ふふっ。ご心配をおかけしました」
「……気にするな」
短い返事。
だが、その声音には安心したような響きがあった。
「……では、戻ろう」
「はい」
俺は、ツルギと共に送迎車へ乗り込んだ。
車は、夜のトリニティを静かに走り始める。
窓の外には、街灯に照らされた街並みが広がっていた。
(……本当に、色々あったなぁ)
今日という一日を思い返す。
先生とヒナとツルギに正体を明かした。
原作知識についても説明した。
アリウス自治区を探すための作戦について話し合った。
そして、ようやく診察を受け、ミネへの手紙も託すことができた。
(……うん。今日は十分頑張っただろ)
俺は窓の外を眺めた。
「……ナギサ様」
「はい?」
「……今日は、もう休め」
「ふふっ。ええ。そのつもりです」
「…………」
「……本当ですよ?」
俺がそう付け加えると、ツルギは目を細めた。
「……なら、いい」
(……信用されてるんだか、されてないんだか)
俺は、内心で苦笑した。
もっとも、これまで散々無理をしていたのだから、仕方がないのかもしれない。
(……今日は、ちゃんと休もう)
俺は、改めてそう決めた。
◇
部屋に戻った頃には、すっかり夜になっていた。
ツルギと護衛の生徒たちに礼を言い、自室へ入る。
「……ふぅ」
扉を閉めた瞬間、思わず大きく息を吐いた。
「……疲れたぁ……」
そのままソファへ腰を下ろす。
(……いや、本当に疲れた)
今日は、今までで一番長い一日だったかもしれない。
だが、不思議と嫌な疲れではなかった。
今までは、何をするにも俺一人で考えなければならなかった。
ナギサの身体を借りていることも。
これから起こるはずの事件のことも。
アリウスやベアトリーチェのことも。
誰にも相談できず、一人で抱えていた。
だが、今は違う。
(……先生たちに、ちゃんと話せたんだよな)
もちろん、まだ話していないこともある。
ヘイロー破壊爆弾についての、本当の考え。
それだけは、今も胸の奥にしまっている。
だが、だからといって、最初から最悪の選択をするつもりはない。
(……まずは、プランAを成功させないとな)
俺は、改めて決意した。
すると。
ピロン♪
「……ん?」
端末から通知音が聞こえた。
モモトークを開く。
先生からだった。
『ナギサ、今日はお疲れさま。診察はちゃんと受けられた?』
「……ふふっ」
思わず笑ってしまった。
(……本当に、心配性だなぁ)
いや、まあ、俺も人のことは言えないが。
俺は、返信を打ち込んだ。
『はい。先ほど無事に診察を終えました。詳しい結果は後日ですが、今のところ大きな問題はなさそうです』
少し考えてから、もう一言添える。
『先生も、本日はありがとうございました。おかげさまで、気持ちが楽になりました』
送信。
すると、すぐに既読がついた。
『それならよかった! 今日はちゃんと休んでね』
「……はいはい」
思わず笑ってしまう。
『ふふっ。承知しました。先生もお身体を大切になさってくださいね』
そう返して、端末を置いた。
(……さて)
今日はもう、仕事をしない。
そう決めていた。
先生と約束した。
ヒナにも注意された。
ツルギにまで休むよう言われた。
そして、救護騎士団にも。
(……これだけ言われて仕事したら、さすがに怒られるよなぁ)
俺は苦笑した。
それから、軽く食事を取る。
温かい料理を口にすると、ようやく一日の緊張が解けていくような気がした。
(……ああ、落ち着くなぁ)
その後は、ゆっくりとお風呂に入ることにした。
◇
(……さて、お風呂だな)
着替えを用意し、浴室へ向かおうとしたところで、ふと足が止まった。
(……あっ)
脳裏に、今日のヒナの顔が浮かんだ。
『まさか、ナギサの身体で変なことをしていないでしょうね?』
(……うっ)
あの時の、妙に鋭い視線。
思い出しただけで、何となく背筋が伸びてしまう。
(……いや、別に変なことなんてしてないんだけどさ)
そもそも、お風呂に入らないわけにはいかない。
身体を洗う必要もあるし、目を閉じたまま入浴するのは危険だ。
だから、どうしても必要な範囲では見なければならない。
それはヒナだって、仕方ないと言ってくれたはずだ。
(……うん。何も問題ない。問題ないはずだ)
そう自分に言い聞かせながら、服に手をかける。
だが。
(……なんか、意識すると余計に気まずいなぁ)
今までも、できるだけナギサの身体を意識しないようにしてきた。
それなのに、今日あんな話をしたせいで、変に気になってしまう。
(……ああもう! 何で普通に風呂に入るだけで、こんなに緊張しなきゃいけないんだよ!)
俺は、ため息をついた。
「……大丈夫ですよ、ヒナさん。変なことは何もしませんから……」
思わず、そんなことを呟いてしまう。
「…………」
(……いや、何で誰もいないのに言い訳してるんだ、俺)
しかも、相手はここにいないヒナだ。
(……あの子、俺の中でどんだけ怖い存在になってるんだよ……)
俺は苦笑した。
ともかく、これ以上考えていても仕方がない。
(……よし。いつも通り、必要なことだけ済ませよう)
俺は気を取り直し、浴室へ入った。
できるだけ余計なことは考えず、手早く身体と髪を洗う。
そして、ようやく湯船の前に立った。
(……ふぅ。やっと落ち着けるな)
そっとお湯に足を入れる。
「……ふぅ……」
湯船に身体を沈めると、自然と息が漏れた。
温かいお湯が、疲れた身体を包み込む。
(……ああ、気持ちいい……)
やっぱり、疲れた時のお風呂は格別だ。
元の世界でも、仕事終わりにゆっくり湯船へ浸かる時間は好きだった。
こうしていると、昔の生活を思い出す。
(……それにしても)
俺は、ぼんやりと天井を見上げた。
(……本当に、とんでもない世界に来たもんだなぁ)
目が覚めたら、知らない少女の身体になっていた。
しかも、その少女は、原作で知っている桐藤ナギサ。
そして今では、エデン条約の悲劇を防ぐために、あれこれ動き回っている。
(……元の俺が聞いたら、絶対に信じないだろうなぁ)
そんなことを考えて、思わず笑ってしまった。
ふと、湯船の中にある自分の手を見つめる。
白く、細い指。
今の俺が借りている、ナギサの身体。
(……ちゃんと大切にしないとな)
今日、ようやく診察を受けることができた。
これからは、仕事を一人で抱え込まず、休む時間もしっかり確保しよう。
先生とも約束したのだから。
(……それに)
俺は、静かに目を伏せた。
(……ナギサにも、安心して戻ってきてほしいしな)
今の身体を、できるだけ良い状態で返してあげたい。
そのためにも、俺自身が無茶をしてはいけない。
(……うん。気をつけよう)
俺は頷いた。
そして、もう少し湯船に浸かってから、浴室を後にした。
◇
寝る準備を整え、ベッドに腰を下ろす。
ふと、部屋を見回した。
初めて目を覚ました時は、あんなにも恐ろしかった部屋。
何が起きたのかも分からず、吐き気と頭痛に苦しみながら、見知らぬ景色に怯えていた。
それが今では、少しずつ自分の居場所になりつつある。
(……不思議だな)
俺は微笑んだ。
そして、胸に手を当てた。
(……ナギサ)
今日は、色々な人と話したよ。
君のことも、ちゃんと話した。
まだ、すべてを解決できたわけじゃない。
君がどこにいるのかも、本当のところは分からない。
それでも。
(……少しずつ、前に進んでるからな)
君がどれほど辛かったのか、俺には全部分かるわけじゃない。
日記を読んだからといって、君の苦しみを理解しきれるとは思っていない。
だけど。
(……君には、ちゃんと幸せになってほしいんだよ)
もう一度、友達と笑ってほしい。
何かに怯えることなく、ゆっくりお茶を楽しんでほしい。
困った時には、誰かに助けを求められるようになってほしい。
そして、いつか。
ここから先の人生を、生きていてよかったと思ってほしい。
(……だから、もう少しだけ待っててくれよ)
俺は微笑んだ。
布団に潜り込み、目を閉じる。
だが、その時。
(……あっ)
ふと思い出した。
(……そういえば、プランAに必要なもの、ミレニアムにあるんだよなぁ)
あれを手に入れるためには、一度ミレニアムへ行かなければならない。
ただ、今の俺の立場で、何の理由もなく他学園を訪問するわけにはいかないだろう。
(……どうやって取りに行こうかなぁ)
正式に訪問の予定を組むか。
それとも、何か別の用事と合わせてしまうか。
いくつか考えてみるが、今すぐ答えが出るわけでもない。
(……まあ、明日考えればいいか)
今日はもう、考えることも仕事も終わりだ。
先生たちにも、ちゃんと休むと約束したのだから。
(……明日から、いよいよプランAの準備だな)
俺は息を吐いた。
(……頼むから、うまくいってくれよ)
そして、もう一度だけ胸に手を当てる。
「……おやすみなさい、ナギサさん」
そう呟き、静かに目を閉じた。
今夜は、久しぶりによく眠れそうな気がした。
こうして、長い長い一日が、ようやく終わりを迎えた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
今回は救護騎士団での診察と、セリナ・ハナエとの出会いを描きました。
ミネへ託した手紙も、今後どうなるのでしょうか。
さて、次回は少し趣向を変えて、EX回として第1話から第16話までの出来事を振り返るお話になります。
そして、次回登場するのはまさかのセクシーなフォックス!
果たして、どんなお話になるのでしょうか。
次回も楽しんでいただければ嬉しいです!