お労しいナギサ様へ   作:ムテケル

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今回は前話からの続きで、救護騎士団でのお話になります。

ようやく診察を受けることになった主人公ですが、そこで出会ったのは、個性豊かな救護騎士団の生徒たちでした。

楽しんでいただければ嬉しいです!


救護騎士団の診察

「私は、救護騎士団の鷲見セリナと申します」

 

 目の前の少女が、丁寧に頭を下げた。

 

「桐藤ナギサです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 

 俺も微笑みを返す。

 

(……いやぁ、まさかセリナに会えるとはなぁ)

 

 鷲見セリナ。

 

 原作でも、先生の健康を気にかけ、困っている人を放っておけない心優しい少女だった。

 

 それにしても。

 

(……この子、いつの間に近づいてきたんだ?)

 

 さっきまで、周囲に誰もいなかった気がする。

 

 足音も聞こえなかった。

 

(……これが噂のセリナワープ……?)

 

 いやいや。

 

 別に瞬間移動したと決まったわけではない。

 

 単に俺が気づかなかっただけだろう。

 

 ……たぶん。

 

「……あの、ナギサ様?」

 

「はい?」

 

 セリナが心配そうにこちらを見ていた。

 

「少し、お顔の色が良くないように見えるのですが……」

 

「……えっ?」

 

 思わず、自分の頬へ手を当てる。

 

「そうでしょうか?」

 

「はい。目元もお疲れのようですし、最近あまり眠れていないのではありませんか?」

 

(……鋭いなぁ)

 

 思わず苦笑する。

 

「実は、以前少し体調を崩してしまいまして」

 

「……そうだったんですか?」

 

 セリナの表情が、さらに心配そうなものへ変わった。

 

「今は大丈夫ですか? 気分が悪かったり、どこか痛むところはありませんか?」

 

「ええ。今のところは大丈夫ですよ」

 

「……よかったです」

 

 セリナは胸を撫で下ろした。

 

「ですが、念のため診察を受けていただいた方がいいと思います」

 

「ふふっ。実は、そのために参りました」

 

「……そうだったんですね!」

 

 ぱっと表情が明るくなる。

 

「それでしたら、私がご案内します!」

 

「ありがとうございます」

 

 俺は丁寧に頭を下げた。

 

(……いやぁ、本当にいい子だなぁ)

 

 原作でも優しい子だとは思っていた。

 

 だが、実際に心配してもらうと、何だかくすぐったい気持ちになる。

 

     ◇

 

「こちらへどうぞ」

 

 セリナに案内され、診察室へ向かう。

 

 その途中も、彼女は何度かこちらを振り返っていた。

 

「ナギサ様、歩いていて気分が悪くなったりはしませんか?」

 

「大丈夫ですよ」

 

「本当ですか?」

 

「ふふっ。本当です」

 

「それならよかったです」

 

 セリナは柔らかく微笑んだ。

 

「でも、もし少しでも気分が悪くなったら、すぐに教えてくださいね」

 

「はい。ありがとうございます」

 

(……何というか)

 

 俺は、内心で感心していた。

 

(……本当にお母さんみたいだなぁ)

 

 相手を心配する気持ちが、これでもかというほど伝わってくる。

 

 だが、診察室の前へ到着した時だった。

 

「セリナせんぱーい!」

 

 突然、元気な声が響いた。

 

「……ハナエちゃん?」

 

 セリナが振り返る。

 

 廊下の向こうから、一人の少女が駆け寄ってきた。

 

 淡い紫色の髪を長く伸ばした、元気いっぱいの少女。

 

(……おお、ハナエまでいるのか)

 

 朝顔ハナエ。

 

 救護騎士団に所属する一年生。

 

 明るく前向きで、患者を元気づけようとする心優しい少女だ。

 

 ただし。

 

(……この子、治療方法がちょっと独特なんだよなぁ)

 

「セリナ先輩! 新しい患者さんですか!?」

 

「ええ。ハナエちゃん、こちらは……」

 

「……あっ!」

 

 ハナエがこちらを見た。

 

「もしかして、桐藤ナギサ様ですか!?」

 

「はい。初めまして」

 

 俺は微笑んだ。

 

「桐藤ナギサです」

 

「わぁ! 本物のナギサ様です!」

 

 ハナエは嬉しそうに目を輝かせた。

 

「私、朝顔ハナエです! よろしくお願いします!」

 

「ふふっ。よろしくお願いいたします、ハナエさん」

 

「はいっ!」

 

 ハナエは元気よく頷いた。

 

 そして、突然真剣な表情になる。

 

「それで、ナギサ様はどこがお悪いんですか!?」

 

「……えっ?」

 

「怪我ですか!? お熱ですか!? それとも疲労でしょうか!?」

 

「その、以前少し体調を崩してしまいまして……」

 

「なるほど!」

 

 ハナエは大きく頷いた。

 

「つまり、元気が足りないんですね!」

 

(……いや、まあ、間違ってはいないけど)

 

「それでしたら、私にお任せください!」

 

「……えっ?」

 

「元気が出るように、全力で応援します!」

 

 そう言うなり、ハナエは両手を握り締めた。

 

「フレー! フレー! ナ・ギ・サ・さ・まー!」

 

「……ハ、ハナエちゃん!?」

 

 セリナが慌てて止めに入った。

 

「ここは診察室の前だよ! ほかの患者さんもいるんだから!」

 

「……あっ!」

 

 ハナエが目を丸くした。

 

「そうでした!」

 

 そして、声を落とす。

 

「……フレー、フレー、ナギサ様……!」

 

(……小声になっただけじゃん!)

 

 思わず笑いそうになる。

 

「ふふっ。ありがとうございます、ハナエさん」

 

「えへへ!」

 

 ハナエは嬉しそうに微笑んだ。

 

「どうですか? 少し元気になりましたか?」

 

「ええ。おかげさまで」

 

 嘘ではない。

 

 先ほどまで、診察に少し緊張していたのだ。

 

 だが、ハナエの勢いに圧倒されているうちに、何となく気が楽になっていた。

 

「よかったです!」

 

 ハナエは満足そうに頷いた。

 

「それでは、次の患者さんのところへ!」

 

「……ハナエちゃん」

 

「はい?」

 

「まずは、ナギサ様の診察を手伝ってもらえるかな?」

 

「……あっ、そうでした!」

 

(……いやぁ、賑やかだなぁ)

 

 俺は笑みを浮かべた。

 

     ◇

 

 診察室へ入ると、セリナが椅子を勧めてくれた。

 

「それでは、まず今のお身体の状態について確認させてくださいね」

 

「はい。お願いします」

 

「最近、頭痛や吐き気などはありませんか?」

 

「今は落ち着いています」

 

「……今は、ですか?」

 

「ええ。以前は、かなりひどい状態だったのですが」

 

 俺は、目覚めた時のことを思い出した。

 

 二種類の薬の空き瓶。

 

 強烈な吐き気と頭痛。

 

 そして、身体を起こすことすら辛かった、あの時のこと。

 

「少し、薬のことで気になることがありまして」

 

「……お薬、ですか?」

 

「はい」

 

 俺は、分かる範囲で説明を始めた。

 

 目覚めた時、部屋に二種類の薬の空き瓶があったこと。

 

 一つは睡眠を助けるためのもの。

 

 もう一つは、眠気を抑えるためのものだったこと。

 

 その時、強い吐き気と頭痛があったこと。

 

 そして、どのくらい服用したのか、正確には分からないこと。

 

「…………」

 

 話を聞き終えたセリナは、すぐには何も言わなかった。

 

 ただ、心配そうにこちらを見つめていた。

 

「……ナギサ様」

 

「はい?」

 

「……大変でしたね」

 

「…………」

 

 思わず目を瞬かせた。

 

「……えっ?」

 

「そんなにお辛い状態だったなんて……」

 

 セリナは悲しそうに微笑んだ。

 

「今、こうして診察に来てくださって、本当によかったです」

 

「…………」

 

(……あれ?)

 

 俺は戸惑った。

 

(……怒られないのか?)

 

 もっと早く来るべきだった。

 

 何で今まで放置していたのか。

 

 そう注意されるものだと思っていたのだ。

 

 だが、セリナは責めるようなことを何も言わなかった。

 

「……あの、セリナさん」

 

「はい?」

 

「もっと早く来るべきだったとは、自分でも思っているのですが……」

 

「……そうですね」

 

 セリナは頷いた。

 

「本当は、もっと早く相談していただきたかったです」

 

「……はい」

 

「ですが、今こうして相談してくださったことも、とても大切だと思います」

 

 そして、こちらをまっすぐ見つめる。

 

「ただ、これからは、お身体のことを後回しにしないでくださいね?」

 

「…………」

 

「ナギサ様が無理をして倒れてしまったら、悲しむ方がたくさんいらっしゃると思いますから」

 

(……うっ)

 

 思わず言葉に詰まった。

 

 怒られるより、何だか胸に刺さる。

 

(……これ、優しく言われる方がきついやつだ……)

 

 確かに、今のナギサの身体は俺だけのものではない。

 

 本来の彼女の身体なのだ。

 

 俺が無理をして体調を悪化させれば、ナギサ自身に迷惑をかけることになる。

 

(……本当に、気をつけないとな)

 

「はい。今後は気をつけます」

 

「ふふっ。お願いしますね」

 

 セリナは、ようやく安心したように微笑んだ。

 

(……いやぁ、やっぱりお母さんだなぁ)

 

 その時だった。

 

「……あっ!」

 

 ハナエが突然声を上げた。

 

「どうしたの、ハナエちゃん?」

 

「ナギサ様、睡眠不足だったんですよね!?」

 

「……えっ?」

 

「ええ。以前は、あまり眠れていませんでしたが……」

 

「それなら!」

 

 ハナエは自信満々に胸を張った。

 

「私、とっておきの方法を知っています!」

 

(……ん?)

 

 嫌な予感がした。

 

「……とっておきの方法、ですか?」

 

「はい!」

 

 ハナエは満面の笑みを浮かべた。

 

「何と、一瞬で眠れる方法なんです!」

 

(……待て)

 

 思わず身構える。

 

(……それ、まさか……)

 

「眠れない時にはですね、ここをこう、えいっ! って……」

 

 ハナエが、自分の手を刀のような形にした。

 

(……やっぱりそれかぁぁぁ!!)

 

 心の中で叫んだ。

 

 原作で、先生を気絶させて眠らせようとした、あの方法だ。

 

 いやいやいや。

 

 それ、睡眠じゃなくて気絶だから!

 

「……ハナエちゃん?」

 

 セリナがにっこりと微笑んだ。

 

「はい?」

 

「それは、何の方法なのかな?」

 

「一瞬で眠れる方法です!」

 

「……気絶させる方法じゃないよね?」

 

「…………」

 

 ハナエが考え込んだ。

 

「……眠っているのと、あまり変わらないような……?」

 

「……ハナエちゃん?」

 

「……あっ、違いました!」

 

(……違うに決まってるだろ!)

 

 俺は必死に笑いを堪えた。

 

(……これが、原作のハナエかぁ……)

 

 ゲームで見ている分には面白かったが、実際に治療を受ける側になると、なかなか恐ろしいものがある。

 

「では、別の方法にしましょう!」

 

 ハナエは、すぐに立ち直った。

 

「温かいハーブティーを飲んで、ゆっくり休むのはどうでしょうか!」

 

「うん。それならいいと思うよ」

 

 セリナが安心したように頷いた。

 

「ただし、お薬との兼ね合いもあるから、飲み物については担当の方に確認してからにしようね」

 

「はいっ!」

 

 ハナエは元気よく返事をした。

 

(……よかったぁ)

 

 内心で胸を撫で下ろす。

 

 どうやら、無事に気絶させられる未来は回避できたらしい。

 

「……ナギサ様」

 

「はい?」

 

 セリナが申し訳なさそうに微笑んだ。

 

「ハナエちゃんも、ナギサ様に元気になってほしいだけなんです」

 

「ふふっ。分かっていますよ」

 

 俺は笑った。

 

「お気持ちは、とても嬉しいです」

 

「えへへ!」

 

 ハナエが嬉しそうに頬を緩めた。

 

(……本当に、悪い子じゃないんだよなぁ)

 

 ただ、発想が少々……いや、かなり独特なだけで。

 

     ◇

 

 その後、詳しい診察を担当する医療スタッフへ引き継がれ、必要な検査を受けることになった。

 

 血圧や脈拍の測定。

 

 採血。

 

 そのほかにも、薬の影響が残っていないか調べるため、いくつかの検査を受けた。

 

 薬の種類や服用量についても、改めて詳しく確認された。

 

 だが、正確なことは分からない。

 

 俺が目覚めた時には、すでに薬の瓶は空になっていたのだ。

 

 何をどのくらい飲んだのか。

 

 いつ飲んだのか。

 

 それらを正確に答えることはできなかった。

 

 担当者は、無理に思い出そうとしなくていいと伝えてくれた。

 

 そのうえで、身体の状態だけでなく、睡眠や気持ちの面についても確認してくれた。

 

 もしまた辛くなったり、不安が強くなったりした時には、我慢せず相談してほしいとも言われた。

 

(……ありがたいなぁ)

 

 俺は静かに頷いた。

 

 今は仕事も少しずつ整理している。

 

 先生たちにも協力してもらえるようになった。

 

 これからは、もう少し自分の身体を大切にできるはずだ。

 

(……というか、大切にしないとな)

 

 俺は、自分の手を見つめた。

 

 白く、細い指。

 

 本来のナギサの身体だ。

 

(……君に返す時、ちゃんと元気な身体で返したいしな)

 

 そのためにも、今後は無理をしないよう気をつけよう。

 

     ◇

 

 診察が終わった頃には、外もすっかり暗くなっていた。

 

 幸い、現時点で緊急の処置が必要な異常は見つからなかったらしい。

 

 ただし、詳しい検査結果については、後日改めて確認することになった。

 

 今後も体調の変化には注意するようにと言われ、必要なら追加の診察も受ける予定だ。

 

(……まあ、とりあえず一安心かな)

 

 もちろん、これで完全に問題がないと決まったわけではない。

 

 だが、今すぐ危険な状態というわけではなさそうだ。

 

 それだけでも、気が楽になった。

 

 診察室を出ると、セリナとハナエが待っていた。

 

「ナギサ様!」

 

 セリナがこちらを見た。

 

「お身体の具合は、いかがでしたか?」

 

「ふふっ。おかげさまで、今のところ緊急の問題はないそうです」

 

「……本当ですか!?」

 

「はい」

 

 セリナは、ほっと胸を撫で下ろした。

 

「……よかったです……」

 

「やったー!」

 

 ハナエも嬉しそうに両手を上げた。

 

「ナギサ様、よかったですね!」

 

「ええ。ありがとうございます」

 

「でも、ナギサ様」

 

 セリナが、改めてこちらを見つめた。

 

「今日は、ゆっくり休んでくださいね?」

 

「はい。お約束します」

 

「ふふっ。ありがとうございます」

 

 その笑顔を見て、俺は胸が温かくなった。

 

(……本当に、いい子だなぁ)

 

 だが、そこでハナエが口を開いた。

 

「……あっ! そうです、ナギサ様!」

 

「はい?」

 

「今夜、もし眠れなかったら、いつでも呼んでくださいね!」

 

「……えっ?」

 

「私、すぐに駆けつけますから!」

 

(……いや、待て)

 

 先ほどの手刀を思い出した。

 

(……それは、できれば遠慮したいなぁ!?)

 

「ふふっ。ありがとうございます」

 

 俺は何とか微笑んだ。

 

「ですが、今夜はきっと、ぐっすり眠れると思いますので」

 

「そうですか!」

 

 ハナエは嬉しそうに頷いた。

 

「それならよかったです!」

 

(……よし。回避成功)

 

 内心でほっと息を吐いた。

 

     ◇

 

「ああ、そうでした」

 

 俺は、鞄から封筒を取り出した。

 

「セリナさん。実は、もう一つお願いがあるのですが……」

 

「はい! 何でしょうか?」

 

「こちらを、蒼森ミネさんにお渡しいただけないでしょうか?」

 

「……団長に、ですか?」

 

「はい」

 

 セリナの表情が曇った。

 

「……申し訳ありません、ナギサ様」

 

「……はい?」

 

「実は、今は団長と直接連絡を取ることが難しくて……」

 

(……やっぱりか)

 

 俺は、内心で納得した。

 

 原作の展開を考えれば、予想していたことだ。

 

「ええ。承知しています」

 

 俺は穏やかに微笑んだ。

 

「ですので、今すぐお渡しいただく必要はありません」

 

「……そう、なのですか?」

 

「はい。もし今後、団長さんと連絡が取れる機会がございましたら、その時にお渡しいただければ十分です」

 

「……分かりました」

 

 セリナは頷いた。

 

「ちなみに、どのようなご用件でしょうか?」

 

「ふふっ。面会のお願いです」

 

「……面会、ですか?」

 

「はい。今後のトリニティの安全について、救護騎士団長であるミネさんのお考えを、一度お伺いできればと思いまして」

 

「……なるほど」

 

「もちろん、お忙しいことは承知していますので、ご無理をお願いするつもりはありません」

 

 俺は微笑んだ。

 

「お時間ができた時に、ご検討いただければ十分です」

 

「分かりました!」

 

 セリナは、丁寧に封筒を受け取った。

 

「では、団長へお渡しできる機会がありましたら、お届けしますね!」

 

「ありがとうございます」

 

「ただ、いつお渡しできるかは分からないので……」

 

「ええ。お気になさらないでください」

 

 俺は穏やかに微笑んだ。

 

「お預かりいただけるだけでも、ありがたいですから」

 

「はい!」

 

 セリナは、嬉しそうに頷いた。

 

(……まあ、駄目元だったしな)

 

 今すぐ返事が来るとは思っていない。

 

 そもそも、手紙が届くかどうかも分からない。

 

 だが、何もしないよりはいいだろう。

 

(……無事にセイアを守ってくれているなら、それだけでもありがたいしな)

 

 ミネには、できれば今のお務めを最優先してほしい。

 

 俺が無理に動かしたことで、セイアを危険に晒してしまっては本末転倒だ。

 

 後は、彼女の判断に任せよう。

 

「それでは、セリナさん、ハナエさん」

 

「はい!」

 

「はーい!」

 

「本日は、本当にありがとうございました」

 

 俺は丁寧に頭を下げた。

 

「皆さんのおかげで、安心することができました」

 

「いえ! こちらこそ、お役に立ててよかったです!」

 

 セリナが柔らかく微笑んだ。

 

「ナギサ様、またいつでも来てくださいね!」

 

 ハナエも元気よく手を振る。

 

「ふふっ。ありがとうございます」

 

 俺は笑顔を返した。

 

 そして、救護騎士団の施設を後にしようとした。

 

 その時だった。

 

「あっ、ナギサ様!」

 

「はい?」

 

 セリナに呼び止められ、振り返る。

 

「今夜は、ちゃんと休んでくださいね?」

 

「ふふっ。はい。もちろんです」

 

「それと、もし体調が悪くなったら……」

 

「すぐに相談いたします」

 

「……はい!」

 

 セリナは、ようやく安心したように微笑んだ。

 

「お気をつけてお帰りください!」

 

「ありがとうございます」

 

 俺はもう一度頭を下げ、施設の外へ歩き始めた。

 

(……いやぁ、本当に心配性だなぁ)

 

 思わず笑ってしまう。

 

 それにしても。

 

(……セリナとハナエかぁ)

 

 どちらも、原作で知っていた通りの優しい子たちだった。

 

 まあ、ハナエについては少々怖いところもあったが。

 

(……でも、こういう子たちがいるんだよな)

 

 誰かが困っていたら、助けようとしてくれる。

 

 身体が辛ければ、心配してくれる。

 

 そんな生徒たちが、このキヴォトスにはたくさんいる。

 

(……ナギサ)

 

 俺は、心の中で呼びかけた。

 

(……君も、こういう人たちをもっと頼ってよかったんだぞ)

 

 もちろん、そんな簡単な話ではないのだろう。

 

 立場も、責任も、抱えている事情も違う。

 

 それでも。

 

(……これからは、少しずつ頼れるようになってほしいな)

 

 そう思いながら、俺は施設の出口へ向かった。

 

     ◇

 

 施設の外では、ツルギが待っていた。

 

「……ナギサ様」

 

「ツルギさん。お待たせいたしました」

 

「……ああ」

 

 ツルギは、こちらを見つめた。

 

「身体は、大丈夫なのか?」

 

「ええ。今のところ、緊急の問題はないそうです」

 

「……そうか」

 

 その表情から、わずかに緊張が解けたように見えた。

 

「……なら、よかった」

 

「ふふっ。ご心配をおかけしました」

 

「……気にするな」

 

 短い返事。

 

 だが、その声音には安心したような響きがあった。

 

「……では、戻ろう」

 

「はい」

 

 俺は、ツルギと共に送迎車へ乗り込んだ。

 

 車は、夜のトリニティを静かに走り始める。

 

 窓の外には、街灯に照らされた街並みが広がっていた。

 

(……本当に、色々あったなぁ)

 

 今日という一日を思い返す。

 

 先生とヒナとツルギに正体を明かした。

 

 原作知識についても説明した。

 

 アリウス自治区を探すための作戦について話し合った。

 

 そして、ようやく診察を受け、ミネへの手紙も託すことができた。

 

(……うん。今日は十分頑張っただろ)

 

 俺は窓の外を眺めた。

 

「……ナギサ様」

 

「はい?」

 

「……今日は、もう休め」

 

「ふふっ。ええ。そのつもりです」

 

「…………」

 

「……本当ですよ?」

 

 俺がそう付け加えると、ツルギは目を細めた。

 

「……なら、いい」

 

(……信用されてるんだか、されてないんだか)

 

 俺は、内心で苦笑した。

 

 もっとも、これまで散々無理をしていたのだから、仕方がないのかもしれない。

 

(……今日は、ちゃんと休もう)

 

 俺は、改めてそう決めた。

 

     ◇

 

 部屋に戻った頃には、すっかり夜になっていた。

 

 ツルギと護衛の生徒たちに礼を言い、自室へ入る。

 

「……ふぅ」

 

 扉を閉めた瞬間、思わず大きく息を吐いた。

 

「……疲れたぁ……」

 

 そのままソファへ腰を下ろす。

 

(……いや、本当に疲れた)

 

 今日は、今までで一番長い一日だったかもしれない。

 

 だが、不思議と嫌な疲れではなかった。

 

 今までは、何をするにも俺一人で考えなければならなかった。

 

 ナギサの身体を借りていることも。

 

 これから起こるはずの事件のことも。

 

 アリウスやベアトリーチェのことも。

 

 誰にも相談できず、一人で抱えていた。

 

 だが、今は違う。

 

(……先生たちに、ちゃんと話せたんだよな)

 

 もちろん、まだ話していないこともある。

 

 ヘイロー破壊爆弾についての、本当の考え。

 

 それだけは、今も胸の奥にしまっている。

 

 だが、だからといって、最初から最悪の選択をするつもりはない。

 

(……まずは、プランAを成功させないとな)

 

 俺は、改めて決意した。

 

 すると。

 

 ピロン♪

 

「……ん?」

 

 端末から通知音が聞こえた。

 

 モモトークを開く。

 

 先生からだった。

 

『ナギサ、今日はお疲れさま。診察はちゃんと受けられた?』

 

「……ふふっ」

 

 思わず笑ってしまった。

 

(……本当に、心配性だなぁ)

 

 いや、まあ、俺も人のことは言えないが。

 

 俺は、返信を打ち込んだ。

 

『はい。先ほど無事に診察を終えました。詳しい結果は後日ですが、今のところ大きな問題はなさそうです』

 

 少し考えてから、もう一言添える。

 

『先生も、本日はありがとうございました。おかげさまで、気持ちが楽になりました』

 

 送信。

 

 すると、すぐに既読がついた。

 

『それならよかった! 今日はちゃんと休んでね』

 

「……はいはい」

 

 思わず笑ってしまう。

 

『ふふっ。承知しました。先生もお身体を大切になさってくださいね』

 

 そう返して、端末を置いた。

 

(……さて)

 

 今日はもう、仕事をしない。

 

 そう決めていた。

 

 先生と約束した。

 

 ヒナにも注意された。

 

 ツルギにまで休むよう言われた。

 

 そして、救護騎士団にも。

 

(……これだけ言われて仕事したら、さすがに怒られるよなぁ)

 

 俺は苦笑した。

 

 それから、軽く食事を取る。

 

 温かい料理を口にすると、ようやく一日の緊張が解けていくような気がした。

 

(……ああ、落ち着くなぁ)

 

 その後は、ゆっくりとお風呂に入ることにした。

 

     ◇

 

(……さて、お風呂だな)

 

 着替えを用意し、浴室へ向かおうとしたところで、ふと足が止まった。

 

(……あっ)

 

 脳裏に、今日のヒナの顔が浮かんだ。

 

『まさか、ナギサの身体で変なことをしていないでしょうね?』

 

(……うっ)

 

 あの時の、妙に鋭い視線。

 

 思い出しただけで、何となく背筋が伸びてしまう。

 

(……いや、別に変なことなんてしてないんだけどさ)

 

 そもそも、お風呂に入らないわけにはいかない。

 

 身体を洗う必要もあるし、目を閉じたまま入浴するのは危険だ。

 

 だから、どうしても必要な範囲では見なければならない。

 

 それはヒナだって、仕方ないと言ってくれたはずだ。

 

(……うん。何も問題ない。問題ないはずだ)

 

 そう自分に言い聞かせながら、服に手をかける。

 

 だが。

 

(……なんか、意識すると余計に気まずいなぁ)

 

 今までも、できるだけナギサの身体を意識しないようにしてきた。

 

 それなのに、今日あんな話をしたせいで、変に気になってしまう。

 

(……ああもう! 何で普通に風呂に入るだけで、こんなに緊張しなきゃいけないんだよ!)

 

 俺は、ため息をついた。

 

「……大丈夫ですよ、ヒナさん。変なことは何もしませんから……」

 

 思わず、そんなことを呟いてしまう。

 

「…………」

 

(……いや、何で誰もいないのに言い訳してるんだ、俺)

 

 しかも、相手はここにいないヒナだ。

 

(……あの子、俺の中でどんだけ怖い存在になってるんだよ……)

 

 俺は苦笑した。

 

 ともかく、これ以上考えていても仕方がない。

 

(……よし。いつも通り、必要なことだけ済ませよう)

 

 俺は気を取り直し、浴室へ入った。

 

 できるだけ余計なことは考えず、手早く身体と髪を洗う。

 

 そして、ようやく湯船の前に立った。

 

(……ふぅ。やっと落ち着けるな)

 

 そっとお湯に足を入れる。

 

「……ふぅ……」

 

 湯船に身体を沈めると、自然と息が漏れた。

 

 温かいお湯が、疲れた身体を包み込む。

 

(……ああ、気持ちいい……)

 

 やっぱり、疲れた時のお風呂は格別だ。

 

 元の世界でも、仕事終わりにゆっくり湯船へ浸かる時間は好きだった。

 

 こうしていると、昔の生活を思い出す。

 

(……それにしても)

 

 俺は、ぼんやりと天井を見上げた。

 

(……本当に、とんでもない世界に来たもんだなぁ)

 

 目が覚めたら、知らない少女の身体になっていた。

 

 しかも、その少女は、原作で知っている桐藤ナギサ。

 

 そして今では、エデン条約の悲劇を防ぐために、あれこれ動き回っている。

 

(……元の俺が聞いたら、絶対に信じないだろうなぁ)

 

 そんなことを考えて、思わず笑ってしまった。

 

 ふと、湯船の中にある自分の手を見つめる。

 

 白く、細い指。

 

 今の俺が借りている、ナギサの身体。

 

(……ちゃんと大切にしないとな)

 

 今日、ようやく診察を受けることができた。

 

 これからは、仕事を一人で抱え込まず、休む時間もしっかり確保しよう。

 

 先生とも約束したのだから。

 

(……それに)

 

 俺は、静かに目を伏せた。

 

(……ナギサにも、安心して戻ってきてほしいしな)

 

 今の身体を、できるだけ良い状態で返してあげたい。

 

 そのためにも、俺自身が無茶をしてはいけない。

 

(……うん。気をつけよう)

 

 俺は頷いた。

 

 そして、もう少し湯船に浸かってから、浴室を後にした。

 

     ◇

 

 寝る準備を整え、ベッドに腰を下ろす。

 

 ふと、部屋を見回した。

 

 初めて目を覚ました時は、あんなにも恐ろしかった部屋。

 

 何が起きたのかも分からず、吐き気と頭痛に苦しみながら、見知らぬ景色に怯えていた。

 

 それが今では、少しずつ自分の居場所になりつつある。

 

(……不思議だな)

 

 俺は微笑んだ。

 

 そして、胸に手を当てた。

 

(……ナギサ)

 

 今日は、色々な人と話したよ。

 

 君のことも、ちゃんと話した。

 

 まだ、すべてを解決できたわけじゃない。

 

 君がどこにいるのかも、本当のところは分からない。

 

 それでも。

 

(……少しずつ、前に進んでるからな)

 

 君がどれほど辛かったのか、俺には全部分かるわけじゃない。

 

 日記を読んだからといって、君の苦しみを理解しきれるとは思っていない。

 

 だけど。

 

(……君には、ちゃんと幸せになってほしいんだよ)

 

 もう一度、友達と笑ってほしい。

 

 何かに怯えることなく、ゆっくりお茶を楽しんでほしい。

 

 困った時には、誰かに助けを求められるようになってほしい。

 

 そして、いつか。

 

 ここから先の人生を、生きていてよかったと思ってほしい。

 

(……だから、もう少しだけ待っててくれよ)

 

 俺は微笑んだ。

 

 布団に潜り込み、目を閉じる。

 

 だが、その時。

 

(……あっ)

 

 ふと思い出した。

 

(……そういえば、プランAに必要なもの、ミレニアムにあるんだよなぁ)

 

 あれを手に入れるためには、一度ミレニアムへ行かなければならない。

 

 ただ、今の俺の立場で、何の理由もなく他学園を訪問するわけにはいかないだろう。

 

(……どうやって取りに行こうかなぁ)

 

 正式に訪問の予定を組むか。

 

 それとも、何か別の用事と合わせてしまうか。

 

 いくつか考えてみるが、今すぐ答えが出るわけでもない。

 

(……まあ、明日考えればいいか)

 

 今日はもう、考えることも仕事も終わりだ。

 

 先生たちにも、ちゃんと休むと約束したのだから。

 

(……明日から、いよいよプランAの準備だな)

 

 俺は息を吐いた。

 

(……頼むから、うまくいってくれよ)

 

 そして、もう一度だけ胸に手を当てる。

 

「……おやすみなさい、ナギサさん」

 

 そう呟き、静かに目を閉じた。

 

 今夜は、久しぶりによく眠れそうな気がした。

 

 こうして、長い長い一日が、ようやく終わりを迎えた。




ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

今回は救護騎士団での診察と、セリナ・ハナエとの出会いを描きました。

ミネへ託した手紙も、今後どうなるのでしょうか。

さて、次回は少し趣向を変えて、EX回として第1話から第16話までの出来事を振り返るお話になります。

そして、次回登場するのはまさかのセクシーなフォックス!

果たして、どんなお話になるのでしょうか。

次回も楽しんでいただければ嬉しいです!
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