お労しいナギサ様へ   作:ムテケル

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2話目です!

今回はナギサ様の日記のお話です。

楽しんでもらえたら嬉しいです!



残された日記

 黒革の手帳を手に取る。

 

 表紙には題名も名前も書かれていなかった。

 

 使い込まれた革はところどころ色が褪せ、角も少し擦り切れている。

 

(……日記、なのか?)

 

 開こうとして、ふと手が止まった。

 

 これは桐藤ナギサの私物だ。

 

 いくら今は彼女の身体になっているとはいえ、勝手に読んでいいものなのだろうか。

 

(……いや、今さらか)

 

 もしナギサが本当に自殺しようとしたのなら、その理由を知らなければならない。

 

 それに、今の自分には確かめなければならないことがあった。

 

(……この世界が、本当に俺の知ってるブルアカと同じなのか)

 

 自分は桐藤ナギサになっている。

 

 その時点で、原作ではあり得なかった出来事が起きているのだ。

 

 ならば、他にも違う部分があるかもしれない。

 

 未来の知識を持っているからといって、それが必ず正しいとは限らない。

 

(……まずは、今までの出来事が原作と一致しているか確認しよう)

 

「……ごめん、ナギサ」

 

 小さく謝って、最初のページを開いた。

 

 そこには、几帳面な文字が並んでいた。

 

『本日より、日々の出来事を書き留めることにしました。

 

 公務に関する記録は別にありますが、こちらには私自身の考えを残そうと思います。

 

 誰かに見せるためのものではありません。

 

 ですから、ここでくらいは正直でいたいと思います』

 

(……なるほど)

 

 仕事の記録ではなく、完全に個人的な日記らしい。

 

 ページの端には、小さな花の模様が描かれていた。

 

(……こういうところは、年相応なんだな)

 

 少しだけ微笑ましくなる。

 

 俺はページをめくった。

 

 日記は数か月前から始まっていた。

 

 最初の頃は、比較的穏やかな内容が続いている。

 

『今日はミカさんとお茶をしました。

 

 相変わらず自由奔放な方ですが、あの明るさには何度も救われています。

 

 私が少し疲れていることにも気づいてくださったようで、無理をしないようにと言われました。

 

 ……ミカさんにだけは言われたくありませんね』

 

「……ふふっ」

 

 思わず笑ってしまった。

 

(……本当に仲が良かったんだな)

 

 聖園ミカ。

 

 ナギサの幼なじみであり、同じティーパーティーのホスト。

 

 原作では二人の関係は複雑なものになってしまうが、それ以前は間違いなく親しい友人だった。

 

 さらにページを進めると、百合園セイアの名前も出てきた。

 

『セイアから、また難しい話を聞かされました。

 

 彼女の言葉は時々、何を意味しているのか分からなくなります。

 

 ですが、きっと私たちのことを考えてくださっているのでしょう。

 

 ミカさんは途中で退屈そうにしていましたが、もう少し真剣に聞いていただきたいものです』

 

(……セイアもいる)

 

 少なくとも、この時点では三人とも無事だったらしい。

 

 俺は日付を確認しながら、さらに読み進めることにした。

 

 エデン条約の準備。

 

 ゲヘナとの交渉。

 

 学園内の反対派への対応。

 

 ティーパーティー内部での意見調整。

 

(……今のところ、大きな違いはなさそうだな)

 

 とはいえ、油断はできない。

 

 そもそも、原作で描かれたのはこの世界のほんの一部分に過ぎない。

 

 ゲームでは語られなかった出来事があってもおかしくないし、自分の記憶が間違っている可能性だってある。

 

(……原作知識を過信するのは危険だな)

 

 実際、ナギサが薬を大量に飲んでいたことなど、原作では一切描かれていなかった。

 

 この世界では、原作と違う事件が既に起きているのかもしれない。

 

(……慎重に確認しないとな)

 

 そう考えながらページをめくる。

 

 しかし、ある日を境に日記の雰囲気が変わった。

 

『セイアが、亡くなりました』

 

「…………」

 

 それまで整っていた文字が、明らかに乱れていた。

 

『何者かによって襲撃され、ヘイローが破壊されたとの報告を受けました。

 

 現場に駆けつけたミネ団長は、その後、セイアの遺体とともに姿を消してしまいました。

 

 まだ、信じられません。

 

 ついこの間まで、私たちは三人でお茶をしていたのに。

 

 どうして。

 

 どうして、こんなことになってしまったのでしょうか。

 

 私がもっと注意していれば。

 

 もっと早く危険に気づいていれば。

 

 あの子を守れたかもしれないのに』

 

「……っ」

 

 思わず息を呑んだ。

 

(……そうだった)

 

 原作の記憶が蘇る。

 

 セイアはアリウスの襲撃を受け、意識不明の重傷を負った。

 

 しかし、彼女は死んでいない。

 

 最初に発見した救護騎士団の団長、蒼森ミネが秘密裏に保護しているはずだ。

 

 そして、その事実を隠すために、セイアが死亡したという偽情報が流された。

 

(……ナギサは、セイアが生きてることを知らないんだ)

 

 俺は日記に目を落とす。

 

 ナギサにとって、大切な友人は既に亡くなっている。

 

 生きている可能性すら知らされず、遺体の所在も分からない。

 

 そんな状態で、彼女は毎日を過ごしていたのだ。

 

(……でも、本当に生きてるんだよな?)

 

 ふと、不安がよぎった。

 

 これまでの出来事は、確かに原作と一致している。

 

 だが、それだけでセイアが生存していると断言できるわけではない。

 

 もし、この世界では本当に殺されていたら。

 

 もし、自分の知っている未来とは違っていたら。

 

(……いや、今は確認する方法がない。生存している可能性が高いと考えて動こう)

 

 少なくとも、日記の内容は原作の流れと矛盾していない。

 

 それを信じたい。

 

 そう考えた瞬間、胸が締め付けられた。

 

「っ……!」

 

 突然、頭の奥に知らない情景が浮かぶ。

 

 薄暗い執務室。

 

 何度も同じ資料を読み返す少女。

 

 机に置かれた、返事のない連絡記録。

 

 そして、震える声。

 

『……セイア』

 

 それだけだった。

 

 けれど、胸の奥に残された感情は、言葉にできないほど重かった。

 

(……これ、ナギサの記憶か?)

 

 不安。

 

 恐怖。

 

 後悔。

 

 それらが、自分自身の感情であるかのように流れ込んでくる。

 

(……記憶だけじゃなく、感情まで残っているのか)

 

 俺は胸を押さえながら、ゆっくり呼吸を整えた。

 

 そして、続きを読み始めた。

 

『学園内に裏切り者がいる可能性があります。

 

 エデン条約に反対する者たちの動きも活発になっています。

 

 誰を信じるべきなのか、慎重に見極めなければなりません。

 

 セイアを襲った犯人が、内部にいる可能性も否定できないのですから』

 

『今日はミカさんと意見が衝突しました。

 

 彼女は私が疑いすぎだと言います。

 

 そうなのかもしれません。

 

 ですが、もし私の判断が甘かったせいで、また誰かが傷ついたら。

 

 今度こそ、取り返しがつかなくなってしまいます』

 

(……原作と同じ流れだ)

 

 セイアの襲撃。

 

 学園内の裏切り者。

 

 エデン条約に反対する勢力。

 

 それらに追い詰められたナギサは、周囲の人間を疑うようになっていく。

 

 そして、補習授業部を利用して裏切り者を探そうとするのだ。

 

 しかし、日記を読み進めるうちに、別のことが気になり始めた。

 

(……なんか、思ってた以上にひどくないか?)

 

 原作でもナギサが追い詰められていたことは分かっていた。

 

 しかし、日記に書かれている彼女の状態は、それ以上だった。

 

『最近、あまり眠れていません。

 

 目を閉じると、セイアのことを思い出してしまいます。

 

 結局、朝まで書類を整理していました。

 

 仕事をしている間は、余計なことを考えずに済みますから』

 

『今日もミカさんに心配されました。

 

 顔色が悪いそうです。

 

 ですが、今は休んでいる場合ではありません。

 

 私が休めば、その分だけ仕事が滞ってしまいます。

 

 それに、ティーパーティーのホストが弱音を吐くわけにはいきません』

 

『少し、疲れました』

 

「…………」

 

 その日の記録は、たったそれだけだった。

 

 翌日には、また仕事の話が書かれている。

 

 さらに翌日も。

 

 そして、その次の日も。

 

(……休んでないのか?)

 

 日付を確認する。

 

 少なくとも、ここ数週間はまともに休んだ様子がない。

 

 それどころか、睡眠時間まで削って仕事を続けていたらしい。

 

 やがて日記には、薬についての記述まで登場し始めた。

 

『今日は頭痛がひどかったので、薬を飲みました。

 

 おかげで、何とか会議を終えることができました』

 

『眠れない日が続いています。

 

 睡眠を助ける薬を使うことにしました。

 

 明日こそは、万全の状態で仕事に臨みたいと思います』

 

『今朝はどうしても眠気が取れませんでした。

 

 ですが、予定を変更するわけにはいきません。

 

 何とか一日を乗り切ることができて、安心しました』

 

(……おいおい)

 

 思わず、ベッド脇の空瓶に目を向ける。

 

 睡眠導入剤。

 

 覚醒促進剤。

 

(……まさか、ずっとこんな生活を?)

 

 嫌な予感が強くなる。

 

 さらにページをめくった。

 

『今日は久しぶりにミカさんとお茶をしました。

 

 以前のように楽しく話したかったのですが、どうしてもエデン条約のことが頭から離れませんでした。

 

 ミカさんは、私が変わってしまったと言います。

 

 ……そうなのでしょうか。

 

 私は、何も変わっていないつもりなのですが』

 

 その下には、何度も文字を書き直した跡があった。

 

 最後に残されていたのは、短い一文。

 

『昔に戻りたいです』

 

「……っ」

 

 胸が痛む。

 

 その痛みとともに、寂しさが込み上げてきた。

 

(……ナギサ)

 

 俺は一度目を閉じ、ゆっくり息を吐いた。

 

 ここから先を読むのが、少し怖くなっていた。

 

 けれど、読まなければならない。

 

 彼女が何を考え、どれほど追い詰められていたのか。

 

 それを知らずに、この身体で生きていくわけにはいかない。

 

 俺は再び日記を開いた。

 

 日付は、現在に近づいていた。

 

『補習授業部の設立について、検討を進めています。

 

 対象となる生徒も、ある程度絞り込むことができました。

 

 白洲アズサさん。

 

 浦和ハナコさん。

 

 下江コハルさん。

 

 阿慈谷ヒフミさん。

 

 それぞれ事情は異なりますが、確認すべき点があります。

 

 彼女たちの中に裏切り者がいる可能性も否定できません。

 

 ですが、もし全員が無関係だったとしたら。

 

 ……私は、また間違った判断をしてしまうのでしょうか』

 

(……四人ともいる)

 

 知っている名前が並んでいる。

 

 しかも、まだ補習授業部は正式に活動を始めていないらしい。

 

 次のページにも目を通す。

 

『補習授業部の指導については、外部の協力を仰ぐことも検討しています。

 

 シャーレの先生にお願いする案もありますが、まだ正式な依頼には至っていません』

 

(……先生とも、まだ会ってないのか)

 

 これで、ようやく現在の時系列が見えてきた。

 

 セイアの襲撃は既に発生している。

 

 補習授業部の候補者も決まっている。

 

 しかし、四人はまだ集められていない。

 

 そして、ナギサと先生もまだ顔を合わせていない。

 

(……つまり、エデン条約編が本格的に始まる直前か)

 

 原作の出来事を思い返す。

 

 先生がティーパーティーに招かれ、ナギサとミカに会う。

 

 補習授業部の指導を依頼され、それを引き受ける。

 

 そして、四人の生徒たちが集められる。

 

(……大筋は一致しているな)

 

 ただし、だからといって今後も原作通りに進む保証はない。

 

 ましてや、自分という本来存在しない人間が入り込んだ以上、これから先の未来は変わっていくはずだ。

 

(……原作の知識は、答えじゃなくて手掛かりとして使うべきだな)

 

 そう考えれば、少しだけ気持ちが楽になった。

 

 未来を知っているからといって、必ずその通りに行動する必要はない。

 

 むしろ、違う未来を目指すためにこそ、その知識を使えばいい。

 

 しかし、日記の残りを確認した瞬間、そんな考えは吹き飛んだ。

 

『最近、何をしていても不安になります。

 

 書類を読んでいても、同じ文章を何度も読み返してしまいます。

 

 人と話していても、途中で何を話していたのか分からなくなることがあります。

 

 こんな状態ではいけません。

 

 もっと、しっかりしなければ』

 

『今日も眠れませんでした。

 

 目を閉じると、色々なことを考えてしまいます。

 

 セイアのこと。

 

 ミカさんのこと。

 

 エデン条約のこと。

 

 私が失敗すれば、すべてが台無しになってしまうかもしれません。

 

 だから、頑張らなければ』

 

 次のページ。

 

『もう少しだけ、頑張ります』

 

 さらに次。

 

『あと少しだけ』

 

「…………」

 

 いつの間にか、日記を持つ手が震えていた。

 

 文章が短くなっている。

 

 以前は丁寧に書かれていた文字も、今ではところどころ乱れていた。

 

 そして、あるページで手が止まった。

 

『誰か、助けてください』

 

 たった一行。

 

 それだけだった。

 

「……っ」

 

 その瞬間、胸の奥から強烈な感情が込み上げてきた。

 

 苦しい。

 

 怖い。

 

 誰かに助けてほしい。

 

 けれど、誰にも迷惑をかけたくない。

 

 皆さんは私を信じてくださっている。

 

 だから。

 

 だから、私は。

 

「……っ、やめろ……!」

 

 思わず胸を押さえた。

 

 頭の中に、知らない情景が浮かぶ。

 

 夜明け前の執務室。

 

 積み上げられた書類。

 

 冷めきった紅茶。

 

 そして、机に突っ伏す一人の少女。

 

『……疲れました』

 

 誰にも聞こえない小さな声。

 

『もう……疲れてしまいました……』

 

 その頬を、涙が伝っていた。

 

『誰か……』

 

 少女は顔を上げる。

 

 けれど、そこには誰もいない。

 

『……助けて、ください……』

 

「……ナギサ……」

 

 気づけば、自分の頬にも涙が流れていた。

 

(……これが、ナギサの感情なのか)

 

 俺は、こんなにも苦しくない。

 

 俺自身はセイアと会ったこともないし、ティーパーティーの仕事を経験したこともない。

 

 だから、こんな感情を抱くはずがない。

 

 それなのに。

 

 今、胸の奥にある苦しみは、間違いなく本物だった。

 

(……こんなのを、ずっと一人で抱えてたのかよ)

 

 俺は震える指で、最後のページをめくった。

 

 そこには、昨日の日付が書かれていた。

 

『明日も、頑張らなければなりません。

 

 ですが、最近は朝を迎えることが怖くなりました。

 

 目が覚めれば、また一日が始まってしまいます。

 

 誰かに助けてほしいと思うのに、誰にも言えません。

 

 心配をかけたくないのです。

 

 皆さんは、私を信じてくださっています。

 

 だから、私は』

 

 文章はそこで途切れていた。

 

 少し下に、もう一つだけ文章が残されている。

 

『もし、明日の朝が来なければ』

 

 その先は、何も書かれていなかった。

 

「…………」

 

 俺はゆっくりと日記を閉じた。

 

 机に置かれた二本の空瓶が目に入る。

 

(……そういう、ことか)

 

 確証はない。

 

 けれど、ナギサが自ら命を絶とうとした可能性は、もう無視できなかった。

 

 彼女は、限界だったのだ。

 

 眠れない日々。

 

 終わらない仕事。

 

 大切な友人を失った悲しみ。

 

 誰も信じられなくなっていく恐怖。

 

 そして、誰にも助けを求められない孤独。

 

「……馬鹿野郎……」

 

 思わず呟いた。

 

 誰に対する言葉なのか、自分でも分からなかった。

 

(……まだ、子供じゃないか)

 

 そうだ。

 

 桐藤ナギサは、まだ学生なのだ。

 

 どれほど優秀でも。

 

 どれほど大きな権力を持っていても。

 

 どれほど立派に振る舞っていても。

 

 本来なら、大人に守られるべき子供なのだ。

 

 それなのに、学園の未来を背負い、友人の死を悲しむことすら満足にできず、誰にも弱音を吐けずにいた。

 

(……こんなの、おかしいだろ)

 

 俺は日記の表紙を、そっと撫でた。

 

「……ごめんな、ナギサ」

 

 彼女の意識がどこへ行ったのかは分からない。

 

 戻ってくることができるのかも分からない。

 

 けれど。

 

「……もう、頑張らなくていいから」

 

 自然と、そんな言葉が漏れた。

 

「今度は……俺が何とかするから」

 

 返事はない。

 

 それでも、言葉を続ける。

 

「俺は……大人だ」

 

 少なくとも、ナギサよりは長く生きてきた。

 

 そんな自分が、彼女の苦しみを知ってしまった。

 

 なら、もう見て見ぬふりなんてできない。

 

(……絶対に救ってやる)

 

 彼女の意識がまだどこかに残っているのなら、取り戻したい。

 

 そして、戻ってきたときには、安心して笑って暮らせるようにしたい。

 

 そのためにも、まずはこの世界で起こる悲劇を防がなければならない。

 

(……エデン条約)

 

 このまま原作通りに進めば、ミカの裏切りが明らかになり、補習授業部は危機に陥る。

 

 やがて条約締結式が襲撃され、多くの生徒が傷つくことになる。

 

(……そんな未来、絶対に嫌だ)

 

 原作を知っているからといって、すべてを解決できる保証はない。

 

 それでも、何が起きるかを知っている以上、何もしないという選択肢はなかった。

 

「……さて」

 

 俺は涙を拭い、予定表に目を向けた。

 

(……まずは、何から始めるか)

 

 身体はまだ重い。

 

 頭痛も残っている。

 

 正直に言えば、今すぐ休んでしまいたかった。

 

 薬の影響が残っている可能性を考えれば、本来は医療機関に助けを求めるべき状態だ。

 

 けれど、今ここで大騒ぎになることは避けたかった。

 

(……ナギサが薬を大量に飲んで倒れたなんて知られたら……)

 

 ティーパーティーのホストが自殺を図ったかもしれない。

 

 そんな情報が広まれば、学園内は大混乱になるだろう。

 

 ミカもひどく心配するはずだ。

 

 エデン条約の交渉にも影響が出かねない。

 

(……まあ、ナギサと同じことを考えてる気もするけど)

 

 自嘲気味に笑う。

 

 誰にも心配をかけたくないから、一人で抱え込む。

 

 まさに彼女を追い詰めた考え方だった。

 

(……でも、今は)

 

 少なくとも、今すぐ周囲に通報して騒ぎを起こすつもりはなかった。

 

 自分の判断が間違っている可能性も分かっている。

 

 それでも、まずは今日の状況を確認したかった。

 

(……補習授業部、か)

 

 阿慈谷ヒフミ。

 

 白洲アズサ。

 

 浦和ハナコ。

 

 下江コハル。

 

 原作では、それぞれに事情を抱えながらも、先生とともに困難を乗り越えていった少女たち。

 

 そして、ナギサが疑い、追い詰めてしまうことになる生徒たちだ。

 

(……まずは、この四人からだな)

 

 今なら、まだ間に合う。

 

 補習授業部は正式に集められていない。

 

 先生とも会っていない。

 

 つまり、ナギサが原作と同じ失敗をする前に、関係を築ける可能性がある。

 

(……実際に会って、話をしてみよう)

 

 ゲームで知っている彼女たちと、この世界の彼女たちが完全に同じとは限らない。

 

 細かな性格や事情に違いがあるかもしれない。

 

 だからこそ、実際に会う必要がある。

 

 原作知識だけで判断するのではなく、自分の目で確かめたい。

 

(……今日、面談を設定しよう)

 

 四人を正式に補習授業部へ集める前に、一人ずつでも話を聞いてみる。

 

 全員と長時間話すのは難しいかもしれないが、少なくとも今の状況は確認しておきたい。

 

 彼女たちが何を考え、どんな問題を抱えているのか。

 

 そして、原作と違うところがないか。

 

 それを確かめることが、最初の一歩になるはずだ。

 

「……よし」

 

 立ち上がろうとした瞬間、軽い眩暈が襲った。

 

「っ……!」

 

 慌てて机に手をつく。

 

(……やっぱり、きついな)

 

 思わず苦笑する。

 

 まだ身体は満足に動かない。

 

 こんな状態で面談など、本当にできるのだろうか。

 

 それでも、気持ちは決まっていた。

 

(……無理は承知だ。でも、今日から動きたい)

 

 いつ原作との違いが生まれるか分からない。

 

 動けるうちに、できることから始めよう。

 

 俺は黒革の日記を、そっと引き出しに戻した。

 

 そして、もう一度だけ心の中で呼びかける。

 

(……待っててくれよ、ナギサ)

 

 君が守りたかったものは、俺が守る。

 

 君が救いたかった人たちも、できる限り救ってみせる。

 

 そして、いつか君自身が戻ってきたときには。

 

 もう二度と、一人で泣かなくて済むように。

 

(……絶対に、幸せにしてみせる)

 

 それが、この身体を借りている自分にできる、せめてもの恩返しだ。

 

「……さて、と」

 

 俺は予定表を開き、補習授業部の候補者たちに関する資料を引き寄せた。

 

「まずは、皆さんとお話ししなければなりませんね」

 

 まだ少し慣れない、桐藤ナギサの声。

 

 けれど、その口調には少しだけ馴染んできた気がする。

 

(……目指すのは、全員が笑って終われる未来だ)

 

 ナギサも。

 

 ミカも。

 

 セイアも。

 

 補習授業部の四人も。

 

 そして、これから出会う先生も。

 

 誰一人欠けることなく、笑っていられる未来。

 

 そんな都合のいい結末が、本当に存在するのかは分からない。

 

 けれど。

 

(……ハッピーエンドを目指して、何が悪い)

 

 俺は小さく笑った。

 

 こうして、桐藤ナギサとして迎えた最初の朝。

 

 俺は、原作とは違う未来へ踏み出すことを決めた。

 




ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

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