第16話の翌日、アリウス救済に向けて準備を進めるナギ。
今回はシスターフッドを訪ね、マリーとサクラコに出会います。
ただし、秘密の相談には、思わぬ落とし穴があるようで……。
「……よし」
目覚ましが鳴る前に目が覚めた。
ここ二日、続けてぐっすり眠れている。昨日も救護騎士団で診察を受けた後、セリナさんの忠告どおり食事を取って早めに休んだおかげか、身体の重さはずいぶんましになった。
(……人間、ちゃんと寝るだけでこうも違うのか)
もちろん全快ではない。だから今日は、走り回る前に人を頼るところから始めよう。
洗面台の鏡に映るナギサの顔へ、心の中で語りかける。
(ナギサ。今日も少し動きますね。でも無茶はしませんから)
返事はない。それでも、こうして伝えておきたかった。
◇
朝食後、執務室で端末を開いた。
今日の予定は二つ。プランAを進めることと、アリウスの生徒たちを見つけた後の準備をすることだ。
まずは前者。自治区の位置に繋がる古い記録を洗い直す。昔の地図と今の地理情報を照らし合わせるなら、ミレニアムの技術協力も得たいところだ。
……ただし、俺があそこへ行きたい最大の理由は、別にある。
(……アレが使えたら、相当助かるんだけどな)
原作でも、ほんの一瞬だけ出てきた発明品。
初めて見た時は、その用途に呆れてしまった。けれど、よく考えれば、あれが成り立っている時点で技術そのものは侮れない。
強度については、むしろ期待している。問題は、もともとの性質を保ったまま別の形へ応用できるか。そして、必要な量を用意できるかだ。
(……まあ、原作じゃ詳しい仕様も分からなかったし。現物を見ないと始まらないよな)
しかし、俺が知っているのは原作を見たからだ。本来のナギサが、あんな品を知っている理由はない。
歴史資料の調査を持ちかけたホストが、いきなりそれだけ名指しで欲しがる。……不自然どころの話じゃない。
(まずは、ちゃんとした協力関係を作ってからだ)
ミレニアムのセミナーへ、学園間の歴史資料の照合に関する技術相談を送った。依頼自体は本物だ。ただし、調査対象の名前や本命の品については書かない。
次は、見つけた後の問題だ。
自治区までの道を突き止めても、その先で生徒たちを保護できなければ意味がない。脱出できたとしても、安心して眠れる場所を用意できなければ、救ったことにはならないだろう。
(……そこで、シスターフッドか)
独自の歴史資料を持ち、人を支える活動も続けている組織。古い道について何か知っている可能性があるうえ、保護後の受け入れについても相談できる。
もちろん、前身であるユスティナ聖徒会の歴史も忘れてはいない。だからこそ、サクラコさん自身の考えを聞いておきたかった。
面会を申し込むと、午後なら時間を取れるとの返事が来た。
(……よし。あとは話す順番だな)
今日は護衛が二人同行する。安全のためにありがたいが、アリウスの名前まで聞かせるわけにはいかない。
一般的な支援の相談を先に済ませ、核心に触れる時だけ人払いをお願いしよう。
俺はそう決めて、端末を閉じた。
◇
昼過ぎ。
シスターフッドの礼拝堂は、外から想像していた以上に静かだった。
高い天井。陽光を受けるステンドグラス。磨かれた床に、色とりどりの模様が落ちている。
(……すげえ。ゲームで見るのとは、やっぱり違うな)
「ナギサ様、お足元にお気をつけください」
「ああ、ありがとうございます」
後ろには護衛の生徒が二人。
先輩らしい落ち着いた生徒と、やや緊張した様子の後輩。二人ともティーパーティーの警護班所属で、今日も真面目に任務をこなしてくれている。
「ご面会の間も、可能な限りお傍に控えます」
「ええ。ただ、途中で機密の相談をするかもしれません。その時は、少しだけ席を外していただくことになると思います」
「承知しました。安全の確認が取れれば対応いたします」
素晴らしい。
やっぱり事前に話しておけば、変なことにはならない。
そう思っていたところへ、柔らかな声がかかった。
「こんにちは。何かお探しでしょうか?」
振り向くと、黒いヴェールに白い裾、金色の装飾が目を引く修道服をまとった少女が立っていた。
控えめな微笑みと、特徴的なヴェール。
(……マリーだ!)
伊落マリー。
シスターフッドの一員で、とても優しい子だ。
「こんにちは。桐藤ナギサと申します。サクラコさんとお約束があるのですが」
「まあ、ナギサ様! お越しになると伺っておりました。伊落マリーと申します」
マリーさんは丁寧に礼をすると、廊下の奥を示した。
「サクラコ様のお部屋までご案内しますね」
「ありがとうございます」
ついて歩く間、マリーさんは礼拝堂の案内をしてくれた。
誰でも祈りに訪れていいこと。相談事がある生徒のために、別室も用意されていること。修道服姿の生徒たちが、忙しそうに行き来していること。
その穏やかな日常を見ながら、俺はふと考えた。
地下で暮らす子たちも、いつかこんな場所で、追われることなく歩けたらいい。
「……マリーさん」
「はい?」
「もし、安心できる場所を失った生徒さんがこちらへ来たら、相談には乗っていただけるのでしょうか?」
マリーさんは、少し驚いたように瞬きをした。
「もちろんです。私にできることは限られますけれど、お話を聞くことなら、いくらでも」
「……ありがとうございます」
「大勢の方をお迎えすることでしたら、サクラコ様とご相談なさるのがよいと思います」
「ええ。今日は、その件もお話ししたくて」
マリーさんは安心させるように微笑んだ。
「それなら、きっと真剣に考えてくださいますよ」
(……うん。心強い)
その時、後ろの護衛が、なぜか小さく咳払いをした。
……ん?
◇
案内された応接室で、ひとりの少女が立ち上がった。
黒を基調とした修道服に、白い襟と淡い水色のリボン。姿勢は端正で、微動だにしない。
顔立ちは綺麗なのに、赤紫の瞳がまっすぐこちらを射抜いてくる。口元は穏やかに結ばれているはずなのに、何を考えているのか、表情だけではさっぱり読めない。
「お待ちしておりました、ナギサさん」
「お時間をいただき、ありがとうございます。サクラコさん」
歌住サクラコ。
シスターフッドの長だ。
(……うわ、実際に会うと迫力あるな)
原作で知っている。サクラコさんは真剣になるほど顔が硬くなり、善意の微笑みさえ妙に意味深に見える人だ。
けれど俺には、あの表情の奥にある不器用な優しさも分かる。
「本日は、私にしかお任せいただけないようなお話があるとか」
「……え?」
サクラコさんは真剣に続けた。
「ナギサさんが人目を避けてここへいらっしゃるほどのご事情。私としても、相応の覚悟をもって受け止めるつもりです」
「え、ええ。ありがとうございます」
(……重い。いや、相談を真剣に受け止めてくれているんだよな)
マリーさんがお茶を運び、会釈して退出した。
護衛の二人は、俺の後ろに控えている。
「まず、今後の生徒支援について相談があります」
俺は、できるだけ一般的な表現を選んだ。
「事情があって、行き場を失うかもしれない子たちがいます。まだ正式に保護できるかも分からないのですが、その時に受け入れ先を用意できないかと思いまして」
「……行き場を失う子たち、ですか」
サクラコさんの表情が変わった。
「はい。人数も確定していません。ただ、場合によっては一人二人では済まないかもしれません」
「それほど大勢の方を……」
サクラコさんは、しばらく考え込んだ。
「ナギサさんは、その方々を一人で抱え込むおつもりなのですか?」
「いえ。正直、私一人では無理です」
「……では」
「だから、サクラコさんに助けていただきたいんです」
サクラコさんは、ゆっくりとカップを置いた。
細めた目に、いっそう鋭い光が宿る。真剣に引き受けられるか考えているのだろうが、横から見れば、何かを値踏みしているようにも見えそうだった。
「……私に、引き受けてほしいと」
「はい。もちろん、無理をお願いするつもりはありませんが」
「……なるほど」
彼女は深々と頷き、口元にかすかな笑みを浮かべた。
……笑み、のはずだ。少なくとも俺にはそう見える。
「でしたら、私も軽い気持ちではお迎えできませんね」
「必要であれば、私が直接、内側へご案内することになるでしょう」
(……ああ、シスターフッドの管理する施設の中まで、ということか)
受け入れる相手を無責任に放置せず、自分で案内する。その意味なら、むしろありがたい。
「一度お預かりした以上、最後まで責任を持ちたいと思います」
背後から、小さく息を呑む音がした。
背後を振り返る。護衛二人は、やけに背筋を伸ばしていた。
(……勘違い、してないよな?)
(……まさか、『お預かりする』を妙な意味に取ってないよな?)
「サクラコさん。一つ確認させてください」
「はい?」
「今の『お迎えする』というのは、保護が必要な生徒さんたちのお話ですよね?」
「ええ、もちろんです」
よし。
「ありがとうございます」
俺は護衛二人に向き直った。
「念のためお伝えしておきますが、私がシスターフッドへ移籍するわけでも、こちらに身を預けるわけでもありません。生徒さんたちの支援体制についての相談です。誤解のないようにお願いしますね」
「は、はい! 承知しております!」
「もちろんです、ナギサ様!」
二人とも、勢いよく頷いた。
サクラコさんまで、少し不思議そうに首を傾げた。
「そのような誤解が生じる余地がありましたか?」
「い、いえ。念のためです」
「そうでしたか。ご説明が足りず申し訳ありません」
「こちらこそ」
(……よかった。これで安心だな)
俺は胸を撫で下ろした。
そして、本題へ戻る。
◇
「ただ、受け入れ先を決める前に、一つお願いしたいことがあります」
サクラコさんは、真面目な表情で言った。
「どのような方々なのか、分からないままお預かりすることはできません。支援する側にも、責任がありますから」
「もちろんです」
それは当然の指摘だ。
「今は詳細をお伝えできませんが、もし計画が進めば、できる限り早く必要な情報を共有します。受け入れられない事情があるなら、その判断も尊重します」
「……ありがとうございます。そう言っていただけると安心できます」
サクラコさんは、少しだけ表情を和らげた――と、俺には分かった。
ただ、背後の護衛からは、むしろ決意を固めた厳しい顔に見えたかもしれない。
「私たちは、かつてのような過ちを繰り返してはならないと考えていますから」
「……過ち、ですか」
「ええ。ご存じでしょう。私たちの前身、ユスティナ聖徒会のことを」
その名前が出た瞬間、護衛の二人が、ぴたりと動きを止めた。
……あれ?
「戒律を守るためと称して、人々を裁いた時代がありました。守るべきものを理由に、傷つけることさえ正当化してしまった。私たちは、その歴史から目を背けてはならないのです」
「……ええ。だからこそ、今は違うやり方を選ぶべきだと思います」
俺は頷いた。
サクラコさんは、真摯にこちらを見つめる。
「その通りです。誰かを守るという名目で、本人の意思を奪うことだけはしたくありません」
「私も同じ考えです」
「ただ……」
彼女は目を伏せた。
「必要な時に手を差し伸べられるように、私たちは今も、外から見えない場所に多くのものを残しています」
古い文書や、独自の連絡網のことだろう。
(……過去を正当化せず、誰かを助けるために変わろうとしている。原作で見たサクラコさんらしい)
「私たちが表に出せない情報もございます。ですが、本当に守るべき方のためなら、私はそれを開く覚悟があります」
「……ありがとうございます。心強いです」
護衛たちの気配が再び張り詰める。
「もっとも、そこまで踏み込んだ以上、簡単に知らなかったことにはできませんが」
「ええ。それは承知しています」
秘密を知る以上、守る責任も生じる。もっともな話だ。
「では、受け入れの可能性については、引き続き相談させてください」
「承知しました。私も、必要な時にはナギサさんを支えるつもりです」
「ありがたいです」
「ええ。もうお一人で抱え込まないでください。どうしても苦しくなったら、いつでもこちらへいらしてくださいね」
……ありがたい。
最近、先生にも同じようなことを言われた気がする。
「ありがとうございます。そうします」
「私が責任を持ってお迎えしますから」
(……うん?)
なんだか、最初の話へ戻ってないか?
その横で、護衛の後輩が、背筋をぴんと伸ばした。
◇
さて。
ここから先は、どうしても護衛の前では話せない。
俺が知りたいのは、アリウス自治区へ至る道についてだ。
古い地図。封鎖された経路。トリニティの歴史の中で、意図的に残されなかった記録。
どれも、慎重に扱う必要がある。
「……サクラコさん。もう一つ、古い資料について伺いたいことがあります」
「歴史資料ですか?」
「はい。ただし、こちらは公開できない内容を含んでいまして」
後ろの護衛へ視線を送る。
「彼女たちを信用していないわけではありませんが、今は知る人を増やすべきではないと判断しています」
サクラコさんはすぐに察してくれた。
「……承知しました。でしたら、ここで続けるのは適切ではありませんね」
「はい。お手数ですが、二人だけでお話しできる場所はありますか?」
「それでしたら……」
サクラコさんは、少し考えてから頷いた。
「懺悔室を使いましょう」
「……懺悔室、ですか?」
「ええ。あそこでは話された内容を、外へ漏らさないことが大切にされています。誰にも聞かれず、心の奥にしまってきたことをお話しいただけますから」
(……ああ、なるほど)
確かに、秘密の相談には向いている。
何より、サクラコさんが自ら案内してくれるなら安心だ。
「お願いします。できれば、サクラコさんと二人きりで」
「もちろんです。今日だけは、他の方にはお席を外していただきましょう」
護衛の先輩が、一歩前へ出た。
「……失礼します。ナギサ様の安全は、どのように確認すればよろしいでしょうか」
その質問はもっともだ。
するとサクラコさんは、赤紫の瞳を細めて答えた。
まったく悪意のない、頼もしい顔。――俺以外の人には、秘密を守るためなら何でもしそうな顔に見えるかもしれない。
「ご安心ください。私のもとにいらっしゃる間は、責任を持ってお守りします」
「……っ」
「ただし、中でお話しになることは、一切外へは出せません。何が語られたとしても、です」
(……まあ、そうだよな)
秘密の相談なのだから。
「ご心配には及びませんよ。サクラコさんは信用できる方です」
俺も護衛にそう伝えた。
「ええ。ナギサさんがお望みなら、私はお話を最後まで聞き届けます。たとえ今まで誰にも明かせなかったことでも、ここでは受け止めましょう」
先輩は口を真一文字に結び、後輩は祈るように手を組んでいた。
(……いや、これはもう一度ちゃんと話しておこう)
◇
懺悔室へ続く廊下は、人通りが少なかった。
木製の扉。古い石壁。足音がかすかに反響する。
「こちらです」
サクラコさんが扉を示した。
「護衛の皆さんは、外でお待ちいただけますか? 出口はこちら一つだけです。何かあれば、すぐにお声がけします」
護衛たちへ向けたその微笑みは、俺には気遣いに見えた。けれど二人は、まるで重大な宣告を聞いたように固まっている。
護衛の先輩が扉と廊下を見回す。
警護上の問題はなさそうだ。そう判断したのだろう。
「……承知しました」
「ありがとうございます」
サクラコさんは、そこでふと俺へ顔を向けた。
「ナギサさん。難しいお話になると思いますが……大丈夫ですか?」
「ええ。覚悟はしています」
「それなら、よかった。こちらの過去にも関わるかもしれません。私も、すべてをお見せするつもりで臨みます」
(……そうだよな。古い地図の件だもんな)
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「……では、どうぞ。中へ」
俺は扉へ向かいかけて、足を止めた。
(……待てよ。あの顔で『すべてをお見せする』は、さすがに迫力がありすぎるだろ)
振り返ると、護衛たちは見事なまでに背筋を伸ばしていた。
「お二人とも。念のため、もう一度だけ確認させてください」
「は、はいっ!」
「今日の相談は、支援が必要な生徒さんたちと、非公開の歴史資料についてです。『お迎えする』『お預かりする』も支援や秘密保持の話で、私がシスターフッドに入るわけではありません。誤解のないようにお願いしますね」
そこまで一息に説明すると、後輩が目を丸くした。
「……ナギサ様、そこまでお気づきだったのですか……?」
「お二人がずっと緊張なさっているのは分かりますよ」
苦笑しつつ、念を押す。
「サクラコさんの言葉は少し大げさに聞こえるかもしれませんが、それだけです。面談も私自身が望んだものですから、安心してください」
「……はい」
「……承知しました」
先輩が頭を下げる。後輩も慌ててそれに倣った。
するとサクラコさんが、ほっとしたように微笑んだ。
だが、彼女が二人に向けるその視線は相変わらず鋭く、護衛たちの背筋がわずかに伸びた。
「お気遣いありがとうございます、ナギサさん。私も皆さんのご心配はよく分かります。大切な方をお預かりするのですから、当然のことです」
(……サクラコさん、それは今言わなくてもよかったのでは!?)
護衛二人の肩が同時に跳ねた。
けれど、俺には分かる。今のは護衛をねぎらう言葉だし、その強張ったように見える笑みも本人なりの気遣いだ。
……問題は、俺に分かることが護衛にも伝わるとは限らない点なんだけど。
「……では、よろしくお願いします」
サクラコさんは俺を先に通し、扉が閉まる寸前、護衛たちへ丁寧に会釈した。
そして、威厳たっぷりの、本人としては安心させるつもりの笑顔を向ける。
「どうかご安心を。ナギサさんは、私がお預かりします」
――ぎぃ。
木の扉が閉じた。
俺は、これでようやく秘密の話ができると、心底ほっとしていた。
――二度も説明したのだから、さすがに護衛たちも安心してくれただろう。
そう信じたかった。
◇
――護衛班の先輩は、閉じた扉を凝視していた。
ナギサ様は、二度も説明してくださった。
(……分かってる。シスターフッドへの移籍なんて、あり得ない)
なのに、あの赤紫の瞳と、何かを決意したように見える微笑みを思い出すと、つい不安になる。
脳裏をよぎるのは、サクラコ様の言葉だった。
『簡単に知らなかったことにはできません』
『ナギサさんは、私がお預かりします』
シスターフッドの前身は、かつて戒律の名の下に人々を裁いたユスティナ聖徒会。もちろん、今の組織が同じことをすると疑う理由などない。
(……でも、あの顔で『お預かりします』は怖すぎるでしょう!?)
後輩が、そっと袖を引いた。
「……先輩」
「……何?」
「サクラコ様、『過去をすべてお見せする』って……」
「……聞こえた」
「ナギサ様、昨日までお忙しかったですし、最近ようやくお元気になられたところですよね」
「……そうね」
「……まさか、心が弱っているところを、シスターフッドへ……」
「やめて。そういうことを言わないで。私も今、それを考えないようにしてるから」
二人は顔を見合わせた。
もちろん、根拠などない。
ナギサ様は、サクラコ様を信頼していると明言した。しかも、自分たちの顔色を見て、わざわざ二度も説明してくださった。
信用したい。説明は筋が通っているし、ナギサ様の判断も信頼している。
けれど、サクラコ様が最後に浮かべた微笑みを思い出すと、理屈と無関係に背中が冷える。そんな自分が申し訳なくもあった。
それでも、ひとつだけ、引っかかる。
(……どうして『支援対象の生徒たち』の話だったはずなのに、最後は『ナギサ様をお預かりします』になっているの?)
しかも、その時のサクラコ様は満足そうに微笑んでいた。少なくとも、そう見えた。
善意だと分かっていても、あの表情と言い回しの組み合わせは反則だと思う。
ここで扉を叩けば、機密相談を妨害することになる。
何より、ナギサ様は自分の意思で入っていかれたのだ。疑う根拠もないのに、騒ぎにしてはいけない。
「……先輩、どうしましょう」
「……何もしないわ」
「えっ?」
「ナギサ様がそうおっしゃったんだから。私たちは指示どおり、ここで警護を続けるの」
後輩は、少し安堵したように息を吐いた。
「……そうですよね。サクラコ様だって、きっと親切で……」
「ええ。そうよ。おかしなことなんて何もないわ」
「……『大切な方をお預かりする』のも、秘密を守るためですもんね」
「……そうよ」
「……『私がお預かりします』も」
「……そう」
「……過去をすべてお見せする、というのも……」
「そこは、古い資料の話でしょう!」
思わず声が大きくなった。
二人は同時に口を押さえる。
……いけない。ここは静かな礼拝堂の廊下だ。
ふと、閉ざされた扉へ目を向ける。
中からは何の音もしない。声も漏れてこない。
もちろん、それこそが懺悔室の役目である。
「……先輩」
「……今度は何?」
「もしナギサ様が、シスターのヴェールをつけて出てこられたら……」
「だから、そんなことあるわけないでしょう!」
「……絶対に、ですか?」
「当たり前でしょう! ナギサ様が二回も説明してくださったのよ!」
「……そうですよね」
「そうよ! だから何も心配する必要なんて……」
そこで先輩の言葉が止まった。
「……ない、はず……」
「先輩まで不安にならないでくださいよぉ!?」
「誰のせいだと思ってるのよ……っ!」
二人は慌てて口を押さえた。
幸い、懺悔室の扉が開く気配はない。
――シスターフッドの静かな午後は、誰にも知られないまま、護衛二人の心の中だけで大騒ぎになっていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
今回はマリーとサクラコの登場回です。
ナギは真剣に救済の準備を進めているのですが、サクラコの善意あふれる言葉が、護衛たちには少々不穏に聞こえてしまったようで……。
護衛たちはナギサの説明を信じたいのに、サクラコの意味深な言葉で疑念が再燃。とはいえ、誰にも報告せず、二人で悩みを抱え込んでいます。
次回、懺悔室でいよいよ本題に入ります。よろしくお願いします!