今回は、サクラコとの秘密の相談。
エデン条約を守るため、そしてその先を見据えて、ナギが動き出します。
それでは、よろしくお願いします!
――ぎぃ。
背後で木製の扉が閉まった。
廊下の物音が遠ざかり、辺りが静まり返る。
(……さて)
いよいよ本題だ。
懺悔室の中は木製の仕切りで区切られていて、向こう側に座るサクラコさんの姿は見えない。
「ナギサさん。お声は聞こえていますか?」
「はい。問題ありません」
「よかったです。それでは、お聞かせいただけますか?」
「……ええ」
椅子に腰を下ろし、背筋を伸ばす。
護衛たちもいない。
ここなら、余計な耳を気にする必要もないだろう。
(……とはいえ、どこまで話すべきか)
サクラコのことは信用している。
原作でも、少々誤解されやすいところはあったけれど、根は真面目で優しい人だった。
ただ、これから話すのはトリニティの過去と、エデン条約の未来に関わることだ。
さすがに何も考えずに話すわけにはいかない。
「……サクラコさん」
「はい」
「まず、アリウスという名前をご存じでしょうか?」
仕切りの向こうで、衣擦れの音がした。
「……アリウス分校、ですか?」
「はい。正確には、現在のアリウス自治区についてお聞きしたいんです」
「…………」
返事が途切れた。
まあ、当然だろう。
今のトリニティで、好んで口にする名前ではない。
「……失礼しました。少々驚いてしまって」
「いえ」
「私たちも、かつてのトリニティについて学ぶ中で、その名を目にすることはあります。ですが、現在のアリウスについては……」
「詳しくはご存じない、と?」
「ええ。少なくとも、私が把握している範囲では」
(……やっぱり、そう簡単にはいかないか)
とはいえ、最初から居場所を知っているとは期待していない。
むしろ、ここからが本題だ。
「実は、アリウスがエデン条約の締結を妨害する可能性を考えています」
「…………え?」
サクラコの声が止まった。
「……今、何と?」
「最悪の場合、調印の場そのものを襲撃してくるかもしれません」
椅子の軋む音がした。
「ナギサさん。それは……確かな情報なのでしょうか?」
「……いえ。残念ながら、まだ十分な裏付けが取れていません」
「…………」
「だからこそ、調べたいんです」
サクラコは黙っている。
当然の反応だ。
ティーパーティーのホストが、いきなり条約調印式への襲撃を口にする。
しかも証拠は不十分。
(……俺が逆の立場でも困るな、これ)
だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「今の段階でアリウスを犯人と決めつけ、騒ぎを大きくするつもりはありません」
「……そうなのですね」
「ええ。ただ、もし本当に襲撃を計画しているのなら、何も知らないまま調印の日を迎えるわけにはいきません」
エデン条約。
あの場で起きるはずだった惨劇。
俺はその光景を、画面越しとはいえ知っている。
だからこそ、今度は絶対に防ぎたい。
「少なくとも、現在のアリウスがどういう状態なのか、誰が指導しているのか、それくらいは把握しておきたいんです」
「……そのために、自治区をお探しなのですね」
「はい」
「ですが、ナギサさん」
「何でしょう?」
「もし本当に襲撃の危険があるのなら、調印式の警備についても考えなくてはなりません」
「もちろんです」
そこを後回しにするつもりはない。
「ただ、警備を強化するにしても、相手のことを知らなければ対策にも限界があります。それに……」
「それに?」
「もう一つ、気になっていることがありまして」
少し、言葉を選ぶ。
「仮にアリウスが襲撃を計画していたとして、それは本当に生徒たち自身の意思なのでしょうか?」
「…………」
「例えば、背後にいる大人から命令されている、という可能性はありませんか?」
「……大人、ですか?」
「ええ。脅されているのかもしれませんし、逆らうことのできない立場に置かれているのかもしれません」
ベアトリーチェ。
頭に浮かんだ名前に、思わず眉間に力が入る。
あの女が何をしてきたのか。
原作のことを思い返すだけでも腹が立つ。
しかし、今ここで名前を出すのは得策じゃない。
「……もちろん、まだ推測です。ですが、もしそんな人物がいるのなら、アリウスの生徒たちだけを相手にしても問題は解決しないと思うんです」
「……なるほど」
「ですから、それも含めて調べたいんです」
しばらく、沈黙が流れた。
「……ナギサさん」
「はい」
「もし、そのような人物が本当に存在していた場合、どうなさるおつもりですか?」
「まずは証拠を集めます」
「……その後は?」
「生徒たちを脅し、危険な行為を強制しているのなら、その立場から引きずり下ろすつもりです」
言ってから、我ながら随分と物騒なことを口にしたなと思った。
だが、そこは譲れない。
アリウスの子たちに命令を下す人間が残っていたら、いくら襲撃を阻止しても、また同じことが起きかねない。
「……随分と思い切ったお考えですね」
「……そうでしょうか」
「ええ」
(……だよなぁ)
証拠もないのに失脚させると言い出すなんて、普通に考えたら相当な話だ。
「……ただ、無理やり進めるつもりはありません。事実を確認してからです」
「そうですか」
向こう側で、サクラコが息を吐く音がした。
「それなら、ひとまず安心しました」
(……ひとまず、か)
あまり安心させられていない気もするが、仕方ない。
今はそれ以上のことを言える段階じゃない。
「……それで、サクラコさんにお願いしたいことが二つあります」
「はい。お聞かせください」
「まず一つ目は、アリウスに関する古い記録の調査です」
「記録、ですか?」
「はい。昔の地図や、地下通路についての資料などが残っていれば、確認していただけないでしょうか」
「地下通路……」
「特に、カタコンベに関するものがあれば助かります」
サクラコは少し考え込んだようだった。
「……確かに、古い資料の中には、そのような記録があるかもしれません」
「本当ですか?」
「ええ。ただ、私もすべてを把握しているわけではありませんし、現在でも利用できる通路なのかは分かりません」
「それでも構いません」
思わず身を乗り出しかける。
「入口の候補だけでも分かれば、こちらで調査を進められますから」
さすがに、いきなり正解の道が見つかるとは思っていない。
あの複雑な地下迷宮を、ゲームで見た記憶だけで歩き回るなんて無謀にもほどがある。
(……下手したら俺が遭難するからな)
いや、笑い事じゃないけど。
「……分かりました。まずは記録が残っているか、確認してみましょう」
「ありがとうございます!」
「ですが、ナギサさん」
「はい?」
「仮に手掛かりが見つかったとしても、すぐに自治区へ向かうようなことはなさらないでくださいね」
「……え?」
「危険があるとお考えなのでしょう? それなら、十分に準備をなさってからでなければ」
……ああ。
そういうことか。
「ええ。もちろんです」
「……本当ですか?」
「ほ、本当ですよ?」
なんだろう。
顔が見えないはずなのに、疑われている気がする。
(……そんなに信用ないのか、俺)
これまでの行動を振り返ると、少々心当たりがあるのが困る。
「……無茶はしません。約束します」
「ふふっ。それなら安心です」
ようやく、サクラコの声が柔らかくなった。
……よし。
とりあえず、一つ目のお願いは聞いてもらえた。
「それと、もう一つなのですが……」
「はい」
「こちらは、少し先の話になります」
俺は姿勢を正した。
「もし、アリウスの生徒たちが悪い大人に支配されていて、その人物を失脚させることができたとして……」
「……はい」
「その後、自治区から出たいと望む生徒さんがいたら、シスターフッドに相談窓口になっていただけないでしょうか?」
「……相談窓口、ですか?」
「ええ」
少し間を置いて続ける。
「もちろん、シスターフッドだけに全部お願いするつもりはありません。ほかにも協力していただける場所を探しますし、救護騎士団や先生にも相談できますから」
「……なるほど」
「ただ、せっかく外へ出ることができても、行く場所がなければ困るでしょう?」
住む場所。
食事。
学校。
それに、困った時に頼れる相手。
どれも、今から考えておく必要がある。
「なので、もし可能でしたら、相談先の一つになっていただきたいんです。それと、受け入れができる子については、居場所の一つにもなっていただけたら、と」
「…………」
返事はない。
やっぱり、いきなり言われても困るよな。
何人いるのかも分からないし、どんな事情を抱えているのかも分からない。
受け入れる側にも、当然限界はある。
「……もちろん、すぐに決めていただく必要はありません」
「いえ、そのことではないんです」
「……え?」
「一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「はい」
「ナギサさんは、エデン条約への襲撃を防ぎたいとおっしゃいましたよね」
「ええ」
「それなのに、襲撃してくるかもしれない生徒さんたちの、その後の生活まで考えていらっしゃる」
……ああ、そうか。
確かに、普通ならそこまで考えないかもしれない。
でも。
(……オラトリオ編を見ちゃったからなぁ)
あのスバルの姿は、今でも忘れられない。
あれだけ必死に頑張っていたのに。
ベアトリーチェがいなくなったって、苦しんでいる子たちはいた。
(……あれを見た後で、放っておけるわけないだろ)
「……襲撃を計画しているのなら、当然止めます」
「ええ」
「ですが、その後は別の話です。もし外に出たいと思う子がいるのなら、せめて頼れる場所くらいは用意してあげたいんです」
「…………」
「もちろん、まだ何も分かっていませんけどね」
そう言って、苦笑する。
自治区の場所すら見つかっていないのに、随分と先の話をしているものだ。
それでも、今からできることはあるはずだ。
「……ナギサさん」
「はい」
「一つだけ、お願いがあります」
「何でしょう?」
「もし、その生徒さんたちを保護することになっても、ご本人たちの意思を尊重していただきたいんです」
「…………」
「私たちが善意で差し伸べた手でも、相手にとっては恐ろしいものかもしれません。特に、長く対立してきた方々なら」
その言葉に、思わず頷いた。
そうだよな。
相手からすれば、トリニティのティーパーティーとシスターフッドだ。
突然そんな相手が現れて、助けに来たと言ったところで、簡単に信用してくれるはずがない。
「……ええ。無理に連れ出すつもりはありません」
「ありがとうございます」
「ただ、危険な状況にいる場合は、まず安全を確保する必要もあると思います。その後で、どうしたいのかを聞きたいです」
「……そうですね」
サクラコは、納得したようだった。
「それでしたら、私たちにもできることがあるかもしれません」
「……本当ですか?」
「ええ。ただし、今この場で全面的な受け入れをお約束することはできません」
「もちろんです」
「人数も、事情も分かりませんから。それに、受け入れる側の生徒たちの安全も考えなくてはなりません」
「……はい」
当然の話だ。
いくら善意があっても、準備なしに大勢の生徒を受け入れることはできない。
「ですが、もし本当に助けを求める方がいらっしゃるのなら、その声を聞くことまで拒みたくはありません」
「……!」
「相談窓口については、前向きに検討させてください。受け入れ先についても、実際の状況が分かってから一緒に考えましょう」
「……ありがとうございます!」
思わず、声が大きくなった。
よかった。
まだ何も決まったわけじゃない。
でも、これで一つ、道ができた。
「……それにしても、ナギサさん」
「はい?」
「随分と多くのことを、お一人で考えていらっしゃるのですね」
「……ああ、いえ。ほかにも相談している方々はいますよ」
「そうなのですね」
「ええ。私一人では、できることにも限界がありますから」
そう答えると、仕切りの向こうから安堵したような息遣いが聞こえた。
「……安心しました」
「……何がでしょう?」
「また、何もかもお一人で背負われようとしているのではないかと」
「…………」
(……うっ)
痛いところを突かれた。
先生にも言われた。
ヒナにも心配された。
ツルギからだって、無茶をするなと言われている。
(……俺、そんなに危なっかしく見えるのか?)
いや。
今までの行動を振り返ると、否定できない気もする。
「……反省しています。これからは、もっと周囲の方々を頼るつもりです」
「ふふっ。それなら安心しました」
サクラコが笑った。
仕切りの向こうなので顔は見えないが、声の調子で分かった。
(……こうして話すと、本当に優しい人なんだよな)
問題は、顔を合わせた時の印象なんだけど……。
「……ナギサさん」
「はい」
「何かを隠し続けるというのは、お辛いことでしょう。ですが、苦しくなった時には、どうか誰かを頼ってくださいね」
「……ありがとうございます」
「必要であれば、またこちらでお話しいただいても構いませんから」
「ええ。その時はお願いします」
……本当に。
最近、俺の周りには優しい人が多い。
ナギサが、ここまで追い詰められる前に。
こういう人たちと話せていたら、何か変わっていたんだろうか。
もちろん、今さら考えても答えは出ない。
でも。
(……ナギサ)
心の中で、呼びかけた。
(君にも、いつかこうして安心して誰かに相談できるようになってほしいな)
返事はない。
それでも、今はこうして伝えておきたかった。
「……ナギサさん?」
「あっ……はい」
「大丈夫ですか?」
「ええ。少し考え事をしていました」
「そうでしたか」
サクラコさんは、それ以上追及しなかった。
「では、古い資料については、私たちの方でも確認してみます」
「ありがとうございます」
「ただ、調査のためにほかの方の協力が必要になるかもしれません。その場合は、まずナギサさんへご相談しますね」
「……助かります」
「今回のお話も、必要以上には広めません」
「はい。よろしくお願いします」
これで、ひとまず今日の目的は果たせた。
あとは実際に、どれだけ手掛かりが見つかるかだ。
(……頼むぞ、プランA)
ミレニアムにも連絡はしてある。
ただし、向こうから返事が来るかどうかは、まだ分からない。
焦っても仕方がない。
できることから進めよう。
◇
――懺悔室の扉が開いた。
「……お待たせしました」
俺が廊下へ出ると、護衛二人が勢いよく振り向いた。
「ナギサ様!」
「……あ、はい?」
二人は、なぜか俺の頭から足元までを確認している。
(……何だ?)
「……ナギサ様、お加減はいかがでしょうか?」
「ええ。問題ありませんよ」
「そ、そうですか!」
何だか、ものすごく安心された。
……いや、さっきまで普通に話していただけなんだけどな。
「……何か心配なことでもありましたか?」
「い、いえ! 特には!」
「そうですか?」
護衛の後輩が、ちらりと俺の頭を見た。
(……頭?)
何かついているんだろうか。
思わず手を伸ばして確認する。
……何もない。
(……まさか、ヴェールでもついてると思ったのか?)
いやいや。
そこまでは考えすぎだろう。
すると、サクラコが後ろから現れた。
「お待ちいただき、ありがとうございました」
「サクラコ様!」
二人が姿勢を正す。
サクラコは、真剣な表情のまま二人に微笑んだ。
「お二人のおかげで、大切なお話ができました」
「……っ!」
後輩の肩が跳ねた。
(……まだ緊張してる!?)
「ナギサさんも、長いお話でお疲れでしょう。どうか、お帰りになったらゆっくりお休みください」
「ええ。ありがとうございます」
「また必要になった時には、私がお迎えいたしますから」
(……またそれかぁ!?)
思わず、額を押さえそうになった。
だが。
護衛二人は、今度こそ何も言わなかった。
先輩はきりっと前を向き、後輩も姿勢を正している。
(……おお、ようやく分かってくれたのかな)
よかった。
これ以上ややこしいことにならずに済みそうだ。
「それでは、サクラコさん。本日はありがとうございました」
「こちらこそ。お力になれることがあれば、またお声がけください」
俺たちは互いに礼を交わし、懺悔室を後にした。
◇
礼拝堂から外へ出ると、午後の陽射しが眩しかった。
(……ふぅ)
今日のところは、上出来じゃないだろうか。
アリウス自治区への道は、まだ見つかっていない。
保護の準備も、これからだ。
だが、サクラコに協力してもらえることになった。
それだけでも、大きな前進だと思う。
俺は端末を取り出した。
(……ミレニアムは、まだ返事なしか)
朝送ったメールに、返信は来ていなかった。
まあ、当然といえば当然だ。
学園間の正式な依頼なんだから、すぐに返事が届くとも限らない。
(……焦らず待つか)
端末をしまい、護衛へ声をかける。
「それでは、帰りましょうか」
「はい、ナギサ様」
先輩が頷いた。
後輩も、どこかほっとした顔をしている。
どうやら、誤解は完全に解けたらしい。
(……よかった)
俺もようやく安心できた。
――その時だった。
「……あら?」
聞き覚えのある声がした。
振り向く。
そこには、一人の少女が立っていた。
……水着で。
「…………」
…………水着?
(……え?)
一瞬、思考が止まった。
目の前にいるのは、桃色がかった髪の少女。
そして、その身にまとっているのは、どう見ても紺色のスクール水着。
浦和ハナコ。
(……ハナコ!?)
いや、分かる。
原作でも知っていた。
学校を水着で歩き回るなんて奇行をすることは、資料にまで書いてあった。
でも。
(……まさか、実際に遭遇するとは思わなかった!)
「ごきげんよう、ナギサ様」
ハナコは、いつもどおりの笑顔で挨拶してきた。
「……ごきげんよう、ハナコさん」
俺も何とか挨拶を返す。
「……今日は、随分と涼しげな格好ですね」
「ふふっ。ありがとうございます」
「……褒めてはいないのですが」
「あら、そうでしたか?」
ハナコは楽しそうに微笑んだ。
……くっ。
完全にいつもの調子だ。
「ところで、ナギサ様」
「はい?」
「シスターフッドにいらしていたんですか?」
「ええ。少し、相談事がありまして」
「まあ……。それは、二人きりでしかできないような、特別なお話ですか?」
(……ん?)
ハナコの目が、ほんのわずかに細められた。
(……これは、来るな)
原作でも何度も見た。
人をからかう時の、あの表情。
「……そうですね。機密に関する内容でしたので」
「ふふっ。そうなんですね」
ハナコは口元に手を当てた。
「それでしたら、私も少しだけ、ナギサ様と二人きりでお話したいことがあるんです」
「……お話、ですか?」
「ええ。以前、お約束した特別授業のことなのですが……覚えていらっしゃいますか?」
(……あっ)
覚えている。
忘れるわけがない。
あの時、散々からかわれかけたからな。
「もちろんです」
俺は、にこりと微笑んだ。
「上級生向けの教材でしたら、準備できますよ」
「…………」
ハナコさんの笑顔が止まった。
(……よし!)
以前と同じ方法だ。
この話題なら、こっちにも勝ち筋がある。
「ハナコさんは優秀ですから、通常の補習だけでは物足りないかもしれませんね」
「……ふふっ。相変わらずですね、ナギサ様」
「何のことでしょう?」
「いえ。何でもありません」
ハナコは楽しそうに笑った。
しかし。
そこで、彼女の視線が俺の背後へ向けられた。
護衛の二人。
二人とも、微妙な表情をしていた。
(……あ)
嫌な予感がした。
ハナコさんが、その様子を見逃すはずもなかった。
「……あら?」
にっこり。
「もしかして、お邪魔でしたか?」
「いえ、そんなことはありませんが……」
「それなら、よかったです」
ハナコさんは、ほんの少しだけ距離を詰めた。
「実は、今日のこの格好も、少し理由がありまして」
「……理由、ですか?」
「はい。でももしナギサ様がお望みなら、私、このままでも……」
「ちょっと待ってください」
俺は即座に止めた。
「まず、何か羽織ってください」
「まあ。ナギサ様は、私に何か着てほしいのですか?」
「そういう意味ではなくてですね!?」
「ふふっ。では、どんなお洋服がお好みでしょう?」
(……こいつ!)
完全に分かってやってるな!?
後ろから、息を呑む音がした。
振り返ると、護衛の後輩が先輩の袖を握っている。
「……先輩」
「……何?」
「……さっきまで、サクラコ様と秘密のお話をされていて……」
「……そうね」
「……今度は、水着の生徒さんと特別授業って……」
「……そうね」
「……ナギサ様、いったい何を……」
「言わないで」
先輩が、ものすごく疲れた顔をしていた。
(……あれ?)
何だ。
また何か勘違いされてるのか?
「……お二人とも?」
「は、はいっ!」
「念のため申し上げておきますが、ハナコさんとは以前から学業に関するお話をしているだけですからね?」
「……は、はい」
「分かっております!」
二人は勢いよく頷いた。
……うん。
何か、前にも見た光景だな。
その横で。
「……ふふっ」
ハナコさんが、実に楽しそうな笑顔を浮かべていた。
(……あ、駄目だ)
この子、完全に状況を把握したな。
「それにしても、ナギサ様」
「……何でしょう?」
「私、今日初めて知りました」
「……何をですか?」
「ナギサ様って、思っていた以上に大胆な方だったんですね♡」
「……はい?」
意味が分からなかった。
いや、分かりたくなかった。
「シスターフッドで秘密のお話をした直後に、私のような格好の生徒にも優しく声をかけてくださるなんて……」
「いや、声をかけてきたのはハナコさんでしょう!?」
「まあ……。そうでしたっけ?」
(……絶対に覚えてるだろ!?)
その時。
後ろで、護衛の後輩が震える声を上げた。
「……先輩」
「……今度は何?」
「……ナギサ様って、もしかして……」
「……何よ」
「……シスターフッドの次は、水泳部にも入られるんでしょうか……?」
「どうしてそうなるのよ!?」
思わず叫んだ先輩が、慌てて口を押さえた。
ハナコはというと、もう隠そうともせず、くすくす笑っている。
俺はそんな様子を見ながら、思わずため息をついた。
(……ああ、もう)
何なんだ、今日は。
サクラコとの相談は、あんなに真剣だったのに。
懺悔室の外へ出た途端、これだ。
……でも。
(……ふふっ)
気づけば、少し笑っていた。
護衛の二人は真剣そのものだし、ハナコさんは相変わらず人をからかうのが上手い。
こっちは困るんだけど、何だか、見ていて飽きない。
それに。
最近は、考えなければいけないことが多すぎた。
エデン条約に、アリウス。
ナギサのことも、もちろん忘れていない。
どれも大切な問題だ。
だからといって、四六時中難しい顔をしていなければいけないわけでもないだろう。
(……こういう騒がしい時間も、悪くないな)
「……ナギサ様?」
ハナコが、不思議そうにこちらを見ていた。
「……どうかなさいましたか?」
「いえ。何でもありませんよ」
俺は微笑んだ。
「ただ、ハナコさんとお話ししていると、退屈しないなと思いまして」
「……まあ」
今度はハナコが目を丸くした。
「ふふっ。それは、褒め言葉として受け取ってもよろしいのでしょうか?」
「ええ。もちろんです」
「……そうですか」
ハナコさんは、嬉しそうに笑った。
そして。
「それでしたら、また今度、もっと楽しい特別授業をお願いしてもよろしいですか?」
「……ええ。教材は少々難しいものをご用意しておきますね」
「……ふふっ。お手柔らかにお願いします♡」
俺たちは顔を見合わせて笑った。
その横では、護衛の二人がまた何やら小声で相談を始めている。
「……先輩」
「……今度は何?」
「……ナギサ様、楽しそうですね」
「……そうね」
「……さっきまで、あんなに心配していたのに」
「……ええ」
先輩は、少し困ったように笑った。
「……まあ、いいんじゃない? ナギサ様がお元気なら」
「……そうですね!」
二人が顔を見合わせ、ほっとしたように微笑む。
……うん。
やっぱり、悪くない。
(……ナギサ)
心の中で、呼びかける。
(君にも、いつかこういう時間を楽しんでもらいたいな)
その日が来るまでに、やるべきことは山ほどある。
でも、今くらいは。
この賑やかな時間を、楽しんでもいいだろう。
俺はもう一度、ハナコへ向き直った。
「さて、ハナコさん。まずは何か羽織っていただけますか?」
「あら。やっぱり、私の服装が気になりますか?」
「ええ。色々な意味で」
「ふふっ。それでは、ナギサ様が選んでくださいますか?」
「……普通の上着でお願いします!」
また、笑い声が響いた。
――アリウス救済に向けた一歩を踏み出したその日。
俺は、思っていた以上に騒がしい午後を過ごすことになった。
けれど。
こんな一日も、案外嫌いじゃない。
【後書き】
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
今回はサクラコとの会談回でした。
アリウス自治区の調査と、今後の生徒たちの受け入れについて、ようやく準備が動き始めています。
そして後半では、水着姿のハナコが登場。
ナギも、少しずつ周囲とのやり取りを楽しめるようになってきたようです。
それと、なんと本作が日間ランキング33位に入りました!
読んでくださった皆様、本当にありがとうございます!
まさかここまで順位が上がるとは思っていなかったので、とても嬉しいです。
これからも楽しんでいただけるよう頑張りますので、引き続きよろしくお願いします!