今回は少し息抜きの日常回。
ハナコとのからかい合いに始まり、補習授業部の四人との交流を描いています。
それでは、よろしくお願いします!
――それから、数分後。
(……どうしてこうなった)
俺は目の前の少女を見ながら、そんなことを考えていた。
サクラコとの相談も終わり、あとは帰るだけ。
……のはずだったのだが。
「ふふっ。せっかくお会いできたんですし、もう少しだけお話ししてもよろしいですか?」
そうハナコに引き止められ、結局、俺たちは礼拝堂の近くで立ち話を続けていた。
護衛の二人も、少し離れた場所で待ってくれている。
まあ、俺としても断る理由はない。
それに、ハナコとの会話は結構楽しいしな。
……ただ、一つ問題があった。
(……何でまだ水着なんだよ!)
さっき、普通の上着を羽織ってほしいとお願いしたはずなのに。
結局、話をうまく逸らされてしまった。
しかも、あのスタイルである。
原作で知っていたとはいえ、実物を目の前にすると、どうしても視線の置き場に困る。
(……落ち着け、俺。今の俺は桐藤ナギサなんだからな)
中身が男だと知られるような反応は、できる限り避けたい。
特に相手はハナコだ。
余計なことに気づかれたら、そこから何を聞き出されるか分かったものじゃない。
「……ところで、ナギサ様」
「はい?」
そんな俺の苦労など知る由もなく、ハナコは楽しそうに首を傾げた。
「先ほどから、少し気になっていたことがあるんです」
「……何でしょう?」
「ナギサ様、時々私から目を逸らしていらっしゃいますよね?」
「…………」
「ふふっ。もしかして、私のどこを見ればいいのか、迷っていらっしゃるんですか?♡」
(……うわっ、来たぁ!?)
いや、待て待て待て!
何でそこに気づくんだよ!?
こっちは必死に平静を装っていたのに!
しかも、困ったことに図星である。
(……だから、その格好でそんな質問をするなって!)
目を逸らせば、意識していると認めるようなもの。
かといって、じっと見つめ返せば、それはそれでからかわれる。
しかも相手はハナコだ。
中身が男だと知られないためにも、変な反応はできない。
「……どうなんでしょう、ナギサ様?」
ハナコが、わざとらしく首を傾げる。
(……くっ、この子!)
ここで否定すれば、今度は何を意識したのか追及されるだろう。
肯定なんてもってのほかだ。
(……落ち着け。こういう時こそ頭を使え!)
何を聞きたいのか。
どんな答えを期待しているのか。
そこを考えろ。
余計なことを考える暇がなければ、変な反応をする余裕もなくなるはずだ。
「……そうですね。確かに、少し迷っていました」
「……あら?」
ハナコが瞬きをした。
「ふふっ。ずいぶん素直なんですね、ナギサ様」
「ええ。ただ……」
「はい?」
「私が目を逸らすたびに、ハナコさんが楽しそうになさるので、そちらの方が気になってしまいまして」
「…………」
「今も、私の顔ばかり見ていらっしゃいますよね?」
俺は、にこりと微笑んだ。
「……ふふっ。そうでしょうか?」
「ええ。そんなに私の反応が面白いですか?」
すると、ハナコは口元に手を当てた。
「……まあ。ナギサ様ったら、私の楽しみを先に言い当ててしまうなんて」
「おや。違いましたか?」
「いいえ。大正解です♡」
(……よし!)
どうだ。
質問の内容に答えず、質問した理由を突く。
これなら余計なことを言わずに済む。
……と思ったのも束の間。
「でも、ナギサ様」
「はい?」
「私がナギサ様のお顔を見ていることまで気づいていらっしゃったなんて……」
ハナコが、頬に手を添えた。
「もしかして、私のことをずっと見てくださっていたんですか?」
(……しまった!?)
そっちに繋げてくるのか!
いや、確かにそういう解釈もできるけど!
「……そうですね。会話中は、相手のお顔を見るようにしていますから」
「ふふっ。それなら、もっと近くで見ていただいても構いませんよ?」
(……うわ、まだ来る!)
しかし、慌てるな。
この子に正面から付き合っていたら、何を言わされるか分からない。
「では、ハナコさんもこちらへ目を向けてくださいね」
「……はい?」
「せっかくお話ししているのですから、お互いのお顔を見てお話ししましょう」
そう言って、真正面から微笑んでみせる。
「…………」
ハナコが、一度だけ瞬きをした。
「……ふふっ。困りましたね」
「何がでしょう?」
「そんなにまっすぐ見つめられたら、私の方が恥ずかしくなってしまいそうです♡」
「おや、それは困りましたね」
「……あら?」
「では、少し離れた方がよろしいでしょうか?」
「…………」
ハナコは、俺をじっと見つめた。
それから。
「……ふふっ。いえ、そのままでお願いします」
「承知しました」
(……ふっ)
どうだ。
そっちが仕掛けてくるなら、こっちも簡単には崩れないぞ。
……まあ、内心は結構必死なんだけどな。
◇
「それにしても、ナギサ様」
「はい?」
「護衛のお二人も、大変そうですね」
ハナコの視線が、俺の背後へ向いた。
「ナギサ様のお傍にいらっしゃると、毎日退屈しなさそうですから」
「い、いえ! そのようなことは!」
護衛の後輩が、慌てて首を振った。
一方、護衛の先輩は、なぜか遠い目をしている。
(……あっ)
しまった。
ハナコ、何かに気づいたな。
さっきまでの一件を思い出し、嫌な予感がした。
「まあ。何かあったのでしょうか?」
「……いえ、特には」
俺が答えると、ハナコは楽しそうに目を細めた。
「ふふっ。そうですか」
そして、何かを思い出したように手を合わせた。
「あ、そういえばナギサ様」
「はい?」
「先ほどのお誘い、まだお返事をいただいていませんでしたね♡」
(……うわ、そっちも忘れてなかったか!)
先ほどの、意味深なお誘い。
確か、二人きりでどうこうと言っていたやつだ。
案の定、背後で衣擦れの音がした。
護衛の先輩が、こちらへ一歩踏み出している。
(……そりゃそうだよな)
サクラコとの相談で、散々心配をかけたばかりだ。
また二人きりになると言い出したら、止められても仕方がない。
とはいえ、断るのも少しつまらない。
それに、正直なところ。
もう少しこの子と話してみたい気持ちもある。
(……そうだ)
「それでしたら、今度プールでお話しするのはいかがでしょう?」
「……プール、ですか?」
ハナコが、きょとんとした。
「ええ。その格好でしたら、ちょうどよろしいでしょう?」
「まあ……」
彼女は口元に手を当てた。
「ナギサ様ったら。私と水着でご一緒したいだなんて、随分と大胆なお誘いですね♡」
(……おっと、そう来たか)
しかし、今度は慌てない。
「ふふっ。最初にお誘いしてくださったのはハナコさんでしょう?」
「あら。そうでしたね」
「せっかくですから、お話だけでなく、泳ぐのも楽しそうですし」
「では、私と二人で楽しい時間を過ごせるんですね?」
「ええ。ただ、このご時世ですので、護衛のお二人には同行していただきますが」
そこで後ろを振り返る。
「お二人とも、よろしいでしょうか?」
「は、はい! 安全を確認できる場所でしたら、問題ありません!」
護衛の先輩が答えた。
後輩も慌てて頷いている。
(……よし)
プールなら、今の格好のハナコも違和感がない。
護衛の二人も付き添いやすいだろう。
もちろん、今すぐ泳ぎに行くわけではない。
日程を合わせる必要もあるしな。
……それに。
(……そうだ)
せっかく四人いるんだよな。
「どうせでしたら、四人で遊びませんか?」
「「……えっ?」」
護衛二人の声が重なった。
ハナコまで、意外そうに瞬きをしている。
「……ナギサ様、私たちも、ですか?」
「ええ。もちろん警護が優先ですから、皆さんのお休みが合う時にでも」
「い、いえ! そういうことでは……!」
「いつもお世話になっていますから。たまには、こういう時間があってもいいでしょう?」
そう言って笑いかける。
後輩が、先輩の顔を見た。
先輩も、どう答えればいいのか迷っているらしい。
(……あれ?)
そんなに意外だったかな。
すると。
「ふふっ……あははっ」
ハナコが笑い始めた。
「……ハナコさん?」
「いえ。申し訳ありません」
彼女は口元を押さえながら、楽しそうに俺を見ている。
「私のお誘いが、まさか四人で遊ぶお約束になるなんて」
「お嫌でしたか?」
「いいえ。むしろ、とても素敵だと思います」
そして、護衛二人へ顔を向けた。
「お二人も、ぜひご一緒しましょうね?」
「えっ!? あ、はい!」
「……ありがとうございます」
後輩は驚きながらも嬉しそうに返事をした。
先輩も、まだ戸惑っているものの、先ほどまでの緊張は薄れたようだった。
(……よかった)
どうやら、今度は変な誤解をされずに済みそうだ。
……と、安心したのも束の間。
「それにしても、ナギサ様」
「はい?」
「四人で、いったいどんな遊びをなさりたいんでしょう?」
ハナコが、にっこりと笑った。
「私、水の中だと普段より大胆になってしまうかもしれませんよ?♡」
(……おい!)
せっかくまともな話になったと思ったのに!
「そうですね。まずは泳いでみたいですね」
「まあ。それだけで満足なさるんですか?」
(……そう来るか)
……いや、待て。
そもそも、俺ばかり答えさせられていないか?
「ハナコさんは、何をして遊びたいんですか?」
「……あら?」
「私の希望はお伝えしましたから、今度はハナコさんの番ですよ」
「ふふっ。では、ナギサ様に当てていただきましょうか?」
(……なるほど)
答えをこちらに委ねてきたか。
何を答えても、からかいに利用できる。
だったら。
「そうですね。では、皆さんが楽しめる遊びを一つ、考えてきていただけますか?」
「……まあ」
「もちろん、私も考えておきます。せっかく四人で遊ぶんですから、お互いに案を持ち寄りましょう」
「…………」
ハナコが、ぱちりと瞬きをした。
それから、楽しそうに笑った。
「ふふっ。私の質問が、いつの間にか宿題になってしまいましたね」
「おや。嫌でしたか?」
「いいえ。とても面白いです♡」
「それは何よりです」
(……よし)
今のところは、うまく返せたかな。
「ですが、ナギサ様」
「はい?」
「私がとんでもない遊びを提案してしまったら、どうなさるんですか?」
「その時は、皆さんで相談しましょう」
「ふふっ。却下されてしまうかもしれませんね」
「ええ。でも、面白ければ採用されるかもしれませんよ?」
「……あら?」
「私、ハナコさんの発想には期待していますから」
そう言って微笑むと、ハナコは一瞬だけ目を丸くした。
そして。
「……ふふっ。それは、腕が鳴りますね♡」
(……あはは)
何だか、普通に楽しみになってきたな。
◇
「……それにしても、ナギサ様」
「はい?」
「最近は、随分とお話がお上手になられましたね」
「そうでしょうか?」
「ええ。以前でしたら、もう少し困ってくださったと思うのですが」
「ふふっ。ハナコさんのおかげかもしれませんね」
「……私の?」
「ええ。こうして色々なお話をしてくださいますから」
「…………」
ハナコが、こちらをじっと見つめた。
「……ナギサ様」
「はい?」
「最近、何か良いことでもありましたか?」
(……ん?)
今までとは、少し違う声色だった。
「……どうしてですか?」
「ふふっ。以前より、ずっと楽しそうに見えるものですから」
「……そうですか?」
「ええ。それに……」
ハナコはそこで言葉を切った。
一瞬だけ、こちらを探るような目をする。
「……いえ。何でもありません♡」
(……この子、本当に鋭いな)
思わず身構えた。
さっきまでのからかいとは違う。
こちらの様子を観察して、何かを感じ取っている。
けれど、そこから先へは踏み込んでこなかった。
ハナコは護衛二人をちらりと見てから、いつもの笑顔に戻る。
「それより、プールのお約束。楽しみにしていますね」
「……ええ。私もです」
……ありがたい。
この子なら、もっと踏み込んだ質問だってできるはずだ。
それをしない。
相手の様子を見て、引くところは引いてくれる。
そこまで考えて、ふと思った。
(……あれ?)
俺、いつの間にか普通に楽しんでないか?
最初は、水着姿のハナコに変な反応をしないため、必死に頭を回していただけだった。
それなのに、今は彼女が次にどんな言葉を返してくるのか、それを考えること自体が楽しい。
こちらが一つ先を読めば、相手はさらに先を考えている。
だから、こちらも負けじと考える。
(……こういうの、久しぶりだな)
不意に、そんなことを思った。
昔も、こんなふうに話せる相手がいたら……。
……いや。
せっかくの時間に、昔のことを思い出すのはやめよう。
「……ハナコさん」
「はい?」
「随分と周りを見ていらっしゃるんですね」
「まあ。そうでしょうか?」
「ええ。護衛の方々の様子にも、すぐ気づかれましたし」
「ふふっ。たまたまですよ」
「本当に?」
「……あら?」
俺は微笑んだ。
「ハナコさんは、いつも人をからかっているように見えて、実は相手のことをよく考えていらっしゃいますよね」
「…………」
「本当に困っていると分かれば、無理に踏み込んだりはなさらないでしょう?」
ハナコの笑顔が、わずかに変わった。
「……ふふっ。買いかぶりすぎですよ、ナギサ様」
「そうでしょうか?」
「はい。私、そんなにいい子ではありませんから」
いつもの調子だった。
けれど、その返しが少し引っかかった。
(……まったく)
この子は、こういうところがあるんだよな。
人のことはよく見ているくせに、自分のことになると途端に一歩引こうとする。
……何となく、分かる気がした。
「……ハナコさん」
「はい?」
「私は、そうは思いませんよ」
気づけば、手が伸びていた。
ほとんど同じ背丈のハナコ。
俺は無意識に少し背伸びをして、その頭にそっと手を置いた。
ぽん。
「……え?」
「いつも、ありがとうございます」
そのまま、軽く撫でた。
「……ナ、ナギサ様?」
「ふふっ。ハナコさんも、たまには褒められていいと思いますよ」
「…………」
ハナコが固まった。
(……あ)
しまった。
今のは、さすがに子供扱いだったか?
別に、からかい返そうとしたわけじゃない。
何となく、この子の気遣いを認めてあげたくなっただけなんだけど……。
慌てて手を離し、浮かせていたかかとを下ろす。
「……失礼しました。嫌でしたか?」
「……いえ」
ハナコは目を伏せた。
「……嫌では、ありませんけど」
……おお。
何だ、今の顔。
驚いているような、少し照れているような。
いつもの余裕たっぷりな笑顔は、どこへ行ったんだ?
(……ふふっ)
思わず笑いが漏れた。
「……ナギサ様?」
「いえ、すみません」
「……何か、おかしいでしょうか?」
「ふふっ。ハナコさんにも、こんな表情があるんだなと思いまして」
「…………」
ハナコは俺を見つめた。
それから。
「……もう」
困ったように笑った。
「本当に、意地悪な方ですね。ナギサ様は」
「おや。心外ですね」
「ふふっ。そういうところですよ?」
そう言いながらも、彼女の表情はどこか柔らかかった。
(……うん)
やっぱり、この子との会話は面白い。
油断すればこちらの考えを読まれるし、うまく切り返したと思っても、気づけば別の質問が飛んでくる。
でも、だからこそ退屈しない。
「……それにしても、ナギサ様」
「はい?」
「先ほどのお返しは、いつか必ずさせていただきますからね?」
「……お返し?」
「ええ♡」
ハナコは、すっかりいつもの笑顔に戻っていた。
「私、こう見えて負けず嫌いなんですよ?」
(……知ってる)
「それは楽しみですね」
「……あら。逃げないんですか?」
「逃げたら、ハナコさんの勝ちになってしまうでしょう?」
「…………」
ハナコが、にっこりと笑った。
「……ふふっ。そういうことでしたら、遠慮なく♡」
(……あ)
……今の、余計なことを言ったかもしれない。
まあ、いいか。
俺だって、ただからかわれるつもりはない。
◇
「……あれ? ハナコさん?」
ふと、背後から声が聞こえた。
振り向くと、三人の少女がこちらへ歩いてくるところだった。
(……おっ)
ヒフミ、コハル、それにアズサ。
補習授業部の三人だ。
「あっ、ナギサ様!」
最初に気づいたヒフミが、慌てて頭を下げた。
「ご、ごきげんよう!」
「ごきげんよう、ヒフミさん」
「ナギサ様もこちらにいらしたんですね」
「ええ。少し用事がありまして」
そう答えたところで。
「……って、ハナコ!?」
コハルが声を上げた。
「アンタ、何でそんな格好で歩いてるのよ!?」
「あら、コハルちゃん。ごきげんよう♡」
「ごきげんようじゃないわよ! こんなところで水着なんか着て!」
「ふふっ。似合いませんか?」
「そういう問題じゃないでしょ!?」
……うん。
予想どおりの反応だ。
アズサはというと、ハナコをじっと見つめていた。
「……ハナコ」
「はい?」
「その格好では、防御面に不安があると思う」
「まあ。心配してくださるんですか?」
「当然だ。緊急時の対応にも支障が出る」
「ふふっ。それでしたら、アズサちゃんが守ってくださいますか?」
「必要なら」
「……あら」
今度はハナコの方が少し驚いた。
(……アズサ、強いな)
本人はいたって真面目なのだろうが、ある意味ではハナコの冗談がまったく通じていない。
「え、えっと……」
ヒフミが困ったように笑った。
「とりあえず、ハナコさんは何か羽織った方がいいと思います……」
「まあ。皆さん、私のことをそんなに心配してくださるんですね」
「心配というか、常識の問題よ!」
コハルが即座に突っ込んだ。
その横で、アズサが真剣に頷いている。
(……ああ、これだよこれ)
思わず笑ってしまった。
原作でも、この四人のやり取りは好きだった。
でも、実際に目の前で見ると、また違う。
声の調子も、表情も。
画面越しでは分からなかった細かな仕草まで、全部が生き生きとしている。
「……ふふっ」
「……ナギサ様?」
ヒフミが不思議そうにこちらを見た。
「何かおかしかったでしょうか?」
「いえ。皆さん、とても仲がよろしいなと思いまして」
「えっ!? そ、そうでしょうか……?」
ヒフミが照れくさそうに笑った。
……ん?
そういえば。
「……あら? 皆さん、いつの間にそんなに仲良くなられたんですか?」
俺の記憶では、まだ補習授業部としての本格的な活動は始まっていないはずだ。
それなのに、随分と打ち解けているように見える。
「あっ、それなんですけど……」
ヒフミが、嬉しそうに口を開いた。
「ナギサ様との面談が終わった後、私から皆さんに声をかけたんです」
「……ヒフミさんから?」
「はい! どうせ一緒に補習を受けることになるなら、先に集まって勉強しておこうと思いまして」
「それで、皆さんで勉強会を?」
「えへへ……そうなんです」
ヒフミが照れくさそうに笑った。
「面談の後、皆さんを探して声をかけたんです。最初はちょっと緊張したんですけど……」
「ヒフミったら、わざわざ私たちのところまで来たのよね」
コハルが口を挟んだ。
「べ、別に断る理由もなかったから、参加しただけだけど!」
「ふふっ。コハルちゃん、あの時は結構嬉しそうでしたよね♡」
「そ、そんなことないわよ!」
「……そうか? 以前より、よく笑っていると思う」
「アズサまで!?」
コハルが真っ赤になった。
ヒフミは困ったように笑い、ハナコは楽しそうに口元を押さえている。
(……なるほど。そんな変化があったのか)
俺が何か言わなくても、自分たちで集まって、勉強して、こうして笑い合っている。
(……いいじゃないか)
まだ正式には始まっていない補習授業部が、もう補習授業部らしくなっている。
それが、何だか嬉しかった。
「ふふっ。それは素晴らしいですね」
「えへへ……ありがとうございます!」
「皆さんが自主的に集まってくださっていたなんて、嬉しいです」
そう言うと、ヒフミは少し照れたように笑った。
「私も、皆さんと一緒に勉強できて良かったと思っています」
「……うん。ヒフミには感謝している」
アズサが真顔で言った。
「そ、そんな! 私は声をかけただけだから!」
「それでも、助かった」
「……アズサちゃん……」
ヒフミが嬉しそうに微笑む。
その隣で、コハルも小さく頷いていた。
「……ま、まあ、悪くはなかったわね」
「ふふっ。素直じゃないですね、コハルちゃん♡」
「う、うるさい!」
(……あはは)
本当に仲がいいな、この子たち。
原作とは少し違う形かもしれない。
でも、こういう変化なら大歓迎だ。
◇
しばらく、四人のやり取りを眺めていた。
ハナコがからかい、コハルが怒り、ヒフミが慌て、アズサが真面目に答える。
まったく、見ていて飽きない。
(……さて)
もう少しこのまま話していたいけど、そろそろ伝えておかないとな。
「……皆さん」
俺が声をかけると、四人がこちらへ振り向いた。
表情を改める。
「楽しいお話の途中で申し訳ありませんが、一つお伝えしておくことがあります」
その声に、コハルも姿勢を正した。
ハナコも、いつもの笑顔を浮かべたまま、こちらを見ている。
「以前からお話ししていた補習授業部の活動ですが、いよいよ本格的に始まります」
「……!」
四人の表情が変わった。
「具体的な日程や課題については、改めてお知らせします。ですが、これから皆さんには、協力して取り組んでいただくことになります」
「……はい!」
ヒフミが真っ先に返事をした。
「私、頑張ります!」
「ええ。期待していますよ、ヒフミさん」
隣では、コハルが少し複雑そうな顔をしていた。
「……ま、まあ、補習くらいどうってことないわよ!」
「ふふっ。頼もしいですね」
「と、当然でしょ!?」
アズサは真剣な表情で頷いた。
「了解した。必要な準備があれば、教えてほしい」
「ええ。もちろんです」
そして、ハナコ。
「ふふっ。かしこまりました、ナギサ様」
彼女はいつもどおりの笑顔だった。
けれど、その瞳は先ほどまでとは違い、こちらを真っ直ぐ見ていた。
(……うん)
この子は、ちゃんと分かっている。
今が、からかう場面ではないことを。
「皆さん」
改めて、四人を見渡す。
「先ほど、皆さんが自主的に勉強会を始められたと伺いました」
「……はい」
「とても良いことだと思います。これからも、その関係を大切にしてくださいね」
ヒフミが、嬉しそうに頷いた。
「これからの活動では、皆さんの考えが違うこともあるでしょう。ですが、一人で抱え込まず、お互いの意見を聞いて、協力していただければと思います」
「はい!」
「了解した」
「わ、分かってるわよ!」
「ふふっ。承知しました♡」
四人の返事が重なった。
(……うん)
いい返事だ。
この子たちには、これから色々なことが待っている。
楽しいことばかりではないだろう。
俺自身、厳しい判断をしなければならない場面もあるはずだ。
でも。
今は、こうして四人が並んでいる姿を見られただけでも、十分だ。
「それでは、皆さん。よろしくお願いしますね」
そう言って微笑む。
四人は、それぞれの表情で頷いてくれた。
◇
「それでは、失礼します!」
ヒフミが頭を下げた。
コハルも、慌ててそれに倣う。
「ご、ごきげんよう!」
「ごきげんよう、皆さん」
アズサも軽く会釈した。
そして最後に、ハナコがこちらへ振り向いた。
「……ナギサ様」
「はい?」
「今日のお約束、忘れないでくださいね?」
「……お約束?」
「ふふっ。プールのことです♡」
(……ああ)
「ええ。もちろんです」
「まあ。本当に?」
「はい。護衛のお二人の予定も確認しなければなりませんし、日程はまた改めて相談しましょう」
「……ふふっ。楽しみにしていますね」
「私もですよ」
「…………」
ハナコが、一瞬だけ言葉を止めた。
それから、いつもの笑顔に戻る。
「それでは、ごきげんよう♡」
彼女は小さく手を振り、三人の後を追いかけていった。
少し離れたところでは、早速コハルが何かを叫んでいる。
「だから! まずは着替えなさいって言ってるでしょ!」
「ふふっ。コハルちゃんったら、心配性ですね」
「誰のせいよ!?」
「……ハナコ。必要なら上着を調達する」
「ア、アズサちゃんまで!?」
その横で、ヒフミが困ったように笑っている。
(……あはは)
俺は、遠ざかっていく四人の背中を眺めた。
(……青春だなぁ)
友達同士で騒いで、笑って。
時には言い合いになっても、気づけばまた一緒に歩いている。
……なんだか、少し羨ましい。
前の世界で、俺はあんなふうに過ごせていただろうか。
ふと、そんなことを思った。
「……ナギサ様」
不意に、護衛の先輩から声をかけられた。
「はい?」
「……その、先ほどのプールのお話なのですが」
「ああ。もちろん、無理にとは言いませんよ」
「い、いえ! そういうことではありません!」
彼女は慌てて首を振った。
「ただ……本当に、私たちまでご一緒してよろしいのでしょうか?」
「ええ。もちろんです」
そう答えると、後輩が嬉しそうに顔を上げた。
「……ありがとうございます!」
「ふふっ。こちらこそ、いつもありがとうございます」
先輩は、少し困ったように笑った。
「……ナギサ様も、最近は随分と楽しそうですね」
「……そうでしょうか?」
「はい。以前よりも、笑っていらっしゃることが増えた気がします」
「…………」
思わず、言葉が止まった。
……そうか。
周りから見ても、そんなふうに見えるんだな。
「……そうですね」
俺は、もう一度四人の歩いていった方へ目を向けた。
「最近は、楽しいことが増えた気がします」
そう答えると、護衛二人が顔を見合わせた。
そして。
「……それは、何よりです」
先輩が、嬉しそうに微笑んだ。
後輩も、大きく頷いている。
(……うん)
やっぱり、いい子たちだ。
今度プールへ行く時は、ちゃんと楽しんでもらおう。
……まあ、ハナコが何を企んでいるのかは分からないけど。
◇
――ぶるっ。
その時、端末が震えた。
(……ん?)
取り出して画面を確認する。
差出人は、ミレニアムサイエンススクール。
セミナーからの返信だった。
(……おっ、来た!)
朝送った技術相談への返答らしい。
内容を確認すると、こちらの依頼について、担当者を交えて直接話を聞いてもらえることになったようだ。
訪問日は、数日後。
指定された日時を確認し、予定表へ登録する。
(……よし。これで、ミレニアムへ行けるな)
歴史資料の照合。
技術協力。
そして、もう一つ。
(……例のアレも、うまく話を持っていければいいんだけど)
問題は、どうやって自然にその話題へ辿り着くかだ。
まさか、いきなり発明品の名前を出すわけにもいかない。
(……まあ、実際に行ってから考えるか)
もちろん、本来の相談も大切だ。
まずは、できることを一つずつ進めよう。
端末をしまい、空を見上げる。
午後の陽射しは、まだ明るい。
遠くでは、生徒たちの笑い声が聞こえていた。
今の俺には、やらなければならないことが山ほどある。
エデン条約。
アリウス。
補習授業部。
そして、本物のナギサのこと。
どれも、簡単に解決できる問題じゃない。
それでも、今日みたいな時間がある。
ハナコと話したこと。
ヒフミたちが自分たちで勉強会を始めていたこと。
護衛の二人と、遊びに行く約束をしたこと。
ほんの些細な出来事ばかりだ。
けれど、俺にはどれも大切に思えた。
(……なあ、ナギサ)
心の中で、呼びかける。
(君も、今の時間を楽しんでくれてるか?)
返事はない。
それでも、何となく聞いてみたかった。
今日見た景色を、ナギサにも見せてあげたい。
いつか、あの四人の輪の中に、彼女自身が加われたら。
そんな未来を想像すると、自然と頬が緩んだ。
「……それでは、帰りましょうか」
「はい、ナギサ様!」
護衛二人の返事が重なった。
俺は笑って、歩き出す。
――そんな、何でもない午後だった。
けれど、きっと。
いつか振り返った時、今日のような日々を懐かしく思うのだろう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
今回はハナコとのちょっとした頭脳戦を中心とした日常回でした。
最初は必死にからかいをかわそうとしていたナギですが、いつの間にか自分から楽しむようになっていたようです。
そして、補習授業部の四人も、正式な活動が始まる前から交流を深めていたようですね。
次回からは、いよいよ原作開始の予定です。
引き続き、よろしくお願いします!