今回はハナコ視点で、第19話の出来事から第26話の勉強会までを振り返ります。
ナギサ様に興味を持ち始めたハナコが、何を考えていたのか。
楽しんでいただければ幸いです!
――あの日。
ナギサさんとお話ししていた時のことです。
私が少し自分を卑下するようなことを口にすると、ナギサさんはそれを否定なさいました。
……それだけなら、特に珍しいことではありません。
優しい方なら、同じようにおっしゃるでしょう。
ですが。
その後の行動は、少々予想外でした。
ぽん。
「…………」
……あら?
頭に、何かが触れました。
……いえ。
ナギサさんの手ですね。
ほとんど同じくらいの背丈なのに、少しだけ背伸びをなさって。
私の頭に、そっと手を置いていらっしゃいました。
「いつも、ありがとうございます」
そのまま、優しく撫でられました。
「……ナ、ナギサさん?」
「ふふっ。ハナコさんも、たまには褒められていいと思いますよ」
……まあ。
(……これは、予想外ですね)
普段の私でしたら、いくらでも言葉が出てくるはずです。
女の子の頭を撫でるなんて大胆ですね、とか。
もっと優しくしてくださってもいいんですよ、とか。
……そんな冗談を返せたはずでした。
ですが。
その時は、うまく言葉が出てきませんでした。
いえ。
正確には、思いついた言葉が、どれも少し違うように感じられたんです。
(……褒めて、くださったんですね)
ただ、それだけ。
私が優秀だからではありません。
これから何かを期待しているからでもない。
私が周囲の方々を気にかけていたことを、良いことだと思ってくださった。
……そして。
それを、当たり前のように伝えてくださったんです。
(……こういう褒められ方も、あるんですね)
少し、嬉しくなりました。
……もっとも。
ナギサさんは、私が固まってしまったことに気づくと、慌てて手を離されました。
「……失礼しました。嫌でしたか?」
「……いえ」
私は、少し考えてから答えました。
「……嫌では、ありませんけど」
……ええ。
嫌ではありません。
それは、本当です。
ただ、少々驚いただけ。
ですが。
今度は、ナギサさんが笑い始めたんです。
私にもこんな表情があるのかと思った、と。
(……まあ)
……何ということでしょう。
私を驚かせたうえに、その反応を面白がっていらっしゃるなんて。
いつもは私がからかう側なのに。
今日は、すっかり立場が逆になってしまいました。
「……もう。本当に、意地悪な方ですね。ナギサさんは」
「おや。心外ですね」
「ふふっ。そういうところですよ?」
……本当に。
面白い方です。
しかも、こちらが言い返せば、すぐに次の言葉が返ってくる。
こうして会話を続けていると、時間を忘れてしまいそうですね。
私は、いつか必ずお返しをすると宣言しました。
すると、ナギサさんは逃げずに受けて立つとおっしゃったんです。
(……ふふっ)
……それなら。
遠慮は、必要ありませんね♡
次は、もう少し手の込んだものを用意しましょうか。
◇
その後、ヒフミちゃんたちとも合流し、ナギサさんとはお別れしました。
皆さんとのお話は、相変わらず賑やかでした。
コハルちゃんは私の格好について、随分と怒っていらっしゃいましたし。
アズサちゃんは、何やら真剣なお顔で考え込んでいました。
ヒフミちゃんは、そんな二人の間で困ったように微笑んでいます。
……ふふっ。
本当に、楽しい時間ですね。
ですが。
皆さんと別れ、一人になった頃。
私は、ふと考えてしまいました。
(……桐藤ナギサさん、ですか)
……そういえば。
私は、あの方のことをどれほど知っているのでしょう。
ティーパーティーのホスト。
優秀な生徒。
責任感が強く、慎重な方。
……一般的な情報なら、それなりに知っています。
ですが。
今日、私の頭を撫でてくださった方は。
それだけでは、説明できないような気がしました。
(……少し、調べてみましょうか)
単純な興味でした。
あの方が、以前からあのような方だったのか。
それを知りたくなったんです。
◇
調べること自体は、それほど難しくありませんでした。
ティーパーティーのホストともなれば、活動に関する情報は相当な量が残されています。
過去の公式発表。
学校行事での発言。
生徒会関係の公開記録。
それから、学内で報じられた出来事。
……もちろん。
非公開の資料を勝手に覗くようなことはしていませんよ?
そんなことをしなくても、調べられることは十分にありますから。
私は、まず過去数か月分の記録を整理しました。
発言の傾向。
判断に至るまでの過程。
他の方々との関わり方。
そして、行動が変化した時期。
……最初に気づいたのは、判断の仕方でした。
(……以前は、随分と慎重だったんですね)
問題が起きた場合、まず疑わしい可能性を洗い出す。
関係者の動向を確認する。
危険を排除できる見込みが立ってから、次の行動へ移る。
……なるほど。
非常に合理的です。
ティーパーティーのホストとして、組織の安全を守るためには必要な考え方なのでしょう。
ですが。
最近のナギサさんは、少し違います。
危険を承知のうえで、先に大きな決断を下されることがある。
エデン条約の延期も、その一つです。
もちろん、表向きの理由は警備体制の強化と業務の過密化。
その説明自体は、十分に理解できるものです。
……ですが。
以前の行動傾向と比べると、決断の仕方に違いがあります。
以前なら、もっと慎重に各方面との調整を進められたのではないでしょうか。
それに、補習授業部への対応も同じです。
学業に問題を抱えている生徒に対して、ただ試験を課すのではなく。
本人の事情を理解しようとなさっている。
……まあ。
それ自体は、良いことだと思いますけどね。
私は、さらに記録を並べ替えました。
すると。
(……あら?)
妙なことに気づきました。
変化が、少しずつ起きているわけではないんです。
以前のナギサさんらしい判断が続いていた時期。
そして、今のナギサさんらしい判断が増え始めた時期。
その間隔が、あまりにも短い。
(……これは)
私は、改めて資料を確認しました。
確かに、個人の考え方は変わるものです。
何か大きな出来事があれば、一晩で人生観が変わることだってあるでしょう。
ですが。
今回の場合は、少し違和感がありました。
判断の基準だけではないんです。
言葉の選び方。
相手との距離感。
そして、時折見せる大胆さ。
それらが、ある時期を境に、まとめて変化している。
しかも。
興味深いことに、以前の性格がすべて失われたわけではありません。
責任感の強さ。
周囲への気遣い。
問題を解決しようとする姿勢。
そうした部分は、今も共通しています。
(……土台は似ているのに、考え方が違う?)
私は、しばらく記録を眺めました。
……なるほど。
少し、面白くなってきましたね。
私は、いくつかの仮説を立てました。
一つ目。
何らかの大きな出来事を経験し、価値観が急激に変化した。
……これは十分に考えられます。
二つ目。
以前から持っていた性格を、何らかの事情で隠していた。
最近になって、その必要がなくなった。
……こちらも、あり得るでしょう。
そして。
三つ目。
(……そもそも、同じ人格なのでしょうか?)
……。
……あらあら。
我ながら、少し飛躍していますね。
ですが、仮説としては面白いものです。
例えば、何らかの事情で、これまで表に出ていなかった別の人格が現れたとしたら。
……いわゆる、二重人格というものでしょうか。
もちろん、そんなことを判断するには、もっと多くの情報が必要です。
私が調べた程度の資料で、結論を出せるものではありません。
……ですが。
(……もし、本当に別の人格がいらっしゃるのだとしたら?)
私は、今日のナギサさんを思い出しました。
私の冗談に、楽しそうに答えてくださったこと。
護衛のお二人にも、遊びの時間を持とうと提案なさったこと。
そして。
私の頭を、あんなにも自然に撫でてくださったこと。
……以前の記録から想像したナギサさんなら、少なくとも人前であのようなことをなさる可能性は低そうです。
もちろん、印象だけでは何も証明できません。
ですが。
(……まるで、別の方がナギサさんとして生活しているみたいですね)
……。
……ふふっ。
さすがに、それは考えすぎでしょうか。
それでも。
私は、その仮説を捨てずに残しておくことにしました。
証拠がない以上、今は保留するしかありません。
それに。
私が本当に知りたいのは、もっと別のことでした。
(……今のナギサさんは、どんな方なのでしょう)
過去の記録だけでは、答えは出ません。
この方が何を大切にしているのか。
何を楽しいと思い、どのような未来を望んでいるのか。
それは、直接お話ししなければ分からないことです。
……そして。
なぜでしょうね。
私は、そちらの方がずっと気になりました。
私は資料を閉じました。
(……次にお会いするのが、楽しみですね)
……ふふっ。
少なくとも、退屈することはなさそうです。
◇
――それから、数日後。
補習授業部の教室に、ナギサさんがいらっしゃいました。
最初に気づいたのは、ヒフミちゃんです。
「皆さん! ナギサ様がいらっしゃいました!」
「……えっ!?」
コハルちゃんが、慌てて顔を上げました。
「ちょ、ちょっと待ってよ! まだこの問題、全然終わってないんだけど!?」
「まあまあ、コハルちゃん。落ち着いてください♡」
「アンタは少し焦りなさいよ!」
……ふふっ。
相変わらず、元気ですね。
私は、教室へ入ってこられたナギサさんを見つめました。
どうやら、私たちの様子を確認しにいらっしゃったようです。
(……ちょうどいいですね)
……まあ。
今日は、調査の続きをするつもりはありません。
せっかくお会いできたんです。
普通にお話を楽しむことにしましょう。
……もっとも。
あの方が相手では、普通のお話で終わるかどうか分かりませんけどね♡
◇
ナギサさんは、第一次試験について説明してくださいました。
もし合格基準に届かなかった場合には、強化合宿を行う予定なのだとか。
……まあ。
それは、なかなか楽しそうですね。
皆さんで一緒にお泊まりするのでしたら、色々なことができそうです。
「ちなみに、ナギサさん」
「はい?」
「強化合宿ということは、皆さんでお泊まりするんですよね?」
「……そうですね」
「まあ♡」
……ふふっ。
それでしたら。
「夜は皆さんで一緒にお風呂に入ったり、寝る前に秘密のお話をしたり……♡」
「ハナコ!?」
コハルちゃんが、真っ赤になってしまいました。
「な、何考えてるのよ!」
「ふふっ。普通の合宿のお話ですよ?」
「絶対嘘でしょ!」
……ああ。
本当に、可愛らしいですね。
ナギサさんも、少し困ったようなお顔をなさいました。
「ハナコさん」
「はい♡」
「合宿の目的は、あくまでも勉強ですからね?」
「もちろん、存じておりますよ♡」
……ふふっ。
少しくらい、息抜きがあってもよいと思いますけどね。
その後、ナギサさんはお勉強を手伝ってくださることになりました。
……まあ。
ティーパーティーのホストが、直接お勉強を教えてくださるなんて。
なかなか、贅沢な時間ですね。
◇
最初は、コハルちゃんの問題です。
どうやら、途中の計算で間違えてしまったようでした。
ですが。
ナギサさんは、すぐに答えを教えたりはなさいませんでした。
まず、最初の式が合っていることを伝えて。
その後、符号を変え忘れた箇所を指摘なさったんです。
……なるほど。
間違えた部分だけを教えて、後は自分で考えさせる。
なかなか、良い教え方ですね。
そして。
「……できた!」
コハルちゃんが、嬉しそうに顔を上げました。
「これで合ってますか!?」
「……ええ。正解です」
「や、やった!」
……ふふっ。
よかったですね、コハルちゃん。
ですが。
私が気になったのは、ナギサさんの表情でした。
コハルちゃんが正解できたことを、本当に嬉しそうに思っていらっしゃる。
しかも、ご自身のおかげだとはおっしゃらない。
ヒフミちゃんも普段から教えてくれているのだから、彼女のおかげでもあると。
……なるほど。
(……こういう方なんですね)
続いて、アズサちゃんの問題です。
こちらは、少し難しい文章題でした。
ナギサさんは、問題文の条件を順番に整理するよう促していらっしゃいます。
そして、アズサちゃんが自分で答えにたどり着くまで、必要な部分だけを手助けする。
「……なるほど。そういうことか」
「ふふっ。理解できましたか?」
「ああ。ありがとう、ナギサ様」
……ああ。
やっぱり。
この方は、誰かに教えることがお好きなんですね。
それも、ただ知識を伝えるのではなく。
相手が自分の力で理解できるようにすることを、大切にしていらっしゃる。
……興味深いです。
以前調べた記録では、このような一面までは分かりませんでしたから。
ですが。
ここで一つ、気になることがありました。
どうして、ここまで教え方が上手なのでしょう。
もちろん、ナギサさんが非常に優秀な方であることは知っています。
ですが、頭が良いことと、人に教えるのが上手なことは別です。
ご自身が簡単に理解できることほど、相手がどこで困っているのか分かりにくいものですから。
(……以前から、こうした経験がおありなのでしょうか)
……それとも。
私は、以前調べた資料を思い出しました。
ある時期を境に変化した、ナギサさんの考え方。
他人との距離の取り方。
そして、行動の傾向。
(……もし、あの仮説が正しかったとしたら)
……いえ。
今は、まだ考えても仕方ありませんね。
それに。
せっかくの楽しい時間です。
私も、少しくらい参加しましょうか。
「……ふふっ」
ナギサさんが、こちらへ向き直りました。
「ナギサさん」
「はい?」
「私からも、一つ質問してよろしいでしょうか?」
「ええ。もちろんですよ」
「ありがとうございます♡」
……さて。
どうお答えになるのでしょうね。
「では、問題です♡」
「……はい」
「大好きな方と二人きりでお勉強をすることになった場合、まず何から始めるのがよろしいでしょうか?」
……ふふっ。
少し、意味深な質問ですね。
もちろん、ただの言葉遊びですけど。
ですが。
ナギサさんは、少し考えてから真面目なお顔で答えてくださいました。
「まずは、相手がどこまで理解しているのか確認するところからでしょうか」
「……おや?」
……なるほど。
そう来ますか。
「得意なところも苦手なところも分からないままでは、適切な指導はできませんから」
……ふふっ。
見事に返されてしまいましたね。
しかも、こちらの意図を理解したうえで。
私は、思わず笑ってしまいました。
「随分と真面目なお答えですね」
「ふふっ。お勉強のお話でしたので」
「……そうでしたね♡」
……ああ。
楽しいです。
こういうやり取りができる方は、それほど多くありませんから。
ですが。
「それでは少し物足りませんね♡」
……ふふっ。
せっかくですから。
もう少し、付き合っていただきましょうか。
◇
「それでしたら、今度は本当にお勉強の問題を出してもよろしいでしょうか?」
「ええ。どうぞ」
私は、白紙を一枚取り出しました。
「せっかくですから、皆さんで一緒に考えてみませんか?」
最初の問題は、九枚のコインを使うものです。
見た目が同じ九枚のコイン。
その中に、一枚だけ軽いものが混ざっている。
天秤を二回だけ使って、その一枚を見つける。
……ふふっ。
単純ですが、考え方が重要な問題です。
私は、皆さんの様子を見守りました。
最初に方針を考えたのは、ヒフミちゃんでした。
「三枚ずつ、三つのグループに分けるのはどうでしょう?」
……ええ。
いい考え方ですね。
アズサちゃんが、その考えを整理しました。
「……三枚と三枚を天秤に乗せればいい」
すると、コハルちゃんも何かに気づいたようです。
「釣り合わなかったら、軽い方の三枚! 釣り合ったら、残った三枚ね!」
……そのとおりです。
まずは、三枚まで絞り込めればいいんです。
残る天秤の使用回数は、一回。
アズサちゃんは、選び出した三枚のうち二枚を使えばいいと考えました。
そして。
「傾いたら軽い方! 釣り合ったら、残った一枚が軽いのね!」
……ふふっ。
コハルちゃんも、答えにたどり着いたようですね。
「ふふっ。正解です♡」
私は、拍手しました。
皆さん、素晴らしいです。
ですが。
ナギサさんは、最初から最後まで口を挟まれませんでした。
皆さんが自分で考え、答えにたどり着くまで。
ただ、見守っていらっしゃったんです。
(……やはり、そういうところは一貫していますね)
この方は、答えを知っているからといって、それをすぐに教えることが正しいとは考えていらっしゃらない。
相手が自分で答えを見つけること。
その経験も、大切にしていらっしゃるのでしょう。
……ふふっ。
素敵なお考えですね。
ナギサさんも、皆さんを褒めていらっしゃいました。
ヒフミちゃんは、三人で考えたおかげだと嬉しそうに笑っています。
コハルちゃんも、得意げなお顔です。
アズサちゃんは、一人ではもっと時間がかかったかもしれないとおっしゃいました。
……ああ。
こういう時間も、いいものですね。
私が問題を出しただけなのに。
皆さんが楽しそうにしていると、何だか私まで嬉しくなってしまいます。
◇
次は、ナギサさんからの問題でした。
「では、一から百までの数字を、すべて足すといくつになるでしょう?」
……なるほど。
有名な考え方を使う問題ですね。
もちろん、私は答えを知っています。
ですが。
今回は、皆さんに考えていただきましょう。
「百まで全部ですか!?」
コハルちゃんが、驚いたように声を上げました。
……ふふっ。
確かに、一つずつ足していくと大変ですね。
ですが。
ナギサさんは、紙に数字を書きながら説明を始めました。
「まず、一と百を足すと?」
「……百一です!」
「正解です。では、二と九十九は?」
すると、ヒフミちゃんが何かに気づいたようです。
「それも百一です!」
……ええ。
そうですね。
三と九十八も、同じ百一。
両端から順番に組み合わせていくと、どれも同じ数字になります。
アズサちゃんも、その規則に気づいたようです。
「……両端から組み合わせているのか」
「そのとおりです。では、同じように組み合わせると、何組できるでしょう?」
「……五十組、ですか?」
コハルちゃんが、恐る恐る答えました。
「正解です」
……ふふっ。
あと少しですね。
ヒフミちゃんが、ぱっと笑顔になりました。
「百一が五十組だから……五千五十ですね!」
「お見事です」
……そう。
答えは五千五十。
アズサちゃんも、規則を見つければ一つずつ計算する必要がないと理解したようです。
コハルちゃんも、これなら自分にもできそうだと喜んでいます。
(……本当に、教え方がお上手ですね)
私は、素直にそう思いました。
答えを示すだけではなく、考え方に気づくまでの道筋を作ってくださる。
しかも、皆さんが理解できたことを、心から喜んでいらっしゃる。
……なるほど。
以前から優秀な方だとは知っていましたけれど。
こうして直接お話ししてみると、また違った一面が見えてきますね。
「ですが、ナギサさん」
「はい?」
「随分と分かりやすく説明されましたね♡」
「おや。そうでしょうか?」
「ええ。難しそうに見えても、考え方を変えるだけで簡単になる……とても勉強になります」
「ふふっ。ありがとうございます」
……さて。
それでしたら。
次は、もう少し趣向を変えてみましょうか。
◇
「それでしたら……」
私は、新しい紙を取り出しました。
「最後に、私からもう一問よろしいでしょうか?♡」
「ええ。もちろんですよ」
「ふふっ。では、少し趣向を変えてみましょうか」
……今回の問題は、少々手が込んでいます。
計算と英語を組み合わせたものです。
まず、五つの式を用意します。
三の二乗に五を足す。
五の階乗を六で割る。
三の階乗から五を引く。
三百六十一の平方根。
そして、四の二乗。
それぞれの計算結果を、アルファベットの順番に置き換える。
……ここまでは、ただの計算問題です。
ですが。
最後に、少しだけ仕掛けを用意しました。
できた五文字を並び替えて、日常生活で身につけるものを表す英単語を作る。
……ふふっ。
なかなか、面白い問題になりましたね。
しかも。
この問題には、もう一つ目的があるんです。
……さて。
ナギサさんは、気づいてくださるでしょうか。
皆さんが苦戦する中、ナギサさんはあっさりと計算を終えられました。
「……分かりました」
「……まあ♡」
私は、楽しそうに目を細めました。
「もう解けたんですか?」
「ええ」
「ふふっ。それでは、皆さんにも分かるように、ぜひ声に出して答えていただけますか?」
「もちろんですよ」
……ふふっ。
あと少しです♡
「P、A、N、T、S。並び替えると、PANTSになりますね」
……ええ。
正解ですよ。
ですが。
もう一歩。
「ええ。つまり、パンツです」
(……言いましたね♡)
……ふふっ!
見事に、狙いどおりです。
ナギサさんの視線が、こちらへ向けられました。
……あら。
もう、お気づきになったようですね。
ですが。
もう遅いですよ?
「……まあ♡」
私は、口元を押さえました。
「ナギサさんったら……皆さんの前で、そんなにはっきりと『パンツ』だなんて♡」
……ああ。
楽しいですね♡
しかも。
コハルちゃんが、見事に反応してくださいました。
「ハ、ハナコぉぉぉっ!?」
……ふふっ。
可愛らしいですね。
「アンタ! 最初からそれを言わせるつもりだったでしょ!?」
「まあ。私はただ、英単語の問題を出しただけですよ?♡」
「絶対嘘でしょ!!」
……ふふっ。
コハルちゃんには、すっかり見抜かれてしまったようですね。
ヒフミちゃんは、PANTSにはズボンという意味もあると説明してくださいました。
アズサちゃんは、なぜコハルちゃんが怒っているのか分からないようです。
……本当に。
皆さんと一緒にいると、退屈しませんね。
ですが。
私にとって、もう一つ面白かったことがありました。
ナギサさんは、私にもう少し普通の問題を出すようお願いなさった後。
こうおっしゃったんです。
「……それにしても、ハナコさん」
「はい?」
「面白い問題をありがとうございました」
「……おや?」
……まあ。
それは、少し意外なお言葉ですね。
「ふふっ。からかわれたことは、もうよろしいんですか?♡」
「……それとこれとは別ですよ」
……ああ。
……そうですか。
私は、思わず微笑みました。
この方は、問題の仕掛けに気づいたうえで。
私が考えた問題そのものを、面白いと思ってくださったんですね。
……以前から、私の頭の良さを評価してくださる方はいました。
ですが。
その多くは、私の才能を何かに役立てようとするものでした。
将来、大きな成果を出せるから。
組織のために必要だから。
……そういう理由です。
けれど。
ナギサさんは、私の悪戯まで面白がってくださる。
何かに役立ったわけでもないのに。
ただ、私が楽しんで考えたことを、ご自身も楽しんでくださったんです。
(……ふふっ)
……それは。
少し、嬉しいですね。
「……ナギサさんは、こうして問題を考えるのがお好きなんですね」
「ええ。好きですよ」
……そうですか。
私は、少しだけ興味を持ちました。
「自分では思いつかなかった発想に出会えるのは、とても楽しいですから」
……ああ。
なるほど。
そういうことですか。
この方は、ご自分とは違う考え方に出会うことを、楽しんでいらっしゃるんですね。
……しかも。
「それに、ハナコさんも楽しんでくださったようですし」
「……え?」
……あら。
私が、ですか?
「ふふっ。問題を出している時も、答えを聞いた時も、とても楽しそうでしたよ」
「…………」
……まあ。
そこまで見ていらっしゃったんですね。
確かに、楽しかったです。
皆さんと一緒に問題を考える時間も。
ナギサさんが答えにたどり着いて、少し困ったお顔をなさったことも。
そして。
その仕掛けを理解したうえで、楽しんでくださったことも。
……全部。
本当に、楽しかったんです。
「……ふふっ。そう見えましたか?」
「ええ」
……そうですか。
私は、少しだけ考えました。
今まで、私の頭の良さを褒めてくださる方はたくさんいました。
ですが。
私が楽しんでいることを、こうして喜んでくださる方は。
……それほど、多くはなかった気がします。
「……それは、ナギサさんのおかげかもしれませんね♡」
「おや。そうなのですか?」
「ふふっ。どうでしょう?」
……ふふっ。
今のは、冗談ではありませんよ。
この方がいらっしゃらなければ、私はきっと、こんな問題を考えていなかったでしょうから。
◇
やがて、ヒフミちゃんたちは先ほどの問題をもう一度解き直し始めました。
コハルちゃんが、分からなかった部分について尋ねています。
ヒフミちゃんが、それに答えて。
アズサちゃんも、横から考えを伝える。
……ああ。
本当に、仲良くなりましたね。
補習授業部が結成されたばかりの頃は、皆さんもまだ遠慮していたように思います。
ですが。
今では、こうして自然に助け合っている。
……それが。
何だか、とても嬉しかったんです。
(……私も、変わってしまったのでしょうか)
以前の私なら、こんな時間をどう思っていたのでしょう。
誰かと一緒に勉強すること。
分からない問題を教え合うこと。
そして、くだらない冗談を言って笑い合うこと。
……以前なら。
きっと、ここまで楽しめてはいなかったでしょうね。
ですが。
今は、違います。
この教室で過ごす時間が、私は好きです。
ヒフミちゃんも。
コハルちゃんも。
アズサちゃんも。
……皆さん、本当に素敵な方ですから。
私は、そっと微笑みました。
すると。
(……あら?)
ナギサさんが、胸元に手を当てていらっしゃいました。
何かを確かめるような仕草。
……少し、気になりますね。
先ほどまで楽しそうに微笑んでいらっしゃったのに。
今は、何か考え込んでいるようです。
(……お加減でも悪いのでしょうか)
……いえ。
その表情を見る限り、そういうわけでもなさそうですね。
むしろ、どこか穏やかで。
少しだけ、懐かしいものを思い出しているようにも見えました。
……ですが。
やはり、気になります。
私は、以前調べた記録を思い出しました。
ある時期を境に変化した、ナギサさんの考え方。
他人との距離の取り方。
そして、行動の傾向。
(……もし、あの仮説が正しかったとしたら)
……今のこの方は。
どのような人生を歩んできたのでしょう。
何を経験し。
何を大切にして。
そして、何を目指しているのでしょう。
……いえ。
その前に。
(……私は、本当に何を知りたいのでしょう)
以前のナギサさんとの違いを、ただ確認したいのでしょうか。
それとも。
今、目の前にいるこの方が、どんなことを考えていらっしゃるのか。
……それを。
もっと知りたいのでしょうか。
私は、しばらく考えました。
……そうですね。
答えは、意外と簡単でした。
私は、この方の考え方を知りたいんです。
何を大切にして、どんな未来を望んでいるのか。
そして、どうしてあんなにも楽しそうに笑っていらっしゃるのか。
……それを。
もう少し、聞いてみたいと思いました。
ですが。
人格について直接尋ねるつもりはありません。
そんなことをしなくても、この方のお考えを知る方法はありますから。
……例えば。
以前から、私自身が考えていたこと。
誰かに相談したいと思いながら。
結局、上手く言葉にできなかったこと。
……それを。
尋ねてみるのは、どうでしょう。
「……ナギサさん?」
「……あっ」
ナギサさんが、こちらへ向き直りました。
「申し訳ありません。少し考え事をしていました」
「……ふふっ。そうでしたか」
……ええ。
少し、気になりましたけど。
今は、それよりも。
「……それにしても」
私は、いつものように微笑みました。
「ナギサさんは、本当に何でもおできになるんですね♡」
「ふふっ。そんなことはありませんよ」
「……ご謙遜を♡」
「いえ、本当ですよ。私にも、できないことはたくさんありますから」
……あら。
そうおっしゃるんですね。
ですが。
そのお答えは、少しだけ興味深いものでした。
私は、先ほどの問題を思い出しました。
考え方を変えれば、難しそうな問題も簡単になる。
……だとしたら。
「……ですが、ナギサさん」
「はい?」
「先ほど、考え方を変えれば、難しい問題も簡単になるとおっしゃっていましたよね?」
「ええ」
「それなら、一つお聞きしたいことがあります」
「……おや?」
私は、ナギサさんのお顔を見つめました。
……さて。
この方なら、どのようにお答えになるのでしょう。
「もし、どれだけ考えても正解が見つからない問題があったら……どうされますか?」
ナギサさんは、少し考えてからお答えくださいました。
「まずは、本当に正解が一つしかない問題なのか、考えてみると思います」
「……正解が、一つとは限らない?」
「ええ。数学とは違って、世の中には人によって答えが変わる問題もありますから」
……ああ。
そうですね。
それは、確かにそうかもしれません。
数学とは違って、人生には正解が一つとは限らない問題もありますから。
……ですが。
もし、周囲の方々が正解は一つしかないと言い張ったら。
そして、自分にはそれができるのだから、その道を選ぶべきだと言われたら。
……その時は?
「……では」
「はい?」
「もし、周りの方々が、正解は一つしかないと言い張ったら……どうでしょう?」
「……なるほど」
「例えば、自分にはそれができるのだから、その答えを選ぶべきだと……そう言われたら?」
ナギサさんは、少し考え込まれました。
……やはり。
簡単には答えられない問題ですよね。
ですが。
「……それは、ご本人が望んでいなくても、ということでしょうか?」
「……!」
……ああ。
私は、思わずナギサさんのお顔を見つめました。
……そうです。
まさに、それが聞きたかったんです。
私自身が望んでいなくても。
才能があるのだから、選ぶべきだと言われた時。
……どうすればよいのでしょう。
ですが。
それを、そのまま口にするつもりはありませんでした。
「……ええ。そうですね」
私は、いつものように微笑みました。
「ふふっ。もしものお話ですけどね♡」
……今は、まだ。
私自身の事情をお話しするつもりはありません。
ですが。
この方が、どのようなお答えをくださるのか。
それだけは、聞いてみたいと思ったんです。
「……少し意地悪な質問でしたか?」
「いいえ。むしろ、興味深い質問だと思います」
……ああ。
そうおっしゃるんですね。
ナギサさんは、少し考えてから続きを口にされました。
「……そうですね。私なりの考えでしたら、お話しできると思います」
……まあ。
お答えいただけるんですね。
私は、少しだけ驚きました。
「……おや? お答えいただけるんですか?」
「ええ。ただし、誰にでも当てはまる正解というわけではありませんよ」
……そうですね。
誰にでも当てはまる正解なんて、ないのかもしれません。
ですが。
私が聞きたいのは、そこではありません。
……この方が。
どのように考えていらっしゃるのか。
それを、知りたいんです。
「……それで十分ですよ」
私は、穏やかに微笑みました。
「むしろ、ナギサさんご自身のお考えを聞かせていただける方が、嬉しいです♡」
……ええ。
それで、十分です。
私が今、知りたいのは。
過去の記録に残された、桐藤ナギサという人物の姿ではありません。
目の前にいらっしゃる、この方が。
何を考え、何を大切にして。
どんな未来を描こうとしていらっしゃるのか。
……そのことなんです。
「……ええ。ぜひ、聞かせてください」
ナギサさんは、穏やかに微笑まれました。
ヒフミちゃんたちも、一緒にお話を聞きたいとおっしゃいました。
……ふふっ。
そうですね。
きっと、皆さんにとっても、興味深いお話になるのでしょう。
私は、そっとナギサさんのお顔を見つめました。
……さて。
どんなお話を聞かせてくださるのでしょうか。
……少し、楽しみですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
今回はハナコの調査や、補習授業部での勉強会を中心にお届けしました。
ナギサ様の変化に違和感を覚えながらも、少しずつ興味を深めていくハナコ。
そして次回、下編では第27話のキャンバスのお話をハナコ視点で描きます。
彼女がナギサ様の言葉をどう受け止めたのか、ぜひお楽しみに!
次回もよろしくお願いします!