第33話です!
今回は、久しぶりの夢のお話。
EX1『夢の中の救済同盟』から続く、本物のナギサとの初対面を描きます。
少し長めですが、お楽しみください!
――その日の夜。
「……ふぅ」
ベッドに身体を預け、俺は小さく息を吐いた。
……いやぁ。
今日は、本当に色々あったな。
補習授業部の合宿に顔を出して、帰ってきてからは変装の練習。
そして、まさかのミネ襲来。
(……お腹、まだちょっと痛いんだよなぁ)
……まあ。
あの後、ちゃんと診察してもらったし、大きな問題はなさそうだからいいんだけど。
……それに。
(……セイア、生きてたんだよな)
自然と、笑みがこぼれた。
……ああ。
本当によかった。
まだまだ、やるべきことは山ほどある。
だけど、少なくとも救いたかった人たちを、まだ誰一人諦めなくていい。
(……よし)
明日からも頑張ろう。
そのためにも、今日はしっかり休まないとな。
俺は、目を閉じた。
……そして。
いつの間にか、意識が遠のいていった。
◇
「…………ん?」
……あれ?
気がつくと、俺は見知らぬ場所に立っていた。
どこまでも続く、白い空。
そして、足元には静かな水面が広がっている。
「……なんだ、ここ?」
一歩、足を踏み出す。
ちゃぷん。
小さな波紋が広がった。
……だが、不思議なことに足は濡れていない。
(……夢、か?)
……まあ、そうだよな。
こんな場所、現実にあるとは思えないし。
それにしても。
(……妙にはっきりしてる夢だなぁ)
周囲を見渡す。
白い空。
果ての見えない水面。
そして、その先に。
「……ん?」
小さな家が建っていた。
……こんなところに?
随分と不思議な光景だ。
だが、他に目印らしいものもない。
(……とりあえず、行ってみるか)
俺は、その家へ向かって歩き始めた。
……すると。
「……ふふっ。セイアさんったら」
…………。
(……え?)
声が聞こえた。
女の子の声だ。
しかも。
(……この声……)
どこかで聞いたことがある。
……いや。
聞いたことがあるどころじゃない。
(……俺の声に、そっくりだぞ?)
俺は、思わず足を止めた。
……そして。
「おや。私はただ、物事にはそれぞれ相応しい時があると言いたかっただけなのだけれどね」
続いて聞こえてきたのは、穏やかな少女の声。
だが、その言い回しには、独特なものがあった。
「……ですから、もう少し分かりやすくお話ししてくださいと、何度もお願いしているでしょう?」
「ふふ。言葉というものは、必ずしも最短の道を通ることで、その意味を深めるわけではないのさ」
「……また始まりましたね」
「おや、随分な言いようだね」
「事実ですから」
……何だろう。
随分と楽しそうだな。
というか。
(……この話し方、もしかして……)
俺は、少しだけ歩く速度を上げた。
家へ近づくにつれ、二人の姿が見えてくる。
開け放たれた扉。
窓から差し込む柔らかな光。
そして、室内に置かれた小さなテーブル。
その傍らに、二人の少女がいた。
……一人は。
白い髪をした、小柄な少女。
(……セイア!?)
百合園セイア。
原作で見た姿と、まったく同じだった。
……だが。
驚いたのは、それだけじゃない。
もう一人。
セイアの向かいに座っている少女。
手にはティーカップ。
整えられた髪。
上品な仕草。
そして、穏やかな微笑み。
…………。
(……え?)
……いや。
ちょっと待て。
あれは。
(……ナギサ……?)
桐藤ナギサ。
毎日、鏡で見ている顔。
今の俺と、まったく同じ姿をした少女だった。
…………。
(……まさか)
俺は、二人を見つめた。
夢だ。
これは夢のはずだ。
……だけど。
もし、あそこにいるのが。
(……本物の、ナギサ……?)
その時だった。
「……あら?」
ナギサが、こちらへ顔を向けた。
俺と目が合う。
…………。
ナギサは、一瞬だけ驚いたように目を見開いた。
だが、すぐにその表情が柔らかくなる。
「……セイアさん」
「うん。どうやら、そのようだね」
セイアも、こちらを見つめていた。
……というか。
(……なんで二人とも、そんなに落ち着いてるんだ?)
こっちは、ものすごく驚いてるんだけど。
すると、セイアが微笑んだ。
「ふふ。長らく交わることのなかった二つの道も、同じ場所へたどり着くことがある。もっとも、これを偶然と呼ぶべきか、それとも必然と呼ぶべきかは、難しいところだけれどね」
「……セイアさん」
「うん?」
「……今は、普通にお話ししてください」
「おや」
セイアが、少しだけ肩をすくめた。
「……ふふっ。そうだね。今は、その方がいいかもしれない」
…………。
(……ああ)
……間違いない。
この独特な言い回し。
原作で見たセイアそのものだ。
……というか。
(……ナギサ、随分と元気そうだな)
原作のナギサは、もう少し堅苦しい印象があった。
もちろん、親しい相手には柔らかな表情も見せていたけど。
……今のナギサは、それ以上だ。
自然に笑っている。
セイアに軽く呆れたような顔を向けながら、それでも楽しそうにしている。
(……よかった)
……ああ。
本当によかった。
もし、この少女が本物のナギサなら。
少なくとも、今は笑えているんだ。
……それが、何より嬉しかった。
「……あの」
俺は、ゆっくりと口を開いた。
だが、その先の言葉が出てこない。
……何を言えばいいんだろう。
ずっと、助けたいと思っていた相手。
いつか必ず、身体を返すと決めた相手。
その本人が、目の前にいる。
……なのに。
(……何だか、緊張するなぁ)
すると。
ナギサが、ゆっくりと立ち上がった。
そして、俺の方へ歩いてくる。
一歩。
また一歩。
その足取りに、迷いはなかった。
やがて、俺の目の前まで来ると。
ナギサは、静かに微笑んだ。
「……初めまして」
…………。
「……ナギさん」
……ああ。
名前まで、知っているんだな。
俺は、一度息を整えた。
そして、目の前の少女へ微笑み返した。
「……はい」
……ようやく。
ようやく、会えた。
「初めまして、ナギサ」
◇
「……こうして直接お会いすると、不思議な気分ですね」
「……そうだな」
俺は、目の前のナギサを見つめた。
……いやぁ。
不思議なんてものじゃないぞ。
だって、目の前にいるのは、俺とまったく同じ姿をした少女なんだから。
髪型も、顔立ちも、背丈も。
全部同じ。
(……こうして見ると、本当にそっくりだなぁ)
……いや。
そっくりも何も、同じ身体なんだけどさ。
「……ふふっ」
ナギサが、柔らかく笑った。
「私にとっては、あまり初めてお会いするという気がしません」
「……そうなのか?」
「ええ。実は、以前からあなたのことを見ていたんです」
「…………」
……え?
「見ていた……?」
「はい。ここから、現実での出来事を見ることができるんですよ」
ナギサは、家の外に広がる水面を指さした。
「もちろん、すべてではありませんが、色々なことを見聞きしていました」
「……なるほど」
……ということは。
俺がミカと話していたことも。
先生に正体を明かしたことも。
補習授業部の子たちと過ごしたことも。
……そして。
(……もしかして、あれも……?)
「……あの、ナギサ?」
「はい?」
「……どこまで見ていたんだ?」
「……そうですね」
ナギサは、少し考え込んだ。
そして。
「例えば、初めてお風呂に入った時のこととか」
「…………」
…………。
(……あっ)
「……それから、鏡の前で随分と私の身体を確認していらっしゃいましたよね?」
「…………」
……ああ。
……終わった。
(……そこも見られてたぁぁぁ!?)
「……い、いや! ちょっと待ってくれ!!」
「……はい?」
「それについては、ちゃんと理由があるんだ!!」
俺は、慌てて身を乗り出した。
「だって、俺が目覚めたのは、ナギサが自殺を図った直後だったんだぞ!?」
「…………」
「薬を飲んでいたことは分かってたけど、それ以外に身体を傷つけていないとも限らないだろ!?」
……そう。
あの時は、本当に心配だったんだ。
薬の影響は、見た目だけじゃ分からない。
だけど、身体のどこかに傷がないかくらいは、自分でも確認できる。
だから、鏡を使って全身の状態を確かめていたわけで。
「……別に、変な目的で見てたわけじゃないからな!?」
「…………」
「もちろん、その後は救護騎士団でもちゃんと診察を受けてるし!」
……いやぁ。
我ながら、必死だな。
でも、ここは誤解されたままにするわけにはいかない。
だって、ナギサ本人だぞ!?
「……ふふっ」
すると、ナギサが小さく笑った。
「……分かっていますよ、ナギさん」
「……え?」
「最初は、私も少々驚きましたけれど」
ナギサは、穏やかに微笑んだ。
「あなたが私の身体を心配してくださっていたことは、今では理解しています」
「……ああ」
……よかったぁ。
ちゃんと伝わってたんだな。
「……ですが」
「……ん?」
ナギサが、にっこりと微笑んだ。
「実は、セイアさんと相談していたんです」
「……何を?」
「もし直接お会いする機会があれば、一度くらい殴ってもよいのではないかと」
「…………」
…………。
(……えっ!?)
「な、殴る!?」
「ええ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!? 今の説明、聞いてたよな!?」
「ふふっ。もちろんですよ」
…………。
(……まあ、こうなったら受けるしかないか……)
……うん。
元々、ナギサの身体だし。
本人が怒っているなら、甘んじて受け入れるべきだろう。
……そうだ。
覚悟を決めろ、俺。
たかが一発。
……一発くらい。
(……でも)
…………。
(……痛いのいやぁぁぁ!!)
……だって!!
さっきミネに殴られたばっかりなんだぞ!?
今は夢の中だから痛くないけど!!
もう殴られるのは嫌だ!!
(……うぅ、誰か助けてぇぇぇ!!)
……いや。
待て。
落ち着け、俺。
まだ殴られると決まったわけじゃない。
……よし。
ここは、冷静に。
「……あの、ナギサ?」
「はい?」
「……できれば、話し合いで解決しませんか?」
「……ふふっ」
ナギサが、楽しそうに微笑んだ。
「もちろんですよ。今はもう、そのつもりはありませんから」
…………。
(……よ、よかったぁぁぁ……)
……本当に。
心の底から安心した。
「……先ほどのミネさんとのお話も、聞かせていただきましたから」
「…………」
……ああ。
そういうことか。
「……身体の件か?」
「ええ」
ナギサは、静かに頷いた。
「あなたが、そこまで私の身体について考えてくださっていたとは思いませんでした」
「…………」
「もちろん、これまでも大切に扱ってくださっていることは分かっていました。ですが、あそこまで慎重に考えてくださっていたとは……」
ナギサは、少し照れくさそうに微笑んだ。
「……正直、嬉しかったです」
「……ナギサ」
「それに、あなたには本当に色々と助けていただきました」
……え?
「私の仕事を引き受けてくださって、ミカさんや皆さんとの関係も、大切にしてくださっています」
「…………」
「私が諦めてしまったものを、あなたは一つずつ取り戻そうとしてくださっている」
……ああ。
そういうことか。
「……ナギサ」
「はい」
「まだ、何も終わってないぞ?」
「……ええ。分かっています」
ナギサは、ゆっくりと頷いた。
「ですが、それでも感謝しているんです」
そして。
「……本当に、ありがとうございます。ナギさん」
…………。
……ああ。
……何だよ。
(……そんなこと言われたら、嬉しくなるじゃないか)
俺は、小さく笑った。
「……どういたしまして」
……うん。
よかった。
本当によかったなぁ。
……それにしても。
(……ん?)
……待てよ。
今、ナギサは何て言った?
俺のことを、ずっと見ていた?
しかも、色々と話も聞いていた?
…………。
(……ということは)
「……あの、ナギサ」
「はい?」
「……一つ、確認してもいいか?」
「ええ。もちろんです」
「……俺が元々どういう人間だったのかも、ある程度は理解しているんだよな?」
「……ええ。そうですね」
「……それで、その……」
俺は、少しだけ身を乗り出した。
「……今さら、取り繕う必要とか……ないよな?」
「……取り繕う?」
ナギサが、不思議そうに首を傾げた。
…………。
……ああ。
そうだよな。
ちゃんと説明しないと分からないよな。
「……実はさ」
俺は、一度深呼吸した。
「俺、今までずっと気を遣ってたんだよ」
「……気を遣っていた?」
「ああ! それはもう、めちゃくちゃ!」
俺は、大きく頷いた。
「だって、ナギサの意識が、この身体のどこかに残ってると思ってたんだぞ!?」
「……ええ」
「だったら、俺の考えてることまで聞こえてるかもしれないじゃないか!」
「……ああ」
ナギサが、納得したように頷いた。
「そういうことでしたか」
「そうなんだよ!」
……いやぁ。
本当に大変だったんだからな。
外ではティーパーティーのホストらしく。
上品に。
丁寧に。
そして、内心では。
(……いや、こっちが一番大変だったんだよなぁ)
何か面白いことがあっても、全力でふざけられない。
くだらない冗談を思いついても、途中で自粛。
下ネタなんてもってのほか。
放送禁止用語みたいな言葉が頭に浮かんだ時には、慌てて別のことを考える。
……だって。
年頃の女の子が、自分の身体の中にいる他人にそんなことを考えられていたら嫌だろ!?
「……だから、ずっと我慢してたんだよ!」
「……そ、そうだったんですね」
「もう本当に! 頭の中でもずっと検閲してたんだからな!」
「……検閲、ですか?」
「ああ! 自主規制の嵐だよ!」
……ああ。
思い返すだけでも、なかなかに窮屈だったなぁ。
……いや。
もちろん、全部を我慢していたわけじゃない。
内心では結構好き勝手に考えていたし。
それでも、最後の一線だけは越えないようにしていたんだ。
「……ちなみに、ナギサ」
「はい?」
「……俺の考えてることって、実際どのくらい聞こえてたんだ?」
「……そうですね」
ナギサは、少し考えた。
「すべてが聞こえていたわけではありませんよ」
「……おっ?」
「あなたが私に向けて話しかけてくださった時は、確かに届いていました。ですが、普段の考えが全部伝わっていたわけではありません」
「…………」
……え?
…………。
(……ということは)
今まで、必死に内心まで自制していたのは。
(……ほとんど、俺の思い込みだったってことか?)
…………。
……いや。
待て。
落ち着け。
まだ早い。
「……じゃあ、つまり」
「……はい?」
「……もう、無理して自分を抑える必要はないってことだよな?」
「……ええ。少なくとも、私に気を遣ってそこまで我慢していただく必要はありませんよ」
…………。
……おお。
……おおお。
……ああ。
……ああああ!!
「……っしゃああああああ!!」
「ひゃっ!?」
ナギサが、びくっと肩を震わせた。
「ナ、ナギさん!?」
「やったぁぁぁ!! ついに!! ついに解放されたぁぁぁ!!」
俺は、思いっきり両手を突き上げた。
「いやっほぉぉぉぉ!!」
「……ナ、ナギさん!?」
……ああ。
最高。
最高だ!!
もう、いちいち内心まで取り繕わなくていいんだ!!
「いやぁぁ!! 長かった!! 本当に長かった!!」
俺は、その場でくるりと一回転した。
……うん。
何で回ったんだろうな。
自分でも分からん。
でも楽しいからヨシ!!
「……ふふっ」
横から、笑い声が聞こえた。
「なるほど。どうやら、堰き止められていた川が、ついに流れ始めたようだね」
セイアだった。
「しかも、随分と勢いがいい」
「そりゃもう!!」
俺は、満面の笑みで答えた。
「だって、もう我慢しなくていいんだぞ!?」
……いや。
厳密には、現実では我慢するけど。
でも、ここでは!
「俺、元々こんな感じなんだよ!!」
そう言って、近くにあったソファへ向かった。
そして。
「とうっ!!」
ぼふっ。
勢いよく、ソファに飛び込んだ。
「……あああああ!!」
そのまま、だらーんと身体を伸ばす。
「……最高ぉぉ……」
……ああ。
これだよ。
これ。
この、何も考えずにだらける感じ。
最高じゃないか。
「……ナギさん?」
「ん?」
「……何を、しているんですか?」
「だらけてる!!」
「……だ、だらけて……?」
「ああ!! 俺、こういうの大好きなんだよ!!」
俺は、寝転がったまま親指を立てた。
「休日に昼まで寝て! 起きたら適当に飯食って! ゲームして! またゴロゴロして!」
……ああ。
思い出すなぁ。
あの何とも言えない、無駄に贅沢な時間。
「最高じゃないか!!」
「…………」
ナギサが、ぽかんとした表情でこちらを見つめていた。
……あれ?
何か変なこと言ったか?
「……ナギさん」
「ん?」
「……本当に、同じ顔とは思えませんね」
「あはははっ!!」
……そりゃそうだ。
俺だって、そう思う。
「いやぁ、普段は頑張ってるんだよ!!」
「……頑張って、ですか?」
「そうだよ! ナギサの評判を落としたら大変だからな!」
俺は、ソファに寝転がったまま答えた。
「でも、本来の俺はこんな感じだ!」
……そう。
俺は、別にいつも真面目で落ち着いているような人間じゃない。
面白そうなことがあれば、とりあえず首を突っ込みたくなる。
くだらない冗談で笑うのも好きだ。
意味もなくテンションが上がることだってある。
……というか。
(……人生、面白い方がいいだろ!!)
もちろん、やるべきことはちゃんとやる。
大切な人たちを守るためなら、真剣に考えるし、努力だってする。
……でも。
それと、ふざけるのが好きなことは別だ!!
「……ちなみに!」
「……は、はい?」
「俺、下ネタとかも普通に言うからな!!」
「…………」
…………。
ナギサが、固まった。
「……え?」
「いやぁ、今までずっと我慢してたんだよ!!」
「……あの、ナギさん?」
「ん!?」
「……できれば、そこは今後も控えていただけると……」
「えーっ!?」
……なんだよぉ。
せっかく解放されたのに!!
「ふふっ。どうやら、自由を手にした者にも、新たな規律が必要になるらしいね」
セイアが、楽しそうに笑っていた。
「自由とは、何をしてもよいという意味ではないからね」
「……セイアまで!?」
…………。
(……くっそぉぉ!!)
……いや。
ちょっと待て。
今、普通に汚い言葉を考えたぞ?
しかも、ナギサの目の前で。
…………。
(……おおお!!)
……すげぇ!!
別に世界が終わったりしない!!
「……あはっ」
……やばい。
何だこれ。
めちゃくちゃ楽しい。
「あははははっ!!」
「……ナ、ナギさん!?」
とうとう、笑いが止まらなくなった。
いや、別に何か特別面白いことがあったわけじゃない。
ただ。
今まで、ずっと肩に力が入っていたんだ。
ナギサの身体を預かっていること。
その意識が、俺の考えていることまで聞いているかもしれないこと。
だから、少しでも嫌な思いをさせないように。
なるべく、変なことを考えないように。
……そうやって、ずっと気を張っていた。
でも。
今、目の前にいるナギサは笑っている。
俺がどんな人間なのかを知って、それでも受け入れてくれている。
……だったら。
(……もう、少しくらい自由にしてもいいよな!!)
もちろん、嫌がることまでしていいわけじゃない。
そこは、ちゃんと考える。
でも、俺自身を隠す必要はない。
「……あーっ!!」
俺は、ソファの上で大きく伸びをした。
「……すっげぇ、気持ちいい!!」
「…………」
ナギサが、何とも言えない表情でこちらを見ていた。
そして。
「……ふふっ」
小さく笑った。
「……まったく」
そう言いながら、ゆっくりと首を振る。
「あなたという人は、本当に……」
「……ん?」
「……いえ」
ナギサは、穏やかに微笑んだ。
「少し、安心しました」
「……安心?」
「ええ。あなたがそこまで無理をしていたとは思いませんでしたから」
「……あはは!」
……まあ。
元気だけはあるからな!
「むしろ、有り余ってる!!」
「……そのようですね」
ナギサは、くすくすと笑った。
……ああ。
いいなぁ。
この笑顔。
原作で見たナギサよりも、ずっと明るい。
……いや。
本当は、こういう子だったのかもしれないな。
色々な重圧から解放されて、友達と笑い合えるようになったナギサ。
……うん。
(……やっぱり、こういう未来がいいよな)
◇
――数分後。
「…………」
……うん。
…………。
(……さすがに、はしゃぎすぎたな)
俺は、ソファの上で天井を見つめていた。
……いやぁ。
楽しかった。
本当に楽しかったんだけど。
(……ちょっと、やりすぎたか)
冷静になって考えてみよう。
初めて会った相手の前で、突然叫び出し、ソファに飛び込んで、下ネタを解禁すると宣言する。
…………。
(……うん。普通にやばい奴だな)
しかも、相手は本物のナギサだ。
……いや。
これは、さすがに謝っておこう。
俺は、ゆっくりと身体を起こした。
背筋を伸ばし、姿勢を整える。
そして。
「……ナギサ、セイアさん」
「……はい?」
「おや、どうしたんだい?」
俺は、二人に向かって深く頭を下げた。
「先ほどは、大変失礼しました。少々、羽目を外しすぎましたね」
「…………」
「…………」
……あれ?
何で二人とも固まってるんだ?
「……ナギさん?」
「はい?」
「……急に、どうされたんですか?」
「いえ。改めて自分の行動を振り返ったところ、少々度が過ぎていたと気づきまして」
「…………」
ナギサが、何とも言えない表情を浮かべた。
……まあ、そうなるか。
「実は、これまでかなり厳しく自制していた反動が出てしまったようです」
「……反動、ですか?」
「ええ」
俺は、頷いた。
「ナギサの身体で生活するようになってから、言動だけでなく、内心に至るまで気を遣っていましたから」
……そう。
別に、普段からあんなふうに騒いでいるわけじゃない。
元々陽気な性格ではあるけど、状況に応じて振る舞いを変えるくらいはできる。
「……まあ、ミレニアムを訪れた時も、少々はしゃいでしまいましたが」
……あの時は、楽しかったなぁ。
見慣れない技術。
面白そうな設備。
興味を引かれるものばかりだった。
……うん。
あれは、仕方ない。
「ただ、あの時も節度は守っていたつもりです。今回のように、何も考えず騒ぐようなことはありませんでしたし」
「……なるほど」
ナギサが、小さく頷いた。
「では、先ほどのナギさんは……」
「……そうですね」
俺は、少し考えた。
「長期間にわたって抑えていたものが、一気に表に出てしまったのだと思います」
……いや。
改めて考えると、随分と溜め込んでいたんだな。
「普段の私は、発言する前に自分の言動を客観視するようにしています」
「……客観視、ですか?」
「ええ。実は、この能力には少々変わった経緯がありまして」
「……変わった経緯?」
「元々、私は頭が良すぎたんです」
「…………」
……あ。
今の言い方、ちょっと自慢っぽかったか?
……まあ、事実なんだけどさ。
「幼い頃の私は、一つ教えられれば、その先の十まで理解できました」
「……それは、素晴らしいことですね」
「ありがとうございます。ですが、当時はそれが原因で、色々と苦労しまして」
俺は、少し苦笑した。
「自分にとって当たり前のことが、他の人には当たり前ではないと、理解できていなかったんです」
「……なるほど」
「例えば、私の頭の中では一から十まで繋がっているのに、実際に説明していたのは一と十だけだったり」
「……それでは、途中の説明が抜けてしまいますね」
「ええ。そのとおりです」
……そう。
昔の俺は、それが分からなかった。
何で伝わらないのか。
どうして、自分と同じように理解してもらえないのか。
……随分と悩んだものだ。
「そこで、考えたんです」
「……何をでしょうか?」
「自分の説明を、他人の視点から確認できればいいのではないかと」
「……他人の視点?」
「ええ。自分の知識を持っていない相手が、この説明を聞いたらどう理解するのか。どこで疑問を感じるのか。何が足りないのか」
俺は、指を一本立てた。
「それを、発言する前に頭の中で確認するようにしたんです」
「……なるほど」
「最初は、随分と時間がかかりましたけどね」
……いやぁ。
本当に大変だったな。
自分にとっては当たり前のことを、一つずつ分解して説明し直すんだから。
……でも。
「続けているうちに、ほとんど無意識にできるようになりまして」
「……無意識に、ですか?」
「ええ」
俺は、頷いた。
「今では、相手の理解度に合わせて説明を組み立てたり、自分の言動がどう受け取られるかを予測したりすることが、自然にできるようになりました」
……まあ。
もちろん、万能ではない。
相手の考えていることを、何でも見抜けるわけじゃないからな。
それでも、随分と役立っている。
「おかげで、今では色々な方に勉強を教えることもできています」
「……ああ、補習授業部の子たちだね」
セイアが、納得したように頷いた。
「ええ。理解の早い方もいれば、基礎から順番に説明した方がいい方もいますから」
「なるほど。君は相手に合わせて、物事の見せ方を変えているわけだ」
「はい。概ねその認識で合っています」
……そして。
「実は、この能力には、もう一つ便利な使い方がありまして」
「……何でしょうか?」
「自分とは違う人物を演じることも、比較的簡単にできるんです」
「……演じる?」
「ええ」
俺は、小さく頷いた。
「例えば、普段の自分なら恥ずかしくて言えないことでも、その人物なら自然に言うだろうと理解できていれば、抵抗なく口にできたりします」
「……なるほど」
「考え方や言葉遣い、仕草などを意識的に変えることで、まったく違う人格を演じることもできます」
……まあ。
実際に別人格が生まれるわけじゃないけどな。
あくまでも、演技の話だ。
「自分ならどうするかではなく、その人物ならどうするかを考えるんです」
……そう。
自分自身を一歩引いたところから観察できるなら。
その自分を、別の人物として組み立てることもできる。
……もっとも。
「ナギサの場合は、少し事情が違いましたけどね」
「……私、ですか?」
「ええ」
俺は、ナギサへ視線を向けた。
「最初から、あなたの記憶が残っていましたから」
「…………」
「言葉遣いや仕草、普段の考え方まで、自然と頭に浮かんできたんです」
……本当に、不思議な感覚だった。
自分では知らないはずのことを、当たり前のように理解している。
今まで一度も経験していないはずの動作が、自然にできる。
……だから。
「ナギサを演じることについては、ほとんど意識する必要がありませんでした」
「……そうだったんですね」
「ええ。むしろ、あなたの記憶に引っ張られすぎているくらいです」
……まあ。
おかげで随分と助かったんだけどな。
ティーパーティーの仕事なんて、何の知識もない状態で任されたら大変なことになっていたと思うし。
「……ただ」
俺は、少し困ったように笑った。
「そのせいで、普段の自分に戻る機会が、ほとんどなくなってしまいまして」
「……ああ」
ナギサが、小さく頷いた。
「私の意識が残っていると思って、内心まで気を遣ってくださっていたんですね」
「ええ。それもあります」
……というか。
そっちが一番大きかったんだけどな。
「ですが、普段ならそれでも問題なかったはずなんです」
「……問題なかった?」
「はい。自分を客観的に見て、どこまでなら許されるのか、判断できますから」
……そう。
本来なら、ふざける時もふざけすぎないように調整できる。
面白そうなことを思いついても、相手にどう受け取られるかを考えてから行動できる。
……なのに。
「今回は、長い間自制していた反動が、思った以上に大きかったようです」
俺は、先ほどの自分を思い出した。
突然叫び出して。
ソファに飛び込んで。
だらけるのが最高だと宣言して。
挙げ句の果てには、下ネタまで解禁しようとした。
…………。
(……うん)
……あれは、さすがにひどかったな。
「自分で言うのも何ですが、普段はもっと節度のある人間なんですよ?」
「……ふふっ」
ナギサが、口元を押さえた。
「……本当ですか?」
「……本当です!」
……いや。
何で疑うんだよ!?
「おやおや」
今度は、セイアが楽しそうに口を開いた。
「なるほど。君は他人を理解するために、自分自身を他人として観察する術を身につけたわけだね」
「……ええ。そういうことになります」
「そして、その術を長く使い続けた結果、今では自分という存在さえ、ある種の役割として扱えるようになった」
「……まあ、そうですね」
セイアは、興味深そうに目を細めた。
「ふふっ。実に面白い。だが、それほど巧みに自分を制御できる人物が、つい先ほどまであれほどはしゃいでいたというのも、なかなか興味深い話だね」
「…………」
……うっ。
そこを突かれると痛い。
「……今回は、例外ということでお願いします」
「ふふ。そういうことにしておこうか」
…………。
(……絶対、楽しんでるな)
……まあ、いいか。
ナギサも笑っているし。
……すると。
「……ナギさん」
「……はい?」
ナギサが、静かに口を開いた。
「先ほどのことで、そこまでお気になさらなくても大丈夫ですよ」
「……え?」
「少し驚きましたけれど、嬉しかったんです」
「……嬉しかった?」
「ええ。あなたが、ようやく気兼ねなく笑えるようになったのですから」
…………。
……ああ。
「それに、私は少し安心しました」
「……安心?」
「はい。いつも私のことばかり考えてくださっていたので、ご自分のことを後回しにしているのではないかと心配していたんです」
「…………」
……まあ。
確かに、そういうところはあったかもしれないな。
「ですから、ここでは無理に自分を抑えなくても構いません」
ナギサは、優しく微笑んだ。
「もちろん、節度は守っていただきたいですけれど」
「……あはは」
……そこは、やっぱり譲れないんだな。
「……分かったよ」
俺は、苦笑しながら頷いた。
「じゃあ、次からはもう少し大人しくする」
「……ふふっ」
ナギサが、嬉しそうに笑った。
……ああ。
いいなぁ。
こういうの。
ふざけることもできる。
真面目な話もできる。
そして、どちらも受け入れてくれる相手がいる。
(……本当に、ありがたいな)
俺は、改めて二人に微笑みかけた。
……もっとも。
(……さっきみたいに、限度を超えるのは駄目だけどな)
うん。
そこは、しっかり反省しておこう。
……さて。
ようやく落ち着いて話せるようになったことだし。
改めて、二人とゆっくり話してみようか。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
今回は、ついにナギと本物のナギサが対面しました!
そして、今まで自制していた反動で、思いっきりはしゃいでしまったナギ。
普段とは随分と印象が違ったのではないでしょうか。
次回も、夢の中でのお話が続きます!
それと、毎日2話投稿について、体調などを心配してくださるコメントをいただきましたので、少しだけお話しさせてください。
現在、執筆がとても楽しくて、調子がいい時には1日3話ほど書けることもあるので、今のところ問題ありません!
ただ、展開に詰まると1日かけても1話すら完成しないこともあります。
というか、実は今、過去一番と言っていいほど執筆が止まっていたりします(笑)
まあ、まだストックはあるので大丈夫です!
もしストックが尽きたら、その時は自然と更新が止まると思いますので、無理のない範囲で続けていくつもりです。
お気遣いいただき、本当にありがとうございます!
引き続きよろしくお願いします!