これにて、3話にわたるFOX小隊との交渉も一区切りです!
実はこの3話、構成や台詞にかなり悩んでしまい、推敲も含めて完成まで丸3日かかりました……。
FOX小隊のみんなが好きだからこそ、納得できる形にしたくて、気づけばこんなに時間が経っていました。
それでは、最後までお楽しみください!
◇
「……ふぅ」
扉が閉まったのを確認し、俺は椅子の背もたれへ身体を預けた。
……いやぁ。
疲れたな。
自分で仕掛けたこととはいえ、なかなか神経を使う交渉だった。
(……しばらくは、ゆっくりしたいな)
俺は、すっかり冷めてしまった紅茶に口をつけた。
……うん。
冷めてもおいしい。
さすが、トリニティの紅茶だな。
『……ナギさん』
(……ん?)
隣にいたナギサが、こちらへ顔を向けた。
『先ほどの、信用についてのお話なのですが……』
(……ああ)
『私も以前、周囲の人たちを疑い、何もかも自分で抱え込んでしまいました』
……ナギサ。
『ですが、先ほどのお話では、大切なものを守るためには、相手を警戒することも必要だと……』
(……ああ。そうだな)
『……では、私はどうすればよかったのでしょうか?』
…………。
……なるほど。
確かに、ナギサからすれば難しい話かもしれないな。
(……それは、相手との関係や、自分の立場によって違うんだよ)
『……立場、ですか?』
(ああ。まず、上司と部下の関係についてだけどさ)
俺は、少し考えてから続けた。
(俺は、上司には部下を信用する責任があると思ってる)
『……責任、ですか?』
(そう。部下がどんな仕事をしたいのか、どういうやり方で進めたいのか。それを聞いて、できる限り任せてやることも上司の仕事だろ?)
『……はい』
(そして、任せた以上は、その結果についても責任を持たなきゃいけない)
……そう。
部下に仕事を任せておいて、失敗したら全部そいつのせい。
そんなの、上司として無責任だろう。
(例えば、任せた仕事で失敗が起きたとする)
『……はい』
(だったら、まずは自分の説明が悪かったんじゃないか、仕事の任せ方を間違えたんじゃないかって考えるんだよ)
『…………』
(そして、起きた失敗をカバーする。部下を守って、仕事を立て直す。それも上司の役目だろ?)
ナギサは、静かに頷いた。
『……ですが、もし部下が裏切ってしまったら?』
(……その時も、まずは自分が何を見誤ったのか考えるかな)
『……裏切られた側なのに、ですか?』
(ああ)
俺は、頷いた。
(もちろん、裏切った本人の責任がなくなるわけじゃない。でも、そいつを信じて仕事を任せたのは自分だろ?)
……だったら。
(その判断については、俺が責任を持つべきだと思う)
『…………』
(そもそも、部下を御しきれなかったのなら、自分の力が足りなかったってことだ)
『……自分の力が』
(ああ。だったら、次は御しきれるようになるまで、自分を鍛えればいい)
……そう。
裏切られた。
失敗された。
だから、もう誰も信用しない。
……そんなことを繰り返したって、何も解決しないだろう。
(今回は俺の説明が悪かった。次はもっと上手くやってやる、って開き直ればいいんだよ)
『……開き直る、ですか?』
(そうそう)
俺は、心の中で笑った。
(自分の能力に自信がないなら、努力して自信をつければいい。次こそは部下を御しきれるって思えるくらいになればいいんだ)
『…………』
(そっちの方が、疑ってばかりいるより建設的だろ?)
ナギサは、しばらく黙っていた。
……ああ。
きっと、昔の自分のことを考えているんだろうな。
『……私も、そのように考えることができていれば……』
その声は、少しだけ寂しそうだった。
『あそこまで、周囲を疑わずに済んだのでしょうか』
…………。
(……かもしれないな)
俺は、静かに答えた。
あの頃のナギサは、何もかも一人で背負い込んでいた。
膨大な仕事。
ティーパーティーとしての責任。
そして、セイアの事件をきっかけに強まった疑念。
色々なことが重なって、最後には自分自身を追い詰めてしまった。
……だから。
こんな考え方一つで、すべて解決したとは思わない。
……でも。
(……少なくとも、誰かに任せることを、あそこまで怖がらずに済んだかもしれない)
『…………』
(失敗されても、自分が何とかする。そう思えたら、もう少し気楽に仕事を任せられただろうしな)
『……そうですね』
ナギサが、小さく頷いた。
『……ですが、ナギさん』
(……ん?)
『政治に関わる相手については、どうなのでしょうか?』
……ああ。
(……そこは、話が別だな)
『……別、ですか?』
(ああ。政治が絡むなら、部下以外の人間は基本的に警戒するべきだと思ってる)
『……部下以外の、全員ですか?』
(そう。親友でも、家族でもな)
ナギサが、少し驚いたように目を見開いた。
『……それは、随分と厳しい考え方ですね』
(……まあな)
俺は、苦笑した。
(でも、どれだけ仲が良くても、結局は別の人間だろ?)
考え方も違えば、立場も違う。
大切にしているものだって、人それぞれだ。
(それに、部下と違って、相手の判断や行動を自分の責任で管理できる立場にあるとは限らない)
『…………』
(だったら、相手の考えや利害を十分に把握できていないのに、政治的な判断まで信用するのは危険だと思うんだ)
『……では、ミカさんについても、でしょうか?』
(……ああ。政治の話ならな)
俺は、頷いた。
(親友だからって、政治的な考えまで全部同じとは限らないだろ?)
『……それは、そうですが……』
(だから、政治に関しては必要な確認をする。意見が違えば話し合う。それだけだよ)
『…………』
(ただし)
俺は、続けた。
(政治が関係ない時まで、そんなことを気にする必要はないぞ?)
『……え?』
(友達同士なら、普通に仲良くすればいいんだよ)
……そう。
政治的に意見が対立することと、その相手を人間として嫌いになることは別だ。
(ミカと政治のことで意見が合わなかったとしても、一緒にお茶を飲んだり、遊んだりするのは自由だろ?)
『……はい』
(政治では警戒する。でも、友達としては仲良くする。それでいいんじゃないか?)
……そういえば。
(元の世界にも、そんな人たちはいたなぁ)
『……どのような方々ですか?』
(政党が違う政治家同士だよ。ああ、こっちで言うなら、ティーパーティーの派閥みたいなものかな)
『……なるほど』
(テレビの前では激しく言い争ってるのに、政治が関係ないところでは普通に仲が良かったりするんだよ)
『……ふふっ。それは、少し不思議ですね』
(そうか? 俺は、むしろいいことだと思うけどな)
意見が違うからって、相手のすべてを否定する必要なんてない。
政治で対立していても、友達は友達。
……うん。
(そうやって、切り替えられたらいいんじゃないか?)
『…………』
ナギサは、しばらく考え込んでいた。
やがて。
『……なるほど』
静かに頷いた。
『私は、信用するということを、少し難しく考えすぎていたのかもしれません』
(……そうかもな)
『部下を信用するというのは、何があっても失敗しないと信じ込むことではなく……』
ナギサは、少し言葉を探した。
『……失敗した時も含めて、自分が責任を引き受けるということなのですね』
(……ああ。俺はそう思ってる)
『そして、政治の場では、親しい相手でも立場や利害を確認する』
(そうそう)
『ですが、政治から離れれば、普通に友人として接してもよい……』
(……ああ)
俺は、頷いた。
(別に、全部の人間関係を政治で考える必要なんてないんだからさ)
『……ふふっ』
ナギサが、柔らかく微笑んだ。
『そう考えると、少し気が楽になりますね』
(……それなら、よかった)
『……ありがとうございます、ナギさん』
(……どういたしまして)
……まあ。
俺だって、そんなに立派な上司になれる自信はないけどさ。
少なくとも、そうありたいとは思っている。
ふと、隣のナギサを見る。
彼女は、どこか安心したような表情を浮かべていた。
(……少しは、役に立てたかな)
……うん。
そうだったら、嬉しいな。
俺は、残っていた紅茶を飲み干した。
◇
――二十分ほど後。
コンコン。
「……ナギサ、入ってもいいかな?」
先生の声だった。
「ええ。どうぞ」
扉が開く。
先生と、FOX小隊の四人が戻ってきた。
「……ナギサ様」
ユキノが、静かに口を開いた。
「私たち四人で、改めて話し合いました」
「……そうですか」
「そのうえで、今回の任務について、いくつか条件を追加していただきたいと考えています」
「ぜひ、お聞かせください」
ユキノは、用意していたメモを取り出した。
「まず、今回の任務は事前に定めた目的と範囲に限定すること」
「……ええ」
「任務内容に変更が生じた場合には、私たちの同意を改めて得ること」
「もちろんです」
「それから、先ほどご説明いただいた先生の指揮を正式な前提とし、連邦生徒会側の許可内容を明確にすること」
「承知しました」
「……私からも、一つ確認していいですか?」
オトギが、控えめに手を挙げた。
「今回得た情報は、任務が終わった後、誰に報告することになるのでしょう? 共有できる範囲も、事前に決めておきたいです」
……なるほど。
情報が任務と無関係な目的に使われる可能性まで考えたわけか。
「ええ。連邦生徒会側への報告義務を確認したうえで、報告先と情報の取り扱いを明記しましょう」
「……ありがとうございます」
オトギが、頷いた。
「それから」
ユキノは、真っ直ぐに俺を見つめた。
「SRTの存続に関する働きかけと、今回の任務への協力は、別の問題として扱っていただきたい」
…………。
(……なるほど)
俺は、静かに頷いた。
「……ええ。その条件で問題ありません」
ユキノが、少しだけ目を見開いた。
「……よろしいのですか?」
「もちろんです」
俺は、微笑んだ。
「既に提出した再考要請書は、皆さんが協力されなかった場合でも取り下げるつもりはありません」
「……ですが、任務で実績を示す機会は失われるのでしょう?」
「ええ。それは事実です」
俺は、頷いた。
「ですが、SRTの存続を求めることと、皆さんが今回の任務に参加する義務があることは、別です。協力を断られたからといって、そのことを理由に再考要請を取り下げるつもりはありません」
「……そうですか」
ユキノは、静かに頷いた。
「……それと」
今度は、ニコが口を開いた。
「先ほどの契約書にあった、校則の遵守についても修正をお願いできますか?」
「もちろんです」
「契約締結時点で適用される校則を、別紙に明記していただきたいんです」
「……ええ」
「契約期間中に校則が変更された場合、新たな義務については私たちの同意を必要とする形にしていただけると」
……なるほど。
そこまで考えたか。
「分かりました。そのように修正しましょう」
「……それから、もう一点あります」
ユキノが、再びメモに目を落とした。
「作戦の詳細を説明された後でも、参加を辞退したり、条件の再交渉を求めたりできることを明記していただきたい」
「ええ。先ほどお約束したとおりです」
「辞退した場合の情報の取り扱いについても、説明を受ける前に取り決めておきたいと考えています」
「承知しました。秘密保持の範囲も含めて、あらかじめ明記しましょう」
四人は、互いに顔を見合わせた。
……うん。
先ほどとは、明らかに違う。
単に怒りを収めたわけじゃない。
自分たちに不利になる可能性のある条件を、きちんと見直している。
(……よかった)
少なくとも、今回の交渉は無駄じゃなかったな。
「……それでは」
ユキノが、静かに口を開いた。
「その条件であれば、協力に向けた手続きを進めたいと考えています。最終的な参加は、作戦の詳細を聞いたうえで判断させてください」
「……ありがとうございます」
俺は、丁寧に頭を下げた。
……だが。
「ただし、ナギサ様」
ユキノが、続けた。
「誤解のないように申し上げておきます」
その声には、はっきりとした意志が込められていた。
「今回の条件には合意します。しかし、ナギサ様個人を信用したわけではありません」
…………。
「先生の指揮を前提に、任務の必要性と危険性を確認したうえで、最終的に参加するか判断します」
ユキノは、真っ直ぐに俺を見つめていた。
「先ほどのようなことがあれば、今後は遠慮なく異議を申し立てます」
……ああ。
(……それでいい)
俺は、静かに頷いた。
「ええ。承知しました」
「…………」
「むしろ、その姿勢を忘れないでください」
ユキノが、少し目を瞬かせた。
「……ナギサ様?」
「私の言葉であっても、納得できないことには疑問を持っていただきたいんです」
俺は、微笑んだ。
「信頼は、これからの行動で築いていければと思います」
ユキノは、しばらく俺を見つめていた。
そして。
「……分かりました」
小さく頷いた。
……さて。
これなら、正式に進められそうだな。
「それでは、契約内容を修正しましょう」
俺は、新しい書類を取り出した。
……もちろん、予備は用意してある。
最初から、あの契約書に署名させるつもりなんてなかったからな。
ただ、ここまで具体的に条件を提示してくれるとは思っていなかった。
(……嬉しい誤算だな)
俺は、四人の要望を改めて確認し、修正内容を整理した。
それから、契約書を作り直し、全員で内容を読み合わせる。
今度は、誰も急いでいない。
疑問があれば、その場で質問する。
曖昧な表現があれば、明確にする。
そして。
「……問題ありません」
ユキノが、静かに頷いた。
「それでは、署名させていただきます」
「ええ」
今度は、俺も止めない。
さらさらと、署名が行われる。
……よし。
これで、協力に向けた基本条件はまとまった。
あとは参加者全員が揃ってから作戦の詳細を伝え、改めて判断してもらうだけだ。
「……皆さん」
俺は、改めて四人へ向き直った。
「SRTの存続を願う気持ちは、本当です」
「…………」
「今回の任務だけでなく、今後もできる限り協力させていただきたいと思っています」
ユキノは、しばらく黙っていた。
やがて。
「……その言葉が本当かどうかは、今後の行動で判断させていただきます」
「……ええ」
俺は、頷いた。
「それで構いません」
……ああ。
本当に、頼もしいな。
この慎重さを、これからも持ち続けてくれればいいんだけど。
……さて。
これで、アリウス潜入に向けた準備が、また一歩進んだわけだ。
もちろん、まだ問題は山ほどある。
……だが。
(……FOX小隊が協力してくれるなら、心強いな)
何しろ、SRTの精鋭だ。
その実力は、原作でもよく知っている。
……これから、よろしく頼むぞ。
ふと、先生と目が合った。
先生は、小さく頷いてみせる。
……ああ。
これで、ひとまず一安心だな。
◇
――契約に関する確認を終えた後。
「……それにしても」
ニコが、ふと思い出したように口を開いた。
「……何でしょうか?」
「ナギサ様って、本当に変わった方ですね」
…………。
(……ん?)
「……そうでしょうか?」
「ええ」
ニコは、にっこりと微笑んだ。
「まさか、ここまで振り回されるとは思っていませんでした」
…………。
(……あっ)
……まあ。
否定できないな。
「……申し訳ありません」
「……いえいえ」
ニコは、笑った。
「少なくとも、忘れられない一日にはなりましたから」
……うん。
それは、そうだろうな。
「……ただ」
今度は、クルミが口を開いた。
「……はい?」
「私、まだ怒ってますからね!」
…………。
(……ですよねぇ)
「……ええ。承知しています」
俺は、苦笑した。
「今後は少しずつ信頼していただけるよう努力します」
「……ふんっ!」
クルミが、そっぽを向いた。
……ああ。
これは、なかなか手強そうだな。
……と。
「……ところで、ナギサ様」
クルミが、再びこちらへ向き直った。
「……はい?」
「ナギサ様って、頭いいんですよね?」
…………。
(……ん?)
何だ、急に。
「そうですね。少なくとも、勉強は得意な方だと思います」
「……ふーん」
クルミが、少し考え込んだ。
そして。
「……じゃあ」
にっこりと笑った。
「身体を動かすのも、得意なんですか?」
…………。
(……ああ)
……なるほど。
そう来たか。
俺は、クルミの笑顔を見つめた。
……うん。
間違いない。
(……仕返しする気だな?)
さっきの交渉で、あれだけ散々振り回したんだ。
怒っているのは当然だろう。
……まあ。
これから一緒に仕事をする仲なんだし、多少の腹いせくらいは付き合ってやらないとな。
「……クルミ」
ユキノが、少し呆れたように口を開いた。
「……分かってますよ!」
クルミは、勢いよく頷いた。
「だって、今回の任務に参加するなら、ナギサ様を護衛することになるんですよね?」
「……ええ。その予定です」
「だったら、ナギサ様にも最低限の護身術くらい覚えてもらった方がいいと思うんです!」
…………。
(……うん)
言っていることは、間違っていない。
……ただ。
その妙に嬉しそうな笑顔が、すべてを物語っている気がするんだよな。
「……そうですね」
俺は、微笑んだ。
「それでは、ぜひお願いできますか?」
「……えっ?」
クルミが、目を丸くした。
「……いいんですか?」
「ええ」
俺は、頷いた。
「皆さんほどの実力者から教えていただける機会は、そうありませんから」
……それに。
俺自身、身体を鍛える必要性は感じていた。
スミレとの筋力トレーニングは、今も続けている。
おかげで、以前より随分と力がついた。
……だが。
護衛の関係で、自由に屋外を走り回れるわけじゃない。
室内で筋力を鍛えることはできても、長時間動き続ける体力までは、十分に鍛えられていないんだ。
(……アリウスに行くなら、それじゃ困るよな)
俺が疲れて動けなくなれば、その分だけFOX小隊の負担が増える。
最悪の場合、俺を助けるために誰かが危険を冒すことになるかもしれない。
……そんなのは、御免だ。
だからこそ。
(……今のうちに、少しでも鍛えておかないとな)
全員で、生きて帰るために。
俺にできることは、全部やっておきたい。
「……ただし」
ユキノが、静かに口を開いた。
「ナギサ様。現在、お怪我はありませんか?」
…………。
(……あっ)
そうだった。
昨日、ミネに思いっきり殴られたんだった。
……いやぁ。
あれは、本当に痛かったなぁ。
「……実は、昨日少々事故がありまして」
「……事故、ですか?」
「ええ。腹部を強く打ってしまったんです」
俺は、そう説明しながら、お腹へ手を当てた。
……ん?
(……あれ?)
そういえば。
さっきから、痛みを感じていないような……。
俺は、恐る恐るお腹に触れてみた。
…………。
(……痛く、ない?)
……おかしいな。
昨日は、あんなに痛かったのに。
今朝だって、動く時に少し違和感があったはずだ。
それが、今はまったく感じられない。
(……いつの間に治ったんだ?)
……まあ。
キヴォトスの生徒は丈夫だし、回復も早いのかもしれない。
……それにしても、早すぎる気もするけど。
「……ナギサ様?」
「……あっ、はい」
ユキノの声で、我に返った。
「現在は、痛みがあるのでしょうか?」
「……いえ。それが、不思議なことに今はまったく……」
「……そうですか」
ユキノは、少し考え込んだ。
「ですが、痛みがないからといって、完全に治っているとは限りません」
「……ええ」
「本格的な訓練を行うのであれば、事前に医療機関で確認していただきたいと思います」
「承知しました」
……うん。
それなら問題ない。
むしろ、こちらからお願いしたいくらいだ。
「……では、訓練場所についてですが」
ユキノが、続けた。
「警備の都合もありますので、屋内施設が望ましいかと」
「ええ。そうですね」
俺は、頷いた。
「トリニティの屋内訓練施設を手配しましょう。使用許可と警備については、こちらで対応いたします」
「ありがとうございます」
「必要な器具などがあれば、事前にお知らせください」
「……承知しました」
……よし。
これで、準備は整えられそうだな。
……と。
(……あっ、そうだ)
大事なことを忘れていた。
(……なあ、ナギサ)
『……はい?』
(これから訓練を受けるわけだけどさ)
『ええ』
(……多分、多少は痛い思いをすると思うんだ)
『…………』
(だから、その……ナギサはいいか?)
ナギサが、少し目を見開いた。
『……私、ですか?』
(ああ。だって、この身体はナギサのものだろ?)
俺は、心の中で苦笑した。
(俺が勝手に使わせてもらってるんだ。だから、怪我するかもしれないことをするなら、ちゃんと許可を取っておかないとな)
…………。
ナギサは、しばらく俺を見つめていた。
そして。
『……ふふっ』
柔らかく微笑んだ。
『もちろん、構いませんよ』
(……いいのか?)
『ええ。ナギさんが強くなってくださるのは、私にとっても嬉しいことですから』
……ああ。
(……ありがとう、ナギサ)
『ただし』
ナギサが、人差し指を立てた。
『無茶だけは、なさらないでくださいね?』
(……ああ。もちろんだ)
……うん。
無茶をするつもりはない。
ただ、多少きつい訓練になることは覚悟している。
……それに。
(……FOX小隊の皆も、少しくらいは気が済むだろうしな)
『……あら』
ナギサが、少し驚いたように目を瞬かせた。
『お気づきだったのですね』
(……そりゃな)
あれだけ怒らせておいて、気づかないほど鈍感じゃないつもりだ。
(……まあ、いいんだよ)
『……よろしいのですか?』
(ああ。向こうも鬱憤を晴らせるし、俺も鍛えられる。一石二鳥だろ?)
『……ふふっ』
(……何だよ)
『いえ。ナギさんらしい考え方だと思いまして』
……そうかなぁ。
まあ、いいか。
それに、たとえ腹いせが混じっていたとしても、あの子たちはSRTの精鋭だ。
本当に危険なことをするような子たちじゃない。
訓練の内容については、信頼している。
『……ですが、ナギさん』
(……ん?)
『確か、痛いのはとても苦手なのでしたよね?』
…………。
(……あっ)
……そうだった。
昨日なんて、お腹を殴られただけで気絶したんだった。
…………。
いや。
でも。
(……それとこれとは別だろ)
痛いものは痛い。
怖いものは怖い。
……だけど。
怖いからといって、何もしなければ。
いざという時に、もっと大切なものを失うかもしれない。
(……それだけは、嫌だからな)
俺は、静かに覚悟を決めた。
……よし。
やってやろうじゃないか。
「……それじゃあ、先生」
「うん?」
「私はこの後、救護騎士団で確認を受けてから、FOX小隊の皆さんと訓練を行おうと思います」
「……そうなんだね」
先生は、少し考え込んだ。
「無理はしないようにね、ナギサ」
「……ええ。ありがとうございます」
「それじゃあ、先生は補習授業部の様子を見に行ってくるよ」
「はい。よろしくお願いいたします」
……うん。
あの子たちのことも、気になるしな。
先生が見てくれるなら、安心だ。
「……では、ナギサ様」
ユキノが、静かに口を開いた。
「訓練の準備を進めさせていただきます」
「ええ。よろしくお願いいたします」
「……ふふっ」
クルミが、隣で楽しそうに笑っていた。
…………。
(……うん)
やっぱり、仕返しする気満々だな。
……まあ。
覚悟は決めた。
FOX小隊から直接、技術を学べる貴重な機会だ。
多少の腹いせくらい、甘んじて受けようじゃないか。
……ただ。
俺は、もう一度クルミの笑顔を見つめた。
…………。
(……多少、だよな?)
……うん。
きっと大丈夫だ。
……多分。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
ようやくFOX小隊との交渉が終わりました!
そして次回は、FOX小隊との護身術の訓練です!
果たして、ナギは無事に終えられるのでしょうか……?
引き続きよろしくお願いします!