お労しいナギサ様へ   作:ムテケル

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第40話です!

前回、FOX小隊から護身術を教わることになったナギ。

これまでFOX小隊を散々振り回してきましたが、今度は教わる側です。

果たして、無事に訓練を終えられるのでしょうか……。

それでは、お楽しみください!


狐たちの反撃

 ――それから、しばらくして。

 

「…………」

 

 俺は、目の前の光景を見つめていた。

 

 広々とした屋内ジム。

 

 床には厚いマットが敷かれ、その上には様々な訓練器具が並べられている。

 

 タイヤ。

 

 ロープ。

 

 低い柵。

 

 そして、奥にはネットを低く張った障害物まで用意されていた。

 

 …………。

 

(……本格的だなぁ)

 

 ここは、トリニティの屋内訓練施設だ。

 

 今回の訓練に備え、使用許可を取り、警備体制も整えてある。

 

 出入口には護衛の生徒が配置され、施設の周囲も確認済みだ。

 

 ちなみに、先生は補習授業部の様子を見に行っている。

 

 ……うん。

 

 あの子たちのことも気になるし、先生が見てくれるなら安心だ。

 

 俺の方は、FOX小隊との訓練。

 

 ……ただ。

 

「……ふふっ」

 

 クルミが、こちらを見て笑っていた。

 

 …………。

 

(……うん)

 

 分かってるよ。

 

 絶対、仕返しする気だろ。

 

 さっきの交渉で、あれだけ散々振り回したんだ。

 

 怒っていない方がおかしい。

 

 ……まあ。

 

(……多少の腹いせくらい、付き合ってやらないとな)

 

 これから一緒に仕事をする仲なんだ。

 

 いつまでも鬱憤を溜め込まれていても困るし、少しくらい発散してもらった方がいいだろう。

 

 それに。

 

(……俺自身、鍛えておかなきゃいけないしな)

 

 ミレニアムを訪れた時、スミレに筋力トレーニングを教えてもらった。

 

 ……あれは、本当にきつかった。

 

 でも、教わった方法が意外と面白くてな。

 

 それ以来、空いた時間を見つけては、自分でトレーニングを続けている。

 

 おかげで、以前よりずっと筋力がついた。

 

 階段を上っても息が切れにくくなったし、多少長く走れるようにもなった。

 

 ……ただ。

 

 護衛の関係で、自由に屋外を走り回れるわけじゃない。

 

 どうしても、室内でできる運動が中心になってしまうんだ。

 

(……持久力は、まだまだなんだよな)

 

 それに、戦闘訓練なんて受けたこともない。

 

 身体の動かし方も、実戦での判断も。

 

 俺は、ほとんど素人だ。

 

 ……だからこそ。

 

(……しっかり鍛えてもらわないとな)

 

 アリウス自治区では、何が起きるか分からない。

 

 俺が足を引っ張ったせいで、FOX小隊の誰かが危険な目に遭う。

 

 ……そんなのは、御免だ。

 

 少なくとも、逃げろと言われた時には、自分の足で逃げられるようになりたい。

 

(……全員で、生きて帰るためにもな)

 

 多少の仕返しなんて、安いものだろう。

 

『……ナギさん』

 

(……ん?)

 

『皆さん、随分と楽しそうですね』

 

(……ああ。そっちも分かってる)

 

『……ふふっ。そうでしたね』

 

 ナギサが、楽しそうに笑った。

 

『ですが、本当に大丈夫でしょうか?』

 

(……まあ、何とかなるだろ)

 

 だって、FOX小隊だぞ?

 

 精鋭なんだから、訓練の加減くらい分かっているはずだ。

 

 ……うん。

 

 きっと大丈夫。

 

 …………。

 

(……多分)

 

 

     ◇

 

 

「……それでは、始める前に確認します」

 

 ユキノが、俺の前に立った。

 

「救護騎士団での診察は、問題なかったとのことですね」

 

「ええ。訓練を行っても問題ないそうです」

 

 ……そう。

 

 先ほど、念のためセリナに診てもらったんだ。

 

 ところが。

 

 昨日まであれほど痛かったお腹には、怪我の痕跡すら残っていなかった。

 

 セリナも不思議そうにしていたな。

 

(……本当に、どうなってるんだろうな?)

 

 まあ、今考えても分からないか。

 

「では、訓練を開始します」

 

「……はい。よろしくお願いいたします」

 

「本日の目的は、ナギサ様の基礎体力と実戦に必要な動作を確認し、改善することです」

 

 ユキノは、淡々と説明した。

 

「厳しい内容になりますが、よろしいでしょうか?」

 

「……ええ」

 

 俺は、頷いた。

 

「私自身、現在の実力で十分だとは思っていません」

 

 ユキノの目を見て、続ける。

 

「今回の任務では、皆さんに護衛していただくことになります。ですが、だからといって、何もかも頼りきりにはなりたくないんです」

 

「…………」

 

「少しでも皆さんの負担を減らせるよう、必要なことは身につけたいと思っています」

 

 ……ああ。

 

 厳しいのは、最初から承知の上だ。

 

 多少痛い思いをすることになっても、構わない。

 

 ……いや。

 

 痛いのは嫌だけどさ。

 

 それでも、何もしないよりはずっといい。

 

「ですから、遠慮なくご指導ください」

 

 …………。

 

 その瞬間。

 

「……ふふっ」

 

 ニコが、楽しそうに笑った。

 

「よかったね、クルミちゃん」

 

「はいっ!」

 

 クルミが、満面の笑みを浮かべる。

 

「遠慮しなくていいそうですよ!」

 

 …………。

 

(……うん)

 

 分かってた。

 

 分かってたけど。

 

 ……ちょっと怖いな。

 

「……ただし、クルミ」

 

 ユキノが、静かに口を開いた。

 

「訓練の目的を忘れないように」

 

「分かってますってば!」

 

 クルミが、少し頬を膨らませた。

 

「ちゃんと鍛えてあげますよ!」

 

 …………。

 

(……鍛えてあげる、か)

 

 ……うん。

 

 ものすごく気合いが入っているな。

 

「では、まず筋力を確認します」

 

「……はい!」

 

 ユキノが、マットを指し示した。

 

「腕立て伏せ、二十回。正しい姿勢で行ってください」

 

 ……おお。

 

 腕立て伏せか。

 

 それなら、普段からやっている。

 

 俺は、マットに両手をついた。

 

「……始め!」

 

「はいっ!」

 

 一回。

 

 二回。

 

 三回。

 

 ……うん。

 

 問題ないな。

 

 そのまま、十回。

 

 十五回。

 

 そして。

 

「……二十!」

 

 俺は、身体を起こした。

 

「終わりました」

 

「…………」

 

 ユキノが、少し目を細めた。

 

「……なるほど」

 

 ……ん?

 

「フォームも悪くありませんね」

 

「ありがとうございます」

 

「思っていたより、筋力があるようです」

 

 ……おお!

 

 やった!

 

 努力の成果が出たぞ!

 

「……ナギサ様」

 

 ニコが、興味深そうに口を開いた。

 

「普段から鍛えていらっしゃるんですか?」

 

「ええ。以前、ミレニアムのスミレさんにトレーニングを教えていただきまして」

 

「……スミレさん、ですか?」

 

「はい。直接教わったのは一度だけですが、それ以来、自分でも続けているんです」

 

「……なるほど」

 

 ニコが、納得したように頷いた。

 

「それなら、納得ですね」

 

 ……うん。

 

 あの時は、まさかここまで筋トレにハマるとは思わなかったけどな。

 

「……では、次はスクワット三十回です」

 

「はい!」

 

 俺は、言われたとおりに腰を落とした。

 

 一回。

 

 二回。

 

 三回。

 

 ……うん。

 

 こちらも問題ない。

 

 三十回を終える頃には多少息が上がっていたが、まだ余裕があった。

 

「……終了です」

 

「はい!」

 

「……ふむ」

 

 ユキノは、俺の動きを確認していた。

 

「筋力については、ある程度鍛えられているようですね」

 

「……ありがとうございます」

 

 ……よし。

 

 これは、なかなかいい感じじゃないか?

 

「ですが」

 

 …………。

 

(……ん?)

 

「筋力があることと、実戦で動けることは別です」

 

 ……あっ。

 

「次は持久力を確認します」

 

 ユキノが、ジムの外周を指し示した。

 

「まずは十周。前半は一定の速度を維持し、後半から徐々に速度を上げていただきます」

 

 …………。

 

(……十周?)

 

「歩かずに、最後まで走ってください」

 

 …………。

 

 ……なるほど。

 

 十周、か。

 

 まあ。

 

 前よりは長く走れるようになったし。

 

 ……何とかなるだろ。

 

「……では、開始!」

 

「はいっ!」

 

 俺は、走り出した。

 

 …………。

 

 ……この時の俺は。

 

 まだ、分かっていなかった。

 

 FOX小隊の言う『持久力』が。

 

 俺の想像しているものと、どれほど違うのかを。

 

 

     ◇

 

 

「……はぁっ……はぁっ……!」

 

 ……きつい。

 

 ものすごく、きつい。

 

(……まだ六周目なんだけど!?)

 

 最初の数周は、問題なかった。

 

 むしろ、以前の俺ならもっと早く息が上がっていただろう。

 

 ……うん。

 

 筋トレの成果は、ちゃんと出ている。

 

 ……出ているんだけどさぁ!

 

「ナギサ様!」

 

「は、はいっ!?」

 

 クルミの声が響く。

 

「速度が落ちています!」

 

「す、すみま……はぁっ……!」

 

「謝る暇があったら、呼吸を整えてください!」

 

「は、はいっ!」

 

 ……いや。

 

 言ってることは正しいんだよ。

 

 正しいんだけど。

 

(……言い方ぁ!!)

 

 しかも。

 

「……ナギサ様」

 

 隣を走っていたニコが、微笑んだ。

 

「腕の振り方は悪くありませんね」

 

「……あ、ありがとうございます……!」

 

「でも、足が止まりかけていますよ」

 

 …………。

 

「もう少しだけ、頑張りましょうか」

 

 ……ああ。

 

 優しい声だ。

 

 優しい声なのに。

 

(……内容が全然優しくない!!)

 

「ねえ、ナギサ様」

 

 今度は、オトギが声をかけてきた。

 

「……は、はい……?」

 

「前より長く走れるようになったんですよね?」

 

「……え、ええ……!」

 

「じゃあ、今日は新記録を目指せるね」

 

 …………。

 

(……何、その前向きな解釈!?)

 

 ……いや。

 

 間違ってはいないんだけどさ。

 

「……あと三周です」

 

 ユキノが、淡々と告げた。

 

 …………。

 

(……三周)

 

 ……まだ、三周。

 

 ……だが。

 

 ここで止まるわけにはいかない。

 

 俺が、FOX小隊に訓練をお願いしたんだからな。

 

(……やってやるよ!)

 

 俺は、残っている力を振り絞った。

 

 ……そして。

 

「……はぁっ……はぁっ……!」

 

 ようやく、十周。

 

 終了。

 

 …………。

 

「……お、終わりました……!」

 

 俺は、思わず膝に手をついた。

 

 ……ああ。

 

 しんどい。

 

 ものすごく、しんどい。

 

「……ナギサ様」

 

「……は、はい……?」

 

 ユキノが、俺の前に立った。

 

「よく走りきりました」

 

 ……おお。

 

 褒められた。

 

「ですが、最後は明らかに速度が落ちていましたね」

 

 …………。

 

 ですよねぇ。

 

「現在の持久力は、一般的な運動を行う分には以前より改善されているのでしょう。しかし、長時間の任務行動には不足しています」

 

「……はい」

 

「今後は、そちらも重点的に鍛える必要があります」

 

 ……ああ。

 

 それは、間違いないな。

 

 筋力はある。

 

 以前より長く走れるようにもなった。

 

 だが。

 

(……これじゃ、実戦では足りない)

 

 アリウス自治区では、いつ撤退が必要になるか分からない。

 

 疲れたから休ませてくれ、なんて言っていられないだろう。

 

「……分かりました」

 

 俺は、姿勢を正した。

 

「引き続き、よろしくお願いします」

 

「……承知しました」

 

 ユキノが、頷く。

 

「では、少し休憩を取った後、疲労した状態での基本動作を確認します」

 

 …………。

 

(……え?)

 

 ……疲労した状態で?

 

 …………。

 

 いや。

 

 今、まさに疲労してるんだけど!?

 

「クルミ」

 

「はいっ!」

 

「準備を」

 

「了解です!」

 

 …………。

 

 クルミが、ものすごく楽しそうにマットを指し示した。

 

「さあ、ナギサ様! こっちです!」

 

 …………。

 

(……ああ)

 

 ……やっぱり。

 

 これ、仕返しも兼ねてるよな。

 

 …………。

 

 まあ。

 

 分かってて受け入れたんだ。

 

 ……やるしかない。

 

 

     ◇

 

 

「いちっ!」

 

「……い、いちっ……!」

 

「にっ!」

 

「……にぃっ……!」

 

「さんっ!」

 

「……さ、さんっ……!」

 

 ……腕が重い。

 

 いや。

 

 腕立て伏せ自体は、できるんだ。

 

 さっきの二十回だって、問題なかった。

 

 ……でも。

 

(……走った後だと、全然違う!!)

 

「ナギサ様!」

 

「は、はいっ!?」

 

「腰が落ちています!」

 

「……す、すみません!」

 

「姿勢を直してください!」

 

「……はいっ!」

 

 俺は、震える腕で身体を支え直した。

 

 ……ぐっ。

 

 きつい。

 

「……今のは、数に入りませんね」

 

 クルミが、にっこりと微笑んだ。

 

 …………。

 

(……え?)

 

「姿勢が崩れていましたから。もう一回です!」

 

 …………。

 

 ……おい。

 

 待ってくれ。

 

(……厳しすぎない!?)

 

 ……いや。

 

 これが正しい訓練なんだろうけどさ。

 

 ……それにしても。

 

「……クルミちゃん」

 

 ニコが、横から口を開いた。

 

「はい?」

 

「ちょっと楽しみすぎじゃない?」

 

「そ、そんなことありません!」

 

 クルミが、慌てて首を振った。

 

「ちゃんと指導してるだけです!」

 

「……ふふっ。そういうことにしておこうか」

 

 …………。

 

(……やっぱり、分かってるんじゃないか)

 

 ……まあ。

 

 仕方ない。

 

 ここは、甘んじて受け入れよう。

 

 ……その後も。

 

 スクワット。

 

 短距離の往復走。

 

 そして、再び腕立て伏せ。

 

 …………。

 

(……何で走るのと筋トレを交互にやるんだよぉ!?)

 

「……ナギサ様」

 

 ユキノが、静かに口を開いた。

 

「今、何が最もつらいですか?」

 

「……こ、呼吸です……!」

 

「では、呼吸を意識してください。力任せに動いても、長続きしません」

 

「……はいっ!」

 

 ……なるほど。

 

 確かに、スミレから教わった筋トレでは、もっと落ち着いて動いていた。

 

 だが、疲れてくると、どうしても呼吸が乱れる。

 

(……そうか)

 

 力があるだけじゃ駄目なんだ。

 

 その力を、長時間使えるようにしないと。

 

 ……うん。

 

 勉強になるな。

 

 ……ものすごくきついけど。

 

 

     ◇

 

 

 ――短い休憩の後。

 

「……では、次は障害物訓練です」

 

 ユキノが、コースを指し示した。

 

「低い柵を越え、並べられたタイヤを一つずつまたいで進みます。その後、ロープを登り、最後にネットの下を匍匐前進で移動していただきます」

 

「……承知しました」

 

 ……よし。

 

 ここは、さっきまでとは少し違うな。

 

 身体を動かす技術が重要になりそうだ。

 

「……では、開始!」

 

「はいっ!」

 

 俺は、走り出した。

 

 まずは低い柵。

 

 ……よし。

 

 問題ない。

 

 次はタイヤ。

 

 …………。

 

 あっ。

 

(……足が上がらない!?)

 

 疲労のせいで、思ったより足が重い。

 

 ……まずい。

 

 このままじゃ……!

 

「……わっ!?」

 

 がくっ。

 

 つま先が引っかかった。

 

 どさっ!

 

「……いったぁ……!」

 

 …………。

 

 転んだ。

 

 ……ああ。

 

 恥ずかしい。

 

「ナギサ様!」

 

「は、はいっ!?」

 

「転倒したら、まず周囲を確認してください!」

 

「……は、はいっ!」

 

「実戦なら、倒れたところを狙われますよ!」

 

 ……ああ。

 

 確かに。

 

 転んだことに驚いて、動きを止めてしまった。

 

(……こういうところも、直さないとな)

 

 俺は、立ち上がった。

 

 ……さて。

 

 次はロープだ。

 

 …………。

 

(……よし)

 

 ここは、筋トレの成果を見せる時だな。

 

 俺は、ロープを握った。

 

 腕の力で身体を持ち上げる。

 

「……ぐっ!」

 

 ……おお。

 

 上がった!

 

 疲れてはいるが、まだ腕の力は残っている。

 

 そのまま、もう少し。

 

「……よしっ!」

 

 ……いけるぞ!

 

「……へえ」

 

 オトギが、少し意外そうな声を上げた。

 

「結構登れるんだね」

 

「……は、はいっ!」

 

「でも、腕だけじゃすぐ疲れちゃうよ。足も使ってみて」

 

 ……あっ。

 

 なるほど。

 

 俺は、言われたとおりに足を使ってみた。

 

 ……おお!

 

 さらに登りやすくなった!

 

(……すごいな!)

 

 やっぱり、専門家は違う。

 

 力を効率的に使う方法を知っているんだ。

 

 ……そして。

 

「……できました!」

 

 俺は、無事に目標の高さまで到達した。

 

 ……やった!

 

「……なるほど」

 

 ユキノが、俺を見上げていた。

 

「上半身の筋力は、確かに鍛えられていますね」

 

「……ありがとうございます!」

 

「ですが、最初から足を使っていれば、もっと少ない力で登れたはずです」

 

 ……あっ。

 

 確かに。

 

「力があることと、その力を効率的に使えることは別です」

 

「……なるほど」

 

 ……うん。

 

 勉強になるなぁ。

 

「……では、次です」

 

 …………。

 

(……もう少し喜ばせてくれてもいいんじゃないかな!?)

 

 

     ◇

 

 

「…………」

 

 俺は、目の前のネットを見つめていた。

 

 低い。

 

 ものすごく低い。

 

 床には厚いマットが敷かれ、その上にネットが張られている。

 

 ……うん。

 

 これ。

 

(……完全に這って進むやつだよな)

 

「……ナギサ様」

 

 ユキノが、静かに口を開いた。

 

「ここからは、姿勢を低くしたまま前進していただきます」

 

「……はい」

 

「ネットに接触しないよう、身体を大きく持ち上げずに移動してください」

 

「……承知しました」

 

 ……よし。

 

 やってやろうじゃないか。

 

 俺は、マットに伏せた。

 

「……開始!」

 

「はいっ!」

 

 ずりっ。

 

 ずりっ。

 

 腕と足を使って、前へ進む。

 

 ……うん。

 

 思ったより……。

 

「ナギサ様! 頭が高いです!」

 

「は、はいっ!?」

 

「もっと低く!」

 

「……はいっ!」

 

 俺は、慌てて身体を下げた。

 

 ……よし。

 

 これなら……。

 

 ばさっ。

 

「……ん?」

 

 何かが、ネットに引っかかった。

 

 …………。

 

(……あっ)

 

 羽だ。

 

 腰のあたりから伸びている、ナギサの羽。

 

 それが、思いっきりネットに当たっていた。

 

(……そうだったぁ!!)

 

 この身体、羽があるんだった!

 

「ナギサ様!」

 

「は、はいっ!?」

 

 クルミが、こちらを指差した。

 

「羽が邪魔になっています! ちゃんと折りたたんでください!」

 

「……は、羽を、ですか!?」

 

「そうです!」

 

 …………。

 

(……えっ?)

 

 いや。

 

 ちょっと待ってくれ。

 

 羽を折りたたむ?

 

 ……どうやって?

 

「……あの、クルミさん」

 

「何ですか!?」

 

「……羽というのは、どうやって折りたためばよいのでしょうか?」

 

「…………」

 

 クルミが、きょとんとした。

 

「……え?」

 

 …………。

 

 あっ。

 

 何だろう。

 

 すごく変なことを聞いてしまった気がする。

 

「……ナギサ様」

 

 ユキノが、静かに口を開いた。

 

「羽を意識して動かすことは、あまり得意ではないのですか?」

 

「……ええ。普段は、あまり意識していませんので……」

 

 ……うん。

 

 そもそも、前世の俺に羽なんてなかったんだぞ?

 

 今まで、わざわざ動かそうと思ったこともなかった。

 

『……ナギさん』

 

(……ん?)

 

『羽を、身体に沿わせるように意識してみてください』

 

(……身体に沿わせる?)

 

『ええ。少しずつで構いませんから』

 

 ……なるほど。

 

 俺は、腰のあたりに意識を向けた。

 

 普段は、そこに羽があることすら忘れてしまうことがある。

 

 ……いや。

 

 自分の身体の一部なんだから、忘れるなよって話なんだけどさ。

 

(……こう、か?)

 

 ぴくっ。

 

 …………。

 

 おお。

 

 動いた!

 

 ……いや。

 

 少しだけだけど。

 

「……あっ!」

 

 クルミが、声を上げた。

 

「そうです! そのまま、もっと小さくしてください!」

 

「……は、はいっ!」

 

 俺は、さらに意識を集中させた。

 

 ……ぐっ。

 

 すると、羽がゆっくりと身体へ寄っていく。

 

 ……おお!

 

(……できるじゃないか!)

 

 ……ただ。

 

 慣れない動かし方だからか、妙に疲れるな。

 

 腕も足も疲れているのに、今度は羽まで。

 

 ……何だ、この訓練。

 

「……なるほど」

 

 ユキノが、俺の様子を確認していた。

 

「羽を折りたたむ動作にも、訓練が必要そうですね」

 

「……そうですね」

 

「狭い場所を移動する際、羽が障害物に接触すれば、動きが制限される可能性があります」

 

 ……ああ。

 

 確かに。

 

 アリウス自治区の内部には、狭い通路もあるかもしれない。

 

 その時、羽が引っかかって動けなくなったら……。

 

(……まずいな)

 

 かなり、まずいぞ。

 

「……では、ナギサ様」

 

 ユキノが、静かに告げた。

 

「今後は、羽を折りたたんだ状態を維持する訓練も取り入れましょう」

 

「……承知しました」

 

 ……うん。

 

 必要なことだ。

 

 これも、しっかり覚えておかないとな。

 

「……それでは!」

 

 クルミが、にっこりと微笑んだ。

 

「羽をたたんだまま、匍匐前進を続けてください!」

 

「……はいっ!」

 

 俺は、再び前進を始めた。

 

 ずりっ。

 

 ずりっ。

 

 ……うん。

 

 さっきより、動きやすい。

 

 ……ただ。

 

 少し進んだところで。

 

 ばさっ。

 

「……あっ」

 

 羽が、開いた。

 

 …………。

 

(……集中が切れたぁ!!)

 

「ナギサ様! 羽が開いてます!」

 

「は、はいっ!」

 

「折りたたんでください!」

 

「……はいっ!」

 

 ……ああ。

 

 腕と足を動かすだけでも大変なのに!

 

(……羽まで意識しなきゃいけないのかよぉ!!)

 

「……ナギサ様」

 

 横からニコの声が聞こえた。

 

「はいっ……!」

 

「羽だけに集中しすぎていますよ。腕と足の動きも忘れないでくださいね」

 

 …………。

 

(……無茶言うなぁ!!)

 

 いや。

 

 言っていることは正しい。

 

 ……正しいんだけどさ。

 

「……ナギサ様」

 

 ユキノが、静かに口を開いた。

 

「一度、動きを止めてください」

 

「……は、はい……」

 

「まず、羽をたたんだ状態を維持することだけに集中してみましょう」

 

 ……なるほど。

 

 俺は、動きを止め、羽を身体へ寄せた。

 

「……そのままです」

 

「……はい」

 

「では、ゆっくり前進してください」

 

 ずりっ。

 

 ずりっ。

 

 ……おお。

 

 今度は、何とか維持できている。

 

「……そうです。その感覚を覚えてください」

 

「……はいっ!」

 

 ……うん。

 

 少しずつだけど、できるようになってきたぞ。

 

 …………。

 

 ……ただ。

 

「……それでは、次は少し速度を上げましょう」

 

 …………。

 

(……え?)

 

 ……もう?

 

「……ナギサ様」

 

 ユキノが、俺を見つめた。

 

「続けられますか?」

 

 …………。

 

 俺は、少しだけ息を整えた。

 

 正直、きつい。

 

 腕も足も、かなり疲れている。

 

 ……でも。

 

(……まだ、動ける)

 

 だったら。

 

「……はい。お願いします」

 

 ユキノが、小さく頷いた。

 

「……分かりました」

 

 ……よし。

 

 もう一回だ。

 

 …………。

 

 ……まあ。

 

 結局、途中で羽が開いて、ネットに引っかかったんだけどさ。

 

(……羽をたたむだけで、こんなに大変だとは思わなかったなぁ)

 

 ……ああ。

 

 まだまだ、覚えることが山ほどあるらしい。

 

 

     ◇

 

 

 ――さらに、しばらくして。

 

「……はぁっ……はぁっ……!」

 

 ……もう。

 

 身体が重い。

 

 腕も。

 

 足も。

 

 肩も。

 

 全部、疲れた。

 

 ……おまけに。

 

(……羽まで疲れた気がする)

 

 ……いや。

 

 本当に疲れるものなのか?

 

 よく分からないけど。

 

 少なくとも、今まで意識したことのない場所を、ずっと動かしていたんだ。

 

 何だか、妙な感覚がする。

 

「……ナギサ様」

 

 ユキノが、俺の前に立った。

 

「……は、はい……!」

 

「少し休憩を取った後、近接戦闘の基礎訓練を行います」

 

 …………。

 

(……え?)

 

 近接戦闘?

 

 つまり。

 

(……組み手!?)

 

 …………。

 

 ……おい。

 

 待て。

 

 今の俺に!?

 

「……だ、大丈夫でしょうか……?」

 

「体調を確認したうえで行います。危険な技は使用しませんし、マットも用意しています」

 

 ……ああ。

 

 よかった。

 

 さすがに、そこは……。

 

「ただし、内容そのものを簡単にするつもりはありません」

 

 …………。

 

 ……ですよねぇ。

 

「相手は、こちらの都合に合わせてくれませんから」

 

「……承知しました」

 

 俺は、頷いた。

 

 ……うん。

 

 そのとおりだ。

 

 むしろ、これくらい厳しく教えてもらわないと困る。

 

 ……それに。

 

(……少し、悔しいしな)

 

 筋力は、確かについている。

 

 でも、肝心の身体の動かし方を知らない。

 

 だったら。

 

 覚えればいい。

 

 できるようになるまで、練習すればいいんだ。

 

『……ナギさん』

 

(……ん?)

 

『……随分とお疲れのようですが』

 

(……ああ。めちゃくちゃ疲れた)

 

『それでも、まだ続けるのですか?』

 

(……もちろん)

 

 俺は、心の中で頷いた。

 

(……ここで終わったら、もったいないだろ)

 

『……ふふっ』

 

(……何だよ)

 

『いえ。ナギさんは、本当に負けず嫌いなのですね』

 

 …………。

 

 ……そうかなぁ。

 

 ……まあ。

 

 否定はしないけどさ。

 

 

     ◇

 

 

「……では、まず基本動作を確認します」

 

 ユキノが、説明を始めた。

 

「今回は、相手に腕を取られた場合の対応です」

 

「……はい」

 

「重要なのは、力任せに振りほどこうとしないこと。相手の動きと重心を見て、適切な方向に身体を動かしてください」

 

 ……なるほど。

 

 俺は、真剣に説明を聞いた。

 

 腕の位置。

 

 足の運び方。

 

 重心の移動。

 

 ……うん。

 

 理屈は分かった。

 

「では、クルミ」

 

「はいっ!」

 

 …………。

 

(……あっ)

 

 ……来た。

 

 ついに。

 

 クルミの出番だ。

 

「ナギサ様!」

 

「……はい?」

 

 クルミが、満面の笑みを浮かべた。

 

「よろしくお願いします!」

 

「……ええ。こちらこそ」

 

 …………。

 

 ああ。

 

 どうしよう。

 

 この子、ものすごく楽しそうなんだけど。

 

「……それでは、始めます!」

 

「はいっ!」

 

 俺は、構えた。

 

 …………。

 

 そして。

 

「……えっ?」

 

 すっ。

 

 クルミが、俺の腕を取った。

 

 ……と思った時には。

 

 ぐるんっ!

 

「……わぁぁっ!?」

 

 どさっ!

 

 …………。

 

 天井。

 

 天井が見える。

 

 …………。

 

(……え?)

 

 ……何が起きた?

 

「……ナギサ様」

 

 クルミが、俺を見下ろしていた。

 

「今の動き、分かりましたか?」

 

 …………。

 

「……い、いえ……」

 

「でしょうね!」

 

 クルミが、にっこりと笑った。

 

「もう一回です!」

 

 …………。

 

(……速い!!)

 

 いや。

 

 動きもそうだけど。

 

 切り替えが、ものすごく速い!

 

「……ナギサ様!」

 

「……は、はいっ!」

 

「さっき、私たちに何て言いました!?」

 

「……え?」

 

「自分で考えて判断しろって、言いましたよね!?」

 

 …………。

 

(……あっ)

 

 ……言ったな。

 

 うん。

 

 確かに言った。

 

「だったら、ちゃんと考えてください!」

 

「……はいっ!」

 

「相手の動きを見て、自分で判断するんです!」

 

「……承知しました!」

 

 ……くそっ。

 

 完全に、さっきの仕返しじゃないか。

 

 ……まあ。

 

 間違ったことは言ってないんだけどさ。

 

「……では、もう一度!」

 

「……はい!」

 

 俺は、クルミの動きを観察した。

 

 腕の位置。

 

 足の向き。

 

 重心。

 

 ……よし。

 

 次の動きは……。

 

 すっ。

 

「……あっ!?」

 

 ぐるんっ!

 

 どさっ!

 

 …………。

 

(……また!?)

 

「ナギサ様!」

 

「……は、はいっ!」

 

「考えすぎです!」

 

「……えぇっ!?」

 

「相手は、考え終わるまで待ってくれません!」

 

 …………。

 

 ……いや。

 

 さっきは考えろって言ったじゃないか!

 

「……ナギサ様」

 

 ユキノが、静かに口を開いた。

 

「クルミの言うことも、間違いではありません」

 

「……は、はい……」

 

「状況を判断することは重要です。しかし、実戦では考える時間が十分にあるとは限りません」

 

 ……なるほど。

 

「だからこそ、基本動作を繰り返し、身体に覚えさせる必要があります」

 

 ……ああ。

 

 そういうことか。

 

 ……確かに。

 

 頭で分かっているだけじゃ、意味がない。

 

 実際に身体が動かなければ、何もできないんだから。

 

「……分かりました」

 

 俺は、頷いた。

 

「では、もう一度お願いします」

 

 ……今度こそ。

 

 少しは、まともに動いてみせよう。

 

「……はいっ!」

 

 クルミが、構えた。

 

 ……よし。

 

 相手の重心を見て……。

 

 すっ。

 

 クルミの腕が伸びてくる。

 

 ……今だ!

 

 俺は、先ほど教わった動きを試した。

 

 腕を引き、身体の向きを変える。

 

 ……そして。

 

「……っ!?」

 

 クルミの身体が、わずかに揺れた。

 

 …………。

 

(……おっ?)

 

 いけた!?

 

「……えっ!?」

 

 クルミが、目を丸くした。

 

 ……よし!

 

 力の入れ方が、少し分かってきたぞ!

 

「……なるほど」

 

 ユキノが、静かに呟いた。

 

「筋力は、確かにありますね」

 

 ……おお!

 

 これは、もしかして……!

 

 …………。

 

 そう思った瞬間。

 

「……甘いですっ!」

 

 クルミが、素早く足を動かした。

 

 ……えっ?

 

 ぐらっ。

 

 俺の重心が、大きく崩れる。

 

「……わぁっ!?」

 

 どさっ!

 

 …………。

 

 ……また。

 

 天井が見える。

 

(……ああ)

 

 ……そうか。

 

 そういうことか。

 

 …………。

 

(……力じゃ、勝てないんだな)

 

 ……いや。

 

 力だけじゃ、だ。

 

「……ナギサ様」

 

 クルミが、少し驚いたようにこちらを見つめていた。

 

「……はい?」

 

「……思ったより、力がありますね」

 

 …………。

 

 ……おっ?

 

「……ありがとうございます」

 

「でも!」

 

 クルミが、すぐに続けた。

 

「力があっても、動きを読まれたら意味ないですから!」

 

「……ええ。勉強になりました」

 

「…………」

 

 クルミが、少しだけ口を尖らせた。

 

 ……あれ?

 

 何だろう。

 

 素直にお礼を言ったんだけど。

 

「……クルミ」

 

 ユキノが、静かに口を開いた。

 

「今の動きは、ナギサ様にとって良い経験になったはずです」

 

「……分かってます」

 

「それに、最初より反応が良くなっています」

 

 …………。

 

(……え?)

 

 俺は、思わずユキノを見た。

 

「……本当ですか?」

 

「ええ」

 

 ユキノが、頷く。

 

「少なくとも、今の動きでは、相手に対して適切な方向へ力を使えていました」

 

 ……おお。

 

 これは、嬉しいな。

 

「ただし、動作が単純すぎました。次は、相手の反撃も想定してください」

 

「……承知しました!」

 

 ……よし。

 

 次こそは。

 

 …………。

 

「……それじゃあ、続けますよ!」

 

 クルミが、再び構えた。

 

 ……ああ。

 

 何だか、さっきより気合いが入ってないか?

 

「……始めます!」

 

「はいっ!」

 

 …………。

 

 そして。

 

 どさっ!

 

「……いったぁぁ……!」

 

 …………。

 

 ……うん。

 

 やっぱり、駄目だった。

 

 まだまだ、先は長そうだな。

 

 

     ◇

 

 

 ――しばらくして。

 

「……はぁっ……はぁっ……!」

 

 俺は、マットの上に座り込んでいた。

 

 ……疲れた。

 

 本当に、疲れた。

 

 ……でも。

 

(……少しは、できるようになったかな)

 

 最初は、何をされたのかさえ分からなかった。

 

 だが、何度も教わっているうちに、相手の動きが少しずつ見えるようになってきた。

 

 ……まあ。

 

 だからといって、クルミに勝てるようになったわけじゃないけどさ。

 

「……ナギサ様」

 

 ユキノが、俺の前に立った。

 

「……はい?」

 

「本日の訓練は、ここまでとします」

 

 …………。

 

(……え?)

 

 ……終わり?

 

 本当に?

 

「……お、終わりですか……?」

 

「はい」

 

 ユキノが、頷いた。

 

「現在の筋力、持久力、基本動作については、十分に確認できました」

 

 …………。

 

 ああ。

 

 やった。

 

 終わった。

 

 ついに終わったぞ。

 

(……生きてる……)

 

 いや。

 

 死んでないけどさ。

 

 ……でも。

 

 本当に、よく頑張ったと思う。

 

 ……自分で。

 

「……それにしても」

 

 ニコが、こちらへ近づいてきた。

 

「ナギサ様、随分と頑張りましたね」

 

「……ありがとうございます……」

 

「途中で音を上げるかと思っていたんですけど」

 

 …………。

 

 ……まあ。

 

 何度か、本気で帰りたくなったけど。

 

「……自分からお願いしたことですので」

 

 俺は、苦笑した。

 

「途中で投げ出すわけにはいきませんから」

 

「……ふふっ」

 

 ニコが、柔らかく微笑んだ。

 

「……そうですか」

 

 ……ん?

 

 何だろう。

 

 少しだけ、雰囲気が変わったような……。

 

「……ねえ、ユキノ」

 

 ニコが、ユキノへ顔を向けた。

 

「……何?」

 

「ナギサ様、思っていたよりずっと頑張り屋さんなんだね」

 

 …………。

 

(……え?)

 

 ……おお。

 

 これは、褒められてるのか?

 

「……そうだな」

 

 ユキノが、静かに頷いた。

 

「少なくとも、訓練に取り組む姿勢は評価できる」

 

 …………。

 

 ……おお!

 

 やった!

 

 あのユキノに、少し認めてもらえたぞ!

 

「……ただし」

 

 …………。

 

(……ん?)

 

「実戦で通用するかは、別問題だ」

 

 ……ですよねぇ。

 

「……承知しています」

 

 俺は、素直に頷いた。

 

 ……うん。

 

 まだまだ、足りないことばかりだ。

 

 ……でも。

 

 だからこそ、鍛える意味があるんだろう。

 

「……ナギサ様」

 

 今度は、クルミが近づいてきた。

 

「……はい?」

 

「今日の訓練、どうでしたか?」

 

 …………。

 

 どう、か。

 

 ……うん。

 

 正直に言おう。

 

「……想像以上に厳しかったです」

 

「……そうですか」

 

 クルミが、少しだけ笑った。

 

 ……うん。

 

 やっぱり、嬉しそうだな。

 

「ですが」

 

 俺は、続けた。

 

「とても勉強になりました」

 

「……え?」

 

「筋力がついたことで、以前より身体を動かせるようになったと思っていました」

 

 ……そう。

 

 それは、間違いじゃなかった。

 

 実際、腕立て伏せも、ロープも登れた。

 

 ……でも。

 

「それだけでは、実戦で通用しないのですね」

 

「……はい」

 

 クルミが、少し真面目な表情になった。

 

「力があっても、使い方を知らなければ意味がありません」

 

「……ええ」

 

「それに、疲れて動けなくなったら、どれだけ力があっても使えないですから」

 

 ……ああ。

 

 ごもっともだな。

 

「……ですから」

 

 俺は、微笑んだ。

 

「これからも、ぜひご指導いただけると嬉しいです」

 

「…………」

 

 クルミが、目を丸くした。

 

「……え?」

 

「皆さんから学べることは、まだまだ多そうですから」

 

 ……それに。

 

「今日、改めて実感しました」

 

 俺は、四人を見渡した。

 

「皆さんが、どれほど厳しい訓練を積んできたのか」

 

 ……ああ。

 

 本当に。

 

 すごい子たちだ。

 

「……尊敬します」

 

 …………。

 

 その瞬間。

 

 クルミが、少しだけ目を見開いた。

 

「……そ、そんなこと……」

 

 ……ん?

 

「……当たり前ですから!」

 

 ぷいっ。

 

 顔を背けた。

 

 …………。

 

(……あれ?)

 

 照れてる?

 

 ……いや。

 

 まだ怒ってるんだよな。

 

 ……うん。

 

 そうだった。

 

「……ナギサ様」

 

 ユキノが、静かに口を開いた。

 

「……はい?」

 

「今回の訓練で、一つ分かったことがあります」

 

「……何でしょうか?」

 

「ナギサ様は、少なくとも、自分の不足している部分から目を逸らす方ではないようですね」

 

 …………。

 

(……あっ)

 

 俺は、少し驚いた。

 

「……ありがとうございます」

 

「ですが」

 

 ユキノは、続けた。

 

「それと、ナギサ様を信用できるかどうかは、別の話です」

 

 …………。

 

 ……ああ。

 

(……そうだよな)

 

 俺は、静かに頷いた。

 

「……ええ。承知しています」

 

「…………」

 

「むしろ、それで構いません」

 

 ……そう。

 

 信頼なんて、一日で築けるものじゃない。

 

 あれだけ怒らせたんだ。

 

 今すぐ信用してもらおうなんて、虫が良すぎるだろう。

 

「……ただ」

 

 俺は、続けた。

 

「これからも、皆さんに学ばせていただきたいと思っています」

 

 ユキノは、しばらく俺を見つめていた。

 

 そして。

 

「……分かりました」

 

 小さく頷いた。

 

「では、今後も必要な訓練を続けていただきます」

 

 …………。

 

(……え?)

 

「もし私たちが今回の任務で護衛を担当することになれば、ナギサ様の安全は私たちの責任でもありますから」

 

「……はい」

 

「そのために必要なことは、遠慮なく申し上げます」

 

 ……ああ。

 

 なるほど。

 

 ……うん。

 

 それでいい。

 

「……よろしくお願いいたします」

 

 俺は、丁寧に頭を下げた。

 

 …………。

 

 ただ。

 

(……今後も、か)

 

 ……つまり。

 

 また、今日みたいな訓練をするわけだ。

 

 …………。

 

(……ああ)

 

 ……俺の平穏な日々が。

 

 音を立てて崩れていく気がする。

 

 

     ◇

 

 

 ――訓練終了後。

 

「……うぅ……」

 

 俺は、ジムの椅子に座り込んでいた。

 

 ……痛い。

 

 全身が。

 

 ものすごく、痛い。

 

 ……いや。

 

 昨日までの腹部の痛みとは、また別なんだけどさ。

 

 腕。

 

 足。

 

 肩。

 

 背中。

 

 全部、重い。

 

(……明日、絶対筋肉痛だろ……)

 

 ……ああ。

 

 身体が、ばらばらになりそうだ。

 

『……ナギさん』

 

(……ん?)

 

 ナギサが、こちらを覗き込んでいた。

 

『……大丈夫ですか?』

 

(……大丈夫じゃない)

 

 俺は、心の中で即答した。

 

(……もう、動きたくない……)

 

『……ふふっ』

 

(……笑うなよぉ……)

 

『いえ。随分と頑張っていらっしゃいましたから』

 

(……ああ)

 

 ……本当に。

 

 よく頑張ったと思うよ。

 

 自分でも。

 

『……でも』

 

(……ん?)

 

『少し、楽しそうでもありましたね』

 

 …………。

 

(……え?)

 

 ……いや。

 

 そんなこと……。

 

 …………。

 

 ……まあ。

 

(……そうかもな)

 

 きつかった。

 

 ものすごくきつかった。

 

 でも。

 

 スミレに教わった筋トレの成果を実感できた。

 

 それに、できなかったことが少しずつできるようになるのは、確かに楽しかったんだ。

 

(……次は、もう少し上手くできるかな)

 

『……ふふっ』

 

(……何だよ)

 

『いえ。ナギさんらしいなと思いまして』

 

 …………。

 

 ……そうかなぁ。

 

『……それに』

 

(……ん?)

 

『FOX小隊の皆さんも、少し楽しそうでしたね』

 

 …………。

 

 ……ああ。

 

 そうだったな。

 

 特に、クルミ。

 

 あの子、ものすごく楽しそうだった。

 

(……まあ、少しは怒りを発散できたならいいんだけどさ)

 

『……ナギさんは、最初からお気づきだったのですよね』

 

(……ああ)

 

 もちろんだ。

 

 あの子たちが、怒っていることくらい分かっていた。

 

 ……でも。

 

(……それでいいんだよ)

 

 俺に怒っているなら、無理に我慢する必要なんてない。

 

 もちろん、訓練にかこつけて何でも許されるわけじゃないけどさ。

 

 少なくとも、今日の訓練はちゃんと俺のためになった。

 

 ……それに。

 

 途中からは、俺自身も夢中になっていたしな。

 

(……結果的に、一石二鳥だったんじゃないか?)

 

『……ふふっ』

 

(……何だよ)

 

『いえ。ナギさんは、本当に前向きですね』

 

 ……そうかなぁ。

 

 ……まあ。

 

 そうかもしれないな。

 

 ……と。

 

「……ナギサ様!」

 

 突然、声が聞こえた。

 

「……はい?」

 

 顔を上げると。

 

 クルミが、こちらへ歩いてきていた。

 

「……クルミさん」

 

「はい!」

 

 クルミが、にっこりと微笑んだ。

 

「次回の訓練についてなんですけど!」

 

 …………。

 

(……え?)

 

 次回?

 

 ……もう?

 

「……な、何でしょうか……?」

 

「今回、持久力が足りないことが分かりましたよね!」

 

 …………。

 

 ……うん。

 

 まあ。

 

 そうだな。

 

「ですので!」

 

 クルミが、満面の笑みを浮かべた。

 

「次回からは、もっと本格的に鍛えましょう!」

 

 …………。

 

 …………。

 

(……え?)

 

 もっと?

 

 本格的に?

 

 …………。

 

「……あ、あの……」

 

「はいっ!」

 

「……ちなみに、今回の訓練は……?」

 

「基礎です!」

 

 …………。

 

 即答だった。

 

「まだまだ、これからですよ!」

 

 …………。

 

 …………。

 

(……ああ)

 

 ……そうか。

 

 そうなのか。

 

 俺は、ゆっくりと天井を見上げた。

 

 …………。

 

(……俺、何であんなこと言ったんだろうな)

 

 遠慮なくご指導ください。

 

 ……うん。

 

 確かに、言った。

 

 自分で。

 

 …………。

 

 まあ。

 

 覚悟は決めていたんだ。

 

 これから危険な場所へ向かう以上、必要な訓練は受けなきゃいけない。

 

 ……ただ。

 

 それは、それとして。

 

(……もう少し、優しくてもいいんじゃないかなぁ!?)

 

『……ナギさん』

 

(……何だよ……)

 

『……ご自身でおっしゃったのでしょう?』

 

 …………。

 

(……ああ)

 

『遠慮なく、ご指導ください、と』

 

 …………。

 

(……言ったな)

 

『……ふふっ』

 

 ナギサが、楽しそうに微笑んだ。

 

『でしたら、最後まで頑張らないといけませんね』

 

 …………。

 

(……ナギサまで!?)

 

 ……ああ。

 

 もう。

 

 誰も味方がいない。

 

 …………。

 

 いや。

 

 待てよ。

 

 よく考えたら、全員俺のために言ってくれてるんだよな。

 

 ……うん。

 

 ありがたい。

 

 本当にありがたいことだ。

 

 …………。

 

(……ありがたい、はずなんだけどなぁ)

 

 俺は、椅子の背もたれへ身体を預けた。

 

 ……まったく。

 

 つい先ほどまで、FOX小隊に厳しいことを言っていたと思ったら。

 

 今度は、俺が厳しく指導される側か。

 

 …………。

 

(……因果応報、ってやつなのかねぇ)

 

 まあ。

 

 仕方ない。

 

 俺が、自分で蒔いた種なんだから。

 

 …………。

 

 ……でも。

 

(……せめて、次回は手加減してくれないかなぁ……)




最後までお読みいただき、ありがとうございます!

今回は、FOX小隊によるナギの訓練回でした!

前回まで散々FOX小隊を振り回していたナギですが、今回は見事に立場が逆転しましたね。

ちなみに、ナギは最初から多少の仕返しがあることには気づいていました。

それでも訓練を受けたのは、これからの任務で皆の足を引っ張りたくなかったからです。

……まあ、想像以上に厳しかったようですが。

そして、スミレに教わった筋トレの成果も、ちゃんと出ていました!

ただ、やはり特殊部隊の訓練は別物だったようですね。

それと、少しだけ作者から。

ここ最近の第37話から第40話までは、特に力を入れて執筆したお話でした!

自分なりにかなり頑張った部分でもあるので、楽しんでいただけていたら嬉しいです。

もしよろしければ、今回のお話やFOX小隊とのやり取りについて、感想や評価などをいただけると、とても励みになります!

次回も引き続きよろしくお願いします!
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