前回、楽しいプール遊びの最後に、ハナコから思わぬお願いが。
第44話ではナギに一本取られてしまったハナコですが、今度こそ反撃なるのでしょうか?
今回は、そんな二人のお話です!
「……ナギサさん♡ 日焼け止め、塗ってください♡」
…………。
(……え?)
日焼け止め?
……日焼け止め。
(……何それ。俺の人生で聞いたことない)
……いや。
嘘だ。
もちろん知ってる。
日焼け止めくらい、元の世界にもあった。
……ただ。
(……何で俺が塗ることになってるんだ!?)
俺は、隣に座るハナコを見た。
ハナコは、いつもの柔らかな笑みを浮かべている。
その手には、日焼け止めの容器。
……なるほど。
つまり、俺に塗ってほしいというわけか。
……いや、分かるよ?
別に、おかしなお願いじゃない。
背中なんて、自分では塗りにくいだろうし。
女の子同士なら、日焼け止めを塗り合うことくらい普通にあるだろう。
……問題は。
(……俺が元男だってことなんだよなぁ!!)
しかも、元の世界では彼女ができたことすら一度もない。
そんな俺が、女の子に日焼け止めを塗る。
……うん。
難易度が高い。
ものすごく高い。
(……いや、待て。落ち着け、俺)
そもそも、変な欲求が湧いているわけじゃない。
そういう気持ちは、今の俺にはまったくない。
……よかった。
本当によかった。
ただ。
(……だからって、何でもしていいわけじゃないだろ!?)
俺は、元の世界では大人だった。
今はナギサの身体を借りているけど、それで過去まで変わるわけじゃない。
相手は生徒。
しかも、大切な仲間だ。
だからこそ、距離感には気をつけなければならない。
……うん。
そこは譲れない。
……とはいえ。
(……何で日焼け止め一つで、ここまで悩んでるんだろうな、俺……)
「……ナギサさん?」
「……っ!」
ハナコの声で、我に返った。
「どうかなさいましたか?♡」
「……い、いえ」
俺は、何とか笑顔を作った。
「少し、考え事をしていただけですよ」
「……あら♡」
ハナコが、楽しそうに首を傾げる。
「日焼け止めを塗るだけなのに、随分と真剣ですね?」
(……お前が思っている以上に重大な問題なんだよ!!)
……いや。
待て。
ハナコは何も悪くない。
俺が勝手に難しく考えているだけだ。
「……ハナコさん」
「はい♡」
「背中に塗ればよろしいのでしょうか?」
「……はい。お願いできますか?♡」
……よし。
背中なら、お手伝いする理由も分かる。
自分では届きにくいところだからな。
……と。
(……あれ?)
俺は、改めてハナコのスクール水着を見た。
……背中。
結構、開いてるんだな。
(……ナギサ。ちょっと聞きたいんだけどさ)
『……はい?』
(……何でこっちのスクール水着って、背中がこんなに開いてるんだ?)
『……え?』
ナギサが、不思議そうに首を傾げた。
『……普通ではありませんか?』
(……普通!?)
『……はい。翼のある生徒も着用しますから』
…………。
(……ああ、なるほど!)
そういうことか。
確かに、翼があったら背中が塞がっている水着なんて着にくいよな。
……いや、でも。
(……俺の知ってるスクール水着とは、だいぶ作りが違うんだよ)
『……そうなんですか?』
(……ああ)
『……では、翼のある方はどうされるんですか?』
(……翼がねぇんだよ!!)
…………。
『……あっ』
…………。
……うん。
お互い、常識が違いすぎるな。
……って。
(……結局、背中に塗る必要があるってことじゃねぇか!!)
……仕方ない。
……いや。
待てよ。
(……ナギサ!!)
『……は、はい!?』
(……ちょっと代わってくれ!)
『……え?』
(……身体の主導権! 今だけでいいから!)
『……ええっ!?』
そう。
これだ。
本来の身体の持ち主であるナギサなら、俺みたいに妙なことを考えずに済むはずだ。
……だが。
『……あの、ナギさん』
(……ん?)
『……私にも、そのような経験はありませんよ?』
…………。
(…………あ)
そうだった。
こいつも、そうだった。
『……それに、私も少し恥ずかしいです……』
(……だよなぁ)
『……はい……』
……ああ。
頼みの綱が。
『……ですが、ナギさん』
(……何だ?)
『……ハナコさんは、ナギさんを信頼してお願いしてくださったのでしょう?』
(……まあ、そうだな)
『……でしたら、普通にお手伝いして差し上げればよろしいのではありませんか?』
…………。
……ぐっ。
正論だ。
『……それとも、ハナコさんに何か失礼なことをされるおつもりなんですか?』
(……あるわけないだろ!!)
『……でしたら、何も問題ないのでは?』
……ぐうの音も出ない。
(……分かった。俺がやるよ)
『……はい。頑張ってください、ナギさん』
……だから。
何を頑張るんだ、俺は。
日焼け止めだぞ。
ただの日焼け止めなんだぞ。
「……ナギサさん?♡」
「……あっ、はい!」
ハナコが、楽しそうにこちらを見つめていた。
「お返事がありませんでしたので、少し心配してしまいました♡」
「……すみません」
俺は、小さく苦笑した。
「背中でしたら、私がお手伝いしますね」
「……まあ♡」
ハナコが、嬉しそうに目を細めた。
「ありがとうございます、ナギサさん♡」
……よし。
やろう。
お手伝いはお手伝い。
それ以上でも、それ以下でもない。
……そう思っていたのだが。
「……でも、ナギサさん」
「……はい?」
「私に日焼け止めを塗るのは、そんなに恥ずかしいことなのでしょうか?♡」
(……っ!?)
……こいつ。
完全に分かってやがる!
「……い、いえ。そういうわけではありませんよ」
「……ふふっ。そうですか♡」
ハナコが、楽しそうに微笑んだ。
「それなら、よかったです」
……くっ。
完全に遊ばれている。
「……ですが」
「……はい?」
「少しだけ、残念ですね♡」
……ん?
「……残念、ですか?」
「はい♡」
ハナコが、こちらをまっすぐ見つめた。
「だって、ナギサさんが私を意識してくださっていたのなら……」
そこで、言葉を止める。
そして。
「……少し、嬉しかったかもしれませんから♡」
…………。
(…………は?)
……いや。
ちょっと待て。
(……今、何て言った?)
「……ナギサさん?」
「……っ!」
ハナコが、こちらを覗き込んできた。
「……あら。お顔が赤いですよ?♡」
「……そ、それは……」
「日差しのせいでしょうか?♡」
(……この子、分かってて言ってるだろ!?)
……ああ。
なるほど。
これが、ハナコの反撃か。
……よし。
落ち着け。
ここで慌てたら、完全に相手の思うつぼだ。
「……ハナコさん」
「はい♡」
「日焼け止め、塗りますね」
「……まあ♡」
ハナコが、ぱっと表情を明るくした。
「ありがとうございます、ナギサさん♡」
……うん。
もう、考えるのはやめよう。
ただのお手伝いだ。
何も難しいことはない。
◇
ハナコは椅子の上で身体の向きを変え、俺に背中を向けた。
「それでは、お願いしますね♡」
「……はい」
……さて。
いよいよだ。
俺は日焼け止めを手のひらに取り、両手に広げた。
(……こういうのって、少し手のひらでなじませてから塗るんだったよな)
元の世界では、日焼け止めなんてほとんど気にしていなかった。
でも、使い方くらいは知っている。
冷たいまま塗ったら、驚かせるかもしれないしな。
……よし。
「……では、塗りますね」
「はい。お願いします♡」
俺は、ハナコの肩から背中へ、ゆっくりと日焼け止めを広げていった。
「……ひゃっ!」
…………。
(…………!?)
ぴたり。
俺の手が止まった。
「ハ、ハナコさん!?」
「……あら?♡」
ハナコが、何事もなかったかのように振り向いた。
「どうかなさいましたか?♡」
「い、今の声は……!」
「……ふふっ。少しくすぐったかっただけですよ?♡」
(……びっくりしたぁ!!)
……いや。
落ち着け。
くすぐったかったなら仕方ない。
「……すみません。冷たかったでしょうか?」
「……いえ。大丈夫ですよ♡」
「そうですか。では、続きを……」
「はい♡」
俺は、もう一度日焼け止めを塗り始めた。
すると。
「……んっ……ふふっ♡」
…………。
(……今、笑ったな!?)
ハナコの肩が、小さく揺れている。
「……ハナコさん!」
「……はい、何でしょう?♡」
「……わざとですよね?」
「……あら?」
ハナコが、楽しそうに目を細めた。
「何のことでしょう?♡」
(……絶対わざとだろ!!)
……ああ。
駄目だ。
この子、完全に俺の反応を楽しんでる。
「……ナギサさん♡」
「……はい?」
「そんなに驚かれると、私まで恥ずかしくなってしまいます♡」
(……嘘つけぇ!!)
……いや。
待て。
ここで反論したら、余計にからかわれるだけだ。
……よし。
「……ハナコさん」
「はい♡」
「くすぐったいようでしたら、もう少しゆっくり塗りますね」
「…………」
……あれ?
ハナコが、一瞬だけ黙った。
そして。
「……ありがとうございます、ナギサさん♡」
さっきまでとは少し違う、柔らかな声が返ってきた。
……うん。
くすぐったいなら、やり方を変える。
それだけだ。
俺は、できるだけ丁寧に日焼け止めを広げていった。
「……ナギサさん」
「……はい?」
「一つ、聞いてもよろしいですか?♡」
「ええ。何でしょう?」
「ナギサさんは、普段からこんなに優しいんですか?」
……ん?
「……どういうことでしょう?」
「いえ。私が少し驚いただけなのに、塗り方まで気にしてくださるなんて……」
「……そうですか?」
「はい♡」
……ふむ。
そんなに特別なことをしたつもりはないんだけどな。
「……ハナコさん」
「……はい?」
「こういうことは慣れていないので、できるだけ丁寧にしようと思っただけですよ」
「…………」
ハナコが、ぴたりと動きを止めた。
「……そうなんですね♡」
……ん?
何だか、少しだけ声が違うな。
「……でしたら」
「……はい?」
「今日、私が最初なんですね♡」
(…………っ!?)
……いや。
言い方!!
「……ハ、ハナコさん!?」
「……あら?」
ハナコが、楽しそうに微笑んだ。
「日焼け止めを塗っていただくお相手の話ですよ?♡」
……くっ。
分かってる。
分かってるけど!
「ナギサさんは、何を想像されたんですか?♡」
「……何も想像していません!」
「……ふふっ。そうですか♡」
……ああ。
完全にからかわれている。
……でも。
(……本当に楽しそうだなぁ)
合宿に来てから、ハナコはよく笑うようになった気がする。
俺の反応を見て楽しんでいるだけかもしれないけど。
こうして気兼ねなく笑ってくれるのは、やっぱり嬉しい。
「……ハナコさん。少しだけ、じっとしていてくださいね」
「……はい♡」
俺は、残っていた部分を丁寧に塗り終えた。
「……はい。終わりましたよ」
「……まあ♡」
ハナコが、嬉しそうに振り向いた。
「ありがとうございます、ナギサさん♡」
「どういたしまして」
……よし。
終わった。
無事に終わったぞ。
(……よかったぁ!!)
何だろう、この達成感。
ただ日焼け止めを塗っただけなのに。
FOX小隊の特訓とは別の意味で疲れた気がする。
……いや。
今回は、完全に俺の精神的な問題だな。
次からは、もう少し気楽に考えよう。
……と。
「……あの、ナギサさん♡」
「……はい?」
ハナコが、日焼け止めの容器を持ち直した。
「実は、もう一つお願いがありまして……♡」
……ん?
「何でしょう?」
ハナコが、少しだけ首を傾げた。
「今度は、前の方もお願いできますか?♡」
…………。
(…………は?)
前?
……前って。
(……いやいやいやいや!!)
……待て。
落ち着け。
……いや。
これは駄目だ。
「……ハナコさん」
「……はい?♡」
「そちらは、ご自分でお願いします」
「……あら♡」
ハナコが、楽しそうに首を傾げた。
「どうしてですか?」
「ご自分で届くところですから」
「……それはそうですが……♡」
……うん。
絶対に分かってるな、こいつ。
「ナギサさんにお願いした方が、丁寧に塗っていただけそうですし……♡」
「……それでも、ご自分でお願いします」
「……あらあら♡」
ハナコが、くすりと笑った。
「随分と頑固ですね?」
「ええ。ここは譲れません」
……そう。
必要なお手伝いと、そうでないものは別だ。
俺がどんな身体をしていようが、そこは変わらない。
「……分かりました♡」
ハナコが、ようやく頷いた。
「残念ですが、今回は諦めますね」
(……今回は?)
……いや。
聞かなかったことにしよう。
すると。
「……ですが、ナギサさん」
「……はい?」
ハナコが、こちらをじっと見つめた。
「一つだけ、教えていただけますか?」
……ん?
さっきまでとは、少し声の調子が違う。
「……何でしょう?」
ハナコは、日焼け止めの容器を両手で持ったまま、小さく首を傾げた。
「……ナギサさんは、私に触れるのが嫌なんですか?」
…………。
(……え?)
……ああ。
これは。
……ちょっと困ったな。
冗談だとは思う。
でも。
今の言い方は、いつものからかいとは少し違って聞こえた。
……もし、本気でそんなふうに思われていたら。
それは、さすがに悲しい。
「……いえ」
俺は、首を振った。
「嫌なわけではありませんよ」
「…………」
「むしろ、ハナコさんに頼っていただけたことは、嬉しかったです」
…………。
ハナコが、目を見開いた。
いつもなら、ここですぐに冗談が返ってくる。
……なのに。
「……そう、ですか」
小さな声だった。
……うん。
ちゃんと伝わったかな。
「……ですが」
俺は、少しだけ苦笑した。
「頼っていただけるのは嬉しいですけど、何でもお手伝いすればいいというものでもありませんから」
「……はい」
「できることと、できないことはありますよ」
…………。
ハナコが、ゆっくりと顔を上げた。
そして。
「……そうですね♡」
いつもの笑顔に戻った。
……けれど。
「……ありがとうございます、ナギサさん」
その言葉だけは、妙に真剣だった。
……ああ。
よかった。
「どういたしまして」
俺が微笑むと、ハナコも嬉しそうに笑った。
いつもの、からかうような笑顔とは少し違う。
……こういう表情もするんだな。
『……ナギさん』
(……ん?)
『……ハナコさん、とても嬉しそうですね』
(……ああ。そうだな)
『……ふふっ。よかったですね』
(……おう)
……うん。
こういう時間も、たまにはいいものだ。
すると。
「……ところで、ナギサさん♡」
「……はい?」
ハナコが、こちらをじっと見つめていた。
「ナギサさんは、日焼け止めを塗られたんですか?」
……俺?
「……いえ、まだですが……」
「……まあ」
ハナコが、少し驚いたように目を瞬かせた。
「それはいけませんね」
「……そうでしょうか?」
「はい。今日は日差しも強いですし……」
ハナコが、こちらの肩へ視線を向けた。
「ナギサさんのお肌が、真っ赤になってしまうかもしれませんよ?」
……ああ。
そういえば。
(……日焼け止めなんて、全然考えてなかったな)
元の世界では、日焼けなんてほとんど気にしたことがなかった。
多少焼けても、別にいいだろうと思っていた。
……でも。
今の身体は、ナギサのものだ。
俺が勝手に日焼けさせていいわけじゃない。
「……確かに、そうですね」
俺は、頷いた。
「私も塗っておくことにします」
「……そうしてください♡」
俺は、日焼け止めの容器を受け取ろうとした。
……が。
「……あら?」
ハナコが、容器を手元へ引いた。
「……ハナコさん?」
ハナコが、楽しそうに微笑む。
「ナギサさん。よろしければ、私がお手伝いしましょうか?♡」
……ああ。
なるほど。
今度は、逆というわけか。
「……ハナコさんが、ですか?」
「はい♡」
ハナコが、嬉しそうに頷いた。
「先ほど、ナギサさんに塗っていただきましたから」
「今度は、私がお返しをしたいんです♡」
……お返し、か。
……ふむ。
そういうことなら。
「では、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「…………え?」
…………。
……あれ?
今度は、ハナコが固まったぞ。
「……ハナコさん?」
「……あっ、いえ!」
ハナコが、慌てて微笑んだ。
「も、もちろんです♡」
……ん?
何だか、少しだけ様子がおかしいな。
「ありがとうございます。助かります」
「……お任せください♡」
……うん。
ハナコなら、きっと丁寧に塗ってくれるだろう。
『……ナギさん』
(……ん?)
『……今度は、随分と落ち着いていらっしゃいますね』
(……ああ)
だって、そうだろ?
さっきは俺が塗る側だった。
でも、今度は塗ってもらう側だ。
俺が変に気を回す必要はない。
それに、ハナコも自分から申し出てくれたわけだし。
(……お互い納得してるなら、何も問題ないだろ?)
『……そ、そうですね……』
……ん?
何だ、その微妙な返事は。
「それでは、ナギサさん♡」
「……はい?」
「まずは、腕から塗りますね」
「ええ。お願いします」
ハナコが、日焼け止めを手に取った。
そして、俺の腕へそっと広げていく。
「……っ!」
(……冷たっ!)
思わず、肩が跳ねた。
「……あら?」
ハナコが、こちらを見つめた。
「冷たかったですか?♡」
「……ええ。少しだけ」
「……ふふっ。失礼しました♡」
ハナコは、手のひらで日焼け止めをなじませ直した。
「それでは、もう一度……」
「……はい」
今度は、さっきよりも冷たくない。
……ああ。
ちゃんと気を遣ってくれたんだな。
「……ハナコさん」
「……はい?♡」
「ありがとうございます。とても丁寧ですね」
「……あら♡」
ハナコが、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
「私が塗るより、ずっと手際がいいですよ」
「…………っ」
……あれ?
ハナコの手が、ほんの一瞬だけ止まった。
「……ハナコさん?」
「……い、いえ。何でもありません♡」
……ふむ。
普段はあんなに余裕があるのに。
褒められると、意外と照れるんだなぁ。
……ふふっ。
何だか、ちょっと新鮮だ。
◇
――その一方で。
ナギサは、小さく首を傾げていた。
『……あら?』
先ほどまで、あんなに楽しそうにナギさんをからかっていたハナコさん。
それなのに、ナギさんから少し褒められただけで、あんなに慌てるなんて。
……いえ。
考えてみれば、先ほどもそうでした。
ナギさんから優しい言葉をかけられた時。
いつもとは違う、少し恥ずかしそうな笑顔を見せていましたね。
『……もしかして……』
…………。
……いえ。
まだ、そうと決まったわけではありません。
ナギサは、もう少し様子を見ることにした。
◇
「……それでは、反対側もお願いしますね」
「……はい♡」
ハナコが、反対側の腕にも日焼け止めを塗っていく。
……うん。
やっぱり、丁寧だ。
こういうところを見ると、普段のからかい好きな姿だけがハナコの全部じゃないんだよな。
誰かのことをよく見ている。
必要なら、自然に手を貸す。
それでいて、自分のこととなると、あまり素直には話さない。
(……本当に、面白い子だな)
「……ナギサさん?」
「……あっ、はい」
「何か、考え事ですか?♡」
「……いえ」
俺は、少しだけ微笑んだ。
「ハナコさんは、やっぱり優しい方ですね」
「…………え?」
……ん?
「……あ、あの、ナギサさん?」
「はい?」
「……急に、どうされたんですか?」
……あれ?
何か変なこと言ったか?
「……いえ。こうしてお手伝いいただいて、改めて思っただけですよ」
「…………」
ハナコは、一瞬だけ言葉に詰まった。
しかし、すぐに微笑みを取り戻す。
「……もう、ナギサさんったら♡」
「……はい?」
「そんなに褒めていただいても、何も出ませんよ?♡」
「……ああ、それは残念ですね」
「……えっ?」
「ハナコさんが作るお菓子も、一度食べてみたかったのですが」
…………。
「……ふふっ!」
ハナコが、思わず吹き出した。
「……もう! そういう意味ではありませんよ♡」
「……そうでしたか?」
「……はい♡」
……ああ。
よかった。
いつものハナコだ。
……でも。
(……こうして笑ってる方が、やっぱりいいな)
その後、ハナコは俺の腕を塗り終えると、日焼け止めの容器を持ち直した。
「……では、最後に背中も塗りますね♡」
「ええ。お願いします」
俺は、椅子の上で向きを変えた。
「……ハナコさん?」
「……は、はい♡」
「よろしくお願いしますね」
「……もちろんです♡」
……ん?
何だか、少しだけ声が上ずっているような。
……まあ、気のせいか。
しばらくして。
肩から背中へ、日焼け止めが丁寧に塗り広げられていく。
……うん。
やっぱり、ハナコは手際がいいな。
「……ハナコさん」
「……はい?」
「ありがとうございます。本当に助かります」
「……どういたしまして♡」
……ああ。
そういえば。
さっき、俺がハナコに塗っていた時は、あんなに緊張していたんだった。
……なのに。
こうして塗ってもらう側になると、随分と気楽なものだ。
(……我ながら、勝手なもんだなぁ)
……まあ。
その辺りは、もう少し慣れていくしかないか。
「……はい。終わりましたよ、ナギサさん♡」
ハナコが、そっと手を離した。
「……ありがとうございます」
俺は、振り向いた。
「おかげで助かりました」
「……それは何よりです♡」
ハナコは、いつものように微笑んでいた。
……けれど。
その頬は、ほんの少しだけ赤いように見えた。
(……もしかして、ハナコも緊張してたのか?)
手際はよかったけど、慣れているとは限らないよな。
……まあ、いいか。
「……ハナコさん」
「……はい?♡」
「本当に、ありがとうございました」
「……いえ。こちらこそ♡」
ハナコが、嬉しそうに微笑んだ。
「今日は、ナギサさんにお願いしてよかったです」
……ああ。
その笑顔。
何だか、すごくいいな。
「……私も、ハナコさんにお願いしてよかったですよ」
「…………っ」
ハナコが、少し驚いたように目を瞬かせた。
……ふむ。
今日は、普段とは違うハナコの一面を色々と見られたな。
「……ナギサさん♡」
「……はい?」
「また今度も、日焼け止めを塗っていただけますか?♡」
……またか!?
……いや。
まあ、背中なら別に問題ないか。
「ええ。背中でしたら、いつでもお手伝いしますよ」
「…………!」
ハナコが、一瞬だけ目を見開いた。
そして。
「……ふふっ♡」
いつもより、少し嬉しそうに微笑んだ。
「……ありがとうございます、ナギサさん♡」
…………。
(……かわいい笑顔だなぁ)
さっきまで、あんなに俺をからかっていたのに。
今は何だか、少し恥ずかしそうで。
……うん。
いつものからかい好きなところも。
こうして素直に喜んでくれるところも。
どちらも、ハナコなんだよな。
(……また、こんなふうに笑ってくれたら嬉しいな)
……なんて。
そんなことを考えていると。
ふと、頭の中にある言葉が浮かんだ。
『先生と生徒が恋愛をするというのは、キヴォトスでは犯罪ではありません!』
…………。
(……ん?)
……キリノ?
(……何で今、キリノの台詞が浮かんだんだ?)
……いや。
確かに覚えてるけどさ。
原作でも、なかなか印象に残る発言だったし。
……でも。
(……何か、今の話と関係あったか?)
……うーん。
分からん。
今は法律の話なんてしてなかったし。
というか、そもそも俺は先生じゃないしな。
…………。
……まあ、いいか。
人間、急に昔の記憶を思い出すこともあるし。
そういうことだろう。
「……ナギサさん♡」
「……あっ、はい!」
ハナコの声で、我に返った。
「そろそろ、皆さんのところへ戻りませんか?♡」
「……そうですね」
俺は、頷いた。
「お待たせしてしまいましたし、戻りましょうか」
「はい♡」
ハナコが、嬉しそうに立ち上がった。
俺も、その隣に並ぶ。
「……ナギサさん♡」
「……はい?」
「今日は、とっても楽しかったです♡」
ハナコが、こちらを見上げて微笑んだ。
……ああ。
また、その笑顔だ。
俺も、自然と笑みがこぼれた。
「……私もですよ、ハナコさん」
「……ふふっ♡」
……うん。
やっぱり、いい笑顔だな。
「それにしても、ナギサさん」
「……はい?」
「今日は、随分と色々な表情を見せてくださいましたね♡」
…………。
(……ん?)
……いや。
待て。
それ、俺が言いたいんだけど!?
「……そうでしょうか?」
「はい♡」
ハナコが、嬉しそうに頷いた。
「驚いたり、慌てたり、真剣になったり……」
そして、楽しそうに微笑む。
「……とっても楽しかったです♡」
(……やっぱり、からかって楽しんでたんじゃねぇか!!)
……ああ。
もう。
この子は、本当に。
「……ハナコさん」
「はい♡」
「ほどほどにしてくださいね」
「……ふふっ。善処します♡」
(……絶対しないやつだ!!)
…………。
……まあ。
でも。
こうして楽しそうにしているハナコを見るのは、悪くない。
「……それでは、行きましょうか」
「はい、ナギサさん♡」
そうして俺たちは、他愛のない話をしながら、みんなのところへ歩き始めた。
◇
――その一方で。
ナギサは、二人のやり取りを静かに眺めていた。
……なるほど。
先ほどは、まだ確信が持てませんでしたが。
今のハナコさんを見ていると、どうにも考えが変わってきます。
ナギさんの何気ない言葉に、嬉しそうに頬を染めて。
褒められると、あんなに慌ててしまう。
そして、最後に見せたあの笑顔。
……本当に、嬉しそうでした。
最初は、単にナギさんをからかうことを楽しんでいるのだと思っていましたが。
……もしかすると。
それだけではないのかもしれませんね。
ナギサは、もう一度ハナコさんへ目を向けた。
ハナコさんは、ナギさんと楽しそうに話している。
その表情は、先ほどまでからかっていた時とも、少し違っていた。
……ですが。
肝心のナギさんは、まったく気づいていないご様子。
むしろ、楽しそうにお話しされています。
…………。
『……私も、こういうことには疎い方だと思っていたのですが……』
ナギサは、何も気づかずにいるナギさんへ視線を向けた。
『……まさか、私以上の方がいたとは……』
『……はぁ……』
◇
(……ん?)
ふと、ナギサのため息が聞こえてきた。
……そういえば、さっきも何か言っていたような。
ハナコとの話に夢中で、あまり聞いていなかったけど。
(……ナギサ? どうした?)
『……あっ』
少し驚いたような声が返ってくる。
『……いえ。何でもありませんよ』
(……そうか?)
『……はい』
…………。
……ふむ。
何だろうな。
さっき、俺よりどうとか言っていたような気もするけど。
何の話だったんだろう。
……まあ、本人が何でもないと言うならいいか。
「……ナギサさん♡」
「……あっ、はい!」
「どうかなさいましたか?♡」
「……いえ。何でもありませんよ」
「……あら♡」
ハナコが、楽しそうに微笑んだ。
「また、考え事ですか?」
「……ええ。少しだけ」
「……ふふっ。ナギサさんは、本当に考え事がお好きですね♡」
……いや。
今回は、ナギサの方が何か考えていたんだけどな。
まあ、説明できないから仕方ないか。
「……それより、ハナコさん」
「はい♡」
「皆さんが待っていますし、行きましょうか」
「……そうですね♡」
ハナコが、嬉しそうに頷いた。
そうして俺たちは、みんなの待つプールへと戻っていった。
……それにしても。
(……日焼け止めって、こんなに疲れるものだったっけ?)
…………。
いや。
絶対に違う。
(……ハナコが相手だからだろ、これ!!)
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
今回は、ハナコの反撃回でした!
からかうつもりが逆に照れてしまうハナコ。そして、そんなハナコをかわいいと思い始めたナギ。
……なのに、肝心の本人はまったく恋愛に結びつけていません。
ナギサも何かに気づいたようですが……お労しい。
それと、今回のお話について少し補足を。
まず、スクール水着の背中について。
ハナコの水着の背中がどうなっているのか確認したかったのですが、資料が足りず……。
ただ、トリニティには翼のある生徒もいますし、背中が開いている構造でもおかしくないかなと思い、本作ではそういう設定にしています!
また、今回の日焼け止めは、プールの水を汚さないミレニアム製の特殊なものという設定です。
どちらも本作独自の設定ということで、ご了承ください!
次回も引き続き、プールのお話です!
よろしくお願いします!