今回はミカに仕事を手伝ってもらうお話です。
楽しんでもらえたら嬉しいです!
「……え?」
ミカの笑顔が、ぴたりと固まった。
「……ナギちゃん?」
「はい?」
「……今の、聞こえてた?」
「ええ。お仕事を手伝ってくださるのでしょう?」
「…………」
ミカは、何とも言えない表情を浮かべた。
「……えっとね、ナギちゃん」
「はい」
「……今の、半分冗談だったんだけど?」
「……まあ」
俺は、少し驚いたように目を丸くした。
「そうだったのですか?」
「う、うん……」
「……それは残念です」
そう言って、思わず机へ視線を向ける。
積み上がった書類の山。
まだ確認できていない資料。
そして、明日になれば新たに追加されるであろう仕事。
(……正直、手伝ってもらえたら本当に助かるんだけどな)
しかし、ミカにも自分の仕事がある。
いくら同じティーパーティーのホストだからといって、こちらの都合で仕事を押しつけるわけにはいかない。
「……申し訳ありません。少し期待してしまいました」
「……えっ?」
「ですが、ミカさんにもご自身のお仕事がありますから。無理をお願いするわけにはいきませんね」
俺は小さく微笑んだ。
その瞬間。
「……ちょ、ちょっと待って!」
ミカが慌てて身を乗り出してきた。
「ナギちゃん、最近ちゃんと寝てないんでしょ!?」
「……そうですね」
「だったら、休まなきゃ駄目じゃん!」
「……ですが、まだ仕事が残っていますので」
「もー!」
ミカは頬を膨らませた。
「分かった! 分かったから!」
「……?」
「私が手伝う! それでいいでしょ!?」
「…………」
思わず、ミカの顔を見つめた。
「……よろしいのですか?」
「うん!」
「……本当に?」
「もう! 何回聞くの!」
ミカは少し不満そうに頬を膨らませる。
「ナギちゃんがそんなに大変なら、私だって手伝いたいよ!」
「…………」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が温かくなった。
(……ありがとう、ミカ)
同時に、少し申し訳なくなる。
せっかく久しぶりにお茶を楽しんでいたのに、最後には仕事まで手伝わせてしまうなんて。
「……ありがとうございます、ミカさん」
俺は、心から微笑んだ。
「本当に助かります」
「えへへ。もっと頼ってくれていいんだよ?」
「……では、お言葉に甘えさせていただきますね」
「うん!」
ミカは嬉しそうに胸を張った。
「私だって、ティーパーティーのホストなんだから!」
(……そうなんだよな)
普段の自由奔放な姿から忘れそうになるが、ミカもトリニティを代表する立場にいる。
能力がないはずはない。
何より、同じホスト同士で協力することは、決しておかしなことではないのだ。
(……ただ、あまり負担をかけるのも申し訳ないしな)
まずは書類を整理して、お願いできるものを選ぼう。
「……では、少しお待ちください」
「うん! 何からやればいい?」
「まずは、書類を確認しますね」
俺は机へ向かった。
◇
――午後五時十五分。
「…………」
俺は机の上に積まれた書類を、一枚ずつ確認していた。
通常の予算申請。
各派閥からの要望書。
施設管理に関する調整資料。
会議の日程調整。
そして、エデン条約に関する各種資料。
(……うわぁ)
改めて見ると、ひどい量だった。
昨日の日記にも、仕事が終わらないという記述が何度もあった。
しかし。
(……あれ?)
俺は、一枚の書類を手に取った。
施設管理に関する資料。
内容を確認すると、特に重要な問題は見当たらない。
通常であれば、担当部署の責任者が確認して処理するようなものだ。
それなのに、ナギサの確認待ちになっている。
(……なんで、これまでナギサが確認してるんだ?)
次の書類を見る。
会議の日程調整。
これも、基本的には担当職員に任せれば済む仕事だ。
さらに、通常の予算申請書。
特別な事情がない限り、決められた権限の範囲で処理できるはずのものまで、ナギサのところへ集まっている。
(……ちょっと待てよ)
俺は、一旦手を止めた。
そして、昨日読んだ日記の内容を思い出す。
『今日も仕事が多く、気がつけば夜になっていました』
『皆さんには申し訳ありませんが、やはり私自身で確認した方が安心できます』
『仕事をしている間は、余計なことを考えずに済みます』
「…………」
(……ああ、そういうことか)
ようやく理解した。
ナギサは、単に仕事が多すぎたわけではない。
本来、自分が行う必要のない仕事まで引き受けていたのだ。
(……不安なことを考えないため、か)
セイアが襲撃された。
学園内に裏切り者がいるかもしれない。
次に狙われるのは、自分かもしれない。
あるいは、大切なミカかもしれない。
そんな不安が、常に頭の中を占めていたのだろう。
何もしていなければ、嫌なことばかり考えてしまう。
だから、仕事を増やした。
忙しくしていれば、余計なことを考えなくて済む。
目の前の書類に集中している間だけは、恐怖や疑いから逃れることができた。
(……そういうことだったんだな)
胸の奥が痛んだ。
ナギサは、周囲の人間を信用できなくなっていた。
もちろん、全員を疑っていたわけではない。
特にミカのことは、大切な友人として信頼していた。
それでも、誰が敵なのか分からない状況では、他人に仕事を任せることにも不安を感じていたのかもしれない。
そうして、気づけば。
本来は部下が行うべき仕事まで、自分で引き受けるようになっていた。
(……これじゃ、どれだけ頑張っても終わらないよな)
俺は、積み上がった書類を見つめた。
しかし、原因が分かったのなら、対処することはできる。
(……まずは、本来の担当者に戻そう)
当然、重要な決裁や機密事項については、ナギサが確認する必要がある。
だが、それ以外の仕事まで抱え込む理由はない。
そもそも、担当部署も担当者も存在しているのだ。
新しい組織を作る必要すらない。
(……明日の会議で、元の業務体制に戻すことを伝えよう)
俺は、そう決めた。
「……ナギちゃん?」
「……あっ、はい?」
ミカの声で我に返る。
「さっきから、ずっと書類見てるけど……」
「ええ。少し整理しています」
「……大丈夫?」
「はい。もう少しで終わりますので」
「……そっか」
ミカは不思議そうに首を傾げたものの、それ以上は何も聞かなかった。
俺は再び書類へ視線を戻す。
(……さて、仕分けるか)
まず、明日以降でも問題のない書類。
これらは別の場所へ移す。
次に、本来は担当部署で処理できる書類。
こちらもまとめておく。
(……結構あるな)
山のようだった書類が、少しずつ減っていく。
残ったのは、ナギサ本人の判断が必要な重要書類と、今日中に確認しておきたいもの。
(……これなら、何とかなりそうだ)
改めて見ると、元の山に比べて随分と少なくなっていた。
(……ナギサが本来やるべき仕事って、これくらいだったのか)
もちろん、これでも決して少ない量ではない。
エデン条約の準備など、重要な仕事はいくらでも残っている。
だが、少なくとも今までのような無茶な量ではなかった。
(……明日、担当部署に戻せばもっと楽になるだろうな)
俺は、仕分けた書類を脇へ寄せた。
◇
「……お待たせしました、ミカさん」
「んー?」
「こちらをお願いしてもよろしいでしょうか?」
俺は、比較的簡単な確認作業だけをまとめた書類を差し出した。
「……えっと、予算関係?」
「はい。通常の確認作業です。気になるところがあれば、印を付けていただければ大丈夫です」
「ふむふむ」
「それと、こちらが各派閥からの要望書です。緊急性の高いものだけ、先に確認していただけると助かります」
「……うん!」
「こちらの日程調整についても、候補日を整理するだけで構いません」
「……なるほどね」
ミカは、書類の束を受け取った。
そして、机の上を見回す。
「……あれ?」
「はい?」
「さっきまで、もっといっぱいなかった?」
「……ええ」
「……残りは?」
「明日以降に確認するものとして、分けておきました」
「……そっか!」
ミカは納得したように頷いた。
「じゃあ、これだけやればいいんだね!」
「はい。もちろん、無理に全部終わらせる必要はありません」
俺は少し申し訳なさそうに微笑んだ。
「せっかくのお時間をいただいてしまっていますから」
「……えー?」
ミカが不満そうな声を上げた。
「そんなに遠慮しなくてもいいのに!」
「ですが……」
「もう!」
ミカは頬を膨らませた。
「私が手伝いたいって言ったんだから、そんなに申し訳なさそうにしなくていいの!」
「…………」
「それに、ナギちゃんがちゃんと休んでくれた方が、私も嬉しいし!」
「……ミカさん」
思わず、頬が緩んだ。
「……ありがとうございます」
「えへへ。どういたしまして!」
(……本当に、優しいな)
原作での出来事を考えれば、まだ警戒を解くわけにはいかない。
しかし、目の前のミカがナギサを大切に思っていることも、確かなのだろう。
(……だからこそ、助けたいんだよな)
俺は静かに頷いた。
そして、最後に一つの資料を取り出す。
『エデン条約関連資料』
(……ああ、これもあったな)
条約については、今後どうするか考えなければならない。
原作の知識がある以上、締結式に向けた準備を完全に止めるわけにはいかない。
しかし、できればその前にアリウスの問題を解決し、締結自体を回避したい。
(……そのためにも、少し時間が必要なんだよな)
俺は資料を見つめた。
とはいえ、原作の知識が正しければ、ミカは既にアリウスと接触している。
機密性の高い資料まで、何も考えずに渡すべきではないだろう。
(……共有しても問題ない部分だけにしておこう)
俺は、一般的な交渉状況や各派閥の意見がまとめられた資料を取り出した。
「……それと、ミカさん」
「んー?」
「こちらも、少し確認していただけませんか?」
「……えっ、まだあるの!?」
「申し訳ありません。これで最後です」
「……ほんとに?」
「ええ」
ミカは少し疑わしそうにこちらを見つめた。
しかし、資料の表紙を見た瞬間、表情が変わる。
「……エデン条約?」
「はい。現在の交渉状況と、各派閥から寄せられている意見をまとめたものです」
「……これも、私が?」
「ええ。気になる点があれば、書き出していただけると助かります」
「…………」
ミカは、あまり乗り気ではなさそうだった。
それも当然だろう。
彼女は、エデン条約そのものに反対しているのだから。
「……無理でしたら、こちらは後日私が確認しますよ?」
「……え?」
「ミカさんが反対されていることも理解していますから」
「…………」
ミカは、しばらく資料を見つめていた。
そして。
「……ううん。大丈夫」
小さく首を振った。
「私がやるよ」
「……ありがとうございます」
「……ただし!」
ミカは人差し指を立てた。
「変だと思ったところは、遠慮なく言うからね!」
「ふふっ。もちろんです」
俺は微笑んだ。
「むしろ、その方が助かります」
「……え?」
「反対意見があるからこそ、見えてくる問題もありますから」
「…………」
ミカは少し驚いたように俺を見つめた。
そして、嬉しそうに笑った。
「……えへへ。そっか!」
「ええ」
「じゃあ、任せて!」
(……ありがとう、ミカ)
もちろん、それだけで彼女がエデン条約に賛成するとは思わない。
むしろ、反対のままで構わない。
ただ、実際の条約案を確認したうえで意見を出してくれるなら、それは十分に価値のあることだ。
「……では、ミカさん」
「んー?」
「私は、少し休ませていただきますね」
「うん! ゆっくり休んで!」
ミカは嬉しそうに頷いた。
そして、すぐに付け加える。
「……あっ、でも!」
「はい?」
「ちゃんと休むんだよ? こっそり仕事しちゃ駄目だからね!」
「ふふっ。分かりました」
「絶対だからね!」
「……ええ」
俺は小さく笑った。
◇
――午後五時三十分。
「……はぁ」
ソファに腰を下ろした瞬間、全身の力が抜けた。
(……やっぱり、かなり疲れてたんだな)
身体が重い。
頭痛も、まだ続いている。
正直、少し横になりたかった。
(……ナギサの身体、本当に限界だったんだな)
日記を思い出す。
何日もまともに眠れなかったこと。
仕事に没頭することで、不安を紛らわせていたこと。
そして、昨夜の出来事。
(……ごめんな、ナギサ)
心の中で謝る。
今日一日、かなり無理をさせてしまった。
けれど、明日からは少しずつ変えていけるはずだ。
本来の担当者へ仕事を戻す。
無理な仕事の抱え方をやめる。
そして、何より。
(……不安なときは、ちゃんと誰かに相談する)
ナギサが戻ってきたときにも、そんな環境を用意しておきたい。
「……ナギちゃん?」
ミカが、こちらを覗き込んできた。
「……はい?」
「……ほんとに大丈夫?」
「……ええ」
「……なんか、すっごく眠そう」
「……そうですね」
俺は苦笑した。
「少しだけ、仮眠を取らせていただきます」
「……うん」
ミカは小さく頷いた。
「ゆっくり休んでね」
「……ありがとうございます」
俺はソファに横になった。
柔らかな感触が身体を包み込む。
その瞬間、強烈な眠気が襲ってきた。
(……ああ、これは駄目だ)
もう、何も考えられない。
頭の中がぼんやりする。
けれど、不思議と心は軽かった。
ミカが仕事を引き受けてくれた。
それだけで、少し安心できたのだ。
(……誰かに頼るって、こんなに楽だったんだな)
ふと、そんなことを思う。
ナギサにも、この感覚を知ってほしかった。
すべてを自分一人で背負う必要はない。
誰かに頼ってもいい。
少しくらい、休んでもいい。
(……だから、戻ってきてくれよ)
心の中で、静かに語りかける。
(……絶対に、幸せにしてやるから)
その時。
「……ナギちゃん?」
ミカの声が聞こえた。
「……はい……?」
「……毛布、掛けるね」
「……ありがとうございます……」
ふわりと、身体に温かいものが掛けられた。
ミカの手が、そっと肩に触れる。
「……もう、しょうがないなぁ」
少し呆れたような声。
けれど、そこには優しさがあった。
「……今日は私が頑張るから、ナギちゃんは休んでて」
「……はい……」
俺は、ゆっくりと目を閉じた。
遠くで、紙をめくる音が聞こえる。
「……えっと、予算申請……?」
ミカの小さな声。
「……うわ、数字多すぎ……」
思わず笑みがこぼれた。
(……頑張れ、ミカ)
心の中で、そう応援する。
そして。
――意識が、ゆっくりと沈んでいった。
◇
――午後六時三十五分。
「……ん……」
微かな物音に、ゆっくりと意識が浮かび上がる。
最初に感じたのは、身体を包み込む柔らかな感触だった。
次に、紙をめくる音。
そして、誰かが小さく唸る声。
「……うーん、これってこっちの予算に入るのかなぁ……」
(……あれ?)
ぼんやりと目を開く。
見慣れない天井。
夕日に照らされた室内。
そして、少し離れた机に向かっている桃色の髪の少女。
(……ああ、そうだった)
ようやく記憶が繋がった。
ミカに仕事を手伝ってもらい、少し休もうと思って……。
(……寝ちゃったのか)
ゆっくりと身体を起こす。
その瞬間、違和感を覚えた。
(……あれ?)
身体が軽い。
いや、もちろん完全に回復したわけではない。
まだ多少の倦怠感はあるし、頭も少し重い。
けれど、先ほどまでの状態とは明らかに違っていた。
(……一時間くらいしか寝てないよな?)
壁の時計を確認する。
午後六時三十五分。
眠りについたのが五時半頃だったから、一時間ほどだ。
(……たった一時間で、ここまで楽になるのか?)
思わず自分の手を見つめる。
細く白い指。
まだ成長途中の少女の身体。
(……若さってすごいな)
そんなことを考える。
しかし、すぐに別の可能性が浮かんだ。
(……いや、キヴォトスの生徒だからか?)
そういえば、この世界の生徒たちは普通の人間とは比較にならないほど頑丈だった。
銃弾を受けても平然としているし、爆発に巻き込まれても生きている。
もっとも、だからといって薬の影響まで簡単に回復するとは限らない。
(……何にせよ、少し楽になったのはありがたいな)
ただ、原因が分からない以上、油断はできない。
医療的な確認が必要なことに変わりはなかった。
(……さて)
俺は、机に向かっている少女へ視線を向けた。
「……ミカさん?」
「んー? ……あっ!」
ミカが顔を上げた。
「ナギちゃん! 起きたんだ!」
「ええ。おかげさまで、少し楽になりました」
「ほんと!?」
ミカは嬉しそうに立ち上がり、こちらへ駆け寄ってきた。
「よかったぁ! さっきまで本当に顔色悪かったから、心配してたんだよ?」
「……申し訳ありません」
「もう! 謝らなくていいってば!」
ミカは頬を膨らませた。
「それで? もう大丈夫なの?」
「ええ。まだ少し疲れていますが、先ほどよりはずっと」
「そっかぁ……」
ミカは、ほっとしたように笑った。
そして、何かを思い出したように手を叩く。
「あっ、そうそう! ナギちゃん!」
「はい?」
「お仕事、結構進めておいたよ!」
「……え?」
俺は思わず机へ視線を向けた。
そこには、先ほどミカにお願いした書類の束があった。
……いや。
(……あれ?)
明らかに量が減っている。
「……ミカさん?」
「んー?」
「……もしかして、もう終わったのですか?」
「全部じゃないよー! でも、できるところまではやっておいた!」
ミカは得意げに胸を張った。
「ほらほら、見て!」
俺はゆっくりとソファから立ち上がり、机へ向かった。
そして、書類を確認する。
「…………」
予算申請書。
確認済みの印が付いている。
各派閥からの要望書。
優先順位ごとに分類済み。
会議の日程調整。
複数の候補日と、関係者の予定がまとめられていた。
(……えっ)
思わず、ミカを見る。
「……これ、全部ミカさんが?」
「うん!」
「……一時間ほどで?」
「えへへ。頑張ったでしょ?」
「…………」
(……いや、すごくないか?)
正直、ここまで進むとは思っていなかった。
ミカは普段、自由奔放で面倒な仕事を嫌がる印象が強い。
原作でも、書類仕事に積極的な姿はあまり見なかった。
しかし、考えてみれば当然なのかもしれない。
彼女もティーパーティーのホストなのだ。
学園を代表する立場にいる以上、必要な知識は持っている。
(……そうだよな。面倒くさがりなだけで、できないわけじゃないんだ)
俺は、改めて書類に目を落とした。
どれも丁寧に整理されている。
もちろん、最終的な判断が必要なものは残してある。
それでも、事務作業のかなりの部分が済んでいた。
「……すごいですね、ミカさん」
「えっ?」
「本当に助かりました。ありがとうございます」
俺は、心からの感謝を込めて頭を下げた。
「……えっ、ちょっと!?」
ミカが慌てた。
「ナギちゃん!? そんなに頭下げなくていいよ!」
「ですが、本当に助かりましたから」
「も、もう! 大げさだってば!」
そう言いながらも、ミカは嬉しそうだった。
頬を少し赤くしながら、照れくさそうに笑っている。
「……えへへ」
「ふふっ」
「……でも、ナギちゃんにそんなに褒めてもらえるなら、頑張った甲斐があったかな」
「ええ。本当に頼もしいです」
「……えへへへ」
(……かわいいなぁ)
思わず笑みがこぼれた。
すると、ミカは突然こちらの顔を覗き込んできた。
「……ねえ、ナギちゃん」
「はい?」
「……私って、そんなに頼りなかった?」
「……え?」
「だって、ナギちゃんって今まで、ほとんど一人で仕事してたじゃん?」
「…………」
「私が手伝おうとしても、大丈夫ですって言ってたし……」
ミカは少しだけ視線を落とした。
「……だから、私じゃ駄目なのかなって思ってた」
「…………」
胸の奥が痛んだ。
(……ナギサ)
彼女が仕事を抱え込んでいた理由は、少しだけ分かった。
けれど、それを今ここでミカに話すつもりはない。
セイアの事件。
裏切り者への恐怖。
そして、仕事に没頭することで不安を紛らわせていたこと。
そんな事情を説明すれば、ミカはきっと自分を責めるだろう。
(……それは、今じゃなくていい)
俺は静かに微笑んだ。
「……ミカさん」
「……ん?」
「そんなことはありませんよ」
「……え?」
「ミカさんが頼りないと思ったことなど、一度もありません」
「…………」
「ただ、今までは少し余裕がなかったのかもしれませんね」
俺は、小さく息を吐いた。
「これからは、もう少し頼らせていただいてもよろしいでしょうか?」
ミカは目を丸くした。
そして。
「……もちろん!」
ぱっと笑顔になった。
「任せてよ! 私だってティーパーティーのホストなんだから!」
「ふふっ。そうですね」
「うん!」
その笑顔を見て、俺は心の中で小さく頷いた。
(……ナギサが戻ってきたら、こういう関係になってほしいな)
互いに信頼して、仕事を分担して。
時には喧嘩しても、最後には一緒に笑える。
そんな、ごく普通の友人関係。
(……絶対に、取り戻そう)
◇
「……そういえば、ナギちゃん」
「はい?」
「エデン条約の資料も、ちゃんと見ておいたからね」
「……ありがとうございます」
「ただし!」
ミカは人差し指を立てた。
「気になるところ、いっぱい書いておいたから!」
「……そうなのですか?」
「うん! だって、やっぱり色々おかしいと思うんだもん!」
俺は資料を手に取った。
そこには、いくつもの付箋が貼られていた。
『この条件、ゲヘナ側に有利すぎない?』
『警備の負担がトリニティに偏ってる気がする』
『そもそも、ここまで急いで決める必要ある?』
(……なるほど)
思った以上に、まともな指摘だった。
もちろん、すべてが正しいとは限らない。
しかし、少なくともミカが真剣に資料を読んでくれたことは伝わってくる。
「……ありがとうございます、ミカさん」
「……ん?」
「とても参考になります」
「……えっ」
ミカが驚いたように目を見開いた。
「……ほんと?」
「ええ。気になる部分については、改めて確認してみようと思います」
「……そっか!」
ミカは嬉しそうに笑った。
そして、少し期待するような目でこちらを見つめる。
「……ねえ、ナギちゃん」
「はい?」
「エデン条約って、やっぱり予定通り進めるの?」
「……そうですね」
俺は少し考えたあと、答えた。
「現時点では、締結に向けた準備を続けるつもりです」
「……えー」
ミカは不満そうに頬を膨らませた。
「やっぱり変わらないんだ」
「ふふっ。簡単に決められることではありませんから」
「……むぅ」
「ですが、ミカさんのご意見も参考にさせていただきますね」
「……ほんと?」
「ええ」
俺は微笑んだ。
「今後の進め方についても、必要があれば見直すことになると思います」
「……そっか」
ミカは少しだけ考え込んだ。
そして、小さく笑った。
「……じゃあ、また何か見つけたら教えてあげる!」
「ありがとうございます」
「えへへ。任せて!」
俺も、小さく笑った。
しかし、その胸の内では、別のことを考えていた。
(……やっぱり、少し時間が欲しいな)
エデン条約の準備。
アリウスへの対応。
そして、補習授業部のこと。
今のままでは、いくら時間があっても足りない。
(……半月、か)
十五日ほど延期できれば、もう少し余裕を持って動けるかもしれない。
もちろん、簡単に実現できるとは思っていない。
それに、日程を変えればアリウスの行動にも影響が出る可能性がある。
(……そこも含めて、明日考えよう)
今ここで、ミカに具体的な話をする必要はない。
まだ、何も決まっていないのだから。
「……でも、ナギちゃん」
「はい?」
「やっぱり、ちゃんと休まなきゃ駄目だからね?」
「……ええ」
「お仕事ばっかりしてたら、また倒れちゃうよ?」
「ふふっ。気をつけます」
「……絶対だからね!」
「はい。約束します」
ミカは、ようやく満足そうに頷いた。
◇
――午後六時五十分。
「……さて、ミカさん」
「んー?」
「そろそろ、今日はお開きにしましょうか」
「……あっ、もうこんな時間なんだ」
ミカが時計を見る。
窓の外は、すっかり暗くなり始めていた。
「……ナギちゃん、今日はもう仕事しないよね?」
「……ええ」
「ほんと?」
「ふふっ。本当ですよ」
ミカは、少し疑わしそうにこちらを見つめた。
「……約束だからね?」
「……はい」
「絶対だよ?」
「ええ。約束します」
すると、ミカはようやく安心したように笑った。
「……じゃあ、また明日ね!」
「ええ。また明日」
ミカは扉へ向かった。
しかし、退出する直前。
「……ナギちゃん!」
「はい?」
振り返ると、ミカがこちらを見つめていた。
そして、少し照れくさそうに笑う。
「……今日は、楽しかったよ!」
「……私もです」
「……えへへ」
ミカは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、おやすみ!」
「おやすみなさい、ミカさん」
扉が閉まる。
「……ありがとう、ミカ」
今日、彼女がいてくれて本当に良かった。
(……ナギサ。あの子は、ちゃんと頼れるよ)
原作での出来事を考えれば、まだ安心はできない。
それでも、今から少しずつ変えていけばいい。
(……さて、明日から忙しくなるな)
俺は机の上に残された書類を見つめた。
本来の担当者へ戻すもの。
ナギサ自身が確認する必要のあるもの。
既に仕分けは済んでいる。
(……あとは、明日の会議で話すだけだな)
そして、エデン条約についても考えなければならない。
(……できれば、半月ほど時間が欲しい)
そのためにどうするかは、明日改めて整理しよう。
俺は書類を揃え、部屋の明かりを落とした。
こうして、桐藤ナギサとして迎えた最初の一日が終わった。
まだ何も解決していない。
けれど、少なくとも。
(……少しは、いい方向に進めたかな)
そう思える一日だった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
今回はミカに仕事を手伝ってもらいました。
普段は自由奔放なミカですが、友達思いで優しく、いざという時には頼りになるところが魅力ですよね!
また、「評価の一言」と「感想受付設定」を変更しました!
これまでコメントできなかった方も、ぜひお気軽に感想をいただけると嬉しいです!
今後ともよろしくお願いします!