おとぎの国のクソデッキ〜ホビアニ世界の転生お嬢様、前世の禁止デッキをぶん回す〜 作:模範的セルフィア市民
廻れども縁は巡る①
御伽メイとして生まれて、九年ほどたった頃の事。
自分で歩けるようになり、自分でカードを持てるようになり、学校にも通うようになった。
その頃の俺は、少しずつ消えかけていた。
いや。
あの時、『俺』は消えるつもりだった。
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もう、金色の髪を梳かされることにも、裾を気にして椅子に座ることにも、ずいぶん慣れた。
「メイお嬢様、こちらのお色はいかがでしょう」
「ええ。そちらにいたしますわ」
鏡の前で、差し出されたリボンを選ぶ。
返事は、考えるより先に出た。
今日の服なら、そっちのほうが合うだろうなと、普通に思った。
結んでもらったあとで鏡を見る。
よくできたお嬢様がいた。
髪の先を少し直して、俺は朝食へ向かった。
この家での生活には、文句がなかった。
飯はうまい。部屋は広い。風邪を引けば心配されるし、学校で何かあれば話を聞いてもらえる。
父も母も、俺を大事にしてくれた。
学校から帰れば宿題をして、そのあとはカードを触る。
机へ向かう俺に、家の人が小さな足台を持ってきてくれることもあった。
椅子に深く座ると、床に足が届かないのだ。
背丈については、もう少し頑張ってほしかった。
「今日は午後から、開発の方が来るそうだよ」
「新しい試作機のお話ですの?」
「ああ。メイが気にしていたところも直したそうだ」
朝食の席で父がそう言った。
俺は、口の中のパンを飲み込んでから頷いた。
「楽しみですわ」
「お勉強が終わってからだからね」
「分かっておりますわ、お母様」
たいへん分かっている。
九歳児の勉強を終わらせないと、最新のクロスホルダーが触れないのである。
クロスファクターも大事だが、漢字の書き取りも大事だ。
午後、宿題を終わらせてから応接室へ行くと、見慣れた開発担当の人が、机の上へ箱を並べていた。
新しい入門用クロスホルダーの試作機。
俺は断ってから一台を手に取り、留め具を外した。
「こちら、前より開けやすくなっていますわね」
「ばねと、指をかける部分を変更しました」
「ええ。これなら、力を入れすぎずに済みそうですわ」
前の試作機は、俺の手では開けにくかった。
大人には気にならないらしいが、俺にはたいへん気になる。
画面をつける。
最初の案内が、大きな文字で表示された。
デッキを登録するための項目も、ひとつ目の画面にある。
前は、設定の奥だった。
「最初に遊びたい人が、最初に何をすればよいか分かるようになりましたわね」
「お嬢様のお話を受けて、順番を見直しました」
「説明書のほうも?」
「こちらです」
渡された冊子を開く。
今度は、箱を開けるところから始まっていた。
よし。そこからなら、初めての人もついていける。
こんなふうに、俺はクロスホルダーに口を出していた。
最初は、本当に口を出しただけだった。
新しいのは高い。最初に必要なものが分かりにくい。このボタンは小さい。説明の文字も小さい。
文句の多い子供である。
ただし、御伽家の令嬢だったので、文句が開発部へ届いてしまった。
回路を引いたり、部品を選んだりするのは、開発の人たちの仕事だ。
俺が知っているのは、もっと手前のことだった。
初めてカードゲームをする人が、どこで困るか。
カードを買いたい子供が、その前に何を買わなければならないか。
ようやく買ってもらった道具が、どこまでできれば嬉しいか。
「特別な演出を選ぶところは、ここから省いたのですわね」
「はい。通常のカード表示と対戦に必要な機能を残して、追加の演出は上位機種へ分けています」
「でしたら、よいと思いますわ」
カードが光る。
俺は大好きだ。
しかし、光るカードをさらに派手に光らせるための費用まで、最初の一台に含めなくてもよい。
好きになってから欲しくなるものは、好きになってから買えればいい。
まずは、遊ぶところまで来てほしい。
担当の人が、少し前に発売した機種の資料も見せてくれた。
店で買った人からの感想だ。
子供でも使えた。
誕生日に間に合った。
兄弟の分を揃えられた。
画面の隅に並んだ短い文章を、俺は一つずつ読んだ。
「……よかったですわね」
「ええ。本当に」
そう答えた人の顔が嬉しそうで、俺も笑った。
前世で強いデッキを作ったときとは、また違った気分だった。
会ったこともない誰かが、今、カードで遊んでいる。その最初の準備を、少しだけ手伝えたらしい。
御伽メイとして、できることがある。
そう思えるのは、悪くなかった。
学校にも、カードの話をする相手はいた。
新しいパックを開けたとか、昨日は父親に勝ったとか、そういう話を聞く。
俺もデッキを持っていく。休み時間にカードを見せ合い、今度はこれを使ってみようと言う。
楽しい。
そこに嘘はなかった。
けれど、ふと、昔の話をしかけることがある。
そのカード、出たばかりの頃は誰も使っていなかったんだよな。
大会で当たったやつが、そいつを四回も出し直してきてさ。
あのとき、後ろで見ていたお前が、笑いすぎて怒られたんだっけ。
口を開く前に、思い出す。
その大会は、この世界では開かれていない。
あの対戦を見ていたやつも、ここにはいない。
「メイちゃん?」
「……いえ。面白いカードだと思いまして」
そう返せば、会話は続いた。
その子の好きなカードの話を聞けばいい。
俺の知っている昔話を挟まなくても、何も困らない。
家で、一人になる時間もあった。
机の引き出しには、こちらへ来てから書いたノートが入っていた。
カードの名前。デッキの動き。覚えている大会の順番。
忘れたくなくて、まだ字を書くのが下手だった頃から、少しずつ書き留めたものだ。
ページをめくると、ところどころに、対戦の記録と関係のないことが書いてある。
帰りに何を食べた。
誰が電車を乗り過ごした。
遠征先の宿で、夜中まで調整をして、翌朝みんなで寝坊しかけた。
デッキのことより、そういうところで手が止まる。
読み返せば覚えていた。
忘れたわけではない。
相手の声も、言い方も、そのとき自分が何を返したのかも、ちゃんと思い出せる。
ただ、それを声に出して話すことがなくなった。
「わたくしは」
ある晩、机に向かったまま、試しに言ってみた。
俺は、と言うつもりだった。
出てきたのは、いつもの声だった。
最初の頃は、何度も試した。
一人ならどうだ。小声ならどうだ。口の形だけ変えてみたらどうだ。
結果は、大して変わらなかった。
慌てても、腹を立てても、口から出るのは御伽のお嬢様の言葉だった。
今は、わざわざ試すことも減っていた。
この喋り方で不便はない。
周りはこれが御伽メイだと思っている。俺も、考えたことが別の言葉になって出てくるのを、いちいち気にしなくなった。
昔はどう喋っていたか、確かめることさえ減っていた。
ノートを閉じる。
明日の時間割を確かめ、教科書を揃えた。
髪を乾かしてもらう時間だった。
前の世界で自分に何があったのかは、覚えていない。
どうしてこちらにいるのかも、分からないままだ。
考えたところで、続きを思い出せるわけではなかった。
『俺』だった記憶を持って、御伽メイとして暮らしている。
確かなのは、それだけだ。
この家の娘として過ごす日々には、ちゃんと楽しいことがある。自分からやりたいと思うことも、増えてきた。
いつまでも、誰も知らない昔の自分を抱えていなくてもいい。
『俺』ではなく、『わたくし』として生きる。
それも、悪くない。
ノートは、十歳の誕生日に処分するつもりだった。
そうして、『俺』と決別する。
ホルダーのカレンダーにも、その予定を入れてある。
決めたはずなのに、今夜も見返してしまった。手元にある限り、きっと同じことを繰り返す。
『わたくし』として生きるために、ちゃんと区切りをつけようと思っていた。
そう思っていた頃に、その知らせは来た。