ユニット・ライフ   作:マリアベル

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タクティクスrpgが好きです


変化

 

 視界の右隅に、極小の光点が爆ぜた。

 それは瞬きをしても、指先で瞼を強く擦っても消えなかった。眼球の内側、網膜の表面に直接焼き付いたような青白い光の粒は、脈打つ心拍に同期するようにじわりと滲み、やがて幾何学的な紋様を伴って左右へと急速に展開していった。

 

「……なんだ、これ」

 

 斑鳩錬いかるがれんは、大学の講義ノートを広げたままの安普請な木製デスクの前で、小さく呟いた。

 ワンルームの六畳間。西日がレースのカーテンを透かして床のフローリングを赤褐色に染めている。エアコンの微かな駆動音と、遠くを走る幹線道路の走行音だけが響く、ありふれた休日の夕暮れだった。

 頭痛はない。吐き気や目眩もない。酒を飲みすぎたわけでもない。体調は至って平時そのものだった。しかし、目の前に広がる光景だけが、明白に常軌を逸していた。

 視界の中央を覆い尽くすように、透過性のある高精細な半透明ウィンドウが浮かび上がっていた。

 それはスマートフォンの画面を何重にも拡大して両目の視野角いっぱいに貼り付けたかのような、極めて洗練されたユーザーインターフェースだった。重厚な装飾が施された石造りのレリーフを模したフレームに、深紅と金のアクセント。上部にはいくつかの数値の並ぶステータスバーがあり、中央には見慣れない用語が並んでいる。

 

 視線を右へ動かせばウィンドウも滑らかに追従し、瞬きを三度繰り返しても、焦点を窓の外の電柱に合わせても、インターフェースは一定の被写界深度を保ったまま視界に居座り続けた。

 画面の下部にはいくつかのタブが並んでいた。『編成』『ユニット』『アイテム』『ショップ』『召喚』『クエスト』――。

 

「……ゲーム、の画面?」

 

 錬は浅く息を呑んだ。

 趣味として家庭用ゲームや流行りのスマートフォン向けアプリを広く浅く遊んだことはある。だが、この独特の重厚な意匠、中世ファンタジーの錬金術や魔導文明を想起させるようなデザインには見覚えがなかった。『誰ガ為のアルケミスト』という題名すら、彼の記憶の片隅には存在しない。

 脳腫瘍か、あるいは突発性の統合失調症による幻覚だろうか。不吉な推測が脳裏をよぎり、背筋に冷たい汗が流れた。鏡を見ようと椅子から立ち上がり、ユニットバスの扉を開けて鏡面を覗き込む。

 鏡の中に映るのは、くたびれた無地の黒Tシャツを着た、黒髪短髪のどこにでもいる二十一歳の男だ。いつもの自分だ。生まれてから付き合ってきたパッとしない顔がそこにあった。目の充血等の外傷もない。素人判断だが、何かしらの異常は見受けられなかった。だが、鏡の中の自分の顔の上に、あの半透明のウィンドウが重なって見えていた。スマートフォンのカメラアプリ越しに見ているわけではない。彼の「視覚そのもの」に、外部の何かが映像を直接流し込んでいるのだ。

 試しに手を伸ばしてみたが、指先は空を掻くだけだった。ガラス板のような感触はなく、風が切れるだけ。

 しかし、何気なく視線を『召喚』のアイコンに強く固定した瞬間だった。

 カチリ、と頭蓋の奥で小さな機械音が鳴った。

 ウィンドウが一瞬で切り替わり、視界いっぱいに巨大な石造りの門のような背景が現れた。中央には豪奢な装飾が施された召喚陣が描かれており、その中央で淡い光が脈動している。

 

【チュートリアル召喚を実行できます】

【消費幻晶石: 0】

 

 視界の右下に、簡素なシステムログが淡い白文字で流れた。

 音声案内はない。耳元に響くファンファーレもなければ、天から降り注ぐ啓示の声もない。ただ静まり返った部屋の中で、無機質なシステムだけが彼の入力を待っていた。

 悪戯にしては手が込みすぎている。VRゴーグルを装着させられている感覚もない。

 錬は唾を飲み込み、喉を鳴らした。普段の彼ならば、得体の知れない現象には関わらず、すぐに救急車を呼ぶか脳神経外科の夜間窓口を調べる道を選んだはずだった。波風を立てず、安全圏で平穏に生きることこそが、斑鳩錬という青年の行動指針だったからだ。

 だが、この時ばかりは、眼前に突きつけられた異質すぎるリアリティに、理屈を超えた奇妙な衝動が勝った。

(……押したら、どうなる?)

 視線を『召喚を実行』のボタンに合わせ、意識の中で「決定」を念じた。

 瞬間、視界の全方位が閃光に包まれた。

 現実の部屋の風景が一時的に白く染まり、召喚陣の中央から天へと奔る光の柱が立ち昇る。光の奔流の中で、幾重にも重なるクリスタルが高速で回転し、やがて激しい火花とともに一つの結晶が弾け飛んだ。

 炎のような赤色の光が収束し、人型のシルエットを結んでいく。

 

【UNIT GET!】

 

 視界の正面に、鮮明な三次元グラフィックで描かれた一人の青年の立ち絵が浮かび上がった。

 赤と茶色を基調とした軽快な革鎧に身を包み、肩や胸部には簡素ながら頑強そうな鉄の装甲が打ち付けられている。無造作に跳ねた明るい茶髪、屈託のない笑みを浮かべた精悍な顔立ち。腰には幅広の片手剣――ブロードソードが佩かれていた。

 画面上部には、星の記号が二つ並んでいる。

 

【★2 ランベル】

【属性: 火】

【ジョブ: 戦士 Lv.1】

【出身: エンヴィリア】

 

 ウィンドウの下部に、そのキャラクターの素性とおぼしきテキストが表示されていた。

『エンヴィリア生まれの傭兵。各国を放浪して叩き上げた我流の剣技が彼の武器である。エンヴィリアの騎士団からスカウトされたこともあるが、元々ひとつの場所にとどまることが苦手なため、誘いは断ったそうだ』

「ランベル……傭兵、か」

 星が二つ。ゲームの通例から考えれば、最高レアリティなどでは決してない、ごく初期の低レアリティユニットなのだろう。

 だが、その造形は驚くほど細部まで緻密だった。UIに映る青年がまるで実物を目の前に置いているかのような質感を持って投影されている。

 錬が呆然とそのステータス画面を眺めていると、画面の右下に、これまでのどのゲームUIでも見たことのない、異質なアイコンが点滅を始めた。

 

【現実投影: 実行可能】

 

「現実……投影?」

 声に出した瞬間、システムログが小さく更新された。

 

【選択ユニットの生体情報・装備・技術を術者の肉体へ展開します】

【対象: ★2 戦士 ランベル】

【同調プロセスを開始しますか? YES / NO】

 

 心臓が大きく跳ねた。

 現実投影。生体情報の展開。その言葉が意味する不気味さと、途方もない非現実感に、錬の全身の毛穴が収縮する。

 これを肯定すれば、自分の身体に何が起きるのか。痛みを伴うのか。それとも、単なる悪質な幻覚がさらに悪化するだけなのか。予測できない未知が怖い。

 恐怖が首筋を撫でた。やめておけ、と理性が警鐘を鳴らす。病院にでも行って専門家と相談した方がいい。こんなのは幻覚だ、疲れているんだと自問自答する。

 しかし――鏡に映る自分の、あまりにも無力で平凡な輪郭が目に入った。

 秀でた才能もなく、誇れる特技もなく、ただ敷かれたレールの上を波風立てずに歩いてきただけの自分。その日常の裂け目に、突如として転がり込んできた絶対的な超常現象。

 もし、もしも本当に日常が変わる何かがそこにあるならば。

「……」

 震える息を吐き出しながら、錬は覚悟を決めた。

 視線を【YES】に固定する。

 

 ――カチリ。

 

 世界が一変した。

 激痛はなかった。肉が裂ける苦悶も、骨が軋む衝撃もない。

 ただ、全身の皮膚の表面を、あたたかい光の粒子が猛烈な密度で包み込んだ。

 直後、視界の高さが、唐突に数センチメートル跳ね上がった。

「え――」

 思わず漏れた声は、錬自身の聞き慣れた中音域の声色ではなかった。

 幾分か低く、喉の奥からよく通る、若々しく張りのある青年の声。

 そして次の瞬間、全身を襲ったのは圧倒的な「異物感」だった。

 重みがある。

 両肩と胸部に、確かな質量を伴った硬質素材の圧迫感がある。首筋をかすめる粗野な布の感触。ロイヤルブルーの布地と、光沢のある鈍銀色の金属装甲。要所にゴールドの縁取りや青く輝く意匠が配されている現実ではあまり見られない配色。胸部から腹部にかけては頑丈な銀の胸当てを装着。肩には段状に重なる重厚な肩当てを備え、下には濃紺の長着を重ねている。下半身は大腿部から膝、脛にかけて強固な銀と金の装甲で覆われ、足元は頑丈な金属製の甲冑靴で固められている。

 さらに、右手に強烈な遠心力と重量の偏りを感じた。

 反射的に右手を受話器のように下ろすと、そこには冷たい金属の感触があった。柄頭から鍔に至るまで、身の丈ほどの大きさもある無骨に鍛え上げられた鉄の剣――ブロードソードの柄が、確かにそこにあった。

「う、わ……っ」

 バランスを崩しかけ、錬はとっさに右足を踏み出した。

 ドスン、と床を踏み鳴らす重厚な足音。六畳間の薄いフローリングが軋みを上げる。

 慌てて洗面台の鏡へと目を向けた。

 息が止まった。

 鏡の中に立っていたのは、斑鳩錬ではなかった。

 身長はおよそ百七十五センチ。錬より五センチほど高く、肩幅は一回りも二回りも広い。胸板は厚く、腕の筋肉甲は無骨に引き締まり、肌には歴戦の擦り傷が薄く残っている。

 短く跳ねたアッシュグレーの髪。切れ長の瞳は、鋭い野性と人懐っこさを同居させた光を湛えていた。

 先ほど画面の中で見た、エンヴィリアの傭兵――『ランベル』そのものだった。

 

「……本当に、身体が……変わったのか?」

 

 口を開けば、鏡の中のランベルの唇が寸分違わず同じ動きで動く。

 恐る恐る自分の頬に手を当ててみた。触れている指先は得物を長く振るってきた影響か硬くタコができており、触れられている頬の皮膚の張りも、骨格の角張り方も、これまでの自分とは根本的に異なっていた。

 だが、中身は間違いなく斑鳩錬だった。記憶も、思考も、困惑している自意識も、何一つ奪われていない。ランベルという人格が頭の中に語りかけてくるわけでもない。ただ、錬の精神が、ランベルという規格の「容れ物」にそのまま移し替えられたような感覚だった。

 不思議なことに、精神的な消耗は一切感じられなかった。

 突然肉体を丸ごと作り変えられたというのに、脳への負荷や神経の焼き切れるような感覚は皆無だ。

 それどころか、肉体的な疲労すら完全にゼロだった。

 本来、運動不足の文系大学生が鉄の甲冑を着込み、数キログラムはある真剣を腰にぶら下げれば、それだけで腰や膝にずっしりとした疲労と重圧がかかるはずだ。だが、この身体には乳酸の蓄積も、息苦しさも、関節の軋みも全く存在しなかった。ただ純粋に、鍛え抜かれた傭兵の筋力と持久力が、そのまま物理現象として稼働している。

 錬は震える右手でブロードソードの柄を握った。

 その瞬間、脳のシナプスへ直接流し込まれるように、鮮烈な感覚がインストールされた。

 

(……あ)

 

 柄の握り方。指の掛け具合。重心の取り方。

 剣道もフェンシングもやったことのない素人のはずなのに、親指と人差し指をどう締め、小指でどう刀身のブレを抑えるべきかという「身体の使い方の記憶」が、最初から筋肉に染み付いているかのように理解できた。

 我流。正規の騎士団が教えるような洗練された型ではない。泥臭く、実戦で生き残るためだけに削ぎ落とされた、荒々しい剣術の身体感覚。

 身の丈ほどある大刀を片手で軽々と持ち上げる。

 曇りのない鋼の刃が、夕暮れの光を鈍く跳ね返す。

 本物だ。モデルガンや舞台用の模造刀ではない。本物の、人を斬るための鉄塊であり、凶器だった。 

 

「ひ……っ」

 

 思わず自らの予想を上回る刃の鋭さと、見た目からわかる殺傷力に気圧され、錬は慌てて剣を鞘へと押し戻した。

 身体能力や技術がインストールされたところで、錬自身のメンタリティはただの一般人のままだ。真剣の重みと刃の鋭利さを目の当たりにしただけで、背筋が粟立ち、心臓が早鐘を打つ。

 万能の英雄になったような高揚感など、微塵も湧かなかった。むしろ、狭い六畳間のアパートで、本物の甲冑と真剣を身にまとって立っていることの異常性と危険さに、冷汗が止まらなくなっていた。

(まずい、もしアパートの壁に傷でもつけたら……いや、それ以前に誰かに見られたらどう説明するんだ? コスプレで通るか? この装備は言い訳がつかないだろ)

 慌てて部屋のカーテンを閉め切った。

 視界の端で、ステータス画面が静かに数値を表示し続けている。

 

【ランベル / Lv.1】

【HP: 245 / 245】

【ジュエル: 32 / 100】 

 

 幸いなことに、体力ゲージは満タンのままだ。

 だが、この姿のままでいることはあまりにもリスクが高すぎる。

「も、戻る……解除! 現実投影の解除!」

 声に出し、同時に意識の中で強く念じた。

 身体が、再び淡い光の粒子に包まれた。

 今度は視界の高さが数センチ下がり、両肩と腰にかかっていた武具の重量が、煙のように霧散していく。

 光が完全に消え去った時、錬は元の薄手の黒Tシャツとスウェットパンツ姿に戻っていた。

 手に持つブロードソードはなく、身体には甲冑はなく黒いTシャツ。フローリングの上に、裸足の足裏がぺたりと張り付いていた。

「はぁ……っ、はぁ……っ!」

 錬はその場にへたり込み、デスクの脚に背中を預けた。

 息が乱れているのは、肉体的な疲労によるものではない。ただ純粋に、精神的な極度の緊張と恐怖による過呼吸だった。

 身体を確かめるように自分の両手をさすり、腕を揉む。いつもの、少し肉付きの薄い二十一歳の腕だ。傷痕もなければ、硬いタコもない。

 だが、視界の隅には依然として、あの半透明のインターフェースが揺るぎなく存在し続けていた。 

 

【現実投影を解除しました】

【ユニット『ランベル』の状態: 正常(待機中)】

【現在のプレイヤーRank: 1】

 

 夢でも幻覚でもなかった。

 自分の網膜にだけ現れるこの謎のシステムは、確かに現実の物理空間と接続されており、自らの肉体を別の存在へと置き換える力を持っている。

 しかも、召喚されたのはまだ『★2』のユニット一体だけだ。このシステムがゲームの体裁を保っている以上、さらに強力な存在や、未知の技術、魔法を持つユニットすら存在する可能性がある。

「……何なんだよ、これ……」

 静まり返った六畳間で、錬は震える両手で顔を覆った。

 一介の大学生だった。ついさっきまで貴方は大学のレポートを作成いた筈だった。ただの日常を過ごしていた。けれど、それは唐突になんの前触れもなく自身を未知へと引き入れたのだ。

 

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