ユニット・ライフ 作:マリアベル
タガタメシリーズの新作が出るらしい
フローリングの冷たさに背中を預けたまま、錬はしばらくの間、乱れた呼吸を整えることだけに意識を割いた。
天井の丸い蛍光灯が白々と部屋を照らしている。耳を澄ませば、遠くの幹線道路を走る大型トラックの重い排気音や、隣室の住人が立てる微かな生活音が薄い壁越しに届いてくる。先ほどまで自分が立っていた場所、そして掌に確かに残っていた鋼の感触だけが、この六畳間の日常から完全に浮き彫りになって剥離していた。
「……動け、自分」
膝に両手を当て、軋む身体を叱咤して立ち上がった。
よろめく足取りでデスクから離れ、壁際に置かれた小さな二人掛けのファブリックソファーへと倒れ込むように腰を下ろす。大学に入学した際、リサイクルショップで数千円で買い叩いた安物だ。背もたれのクッションはへたり、腰掛けるたびに内部のスプリングが鈍い金属音を立てる。
その粗末な沈み込みの感触が、いまの錬にとっては奇妙なほどありがたかった。現実の質量に押し返されているという事実だけが、発狂の淵に踏みとどまるための命綱のように思えたからだ。
テーブルに置かれていたペットボトルを掴み、キャップを捻る。常温のミネラルウォーターを一気に喉へと流し込んだ。無味乾燥な液体が食道を通り、胃袋へと落ちていく感覚に集中する。冷え切った内臓がキュッと縮こまり、ようやく頭の奥にこびりついていた熱がわずかに引いていくのが分かった。
だが、それでも。
目を閉じても、まぶたの裏に焼き付いた半透明の幾何学模様は消えない。目を開ければ、みすぼらしい六畳間の景色の上に、重厚な石造りのフレームと鮮烈な文字情報が、当たり前のような顔をして重層的に投影されていた。
【プレイヤーLv: 1】
【EXP: 0 / 100】
【ゼニー: 0】
【幻晶石: 0】
【AP: 80 / 100】
(……AP? それに、80?)
錬は眉をひそめた。
ゲーム用語で言えば、APとはアクションポイントやスタミナのようなものだろう。だが、なぜ最初から満タンの100ではなく、中途半端に20も減って80になっているのか。この異能が発現した瞬間からそうだったのか、それとも無意識のうちに何かを消費してしまったのか。今の錬には見当もつかなかった。
視界の右下には、解除されたばかりのシステムログが静かに佇んでいる。
夢ではない。脳の病気や一時的な神経のバグで片付けるには、先ほど全身を包み込んだ金属の重みと、刃の冷徹な殺傷力はあまりにも生々しすぎた。
「……落ち着け。まず、調べろ。前例があるかもしれない」
錬はポケットから自分のスマートフォンを取り出した。画面の指紋認証を解除し、検索ブラウザのアイコンをタップする。指先が微かに震えて、フリック入力が何度か空振りを起こした。
検索窓に、思いつく限りの単語を打ち込んでいく。
『視界 ステータス画面 半透明ウィンドウ』
『目の中にゲーム画面が見える 原因』
検索結果に並んだのは、眼科疾患や精神医学に関するウェブサイトの羅列だった。
網膜剥離の前兆として現れる光視症。偏頭痛に伴う閃輝暗点。過度なストレスや睡眠不足による幻視。あるいは統合失調症の初期症状。医学用語の解説記事をいくつかスクロールしてみたが、どれもピントが外れていた。光のギザギザが見えるだの、黒いゴミが飛んでいるように見えるだのといった症状と、高精細なフルカラーのユーザーインターフェースが視界に整然と配置されている現状とでは、次元が違いすぎる。
舌打ちを一つ漏らし、今度はオカルトや創作寄りのキーワードへと舵を切った。
『現実投影 異能 ステータス』
『肉体がゲームのキャラに変わる現象』
『エンヴィリア ランベル』
大手匿名掲示板のまとめサイトや、ネット小説の投稿プラットフォームのリンクが画面を埋め尽くした。
中二病を拗らせたネットユーザーの妄想スレッド。「もし現実にステータスが見えたらどうする?」という他愛のない雑談のログ。あるいは、既存の様々なファンタジー作品の固有名詞が断片的に引っかかるばかりで、いま錬の身に起きている現象の核心を突くような情報は、どれだけ深く掘り下げても一行たりとも見当たらなかった。
エンヴィリアという単語に至っては、実在の地名でもなければ、一般的な神話や歴史の辞書にも載っていない架空の王国名らしいということしか拾えない。
「……駄目か。そりゃそうだよな」
スマートフォンの電源ボタンを押し、画面を暗転させた。
黒いガラス板に、酷く疲れ果てた自分の顔が反射する。
世界中の誰も知らない。国家も、医療機関も、警察も、ネットの集合知すらも預かり知らぬ超常現象が、東京の片隅にある何の変哲もない安アパートの一室で、斑鳩錬という平凡極まりない一人の学生だけに突きつけられている。
その絶対的な孤立の事実が、じわりと胸の奥を冷たく締め付けた。
誰にも相談できない。
親兄弟に連絡したところで「頭がおかしくなったのか」と精神科へ連れて行かれるのがオチだ。友人に話せば悪質な冗談として笑い飛ばされるだろう。もし目の前で『現実投影』を実演してみせれば――どうだろうか。化け物として通報されるか? 面白いとネットの晒し者になるか。それとも、親身に相談に乗ってくれるだろうか。否、それは解決にはならない。
とりあえず、この力が真実だったとして、それが世の中にバレて身柄を拘束されて研究機関の解剖台行きになる可能性は無くさねばならない。
ソファーの背もたれに深く頭を預け、天井を仰いだ。
視界の中央には、依然として青白い光の枠が揺るぎなく浮かんでいる。
ネットに答えがないのであれば、目の前にあるこの「現象そのもの」から情報を引き出すしかない。逃げることも、目を背けることもできないのだ。眼球を抉り取らない限り、このシステムは錬の視界に居座り続けるに違いなかった。
「…………」
恐怖と混乱の波が一段落したそのあとに、奇妙な感情が澱のように残っていることに、錬は気がついた。
胸の奥。みぞおちのあたりが、微かに、熱を持っていた。
それは恐怖とは真逆のベクトルを向いた、ごく小さな、けれど確かに脈打つ――高揚感だった。
誰にも言えない。常識ではあり得ない。
しかし、それは裏を返せば、退屈で、平坦で、何の変化も起きないはずだった自分の人生に、映画やゲームの中だけに許されていた「超常の力」が舞い込んできたということではないのか。
幼い頃、誰もが一度は夢想したはずの空想。特別な力に目覚め、理不尽な現実の枠組みを飛び越える存在になるという万能への憧れ。
先ほどは刃物の重さと殺傷力に怯えて無様に解除してしまったが、もしあの身体を、あの筋力と剣技を自在に扱えるようになったとしたら――。
(……いや、調子に乗るな)
錬は小さく首を横に振った。浮つきかけた思考に冷水を浴びせかける。
自分は武術の心得などない、ただの一般人だ。腕っぷしが強いわけでも、肝が据わっているわけでもない。先ほど真剣を数センチ抜いただけで心臓が破裂しそうになった男が、万能の英雄を気取れるはずがないのだ。できることと、できないことを履き違えれば、簡単に命を落とす。
過度な思い上がりを慎重に押し殺しながら、錬は視界のインターフェースへと再び意識を集中させた。
(知るべきだ。この力が何で、自分に何ができて、何ができないのかを)
意識を向けると、視界のウィンドウが主人の呼応に応えるように一段明るさを増した。
ステータスバーの右端、装飾フレームの隅に、小さな赤い光――「!」のバッジがついた二つのアイコンが明滅しているのが目に入った。
一つは封筒の形をした『ギフト(プレゼントBOX)』。
もう一つは、広げられた羊皮紙の巻物を模した『ミッション』のアイコンだった。
(未読の通知……? 何か届いているのか)
錬はまず、封筒の形をした『ギフト』のアイコンに視線を固定した。
カチリ、と耳の奥で微かな操作音が鳴り、画面の中央に重厚なリストが展開される。
【ギフト一覧(未受取: 6件)】
・【初回登録特典】: 幻晶石 × 500
・【初回登録特典】: 5,000 ゼニー
・【初回登録特典】: 経験の林檎 × 5
・【初回登録特典】: スキップチケット × 1
・【初回登録特典】: ミアンヌの欠片 × 80
・【初回登録特典】: 初回登録限定10連ガチャチケット × 1
「……これは」
思わず息を呑んだ。
ソーシャルゲームのサービス開始時や初回登録キャンペーンで配られるような、破格のスターターセットがそのまま並んでいた。
各アイテムの横には、丁寧な注釈テキストが添えられている。
『幻晶石 500個: 250個でレア召喚が1回利用可能な錬金術の結晶』
『5,000 ゼニー: ショップでの買い物や装備品の錬成、アビリティ強化など様々な機能に使用するゲーム内通貨』
『経験の林檎 5個: ユニットに与えることで経験値を獲得させ、即座にレベルを引き上げる果実』
『スキップチケット 1枚: 任意のクエストを1点選択し、戦闘や探索の過程を完全に省略して、そのクエストから得られる報酬や経験値を即座に獲得・回収できる特殊な転写チケット』
『ミアンヌの欠片 80個: メニューの「ユニット」→「欠片ユニット」から「ミアンヌ」を選択することで、ユニットとして錬成可能』
『初回登録限定10連ガチャチケット 1枚: レア召喚を10回連続で実行できる特別な召喚券』
(……スキップチケット。任意のクエストを選んで、戦闘と探索を省略……?)
錬は注釈を何度も読み返した。
ゲームの世界であれば「クリア済みのステージを周回するための時短アイテム」として定番のものだ。だが、この現実において「戦闘や探索の過程を省略して報酬だけを獲得する」とは、一体どういう現象を引き起こすのか。
もし今後、解放されるクエストの中で命の危険を伴う戦闘や過酷な探索に直面したとしても――このチケットを使えば、自分の生身を危険に晒すことなく、安全圏にいながら結果と報酬だけを手元に引き寄せることができるということなのか。
現実の因果律を丸ごと飛び越えるような、あまりにも強力で不気味なショートカット機能だった。
画面の下部には、【一括受取】のボタンが淡く発光している。
錬が意識の中でそのボタンを押し込むと、澄んだクリスタルのチャイムのような音が部屋中に響き渡るような錯覚とともに、光の粒子が手元へ吸い込まれるエフェクトが走った。
【アイテムを受け取りました】
【所持幻晶石: 0 → 500】
【所持ゼニー: 0 → 5,000】
【アイテム、チケット、ユニットの欠片がそれぞれ該当倉庫へ格納されました】
画面上部のステータスバーが一瞬で書き換わる。
ただの映像的な数字の変動に見えるが、先ほどのランベルの肉体のように、これが現実の物質や能力として行使できるものなのだとすれば、途方もない資産を手に入れたことになる。
背筋に走る奇妙な現実感に息を呑みながら、錬は次に、もう一つの赤い通知――『ミッション』のアイコンへと視線を向けた。
巻物が滑らかに広がるアニメーションとともに、ミッション画面が表示された。
画面の上部には、四つのタブが整然と横並びに配置されていた。
『デイリーミッション』『レコードミッション』『期間限定ミッション』『イベントミッション』。
それぞれのタブの端にあるインフォメーションを注視すると、詳細な仕様説明が浮かび上がった。
【ミッション機能について】
・デイリーミッション: 毎日0:00に更新される日課課題。達成によって日々のプレイヤーEXPや活動リソースを獲得でき、獲得ミッションポイントに応じて段階報酬が付与される。
・レコードミッション: 術者の歩み、試練の踏破、ユニット育成、限界突破など、恒久的な到達実績に応じて記録される課題。一度達成した報酬は取り消されることなく、大量の幻晶石や魂の欠片、専用装備の欠片といった貴重な資材として還元される。
・期間限定ミッション: 特定の期間内にのみ挑戦可能な特別課題。現在【スタートダッシュミッション】が開催中(期間: 異能発現より7日間)。新米術者の急激な成長を支援するための段階的ミッションが設定されている。
・イベントミッション: 開催中の特別イベントクエストや限定試練に連動して展開される専用課題。特殊な武具の欠片や限定ユニットの育成素材などを獲得可能。
(デイリー、レコードに加えて、期間限定とイベント……)
錬は感嘆の息を漏らした。
まず『デイリーミッション』に視線を合わせるが、そこには頑丈そうな南京錠のマークがかかってロックされていた。【プレイヤーLv 2で解放】。日々の課題に挑む前に、まずは最低限の資質を証明しなければならないらしい。
次に『期間限定ミッション』のタブを選択してみる。
そこには、黄金の輝きを放つ大きなバナーが展開されていた。
【スタートダッシュミッション開催中!(残り期限: 7日 00時間)】
・『プレイヤーLvを2に到達させよう』: 未達成(進捗: 1/2)
└ 報酬: 幻晶石 × 100
・『ユニットをLv2まで強化しよう』: 未達成
└ 報酬: 経験の林檎 × 10
・『いずれかのユニットの限界突破を1回行おう』: 未達成
└ 報酬: 10,000 ゼニー
・『いずれかのクエストを1回クリアしよう』: 未達成
└ 報酬: スキップチケット × 3
・【全スタートダッシュミッション完全達成報酬】: ★4以上確定召喚チケット × 1
(7日間限定の、集中育成ミッション……!)
目を凝らして内容を追う。初心者向けのガイドラインでありながら、達成すれば大量の石や経験値、さらには確定召喚チケットまで手に入る破格のボーナスだ。今の錬にとって、次に何をすべきかを示す明確なロードマップになっていた。
隣の『イベントミッション』のタブも覗いてみたが、こちらは現在のところ【開催中のイベントはありません】と静かに表示されているだけだった。今後、現実世界で何らかの異常事態やイベントが観測された際に開放されるのだろう。
そして錬は、『レコードミッション』のタブを選択した。
そこには無数の実績一覧が並んでいたが、その最上段にある三つの項目に、燦然と輝く赤い【達成済】のスタンプが押されていた。
【レコードミッション達成】
・『異能への目覚め(チュートリアル召喚を完了)』:達成済
└ 報酬: プレイヤーEXP +50、幻晶石 × 50
・『歩み出し(最初の一歩を踏み出す)』:達成済
└ 報酬: プレイヤーEXP +50、1,000 ゼニー
・『ランベルへの現実投影(ユニットへの同調を初実行)』:達成済
└ 報酬: ランベルの魂の欠片 × 5、ブロードソードの欠片 × 5
「……っ」
錬の喉が微かに鳴った。
『ランベルへの現実投影』――先ほど、この狭い部屋で恐怖に震えながらランベルの身体へと変身したあの行動が、システム側によって確実に固有の実績として観測され、判定されていたのだ。
誰にも見られていないはずの密室の出来事が、この謎の機構には克明に筒抜けになっている。不気味さと同時に、自らの取った行動が正しくシステムに反映されているという奇妙な手応えが胸を突いた。
(受け取る……!)
意識の中で【報酬を一括受取】を選択する。
瞬間、視界の中央で金色のサークルが激しく回転し、心地よい重低音のシステム音が頭蓋を揺らした。
【報酬を受け取りました】
【所持幻晶石: 500 → 550】
【所持ゼニー: 5,000 → 6,000】
【ランベルの魂の欠片 × 5、ブロードソードの欠片 × 5 を獲得しました】
【プレイヤーEXP: 0 → 100】
【PLAYER LEVEL UP!!】
【Lv 1 → 2】
【APが全回復しました(AP: 80 → 120 / 120)】
【新機能が解放されました: 『クエスト』『デイリーミッション』】
「レベルが……上がった?」
ステータスバーの【プレイヤーLv: 1】が、滑らかに【2】へと切り替わっていた。
二つのミッションで得たEXP(50+50=100)がそのまま加算され、必要経験値を満たして昇格したのだ。
そして、先ほどまで「80」だったAPの数値も、レベルアップの恩恵によって「120 / 120」へと上限ごと全回復している。
それと同時に、先ほどまで鈍い灰色で沈んでいた下部タブの『クエスト』と、先ほどの『デイリーミッション』から鍵のマークが外れ、鮮やかな光を帯びてアクティブ化するのが見えた。
さらに、視界の隅で小さなログが跳ねる。
【スタートダッシュミッション『プレイヤーLvを2に到達させよう』を達成しました】
【未受取の報酬があります: 幻晶石 × 100】
(連鎖して、スタートダッシュのミッションまで達成されたのか……!)
錬はすぐさま意識を向け、その報酬も手元へと引き寄せた。再び小さく響くシステム音と共に、ステータスの数値が更新される。
【報酬を受け取りました】
【所持幻晶石: 550 → 650】
自分の行動一つで、閉ざされていた世界の扉が順を追って開かれていく。
恐怖の底でくすぶっていた高揚感が、一段と熱を帯びて全身を駆け巡った。
錬は深呼吸を一つ挟み、解放されたメニューを横目に、まずは現状の資産と手持ちの戦力を洗い直すことにした。
ギフトの受け取りとミッション報酬の獲得によって、現在の所持リソースは大きく潤っていた。
【プレイヤーLv: 2】
【EXP: 0 / 150】
【ZENY: 6,000】
【幻晶石: 650】
【AP: 120 / 120】
石は合計で650個。レア召喚の消費が250個であるなら、二回引いてもまだ手元に150個残る計算だ。
さらに、手元には先ほど受け取った『初回登録限定10連ガチャチケット』が1枚丸ごと眠っている。
確認のために『召喚』のタブを開くと、石造りの召喚陣の背景とともに、視界の上部に派手な金文字の告知バナーが大きく展開された。
【スタートダッシュキャンペーン開催中!】
【特典: 7日間限定! 毎日レア召喚1回無料!】
【本日の無料召喚: 利用可能(残り1回)】
「……毎日1回、無料召喚?」
画面を見つめる錬の目が丸くなった。
石を消費するまでもなく、今日から一週間の間、毎日タダでレア召喚を回せるというのだ。
10連チケットに、石による単発召喚が2回、そして今日の無料分が1回。
今この場ですぐにでも、合計13回もの召喚を行うことができる。
(いや……待て。引くのは簡単だが、冷静になれ。 まださっきの奴だって未知数なんだ)
錬は逸る指先をギュッと握りしめた。
先ほどのランベルですら、真剣の殺傷力と鎧の重みに気圧されて冷汗を流したのだ。もしここで10連召喚を回して、規格外の大魔法使いや重装甲の騎士、あるいは人外の異形でも現れたらどうする?
手持ちのリソースを使い切る前に、まずは手に入れたばかりの確定戦力を確認するべきだった。
召喚画面を閉じ、『ユニット』のタブを選択する。
一覧画面の上部に、新しく【欠片ユニット】というサブタブが追加されているのが見えた。
意識を向けると、画面が切り替わり、薄青い水のエフェクトとともに一人の少女のシルエットが浮かび上がった。
【★3 ミアンヌ(欠片: 80 / 80)】
【属性: 火】
【初期ジョブ: プリースト】
【ユニット錬成を実行できます】
詳細を確認すると、ふんわりとした赤茶の髪をサイドテールにした、修道服を思わせる白いローブをまとった少女の姿が映し出された。手には小さな杖を携え、胸元には神聖な意匠のペンダントが光っている。
エンヴィリア出身の聖職者見習い。ジョブは『プリースト』――回復や状態異常治療を司る、生粋の後衛支援役だった。
(回復役……! ランベルの戦士とは真逆のタイプか)
喉がごくりと鳴った。
前衛の傭兵であるランベルと、治癒の力を持つミアンヌ。
もしこのミアンヌを錬成し、その姿に『現実投影』することができたなら――自分自身を回復したり、他人の傷を癒やす力すら行使できるようになるのだろうか。
現代医学の常識を覆す治癒能力の可能性に、錬の胸が激しく高鳴る。
だが、同時に冷静な思考がブレーキをかけた。
魔法の使い方も、回復術の行使プロセスも、今の錬には全く見当がつかない。
まずは唯一身体に馴染ませた前衛戦力、ランベルの状態を完全に把握するのが最優先だ。
錬は『ユニット一覧』へ戻り、ランベルの詳細画面を開いた。
【★2 ランベル】
【属性: 火】
【ジョブ: 戦士 Lv.1 / 2】
【HP: 245】
【物攻: 112】
【物防: 89】
【魔攻: 45】
【魔防: 52】
【素早さ: 82】
【器用さ: 78】
【運: 90】
【ジュエル: 32 / 100】
【限界突破: 0 / 25】
(所持魂の欠片: 5 / 次の限界突破に必要: 5)
【武具枠】
・武具枠1: 【空き】(開放済)
・武具枠2: 【ロック】(限界突破10回で開放)
・武具枠3: 【ロック】(限界突破25回で開放)
【装備品スロット(ジョブLv1)】
・スロット1: 【空き】(必要装備品: 木の剣)
・スロット2: 【空き】(必要装備品: 戦士の小手)
・スロット3: 【空き】(必要装備品: 革の胸当て)
・スロット4: 【空き】(必要装備品: 傭兵のブーツ)
・スロット5: 【空き】(必要装備品: 獣のバックラー)
・スロット6: 【空き】(必要装備品: 勇気の勲章)
(……武具枠と、装備品スロット)
錬は画面を凝視し、それぞれの説明テキストを念入りに読み込んだ。
そこには、明確な構造の違いが記されていた。
上段に並ぶ【武具枠】は、武器・防具・アクセサリーといった外付けの武具を装備するためのスロットだ。
先ほどのレコードミッションで手に入った『ブロードソードの欠片 × 5』は、この武具枠に装備するための武具そのものの欠片だった。錬成に必要な欠片を集めて完成させれば、武具枠1に【武具: ブロードソード】として装備でき、物理攻撃力やステータスが直接上乗せされる仕組みになっている。限界突破を重ねることで、最大三つまで武具を身につけられるようになるらしい。
一方で、下段に並ぶ六つの【装備品スロット】は、全く異なる役割を持っていた。
『装備品スロットについて: 装備品は着脱可能な武具とは異なり、ジョブレベルを強化・昇格させるための専用触媒です。六つの指定装備品をすべて揃えて装着することで、ジョブレベルを次の段階へ引き上げることができます。ジョブレベルが上昇すると装着した装備品はジョブへ完全に吸収され、新たな装備品スロットと上位アビリティが解放されます』
「なるほど……木の剣や防具を揃えてジョブに定着させ、戦士としての格を上げていくわけか。ジョブレベルが上げた時に、装備は肉体に吸収されるように力を与えるのか」
錬は得心がいったように呟いた。
手持ちの剣や武具を強化する【武具枠】と、ユニット自体のジョブ熟練度を底上げして新しい技を開放していく【装備品スロット】。二重の強化系統が整然と組み込まれているのだ。
そして、そのジョブレベルやユニットLvの上限をさらに押し広げる鍵が、先ほど手に入れた『ランベルの魂の欠片』による「限界突破」だ。
手元にはちょうど5個の魂の欠片がある。これを使えば1回目の限界突破が行え、ユニットの最大レベル上限が引き上げられる。スタートダッシュミッションの課題にも『限界突破を1回行おう』があったはずだ。
さらに、倉庫には先ほど受け取った『経験の林檎』が5個眠っている。
林檎を使えば、ランベルのユニットLvを現在のプレイヤーLvの上限である「2」へと即座に引き上げられる。
視線をジョブアビリティの項目へと移す。
【ジョブ: 戦士】
・固有アビリティ: 【戦技】
└ 【横一文字】(消費ジュエル: 16 / 前方扇状の敵に物理ダメージ)
└ 【ためる】(消費ジュエル: 10 / 次の自身の物理攻撃力を大幅に上昇)
・基本アビリティ: 【基本戦技】
└ 【体当たり】(消費ジュエル: 8 / 敵に小ダメージを与え、ノックバック)
・サポートアビリティ: 【未解放】(ジョブLv上昇で解放)
・リアクションアビリティ: 【未解放】(ジョブLv上昇で解放)
「横一文字……ためる、体当たり……」
アビリティの名称を呟いた瞬間、先ほど剣を抜いた時と同じように、脳裏へ微かなイメージの奔流が流れ込んできた。
腰を低く落とし、遠心力を乗せて水平に刃を薙ぎ払う身体操作。
深く息を吸い込み、全身の筋肉を硬直させて筋出力を瞬間的に跳ね上げる呼吸法。
肩口から相手の体幹へ全質量をぶつける泥臭いタックルの間合い。
いずれも、技術(アビリティ)として身体に刻まれる準備ができている感覚があった。
ただし、それらを行使するためには『ジュエル』が必要になる。初期値は32。最大値は100。通常攻撃や戦闘行動を通じて敵からアルケミィの粒子を奪い、ジュエルを蓄積させていく構造のようだ。
そして、最も重要な項目――『現実投影』の詳細設定に視線を戻す。
錬は呼吸を整えながら、開示された規則の文面を注視した。
【現実投影(PROJECTION TRANS)に関する規則】
・術者自身の肉体をベースに、選択ユニットの能力・装備・外見を重層展開する。
・現実投影の行使には【AP】を消費する。
└ 消費APは投影対象ユニットの初期レアリティ(★)に準拠する。
[★1: AP 10 / ★2: AP 20 / ★3: AP 30 / ★4: AP 40 / ★5: AP 50]
・APの自然回復速度: 【5分につき 1 回復】(※プレイヤーLvアップ、特定アイテム、幻晶石の消費によって全回復可能)。
・展開中の術者の意識: 完全に維持される。
・ユニットが受けた肉体的損害: 解除時に術者の本体へは直接反映されず、ユニットの【HP減少】として記録される。ただし、HPが0となった場合、強制解除とともに術者に甚大な精神的ショック(気絶・一時的昏睡)が発生する。
・ユニットのHP回復: 非投影状態における時間経過(1分につき最大HPの1%回復)。
「なるほど、な」
その規則を読み解いた瞬間、錬は思わず声を漏らした。
最初にステータスを見た時、なぜAPが上限の100ではなく80に減っていたのか。その謎が完全に解けた。
先ほど自分が変身したランベルの初期レアリティは『★2』。つまり、あの最初の現実投影を実行した瞬間に、規定の20ポイントがきっちり消費されていたのだ。
もしこれが★5の最高峰の英霊や魔導士だったなら、一回変身するだけで50ものAP――現在の最大値(120)の半分近くを一度に食い尽くすことになる。
そしてAPの自然回復は5分に1ポイント。全回復には十時間近くを要する計算だ。
手持ちのAPが尽きれば、どれほど強力なユニットを所持していようと、現実投影そのものが発動できなくなる。無尽蔵に変身を繰り返せる無敵のヒーローなどではない。
さらに、HPのリスクも変わらない。
傷を負っても解除すれば本体は無傷だが、HPがゼロになれば強制解除とともに昏睡状態へ陥る。
AP管理を怠れば変身できず、戦闘で無謀に突っ込めば意識を失って無防備を晒す。
(万能じゃない。それなりに制限はある。……とはいえ、傷を負うことなんてあんのかね? あったとして、この平和な日本で全損なんて考えられないが)
とはいえ。
制限が明確であればこそ、対処のしようがある。
非投影状態にしておけば、時間経過で傷も体力も全回復する。APも待てば戻る。レベルが上がれば上限も増える。
現代の常識から見れば、それだけでも十分に物理法則への冒涜であり、圧倒的なアドバンテージだった。
錬はソファーの上で、そっと自分の両手を見つめた。
指を曲げ、拳を握りしめる。
この細い腕に、APを消費して意識を集中させれば、あの頑強な傭兵の筋骨と、鋼を振るう技術が宿る。
手元には先ほど受け取ったアイテムと、ランクアップによって解放された『クエスト』の選択肢。スタートダッシュミッションの道筋。そして、まだ見ぬ仲間を呼び出すためのチケットと、7日間の無料召喚枠。
未知の危険と、現実離れした可能性。
その二つの天秤が、錬の心の中で激しく揺れ動いていた。
立ち上がり、窓辺へと歩み寄る。
カーテンの隙間から外を覗くと、街はすっかり夜の帳に包まれていた。向かいのアパートの窓からは家族団らんの明かりが漏れ、遠くのコンビニエンスストアの看板が白く輝いている。
いつもと変わらない、平和で退屈な日常の景色。
だが、その景色を見つめる錬の瞳には、消えることのない青白いシステムウィンドウが、静かに、そして確かに灯り続けていた。
「……まずは、慣れることからか。さっきからチカチカして結構うるせぇんだよなぁ」
誰に聞かせるでもなく、錬は小さく呟いた。
狭い部屋の中では満足に剣を振るうこともできない。何ができるのかを試すにしても、場所と時間を選ぶ必要があった。
恐怖はまだ消えていない。
けれど、その恐怖の底で脈打つ熱を、斑鳩錬はもう否定することができなくなっていた。