ISクロスGS ザ・グレート・ゲーム 【IS世界に横島忠夫を放り込んでみた】 作:監督
快晴であった。
事務所の玄関を出て空を見上げた横島忠夫は、昨日の激しい雨が嘘のような青空に向かって、景気よく拳を突き上げた。
「よっしゃ、いっちょうお仕事しますかね!」
声だけは威勢がよかった。
このところ続いたデスクワークから、ようやく解放されたのである。資料整理、報告書、請求書、見積書。横島にとって、悪霊よりも退屈で、美神令子の説教よりも長く感じられる敵たちだった。
もちろん、仕事である以上、手を抜くわけにはいかない。
今の横島は、昔のように「美神さんの助手でーす」と軽く名乗っていれば済む立場ではなくなっている。現場に出れば、それなりに依頼人からも見られる。舐められれば交渉にも響く。そういうことを、美神から何度も何度も何度も叩き込まれてきた。
だから今日も、スーツだった。
仕立ての良いそれは、横島の体にきちんと合っている。昔から比べれば、背筋も伸び、肩幅もつき、表情も少しは大人びた。黙っていれば、それなりに見栄えのする男である。
黙っていれば、だが。
「うーん、やっぱ肩こるな、これ」
横島は凝り固まった肩を大きく回した。
そのまま腕を頭上へ伸ばし、背筋を反らす。
スーツの生地がわずかに突っ張る。
「昔みたいにジージャンで現場に行ければ楽なんだけどなあ。今の立場じゃそうもいかんし。美神さんも『しゃんとしなさい』ってうるせえし」
美神令子の声が、脳内で鮮明に再生される。
横島君。
仕事は第一印象が大事なのよ。
だらしない格好で来た霊能者に、誰が高い料金を払うと思ってるの?
その後に、料金表を片手にした美神の笑顔まで浮かんだ。
横島は一瞬で背筋を伸ばした。
「……ま、しわになったらクリーニングに出せばいい。それくらいは稼いでるんだしな」
この場にいない美神へ、精一杯の見栄を張る。
もっとも、本人が目の前にいれば「稼いでから言いなさい」と即座に切って捨てられるだろう。
そして、その言葉に反論できるほど、横島はまだ強くない。
霊能者としては強くなった。
人間としても、昔よりは成長した。
だが、美神令子相手の口喧嘩で勝てるかと言えば、それはまた別の話だった。
「ちぇ。いない相手に負けた気分になるの、なんか納得いかねえな」
ぶつぶつ言いながら、横島は手元へ意識を向けた。
「さて、文珠の数は……ひい、ふう、みい……」
横島の周囲に、小さな光がいくつも浮かんだ。
文珠。
世界でも横島忠夫ただ一人しか作り出せない、霊力の凝縮体である。
込めた文字に応じて効果を発揮する、反則じみた切り札。
攻撃、結界、回復、封印、転移。
使い方次第では、どんな状況でも突破口を作り出せる。
もちろん、便利なだけの道具ではない。
込める文字。
込める意志。
消費する霊力。
そして、それを扱う横島自身の集中力。
ひとつでも噛み合わなければ、期待した効果は出ない。
雑に使えば暴発もする。
何より、横島の文珠は万能に見えて、横島の発想力に大きく左右される。
それでも、彼にとっては長年使い込んだ相棒のようなものだった。
「よし、十分あるな」
数を確認し、横島はひとつ頷く。
今日の仕事は、そこまで厄介な案件ではない。
少なくとも、依頼内容の上では。
行って、見て、処理して、戻る。
その程度で済むはずだった。
「美神さんは珍しく風邪でダウン中。文珠で移動したって、うるさいお説教は飛んでこねえ。ちゃっちゃと片付けて、帰って……」
そこまで言って、横島の顔がだらしなく崩れた。
「んでもって、その後は弱った美神さんの寝込みを……ぐへへ」
道行く通行人が、横島を見た。
次の瞬間、悲鳴を上げて反対側の歩道へ逃げていく。
横島は気づかない。
いつものことである。
「いやいや、違うぞ。俺は別にやましいことを考えているわけではない。弱った美神さんを看病する。そう、看病だ。おかゆを作り、額の汗を拭き、優しく『横島君……今日は頼りになるわね』なんて言われたりして……」
妄想の中で、美神が薄く微笑む。
横島は鼻の下を伸ばした。
「ぐへへへへ」
さらに別の通行人が足早に離れていく。
もしこの場に美神がいれば、間違いなくかかと落としが飛んでいただろう。
だが幸い、今日の美神はいない。
横島は気を取り直すように咳払いをした。
「まあ、妄想は帰ってからだ。仕事仕事」
『転』。
『移』。
二つの文字を、それぞれ文珠へ込める。
微弱な霊力を流し込むと、文珠は柔らかな光を放った。
淡かった光が、徐々に強くなる。
周囲の空気が、わずかに揺らいだ。
横島は視線を上げた。
ビル群に囲まれた古びた事務所が、いつもと同じようにそこにある。
外見だけなら、少し年季の入った雑居ビルにしか見えない。
だが、その建物には人工幽霊が憑依していた。
「んじゃ行ってくっから。留守番頼んだぜ!」
「はい、お気をつけください。横島さん」
返事をしたのは、建物そのものだった。
事情を知らぬ者が聞けば腰を抜かす光景だが、横島にとってはすっかり日常である。
横島は慣れた様子で手を振った。
「帰ったら美神さんの様子も見てやってくれよ。俺だと、色々と誤解されかねんからな」
「横島さんが誤解されることをなさらなければよいのでは?」
「そんなこと言う?!」
返ってきた声は、柔らかい。
だが、内容は容赦がなかった。
横島はがっくりとうなだれたが、すぐに気を取り直す。
「ま、いいや。行ってくる!」
文珠の輝きが頂点に達した。
光が横島の全身を包み込む。
そして。
横島忠夫は、その場から消えた。
ほんのしばらく。
この世界から。
◇
南国を思わせる蒼い海の上を、人型の兵器が飛翔していた。
IS――インフィニット・ストラトス。
本来は宇宙用パワードスーツとして開発されたそれは、今や世界の軍事と技術のバランスを根底から塗り替えた、最強の兵器として君臨している。
その白い機体が、夏の海上を鋭く切り裂いていた。
太陽光を受けた装甲は、名の通り白く輝いている。
飛行機ではない。
戦闘機でもない。
人の形をした何かが、空を飛んでいる。
それだけで、本来ならば異様な光景だった。
だが、この世界ではすでにそれが現実である。
「あ、ちーちゃん! こっちこっち! 観測したエネルギーポイント、もうすぐだよ!」
白い機体の背にしがみつきながら、篠ノ之束がはしゃいだ声を上げる。
頭上のウサギ耳めいたマニピュレーターが、彼女の感情に合わせてぴょこぴょこと動いていた。
束は楽しそうだった。
あまりに楽しそうだった。
その様子は、危険地帯へ向かう研究者というより、珍しい玩具を見つけた子供のそれに近い。
それを背負う織斑千冬は、白騎士を操りながら眉を寄せた。
「分かっている。少しは黙れ、束。人を乗せて飛ぶことには慣れていない。集中しなければ、お前を海に落とすぞ」
「実戦でもモンドグロッソでも圧倒的世界一位の織斑千冬嬢が、なにを言いますか。それに私も初期型とはいえISを着てるから、落ちても大丈夫だよん」
「そうか」
千冬の声が、少しだけ低くなった。
「なら、遠慮はいらんな。しっかり掴まっていろ」
「え、ちょ、ちーちゃ――」
白騎士が急加速した。
夏の空に、鋭い飛行機雲が刻まれる。
背中の束は悲鳴を上げかけたが、凄まじいGに押し潰され、ようやく口を閉ざした。
千冬はわずかに目を細める。
意図して黙らせたわけではない。
ない、ということにしておいた。
白騎士は、海上を滑るように飛ぶ。
下には、どこまでも青い海。
白く砕ける波。
遠くに点のような島影。
束が観測したエネルギーポイントは、その島の一つにあった。
「……束」
「な、なに、ちーちゃん。ちょっと今、内臓が置いていかれそうだったんだけど」
「観測値は確かか」
「確かだよん。少なくとも、通常のISコア反応じゃない。あれだけ派手なエネルギー放出、見逃す方が難しいね」
「奴らか」
「可能性はあるねえ。でも、ちょっと質が違う気もする」
「違う?」
「うん。あいつらの反応って、もっと濁ってるっていうか、ざらざらしてるっていうか。今回のは、もっと凝縮されてる。人為的というか、意思があるというか」
「厄介な言い方をするな」
「天才っぽいでしょ?」
「面倒なだけだ」
千冬は速度をわずかに落とした。
警戒のためだ。
彼女は戦い慣れている。
どれほど束がふざけていようと、どれほど目標が奇妙なものであろうと、未知の反応に接近する以上、油断する理由はない。
「近づくぞ」
「はーい」
束のマニピュレーターが、進行方向を示す。
白騎士が高度を下げた。
◇
「ここだ! あの莫大なエネルギーを放出したポイントは! ……って、人?」
「……どう見ても男だな。それもスーツ姿の」
降り注ぐ陽光。
白い入道雲。
椰子の木と貝殻だけが似合う無人島の砂浜。
そこに、場違いなビジネスマンが打ち上げられていた。
ネクタイまできっちり締めた男が、砂浜に大の字で倒れている。
南国リゾートで力尽きた営業マンと言えば、まだ聞こえはいい。実際には、どう見ても場違いで、どう考えても不自然だった。
千冬はまず周囲を確認した。
人影はない。
破壊痕もない。
戦闘の痕跡も、少なくとも目視では確認できない。
ただ、その男だけが砂浜に倒れている。
「おい、大丈夫か。意識があるなら返事をしろ」
千冬が肩を揺さぶるが、反応はない。
束がしゃがみ込み、男の頬をつんつんと突いた。
「返事がない。ただの屍のようだ」
「つまらんことを言うな。奴らに襲われて捨てられた民間人の可能性もある」
「えー、こんなスーツ姿で無人島に?」
「だから確認する」
「ちーちゃん、真面目だなあ」
「お前が不真面目すぎるだけだ」
千冬は男を軽々と担ぎ上げ、木陰へ運んだ。
木の幹にもたれさせ、改めて状態を確認する。
ISスーツの簡易分析では、外傷は見当たらない。長身でやせ型だが、スーツ越しにも鍛えられた肉付きが分かる。呼吸も脈もある。気絶しているだけだ。
ネクタイは多少ずれているが、もともとはきちんと締められていたらしい。
髪も整えられている。
革靴も砂に汚れてはいるが、手入れされたものだった。
伊達や酔狂でこんな格好をしていたわけではなさそうだった。
問題は、なぜそんな男がこんな無人島に倒れているのか、である。
「死んではいないな。すぐに起こす」
千冬が水を取り出した、その時だった。
「う〜ん? あれ、ちーちゃん。この人からもエネルギーが計測できるよ……んんんっ?!」
「どうした」
「これ見てよ! 束ちゃんのデータ!」
束が空中にホログラムを投影する。
そこに示された数値を見て、千冬の表情がわずかに変わった。
「な……こんなことがあり得るのか?」
「さっきの観測データよりは小さいけど、十分すごいよ。ISコアとは違う。でも、似てる。いや、似てるっていうか……うわ、なにこれ。面白い」
束の目が輝いた。
千冬は嫌な予感を覚えた。
「束」
「ねえねえ、この人、ちょっと解剖してもいい? 標本にして、細胞ごとに反応見て、ついでに脳波と神経伝達も――」
「冗談はほどほどにしろ」
千冬のアイアンクローが、束の頭を掴んだ。
「あだだだだだっ! ちーちゃん、痛い! 天才の頭が割れる!」
「お前が言うと冗談に聞こえん」
「ひどいなあ。束さんはそんなグロいことしませんしー」
「さっき解剖と言った口で何を言う」
「科学的好奇心は人類進歩の源だよ!」
「倫理を忘れた好奇心は災害だ」
「むー。ちーちゃんのいけず」
千冬はため息をついた。
この女は天才である。
間違いなく、世界最高の頭脳の一つだ。
だが、その頭脳が常に人類の常識と同じ方向を向いているとは限らない。
むしろ、同じ方向を向いている時間の方が少ない。
千冬は束を黙らせると、男の頭から水を浴びせた。
「……気づいたか。おい」
男の瞼が震えた。
ぼんやりとした目が開き、千冬と束を順番に映す。
まだ意識は完全には戻っていない。
焦点の合わない目で二人を見上げ、何度か瞬きをする。
そして。
目前にいる絶世の美女――織斑千冬を認識した瞬間、男の本能が覚醒した。
男――横島忠夫は、千冬の手をがっしりと握りしめた。
「ずっと前から愛してましたぁぁぁぁぁぁぁー!!」
「のわああああああっ?!」
「あたしのちーちゃんに何するのーっ!」
束の拳が、横島の顔面に炸裂した。
初期型とはいえISを纏った一撃である。普通の人間なら、顎どころか人生が終わっていてもおかしくない。
横島は錐揉み回転しながら砂浜に突き刺さった。
頭から。
「こら束、やりすぎだ! 死んでしまうぞ!」
「ふん、身の程を知りなさいよ、この煩悩の塊め……」
しかし。
「あー、死ぬかと思ったぜ」
横島は、何事もなかったかのように砂の中から這い出してきた。
頭を払い、服の砂を落とし、少し首を鳴らす。
「いやー、マリアじゃあるまいし、物騒なもんで殴りやがって。危うく死ぬところだったじゃねーか!」
「「どえええええええっ?!」」
千冬と束の声が重なった。
千冬は即座に白騎士を再展開し、白銀のブレードを構える。
さきほどまでの気だるげな雰囲気は消えていた。
完全な戦闘態勢である。
「傷一つないだと……? お前、何者だ。奴らの仲間か?」
横島は、その刃を見ても怯まなかった。
それどころか、束を指差して怒鳴る。
「こらてめぇ! せっかく美人のほっぺにぶちゅうーといこうとしたところを、よくも邪魔しやがって! って、あれ?」
横島の視線が千冬へ戻る。
「……あ、いた」
「やっぱり死んでしまええええええええ!」
今度は二人同時だった。
南国の空に、人型をした弾道弾が飛んでいった。
青空に、一本の雲が引かれる。
しばらくして。
「ただいま戻りました……」
横島は、なぜか普通に戻ってきた。
砂浜へよろよろと着地し、手にした文珠をしまう。
「お前、何なんだ……」
千冬が本気で呟いた。
「いや、こっちの台詞なんだけど。美人に起こされたと思ったら殴られて、飛ばされて、剣向けられて、どこか知らんが随分と歓迎が荒っぽいな」
◇
「なるほど。横島忠夫。君が『別の世界』から来たというのは……」
「天才束ちゃん的には、十分あり得ることなんだよね〜。よこっち!」
木陰に敷いたブルーシートの上で、三人は奇妙な平穏の中にいた。
横島は「よこっち」という不本意な呼び名を受け入れつつ、差し出された水を飲んでいる。
一度は空の彼方へ飛ばされたが、文珠で戻ってきた。
本人いわく、「慣れてる」とのことである。
千冬は、まだ完全には警戒を解いていない。
白騎士は解除しているが、いつでも再展開できる距離を保っている。
束は警戒していない。
その代わり、横島を研究対象として見ていた。
それはそれで、横島にとっては警戒すべき視線だった。
「まあ、転移が失敗したなーってのは俺にも分かるけどさ。まさか、こんなカオスのおっさんでも作れるか怪しいパワードスーツが飛んでる世界に来るとは思わなかったぜ」
「カオスのおっさん?」
「俺の知り合い。千歳くらいのジジイで、半分人間やめてる発明家」
「会いたい!」
「会わせたら絶対ロクなことにならねえ気がする……」
横島は本気でそう思った。
カオスと束。
この二人を同じ研究室に入れたら、三日後には世界の法則がいくつか変わっていそうである。
「そのカオスという人物も、君と同じようなエネルギーを扱うのか?」
千冬が問う。
「いや、あの人は科学者寄りだな。科学者って言っていいのか微妙だけど。霊能関係にも詳しいけど、本人が文珠を作れるわけじゃない」
「文珠」
束が身を乗り出す。
「それ! それだよ、よこっちが持ってる高密度エネルギー体! 見せて見せて! 分解しないから!」
「その“分解しないから”が信用できねえんだよ」
「ちぇー」
横島は警戒しつつ、文珠をひとつだけ取り出した。
小さな光の球。
束の表情が変わる。
ふざけた色は残っている。
だが、その奥に、純粋な観察者の目があった。
「……うわ」
「うわって何だよ」
「すごい。小さいのに、密度が高い。安定してる。これ、人間が作ってるの?」
「人間が作ってるっつーか、俺が作ってる」
「よこっち、人間?」
「人間だよ!」
横島は思わず叫んだ。
「失礼なこと聞くなよ!」
「だって、さっき殴っても無傷だったし」
「無傷じゃねえ! 痛かったわ!」
「でも死んでないよ?」
「何で死ぬ前提なんだよ!」
千冬はこめかみを押さえた。
「話が進まん」
「GS――ゴーストスイーパー、だったな」
「ああ」
横島は咳払いをする。
「悪霊を祓って金を貰う、霊能力者のことだよ。俺たちの世界じゃ、そういう仕事が普通にある。美神さんみたいな超美人の下で、命がけで除霊して回ってたんだわ」
「ふーん。でもこの世界には、幽霊なんていないよん」
束が端末を叩きながら言った。
画面には、横島から検出される高密度のエネルギー反応が映っている。
それは束にとって、未知でありながら、どこか見覚えのある反応だった。
「霊力を知らない人間が、霊力を利用するISなんてもんを作ったことの方が、俺には驚きだけどな……」
「大天才ですからっ!」
「そこ胸張るところか?」
「もちろん!」
束は自信満々に胸を張る。
横島は半眼でそれを見た。
「いや、すげえのは分かるけどよ。霊力の概念がない世界で、霊力に近いもんを動力にした機械を作るって、普通に考えたら順番が逆じゃね?」
「順番なんて、結果が出てから人が勝手につけるものだよん」
「この子、やっぱりカオスのおっさんと同じ匂いがする……」
「褒めてる?」
「全然」
束は楽しそうに笑った。
千冬は、その横で静かに横島を見ている。
彼女は束ほど無邪気ではない。
横島が別世界から来たという話を、完全に信じたわけではない。
だが、目の前の文珠と横島の耐久力、そして観測データは、少なくとも「ただの人間」として片付けることを許さなかった。
「横島」
「ん?」
「お前の世界では、霊力というものは一般的なのか」
「一般的……ってほどじゃないな。見えない人には見えないし、使えない人には使えない。でも、悪霊や妖怪がいるって認識はある。事件も起こるし、俺らみたいな商売も成り立つ」
「こちらには、そうした概念はない」
千冬の声が少し低くなる。
「少なくとも、最近まではな」
横島は千冬を見る。
彼女が纏っていた白騎士の威圧感。
それは、横島がかつて相手にしてきた魔族や神族の気配に、どこか通じていた。
「んで、そのISってのが、この世界じゃ騎士の鎧代わりってわけだ」
「ああ。もともとは宇宙用の作業スーツに過ぎなかった。少なくとも、開発初期はな」
千冬の表情が険しくなる。
「だが、事情が変わった」
「事情?」
「お前のいた世界に幽霊や悪霊がいたように、私たちの世界にも『奴ら』が現れ始めた」
横島は少しだけ目を細めた。
千冬の口調が変わったからだ。
ただの説明ではない。実際に戦ってきた者の声だった。
「奴らってのは、妖怪とか悪魔とか、そういう類か?」
「私たちは、まだ正確な分類を持っていない」
千冬は言った。
「ただ、通常兵器がほとんど効かない。ミサイルも、機銃も、戦車砲も、足止め以上にはならなかった」
「そりゃまた、えらく厄介だな」
「うんうん。だから束ちゃんは考えました。通常兵器が駄目なら、通常じゃないものをぶつければいいんじゃないかってね!」
「それでISか」
「大正解!」
束が嬉しそうに指を鳴らす。
「もともとISは宇宙用パワードスーツだったけど、コアの反応があいつら相手に妙に良かったんだよ。出力のぶつかり方というか、干渉の仕方というか。こっちは霊力なんて知らなかったけど、結果的に“効いた”」
「効いたから、兵器になった」
横島が言う。
千冬は否定しなかった。
「そうだ」
短い答えだった。
それだけで、十分だった。
この世界でISがどういう意味を持つのか。
横島にも、少し分かった。
ただのパワードスーツではない。
この世界の人間にとって、目の前の理不尽に対抗できる唯一の鎧。
騎士の鎧、という表現は、冗談ではなかったのだ。
「いよっ、白騎士さん!」
束が茶化すように言った。
直後、千冬のアイアンクローが束の頭を掴んだ。
「あだだだだだ! ちーちゃん、痛い! 今のは褒めたのに!」
「お前が言うと腹が立つ」
「理不尽!」
「お前ほどではない」
そのやり取りを見て、横島は少しだけ笑った。
異世界だろうが、何だろうが。
人間のやり取りは、案外変わらないらしい。
もっとも、束のような人間が一般的であってたまるか、とは思ったが。
「そういや、その“奴ら”ってのは、いつから出てきたんだ?」
「ある日突然、としか言いようがない」
千冬は答えた。
「最初は局地的な異常現象として扱われた。だが、被害が出た。通常戦力では止められず、ISが投入された」
「そこで白騎士様の出番ってわけか」
「茶化すな」
「いや、茶化してるわけじゃねえよ。多分、俺の世界でも似たようなもんだったからな。霊能力者がいなきゃ、普通の人間は悪霊相手にどうにもならん」
横島は自分の掌を見た。
文珠が淡く光る。
「でも、俺の世界じゃ、そういうのは“いるもの”として扱われてた。こっちは違うんだろ?」
「ああ」
「なら、しんどいな」
千冬はわずかに横島を見た。
その一言は、軽くなかった。
横島は普段ふざけている。
だが、悪霊や魔族と対峙することの重さは知っている。普通の人間が、見えないもの、理解できないものに襲われる恐怖も知っている。
だから、しんどい。
それ以上の言葉はいらなかった。
「あだだだだだ! ちーちゃん、そろそろ離して!」
束の声で、空気が戻る。
千冬は溜息をつき、束を解放した。
解放された束のマニピュレーターが、ぴょこぴょこと揺れる。
「ま、そういうわけで、ISは今や人類の騎士なのです。通常兵器が通じないあいつらに対抗する、唯一の実用戦力。いやー、束ちゃんってば偉い!」
「自分で言うな」
「事実だもーん」
「お前は、ミサイル二千発を目くらましに使おうとした件を忘れたのか」
「だって、あいつら相手に通常戦力じゃ役に立たないことは分かってたから、せめてもの目くらましに……あだだだだ! またアイアンクロー?!」
千冬が再び束を持ち上げる。
横島は、くわばらくわばらと距離を取った。
そして、ふと気づく。
束は千冬に吊り下げられている。
つまり、スカートの位置が――。
横島の目が、ほんの少しだけ下に動いた。
次の瞬間、束が落ちてきた。
「どげっ?!」
頭に直撃。
横島は砂浜に沈んだ。
「何を見ようとしていた」
千冬の声は低かった。
「いや、これは男としての本能でありまして……」
「黙れ」
「はい」
束は頭をさすりながら起き上がる。
「ててて……よこっち、意外と丈夫だねえ。やっぱり解剖――」
「まだ言うか」
「冗談だよん」
「お前が言うと冗談に聞こえんと言った」
三人の間に、奇妙な沈黙が落ちた。
海風が吹く。
白い砂がさらさらと流れる。
遠くで波が砕ける音がした。
その時、千冬の表情が変わった。
「おい、束」
「……うん」
束も端末を見る。
ふざけた顔が、すっと消えた。
「この反応は……」
「そーだね。あいつらだよ、ちーちゃん」
束のマニピュレーターが、空の彼方を指す。
「よこっちの派手なエネルギーに引き寄せられたかな。さっきの転移反応、かなり目立ってたし」
「面倒なことだ」
千冬は白騎士を再展開した。
「二人とも、下がっていろ」
砂浜を蹴り、千冬が空へ舞い上がる。
白騎士の翼が陽光を反射し、眩く輝いた。
その視線の先。
雲を割り、この世のものならぬ咆哮を上げて迫り来る影がある。
石像の翼。
歪んだ角。
獣の口。
人間の悪意だけを削り出したような、異形。
「ガーゴイル……!」
横島は、その見慣れた悪魔の姿を見て、思わず口の端を上げた。
異世界だというから、少しばかり緊張していた。
だが、どうやら。
「なんだ。やることは、いつもと変わらねえじゃねーか」
妖怪、悪霊、それとも悪魔とでも呼ぶべき存在。
この世界には存在していなかったはずの者たちが、横島の目の前に迫っていた。
◇
続け。