ISクロスGS ザ・グレート・ゲーム  【IS世界に横島忠夫を放り込んでみた】   作:監督

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第10話

 

 

 

 

「……いっくら考えても、わかんねーなあ」

 

 朝日が差し込む研究室で、横島忠夫は一人、そうこぼした。

 

 研究室。

 

 そう呼ばれてはいるが、実際には作業部屋と寝床と物置と喫煙所を無理やり一つに押し込めたような部屋だった。

 

 壁際にはIS用の計測器。

 床にはケーブル。

 机の上には、書類と工具と、どこから持ってきたのか分からない呪符の束。

 灰皿には吸い殻が山になり、その横に飲みかけの缶コーヒーがいくつも並んでいる。

 

 夜通し続けた作業は、ひとまず切り上げた。

 

 だが、頭は休まらない。

 

 何日か前、地下解析室で千冬や真耶に吐露した疑問。

 

 この世界に、神族が生まれてこない理由。

 

 それを考え続けていた。

 

 考え続けていた、というより、同じ場所をぐるぐる回っているだけだった。

 

 絶対的に情報が不足している。

 

 DDが地脈に反応すること。

 高位体と呼ぶべき個体がいること。

 この世界の魔族めいた存在が、横島の世界の悪魔とはまるで違うこと。

 彼らが破壊衝動と生存域の拡大に近い行動原理で動いていること。

 

 そこまでは分かってきた。

 

 だが、原因に辿り着くにはほど遠い。

 

 結局、増えたのは答えではなく、灰皿の吸い殻だけだった。

 

 横島は、無精ひげの伸びた顎をさする。

 

 今さら良い考えが湧いてくるわけでもない。

 

 苛立たしげに、最後の一本を灰皿に押しつける。

 

 じゅ、と小さな音がした。

 

 横島は深く紫煙を吐き出す。

 

「濃い光と深い闇は、表裏一体のはず……なんだがなあ」

 

 横島は、正式に美神除霊事務所へ就職してから、雇い主であり、師匠であり、そして未来の恋人――本人に聞かれれば折檻どころでは済まなかったろうが――である美神令子に、霊能についてきちんと師事してきた。

 

 もっとも、横島の側が真面目だったかと言えば、そこはかなり怪しい。

 

 だが、美神は教えた。

 

 文句を言いながら。

 馬鹿だの、覚えが悪いだの、時給分は働けだのと言いながら。

 

 それでも、必要なことは教えてくれた。

 

 宇宙の始まりに神魔が生まれた理由。

 霊体の構造。

 魂の行き先。

 地脈と霊場。

 神族と魔族の関係。

 

 そこには当然、光と闇、善と悪の話も含まれていた。

 

 横島が「乳とブラジャーの関係ですね!」などと口走り、美神に殴り飛ばされたこともある。

 今思い返せば、あれはかなり良い例えだったのではないかと横島は思っているが、美神に言えばもう一度殴られるだろう。

 

 横島にとって、神や悪魔は単なる概念ではなかった。

 

 自分たちと生存所属の違う存在。

 

 もちろん、それもある。

 

 だが、それだけではない。

 

 彼らには彼らなりの矜持があった。

 

 神、あるいは神に追従し代行者として存在する天使たち。

 彼らが掲げる善の旗印。

 

 それに対し、敢然と悪の旗印を掲げ、徹底的に敵対する者たち。

 

 それこそが、悪魔だった。

 

 彼らは破壊衝動を持つ。

 人間から見れば迷惑でしかない欲求もある。

 だが、より高位の存在になるにつれ、それすら世界の調和を維持する体制の一部と認識していた。

 

 それでもなお、悪として存在する。

 

 善に従うのではない。

 善へ迎合するのでもない。

 悪として、世界の裏側に立つ。

 

 所詮、カードの表と裏に過ぎない。

 本質的には同じ存在なのだ。

 

 そう言ったのは、誰だったか。

 

 横島は、元の世界で出会った魔族たちを思い出す。

 

 話が通じる者もいた。

 矜持を持つ者もいた。

 敵でありながら、どこかで人間に似た感情を見せる者もいた。

 

 彼らには、無神論とでも呼ぶべき思想があった。

 あるいは、自分たちすらも神々の一人であるとみなす思想もあった。

 

 思想があり、哲学があり、美学があった。

 

 それがどれだけ人間に迷惑を及ぼすかは別として。

 

 魂の牢獄から抜け出そうとした魔族側の実力者――アシュタロス。

 

 あの存在など、その調和を求める体制そのものを破壊しようとした。

 

 世界の調和を願う宇宙意思。

 そして、実際その世界に住まう人々の力。

 

 最終的には、それらによって阻止された。

 

 だが、あれは単なる破壊衝動ではない。

 

 欲求があり、理屈があり、野望があり、敗北があった。

 

 悪魔である以前に、存在としての筋があった。

 

「同じことがこの世界で起こっても、全然不思議じゃないんだけどな……」

 

 横島は机に肘をつく。

 

 この世界の魔族――DD。

 

 彼らは、ただひたすら破壊衝動を満たすばかりで、変化がない。

 

 言葉を話す高位体もいる。

 知性を感じさせる個体もいる。

 群れを率いる者もいる。

 

 だが、それでも何かが足りない。

 

 哲学がない。

 

 美学がない。

 

 悪として立つ者の矜持がない。

 

 ただ、押し寄せる。

 

 ただ、広がる。

 

 ただ、霊力の濃い場所へ向かい、生存域を広げようとする。

 

 それは、対となる神が存在していない証左なのではないか。

 

 横島はそう考えていた。

 

 どうやら地脈の確保には動いているらしい。

 だが、それが単純な生存目的以外に何を目指しているのかは分からない。

 

 目的があるのか。

 ないのか。

 

 あるいは、目的を持つ何者かが、彼らの背後にいるのか。

 

「うーん……」

 

 横島は椅子の背にもたれた。

 

 こういう時、考えるツテがない。

 

 改めて考えると無茶な話だ。

 

 バイト時代の横島は、きちんと教わるということがほとんどなかった。

 

 常に実戦。

 失敗。

 逃走。

 痛い目。

 また実戦。

 

 トライアンドエラーの繰り返しだった。

 

 どちらかと言えば、知識よりも戦闘技能ばかりが先行してしまった。

 

 就職してからは違った。

 

 美神はなんだかんだで教育を施してくれた。

 事務所には様々な文献があった。

 分からないところがあれば、美神はぶつぶつ言いながらも解説してくれた。

 おキヌをはじめ、フォローしてくれる仲間もいた。

 

 だから、それほど困らなかった。

 

 だが、この世界には霊能の専門家がいない。

 

 横島の知識は、この世界ではほぼ唯一の体系だった。

 頼れる文献もない。

 誰かに確認することもできない。

 

 乏しい自分の知識と頭を頼りにするしかない。

 

 だからこそ、地道に実地調査を繰り返してきた。

 

 偽装を含め、各地へ赴いた。

 地脈を見た。

 土地の気配を読んだ。

 精霊石の有無を確認した。

 DDの出現点と照らし合わせた。

 

 世界を見聞して、この世界に関する情報を集めてきた。

 

 だが、結論を導くにはまだ遠い。

 

 もちろん、横島がどこまで行っても異世界人であることも、大きな制約だった。

 

 能力を含め、彼には行動制限がかかっている。

 

 地脈を見たい。

 DD出現地を調べたい。

 怪しい土地へ入りたい。

 

 そう思っても、簡単には動けない。

 

 結果として、DDに蹂躙されるこの世界の現状打開を遅らせている一因でもあった。

 

 横島は、それを理解していた。

 

 だから余計に苛立つ。

 

 考えがまとまらない。

 

 悩み、逡巡し、何度も同じ疑問に戻る。

 

 その思考の淵から横島を引き戻したのは、携帯にセットしていたタイマーだった。

 

 けたたましい電子音が、研究室に鳴る。

 

「だー! そろそろ職員会議の時間じゃねーか」

 

 横島は頭をかきむしった。

 

「今日は理事長も来るんだよなあ……さすがにさぼれねーか」

 

 時計を見る。

 

 すでに七時を回っていた。

 

 仕方ない、と横島は席を立つ。

 

 襟首の汚れたワイシャツ。

 よれたネクタイ。

 少し伸びた髪。

 剃り残した髭。

 

 鏡を見れば、我ながらひどい顔だった。

 

 それでも、軽く顔を洗い、髪に櫛を入れただけで部屋を出ようとする。

 

 サボらないだけましだろう。

 

 横島はそう考えた。

 

 実際、身なりを整える気力はあまりなかった。

 

 どうせ用があるのは提出する報告書だ。

 別に俺を見る奴はいないだろう。

 

 誰に言うでもなく、そう言い訳する。

 

 今日、特に気力がない原因は、ここ何日かのパーツ作成の影響だった。

 

 ドアノブに手をかけたまま振り返る。

 

 テーブルの上には、新パーツが無造作に積み上げられている。

 

 小さな制御素子。

 霊力を封入した、文珠に近い結晶片。

 IS用対DD装備の中核に組み込む予定の試作品。

 

 ISの新パーツと言えば、大概の者は目の色を変えるだろう。

 

 だが、作成者としてネタが分かっている横島は、つまらなさそうに一瞥しただけだった。

 

 ゆっくりとドアを閉じる。

 

「たく。この世界でも元の世界でも、どうしてこう女ってのは人使いが荒いのかね」

 

     ◇

 

 IS学園の朝は早い。

 

 それは教師も例外ではない。

 

 生徒たちは六時に起床する。

 

 少なくとも規則上は、そうなっている。

 

 実際には、早朝から自主トレーニングを始める者もいれば、ぎりぎりまで布団から出られない者もいる。

 それでも、学園全体は朝早くから動き始める。

 

 運営側となれば、さらに早い。

 

 五時には出勤している者も珍しくない。

 

 七時過ぎに職員会議が行われるのは、一般的な学校でもあり得る話だ。

 だが、今日に限っては通常とは違っていた。

 

 全休日に行われる臨時会議。

 

 しかも、轡木理事長が出席する。

 

 遅刻、欠席は許されない。

 

 少なくとも、普通の教員なら。

 

 廊下を歩きながら、千冬はふと足を止めた。

 

「真耶」

 

「はい?」

 

「そう言えば、あいつは起こしたのか?」

 

「あいつ……横島さんですか?」

 

「今回の主役は忠夫だろう」

 

 千冬は眉間を押さえた。

 

「報告者が来ないなど、話にならん」

 

「何言ってるんですか、先輩」

 

 真耶は苦笑した。

 

「横島さんだって、いい大人なんですから」

 

「いい大人が毎朝、教師生徒構わずナンパするか?」

 

「……それは」

 

 大丈夫ですよ、と言いかけた真耶の言葉が止まる。

 

 言い返せなかった。

 

 千冬は溜息をつく。

 

 寮長としての仕事。

 教師としての仕事。

 実戦指揮官としての責務。

 

 それだけでも忙しいのに、横島が厄介事を増やす。

 

 毎朝のように美人生徒へ声をかける。

 教員にも声をかける。

 警備システムに引っかかる。

 風紀委員に追われる。

 真耶に怒られる。

 千冬に殴られる。

 

 それでも懲りない。

 

「こんな良い朝だろうが、どんよりした憂鬱な朝だろうが、関係ないからな、あいつは」

 

 珍しく、千冬は愚痴っぽかった。

 

「いっそ雨が降ったら出勤しないとかしてくれた方が良い」

 

「それはそれで困りますけどね……」

 

 真耶が困っていると、渡り廊下の向こうから人影が見えた。

 

 横島だった。

 

「あ、横島さ……じゃない、横島先生ー! おはようございまーす」

 

 真耶は慌てて言い直す。

 

「おー、おはよう真耶ちゃん」

 

 横島は気だるそうに片手を上げた。

 

 真耶は少し不満げな顔をする。

 

 自分はわざわざ先生と呼んだのに、ちゃん付けで返された。

 

 だが、それよりも横島の動作が気になった。

 

 緩慢だった。

 

 いつものような勢いがない。

 

 普段なら、挨拶代わりに軽口の一つ、あるいはセクハラめいた言葉の一つくらい飛んできてもおかしくない。

 今日の横島は、ただ眠そうに歩いているだけだった。

 

 千冬と真耶は、思わず顔を見合わせる。

 

「どうした。悪いものでも拾い食いしたか?」

 

「言うに事欠いて、それかいっ!!」

 

 横島が声を荒げた。

 

 それを見て、真耶はどこかほっとする。

 

「お二人とも、元気ですねえ……」

 

「元気じゃねえよ、ったく」

 

 横島はこめかみを押さえた。

 

「徹夜で千冬に頼まれた仕事してたんだっての。ほれ」

 

 ポケットから、小さなパーツを放り投げる。

 

 千冬は手を伸ばし、それを掴んだ。

 

 指先ほどの大きさ。

 

 だが、ただの機械部品ではない。

 

 内部に淡い光が揺れている。

 見た目は小さな結晶片にも見えるが、触れれば分かる。

 

 霊力が封入されていた。

 

 千冬はそれを見つめる。

 

 やがて、胸元で握りしめた。

 

「すまんな。こう早く仕上げてくれるとは思わなかった」

 

「時間はかかるにしても、作るのは特別難しくはねーしな」

 

 横島は肩をすくめる。

 

「ただ、材料の確保が面倒なだけで」

 

「そうか?」

 

「そうか、じゃねえよ。今まで貯めた材料も返してくれると嬉しいんだがな」

 

「さて、どこへやったやら」

 

 千冬は平然とした顔で言う。

 

「寝起きで頭がぼやけていてな。すぐには思い出せそうにない」

 

 横島はジト目で千冬を睨んだ。

 

 千冬は人を食ったような顔で受け流す。

 

「どちくしょう。俺はどこ行ってもこんな扱いかっ……」

 

 横島は小声で愚痴る。

 

「あれは俺が創るものなのに」

 

「諦めろ」

 

 千冬は冷たく言った。

 

「そもそもお前にあんなものを大量に持たせたら、ろくなことにならん」

 

「信用ねえなあ」

 

「いつだったか、寮の警備システムを無効化して女生徒の風呂を覗こうとしたことがあったな?」

 

「かんにんや、しかたなかったんや……!!」

 

「何が仕方なかったのか、今ここで説明してみろ」

 

「それはその……男の夢というか、人類の根源的な探求心というか」

 

「つまり犯罪衝動だな」

 

「言い方ぁ!」

 

 真耶は、なんとも言えない顔で二人を見ている。

 

 千冬はふと思いついたように、真耶の肩を掴んだ。

 

「材料の生成に煩悩が必要だというのなら、ほれ、いくらでも真耶を貸してやる」

 

「ええっ、わ、私ですかっ?!」

 

 真耶が目を丸くする。

 

 横島は一瞬で顔を輝かせた。

 

「じゃあ真耶ちゃん、早速くんずほぐれつお願いしまっ――」

 

「だから、それがいかんと言ってるんだろうがっ!!」

 

 千冬の拳が振り下ろされた。

 

 体重を乗せた一撃。

 

 横島は地面に叩きつけられた。

 

 自分で振っておいて、真耶の方が狼狽える。

 

「え、ええ……?」

 

「毎度毎度、みっともないことをするな」

 

 千冬は聞く耳を持たない。

 

 横島は倒れたまま、さめざめと泣き出した。

 

「うるせー、ほっといてくれっ。どーせ俺は反社会的な逮捕されなくちゃいけない人間だよ……」

 

「自覚があるなら改めろ」

 

「千冬さんは人の心がない」

 

「お前にだけは言われたくない」

 

 真耶は、何かもう達観した気持ちになっていた。

 

 このやり取りは止めても無駄だ。

 

 むしろ、ここまで来ると朝の体操のようなものかもしれない。

 

「気にしませんから」

 

 真耶は横島に手を差し出し、立ち上がらせた。

 

 ついでに、スーツについた埃を軽く払う。

 

「うう、真耶ちゃんはどっかの鬼女と違って優しいなあ」

 

「ふん。せいぜい好きに言うといい」

 

 千冬は肩をすくめる。

 

 そして改めて横島を見た。

 

 眉をしかめる。

 

「しかしお前、そんな格好で会議に出るつもりか?」

 

「しゃーねーじゃん」

 

 横島は自分のよれたワイシャツを見下ろす。

 

「さっきのパーツ作るのに、ここんとこ遅かったんだし。昨日なんか徹夜だぜ。評価試験用に数揃えなくちゃいけなかったし」

 

「……そうだな」

 

 千冬の声が少し変わった。

 

「遅くまですまん。いつも無茶を言うが、助かっている」

 

 唐突に、千冬が頭を下げた。

 

 横島が固まる。

 

「え? いや、別にいいけどさ」

 

 急に照れたように笑う。

 

「はは。なんか、こそばゆいな」

 

「私からも」

 

 真耶も頭を下げる。

 

「本当に、ありがとうございます」

 

「いやいや、真耶ちゃんまでやめてくれ。俺が悪いことしたみたいじゃねえか」

 

「悪いことは毎日しているだろう」

 

「台無しだよ!」

 

 横島は叫んだが、千冬の表情はいつもより少し柔らかい。

 

 ほんのわずかに照れてもいた。

 

 口喧嘩ではなく、本当はきちんと礼を言いたかったのだろう。

 

 真耶はそれを見て、口元をゆるませた。

 

 その視線に気づいたのか、千冬はどこかばつの悪そうな顔をする。

 

 そして一歩、横島へ歩み寄った。

 

「今さら着替えてこいとも言えんが、せめてネクタイくらいはしっかりしておけ」

 

「え?」

 

 千冬は横島のネクタイを手に取った。

 

 ほどけかけた結び目を解き、素早く整える。

 

 慣れた手つきだった。

 

 布を引き、形を作り、ウィンザーノットに整える。

 

 横島は動けなかった。

 

 真耶も、目を瞬かせている。

 

「ほら、できたぞ」

 

 千冬は横島の胸を、ぽん、と軽く叩いた。

 

 その動作があまりにも自然で、逆に不自然だった。

 

 千冬は時間がないと呟き、逃げるように職員室へ足を向ける。

 

「行くぞ。遅れる」

 

「お、おう」

 

 何しろ、千冬がこんなことをするとは思っていなかった。

 

 呆気に取られていた横島は、慌てて後を追う。

 

 真耶は、そんな二人をどこか不思議そうに見ていた。

 

 最後に、ぱたぱたと追いかける。

 

「本当、仲が良いんだか、悪いんだか……」

 

 苦笑いするしかなかった真耶の足取りは、いかにも軽かった。

 

     ◇

 

「いやあ、良い朝稽古だったなあ」

 

「どこがだ」

 

「うっ」

 

 一夏は大仰な身振りで胸を押さえた。

 

 あいたたた、と痛いそぶりを見せる。

 

 その頭を、箒が軽くはたいた。

 

「気はそぞろ。竹刀は定まらん。私にすら散々に打ち込まれて、何が良い稽古だ」

 

「ま、まあ、たまにはこういうこともあるさ」

 

「どんな人間でも波があるのは理解できる」

 

 箒は容赦なく続けた。

 

「だが、今日のお前はあまりに酷いぞ。全国大会で負けた連中が、今のお前を見たらどう思うだろうな」

 

「……それは結構効くな」

 

 一夏は今度こそ本当にうなだれた。

 

 箒の言うことは正しい。

 

 今の自分は、おかしい。

 

 それは何より自分が一番よく分かっている。

 

 竹刀を構えて、剣を交える相手に嘘はつけない。

 小手先で誤魔化しても、踏み込みに出る。

 呼吸に出る。

 迷いに出る。

 

 一夏は自分の右手を見た。

 

「……あいつらに恥ずかしくないだけの鍛錬は重ねてるつもりなんだけどな」

 

 手を開く。

 閉じる。

 

「どうも、あれを見ちまうとな」

 

「定期便、か」

 

 箒の声が少し低くなる。

 

 一夏は頷いた。

 

 一夏は、物心ついた時にはDDとの戦いが始まっていた世代だ。

 

 DDの襲撃なら、幾度も経験している。

 

 避難警報。

 遮断シールド。

 空を飛ぶIS。

 遠くで響く爆音。

 ニュース映像。

 街の一部が立ち入り禁止になる日。

 

 そういったものは、一夏の人生の中に最初からあった。

 

 だから、ただDD襲撃だけを取り出せば、極端に言えば今さらなことでもある。

 

 だが、今の一夏には、その襲撃が別の側面から見える。

 

 見えるようになった。

 

 いや、見なければならない立場になった。

 

「ただ見上げることしかできないってのは、さ」

 

 一夏は拳を握る。

 

「なんていうか、悔しいな」

 

「……」

 

 箒は黙って聞いていた。

 

「分をわきまえない優しさは、お前自身を殺すことになる」

 

 千冬はそう言った。

 

 所属不明機の襲撃事件でも、ラウラの暴走事件でも、一夏は命懸けで向き合ったつもりだった。

 

 自分なりに考え、走り、戦った。

 

 だが、定期便で見たものは、それらとも違っていた。

 

 DD。

 

 人間とは生存所属の違う種。

 

 互いの生存をかけた戦い。

 

 そこにあったのは、喧嘩ではない。

 競技でもない。

 誰か一人を止めれば済む暴走でもない。

 

 殺し殺されるという、究極の暴力。

 

 どこまでも高い、抜けるような青空。

 

 そこに展開するISとDD。

 

 命を供物に参加を許される、厳かさと美しさ。

 荒廃と凄惨が同居する、原初の戦い。

 

 一夏は、まだそこに立ち入ることができない。

 

 今までとは違う。

 

 決して傍観しているだけではない。

 その戦いの入り口に立つ資格は持っている。

 

 白式がある。

 自分はISを動かせる。

 

 だが、資格と実力は違う。

 

「早くみんなを守れるように、一人前になりたいと思う」

 

 一夏は言った。

 

「いや、俺はそうならなきゃならない。そのために、この学園にいるんだから」

 

「一夏」

 

「弾よけくらいにしかならなくて、歯噛みしてる世界中の男たちの代表なんだから……」

 

 言いながら、一夏は少しだけ自嘲する。

 

「だけど、なんかよく分からなくなっちまって」

 

 殺し合いに慣れたくはないけどさ。

 

 そう呟いた。

 

 箒は少し黙ってから、すぱりと言った。

 

「知恵熱だな」

 

「ひどい」

 

「ISを扱えるからと言って、考えすぎだ」

 

 箒は竹刀を肩に担ぐ。

 

「大体、お前がISに触れてから、どれくらいの時間が経った? 多少結果を残したからと言って、自分に大それたことができるなどと思うのは、思い上がりも良いところだ」

 

「箒、容赦ないな」

 

「剣道だとてそうだろうが」

 

 箒は真っすぐに一夏を見る。

 

「始めたばかりの者が、いきなり師範代の代わりに道場を守るなどと言い出したらどう思う」

 

「……無茶だな」

 

「そうだ」

 

 箒は頷く。

 

「それに」

 

 指をぴんと立て、一夏の前に突きつけた。

 

「そう遠くないうちに、否が応でも私たちは社会に組み込まれる」

 

「社会?」

 

「個人などより、よほど大きなシステムに、だ」

 

 箒の声は固い。

 

 だが、そこには彼女なりの実感があった。

 

「国家。企業。軍。世論。世の人一人一人の期待。そういったものを背負うことになる。専用機持ちというのは、そういう立場だ」

 

 一夏は黙る。

 

「その時に押し流されないように。お前がきっと言いたいように、誰かを助けられるくらいに。より強くあるためには」

 

 箒は、一夏の胸を軽く叩いた。

 

「今できること、やるべきことは、自分を鍛え抜いて地力を蓄えることだと思わないか」

 

「それも剣道と変わらないか」

 

「そうだ。急がば回れ、だ」

 

 一夏は苦笑した。

 

「学科は追いかけるだけでやっとだから、急ぎたくても急げないけどな」

 

「……それは私も一緒だ」

 

 箒は小さく目を逸らした。

 

 その仕草が少し可笑しくて、一夏は笑う。

 

 箒も、つられるように笑った。

 

 幼い頃からずっと、二人は言葉を交わすのと同じように剣を交えてきた。

 

 遠慮なく肩を叩き合う。

 

 それが、二人の距離だった。

 

「……ん?」

 

 一夏がふと視線を動かした。

 

「どうした、一夏」

 

「あれ」

 

 一夏が指さした先。

 

 渡り廊下で、千冬と真耶、そして横島が会話していた。

 

 箒は眉をひそめる。

 

「ああ、あの助平教師か……」

 

 その視線の先で、千冬が横島のネクタイを整えた。

 

 遠目にも分かる。

 

 横島は動かない。

 千冬は手早く結び目を整え、最後に胸元を軽く叩いた。

 

 そして、逃げるように職員室の方へ歩き去る。

 

 横島と真耶も後を追う。

 

 箒は驚きに目を見開いた。

 

「あの千冬さんが、男のネクタイを直す、か」

 

 珍しいところを見られたな、一夏。

 

 そう言おうとして、箒は一夏の顔を見た。

 

 一夏は金魚のように口をぱくぱく動かしていた。

 

「え、あれ……え?」

 

 壊れたロボットのように繰り返す。

 

 呆けた表情で立ち尽くしている。

 

「……全く、忙しい奴だな」

 

 箒は深く溜息をついた。

 

 戯けてみせたり。

 悩んだり。

 笑ってみたり。

 そして今度は、姉の行動一つで壊れたように固まる。

 

 ころころ変わる感情。

 

 だが、そのどれもが嘘ではない。

 

 明け透けで、単純で、危なっかしい。

 

 なぜか人の好意にだけは恐ろしく鈍いことも含めて、一夏とはそういう人間なのだと箒は思う。

 

 だからこそ、恋をしているのだが。

 

「まだブラコンが治っていなかったか」

 

「な、なんだよ箒!」

 

「何でもない」

 

 箒は竹刀を肩に担ぎ直す。

 

「また後で、道場に行くか」

 

 体を動かせば、一夏の気持ちも多少は晴れるだろう。

 

 箒はそう考えていた。

 

 事は、そう単純でもなかったのだが。

 

     ◇

 

「轡木さん、会議には出席なさらなくてよろしいんですか?」

 

「なに、しがない用務員はこうやって、部屋で将棋を指すのが精々じゃて」

 

「あら、そんなご老人みたいなことおっしゃってると……あら、王手ですわね」

 

 楯無が自慢げに扇子を開く。

 

 そこには、まいったか、と書かれていた。

 

 いっそ清々しい。

 

「負けてしまったかな。いや、さすがは生徒会長。強いの」

 

「学園最強ですから」

 

「確かにの」

 

 轡木は穏やかに笑った。

 

 用務員室。

 

 窓から入る朝の光は柔らかく、机の上には将棋盤と茶菓子。

 年配の用務員と生徒会長が将棋を指しているだけなら、実に平和な光景だった。

 

 だが、この二人に限って、ただの平和な時間で終わるはずもない。

 

「しかし、せっかくの全休日に、わざわざこんな爺のところに来んでも」

 

「だって虚はルームメイトとどこか行っちゃったし、簪ちゃんは相変わらず相手してくれないんですぅ」

 

 楯無はぐすんと泣いたふりをする。

 

 轡木は慣れた様子で茶菓子を差し出した。

 

「ほれ」

 

「ありがとうございます」

 

 楯無は嬉しそうに口へ放り込む。

 

 その様子は、年相応の娘に見える。

 

 少なくとも、数時間前に空でDDの群れを迎撃指揮していた人間には見えない。

 

「この間、戦闘を覗いた一年生たちと遊ぼうかとも思ったんですけど」

 

 楯無は茶を飲みながら言った。

 

「彼女たち、何か楽しいことしてるみたいで。邪魔しちゃ悪いかなーって」

 

「邪魔するのが生き甲斐なんじゃろうに」

 

「違いありません」

 

 二人は、はっはっは、と笑い合った。

 

 長年の友人のようだった。

 

 しばらく笑い合い、やがて。

 

 空気が変わった。

 

 轡木の目が、剣呑な光を帯びる。

 

「で、どうかの。連中は」

 

 楯無も、笑みを残したまま目だけを変えた。

 

「着実に強くなっていますね」

 

「ほう」

 

「まあ、ゴキブリ駆除を続けていれば、耐性のある種類が出てくるのと一緒でしょうけれど」

 

「けれど?」

 

「ミステリアス・レイディも進化しますから、現状は問題ないかと」

 

「ISが、ではなくて、ですか」

 

 轡木の視線を、楯無は真っ向から受け止めた。

 

 不敵に微笑む。

 

「ええ」

 

 扇子を閉じる。

 

「私の可愛いミステリアス・レイディが、ですわ」

 

 轡木は、少し目を細めた。

 

「頼もしいの」

 

「頼もしくなければ、生徒会長なんてやっていませんわ」

 

「それもそうじゃな」

 

 用務員室には、再び茶の香りが戻った。

 

 だが、盤上の駒は、もうただの遊びには見えなかった。

 

     ◇

 

 太陽が中天を下り始めた頃。

 

 寮の一室。

 

 壁に背をつけ、伸ばした手でドアを静かに、だが確かにノックする人影があった。

 

 鈴である。

 

 彼女は周囲を確認し、小声でささやいた。

 

「山」

 

 中から少し間があった。

 

「……川」

 

 セシリアの声が返る。

 

 ドアが開いた。

 

 深い溜息と共に、いかにも気だるそうなセシリアが顔を出す。

 

「どうぞ、お入りくださいな」

 

「つか、何でそんな面倒くさそうなのよ」

 

「面倒くさいんですもの」

 

 セシリアは隠しもせず言った。

 

「なんで、せっかくの全休日にこんなことをしなくてはなりませんの」

 

「なんですって――って、ここで騒いだら台無しね」

 

 鈴は叫びたい気持ちをぐっとこらえる。

 

 ここで目立っては、せっかくの合い言葉も台無しだ。

 

「何よ。あの横島って先生のことを嗅ぎ回ってるんだから、それなりに気をつけないと駄目でしょうに。緊張感ないんじゃないの?」

 

「ルームメイトはもうトレーニングに出ている時間帯ですし。部屋に入ってしまえば、特に気をつける必要もないのではなくて?」

 

「食堂で話してて、楯無会長に首突っ込まれたら厄介だとか言ったのはセシリアでしょ。あの会長、神出鬼没なんだから、気をつけるに越したことないじゃない。退職に追い込もうとか言ってたのは、聞かれちゃったけどさ」

 

「……確かにそうだが」

 

 室内から箒の声がした。

 

「今時、日本人でもそんなベタな合い言葉は使わんぞ」

 

「全くだ」

 

 ラウラも言う。

 

「大体、相互認証したいのであれば、互いのISを使えば簡単だろうに」

 

「ラウラって、頭が回るようで回らないわね」

 

 鈴が呆れた。

 

「そんなことやったら、一発で織斑先生にばれるでしょーが」

 

「あ、あははは……」

 

 シャルロットだけが苦笑いを浮かべている。

 

 セシリア、箒、ラウラは鈴に冷めた視線を送った。

 

 鈴は気にする様子もなく、セシリアのベッドに遠慮なく腰を下ろす。

 

「ちょっと鈴さん。そんな座り方では埃が立ってしまいますわ」

 

「はいはい」

 

「せっかく私が、とっておきの紅茶を用意して差し上げましたのに……」

 

 セシリアは、やや得意げにラウンジ・テーブルを示した。

 

 そこには、アフタヌーンティーが整えられていた。

 

 ティースタンドには、スコーン、マドレーヌ、パウンドケーキ。

 小ぶりのサンドイッチもある。

 ポットからは、豊かな香りが立ち上っていた。

 

「お手製ですわよ」

 

 セシリアは澄まして言う。

 

「鈴さんには、ダージリンのセカンドフラッシュだの、マスカテルフレーバーがどうのと申し上げても、お分かりにならないんでしょうね」

 

「また気取っちゃってさ」

 

 鈴は鼻を鳴らす。

 

「どうせシャルロットあたりに手伝ってもらったんでしょ。自分じゃ何もできないブルジョワジーが」

 

「そ、そんなことありませんわ」

 

 セシリアの目が泳いだ。

 

 シャルロットも困ったように微笑んでいる。

 

 その二人の様子が、何より雄弁だった。

 

 だが英国淑女は引かない。

 

「全く、おこちゃまは大人の慎みというものを理解いたしませんのね」

 

「あんたとあたし、同い年でしょーが」

 

「まあ、同い年ではありますわね。少なくとも、生まれた年は同じですわね。ええ」

 

 セシリアの視線が、鈴の胸元へ落ちた。

 

 ゆったりと紅茶を口へ運ぶ。

 

 クリティカルな反撃をしながらも様になる姿が、余計に鈴をくさくささせた。

 

「ふん!」

 

 鈴は、どうやら高級らしい紅茶を一気にがぶ飲みした。

 

 マスカットのような香りに包まれながら、毒を吐く。

 

「えー、そーだわねー。同じだけ生きてきて、今まで紅茶以外の美味しいものを知らなかっただなんて、イギリスの方はお可哀想だこと。今度はあたしの部屋で中華料理を振る舞ってあげるから、楽しみにしてなさい」

 

「そ・れ・は・ど・う・い・う・い・み・か・し・ら?」

 

「あーら、言った通りの意味ですけどー? 分からなかったかしら?」

 

「もう、二人ともやめなよ」

 

 シャルロットが慌てて止める。

 

「「先にこの方が、この子がっ!!」」

 

「はいはい。喧嘩しないの」

 

 シャルロットは苦笑する。

 

「お茶するならしようよ。せっかく良いのを用意してくれたんだし。篠ノ之さんなんか、さっきからちゃんと楽しんでるじゃない」

 

「……ん、ああ。そうだな。うん」

 

 急に話を振られた箒は、少し驚いたように目を瞬かせた。

 

「どうしたの、篠ノ之さん?」

 

「いや、なんでもない。本当に美味しいな、この紅茶は」

 

「そうでしょう?」

 

 セシリアは誇らしげに胸を反らす。

 

「やっと貴方にも、高貴な人間の嗜みというものが分かってきたようですわね」

 

 箒は曖昧に笑った。

 

 実のところ、紅茶の味どころではなかった。

 

 とっととどこかへトレーニングへ出かけてしまった一夏のせいで、モヤモヤが晴れない。

 加えて、手元のカップが一客何万円と聞いてしまった。

 間違って欠けさせたらどうしようという緊張の方が強い。

 

 味を楽しむどころではない。

 

 全く、小市民だな。

 

 箒は内心で苦笑する。

 

 それでも、改めて見てみれば、セシリアの持ち込んだティーセットは確かに美しかった。

 

 淡く優しいラベンダーの色使い。

 繊細な縁取り。

 薄い磁器を通る光。

 

 箒の心を、いつになくふわりと柔らかくさせる。

 

 いつか、一夏とこういうティーセットでお茶の時間を持てたら。

 

 そんなことを、密かに思った。

 

 もちろん、口には出さない。

 

「まあ、合い言葉の件はともかく」

 

 箒はカップをそっとソーサーへ戻す。

 

「鈴の言い分も分からんでもないがな。教員を探るという行為自体、咎められる可能性もある」

 

「そうかもしれないけど……」

 

「いや、その通りだろう」

 

 一人、皆の喧騒など知らぬ風にカップを傾けていたラウラが言った。

 

「IS学園自体、その成り立ちから特殊な背景を持っている。軍事的な側面は拭いきれない。パイロットの教練所であり、研究所でもあるからな」

 

 ラウラは淡々と続ける。

 

「公開されていない情報を取得する目的の行為自体が、あまりよろしくない」

 

「……織斑先生にばれたら、どうなるんだろ」

 

 シャルロットが呟く。

 

「グラウンド十周?」

 

 鈴が言う。

 

「……勘弁してくれ」

 

 箒が本気で嫌そうな顔をした。

 

「あはは……その程度で済めばいいけどね」

 

 IS学園のグラウンドは、無駄に広い。

 

 非常時には、補給地、宿営地、緊急展開場所となる。

 そのため、生徒たちにも周知されているが、一周五キロ近くある。

 

 鍛え上げられた生徒でも、何周か走れば息が切れる。

 

 まして千冬は、一周何分と時間制限を課してくる。

 ただ走るだけでは済まない。

 

「もう、話が進みませんわ」

 

 セシリアが手を叩いた。

 

「どう取り繕うかは、見つかってからでも遅くはないでしょう。夕食まであまり時間もないですし、まずは互いに報告いたしませんこと?」

 

「ま、それでいいか」

 

 鈴は頷く。

 

「で、あんたは収穫あったの?」

 

「……いきなりそれですの?」

 

 セシリアは呆れた顔をする。

 

 自分は何もなかった、と言わんばかりの鈴である。

 

 また言い合いが始まりそうな気配に、箒が手を上げた。

 

 身の丈に合わない高級品を扱うのにも疲れていた。

 落ち着かない他人の部屋で、飲み慣れない紅茶を飲んでいても仕方ない。

 体を動かしたくて仕方がなかった。

 

 社交的でない自分に思うところはあるが、これも性分だ。

 

「では、私から報告する」

 

 箒は言った。

 

「何か訓練を受けたわけでもない。観察の域を出ないのは了承してくれ」

 

「もちろん」

 

 シャルロットが頷く。

 

「しかし、あの先生は怪しいと言えば怪しい部分が目立ちすぎて、かえってよく分からないのが正直なところだな」

 

「って言うと?」

 

 シャルロットが、生クリームを添えたスコーンを口に運びながら問いかける。

 

「学園の風紀を教師が思い切り乱している、という点もそうだが」

 

 箒は眉をひそめる。

 

「毎日のように学園でナンパ。あれでよく問題にならないものだ」

 

「確かにそうだよねえ」

 

 シャルロットは困ったように笑う。

 

「それでいて全敗ってのも、すごい話だけど」

 

「剣道部の先輩方にもそれとなく聞いてみたんだが、大体は辟易していたな。ごくわずか、まんざらでもない人たちもいるようだが」

 

「うわ、趣味悪」

 

 鈴が大仰に肩をすくめる。

 

 シャルロット以外の皆が頷いた。

 

「好みは人それぞれなんだから、せめて物好きくらいに――って、それも失礼かな」

 

「十分失礼よ」

 

 鈴が即座に返す。

 

「それなのに、織斑先生や山田先生とは仲が良いようだしな」

 

 箒は言った。

 

 朝のネクタイの一件は伏せた。

 

 自分でも、なぜ伏せたのかは分からない。

 

 恋敵への無意識の牽制だったのかもしれないし、一夏の反応を思い出して少し面白くなかっただけかもしれない。

 

「よく一緒にいるよねえ」

 

 シャルロットが言う。

 

「てか、大概、織斑先生に締められてない?」

 

 鈴が首を傾げる。

 

「ですわよねえ。こう、ネクタイを両端から思い切り――」

 

 セシリアが手で絞める動きをする。

 

 皆の見解はまとまらない。

 

 箒はさらに続けた。

 

「あと、肩書きだけでも開発部教員であるなら、もう少し授業に力を入れてくれても良さそうなんだがな。確かにサポート関係で世話になる上級生は多いようだが……」

 

「最初に授業はあまりしないって宣言してたもんね」

 

 シャルロットが考え込む。

 

「楯無会長が言うように、ISの武装、対DD兵器の開発に忙しいのなら、仕方ないのかなあ」

 

「私も引っかかるのはそこですわ」

 

 セシリアが堅めのビスケットをぱきんと鳴らした。

 

「開発に忙しいのであれば、少なくとも学園にはいるはずでしょう? だけど、あの先生は長期出張に出られることも多いとか」

 

「出張なら、何よ?」

 

 鈴が頬杖をつきながら、パウンドケーキに手を伸ばす。

 

「どうやら出張先は、他国の研究所でもなく、不特定の世界各国。しかも国連軍と行動を共にしているらしいんです」

 

「国連軍、ねえ」

 

 シャルロットが頷く。

 

「この学園に在籍する人は特定の国家に属さないって建前があるんだから、この情勢で各国を訪問するなら、ある意味で当然じゃない?」

 

 皆が頷いた。

 

 DDが跋扈する以上、護衛は欠かせない。

 

 セシリアやシャルロットがIS学園へ赴く際も、警備は厳重だった。

 

 各国は、DDへの脅威に備えて自国の兵員を簡単には割けない。

 そのため、国連軍が活用されることは多い。

 

「いえ、それだけならまだしも」

 

 セシリアは言葉を切った。

 

「どうやらあの先生……」

 

「訪問先で、試作兵器の実証実験をしているらしいな」

 

「って、ラウラさん! 私の台詞を取らないでくださいまし!」

 

 セシリアが抗議する。

 

 ラウラは気にしない。

 

「私も似たようなことを掴んだ」

 

「そ、それはどういうことですの?」

 

「結論から言えば、大した情報でもない」

 

「大した情報ではない?」

 

「私の場合、副官が優秀だったということだが」

 

 ラウラは淡々と言う。

 

「一兵員、一学生が短期間に掴める情報に価値などありはしない。そうする必要があるかどうかは知らんが、何か隠すものがあるのだとしたら、試作兵器の実験自体が、別の目的を覆い隠すためのフェイクだろうな」

 

「……そうかもしれませんけれど」

 

「まあ、あたしはそこまでの情報を期待して調べようって言ったんじゃないけどね」

 

 鈴が肩をすくめる。

 

「ま、セシリアのいらないお国自慢込みで長々聞かされるよりは良かったんじゃない? どうせ情報を掴んだイギリス軍はすごいんですのよ、とか言ったんでしょ?」

 

「なんですってぇ!」

 

 図星だったのか、セシリアは顔を真っ赤にした。

 

 鈴は、眼前にマドレーヌを突き出す。

 

「あんまりガミガミしてると糖分が不足するわよ?」

 

「怒らせているのはそちらではなくて?!」

 

 セシリアは荒々しくマドレーヌを掴み、苛立たしげに口へ押し込んだ。

 

 ふん、とそっぽを向く。

 

 シャルロットがまあまあとなだめる。

 

 ラウラは続けた。

 

「しかし、少々気になるのは、IS部隊を同行させていることだ」

 

「護衛でしょ?」

 

 鈴が言う。

 

「一機なら分かる」

 

 ラウラは首を振った。

 

「だが、国連軍が保有している……実質的には二十一カ国会議が保有している、その内の二個小隊が同行しているらしい」

 

「二個小隊、六機も?!」

 

 シャルロットが目を見開く。

 

「戦争が起こせる戦力よね、それ」

 

 鈴が低く言う。

 

「どうにも現実感が湧きませんわね」

 

 セシリアの言葉に、皆が頷いた。

 

 今の世界でDDに対抗できるのは、基本的にISのみ。

 

 銀の銃弾など、ある程度一般兵士が扱える武器も存在する。

 だが、それは補助に過ぎない。

 DDを打ち破る決定打にはならない。

 

 IS学園が出来てから十年ほど。

 

 保有機数に対して、パイロットの定員、充足率すら達成できていない。

 

 世界を守るには、ISは圧倒的に不足している。

 

 そんな貴重な機体を複数動員して行う実地試験とは、いったい何なのか。

 

「それに対しては回答が得られた」

 

 ラウラが言う。

 

「まさに言葉通りの意味合いだがな。想像していたよりも、あの教師は乱暴らしい」

 

「乱暴と言いますと?」

 

 セシリアが口に物を入れたまま問う。

 

「あんたね、せめて食べてから言いなさいよ……」

 

 鈴が呆れる。

 

「そのままだ」

 

 ラウラは気にしない。

 

「実戦で試験しているらしい」

 

「……実戦で?」

 

 シャルロットの手が止まる。

 

「そりゃまた……」

 

 鈴も言葉を失った。

 

「通常、最新軍事技術が量産兵器となって現れるまでには、実戦経験を経てなお、五年や十年といった長い年月を必要とするのが普通だ」

 

 ラウラは淡々と続ける。

 

「しかし、現在の情勢を考えれば、そのような長い時間をかける余裕がないのは、分かりきった話だ」

 

 DDは待ってくれない。

 

 被害は進む。

 戦線は変わる。

 

「それ故、検証できる機体は多ければ多いほどいいのだろう。それだけの機体を動員する価値があるのだろうし、そもそもIS自体がそういった側面を持つ兵器だ。さもあらん」

 

「確かに」

 

 シャルロットは、冷めてしまった紅茶を見つめる。

 

「ISは対DDで実戦使用しながら、検証と新たな開発を行っていたものね。トライアンドエラーっていうか、DDは待ってくれなかったし」

 

「選択と集中作戦における撤退支援も兼ねているかもしれんが、そこまでは分からん」

 

 ラウラは言った。

 

「訪問国は必ずしも作戦とリンクしていないようだしな」

 

 少し間を置く。

 

「しかしまあ、開発者自らが現地に赴く必要があるかどうかは知らんが……私はあの教師のことを、少なくとも嫌いではなくなった」

 

「へえ」

 

 鈴が意外そうに見る。

 

「あの軟派ぶりにはいささか参るが、ただ後方でのうのうとしているだけのボンクラではないわけだ」

 

 部屋に、少しだけ沈黙が落ちた。

 

 横島忠夫。

 

 印象は最悪に近い。

 

 だが、ただの変態教師ではない。

 

 DDのいる現場へ行く。

 試作品を持ち込む。

 国連軍のIS部隊と行動する。

 実戦で検証する。

 

 危険なことをしている。

 

 そして、成果を出している。

 

 セシリアは紅茶を見つめた。

 

「……ますます、分からなくなりましたわ」

 

「私もだ」

 

 箒が言う。

 

「でも、分からないなら、もっと見るしかないよね」

 

 シャルロットが静かに言った。

 

「そうね」

 

 鈴は頷く。

 

「それで分かった上で、やっぱり変態なら文句言えばいいのよ」

 

「変態であることは、すでに確定していると思うが」

 

 ラウラが言う。

 

「問題は、どの程度有用な変態か、という点だな」

 

「それ、本人の前で言ったら泣くと思うよ」

 

 シャルロットが苦笑する。

 

「泣いても懲りないでしょうけれど」

 

 セシリアはそう言って、紅茶を一口飲んだ。

 

 探る相手への警戒は、少しだけ形を変えていた。

 

     ◇

 

「なるほど。報告は了解いたしました」

 

 轡木理事長が、モニタに展開された画面を見据えていた。

 

 職員会議室。

 

 普段の会議よりも、空気はずっと重い。

 

 出席しているのは、千冬、真耶、横島、各部門の責任者、そして轡木理事長。

 必要最低限の人員に絞られている。

 

 情報の吟味はある程度終わっている。

 

 とはいえ、轡木の理解の早さには、横島も内心で舌を巻いていた。

 

 地脈。

 

 会議資料では、高エネルギー帯と名付けられている。

 

 モニタに表示された世界地図には、色分けされた領域が重ねられていた。

 

 人類の生存領域。

 DDの高頻度出現領域。

 地脈に相当する高エネルギー帯。

 シールド展開による消耗予測。

 今後の変遷予測。

 

 何日か前、横島が千冬たちに開示したデータと同じものだ。

 

 だが、こうして理事長を含む会議の場で示されると、その重みは変わる。

 

「横島先生には、このところの環境調査、兵装開発、および撤退支援への感謝を」

 

 轡木は静かに言った。

 

「この調査結果は、すぐに国連へ報告いたします」

 

「お願いいたします」

 

 千冬が、横島の報告に言い足した。

 

 横島は一歩引いている。

 

 この場では、千冬の方が言葉を通しやすい。

 

 それは横島も分かっていた。

 

 轡木は、モニタをじっと見つめたまま、ぽつりと呟く。

 

「我々が掴んだ、最初の反撃の種ですか……」

 

 会議室が静まり返る。

 

「大事に育てていきませんとね」

 

「……ええ」

 

 千冬が答える。

 

 それは、出席した者全員に共通した思いだった。

 

 轡木だけではない。

 

 その場にいる誰もが、モニタから視線を外せなかった。

 

 反撃の種。

 

 小さい。

 

 不確か。

 

 まだ芽が出るかどうかも分からない。

 

 それでも、初めて人類側がDDの法則へ手をかけた。

 

 ただ迎撃するだけではない。

 ただ耐えるだけではない。

 

 次へ進むための種。

 

「これで、あの作戦案の実行にも目処が立つでしょう」

 

 轡木は続けた。

 

「嬉しくはありませんが、急がねばならない理由も出来たことですしね」

 

 モニタに示された地図の表示が変わる。

 

 DDを示す赤い光点が、時間予測に従って移動する。

 

 地脈――高エネルギー帯の変遷予測に伴い、光点は増え、広がり、集中し、やがてある位置で停止した。

 

 そこには、大都市群があった。

 

 人類の人口と機能が集中する場所。

 

 経済圏。

 港湾。

 研究施設。

 行政中枢。

 交通網。

 

 そして、その下を走る高エネルギー帯。

 

「これがそう遠くない将来なのかと思うと、少々気鬱ですが」

 

 轡木は目を細める。

 

「彼らにとっての穀倉地帯……高エネルギー帯の真上に、我々の大都市群が存在していたとは」

 

 誰も言葉を発しない。

 

 横島は、地図を見た。

 

 ぞっとするほど、腑に落ちてしまった。

 

 人類は水と平野と交通の利便を求めて都市を築いた。

 

 だが、それは霊的な視点では別の意味を持っていたのかもしれない。

 

 人が集まる場所。

 祈りが集まる場所。

 恐れが集まる場所。

 欲望が集まる場所。

 死者が積み重なる場所。

 地脈の上に築かれた都市。

 

 そこは、人間にとっても力の集積地だった。

 

 そして、DDにとっても。

 

「全く」

 

 轡木は静かに言った。

 

「なんと言えばいいのか……」

 

 会議室に、重い沈黙が落ちる。

 

 反撃の種は見つかった。

 

 だがその種は、人類がどれほど危うい場所に立っているかを、同時に示していた。

 

     ◇

 

 土俵際だけど続け。

 

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