ISクロスGS ザ・グレート・ゲーム  【IS世界に横島忠夫を放り込んでみた】   作:監督

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第13話

 

 

 

「あ、あの女……! 美神さんよりひでえ……」

 

 浜辺に打ち上げられた溺死体。

 

 ではなく。

 

 横島忠夫――IS学園教師――は、誰もいなくなった砂浜に這いつくばりながら、そんな恨み言を吐いた。

 

 夕方にはまだ早い。

 

 太陽は、そろそろ地平線へ向けて足を速め始める頃合いではあったが、空は明るく、海面は眩しいほどに輝いている。

 

 本来なら、この時間帯は女生徒たちがビーチで自由時間を楽しんでいるはずだった。

 

 水着。

 砂浜。

 潮風。

 若い乙女たちの歓声。

 

 横島がその全てに期待しないはずがない。

 

 必死の思いで海底から浜へ戻ってきた横島の目に映ったのは、しかし、ただただ閑散とした砂浜だった。

 

 ビーチパラソルは畳まれている。

 荷物らしい荷物もない。

 女子生徒の姿もない。

 笑い声も、はしゃぐ声も、どこにもない。

 

 波音だけが、やけに大きく聞こえた。

 

 下手に期待した分、落胆は大きい。

 

 横島は砂浜で盛大にうなだれた。

 

 ぜいぜいと乱れた呼吸音が、波音に紛れて響き、砂地に吸い込まれて消えていく。

 

「『あいつら』を拘束するための霊糸結束バンドで簀巻きにした上に、潜り込んできたスーツケースには霊力霧散の御札……美神さんですら鋼鉄製のチェーンだったぞ」

 

 横島の来訪予定は、あくまで最終日だった。

 

 臨海学校初日は参加禁止。

 

 余計な混乱を嫌った千冬に、はっきり、きっぱり、絶対に来るなと厳命されていた。

 

 だが、その命令を素直に守る横島忠夫ではない。

 

 そして、命令を守らない者に甘い対処をする織斑千冬でもない。

 

「ごめんなさい横島さん」

 

 申し訳なさそうな真耶の声。

 

 その直後、スーツケースごと海へ投げ捨てられた。

 

 あの柔らかい声で謝られながら、容赦なく外洋へ運ばれていくのは、なかなか心に来るものがあった。

 

「ったくよ……へそくりの『これ』がなけりゃ、マジでやばかったっての」

 

 横島は左手をかざした。

 

 そこに、三つの小さな光が浮かび上がる。

 

 文字通り、横島の奥の手だった。

 

 だからこそ管理は厳重にしていた。

 

 だが、こうして体内に個体化し取り込めるようになった後も、ほとんどは千冬に取り上げられていた。

 

 曰く。

 

「お前に預けていてもろくなことにならん。新パーツ開発の部材にでもした方がいい」

 

 おかげで、自由に使える数は限られている。

 

 それでも横島は、わずかな隙を見て隠していた。

 

 命綱である。

 

 文字通りの意味で。

 

 今回も、それがなければ本当に危なかった。

 

「ふうう~ん。上手いこと隠してるもんだね~、よこっち?」

 

「えっ?!」

 

 不意に、背後から手が伸びた。

 

 残っていた最後の光が、ひょいと奪われる。

 

「ひっさしぶりー。元気だった、よこっち?」

 

「たった今、元気じゃなくなったよ、どちくしょう」

 

 横島は顔を上げる。

 

 そこに立っていたのは、兎耳型のマニピュレーター――いや、カチューシャと呼ぶべきか。

 

 不思議の国のアリスから抜け出してきたような、この青空と砂浜にまるで不釣り合いなロングドレスをまとった女。

 

 篠ノ之束だった。

 

 束は、いつものように不敵に微笑んでいる。

 

「束よう。返してくれねーかな、それ」

 

 横島は砂を払いながら立ち上がる。

 

「マジで最後の虎の子なんだけど」

 

「どうせ二、三日すればできるんだし、この天才にサンプルを預けるのに数は多いに越したことはないさ~」

 

 束は、奪った光を興味深げに眺める。

 

「あんな不細工な仕掛けを作ってるよりは、よっぽどスマートだよ」

 

「何言ってやがんだ。その不細工なもん作らせたのは、お前らだろーが」

 

 横島は眉をひそめる。

 

「……って、もしかしてできたのか、あれ。例の空中給油計画に基づくやつ」

 

「おっとっと。さすがによこっち、察しが早いねえ」

 

 束は楽しそうに笑う。

 

「ナンパの時もそれくらい察しが良かったら、無駄な努力をしないで済むんだろうにねえ」

 

「無駄な努力って言うな。必要あってのことだろーがよ」

 

「まあね~」

 

 束はくるりと回る。

 

「趣味と実益を兼ねて、ついでに世界平和にも貢献できる簡単なお仕事、だよねえ」

 

「できるだけ効率的に動くに越したことはねーよ」

 

 横島は砂浜の向こう、誰もいない海辺を見た。

 

「なんせ、今に至っても仲間はごくわずかなんだから」

 

「下手に素性がばれると、最悪、銃弾でばあん、だからねー」

 

「二十一カ国会議内のパワーバランスな」

 

 横島は嫌そうに顔を歪める。

 

「ったく。政治ってのは、どの世界でも厄介だよな……」

 

 抜けるような青空の下。

 

 久々に顔を合わせた二人は、長閑なようでいて、どこか剣呑な空気をまとっていた。

 

 カモメの群れが視界をかすめる。

 

 岬の向こうへ飛び去っていく。

 

 束はそれを見上げた。

 

「空を飛んでるのが、ああいうのだけだったら、この世界もちょっとは落ち着くのかもしれんけどな」

 

 横島が言う。

 

「『あいつら』がいなくなっても、変わらないかもしれないけどね」

 

 束の声は軽い。

 

 だが、言葉は軽くない。

 

「結局、世界が混乱してはっきりしたのは、降りかかる火の粉は自分で振り払うしかないってことだけさ」

 

 実質的に人間側の世界を動かしている二十一カ国会議。

 

 先進国グループ。

 つまりは金持ちによる貧困層の切り捨て。

 

 浸食される南半球からの撤退。

 ISの寡占。

 対DDを名目にした現有軍事力の掌握。

 重要拠点の選別。

 移動させる人口と、置き去りにされる人口。

 

 歪んでいく世界に溢れているのは、決して賛美の声などではなかった。

 

「ま、霊力がどんだけ強かろうと、軍隊に物量で来られたら勝てねえよ」

 

 横島は肩をすくめた。

 

「かといって、俺がISに乗るには問題ありだしな」

 

「そこんとこはどうにもねえ」

 

 束は軽く手を広げる。

 

「まあ、計画に沿う機体はできたんだけど」

 

 へっへん、と胸を張る。

 

 それから、束にしては珍しく、溜息をついた。

 

「箒ちゃんに、その機体をプレゼントして、派手にデビューって考えてたんだけどさあ」

 

 束の顔が、みるみる不機嫌になる。

 

「コメリカの連中が余計なことしてくれて、ごらんの有様だよ!」

 

 人っ子一人いない浜辺に、束の悪態が響いた。

 

「余計なこと……?」

 

 横島の表情が変わる。

 

 束の口調はふざけている。

 

 だが、彼女が本当に面白くなさそうにしている時ほど、事態は厄介だ。

 

「ちーちゃんのビキニ姿、見たかったのにっ!! んもうっ!!」

 

「そっちかい?!」

 

 横島は盛大にずっこけた。

 

 だが、すぐに顔を上げる。

 

「……ってまあ、確かになあ。あいつのマイクロビキニ姿、見たかった……」

 

 持参し、そして破棄された特製ビキニを思い出す。

 

 あの布面積。

 あの角度。

 あの危うさ。

 

 横島は拳を握りしめた。

 

「ものすっごいちっちゃな布の隙間から、たわわんと揺れる果実をこーね、もぎゅっと背後からねっ」

 

「上から下から組んずほぐれつなっ」

 

 二人は視線を交わした。

 

 そして、がしっと手を握る。

 

「うん。やっぱりよこっちは仲間だよねっ。実験対象なだけだけど!」

 

「あいつに恥ずかしい格好させたいってだけで仲間って言われんのも嫌だけどな!」

 

 どちらにせよ変態な二人の乾いた高笑いが、波を押し返す勢いでしばらく響き渡った。

 

 もっとも。

 

 その笑いの裏で、束は奪った光を指先で転がしながら、海の向こうを見ていた。

 

 横島も、それに気づいていた。

 

 ふざけていられる時間は、そう長くない。

 

     ◇

 

「ねえセシリア、なんでこうなったのか分かる?」

 

「分かるわけがありませんわ……って、なんで隣のクラスの貴方がこちらにいますの」

 

「宿の広間に荷物まとめて集められてるんだから、別に多少移動したっていいでしょ」

 

 鈴は悪びれなかった。

 

 いつもの態度である。

 

 セシリアも、苦笑するしかない。

 

 宿の広間には、生徒たちの荷物がまとめられていた。

 

 海辺の自由時間は切り上げ。

 水着から制服、あるいは動きやすい服装へ戻るよう指示。

 各クラスごとに点呼。

 荷物はすぐ運び出せるよう、一か所へ集約。

 

 明らかに、ただの予定変更ではなかった。

 

 珍しく鈴に賛意を示したのは、ラウラだった。

 

「分からんでもない。この分では、宿からも移動することになるかもしれんしな」

 

「せっかく楽しかった自由時間を切り上げて、やってることと言えば帰り支度だもんねえ……」

 

 シャルロットが溜息をつく。

 

「初日にそりゃないよって思うけど、織斑先生たちも何も言わないしね」

 

「やまぴーが『緊急事態です』って言った後は、何か変な手話使い始めちゃったし」

 

 鈴がラウラを見る。

 

「ラウラ、あんた読めなかったの?」

 

「知らん」

 

 ラウラは短く返した。

 

 鈴は興味深げな視線を向けるが、ラウラは柳に風と受け流す。

 

「仮に知っていても、軽率に話せるわけがなかろうが」

 

 ラウラは声を潜めた。

 

「読唇術の可能性すら避けて、オリジナルの手話を交わすくらいだ。余程差し迫った事態なのだろう」

 

「……やっぱり、ただごとじゃないってことですのね」

 

 セシリアの表情が硬くなる。

 

 ラウラは、セシリア、シャルロット、鈴の顔を順に見た。

 

 それぞれが専用機持ち。

 国家代表候補。

 有事になれば、生徒でありながら戦力として数えられ得る者たち。

 

「そもそも」

 

 ラウラは静かに言った。

 

「あの教師の身辺調査をした時に、学園側の動静に深入りはしないと決めたのではなかったか?」

 

 三人は言葉に詰まった。

 

「詳細は分からん。だが、これは明らかに待機命令ではなく撤退準備だ」

 

 ラウラは広間の様子を見る。

 

 荷物。

 点呼。

 教員の動き。

 通信機を手にしたスタッフ。

 表情を隠しているが、明らかに忙しない大人たち。

 

「専用機、訓練機、教員搭乗機も含めて三十は下らん数のISが集中している部隊が、逃げを打つ理由」

 

 ラウラの声がわずかに低くなる。

 

「想像したくもないのが正直なところだ」

 

「確かにそうですわね」

 

 セシリアは唇を引き結ぶ。

 

「深入りしようにも、どうにもなりませんが」

 

「余計な動きはしない方がいいか」

 

 鈴が頭の後ろで手を組む。

 

「なんか危なそうだしね」

 

「それがいいだろう」

 

 ラウラは頷いた。

 

「私とて、嫁に意を決して水着姿を披露したというのに台無しなのだ。気分がよろしくはないしな」

 

「ラウラの黒いビキニ、すごく似合ってたのにねえ」

 

 シャルロットが微笑む。

 

 口を尖らせていたラウラは、どこか照れたようにはにかんだ。

 

 視線が泳ぐ。

 

 その先には、箒と二人で壁際に立つ一夏の姿があった。

 

     ◇

 

「……どうした一夏。難しい顔をして」

 

「へ?」

 

 一夏は、まるで今まで箒に気づいていなかったように呆けた顔をした。

 

 箒は眉をひそめ、彼の頬をつねる。

 

「あたたたたたっ?!」

 

「千冬さんが何も言わないからって、またお前は何か考えすぎていただろう」

 

「いや、別に」

 

「顔に出ている」

 

 箒は手を離す。

 

「待機命令がどうなるか分からんが、これが終わったら竹刀でも振るか?」

 

「うげ。千本ノックじゃないんだから、勘弁してくれよな」

 

「そのくらいの方がいいんじゃないか」

 

 箒は腕を組んだ。

 

「千冬さんの下着を手にしてぼさっとしているお前を見た時は、ついにいかれたかと頭を抱えたからな」

 

「だから、それは誤解だって」

 

 一夏は即座に否定した。

 

 千冬は今、旅行に同行していた指揮車のオペレーションルームに籠もっている。

 

 そのため、一夏は千冬の分まで荷物をまとめていた。

 

 ただ、作業の途中で考え込んでしまい、手が止まっただけだ。

 

 一夏にとって、姉の洗濯物を扱うのは日常の一コマである。

 

 年頃の女性がはしたないとは思う。

 だが、別に欲情したりはしない。

 

 しかし、いつまでも集合しない一夏を呼びに来た箒にしてみれば、十分におかしな光景だった。

 

「まあ、そのくらいの方が、け、けけけけけ、健全ではあるのだろうがな……思春期の男子としては」

 

「だから誤解だって!」

 

 一夏は頭を抱えた。

 

 最近、横島のせいで男というものに対するひどい誤解が広まっている気がしてならない。

 

 横島が学園に復帰してからというもの、何かと世話を焼いてくれるのは嬉しい。

 

 だが、面倒の種も蒔いてくる。

 

 この間など、朝の廊下で大勢の女生徒がいる前で、

 

「おう、一夏。今日も朝○ちしてるかー?」

 

 などと口走った。

 

 一夏は慌てて口を塞いだが、後の祭りだった。

 

「一夏君って……」

「でも男の子って、ごにょごにょ」

「そもそも朝立○ってなに?」

「それはですね――」

 

 そんな噂が広がり、一夏はいたたまれなくなった。

 

 箒にしてみれば、もう少し自分たちに積極的になってくれ、という程度のニュアンスでしかない。

 

 だが、一夏に天を仰がせるには十分だった。

 

「そうじゃないよ、箒」

 

 一夏は溜息をつく。

 

「俺が思ってたのは、みんなよく笑ってられるなあってさ」

 

「笑って……?」

 

 箒は広間を見た。

 

 そして、すぐに理解する。

 

「ああ、なるほどな」

 

 詳細こそ知らされていない。

 

 だが、この場にいる生徒たちは、まだ笑みを絶やしていなかった。

 

 荷物をまとめながらも、冗談を言う。

 誰かの水着の話で笑う。

 慌ただしい教員たちを心配しながらも、必要以上に騒がない。

 

 まるで、今ここに着いたばかりと言われれば信じたかもしれないほどに、皆は普段通りに見えた。

 

 一夏の目には、先ほどまでの自由時間と変わらないようにすら映った。

 

「別に、苦しい顔をしていれば何が変わるわけでもないからな」

 

 箒は言った。

 

「いい加減、お前も分かってきたんじゃないのか?」

 

「何が?」

 

「みんな、笑っていようとしているのさ」

 

 箒の声は落ち着いていた。

 

「こういう時こそ、いつもと同じように」

 

「かもな」

 

 一夏は周囲を見る。

 

「だけどさ。なんていうか、屈託がないんだよな。ここの女の子たちの笑顔には」

 

 その言葉が適切かどうかは分からない。

 

 だが、少なくとも、自分の周りにいた人たちとは違うと一夏は思った。

 

 無差別に降り注ぐ悪意に耐え忍んで、苦しんで、それでもどうにかひねり出した笑顔。

 

 拾い上げた笑顔。

 

 どうにかしたい。

 でも、どうにもできない。

 

 そういう中で浮かべられる笑顔には、確かに人を惹きつけるものがあった。

 

 だが同時に、逃げ出してしまいたいという願望や、自分だけは助かりたいという生臭さ、何をしても同じなのだという厭世的な暗さを感じさせるものも多かった。

 

 もちろん、それが悪いわけではない。

 

 その方が自然なのかもしれない。

 

 だが、ここにいる生徒たちの笑顔は、どこか違って見えた。

 

「本気で信じているからだろ」

 

 箒が言った。

 

「努力がイコールで結果に結びつくわけじゃない。けれど、自分たちが、みんなを守る盾にも、矛にもなるんだって」

 

「……随分、訳知りなことを言うんだな、箒は」

 

「私はそう思っているからな」

 

 箒は少しだけ視線を逸らす。

 

「みんなにも、そうあってほしいと思っているだけかもしれないけれど」

 

「強いな、箒は」

 

「何を今さら」

 

 箒は、とぼけたように言った。

 

「ISでも剣道でも、お前に負ける気はせんぞ」

 

 一夏が笑う。

 

 案外、ISに女性だけが乗れるのは、彼女たちが強いからなのかもしれない。

 

 そんなことを一夏は思った。

 

 なら、自分はどうだ。

 

 男の代表として、彼女たちに引けを取らない強さを手に入れたか。

 

 そう考え、苦笑した。

 

 所属不明機が襲来した時、自分が口走った「守る」という言葉。

 

 理想に現実を追いつかせるには、何もかもが足りない。

 

 それは分かっている。

 

 ぼさぼさしていると、現実の方が一夏へ追いついてしまう。

 

 その時になって焦っても遅い。

 

 だからこそ、こうしているだけでいいのかという忸怩たる思いが浮かぶ。

 

 そして、それを見透かしたように隣の箒に呆れられるのだった。

 

     ◇

 

「ちーちゃん、来たよ~」

 

「よっす」

 

「二人とも遅いぞ」

 

 薄暗い指揮車内のオペレーションルーム。

 

 千冬はモニタを見据えたまま、振り返りもせずに告げた。

 

「海に投げ捨てたのは誰やねん……」

 

 横島がぶちぶち愚痴る。

 

 真耶は申し訳なさそうに手を合わせた。

 

「ご、ごめんなさい……」

 

「謝るなら投げる前にしてくれ、真耶ちゃん」

 

「やーやーやー。予想外の事態だからねー」

 

 束は軽い調子で言った。

 

「そんなに怒っちゃいやだよ」

 

「お前は発生当初からモニタリングできていたろうが」

 

 千冬の声は冷たい。

 

「ありゃ、ばれた?」

 

 束は笑う。

 

「さすがちーちゃん……って言いたいところだけど、そうでもないんだよねー」

 

「束さんでも、今回の状況はモニタリングできていなかったんですか?」

 

 キーボードを叩いていた真耶が手を止め、問いかける。

 

 束は真耶を一瞥した。

 

 いつものように、まともに答える気があるのかないのか分からない顔をしている。

 

 それから、量子展開したキーボードを叩き始めた。

 

 当然のように、指揮車のコンピュータへ割り込む。

 

 今さら真耶はそれに驚かなかった。

 

 だが、モニタに表示されたリアルタイムデータには、思わず目をむいた。

 

「私は箒ちゃんにあげる予定の八咫烏の仕上げにかかっていたから、アラートに気を配ってなかったんだけどさ」

 

 束は軽く言う。

 

「終わってからデータ見て、ちっと後悔しちゃったよ」

 

「これは……」

 

 真耶の声が震える。

 

「まさか、コアを意図的に暴走させたんですか?! 人を乗せながら?!」

 

 モニタには、異常な数値が並んでいた。

 

 出力過剰。

 制御系統の逸脱。

 中枢応答の拒絶。

 コアからの逆流。

 パイロット生命維持系への過負荷。

 

 各数値が異常を示し、システムエラーを警告し続けている。

 

「そうだよん」

 

 束はあっさり言った。

 

「私が実験機でやったことはあるけどさ。人は乗ってなかったけど」

 

「人が乗っていない実験機と、搭乗者ありの実戦機では意味が違うでしょう!」

 

 真耶が思わず声を荒げる。

 

 束は、肩をすくめた。

 

「ただ、あれを見て、何か気づいたみたいなんだよね、コメリカ。エネルギーバイパスに細工したみたい」

 

 束の目が、ほんのわずかに暗くなる。

 

「あー、ほんと。なんでもっと早く気づかなかったんだろ。こんな面白い人体実験」

 

「どこから情報が漏れた?」

 

 千冬が初めて振り返った。

 

 束を睨みつける。

 

 その怒気は激しく、横島が思わず一歩下がるほどだった。

 

 しかし束は、薄笑みを浮かべたまま微動だにしない。

 

「私は漏らしてないよん。そんなことしてもメリットないし」

 

 少し首を傾げる。

 

「いや、あったのかな? こんなデータ、滅多に取れないしー」

 

「ふんっ!」

 

 千冬の肩が怒りで揺れる。

 

 状況が把握できていない横島は、おずおずと真耶に耳打ちした。

 

「い、一体何がどーなってるの?」

 

「その……コメリカが保有するISの内の一機、銀の福音が暴走したんです」

 

 真耶は小声で答える。

 

「先ほどの束さんのデータからは、恐らく、パイロットを乗せたまま意図的に」

 

「パイロットを乗せたまま意図的に、って」

 

 横島の顔色が変わる。

 

「過負荷で魂がばらばらにされんぞっ?!」

 

「ナターシャがそんな実験に同意するはずがない」

 

 千冬の声は低かった。

 

「制御できると思っていたのだろうが、この茶番を仕組んだ輩には、相応の報いを受けてもらう」

 

 いっそ冷静な呟きだった。

 

 その冷静さが、かえって怒りの激しさを示していた。

 

 さすがの横島も、軽口を叩けない。

 

「が、状況はよろしくない」

 

 千冬は視線をモニタへ戻す。

 

「だからこそ、お前にコールを送ったんだ、束」

 

「まあねえ」

 

 束は指を鳴らす。

 

「さすがの束さんも、ちょっと頭に来てるよー。ぷんぷん」

 

 軽い口調。

 

 ふざけた仕草。

 

 だが、キーボードを叩く速度は異常だった。

 

 無数の文字列がモニタを滑り落ちていく。

 

 次々と分割ウィンドウが開いていく。

 

 メインモニタに表示されたポイントへ重なるように、十名以上のISパイロットのプロフィールが表示された。

 

 その中には、横島が兵装テストで見知った顔もいくつかあった。

 

「こんだけのパイロットの魂を回収し損ねたなんてねー」

 

 束は平然と言う。

 

「ただでさえコアの材料が不足してるんだから、戦闘するなら海じゃなく陸でやってほしいよ」

 

「束っ!!」

 

 千冬の右手が振り下ろされる。

 

 その手を、すんでのところで横島が受け止めた。

 

 厳しい面持ちの横島は、千冬の震える拳を掴んだまま、束を見た。

 

「いくら暴走したISとはいえ、実戦経験を積んだ腕利きが十何人もやられるのか?」

 

「うん。よこっちの言う通りだけどさ」

 

 束は答える。

 

「停止信号も受け付けないし、コメリカなら戦後を考えて、何かしらやってきてもおかしくはないよね」

 

「……あいつらの駆除にも目処が立ってないってのに、気が早いこった」

 

 横島は深く、深く溜息をついた。

 

 千冬の右手の震えが、少しずつ収まっていく。

 

 横島はそっと手を離した。

 

 そして改めてモニタを見る。

 

「このままだと、日本の領域に入るのも時間の問題か……」

 

「コメリカからの救援要請は、未だありません」

 

 真耶が報告する。

 

「政府への通達は?」

 

「異常はレーダーで感知しているでしょうが、正式な要請もしくは報告がない限り、あくまでもIS学園からの暫定報告でしかありません」

 

 真耶の声は悲痛だった。

 

「コメリカは同盟国ですし、スクランブルはかかるでしょうが、日本から迎撃するISも、政府の命令かコメリカの要請がない限り、現状では学園配備の機体を活用するしかありません」

 

 その間にも、銀の福音は刻一刻と日本へ向けて進行していた。

 

「本土に上陸すればどうなるか、分からんでもないだろうに……」

 

 千冬は吐き捨てる。

 

「どうせ領海間近にならんと要請も出ないのだろう」

 

「アラスカ条約を無視した違法改造の機体だもんね」

 

 束が画面を見ながら呟く。

 

「あ、また一機落とされたー」

 

 テレビゲームでもやっているかのような口調だった。

 

 だが、反映されるデータの向こうには、紛れもない戦場が広がっている。

 

 誰かの機体が撃墜された。

 

 誰かの生命維持信号が途絶えかけている。

 

 誰かの識別番号が、灰色に変わる。

 

「教員が出撃するのは当たり前だが」

 

 千冬は言った。

 

「この状況で、どこまで持つか不透明すぎる。戦力の確定しない……敵に、予測で部隊を当てるほど愚かなことはない」

 

 敵。

 

 千冬が胸から押し出したその言葉に、どれだけの想いが込められていたのか、横島には分からない。

 

 銀の福音はISだ。

 

 パイロットがいる。

 

 ナターシャという名の人間が乗っている。

 

 だが、今、その機体は日本へ向かっている脅威だった。

 

 モニタを睨みつけたまま、憤りと怒りを静め、努めて冷静であろうとする千冬の背中が、何より彼女の思いを代弁していた。

 

 重い沈黙が、オペレーションルームを満たす。

 

 そこへ、真耶の報告が響いた。

 

「束さんの直通回線ではなく、こちらのレーダーにも福音が反映されました。データを反映……?!」

 

「どうした?」

 

 千冬が問う。

 

「いえ……あれ、どうして……?!」

 

 真耶は慌ててパネルを操作する。

 

 不可解な表情でキーボードを叩き続けた。

 

 何度も確認する。

 

 識別信号。

 位置情報。

 軌道。

 出力反応。

 敵味方識別。

 DD検知網との照合。

 

 だが、結果は変わらない。

 

 やがて真耶は、諦めたようにメインモニタへデータを投影した。

 

「その……ありえないことですが……」

 

「事実だけを正確に報告しろ、真耶」

 

 千冬の声は毅然としていた。

 

 その一方で、真耶は戸惑いを隠せない。

 

「は、はい。その、位置情報などから間違いはないと思われますが……福音が」

 

「福音が、どうした!」

 

 焦れた千冬の強い声が、真耶の背を押す。

 

 真耶は唾を飲み込んだ。

 

 決して間違いのないように。

 

 慎重に。

 

 しかし、混乱を隠せない声で告げた。

 

「福音が、敵性体、つまり……」

 

 モニタの赤い表示が、銀の機体を示している。

 

 ISとしてではなく。

 

 人類側の識別としてでもなく。

 

「ナターシャさんの搭乗するISが、DDとして認識されています!」

 

 その瞬間、誰も言葉を発しなかった。

 

 波音の届かない指揮車の中で、アラートだけが、冷たく鳴り続けていた。

 

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