ISクロスGS ザ・グレート・ゲーム  【IS世界に横島忠夫を放り込んでみた】   作:監督

2 / 16
第2話

 

 

 

 名乗りなど、なかった。

 

 相手が言葉を理解するのかどうかすら分からない。

 そもそも、互いに名を告げ合うような相手でもなかった。

 

 空を裂いて迫るのは、背に翼を持つ醜悪な石像の群れ。

 人に似た胴。獣に似た顔。鉤爪の生えた腕。石を削り出したような皮膚の隙間からは、黒ずんだ粘液が滲んでいる。

 

 ガーゴイル。

 

 横島忠夫の世界では、下級妖魔に分類される存在である。

 

 だが、この世界にとっては違う。

 

 この世界には、妖怪も悪霊も悪魔も、存在していなかった。

 少なくとも、人類の前に実体を伴って現れるものではなかった。

 

 だからこそ、それらはまとめて「あいつら」と呼ばれていた。

 

 名前を与えるには、あまりに異質で。

 分類するには、あまりに情報が足りず。

 そして、放置するには、あまりに危険だった。

 

 その群れに向かって、白い機体が一機、真正面から飛び込んだ。

 

 織斑千冬の駆るIS、白騎士。

 

 その姿は、南洋の陽射しを受けて眩く輝いていた。

 白い装甲。背に展開した推進翼。人型でありながら、戦闘機でも兵士でもない異様な存在感。

 

 空に立つ騎士。

 

 その名に偽りはなかった。

 

 千冬は小手調べなど必要ないとばかりに、機体を一瞬沈ませた。

 

 次の瞬間、白騎士が空を跳ねた。

 

 飛ぶ、というより、弾ける。

 空間の一点を蹴ったように角度を変え、迫り来る先頭のガーゴイルの懐へ潜り込む。

 

 ガーゴイルの濁った目が、千冬を捉えた。

 

 遅い。

 

 千冬の膝が、みぞおちに入った。

 

 肉ではない。

 石に似た硬質な胴体。

 だが白騎士の加速と千冬の踏み込みが合わさった一撃は、その装甲のような表皮を容易く砕いた。

 

 鈍い破裂音。

 

 ガーゴイルの胴が内側から弾け、黒い液が空中に散る。

 

 千冬は止まらない。

 

 蹴り抜いた脚をそのまま振り切り、回転の勢いを二体目へ乗せた。

 白い脚部装甲が、二体目の頭部を横から叩き割る。

 

 石が砕ける音。

 濁った咆哮。

 翼を失ったガーゴイルが、海面へ向かって落ちていく。

 

 三体目は、それまでの二体より速かった。

 

 千冬の軌道を読んだのか、翼を大きく広げ、真正面から体当たりを仕掛けてくる。

 

 口が裂けるほど開いた。

 石像の顔に、不適な笑みが浮かんだように見えた。

 

 千冬はわずかに眉を動かす。

 

「少しは考えるか」

 

 ガーゴイルの体当たりが、白騎士を下方へ弾き飛ばした。

 

 地上であれば、足をつく場所がある。

 壁でも、床でも、地面でも、何かを蹴って姿勢を戻せる。

 

 だが、ここは空だ。

 

 支えるものはない。

 踏みしめるものもない。

 弾かれた白騎士は、放物線を描いて海面へ落ちていく。

 

 このままでは、叩きつけられる。

 

 そう見えた瞬間、千冬は仰け反るように背を反らした。

 

 白騎士のブースターが唸る。

 

 海面すれすれで、機体が反転した。

 波が爆ぜ、白い飛沫が弧を描く。

 

 千冬はその勢いを殺さない。

 

 むしろ利用した。

 

 反転からの再加速。

 すれ違いざま、右手に雪片を抜き放つ。

 

 白騎士唯一の近接武装。

 雪片と呼ばれる刀が、陽光を受けてかすかに光った。

 

 刃が走る。

 

 三体目のガーゴイルは、笑みを浮かべた姿勢のまま両断された。

 

 時間にすれば、わずか数瞬。

 

 だが、その数瞬で三体が落ちた。

 

 浜辺から見上げていた横島は、思わず口を開けていた。

 

「……おいおい」

 

 強い。

 

 単純に、強い。

 

 横島は魔族とも神族とも戦ってきた。

 美神令子の助手として、常識外れの戦場に放り込まれることなど何度もあった。

 

 だから、強い相手を見る目はある。

 

 千冬の動きは、ただの兵器の操縦ではなかった。

 

 機械を動かしているのではない。

 あの白い鎧を、自分の体の一部として扱っている。

 

 ガーゴイルは怯まなかった。

 

 先頭の数体を瞬殺されても、群れは止まらない。

 それどころか、それまでバラバラに飛んでいた個体たちが、誰からともなく動きを合わせ始める。

 

 高く回り込むもの。

 低く海面近くを滑るもの。

 真正面から千冬の視界を塞ぐもの。

 背後へ回り込もうとするもの。

 

 粗雑だが、無秩序ではない。

 

 千冬は舌打ちした。

 

「群れるだけではない、か」

 

 ガーゴイルたちは、直接爪を立てるだけではなかった。

 

 奇声を上げながら口を開く。

 

 次の瞬間、黒緑色の液体が連続して吐き出された。

 

 それは弾丸ではない。

 炎でもない。

 だが、空中で糸を引くように伸び、白騎士の装甲へ降りかかる。

 

 じゅう、と嫌な音がした。

 

 白い装甲の表面が、わずかに焦げ、溶ける。

 

 溶解液。

 

 横島の世界でも、ガーゴイルが使う厄介な攻撃の一つだった。

 

 千冬は素早く距離を取る。

 

 装甲の損傷は軽微。

 シールドバリアーも機能している。

 だが、気分の良いものではない。

 

 白い機体に黒ずんだ液が絡む。

 陽光の下で、それはひどく不快に見えた。

 

「数が多いな」

 

 千冬は空中で姿勢を整え、雪片を構え直す。

 

 見渡す限りの蒼い空と海。

 逃げ場は広い。

 だが、守るべき者がいる以上、好きに引き離すわけにもいかない。

 

 島には束がいる。

 横島という、素性不明の異邦人もいる。

 

 そして、この群れがどこまで増えるのかも分からない。

 

 千冬は一度、大きく息を吸った。

 

「さて、どうするか……」

 

 かすかに光を帯びる雪片を、ゆっくりと構え直す。

 

 ガーゴイルの群れが、空を黒く染めるように広がっていた。

 

     ◇

 

「う〜ん。さすがのちーちゃんも、あの数にはちみっと苦労するかな〜?」

 

「いや、苦労するかな、じゃなくてさ」

 

 浜辺では、横島と束が空を見上げていた。

 

 横島は落ち着かない。

 

 当然である。

 

 ガーゴイルの群れが空を飛び、千冬がそれを一人で相手取っている。

 横島から見れば、見慣れた妖魔であり、見慣れた危険だった。

 

 だが、ここは異世界だ。

 

 彼は空を自由に飛べない。

 文珠を使えば跳ぶことはできる。移動もできる。結界も張れる。攻撃もできる。

 

 だが、いきなり空中で白騎士とガーゴイルの高速戦闘に割り込めるかといえば、話は別だった。

 

 間合いが違う。

 速度が違う。

 何より、千冬の戦い方をまだ知らない。

 

 下手に手を出せば、援護どころか邪魔になる。

 

 横島には、それが分かっていた。

 

 だからこそ、歯がゆかった。

 

「ガーゴイルってのは、あれで結構手強いんだぞ?」

 

 横島は空を見たまま言う。

 

 機動力も、防御力もそこそこ高い。

 下級妖魔としては知恵も回る。

 加えて、あの溶解液だ。

 

 数が集まれば厄介な相手になる。

 

 美神なら、どうにかするだろう。

 唐巣神父やピート、タイガー、雪之丞、ほかのGSがいれば、戦い方はいくらでもある。

 

 だが、一人で群れを相手にするとなると話は違う。

 

 横島自身、散々な目に遭った記憶がいくつもあった。

 

「ん、大丈夫だよ、よこっち」

 

 束は、まるで浜辺で花火でも眺めているような調子だった。

 

 ロングスカートが海風に揺れる。

 頭上のマニピュレーターは、千冬の動きとガーゴイルの群れを追うように小刻みに動いていた。

 

 その表情は薄笑い。

 

 捉え所がない。

 

「結局のところ、どうやって片付けるかの問題でしかないからさ」

 

「そりゃそうかもしれんが、あの数だぞ?」

 

「よこっちは元の世界でGS? とかいうのだったんでしょ。ああいう時はどうしてたのさ」

 

「逃げた」

 

「……はぁ?」

 

 束が、心底意外そうな顔をした。

 

 横島は当然のように胸を張る。

 

「いや当たり前だろ。多勢に無勢だぞ? さんざ殴られたり蹴られたり、痛いんだよ?! フルボッコだよ?! しまいに溶解液ぶっかけられた日には、皮膚溶けんだぞ?! 美神さんとか他のGS達がいたらともかく、普通逃げるだろ!」

 

「えー」

 

「えー、じゃねえ! だいたい今だって、できるなら逃げてんぞ? 空を飛んでる群れ相手に、地上から何しろってんだ!」

 

 横島の返答に、束が一瞬きょとんとした。

 

 そして。

 

「ぷっ」

 

 笑った。

 

「くくくく……あははははははははは!」

 

 腹を抱えて笑い出した。

 

 横島はむっとする。

 

「なんだよ」

 

「いい! いいね、それ! そっか、逃げるかあ。そりゃ逃げるよねえ。あ〜、あたし以外にそう思う人がいるとは思わなかった!」

 

「お前、笑いすぎだろ!」

 

「だって、おかしいんだもん。よこっちは薄情だね〜。解決してあげなきゃ困る人がいたんだろうにさ」

 

 束は何度も横島の肩を叩く。

 

 その言葉には、からかいだけではない何かが混じっていた。

 

 横島は一瞬、返し損ねた。

 

 普通なら、ここで「逃げるな」と言われる。

 美神なら怒鳴る。

 唐巣神父なら諭す。

 おキヌちゃんなら心配する。

 

 だが束は笑った。

 

 逃げるという選択肢を、まるで当然のこととして受け入れた。

 

「……お前、変なやつだな」

 

「よく言われるよん」

 

「褒めてねえよ」

 

「知ってる」

 

 束は楽しそうに笑う。

 

 横島は空へ目を戻した。

 

 千冬が動いた。

 

 そう感じた瞬間、白騎士はすでに間合いを詰めていた。

 

「……速い!」

 

 横島の口から声が漏れる。

 

 白騎士が群れの中へ切り込む。

 

 斬撃が連続して走った。

 雪片が閃くたび、ガーゴイルの腕が飛び、翼が裂け、胴が割れる。

 

 千冬は一か所に止まらない。

 

 斬る。

 蹴る。

 体を入れ替える。

 溶解液を吐かれる前に、吐き出す口ごと割る。

 飛びかかる個体は、刀ではなく肘と膝で砕く。

 

 近接してきた個体には、爆竹のように途切れることのない連打を叩き込んだ。

 だが一撃一撃は軽くない。爆竹というより、至近距離で炸裂する小型爆弾の連続だ。

 

 白騎士の四肢がガーゴイルの硬い皮膚を突き破る。

 

 砕ける感触。

 潰れる手応え。

 黒い液が装甲に散る。

 

 千冬の顔には嫌悪が浮かぶ。

 

 だが、止まらない。

 

 嫌悪している暇などない。

 次が来る。

 その次も来る。

 

 ガーゴイルは数で押してくる。

 

 千冬が一体を斬れば、その死角へ二体が入る。

 二体を蹴り落とせば、上から三体が溶解液を吐く。

 距離を取れば、群れ全体が広がり、島へ向かう個体が出る。

 

 横島は歯噛みした。

 

「おい、束。ISってモノのことは分かんねーけど、あれで大丈夫なのか?」

 

「そんなに心配しなくても、大丈夫だよん」

 

 束は指を一本立てた。

 

「この大天才、束さん開発のIS補助機構、PIC――パッシブ・イナーシャル・キャンセラーも、ハイパーセンサーも、コア・ネットワークも、シールドバリアーも、ついでに絶対防御も、全て絶賛正常作動中!」

 

「お、おう」

 

「ガーゴイルの群れの一つや二つ、ちゃちゃちゃーっと片付けてくれますって!」

 

 束は明るく言った。

 

 だが、その声の最後に、小さく付け足した。

 

「……ちーちゃんなら、ね」

 

「ん?」

 

「なんでもなーい」

 

 横島は聞き取れなかった。

 

 あるいは、聞き取れても意味までは分からなかっただろう。

 

 束は空を見ている。

 

 そこに浮かぶ白い機体を、ただの兵器としてではなく、自分の作った可能性として見ている。

 そして同時に、そこに乗る千冬を、誰よりも信頼している。

 

 横島は、少しだけ黙った。

 

 白騎士が、空中で弧を描く。

 

 ガーゴイルの群れが、それに引きずられるように形を変えた。

 千冬は群れ全体を動かしている。

 

 正面から突っ込むだけではない。

 逃げる個体を追うだけでもない。

 島へ向かわせないよう、海上へ押し戻し、溶解液を吐く角度を潰し、群れの密度を上げさせる。

 

 密集した瞬間、白騎士が垂直に跳ね上がった。

 

 直後、ガーゴイルたちの吐いた溶解液が、互いの体に降りかかる。

 

 奇声。

 

 混乱。

 

 そこへ、千冬が落ちてきた。

 

 雪片が円を描く。

 

 数体まとめて、翼が切り落とされた。

 

「うわ、えぐい」

 

 横島が呟く。

 

「褒め言葉として受け取っておくよん」

 

「お前が受け取るな」

 

 それでも、横島は目を離せなかった。

 

 千冬は強い。

 だが、楽ではない。

 

 数が多すぎる。

 

 いくら一体一体を圧倒しても、連続すれば疲弊する。

 白騎士の装甲に浴びた溶解液も、少しずつ痕を増やしていた。

 

 千冬は、それを分かったうえで戦っている。

 

 短期で終わらせるため、群れの動きを誘導している。

 

 そして、その狙いは成功した。

 

 逃げ場を失ったガーゴイルたちが、ひと固まりになる。

 

 千冬は雪片を構えた。

 

 白騎士の出力が上がる。

 

「終わりだ」

 

 白い閃光が走った。

 

 横島の目には、斬撃が一本に見えなかった。

 

 空中に幾重もの線が重なり、白い花が咲いたように見えた。

 

 次の瞬間、ガーゴイルの群れがまとめて崩れた。

 

 翼を失ったもの。

 胴を断たれたもの。

 頭部を砕かれたもの。

 

 黒い影が、次々と海へ落ちていく。

 

 波が幾つも立った。

 

 空に残るのは、白騎士ただ一機。

 

 千冬はしばらく周囲を警戒し、それからゆっくり島へ降りた。

 

 着地した白騎士の装甲には、溶解液の痕がいくつも残っていた。

 それでも、千冬の姿勢は崩れていない。

 

「おつかれ、ちーちゃん」

 

 束が手を振る。

 

「軽く言うな」

 

 千冬は短く返す。

 

 その声には、わずかな疲れが混じっていた。

 

 横島は、無意識に頭を下げた。

 

「すげえな、あんた」

 

「褒めても何も出んぞ」

 

「いや、そういうんじゃなくてさ」

 

 横島は空を見上げる。

 

 さっきまで黒い影で埋まっていた空は、もう青く戻っていた。

 

「本当に、守ってんだな。この世界を」

 

 千冬は一瞬だけ横島を見た。

 

 何かを言いかけたが、やめた。

 

「休むぞ」

 

 それだけ言って、白騎士を解除する。

 

 さすがに疲弊していた千冬を気遣い、その後しばらく三人は島で休養を取った。

 束は戦闘データを確認し、横島は文珠の残数を確認し、千冬は黙って海を眺めていた。

 

 帰還の準備が整う頃には、夕暮れの太陽は水平線へ近づいていた。

 

 忍び寄る夜の闇が、懸命に赤い光を追い立てている。

 

     ◇

 

 帰路。

 

 三人は海上を飛んでいた。

 

 正確には、飛んでいるのは千冬である。

 

 白騎士の背には束。

 横島はというと、機体から伸ばされたブランコ状のロープに座らされていた。

 

 待遇の差が激しい。

 

「なあ、俺だけこれなの?」

 

「お前を背中に乗せる理由がない」

 

「束は乗ってるじゃん!」

 

「私は可愛いからね」

 

「理由になってねえ!」

 

「あと、変な動きをしないからな」

 

 千冬が淡々と言う。

 

 横島は即座に視線を逸らした。

 

 なぜなら、さきほど背中に乗せろと要求した際、彼は「不可抗力で密着する可能性」を妙に熱心に説明してしまったからである。

 

 結果、ブランコになった。

 

 自業自得だった。

 

 海風が横島の髪を乱す。

 下を見れば、夜へ向かう海がどこまでも広がっていた。

 

 千冬はふと思い出したように問いかける。

 

「そういえば、横島。お前、どこか暮らすあてはあるのか……と、聞くまでもないか」

 

「まあな。似ている部分はあるとはいえ、GSが存在しない以上、縁のある人たちがいるとも思えんし」

 

「戸籍もない。身分証もない。金も使えるか分からん。厄介だな」

 

「身も蓋もないこと言うなよ」

 

「事実だ」

 

 横島は唸る。

 

 異世界転移。

 

 言葉にすれば派手だが、実際に起きてみれば問題はひたすら現実的だった。

 住む場所。食べるもの。身分。金。帰還手段。

 

 美神の事務所がどれほどありがたい場所だったか、今さらながら身に染みる。

 

「よこっちのDNAマップくれるなら、あたしん家に泊めてあげてもいいよん♪」

 

「DNAマップ?」

 

 横島が反応する。

 

「DNAだって?! それは遺伝子、つまりこんな美少女が、一晩俺にヤラせてくれ――」

 

「あ、手が滑った」

 

「ちょ、千冬さぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ?!」

 

 ロープが切れた。

 

 横島の悲鳴が、ドップラー効果を伴って海へ落ちていく。

 

 白騎士は何事もなかったかのように飛び続けた。

 

 千冬は冷めた目で見送る。

 

「束」

 

「なあに、ちーちゃん?」

 

「せっかく、現状を解決する糸口になる鍵が現れたと思ったのだが……」

 

 千冬は深く息を吐いた。

 

「あんなんに頼っていいんだろうか?」

 

「別に頼らなくてもいいんじゃない?」

 

 束はあっさり答えた。

 

「利用すればいいじゃん」

 

 千冬は黙った。

 

 束は続ける。

 

「DNAマップだって、あたし割と本気だよ? もし必要なら、よこっち自体をコ――」

 

 言いかけて、束は口をつぐんだ。

 

 風の音だけが流れる。

 

 千冬は、束が何を言おうとしたのか、朧に分かった。

 

 コピー。

 

 複製。

 

 解析。

 

 分解。

 

 言葉は何でもいい。

 

 束の頭の中では、人間を人間として扱う線引きが、時折ひどく曖昧になる。

 

「またお前は、そんなことを……」

 

「でも、そうしないとどうしようもないし」

 

 束の声は軽かった。

 

 軽いのに、芯が冷えていた。

 

「できないなら、同じことの繰り返しだよ。このまま、緩慢に滅んでいきたい、ちーちゃん?」

 

「……」

 

 千冬はすぐに答えられなかった。

 

 夜の海。

 月の輝く星空。

 街の灯りが届かない空は、ひどく綺麗だった。

 

 綺麗すぎて、寂しいほどだった。

 

 この空の下に、人の住む街がある。

 家がある。

 学校がある。

 千冬の弟がいて、束の妹分がいて、何も知らずに眠る人々がいる。

 

 その当たり前を守るために、千冬は戦ってきた。

 

 だが、守れているのか。

 

 それとも、ただ滅びを先延ばしにしているだけなのか。

 

 答えは出ない。

 

「しかし束」

 

 千冬は話題を変えるように言った。

 

「アイツが他の世界から来たという話、本当に信じていいのか?」

 

「信じる、というか、信じざるを得ないよね〜」

 

 束はいつもの調子に戻った。

 

「平行世界に関わる理論は、ある程度確立されてるわけで。問題は移動手段がなかったこと。よこっちはどうやら、その手段を行使して、この世界に来ちゃったみたいだし」

 

「文珠、だったか」

 

「そうそう。しかも、この世界の人間では到底不可能な物証まで見せられちゃった。あれを手品とか詐欺で片付ける方が無理だよ」

 

「エネルギー体を物質化するなど、ISコアを利用して初めて可能になった現象を、生身でこなす」

 

 千冬は呟く。

 

「これだけで、世界はまたひっくり返るだろうな」

 

「だから大事にしないとね」

 

「どの口が言う」

 

「この可愛いお口」

 

「黙れ」

 

 束は笑った。

 

 千冬は、また空を見上げた。

 

 神や悪魔が、気づけば隣にいるような世界。

 

 横島の話が本当なら、そういう世界が存在する。

 

 人間の概念上の存在でしかないと思っていたものが、現実として存在する世界。

 そこでは、人はどう生きているのだろう。

 

 こちらの世界にも光と闇はある。

 

 だが、神の声は届かない。

 祈っても、答えは返らない。

 それなのに「あいつら」の攻撃だけは、疑いようもない現実として眼前にある。

 

 今日まで自分や束がやってきたこと。

 横島が現れた理由。

 今までと、これから。

 

 二つの時間が交差し、より大きなうねりとなって、自分たちを呑み込もうとしている。

 

 千冬には、そう思えてならなかった。

 

「……なんにせよ、明日からだな。今日はもう疲れた。一夏がいれば、マッサージでもしてもらいたいところだが」

 

「いっくんのマッサージ、気持ちいいもんね〜。あたしん家の箒ちゃんは、最近反抗期で悲しいけど。いい加減にしないと殴るぞ、とか、殴ってから言うの。最近会えてないけど。ぐっすん」

 

 束の頭上マニピュレーターが、本人と同じようにしゅんと垂れる。

 

 自業自得だ。

 

 千冬はそう思ったが、口には出さなかった。

 

「しかしまた、頭が痛いな。異世界の男がああスケベだとは思わなかった。一夏とはえらい違いだ」

 

「あはははは。いっくんみたいな鈍感魔神を基準にするのもあれだけど、よこっちは多分、向こうでも十分すぎるほど変態だと思うよ〜。警官に『変質者は取り締まらねばならん!』とか言って追いかけ回されてそう」

 

「はっ。違いない」

 

 二人は笑った。

 

 風と波の音だけが、月明かりの下で煌めく。

 笑い声は、朧月夜に溶けていった。

 

 しばらくして。

 

「……ん?」

 

 千冬が何かに気づいた。

 

「そういえば、アイツはどうした?」

 

「さっき、ちーちゃんが海に落としたじゃ〜ん」

 

「……!」

 

 千冬の顔色が変わる。

 

「早く言わんか、束っ!」

 

     ◇

 

「サメ! サメがっ!! 俺はおいしくないぞ、あっち行け!! こら足噛むなっ!! やめろ、そっちはもっとやめろ!! 畜生、女なんて、女なんて、女なんてー!!」

 

 夜の海に、横島の悲鳴が響く。

 

「死ぬのはイヤああああぁ――!!!」

 

     ◇

 

 朝日が、カーテンの隙間から顔を覗かせていた。

 

 薄く差し込む光が、部屋の中を少しずつ明るくしていく。

 

 簡素な部屋だった。

 

 ベッド。

 机。

 椅子。

 最低限の収納。

 

 生活感は薄い。

 客間というより、一時的に人を泊めるために整えられた部屋だった。

 

 そのベッドの上に、横島忠夫は横たわっていた。

 

 いや。

 

 横たわらされていた。

 

 両手両足を、ISアームによって固定されている。

 

 動けない。

 

 実に見事に動けない。

 

 朝になっても、その拘束は解かれていなかった。

 

 扉が開く。

 

 織斑千冬が入ってきた。

 

「よく眠れたか、横島?」

 

「おかげさまで、ぐうううううっすりと」

 

 横島は両手両足を拘束するISアームを、嫌味たらしく見せつける。

 

 だが千冬は平然としていた。

 

「一晩で三回も夜這いに来る馬鹿に着せる布団は、それくらいしか思いつかなかったのでな」

 

「布団じゃねえ! 拘束具だろこれ!」

 

「似たようなものだ」

 

「全然違うわ!」

 

 横島はじたばたする。

 

 アームはびくともしない。

 

 千冬は腕を組んで見下ろした。

 

「あれだけの警備をどうやってかいくぐったんだ、お前は。正直、その点だけは感心したぞ」

 

「美女と一つ屋根の下で夜這いをかけないなんて失礼だって、俺の本能が告げたんだもん! 仕方なかったんやー!」

 

「仕方なくない」

 

「男には、行かねばならない時がある!」

 

「それは昨夜ではない」

 

 千冬の声は冷たかった。

 

「全く。私が魅力的なのは否定せんが、おかげでこちらも寝不足だ。今日は今後のことも含め、しっかり話を聞かせてもらうからな。とっとと用意してこい」

 

 そう言って、千冬は部屋を出ようとする。

 

 扉が閉まる直前、ISが量子化され、横島の拘束が解かれた。

 

 用心深い。

 

 実に用心深い。

 

 横島は手首をさすりながら起き上がった。

 

「……あれだけいい乳してるんだから、一回くらい触らしてくれても罰は当たらんのになあ。減るもんでなし」

 

 扉の向こうから、低い声がした。

 

「何か言ったか、横島?」

 

「いえ、何も申し上げておりません! サー!」

 

 横島は即座に敬礼した。

 

 扉が、勢いよく閉まった。

 

     ◇

 

「来たか。とりあえずは朝食だ、食え」

 

 手早く身支度を済ませ、横島が階下に降りると、テーブルには簡素な食事が用意されていた。

 

 インスタントコーヒー。

 シリアルコーン。

 牛乳。

 

 以上。

 

 実に合理的で、実に味気ない。

 

 元の世界での朝食を思い出し、横島は少しだけ遠い目をした。

 

 美神の事務所に居候するおキヌが作る朝食。

 温かい味噌汁。

 焼き魚。

 卵焼き。

 炊きたてのご飯。

 

 それらを思い出すと、目の前のシリアルが急にわびしく見えた。

 

「……なんだ。朝食は不満か? 贅沢なやつだな」

 

「いや、そうじゃないんだ。ありがたく頂くよ」

 

「なら、最初から素直に食べろ。足りなければ、バナナもあるぞ」

 

 千冬が一本のバナナを差し出す。

 

 横島はそれを受け取った。

 

 メイドイン台湾と書かれている。

 元の世界と同じなら、確か高級品だったはずだ。

 

「じゃ、こいつもありがたく」

 

 横島はバナナを見つめ、それから千冬を見た。

 

「しかし千冬は、そんだけでいいのか? 昨日の戦闘にしろ、俺たちの……と言っていいか、体が資本なところがあるだろ。食わないと、そのうち倒れるぞ」

 

 千冬は一瞬きょとんとした。

 

 次いで、大きく笑った。

 

「はは。ありがとうよ。お前は、一夏と同じようなことを言うんだな」

 

「一夏?」

 

「私の弟だ。今は理由があって同居していないが、何かにつけ役に立つやつだ。食事を作るのも上手いしな」

 

 千冬の表情が少しだけ緩む。

 

「私は外に出ることが多くて、どうしても料理などは後回しにしてしまった。おかげで目玉焼き一つまともに作れん」

 

「それはそれでどうなんだ」

 

「一夏がいる時は不自由せん」

 

 千冬はまた笑う。

 

 だが、その笑顔は戦場で見せたものとは違っていた。

 

 目尻が下がる。

 声が柔らかくなる。

 

 横島は、それを少し羨ましく見ていた。

 

「姉弟か。いいな」

 

「お前は一人っ子か?」

 

「ああ。なんで分かった?」

 

「理由はない。どことなく、大勢の中で過ごし慣れているような印象を受けたから、かもな。弟か妹がいてもおかしくないと思った」

 

「あー……確かに、大勢の中で過ごしてはいたよ。うん」

 

 横島はシリアルを口に運びながら、少しだけ目を伏せた。

 

 美神の事務所。

 

 美神。

 おキヌ。

 シロ。

 タマモ。

 カオス。

 マリア。

 ピート。

 タイガー。

 唐巣神父。

 雪之丞。

 

 静けさとは無縁の生活だった。

 

 騒がしくて、危なくて、金にはならなくて、痛い目にも散々遭った。

 それでも、そこには自分の居場所があった。

 

 今、その全部が遠い。

 

 千冬は、その横顔を見て、少しだけ声を落とした。

 

「……元の世界へ帰る手立ては、見つからんのか?」

 

「ああ。昨日も言ったけど、何かに妨害される印象なんだよな」

 

 横島は文珠を取り出す。

 

 小さな光が、彼の指先に浮かんだ。

 

「時空転移なんかもこなしたことはあるから、帰還用のコンパス――頭の中のな――が完全に狂ってるわけではなさそうなんだけど」

 

「妨害、か」

 

「うん。方向は分かる。けど、そこへ行こうとすると、途中で逸らされる感じがする。目の前に道があるのに、見えない壁で横へ押されるっつーか」

 

「つまり、すぐには帰れない」

 

「そうなるな」

 

 横島は軽く言った。

 

 だが、その言い方ほど気楽ではない。

 

 帰れるかどうか分からない。

 それは、異世界に一人放り出された人間にとって、決して軽い問題ではなかった。

 

 千冬は悪いと思った。

 

 同時に、心のどこかで安堵している自分にも気づいた。

 

 今、横島に帰還されては困る。

 

 それを口に出すことはできない。

 認めることもできない。

 

 だが、千冬と束の抱えている問題は、横島という存在によって大きく変わるかもしれない。

 

 その可能性を、手放したくなかった。

 

「帰還できるか分からないお前には悪いが、これからの身の振り方も相談せんといかんしな」

 

「ああ。戸籍も金も家もない異世界人だしな。笑えねえ」

 

「私は取り急ぎ、轡木さんに連絡を取りたいと思っている」

 

「くつわぎさん?」

 

「私の勤める職場の用務……いや、実質的な運営者だ。事情を話せば、色々と便宜を図ってくれるだろう」

 

「用務員が実質的な運営者って、どういう職場だよ」

 

「説明すると長い」

 

「なら今度でいい」

 

 横島はバナナをむく。

 

「ただ、どこまで話せるか、だな」

 

「まあ、な」

 

 二人はコーヒーを口に運びながら、しばらく黙った。

 

 昨日の簡単な情報交換だけでも、外部へ伝えるべき情報は多すぎた。

 横島の存在。

 別世界。

 文珠。

 霊力。

 ガーゴイル。

 ISとの干渉。

 

 どれ一つ取っても、世に出せば混乱を招く。

 

 だからこそ、今日一日をかけて、より深い情報の交換と、対価の検討を行う予定だった。

 千冬の縁故の中で信用できる者を集め、今後の扱いを考える。

 

 そのはずだった。

 

 だが。

 

「束は?」

 

「来ていない」

 

 千冬のこめかみがわずかに動いた。

 

「アイツは本当に気まぐれだからな。予定通りに顔を出さなくても、いつものことではあるんだが」

 

「今日に限っては困る、と」

 

「そういうことだ」

 

 千冬は頭を抱える。

 

 横島も動きようがない。

 

 シリアルは空になった。

 バナナも食べ終わった。

 インスタントコーヒーは少し苦かった。

 

 さてどうしたものかと考えあぐねていると、千冬が先に口を開いた。

 

「細かいことはいくらでも話せるし、話さなければならないことは山のようにある」

 

 千冬はカップを置いた。

 

「だが、最初の話題はこれがいいだろう」

 

 横島は顔を上げる。

 

 千冬の目が、まっすぐこちらを見ていた。

 

「横島」

 

「ん?」

 

「お前の目的はなんだ」

 

「目的?」

 

「そうだ」

 

 千冬は言った。

 

「意図せずこの世界に飛び込んできてしまったのなら、とりあえずは帰還することだろう」

 

「だな」

 

「それ以外では?」

 

「それ以外?」

 

「たとえば、元の世界では。お前は何を目指していた。何のために命を懸ける仕事をしていた」

 

 横島は少し考えた。

 

 千冬は黙って待つ。

 

 命を懸ける仕事。

 

 確かに、GSはそういう仕事だ。

 

 悪霊を祓う。妖怪と戦う。魔族と戦う。

 依頼人を守る。

 時には世界そのものを守ることすらあった。

 

 それなりの理由があったのだろうと、千冬は思っていた。

 

 だから聞いた。

 

 横島は、真剣な顔で答えた。

 

「金稼いで、美人の嫁さんを貰って、退廃的な生活を送ろうかと思ってた」

 

「……お前は本当にアホだな」

 

 千冬は頭を抱えた。

 

 聞かなければよかった。

 

 心の底から、そう思った。

 

「なんだよ。大事だろ、金と嫁さんと退廃的生活」

 

「否定はせんが、命を懸ける理由として口に出すな」

 

「男の夢だぞ!」

 

「黙れ」

 

 横島は口を尖らせたが、ふと千冬を見る。

 

「じゃあ、千冬の目的は?」

 

「私か」

 

 千冬は、すぐには答えなかった。

 

 窓の外へ目を向ける。

 

 朝の街が動き始めている。

 

 通勤する人々。

 通学する学生。

 買い物袋を持つ老人。

 犬を連れて歩く女性。

 何も知らない子供の声。

 

 当たり前の朝。

 

 守るべき日常。

 

 千冬はそれを見ていた。

 

「私の目的は……そうだな。この世界の現状の打破」

 

 そこまで言って、千冬はわずかに首を振った。

 

「……いや、違うな」

 

 横島は黙っていた。

 

 千冬の声が、少し変わったからだ。

 

 戦場で聞いた声に近い。

 だが、それよりも低く、個人的だった。

 

 千冬は窓の外を見たまま、しばらく沈黙した。

 

 やがて、呟くように言う。

 

「仇討ちだと言ったら……どうする?」

 

 

 

 

さらに続け。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。