ISクロスGS ザ・グレート・ゲーム 【IS世界に横島忠夫を放り込んでみた】 作:監督
千冬たちと横島忠夫が出会ってから、何年かが過ぎた。
良い意味でも、悪い意味でも、世界はバランスを取り戻していった。
DD――a devil a demon。
かつては突如として現れた怪物であり、人類の常識を壊す異物であり、世界中の軍と政府と研究機関を混乱させた存在だった。
だが、人間は慣れる。
どれほど理不尽な災害であろうと、何度も続けば名前がつく。
名前がつけば、分類が始まる。
分類が始まれば、対策が練られる。
対策が練られれば、人はそこに生活の余地を見つける。
最初は、悪魔だった。
次に、脅威だった。
やがて、災害になった。
そして今では、DDはこの世界の住人となってしまった。
なってしまった、という表現が正しい。
誰かが望んだわけではない。
受け入れたかったわけでもない。
だが、拒絶したところで消えてくれる相手でもなかった。
人類とDDは、いたちごっこを繰り返した。
新しい個体が現れる。
ISが撃退する。
データを解析する。
対策装備を作る。
するとまた、別の個体が現れる。
その繰り返し。
完全な勝利ではない。
だが、完全な敗北でもない。
世界は奇妙な安定を手に入れた。
ある地域では、DD出現時の避難訓練が学校行事に組み込まれた。
ある国では、対DD用の地下シェルターが公共事業になった。
ある企業は、DD被害に対応した保険商品を売り出した。
あるニュース番組では、今週のDD警戒情報が天気予報の後に流れるようになった。
異常は、日常へ変わる。
人は、それでも朝起き、仕事へ行き、学校へ通い、恋をして、喧嘩をして、食事をして、眠る。
DDが空を飛ぼうが、怪物が山奥に現れようが、時間だけは変わらず過ぎていく。
誰にも同じように。
そして、IS学園にもまた、日常はあった。
◇
「……学年集会なんて珍しいな、箒」
「そうかもしれんな。入学してからも、数えるほどしか行っておらん」
アリーナには、一年生総勢百二十名あまりが集められていた。
朝はまだ早い。
太陽すら気だるそうに空を登りかけている時間である。
眠気を完全には追い払えない生徒も多く、整列している列のあちこちで、小さなあくびが噛み殺されていた。
その中で、織斑一夏も例外ではない。
男子生徒としては唯一。
世界で初めてISを動かした男性として、この学園に入学した少年。
そんな肩書きは、眠気を払うには何の役にも立たなかった。
一夏は隣に立つ幼なじみ、篠ノ之箒に、いかにも面倒くさそうに話しかける。
それでも律儀に答えるのは、箒の性格によるところが大きい。
箒は真面目だ。
不器用で、言葉が固く、すぐに頬を赤らめたり怒ったりするが、根はひどく律儀である。
「IS学園では情報共有は基本的に端末で行えますし、たとえ一年生だけとはいえ、全クラスを集める意味はあまりありませんものね」
箒の向こう側から、セシリア・オルコットが上品な声で言った。
金髪を朝の光に揺らし、背筋を伸ばした立ち姿は、こういう場でも妙に様になっている。
少し前のセシリアであれば、ここで「イギリスでは高等教育における人格育成が云々」と始まり、日本の教育体制を遠回しに批判していたかもしれない。
だが、今の彼女は違う。
「セシリアはイギリスでこういうのやってた?」
一夏が聞くと、セシリアは軽く微笑んだ。
「ええ。厳密には少し違いますけれど、毎朝、全生徒が集まってはおりましたわ。パブリックスクールはここ同様に全寮制でしたけれど、規則はここ以上に厳しかったですから」
「へえ。ここ以上に厳しいって、想像つかないな」
「ハウスマスター、つまり寮監はIS学園の方が恐ろしいですけれど」
セシリアが冗談めかして言う。
箒が少し興味を示した。
「パブリックスクールとは、どういうところだ?」
「箒には絶対に入学できない、高貴な人間を育てる学校ですわ」
「ほう。朝から良い度胸だな、セシリア」
「あら、褒め言葉として受け取っておきますわ」
二人は小声でやり合う。
昔なら刺々しさだけが残ったかもしれないやり取りだ。
だが今は違う。
箒はむっとしながらも、どこか楽しそうだった。
セシリアも、嫌味を言いながら、以前のように相手を見下しているわけではない。
一夏が気づいた時には、セシリアと箒は互いを名前で呼び合っていた。
クラスで初めて顔を合わせた頃の、気負いすぎた剣呑さは影を潜めている。
あれだけぶつかっていた二人が、いつの間にか普通に話すようになっていたのだから、一夏には不思議でならない。
この何ヶ月かで、女子ばかりの環境にも多少は慣れたつもりだった。
それでも、こういう場面を見るたびに思う。
女子とは、男には理解しがたい生き物である。
互いに殴り合ったわけでもないのに、気づけば仲良くなっている。
怒っているように見えて、楽しそうでもある。
嫌味を言っているようで、ちゃんと距離を測っている。
一夏には難しかった。
その二人の小声の会話が、周囲の興味を引いた。
列の前の方から、ラウラ・ボーデヴィッヒがちらりと視線を送る。
隣では、シャルロット・デュノアが困ったように笑いながらも、やはり興味深げに耳を傾けている。
少し離れた列からは、凰鈴音が首を伸ばしていた。
「なになに? なんの話?」
「鈴、整列中だぞ」
「一夏にだけは言われたくないわよ」
「なんでだよ」
「なんでも何も、あんたが一番落ち着きないからでしょ」
一夏は反論しかけたが、周囲の視線に気づいて口を閉じた。
いつも張り合う五人。
箒、セシリア、鈴、シャルロット、ラウラ。
喧嘩のようになったかと思えば、妙なところで連携が凄まじい。
誰か一人を止めようとすると、なぜか全員から別々の方向で責められる。
一夏は、彼女たちの様子に気が気ではなかった。
学年集会では整然としていなければならない。
それはどこの学校でも同じだ。
そしてIS学園では、こういう場合、まるで決まり事のように綺麗な制裁が加えられる。
案の定だった。
バアン、バアン、バアン、と頭を叩かれる音がいくつも響いた。
「静かにしろ、馬鹿者どもが」
「あちゃー……」
「お前もだ、織斑」
「いっ――――?! ちょっと千冬姉!」
「学校では織斑先生と呼べと、何度言ったら分かる」
「ぎゃっ?!」
一夏は、千冬の出席簿アタックに頭を抱え込んだ。
脳細胞がまた五千個は死んだ。
心の中で、さめざめと泣く。
周りの女生徒たちは、勢い直立不動になった。
あまりの痛み。
そして周囲を萎縮させるほどの打撃音。
この制裁は、IS学園で恐怖の対象になって久しい。
一夏もできれば受けたくない。
というより、今回は自分は関係なかったのではないかと思っている。
だが、反論などできるはずもない。
「……横暴だ」
一夏は小さく呟いた。
千冬はそれを聞こえていたのか、聞こえていなかったのか。
何も言わず、次の列へ向かって歩いていく。
逆らってもいい。
だが言うことは聞け。
そんな鬼教官の背中を、一夏は恨めしげに見つめた。
胸には、複雑な感情があった。
この学園に入るまで、一夏は千冬がどこで何をしているのか、ほとんど知らなかった。
世界がDDの攻撃にさらされ、混乱していた頃。
ニュースでは怪物の出現が報じられ、ISの活躍が語られ、世界中が不安と希望の間を揺れていた。
その中で、千冬は家にいないことが多かった。
何をしているのか知りたい、と迫ったこともある。
だが千冬は、詳しいことを教えてくれなかった。
お前はしっかり成長するのが仕事だ。
そう言われて、話は終わった。
たまに帰ってきてくれる。
疲れた姉に食事を作る。
マッサージをする。
少しでも役に立とうと頑張る。
それで満たされた部分もあった。
だが、寂しさが消えたわけではない。
だから今、同じ学園にいられることは嬉しい。
唯一の肉親のそばにいられる。
千冬の仕事を、少しでも近くで見られる。
自分にも何かできるかもしれないと思える。
嬉しい。
同時に、会えた途端に人権上等な扱いを受け続けていることは、普通に悔しい。
けれど、これからは多少なりとも姉の役に立てるようにならなければならない。
そんな思いもある。
両親のいない一夏にとって、千冬は単なる姉以上の存在だった。
だからこそ、一夏は気づかない。
自分が千冬を見つめる時の、どこか安堵したような眼差し。
それを見た箒をはじめとする五人が、微妙に険しい目つきになっていることに。
気づけるはずもなかった。
◇
「……クラス対抗戦、学年別個人トーナメントも無事……とは言わんが、終えることができた」
千冬の声が、アリーナに響く。
生徒たちは背筋を伸ばして聞いていた。
「そして、校外特別実習の時期となってきた。楽しみにしている者も多いだろうが、お前たちの本分は学業だ。浮つく気持ちも分からないではないが、赤点を取って私たちを泣かせることのないように」
「はい!」
生徒たちの返事は良かった。
良すぎるほど良かった。
だが、その頬が緩んでいるのを千冬は見逃さない。
校外特別実習。
つまり、臨海学校。
それはIS学園において、数少ない楽しいイベントの一つだった。
IS学園では、生徒たちは自由に外出することすら許されない。
土日祝日であっても、外出は申請制であり、行動範囲や時間にも制限がある。
理由はある。
IS操縦者の卵であり、将来的な対DD戦力であり、各国の重要人材でもある生徒たち。
専用機持ちならば、なおさらだ。
警備の必要もある。
学園そのものが、教育機関であると同時に前線基地でもある。
出入り管理が厳重なのは当然だった。
それでも、十代の少女たちにとって、自由に外へ出られない生活は息が詰まる。
海へ行ける。
学園の外で過ごせる。
訓練や実習の名目があるとはいえ、それだけで気持ちが華やぐのは無理もなかった。
一夏も、少しだけ楽しみだった。
海。
臨海学校。
女子ばかりの環境。
水着。
そこまで考えて、背筋が寒くなる。
なぜか五方向から視線を感じたからである。
「一夏」
「な、なんだ箒」
「今、何か余計なことを考えていなかったか」
「考えてない!」
「本当かしら?」
鈴が横から睨む。
「イチカのことだから、どうせ水着がどうとか考えていたんじゃない?」
セシリアが扇子もないのに扇子を持っていそうな雰囲気で言う。
「一夏、見るのはいいけど、変なことは駄目だよ?」
シャルロットが困ったように微笑む。
「嫁の水着を見る権利はあるが、他の女を見る権利はないぞ」
ラウラが真顔で言う。
「いや、嫁じゃないからな?!」
「静かにしろ」
千冬の視線が飛んできた。
一夏はすぐに口を閉じた。
危ない。
あと少しで、出席簿が飛んでくるところだった。
「あー、では最後に……」
千冬が何かを言いかけたところで、表情が渋くなった。
いったん、アリーナ脇にいる学園理事長と用務員――轡木夫妻へ視線を送る。
年配の夫婦は、特に気にした様子もない。
むしろ、どこか楽しんでいるようにすら見えた。
千冬は、致し方ないというように息を吐いた。
「長期出張から戻られた、IS開発部の教師を紹介しようと思ったが、遅刻し――」
パーパラパーン。
パラパー。
パラパーパパーパパラパー。
アリーナに、唐突なトランペットの音が鳴り響いた。
「トランペット?!」
「なんなの?! どこ?!」
「あ、あそこ……!」
生徒たちが一斉に上を見た。
音は、アリーナの屋上から聞こえてくる。
逆光の中に、人影があった。
片手にトランペット。
もう片方の手を腰に当て、朝日を背負って立っている。
どう考えても、まともな教師の登場ではない。
演奏は続く。
やがて、人影はゆっくりと振り返った。
「やはっ、みんなっ!! 俺は――――」
「余計なことをして目立たんでいいっ!!」
「ああ、自己紹介がまだっ……! てか落ちるー?!」
白い光が走った。
ISを展開した千冬が、屋上へ飛んだのだ。
次の瞬間、出張帰りのIS開発部教師――横島忠夫は、屋上から叩き落とされていた。
それはもう見事な速度だった。
イグニッション・ブーストもかくやという突撃。
生徒たちは、目で追うことすらできなかった。
普通の人間を屋上から殴り落とした千冬にも驚いた。
だが、それ以上に驚いたのは、その後だった。
横島はグラウンドに落下した。
鈍い音がした。
土煙が上がる。
女生徒たちが悲鳴を上げかけた次の瞬間、横島は血だらけのまま、むくりと起き上がった。
「あー、死ぬかと思った」
皆、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「あの人なに?! もしかしてDD?!」
「え、でも開発部の教師だって……」
「シールドの中だもの、簡単に侵入なんてできないはずよ?!」
「ああ、織斑先生の容赦ない攻撃が素敵……!」
一部、倒錯した声も混ざった。
アリーナは一気に騒然となる。
真耶が慌ててマイクを取った。
「ああ、ええっと……長くなりそうですから、皆さん授業に備えて、それぞれの教室へ戻ってくださいー。解散ですー!」
「ああっ、自己紹介! 自己紹介させてー?!」
「うるさい。今度という今度は、お前という存在を修正してやらねばならん!」
「だって女子高生がっ! あんな綺麗なねーちゃんたちがいるのにー!」
「いい加減にしろ!!」
「うわ痛い! ってか言いたかっただけなんです。すんまへん、すんまへーん! ほんまにすんまへーーん!」
横島の泣き叫ぶ声が響く。
千冬は構わず、腕部装甲で二十往復ほど横島をはたいた。
ぐったりした横島を引きずり、アリーナを退場していく。
後に残された生徒たちは、何が起きたのか理解できないまま、教室へ戻されることになった。
◇
「……先ほどのは、いったい何だったのでしょう?」
「知らん」
「織斑先生が、ああいう風に怒るのは初めて見たよ」
「千冬さんは常に冷静沈着な方だと思っていたが……」
「……俺も」
一組の教室。
セシリア、ラウラ、シャルロット、箒、一夏の五人は、顔を突き合わせて話し合っていた。
もちろん、騒いでいるのは彼らだけではない。
クラスの女子たちも、がやがやと落ち着きがない。
無理もない。
IS学園における男性比率は、ほぼゼロに近い。
一夏と用務員の轡木以外、日常的に見る男性はほとんどいない。
そこへ男性教師が現れた。
しかも、屋上でトランペットを吹き、織斑先生に叩き落とされ、血だらけで復活し、なお自己紹介をしたがるという有様である。
あれが教師。
そう言われても、すぐに飲み込めるはずがない。
「入学してから見かけたことがなかったのは、長期出張とやらのせいでしょうけれど……」
セシリアは顎に手を当てる。
「それにしても、あれが教師ですの?」
「教官の敵であるならば、殲滅するだけだがな」
「またラウラは……駄目だよ?」
シャルロットが苦笑しながら止める。
「一応、教師というご紹介でしたから、滅多なことにはならないんでしょうけれど……」
「もう滅多なことになってないか?」
一夏が呟く。
誰も否定しなかった。
「でもさ、あの人、織斑先生と知り合いっぽかったわよね」
鈴が言う。
「知り合いというより、なんか……遠慮がなかった」
シャルロットが考え込む。
「織斑先生も、怒ってはいたけど、本気で殺す感じじゃなかったし」
「いや、屋上から落としてたぞ」
「一夏、あの人すぐ起きたから」
「そういう問題か?」
一夏は首を傾げる。
確かに横島はすぐ起きた。
だが、普通は起きない。というより、死ぬ。
それを平然とやる千冬も千冬だし、平然と起きる横島も横島である。
一夏は、胸の奥に妙なもやもやを感じていた。
男性教師。
千冬と親しそうな男。
年齢はおそらく千冬と同じくらい。いや、少し下かもしれない。
少なくとも、一夏よりはずっと大人だ。
この学園で、一夏は唯一の男性生徒だった。
その孤独感が、完全に自覚されていたわけではない。
だが、同じ男が現れたことに、どこか近いものを感じたい気持ちはあった。
同時に、千冬との距離の近さに、説明しづらい違和感もあった。
姉が知らない誰かと、自分の知らない顔でやり取りをしている。
それが少し、面白くなかった。
「一夏?」
箒が横から覗き込む。
「どうした。妙な顔をしているぞ」
「いや、なんでもない」
「本当か?」
「本当だって」
一夏は誤魔化した。
その時、廊下から足音が近づいてきた。
教室の空気が一瞬で変わる。
真耶と千冬が入ってきた。
その後ろに、件の教師――横島忠夫がいる。
生徒たちは慌てて席に戻った。
だが、好奇と不安の視線が交錯し、騒がしさは収まらない。
「いい加減にせんか、お前ら!」
千冬が一喝した。
教室は一瞬で静かになった。
「あ、あはははは……」
真耶は困り果てた表情で立ち尽くしている。
そもそもの原因を作ったのは横島であり、さらに大きくしたのは千冬である。
だが、真耶にはそれを指摘する度胸はなかった。
ショートホームルームを始めたい。
だが、横島の紹介を終えないことには、何も始められる雰囲気ではない。
千冬もそれを察したのだろう。
思うに任せない様子ながらも、横島へ教壇に立つよう促した。
「横島」
「はいはい」
「まともにやれ」
「わかってますって」
「信用ならん」
「ひでえ」
横島は肩をすくめながら教壇へ立った。
多少、頬が腫れている。
千冬の制裁の結果だろう。
生徒たちは戸惑いながら見つめる。
オールバック。
体つきのしっかりした青年。
年頃は千冬と同じくらいか、少し下か。
スーツ姿は一応教師らしい。
ただ、登場があまりに教師らしくなかった。
一夏は、教壇のほぼ正面に座っていた。
横島との物理的な距離は近い。
だが、心情的な距離は測りかねている。
横島は電子黒板に大きく名前を書いた。
横島忠夫。
そして、振り返る。
「あー、えっと。皆さん、初めまして。横島忠夫と言います。IS開発部の教師として、こちらに勤めさせてもらってます。よろしく」
意外にも、普通だった。
あまりにも普通の挨拶だったので、千冬と真耶がほっとする。
横島はそのまま、自分の立ち位置を説明し始めた。
IS開発部所属。
主にサポート系装備や特殊装備の実験、調整に関わること。
既存のIS運用とは少し違う分野を扱っていること。
出張が多く、学園に常駐していなかったこと。
言葉は軽いが、説明は分かりやすい。
「開発に関わった部品や武器なんかも、いくつか実習で見ることがあると思う。まあ、俺自身はそんな大層な開発者ってわけじゃないけどな。どっちかっていうと、特殊系の実験台兼、調整役みたいなもんだ」
「実験台?」
誰かが小さく呟く。
横島はにやりと笑った。
「そうそう。危ない装備はまず俺で試す。頑丈だから」
教室がざわつく。
屋上から落ちても起き上がる男が言うと、冗談に聞こえない。
「ああ、あと」
横島は一夏を見た。
「織斑先生の弟さんとは違って、俺はISをちゃんと動かせるわけじゃない。まして、操縦を教える立場でもない。開発部で直接授業に関わることも多くはないが、サポート関係で顔を合わせることはあると思う。よろしくな」
「……ですか」
一夏はうまく答えられなかった。
自分に向けられた言葉だと分かった。
だが、どう返せばいいのか分からない。
千冬の横顔を見る。
千冬は何も言わない。
横島は、さらに冗談を交えながら話を続けた。
「まあ、怖がらなくていい。俺は美人には優しいし、可愛い子にはもっと優しい。男には普通だ」
女子生徒たちから、小さな笑いが漏れる。
「えー、先生それ差別じゃないですかー?」
「差別じゃない。区別だ」
「ひどーい」
「冗談だ冗談。困ったことがあったら相談してくれ。俺でどうにかなることなら、できる範囲で力になる。どうにもならないことなら、一緒に織斑先生に怒られよう」
「なぜ私を巻き込む」
千冬が低く言う。
また笑いが起きた。
少しずつ、生徒たちの警戒心が解けていく。
この人は変だ。
だが、危険な感じはしない。
少なくとも、千冬が側に置いているなら、完全な不審者ではないのだろう。
そんな空気が広がった。
その時だった。
横島は急に表情を引き締めた。
「ところで、君たちに一つだけ尋ねたいことがある」
教室が静かになる。
「重要な相談だ。心して聞いてくれ」
その声は、先ほどまでとは違った。
生徒たちが息を呑む。
開発部の教師が尋ねる重要な相談。
IS適性のことか。
現在の技能か。
専用機持ちへの問いかけか。
あるいはDDに対する経験か。
一夏も、思わず背筋を伸ばした。
横島は、ゆっくりと教室を見回した。
「――君たちに、年頃の姉妹か、美人のお姉さんの知り合いはいるか?」
「だぁぁぁぁぁぁっ!」
一組の生徒たちは、律儀にずっこけた。
横島は構わず続ける。
「二十歳から四十歳くらいの、売り頃で熟れ頃の――」
そこで、千冬の雪片が展開された。
刃が横島の首筋に突きつけられる。
「言い残すことはそれだけか」
「すんませんでした」
「織斑先生っ、落ち着いてくださいー!」
真耶が慌てて止めに入る。
教室は再び騒然となった。
その中で、一夏は呆然としていた。
「……一体どういう人?」
見たことのない千冬の様子。
型破りにもほどがある教師。
周囲の女子たちの反応。
何もかもが、普段のIS学園とは違う。
一夏は、目の前の喧騒をどこか遠い心持ちで眺めていた。
すぐに、横島忠夫との出会いに何度も溜息をつくことになるのだが。
この時の一夏は、まだ知らない。
◇
「横島先生、戻ってこられましたねえ」
「ですねえ」
用務員室では、轡木と学園生徒会長の更識楯無が茶を飲んでいた。
七十近い老人と十代の娘が寄り添う様は、事情を知らぬ者が見れば、孫を可愛がる祖父に見えたかもしれない。
轡木が用意した甘味を、楯無は上機嫌に味わっている。
窓の外では、木々の影が日に日に濃くなっていた。
青空には、白く大きな雲が広がっている。
ほどなく夏が来る。
そんな気配があった。
「早速、話題になっていますよ。織斑先生も困っていらしたようですが」
「なに、彼女には横島さんくらいでちょうど良いんじゃよ」
「赴任以降、学園生徒職員、全員にモーションをかけ続けるという伝説を作っている、あの先生がですか?」
楯無は心底楽しそうに笑った。
轡木も同じように笑う。
「随分とテンポ良く振られていったみたいじゃが」
「いくらIS学園の生徒が男性に免疫がないとはいえ、あれはないです」
楯無は思い出したように笑い転げる。
「私の時にも、歯の浮くような台詞を言ってくださいましたけど、あまりにも似合っていなくて。思わずこちらが指導してあげたくなりましたもの」
「なんと言われたんじゃ?」
「君のためなら死ねる、だったかしら」
「それで?」
「じゃあ今すぐ死んで、と返しました」
「ほっほっほ」
二人は穏やかに笑った。
だが、その笑いが収まると、楯無の目が少し変わる。
「しかし、横島さんもIS学園に不可欠な人材ですからね。いてくれると何かと賑やかで良い」
「“いると賑やかになる”の間違いではなくて、ですか?」
瞬間、楯無の視線が鋭くなった。
先ほどまでの年頃の少女の顔ではない。
更識家の人間として。
学園生徒会長として。
そして、このIS学園という前線基地の一部を担う者としての目だった。
轡木は、その視線を正面から受け止める。
口元に、にやりとした笑みを浮かべた。
「IS学園の目的そのものから言えば、なに……悪いことではない」
「目的、ですか」
「人間側も一枚岩ではない。DDだけを見ていればよいなら、どれほど楽だったか分からん」
轡木は茶を一口すする。
「各国の思惑。企業の利権。軍の焦り。研究者の欲。政治家の虚栄。生徒たちの才能。専用機の価値。ISコアの秘密。横島さんの持つ退魔技術」
楯無は黙って聞く。
「色々とややこしい事情を抱え込んでしまうくらいなら、まとめて処理した方がいい。そうは思わんかね」
「……かもしれませんが」
楯無は窓の外を見る。
アリーナの方から、まだ生徒たちのざわめきが聞こえる気がした。
横島忠夫。
ふざけた男。
スケベで、軽薄で、目を離すとすぐ女性に声をかける。
だが、DDに対する退魔技術を持ち、この世界のIS技術に別の軸を持ち込んだ男。
彼がいるだけで、人も情報も厄介事も動く。
だからこそ、危うい。
「大丈夫じゃよ」
轡木は穏やかに言った。
「本当に?」
「ああ」
轡木は窓の向こうを見た。
「彼がIS学園に――この前線基地にいる限りは、な」
その言葉は、安心とも警告ともつかなかった。
楯無は、しばらく何も言わなかった。
夏の雲が、青い空をゆっくりと流れていく。
◇
エターナル続け。