ISクロスGS ザ・グレート・ゲーム 【IS世界に横島忠夫を放り込んでみた】 作:監督
「……疲れた」
一夏は、ぼすん、とベッドへ身を投げ出した。
寮の自室。
見慣れた天井。
制服のまま倒れ込んだせいで、シャツの襟元が少し苦しい。
だが、それを直す気力もなかった。
疲労が溜まった身体に、ふかふかのベッドがひどく嬉しい。
このまま目を閉じて、眠気に全部を預けてしまいたい。
そう思う。
思うが、できないことも分かっている。
明日に備えてやることはまだ山ほど残っていた。
授業の予習。
IS関連の基礎理論の復習。
白式の簡易チェック。
提出課題。
そして臨海学校へ向けた準備。
どれも放り出せるものではない。
それでも、一夏はすぐに起き上がれなかった。
今日の出来事が、頭の中で何度も繰り返される。
「今日の定期便……千冬姉は落ち着いてたけど……あれに慣れる方がおかしくないか?」
定期便。
IS学園の近郊に、一定間隔で現れるDDの襲撃。
もちろん本当に定期的に来るわけではない。曜日や時刻が決まっているわけでもない。
だが、学園の職員や上級生たちは、いつしかそう呼ぶようになっていた。
定期便。
あまりにも軽い呼び名だった。
初めて聞いた時、一夏は冗談だと思った。
DDの襲撃にそんな名前をつけるなんて、正気ではないとさえ思った。
だが今日、実際に遭遇して分かった。
あの呼び方は、軽さではない。
慣れだった。
慣れてしまわなければ、この世界では暮らしていけないのだ。
久々の外出許可で街に出た。
ただの買い物だった。
楽しいはずの一日だった。
そこで、一夏はDD襲撃に遭遇した。
噂話程度には聞いていた。
最近はDDもなりを潜めていたため、入学してからは初めての経験だった。
結局、自分は何もさせてもらえずに終わった。
迎撃態勢の整った学園近郊では、一年生の出る幕などない。
まして、自分のような素人が割り込む余地などない。
理屈では分かる。
分かるのだが。
「……はがゆいな」
一夏は腕で目元を覆った。
千冬の言葉が、耳に残っている。
分をわきまえない優しさは、優しさとは言わない。
その意味を、まだ完全には飲み込めていなかった。
◇
小島に建設されたIS学園と外界をつなぐ、数少ない交通手段。
懸垂式モノレールは、海上を滑るように市内へ向かって走っていた。
車窓からの景色は美しい。
青い海。
白い波。
遠くに見える市街地。
その向こうには、緑豊かなショッピングモールの大きな建物が見え始めている。
モノレールは、そのショッピングモールへ直結していた。
IS学園に勤める教師、生徒、研究職、整備部門の人間たちにとって、貴重な外出手段である。
もちろん、それは出入り管理が厳重であることの裏返しでもあった。
IS学園は、ただの学校ではない。
教育機関であり、研究施設であり、訓練施設であり、対DD戦力を育成・運用する前線基地でもある。
高くそびえる尖塔学舎と同じように、このモノレールもまた、IS学園の象徴となっていた。
倍率一万倍を超える難関を突破したエリートたちしか乗ることのできない特別列車。
世間では、そう揶揄されることもある。
だが、実際に乗っている一夏からすれば、そこまで特別な気分ではなかった。
むしろ、少し落ち着かない。
四両編成の最後尾車両。
そこに乗っているのは、一夏とシャルロット・デュノアだけだった。
普段なら、生徒や教職員、研究職員の誰かしらが同じ車両にいる。
規模の割に人数が多くない学園では、移動中に顔見知りと会うことも珍しくない。
だが今日は、どうしたことか二人きりである。
規則通り、二人とも白を基調とした学園の制服に身を包んでいた。
一夏は久々の外出で少し浮かれている。
対して、シャルロットは窓の外を眺めたまま、仏頂面だった。
「さっきからどうしたんだよ、シャル。調子でも悪いのか?」
「乙女の純情をもてあそぶ男は、馬に蹴られて飛んでいくといいよ」
間髪入れずに返ってきた。
声は柔らかい。
だが、言葉は刺さっている。
一夏は首をひねった。
「えっと……俺、なんか悪いことしたか?」
「してないと思ってるんだ」
「いや、だから聞いてるんだけど」
シャルロットは、はぁぁ、と深い溜息をついた。
一夏はますます分からない。
彼としては、ただ買い物につきあってくれと頼んだだけだった。
臨海学校に向けて、いくつか揃えたいものがある。
水着も必要だし、日用品も足りない。
女子の買い物に詳しいかどうかはともかく、シャルなら相談に乗ってくれると思った。
それだけだった。
もしかすると、シャルロットの都合を考慮していなかったのだろうか。
彼女はデュノア社との関係もある。
常にではないにせよ、データ提供や専用機関連の調整で忙しい時もあるだろう。
無理強いをしたつもりはなかったのだが。
「もしかして、体調が悪かったのか? もしそうなら、誘った俺が悪かった。送るから、帰って休ん――」
「…………あのね」
シャルロットが、じぃぃ、と細めた目で一夏を見た。
怒っている。
たぶん怒っている。
だが、どう怒られているのか分からない。
一夏は、とりあえず謝ることにした。
「ごめん」
「何に対して謝ってるの?」
「……分からないけど、悪かった気がするから」
「そういうところだよ」
シャルロットはまた溜息をついた。
そして、少し頬を赤くしながら、そっぽを向く。
「いいよもう。どうせそんなことだろうと思ってたからさ」
「そんなこと?」
「いいの」
「本当に?」
「その代わり」
シャルロットは指を一本立てた。
「パフェ」
「パフェ?」
「ケーキ」
「ケーキ」
「飲み物」
「飲み物」
「それから、僕が行きたいお店に文句を言わずにつきあうこと」
「分かった」
「あと、荷物持ち」
「任せろ」
「……それで許してあげる」
一夏はほっとした。
理由は分からないが、どうやら機嫌は直りそうだった。
シャルロットはまだ少し頬を膨らませていたが、その目元には笑みが戻っていた。
◇
ショッピングモールは、休日らしい賑わいに満ちていた。
広々とした駅前広場。
ガラス張りの建物。
吹き抜けになったエントランス。
緑の植え込みと、陽射しを受けて白く光る石畳。
学園内とは空気が違う。
制服姿の生徒もいれば、家族連れもいる。
若いカップル。
買い物袋を抱えた主婦。
小さな子供を連れた父親。
普通の街。
DDがいる世界でも、人はこうして生活している。
一夏は少し眩しそうに周囲を見た。
「やっぱり外っていいな」
「学園も悪くないけどね」
シャルロットは隣で微笑む。
「でも、ずっと中にいると息が詰まる時はあるよ」
「だよな」
一夏は頷いた。
その時、シャルロットがさりげなく手を差し出した。
「……え?」
「人が多いから」
「ああ、迷いそうだしな」
一夏は納得した。
そして、シャルロットの手を取る。
華奢な手だった。
握ると壊してしまいそうで、自然と力が弱くなる。
そっと触れるだけでも気恥ずかしい。
「しかし、手をつなぐって。人が多いから迷いそうなのは分かるけど、本当にこれで許してくれんの?」
「ううん、これがいいの。これでいいの」
シャルロットはうれしそうに笑う。
「もう大丈夫。怒ってないよ」
「そうか?」
「うん」
「へへっ」
シャルロットは小さく笑った。
さっきまでの仏頂面が嘘のように機嫌が良い。
一夏は、意外と子供っぽいところがあるんだな、と思う。
だが同時に、周囲への警戒も忘れない。
シャルロットがIS学園へ編入した事情は特殊だ。
デュノア社の思惑。
性別を偽っての潜入。
それが明るみに出た後も、全てが解決したわけではない。
外出に危険が伴わないとは言えなかった。
一夏は自然と周囲を見る。
人の流れ。
不自然に立ち止まる者。
視線。
通路の角。
非常口。
自分がどれほど役に立てるかは分からない。
それでも、シャルロットを一人で歩かせるよりはましだと思った。
そのせいか、手に少し力がこもった。
「あ……」
「と、ごめん。痛かったか?」
「ううん!」
シャルロットは慌てて首を振った。
「そんなんじゃないよ。平気、大丈夫!」
顔が真っ赤だった。
一夏は不安になる。
「やっぱり体調悪いんじゃないか?」
「違うよ!」
「でも顔赤いぞ」
「暑いだけ!」
「そうか?」
「そうなの!」
シャルロットは一夏の手を握り直した。
ちょうど、駅前のスクランブル交差点が青信号になる。
「ほ、ほら一夏! あそこなんか良さそうだよ、行こっ」
「わっ?!」
今度はシャルロットが強く一夏の手を引いた。
二人は交差点を駆け出す。
活気に満ちた駅前を、人々が行き交う。
晴れ上がった空では、夏の到来を告げる入道雲が陽射しを受けて、いっそう白く輝いていた。
ほら早く、と笑うシャルロット。
引っ張られて走る一夏。
その姿を見れば、ほとんどの人は仲の良い恋人同士だと思っただろう。
だが。
それを許さない者たちが、わずかながらいた。
◇
「……あのさぁ」
「なんですの?」
「……あれ、手ぇ握ってない?」
「……握ってますわね」
物陰の緑樹の陰。
鈴とセシリアが、二人を見つめていた。
セシリアは引きつった笑みを浮かべながら、持っていたペットボトルを握りつぶした。
中身がまだ少し残っていたため、ぺこり、と妙な音がする。
「そっか。やっぱりそっか。あたしの見間違いでもなく、白昼夢でもなく、やっぱりそっか」
鈴は深く頷いた。
「よし、叩き潰そう」
言った瞬間には、ISアーマーの部分展開を終えていた。
さすが国家代表候補生と言うべき反応速度である。
もっとも、厳密な運用規約は完全に頭のどこかへ放り捨てられていた。
乙女の純情とは、時に規約より重い。
その熱に、冷や水を浴びせる声が背後からかかった。
「ほう。楽しそうだな。私も交ぜろ」
「?!」
鈴とセシリアが同時に振り向く。
そこには、ラウラ・ボーデヴィッヒがいた。
音も立てず、気配も薄く、いつの間にか背後に立っていた。
先日、鈴とセシリアが模擬戦で、二対一にもかかわらず敗北を喫した相手である。
「なっ?! あんた、いつの間に?!」
「そう警戒するな。今のところ、お前たちに危害を加えるつもりはない」
「信じられるものですか! なんなら再戦してもよくってよ?!」
セシリアが強気に言う。
一夏の前ではできる限り普通に振る舞っているが、先日の敗北は尾を引いていた。
鈴も腕を組み、ラウラを睨む。
だがラウラは、あっさりと言った。
「ああ。あのことなら、まあ許せ」
「……は?」
「……はい?」
鈴とセシリアは、毒気を抜かれたように固まった。
数秒後、我に返る。
「ゆ、許せって。あんたねえ……!」
「はい、そうですかと言えるわけが……!」
「そうか。許さぬというなら、それも結構だが」
ラウラは二人の横を通り過ぎる。
「私は嫁を追うのでな。失礼するとしよう」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
「そうですわ、追ってどうしようというのですか?!」
慌てて追いかけ、鈴がラウラの肩を掴む。
ラウラは鬱陶しそうにその手を払った。
「交ざるだけだが?」
あまりにもあっさりした答えだった。
鈴とセシリアは、逆に怯んだ。
ISへの真摯さとは裏腹に、恋愛に関してラウラはあまりにも直線的だった。
キスをした時もそうだったが、迷いがない。
その素直さが呆れるほど危なっかしく、同時に少し羨ましい。
鈴もセシリアも、感情がごちゃまぜになった。
悔しさ。
焦り。
呆れ。
羨望。
出てきたのは、長い溜息だった。
「ま、まあ、ともかく」
セシリアが咳払いをする。
「今の私たちには、共通の敵がいると思うのですが、いかがでしょう?」
「敵って、シャルロット?」
鈴が言う。
「敵を倒すには、まず情報収集……よね」
「……それも一理あるな」
ラウラは顎に手を当てる。
「だが、どうする?」
「ここは追跡の後、二人の関係がどのような状態にあるのか、見極めるべきですわね」
「ふむ」
ラウラは少し考えた。
「確かに私も、デュノアのことはあまり知らん。ではそうするとしよう」
ラウラは即決した。
鈴とセシリアは、どこか後ろめたさを感じていた。
後をつけるなど、あまり褒められた行為ではない。
だが、今は違う。
情報収集。
関係の確認。
今後の戦略のため。
自分を納得させる理由を見つけた途端、先ほどまでの剣呑とした雰囲気はどこへやら。
シャルロットという共通の敵を見極めるため、三人は行動を共にすることにした。
もっとも。
彼女たちはまだ知らない。
この先で目にするものが、想定していた修羅場とは少し違う方向に壊れていることを。
◇
追いかけた三人が見たものは、女性水着売り場の前だった。
より正確に言うなら。
女性水着売り場の更衣室から、二人で出てきた一夏とシャルロット。
その二人を正座させ、咎めている千冬と真耶。
そして。
先日紹介のあった開発部の教師――確か、横島と言った男が。
「休日にこんな可愛い娘と二人っきりで水着の買い出しやなんて! しかも更衣室の中でまで一緒だとっ! 美形、美形は……美形は俺の敵じゃあ、どちくしょぉぉぉっ!!」
泣き叫びながら、藁人形に五寸釘を打ち込んでいた。
「ぐあぁっ?! む、胸が痛いぃぃぃっ?!」
一夏が胸を押さえて苦しみ出す。
「だぁぁぁぁぁぁぁっ?!」
鈴とセシリアは、律儀にコケた。
ラウラだけは違った。
「あの攻撃はどういう理屈だ」
冷静に分析していた。
「ああっ、織斑君?!」
「ちょっと一夏っ。だ、大丈夫?!」
真耶とシャルロットが、一夏を介抱する。
どうやら、横島の呪いらしきものはしっかり効いているらしい。
千冬は慌てて横島を殴り倒した。
「人の弟に何をしとるか、何をっ!!」
「うっさいわい! こんなケダモノ、退治してしまえばいいんだっ!!」
「何がケダモノかっ!!」
千冬の怒声が売り場に響く。
「だいたいお前が、『水着の買い出し……水着の買い出し行きたい……俺も行きたい……水着の買い出しぃぃぃぃぃぃぃ』などと血の涙を流して頼み込むから、仕方なく連れてきてやったんだろうがっ!!」
「俺はいくら声をかけても少ーしもひっかからんというのにっ!! ちょっと顔がいいからってなんだ、どチクショー!」
横島は床に拳を叩きつける。
「マルクス主義は死んだっ!!」
「何の話だ!!」
千冬は横島を壁に蹴り飛ばした。
あまりにも気持ちよく飛んだ。
売り場の空気が一瞬止まる。
千冬に、いつもの威厳は欠片もなかった。
ただし、迫力はあった。
横島が壁からずるずる落ちるのを確認した後、千冬は一夏へ視線を向ける。
「痛みは?」
「な、なんとか……」
「ならいい」
千冬は一息つき、次に柱の影を睨んだ。
「そこの三人! 見てないで出てこいっ!!」
「は、はいぃぃぃっ?!」
鈴、セシリア、ラウラが、柱の影から飛び出す。
千冬は深く溜息をついた。
「全く、お前らはそろいも揃って……」
「あ、あれ? セシリアさんに鈴さんにラウラさん?」
真耶が目を瞬かせる。
「皆さんも水着の買い出しですか?」
「え、ええ、まあ、その」
「偶然よ偶然!」
「嫁の様子を確認していただけだ」
「最後のは偶然じゃないですわ!」
セシリアが小声で突っ込む。
千冬はもう追及する気力もなかった。
「……そうだろう。真耶、我々はさっさと買い物を済ませて退散するぞ。そこの馬鹿は放っておいて」
床に横たわる血まみれの物体を置き去りにして、千冬は水着売り場へ向かった。
真耶は動かない横島と、売り場を歩く千冬の間で視線をきょろきょろ動かす。
助けるべきか。
放っておくべきか。
教師として、人として、どうすべきか。
しばらく迷った末、真耶は小さく「ごめんなさい」と呟き、水着を手に取った。
教職員である二人も、かなり土壇場の準備らしい。
だが、横島は死んでいなかった。
「千冬と真耶ちゃんには、このスリングショットがいいと思うなっ!」
「ひぇっ?! よ、横島さんっ?!」
横島は、いつの間にか復活していた。
手には、布面積があまりにも少ない紐のような水着。
千冬のこめかみが跳ねる。
「そんな紐水着が、生徒の前で着られるか馬鹿者っ!!」
「生徒の前でなかったらいいんやなっ?!」
「そういう意味で言ったんじゃない!」
「仕方ないやんか! 見つけちゃったんだから! これはもう、たわわに実った巨乳の二人に着てもらうしか――」
「い・い・か・げんにしてくださいっ!!」
真耶が動いた。
「ぎゃあああああっ?! さすが元代表候補生の真耶ちゃん、関節技もものすごいってか、この感触は久しぶりでちょっといかん、てかカイカン――?!」
「ああもう! なんなんですか、横島さんっ?! もういやぁー!」
「構わん真耶! 今この場で仕留めてしまえっ!!」
「アンギャアアアアアア!!」
千冬と真耶の二人に、横島は何度も叩きつけられた。
それでも、しばらくすると復活する。
生徒たちは目を白黒させるばかりだった。
あれは本当に人間なのか。
DDではないのか。
あるいは、教師というものはああいう耐久性を持つものなのか。
誰も答えを持っていなかった。
◇
「……じゃ、じゃあ横島先生は預かっていきますねー。ほら、みんなもついてきてー」
「水着ー! ねーちゃんの水着ー!!」
「は、はぁ……」
真耶は、慣れたような慣れていないような手つきで横島を縛り上げていた。
ロープではない。
IS用の簡易拘束具である。
横島はまだ何か叫んでいる。
真耶は首筋に手刀を落とした。
「いい加減にしてください」
「ぐえっ」
横島はようやく静かになった。
シャルロット、鈴、セシリア、ラウラの四人は、その様子に若干気後れしながらも、距離を取ってついていく。
「だ、大丈夫なの、あれ?」
一夏が呟く。
「ああ、お前は気にしなくていい。そのうち、嫌でも授業で関わるしな」
千冬は苦虫を噛み潰したような顔で言った。
そして、ぐったりと近くの椅子に座り込む。
周囲の店員は、すでに見て見ぬふりを始めていた。
IS学園関係者の騒ぎに巻き込まれるのは危険だと、経験則で分かっているのかもしれない。
一夏と千冬だけが、女性水着売り場の片隅に残された。
妙な状況だった。
姉弟二人。
周囲には色とりどりの水着。
先ほどまでの大騒ぎの余韻。
少し遠くでは、真耶が横島を引きずっていく音がする。
千冬は深い溜息をついた。
しばらく沈黙が流れる。
「一夏」
「え? な、なんですか、織斑先生?」
思わずそう返してしまった。
真耶の妙な気の使い方もあった。
それに、入学以来、千冬に名前だけで呼ばれるのは久しぶりだった。
妙にぎくしゃくした反応になってしまう。
その顔がよほど可笑しかったのか、千冬は声を上げて笑った。
「他に誰もおらん。授業中でもない。この場では、ただの姉弟でいいだろう」
「わ、分かった。よ……うん」
一夏は少しだけ肩の力を抜いた。
姉弟水入らず。
そう言えば聞こえはいい。
だが、場所は女性水着売り場である。
姉と二人で残され、一夏は何を言えばいいか分からなかった。
重くはない。
けれど、妙な沈黙が数十秒流れた。
やがて、千冬が口を開く。
「……どうだ。学園には慣れたか?」
「慣れては……いないかなあ」
一夏は苦笑する。
「ついていくのが精一杯でさ。授業も訓練も、みんな当たり前みたいにこなすけど、俺は分からないことばっかりだし」
「そうかもしれんな」
千冬は否定しなかった。
「IS学園は、普通の学校ではない。入ってくる者も、それぞれの国や組織で選ばれた者ばかりだ。お前が遅れている部分があるのは当然だ」
「当然って言われてもな」
「だからといって、甘えていいという意味ではないぞ」
「分かってる」
一夏は少しだけ笑った。
「千冬姉は、そういうところ容赦ないよな」
「姉だからな」
「先生だからじゃなくて?」
「どちらでもある」
千冬は静かに言った。
その声に、少しだけ重いものが混じる。
一夏はそれに気づき、顔を上げた。
千冬は、どこか哀しそうな目で一夏を見ていた。
「だけどな……来てしまった以上は、慣れざるを得ん」
「来てしまった以上?」
「ああ」
千冬は噛んで含めるように言う。
「お前が望んだかどうかに関係なく、お前はISを動かしてしまった。世界で初めて、男でありながらISを起動した。しかも、お前は私の弟だ」
「それは……」
「この学園にいる間だけの問題ではない。これから先、お前は嫌でも注目される。利用しようとする者も出る。守ろうとする者もいる。敵視する者もいる。好意を向ける者もいるだろう」
一夏は黙る。
好意、という言葉で先ほどの騒ぎを思い出し、少し気まずくなった。
だが、千冬の表情は真剣だった。
「なぜなら――」
千冬が言いかけた時。
突然、大きな衝撃が周囲を揺らした。
「なっ?!」
一夏は反射的に立ち上がる。
店内の照明が一瞬ちらついた。
商品棚が揺れ、吊るされた水着がばさばさと揺れる。
次いで、館内に警報が鳴り響いた。
低く、重い音。
買い物客がざわめく。
店員たちが一斉に動き出す。
遮断シールドが、より強固に展開された。
透明な膜のような光が、窓の外側を走る。
各所の扉が降り、通路ごとにロックがかかっていく。
非常時の手順に従い、店員が客の誘導を開始した。
真耶やシャルロットたちとの合流は、すぐにはできそうにない。
「……早速おいでなさったようだな」
千冬は落ち着いていた。
それが一夏には信じられなかった。
「千冬姉、今のって!」
「大丈夫だ」
千冬は一夏の肩を掴んだ。
今にも走り出しそうになっていた一夏を、その場に留める。
「あの程度で、ここの遮断シールドは打ち抜かれん」
「でも、外に人が!」
「出撃はできんぞ」
「どうして!」
「恐らく、すでに三年の精鋭たちが迎撃に当たっている」
「でも、相手が何かも分からないで!」
「相手が何かは分かっているさ」
千冬は短く言った。
「あいつらだ」
「……DD!」
「ああ」
千冬は深く頷く。
「気にするな。この程度、いつものことだ。学園では定期便と呼んでいるくらいでな。良い訓練代わりだ」
「そんな気楽に……!」
「落ち着け」
千冬の声が、一夏の言葉を断った。
静かな声だった。
だが、逆らえなかった。
千冬は立ち上がる。
わずかに自分よりも高くなった弟の目を、まっすぐ見つめた。
「お前は、本当に優しい」
「え?」
「ラウラたちに平等に分けてやれるくらいにはな」
「な、なんの話だよ」
「今は茶化すな」
千冬の目は厳しかった。
一夏は口を閉じる。
「だが、よく聞け。一夏」
警報はまだ鳴っている。
外では、おそらくISがDDと交戦している。
遮断シールドの向こうで、別の衝撃が走った。
それでも千冬は、一夏だけを見ていた。
「分をわきまえない優しさは、優しさとは言わん」
「……」
「ISに乗る限り、ただ甘いだけの優しさはいずれ、お前自身を……殺すことになる」
一夏は息を止めた。
千冬の声は、脅しではなかった。
経験だった。
そして、それが一番重かった。
◇
頑張って続け。