私の生きてきた18年間を振り返る時、ドラマのような長い台本はきっと書けないけれど、短編で収まるほど薄い内容でも無いのだろうというのは、漠然と思っていた。
アイドル。
妹達が始めて、駆け出して、そして輝き出した夢。
舞台は違えど、同じステージに立つ夢を見たことがある。私にとってとても鮮やかな2年半で、そして同時に、モノクロな半年間だった。
「楓香、アイドルにならないか?」
妹達のプロデューサーが、車のバックミラー越しに私を見ている。何度聞いたか分からないほど、熱意の入ったシンプルなその言葉。不思議と、頭に残って忘れられないような、そんな熱さ。
1度スポットライトの下に立つと、そこに立っていた時の感覚が離れなくなる。客席も、お客さんの表情も、仲間の吐息ひとつでさえ、私は忘れることが出来ないでいた。それを知っているからこそ、今まで断り続けてきた彼の言葉。
あの時と同じ思いはしたくない。あの時のように誰かのことを傷つけたくなんてない。でも、もう諦めたくもない。欲張りな私は、私の心は、あの光の下へと駆け出したいと逸る衝動に背を押された。最初から、私には断るつもりなんてなかったのだと思う。だってこんなにも、世界が眩しい。
プロデューサーと目が合った。私というアイドルの大成を信じて疑わない、その瞳。私に期待しているその色が、その熱が、蓋をしようとしていた私の心を溶かしていく。
「楓香の才能は表舞台でこそ光ると、俺は思ってる。誰かに何か言われたら、今度は俺達が守る。だから、もう一回立ってみないか?」
呆れるくらいアイドルに寄り添ってくれるこの人がそこまで言う私の才能。そのせいで誰かを傷付けても、きっとこの人は私のことを庇ってくれてしまう。それでは、今までと何も変わらないような気がした。
「……やります。アイドル」
「本当か!」
「その代わり」
こうして、私・大崎楓香はとある条件を引っ提げて283プロの事務員バイトから、283プロ所属のアイドルとなった。
私のせいで舞台を降りて行った人達の声はまだうるさいくらいに聞こえていて、私なりの答えもまだ出せていないけれど。私は、私の居場所がステージの上だということを知っているから。
独りじゃないから。
「"私達"なら成れる。そうでしょう?」
「__あぁ。歓迎するよ、楓香」
ピピピ、ピピピ。
無機質なアラーム音に目を覚ます。私のものではない、不満そうな声が小さく聞こえた。アラームを止めようと腕を動かすのだが、不自然な重みと暖かさがそれを邪魔する。許可を出した覚えはないが、妹達はどうやら私のベッドに潜り込んでくるのが好きらしい。なぁなぁで受け入れてしまう私もきっと悪いのだろう。
「甘奈、止めるから」
「んん……」
寝ぼけながらもアラームは聞こえているらしく、顔を顰めながら下の妹・甘奈は、抱き込んでいた私の右腕を離す。時刻は朝の5時半。世間一般的にはまだ早い時間。
私はベッドから抜け出して、端で窮屈そうに眠る甜花を中央に寄せてクローゼットに向かう。引っ張り出すのは通気性の良いTシャツと同じくパーカー。早朝ランニングを毎日の習慣にしているからこそ、2人にはあまり部屋に来て欲しくないのだが。
「おねえちゃん、どこか行くの?」
「ランニング。寝てていいよ」
寝ぼけ眼を擦る甘奈の頭を撫でた。早起きは三文の徳とは言うけれど、それは望んで早起きをした時に限るものだろう。
ボディバッグに必需品を入れて、スマホで音楽を再生。数ある283の曲の中で選ばれたのは、今日もまたアルストロメリアだった。まだ眠る2人の寝顔を眺めて一息。
行ってきます。小さく呟いて、私は朝の街へと繰り出した。
妹達には私がアイドルになったことをまだ伝えていない。どころか、事務所の中ではそれこそプロデューサーとはづきさん、社長しか知らない情報である。隠したい理由は何かと言われたら、私がプロデューサーに出した条件だった。
私は、3年前に私にトラウマを与えた親友をスカウトしてほしいと、そう頼んだ。
私の才能と呼ばれるものに傷付けられ、嫉妬と憧れで何も見えなくなってしまった人。私のせいでその才能を潰されてしまうところだった、優しくて脆くて、不器用な子。
また同じ場所に立ちたいと、ずっと思っている。
理由なんてそれだけだ。彼女を得るためなら、私はまだ何者にでもなれる。そこに、誰からの期待も要らない。
帰宅後、シャワーを浴びて洗面所を出る私に、目覚めたらしい甘奈が腕を伸ばす。まだ少し濡れている後ろ髪に触れられて、それから距離が一気に詰められる。濡れているのが分かったんだから、抱き着いてくるのはやめてほしいものだ。
「甘奈がやってもいい?」
「自分の支度はいいの?」
「シャワー浴びるわけじゃないしね~」
妹の言葉に甘えて、洗面所の椅子を引っ張り出した。普段は見下ろす同じ色の瞳を鏡越しに見上げた。鼻歌が聞こえるくらいには上機嫌の彼女には悪いが。
「ヘアアレンジなんてしなくていいからね」
「だめ?」
「目立つじゃん。私」
「美人さんだもんねぇ」
私は人の目を引くおめでたい体質であり、そのおかげで何もしなくても目立つという生きづらい仕様を抱えている。中学生の頃、演劇部の一員として舞台に立っていた時は重宝したそれも、こうして舞台を下りた場所では何の役にも立たない。どころか、これからアイドルとして一定の知名度を得るのなら、困ってしまうような体質。ただでさえ外出が億劫な体質なのに、これでレッスン室使用禁止令とか敷かれたら、家で出来るトレーニングを片っ端から試す羽目になってしまう。それは普通に嫌だ。
「終わったよ」
「ありがとう」
お礼に頭をなでてやれば、猫のように目を細めて喜んでくれる。甘奈のラブコールを背中に私はリビングに向かう。朝の情報番組では、先日行われた他事務所のアイドルのライブの様子が放送されていた。はづきさんが行く予定だった関係者席のチケットを貰って、プロデューサーと2人で行ったのを覚えている。
カメラが大きく引いた状態で、恐ろしく完成されたパフォーマンスを披露するアイドル。その瞬間の熱気を、会場にいるファンと共に作り上げるのがアイドル。プロデューサーが私と彼女にどんなコンセプトを当てはめるのか分からないけど、参考資料は多ければ多いほど良い。
その時、私のスマホが着信を知らせる。朝早くだと言うのに、プロデューサーからだ。
「もしもし。おはようございます」
『おはよう、楓香。朝から悪いな、すぐに伝えたいことがあって。本当は昨日言えたら良かったんだが、遅くなってしまうからな』
普段よりもいくらか覇気はないけれど、寝起きほど腑抜けた声でもない。しかし言葉に込められたテンションだけはやたらと高くて、何か良いことがあったのだと悟る。私は慌てて甜花の部屋へ向かった。自室では現在、当の本人である甜花が眠っているからだ。
「何か不都合が?」
『その逆だ。彼女、二瓶琳が、うちのスカウトに応じてくれたんだ』
「でしょうね」
二瓶琳。演劇部に所属していた時の親友であり、私にトラウマを与え与えられた、哀れな被害者。
アイドルになると決めた私が彼女の存在を求めた理由は至って単純。私と走っていけるような才能なんて、私は琳しか知らないのだ。
彼女は、自分で言うのもなんだけど、私に弱い傾向があった。だから今回のことも、私の名前を出せばすぐに来てくれるって、信じていた。しかし。プロデューサーは、思っていたよりかは浮かれた様子ではない。
『一つ、条件があるそうだ』
「条件?」
『飲むか飲まないか、それは楓香に任せると。どうする?』
「どうするも何も……私、それを断るつもりはないですよ」
『そうか。じゃあ、今日の放課後、事務所に来てくれ。預かってるものがあるんだ』
嫌な予感だけが、静かに私の心に残った。
「お疲れ様です」
「おはよう、楓香。早速で悪いが、少しいいか?」
放課後、事務所についた私を待っていたプロデューサー。連れられるままに倉庫へ向かえば、彼は手に持っていた冊子を渡してくる。それはどうやら短編映画の台本らしかった。タイトルは、"偽りの仮面"?
「これは?」
「それこそ二瓶琳の条件だ。その舞台に応じてくれれば、すぐにでも移籍すると」
私は無言で台本を開いた。
主人公の雨宮玲奈は、幼い頃から演技の才能に恵まれていた。本人も舞台の世界へと足を踏み入れていく。背負った期待と聞こえる歓声の中、ある日1人の少女と出会う。一条葵、後に玲奈の親友となる相手だ。
物語は、中学生の玲奈の前に圧倒的な才能を持つ葵が現れるところから始まる。それまで玲奈に向けられていたもの全てを、いともたやすく奪い去ってしまうほどに、理不尽とも呼べるような才能。玲奈は比較される苦しみと、葵への強い憧れの間でもがくことになる。そしていつしか、葵の才能を良く思わない人と共に、彼女を妬んでしまう。そして中学最後の発表会にて、葵を1人にしてしまう。誰もが彼女と舞台を作り上げることを拒んだ。比較され、惨めな思いをすることを避けた。玲奈はそれを、何年経っても後悔している……という話だ。
「……なるほどね」
「俺も読ませてもらったが……正直、楓香には早いと思うんだ。楓香の心の傷は知っている、だからこそ……」
「あ、大丈夫です。今これを読んで全く気にならなくなりました」
「え、あ、はぁ?」
我ながら、うちのプロデューサーをここまで困らせることが出来るのは、私くらいだと思う。
この話の一条葵役を私にやってくれないかと、琳は言っているらしい。
「端的に言えば、この台本は実話をもとに描かれています。人物名が違うだけの、実話です」
「……まさか」
「はい。私と彼女の物語です」
琳が私に条件を付けた理由が分かった。その手を取る前に清算させてほしい、ちゃんとけじめをつけて、胸を張って楓香の隣に立ちたい。そういうことだ。わざわざこんな脚本まで書き上げて、どれだけ自分のことを悪者だと思ってしまっているのだろう。対立してしまった以上、どちらかだけが悪者になることなんて、無いはずなのに。
「なんというか……私、同じことの繰り返しが怖かったんです。また誰か、私を置いてステージを下りてしまうんじゃないかって。振り返った先に誰も居ないのは、もう嫌だったんです」
でも違った。琳には、私よりずっとうるさい音量で、あの声が聞こえているはずだ。私を妬む声、私を嫌う声、私に掛けられる期待の言葉、観客の声援。私宛の、様々な色を含んだその音が。
あの日々に縛られているのも、苦しんでいるのも。今までずっと、琳の方が深く傷ついている。それが、分かったから。もう、諦めたりなんてしないって、決めたから。
「私だけじゃないのなら、何も怖くないです」
「……あぁ。俺は楓香を信じるよ」
プロデューサーは少し心配そうに、それでも力強く頷いてくれた。大丈夫。私達、演技は人より少し得意だから。