「楓香、ちょっといいか?」
「はい」
「実は、ルミナフラックスにドラマのオファーが来ていてな。前回の映画とは違って、今回はオーディションがあるんだが……これ、台本だ」
そう言ってプロデューサーが差し出した冊子を、私は何も言わないまま受け取る。パラパラとページを捲って内容をざっと確認したところ、どうやら恋愛もののドラマらしい。
「あぁ、言い忘れてた。楓香へのオファーはヒロイン役だそうだぞ」
「……え、なんでですか?」
「さぁな」
恋愛ドラマの、ヒロイン。もし映画やライブイベントで私のことを知ってオファーしてくれたのだとしたら、この脚本の中で私をヒロインにチョイスすることは無いのではなかろうか。そう思ってはみるけれど、自分が他者から客観的にどう見られているのかなんて、私には分からない。
「……ルミナフラックスに、って言いましたよね。琳は?」
「琳は主人公の親友役だな。俺はピッタリの配役だと思うよ。そうだ、これからレッスンだろ? これ、琳の分だ。渡しておいてくれ。話はもう通してあるから」
「分かりました」
琳の分の台本も預かり、私はレッスン室へと向かう。別に、恋愛を題材にした劇に挑戦したことがないわけではない。けれど、今の私がそれを演じるにあたって、一つ大きな問題が浮上する。
演劇部として舞台に立っていたのは中学生の時。まだ千雪さんに出会っていないどころか、ようやく周囲から向けられる好意というものに慣れてきた頃のことだ。その受け取り方も感じ方も、あの頃と今とでは大違いだ。もっとも、まずはオーディションに合格することの方が何よりも優先されるべきなのだが。
「琳、お疲れ様」
「楓香こそ。今日はバラエティーの密着撮影だったんでしょう?」
「まぁね。疲れたよ」
今は夕方。私は今日、密着型の撮影をこなしていた。最初にプロデューサーがこの仕事を持ってきた時、彼は断るつもりだったらしいのだが、花柳さんと私が押し切ったことで受けることになった企画だ。なんてことはない、「今話題の新人アイドルのプライベートを覗く」という趣旨のもの。バラエティーの一コーナーとして放送されるものではあるが、その実態はただの密着取材と変わりない。だからこそ私は、「学校生活を撮影する」という条件をつけて引き受けたのだ。そして、その条件を出したのには明確な理由があった。
「授業中の風景を撮ったのよね。学校からの許可、よく出たものだわ」
「押し通した、とも言えるかな。ほら、私がアイドルになってから、校内でちょっと問題が起きたから」
そう。ライブを経てさらに注目を浴びるようになった私を一目見ようと、授業に集中できない生徒や教室を抜け出そうとする生徒が現れ始めたらしいのだ。私も最初は耳を疑ったのだが、担任の先生と学年主任と校長先生に呼び出されてなお、現実逃避を決め込むことは出来なかった。最早怖いまである。なんだその局所的な影響力。
だから、テレビ局が私の要望を聞いて学校側に掛け合ってくれた時、学校側も二つ返事でOKしてくれたのだ。私が、カメラの前で明らかにテレビ用として作った表情を見せれば、日常の学校に通っている時の私がどれだけ「プライベートな私」であるか、干渉して欲しくないかを世間に、そして生徒たちに伝えられる気がしたから。
「……で、結果はどうだったの?」
「抑止力にはなると思うよ。どのくらい効果があるかは分からないけど。少なくとも、学業に支障は出さないと約束したしね」
「そう。ところで、雑誌の撮影もあったって聞いていたけれど……これからレッスンするほどの体力は残っているの?」
「うん、問題ないよ。授業をサボる体の良い理由ができて良かったくらい」
「あんたねぇ……仮にも双子のお姉ちゃんでしょう、ちゃんとしなさいよ」
「だって、別にうちの高校は進学校ってわけじゃないからね。テストさえ良い点を取れれば見逃してもらえそうだし」
あるいは、見逃さざるを得ないように周囲を誘導したとも言える。私が芸能界の片隅で咲き始めた花だというのは名実共に立証済みだし、そのせいで校内でもちょっとした騒ぎが起きた。規模は小さくとも影響力を申し分ないほどに見せつけた私に、学校側も「この機会を逃せ」とは言えないはずだ。つまるところ、多少の追試や補習があったとしても、まず間違いなく私は「まぁ、お仕事があるものね」の一言で済ませられるというわけである。
「楓香のその無駄に回る頭の回転をね、少しは見習いたいと思うのよ。……でも、見習わなくてもいいかなと思うほど、あんたって時々大馬鹿者よね」
「それが相棒にかける言葉かぁ」
辛辣なお言葉デイリーミッションは無事に達成。言葉のナイフの切れ味は些か鈍く、ストレッチを始める彼女の隣に並んだ。
「ドラマのこと、聞いた?」
「ええ」
「プロデューサーから台本を預かってるよ」
「ありがとう。……それにしても、楓香にヒロイン役をオファーするなんて、本当に見る目がない監督よね」
「私も意外だったけど、そこまで言う?」
「セリフやカットが多い重要な役柄に抜擢するなんて、もったいないじゃない。……それはもちろん、楓香の圧倒的な存在感なら『主役』の方に据えるべきなのは当然だけど」
早速受け取った台本を捲りながら、琳はそう言い放った。もしかしたら世界中の誰よりも私の魅力を買ってくれているファンかもしれない彼女が言うように、私自身、ヒロイン役のオーディションに向けた気持ちの準備はまだ全然作れていなかった。なんというか……このキャラクターなら、私じゃない方がいいのではないだろうか。そう、思ってしまうのだ。
「ヒロインが、クラスメイトの人気者に片想いをするっていう脚本でしょう? 正直、この時点で共感が難しくて……ストーリーを深く読み込んでいけば、多分技術的に問題なく演じることは出来るんだろうけど」
「珍しいわね、楓香が役に躓くなんて」
「……私が、自分自身の『片想いの期間』を自覚していないから」
私が千雪さんへの恋心に気が付くのは、きっと人より遅かった。
彼女の背中を追うようになって、妹たちのこともあって、自然と距離は近くなっていった。何がきっかけだったかなんて一言では言い表せないけれど、私が自分の感情を自覚できたのは、間違いなく千雪さん側からの確かなアプローチがあったからだ。
元より他人からの好意に疎い私が、それでも千雪さんのことだけは特別に見つめていた。だからこそ彼女の手繰り寄せる手に気づけたのだと思うし、私の恋心の一番最初がそこだからこそ——私の中には、「届かない想いに悶々とする片想いの期間」というものが存在しないのだ。
「あら、楓香が先じゃなかったのね」
「意外?」
「だって今の二人を見ていると、なんというか……楓香の方が『好きだ』って全身でアピールしているように見えるじゃない」
「確かにねぇ……」
言われてみれば確かに、付き合ってからの私の言動の方が分かりやすく目立っているような気はする。これは今度、千雪さん本人にも尋ねてみたいところだ。
「オーディション、頑張りなさいよ」
「琳はもう、オーディションを突破したつもりなんだ?」
「そのくらいの自信と誇りがなければ、あんたの隣になんて立てないわよ」
「……ふふ。うん、頑張るよ」
脚本を読み進めるにつれて上がっていく役の解像度に反して、私自身のリアルな感情だけが、どうしても役に寄り添わないままだった。
千雪のひみつ
楓香が鈍すぎて正直卒業まで待てなかったと思う